最近知ってびっくりしたこと@言語学板 [無断転載禁止]©2ch.net
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イギリス英語の音節末のrを発音しない方言の範囲は意外と狭い
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/RhoticEngland.png
イングランドにおけるr音の分布(赤く塗られている範囲では音節末rを発音する) 外国語板のクズは他人に説明させといて全否定するだけで自分は何も言えないヘタレだろ
あとは根拠もなく変な人物像を決めて誰でもそいつに特定してくりかえし粘着
なぜか芸能人の話題が多い >>167
スワヒリ語やインドネシア語も膠着語だって知ってた?
べつにウラルアルタイ語族(死語?)と同義じゃないぞ それらを使う国はまだOECDに加盟できていないが
入ったらやれる子!
つかウラルアルタイ語族(しかも日朝を含む)って言ってよかったのか
学問板だから遠慮したのにw
フィン―エストニアを膠着語って言い切るのも勇気がいった >>167
一位でOECD外のシンガポールの言語が英語中国語マレー語タミル語とバラバラなのにはどう説明つけるんじゃいwwwwww ウラル語族のうちフィンランド語エストニア語って、典型的な接尾辞型の膠着語からは相当離れてるな。
ハンガリー語も、名詞に関しては典型的な膠着語だけど、動詞は膠着語的な派生と、膠着語とは言い切れないような、少し屈折気味の動詞の活用が混ざってる感じ。
印欧語族も、例えばドイツ語の動詞とか、かなり膠着語的に見える。
(というか、印欧語全般的に名詞は典型的な屈折語だけど、動詞には膠着語が融合、音韻変化を被った痕跡のようなものが感じられるが。) うむ。ふっっる~~~い言語類型論しか知らない化石さんのご意見ですね。 カナダ人の言語生活には抱合語の基層の影響があると見られる >>171
いやいや、普通にバカにされるから
ウラルアルタイ語族というトンデモは 無知な人間を嘲笑するなんてのは誰でもできる
本当に賢い人間はバカにもわかりやすく説明してそれとなく訂正するものだ 膠着語って言ってユーラシア中央部内陸部しか浮かばないんだからお察し
過疎板で真夜中の連投みっともない 学問板だから遠慮するのではなく、学問板に来るのを遠慮しなさい >>178
171は無知でもバカでもないと思うけどなあ 171は数学板で「負の数なんてものは認めん!!」って言ってるようなもの 印欧語の数詞は1が定まる前に2が定まったことが示唆されること
数えるという行為が発明される以前は1つのものを数える必要がなかった
従って他の数詞が生じてから改めて1が数であるということを発見することになった
http:://www.ls-japan.org/modules/documents/LSJpapers/journals/129_kirikae.pdf
(236ページから) 確かにその通りだわ
2以上の数があって初めて1という数も意識されるわけだ
目からウロコ アイヌ語の1が「真」「大」の意味を持つって朝鮮語と似てるんだな
2, 3, 4あたりは語形も似てるわけだが アイヌ語のsineと朝鮮語のhanaは日本語の「さね(実)」と同源かもな
朝鮮語の方はスタロスティンのデータベースで接頭辞の「さ」と共に同源認定されてた >>194
アイヌ語の「sine」は日本語の「死ね」と同源
朝鮮語の「hana」は日本語の「花」と同源 そうそう、日本語の「名前」はドイツ語の Name と同源だし、
「すめら」はシュメールと同源なんだよね〜 どこまでが冗談を装った皮肉で
どこからが病理に起因するトンデモかわからん 音韻変化を考慮せずに現代語を並べて同源とかいうのがトンデモなんやで(ニッコリ) >>189
アイヌ語で回すがkiruなことに感動
くる(ま)の日本語、circle、wheel、チャクラの印欧語と同様アイヌ語でもそうなのか >>201
それを言い出せば
上古漢語の「回 *ɡuːl」や
チベット語の「འཁོར་ལོ 'khor lo」も近いんだよなあ
回転の擬態語は全世界的にクルクルの系列なんだろうか 最初の回転は石臼だろうから
クルクル、ゴリゴリ、グルグル、ゴロゴロ どの民族でもこんな感じだろう 「川崎市中1殺人事件」はなぜ私たちをこれほど惹きつけるのか
という大手サイトの見出し。日本語ダイジョブ? ドラヴィダ語族と朝鮮語との同型説が発表されていたこと
https://en.wikipedia.org/wiki/Dravido-Korean_languages
日本語もこれに含められることがある、もとい大野晋の日本語タミル語同系説を韓国人が発展させたもんなのな もともと韓国にはインドから移民が来たという伝説があるからね 稲作がインドと韓国と日本に伝わったんだから同時に伝わったものもあるだろう ユーラシアの南の方にあるSVO型膠着語という点では日朝ドラヴィダは共通してるからなあ
そいえばエラム・ドラヴィダ語族なる説もあったが、エラム語と日本語朝鮮語との比較研究は進められてないんかね? 膠着語の意味も理解しない、語順の割合分布も知らない、祖語との音韻の対応がイレギュラーだらけでも何も気にしない、そんな似非言語学において同系を主張しても、誰も取り合わないよね。 aru↔nai, fero↔tuli … 屈折語的
kak-a-se-rare-na-i, am-a-b-i-mus … 膠着語的
watasi=ga, ad=astra … 孤立語的 同じ語族で同一の祖語に遡れることが証明されているにも関わらず語順が異なる言語とは一体何物なのだろうか?
