国語原理主義者のスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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このスレは所謂「正しい国語」を信仰しちゃうような残念な人の為にあります。
国語原理主義を信奉する諸兄は奮って書き込んでください。
尚このスレが埋め立てられる事は御座いません。 >>897
>>887は「食べる」に「飮」は含まないと思つてゐる。 「的を得る」から話題を逸らしたいんだろ
涙ぐましい努力だねぇw >>898
議論にもならないバカバカしい問題だけど論点を挙げるとすれば
食べる」に「飲」が含まれるかじゃなくて、「飲食」に「食べる」が含まれるかということでしょ
飲食⊂いただく
食べる∈飲食
∴食べる∈いただく
こうでしょうが
こんな簡単なことも理解出来ずに旧仮名君は何故
飲む∈食べる
という出所不明の命題を立ち上げるに至ったか
それが「偽」である(含まれないと思った)理由は何か
含まれないならどう結論付けるのか
話すなら筋道立てて話しなよ
そのコピペで何に対して何が言いたいか、理由は、理論展開は、結論はどうなのか
その結論が論点(「食べる」を「いただく」と言い換えられるか)にどう作用するのか
書かないでどうやって伝えるんですか?
同じことを何回言われるんですか?
アホですか? 学習意欲がある分アイちゃんの方が上
旧仮名ニキは自分のいうことが正しいアピールするだけの見猿聞か猿考え猿学ば猿言いまくり猿だから 彼は屈折の多い言語ほど偉いと考えているからね
屈折が減少すると文明が滅びるって >>901
> 食べる」に「飲」が含まれるかじゃなくて、「飲食」に「食べる」が含まれるかということでしょ
違ふ。
「食べる」とは「飮食」の縡である。 >>900
誤用だと認めぬ莫迦に何を云つても無駄だらう。
莫迦は論破出來ないからな(嗤)。 >>908
何處が苛々なのかね(嗤)。
呆れてゐる丈だが(嗤)。 >>906
>「食べる」とは「飮食」の縡である。
「食べる∈飲食」で正にその『「食べる」とは「飮食」の縡である』ことを表現してるんだけど
一体なにが「違ふ」の?
本当に集合全くやったことがないの?
中卒? 無言でコピペ&無言でリンクは議論でアホを追い詰めて行く展開になると出現頻度が急増するよなあ
何処の板で、何の議論をしててもその展開あるわ
ビックリするほど行動パターンが一緒なんだが、どっかに「バカになるための学校」でもあってそこでメソッドを教えてるんだろうか?
何か有利になる要素でもあると思ってるんだろうか?
リンク先をよく見ると俺が有利になる情報が書いてある展開も度々あるんだがw >>907見て池乃めだかの「よっしゃ、今日はこれくらいにしといたるわ」のギャグを思い出した >>911
撹乱になるとか、関係ありそうなリンクいっぱい貼ればその問題に詳しい人に見えてハッタリが効くとか思ってそういう作戦になるのかな
専門的なリンクの五個や十個で頭がパンクする様な奴は2ちゃんねるの専門板で議論なんてしないと思うけどね コピペ連投や定型文の会話は
メンタル病んでるんだよ
そういう奴は自分の独自の文体に固執する場合も多い しかしフンドシとはニュアンスが全然違うな
言語は道具です、って言っているw >>915
云つても聞かぬ莫迦に對しては時には發言の根據と云ふのも必要になるのさ。
凡そ左翼的思考の輩は自分の世界が第一であるから、貼つても見ないし聞かないし觸れようともしない。
普通に人の話に耳を傾ける度量のある人は態々そんな縡は云はない者だが。 >>921
何が何うブーメランなんだらう歟。
眞面に發言のソースすら示された縡も無いのに(嗤)。 フンドシから「度量のある人」という言葉
が聞けるとはゲラゲラ 基本的に「的を得る」でも間違では無いとする莫迦は「言語道具説」の側に立つてゐるからさう云ふ見解になる。
言語は道具であるから、對手に通ずるのは大前提であると。
かう云ふ皮相淺薄な言語觀は言語と云ふ者の本質を解つてゐない西洋人に有勝ちな見解であるが、
其の莫迦な西洋人の愚な言語觀を無批判に追從せる此れ亦愚な日本人も數多をると云ふ縡だ。
西洋哲學を無批判に追從するやうに……。 相変わらずここは言い回しばっかりでレベル低いな
語彙なんてすぐ古くなるしどうでもいいのに >>925
379 名無し象は鼻がウナギだ! 2018/04/21 17:16:54
「的を得る」とか実際には誤用じゃなかったのに