ケルト語派はVSOであるが、基層言語にアラビア語みたいなVSO語順なのがあってそこに被さってたりしたんだろうかね なぜか世間一般では文法の要諦は語順だと思い込んでる人が多い
語順が同じだからこの言語は学習しやすいとかいう人間が平気でいる
語順なんて長いスパンで見りゃいろんな言語で結構変わってるもんだし大した問題じゃないのに いやいや語順が同じだと逐語訳ができるから学習はしやすいやろwwwwwwwww 〇〇語は日本語と同じSOVだから簡単とか中国語はSVOだから英語と文法が同じとか言うアホを見ると頭が痛くなる 英語と中国語とじゃ修飾節の位置が逆じゃん
どこが文法が同じなのか理解に苦しむね >>221
それだけ英語の語順で苦労した人が多いという事だろうね 英語の語順なんかは自然と感覚で身につけるものという気がする
並べ替えパズルよろしく机の上だけで憶えようとするとできないんじゃないだろうか "Mad indeed should I be" なんて語順に初めて出くわした時は不思議な感覚だったわ >>228
語順程度で苦労するって本気で日本人は低脳なんだろうな >>231
申し訳ないがぱよちん発言はNG
英語は名詞から格が消失したために語順に依存するようになった極端な例でしかない
文中での位置によってある一つの単語が名詞にも動詞にもなりうるのだから語順は最重要事項といってよい Buffalo buffalo Buffalo buffalo buffalo buffalo Buffalo buffalo.
↑
こんなんで文章として成立する英語ってwwwwwwwwwwww 極端な言葉遊びの例を持ち出してきゃっきゃきゃっきゃ喜ぶ馬鹿
子子子子子子子子子子子子
↑
こんなんで文章として成立する日本語ってwwwwwwwwwwww >>235
それは一般的な読みの慣例からは外れてるし
第一、「ネコのコ・コネコ・ネコのコ・ネズミ」では文章の核となる動詞がどこにも存在していない
文中の位置によって名詞にも形容詞にも動詞にもコロコロと役割を変える英語のbuffaloとは全く比較にならぬよ 間違えた「ネコのコ・コネコ・シシのコ・コジシ」
単語の羅列じゃん >>236 口語では関係代名詞は省略できる場合もあるけど、ちゃんとした英語の書き物だと、やっぱりこういう誤読を防ぐためにきちんと書くことが求められるんだろうか 関係代名詞というか関係詞な
that (関係代名詞ではない)しか使えないシチュエーションもあるから こないだラジオから流れてきた言葉にビックリ!
いつのまに秀穂、日本語学者になったんだよ!?
‘言語学者’も‘日本語学者’も世襲の肩書きかよ >>240
関係代名詞が口語で省略されるというのは間違いです
そもそも関係代名詞の省略というものは実際の英文法には存在しません
あれはあくまで日本の受験用の教材がわかりやすく説明するために作り上げたものです
This is the book that I want. (関係代名詞)
This is the book I want. (接触接)
この2つは由来が全く別のもので歴史的には接触接の方が古いのです contact clause なんてものこそ紛れもなく第二言語教育用の概念だろう。
zero relativizer+gap strategy というのが言語学的に正確な記述。現代日本語のコピュラ文以外の関係節と同じタイプだね(制限はもちろん違うけど)。
その that は代名詞ではなく純粋な relativizer.
relativizer が [resumptive] pronoun と結びついたものが relative pronoun, 副詞と結びついたものが relative adverb, 動詞と結びついたものがいわゆる“連体形”。
初期の英語では関係節を形成するにあたって relative pronoun(se, þæt; cf. Greek), relativizer(þe), あるいはその両方が使われたらしい。他に correlative も多かったとのこと。
zero relativizer+gap はあったが非常にまれで、かつ先行詞は関係節内では専ら主語(現代語では主語にはなれない)。
zero relativizer+gap が他のタイプに歴史的に先行した事実はないようだ。
wh- を用いる関係節は中英語からなので一番新しい(relative pronoun 型自体は先述のとおり古い)。 ネット上で熟語や慣用句の誤用に関する議論を観察したり、自分も参加したりするのが好きなんですが
他人の誤用を批判している人と言葉を交わしていると、批判側の方が逆に知識が浅く、語学力が低いと感じることがまれによくあります。
そうした人達がよく他人を批判するのに振り回しているのが辞書なのですが、
そもそも辞書というのはざっくりとした調べ物に使うもので、日本で使われている言葉が全て載っているわけでもなく、また一つの言葉にある程度幅広い用法がある場合その全てが載っているとも限らず、
同じ言葉でも出版社によって意味の解釈が違ったりとその実ビミョーにアテにならない存在なのです(て言うかそういう注意書き、辞書の凡例のとことかに書いてません?)
辞書自体が間違っている場合も稀にはありますし、足りない記述から実際の使い方の正誤を判断するのが難しい場合もあります。
最近では「爆笑が大勢で一斉に笑う事だという辞書の記述が完全な間違いだった」という事を古い書物を多数引用して証明したかなり詳細な研究結果が公開されていますね。
同じ笑いでは、「失笑」に関して「あざ笑うイメージではなく、本当におかしくて自然と笑いが吹き出すシーンに用いるのが正解」などと書いてあるブログ等もありますが、恐らく間違いかと思われます。
元々失笑とは笑ってはいけない場面で笑う事であり、他人をあざ笑う事自体が礼儀に反する「やってはいけない笑い」である事を考えると
「馬鹿にしたようにふっと笑う」事も辞書に書いてある「失笑」の意味の範囲内に充分含まれ、昔から正しい使い方だったと考えて良いでしょう。 この他の近年の誤用系トピックとしては「敷居が高い」に関して、ネット上ではずっと誤用だとされていた「貧乏人には敷居が高い高級店」的な用法が正しいものとして2017年から辞書に載り始めたというものがありますが
実はこれも当然の事で、そもそも敷居が高いとは「そこに入りたくないという思いがあると、簡単にまたげる筈の敷居がまたげない程高く感じる」という心理的な比喩表現であり、
不義理云々は一部の辞書で「不義理など」と敷居が高くなる原因の例として挙げられていただけで、
元々「不義理が原因の場合にしか敷居が高いを使わない」などという話は昔から誰もしていなかったのです。
(要するに時代の変化で意味が変わったんじゃなくて、
あなたみたいな辞書しか読めないピーが間違った日本語知識を撒き散らすから辞書側が対策とったんだと思いますよ、コピーバノさん!) 追伸…「言葉の意味は時代によって変わる」ってセリフ、
世間では誤用をしていた人の言い訳というイメージがあるかもしれませんが、議論を何度もやった自分の経験から言えば
浅薄な知識で他人の言葉遣いを批判する
↓
『いや、昔からこの意味であってるけど?』
と反撃される
という目にあったtrollは高確率で
「言葉の意味は時代によって変わるって言いますからね、ジャッ!」
って話をウヤムヤにして逃げようとします。 よく調べたら誤用じゃなかったパターン多すぎだろ
実際に誤用だった件あったのか? そもそも口語において意志の疎通を妨げない誤用を問題視することが問題なのである
誤用を気にすべきなのは書籍や公文書、学術論文などの格式ある文書くらいではないか なんか多義語を許容しない奴もどうなのかね
例えば「穿った見方」は邪魔な物に穴を開けて真実を見通す様な見方って意味だけど
真実を見通そうとするって事は逆に言えば「裏があると疑ってる見方」な訳で