「言葉は変わっていくからいいんだよ」とか言ってた奴らはアホの誤用警察と同レベルだよね
変わったのか変わってないのか調べないで言ってたのかよってね 無意味なコピペペタペタを「發言の根據」と言い張る奴が出てくるとはね 援用に對して文句を云ふ奴は凡ての説明を自分の辭のみで説明せなばならぬ。
而して「的を得る」の誤用論に對する反駁として、『三省堂国語辞典 第7版』を引き用ゐてはならぬ。 >>930
三省堂のちょっと前の辞書以外で誤用説が相手にされてないっていうのが一番大きいんじゃないの
他の辞書がみんな三国七版の味方、、、 誤用派は三省堂が一番でかい城で、そこが落ちたらあと他に領地が無かった状態だよな
三省堂の他の辞書にはまだ誤用説が載ってるが次の改訂でどうなるかは当然分からない
少なくとも不失正鵠誤訳説なんて怪文書は誰も参考にしないだろうし誤用派はもうこれ詰んでるだろ >>931
コピペペタペタの意味を説明できてないし発言の根拠になっていないから >>936
端から理論の缺片も無いのは君のはうですよ(嗤)。 >>933-934
とっさの日本語便利帳の解説
×的を得る
○的を射る
規範的には「的を射る」が正しい。
この表現は比喩であって、矢の目標を射抜くという句全体が「核心をつく」という意味になり、「的」だけが「核心」という意味の比喩として用いられているのではない。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について >>938
だから「拡散したデマの断片」を世界中から何百も拾い集めてくるのは
お前がバカな証拠にしかならないっての 凡そ新聞社に於ても「的を得る」なんて言方は本來の言方に非ずと認識してゐて、誌面上でも宜しく「的を得る」では無く「的を射る」を用ゐる縡が常識であると云ふ縡である。 >>939
其は「的を得る」は間違で無いと云ふデマの斷片の縡を云つてゐるのかね(嗤)。 >>939
文科省に於ても本來の言方は「的を射る」であり、本來の言方では無い者を「的を得る」と認定してゐる(於平成二十四年度調査)。
「的を射る」とは「物事の肝要な點を確實に捉へる縡」の比喩の慣用句であり、其を「的を得る」と言替へて仕舞つては比喩にもならぬし、辭の意味としても全く通じぬ。 そいつ「的を射る」が間違いだとは言ってないぞ
なに的外れなこと言ってんだこいつ >>940
>>941
>>942
オウッ、オメェが噂の日本語喋れねぇ新入社員かっ! >>944
> オウッ、オメェが噂の日本語喋れねぇ新入社員かっ!
↑此れが御前の云ふ日本語なのかね(嗤)。 >>945
流石!日本語が下手なだけあって情報が15年位おっくれてるぅ〜☆ 〜で(主に口語に用ゐる)→「〜にて」の約《つゞ》まりし辭。
〜にて→「〜に(あり)て」の「あり」の省略せし辭。
〜とて→「〜と言つて」「〜と思つて」の意。
〜なり(斷定)→「〜にあり」の意。?面的斷定。
〜たり(斷定)→「〜とあり」の意。外貌的斷定。
〜たり(完了)→「〜つあり」の意。完了「つ」に意は似たれど、其の用は更に汎し。
「〜と云ふ〜」と云ふ可き處を「〜なる〜(斷定「なり」の連體形)」とする誤?あれども、雙方の意雜り易けれども、互の辭の意は相違するなりとす。
參照、山田孝雄博士?「日本文法學概論」より。
http://ja.scribd.com/doc/110781580/ 417ななしのよっしん
2018/04/27(金) 10:25:31 ID: aWj5B9oX8o
むしろ「得る=入手」「失う=消滅」というのが現代だけの言語感覚で
正仮名遣いの本などを読んだ経験があれば昔は「得=達成」「失=失敗」でよく使われている事が解かるだろ
>漢語に詳しい人にとっては噴飯もの以外のなんでもない
>漢語に詳しい人からは相手にされなかったが
何処にそんな奴がいるんだ?
いねーよ不失正鵠→正鵠を得るが誤訳だと言ってる漢語に詳しい奴
それ言ってんのお前スライムだけだからw
学校の勉強もろくに出来てない中坊がフカしてんじゃね〜ぞ?(ビキィ
>>952
つまり近所に間違った使い方してる奴はいないって事か >>954>>958
もう「ニホンゴワカリマセーン」で行く事にしたのか >>962
きん じょ [1] 【近所】
@
自分の家の近く。近いところ。 「 −に病院が建つ」
A
近くにある家。 「 −づきあい」
>>956の云ふ近所とは日本語の解る御前には解つてゐるのかい(嗤)。 >>964
まさか近所の意味たったそれだけしかないと思ってんの…
自宅基準じゃなくても普通に「付近」みたいな意味でみんな使ってるよ?
辞書なんか引いてたら日本語下手なの丸出しだよ? >>965
通じないわけじゃないが普通は周辺とか言うくね? 字見たら分かるが近い所って意味しかないからな…
その辞書の説明は何かズレてる気がするわ >>966
超ウルトラ大ヒント
「AがあるからBはない」は証明法ではない 自分が間違っていると思うことを指摘して上に立った気になるのが目的であって
自分の脳味噌を使って何が正しいのかそれは何故なのかを考えることは決してしない
これが日本語警察 >>967
「近い所」という基本の意味があって、そこから「(自分の家から)近い所(に住んでいる人)」という省略的・慣用句的用法が生じている感じだね
基本の意味が無くなったら省略も成立しなくなるので
根本的な意味は今でもそのままあると考えられる >>965
だつたら「近所」では無く、「近く」「周邊」「周」で宜いのさ。
敢へて「近所」を選擇した意味が判らぬ(嗤)。
「近所」は適切とは云へぬ。 >>956
> つまり近所に間違った使い方してる奴はいないって事か
>>952の「なる」と「〜と云ふ〜」との用法の誤は戰前から既に存在する者で、現在も其の誤用は論壇に寄稿するやうな人であつても誤用と氣附かずに遣はれ續けられてゐる。
〜なり(斷定)→「〜にあり」の意。内面的斷定。
◎京キなる~社→京キにある~社
×信長なる武將→信長と云ふ武將 >>976-977
「敗北」とか「言訣」とか何を訣の判らん縡を云つてゐるのだ(嗤)。 >>978
日本語ヘタクソマンの悔しそうな即レスで草
毎日ウンコ食ってるとそうなるのかwww >>979
下手なのは御前だ。
平氣で語幹を無視してゐるしな(嗤)。 >>980
ど〜こ〜が〜?
ま、お前は薄っぺらなハッタリばっかだから答えられないけどなw >>975
×信長なる武將→信長と云ふ武將
◎信長なる武將→私が信長と考える武将、私が信長という名で知っている武将(内面的断定)
あんた「なる」が読めてないんだけど 山田孝雄博士とかいうドシロウトも日本語の下手なコミュ障だったんだろうな ど素人って事はないだろうけど昔の人の説が全部正しいとは限らない 私が信長という名で知っている武将
信長という(呼ばれている)武将
ほぼ同じ様に使えるしこういう言い回しがある事自体は誤用でもなんでもないな… >>982
「なり(斷定)」に「と考える」とか「という名で知っている」と云ふ意味は無い(嗤)。
「なり」は「にあり」の約つた者と云つてゐるだらうが(嗤)。
御前は學校で古文を勉強しなかつたの歟(嗤)。 >>985
お前、「語幹」もロクに知らんとかw
知らないからどこがどう間違ってるかも指摘できないwww
まーたハッタリ大失敗wwwwwしかも「なる」が読めないwwwwwww >>988
自分で一體何を省いてゐるの歟解つてゐないの歟(嗤)。 >>990
「と考える」とか「という名で知っている」は斷定なの歟(嗤)。 >>989
そ〜れそれそれ
ご・か・ん!
し・て・き!
ご・か・ん!
し・て・き! >>991
普通そういう事を言い切る事を断定と言う >>993
斷定とは「〜だ」「である」の筈だが、「考へる」とは「推量」であり、「知つてゐる」とは「完了・存續」であり、全く意味が違ふ(嗤)。 >>994
考えるは自分の行動を断定的に言った表現
完了・存續は断定ではないとする理由も不明 「AとBが同一だ」という「断定」(動詞の機能の一つ、コプラ)と
「私はこれが事実であると確信する」という「断定」(陳述内容に対する話者の態度すなわちモダリティ)
この2つの区別ができない愉快な脳みそなんだな、この旧字旧仮名バカは >>995
本當に阿呆だな(嗤)・
「なり」自體は謂はゞ「説明存在詞」であり、名詞、副詞を伴ひ説明の用に供する働を有する語。
「存在詞」が「考へる」とか「知つてゐる」とかと云ふ意味を有つ筈が無い(嗤)。
頭大丈夫かい(嗤)。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。