このイメージは切り離せないし「真実を見通す見方」「疑っている見方」両方の意味で使える方が普通な筈だが 語源から意味は引き出せない。
こういう由来だから、こういう要素で出来ているから、こういう意味をもつはずだというのは、生きた言語に対する言語学的な態度としては完全に間違っている。まさに「穿った見方」だ。
実際に両方の用法が、単に誤用や個人的用法としてでなく充分に存在することを確認して、片方だけを許容し他方を許容しないのが不当であると示せばそれでおしまい。 〜ンゴ・・・けいおンゴが元ネタ
〜ニキ・・・けいおん2期を待ち望むファンがけいおんスレで発狂してそいつのことをけいおんニキと呼ぶようになったのが由来
(ニッコリ・・・けいおん1期で唯と梓が部室で微笑みあうシーンがありけいおんスレで微笑ましいね(ニッコリというレスがあったのが由来
いかんでしょ・・・けいおん1期で唯たちが練習をしない場面で練習しなくちゃいかんでしょというレスが由来
ぐう〜・・・けいおんでご飯はおかずという曲がありその曲を聴いたけいおんファンがお腹がすいた(ぐうという書き込みをしそこからぐう?と派生していった
ファッ!?・・・けいおん2期である曲の一部の歌詞が聞き取りずらく耳コピをしたファンの作った歌詞にファッという部分があったのが始まり
こマ?・・・けいおん3期が放送開始というデマに釣られたファンが放った言葉が始まり
33−4・・・けいおんで使われた曲の有名なテンポ
ほげええええええ…けいおんliveのチケットを取れなかったファンが発狂した時に叫んだ言葉が由来 >>257は詭弁くさくね
>実際に両方の用法が、単に誤用や個人的用法としてでなく充分に存在することを確認して、
↑使って批判されてる奴がいる以上、それは既に十分存在する可能性が濃厚
いわゆる自明の状態なんである事を証明する必要はない
これ、どっちかと言えば誤用批判で積極的に人に噛みついてる連中が片方だけを許容し他方を許容しない事の正当性を示す必要がある局面じゃないの
>語源から意味は引き出せない。
>こういう由来だから、こういう要素で出来ているから、こういう意味をもつはずだというのは、生きた言語に対する言語学的な態度としては完全に間違っている。
片方を否定する根拠を示す際は、語源や字義・字面を根拠とした説教はアウトって事でよろしく 語学苦手な人は一つの単語や熟語に意味が一個しかあってはいけないと思っている事が多いよね
英語の訳が下手な人を見るとtheyが全部奴等だったりhaveが全部持つだったりするけどああいう感じ
あと言葉を要素に分解して使いこなせないとかもあるね
「口あたりがいい」で丸暗記していたらしく「人当たりがいい」や「耳に当たりがいい」に噛み付いている人を見た事がある
本人は穿った見方のつもりなんだろうけど、表面も削れない様な眼力だね 文化庁のホームページでも穿った見方=疑った見方というのが間違いだと断定はしてない感じだけど そもそも「うがった見方」をすることは,物事の見えない部分,隠された部分にある真の姿を探そうとすることですから,容易なことではありません。
「うがち過ぎ」にならないまでも,うまく本質にたどり着かなかったり,間違った認識に至ってしまったりすることもあるでしょう。
そういった側面を捉えて,良くない意味だと感じる人がいるかもしれません。
また,「うがった見方」で,ある事柄についての真相に近付こうとすれば,普通は気付かないような事情にまで立ち入ることもあるでしょう。
探られる側にとっては,必ずしも気持ちのいいものではなく,何かを疑われているように感じるかもしれません。
「うがった見方をする」という言葉が余り良くない意味合いで捉えられるようになってきたのは,このような事情が重なったことによるとも推測されます。
↑文化庁はこう言ってるけど、
実際これが起こったのが平成なのか昭和なのか、500年位前なのか分からない
最初から両方の意味だった可能性も否定出来ない
あと文化庁のデータは近年の物しかないが、その範囲ではほぼ全体的に「疑った見方」派が多い様だ
「由来や要素なんかどうでもいい」とか言い出したら勝つのは「疑った見方」派になる 基本的に書いてある意味の通り
書いてある意味が何種類かに取れる場合もある 辞書なんてたかが個人の感想文で参考書に過ぎない
あんなものを金科玉条かバイブルかのごとく崇拝信奉してる人間にはなりたくない >>264
知った様な口をきくのも下手なら馬鹿のフリまで下手だなあ 俺>>256なんだけど
資料も何も見ずに「自分が穿った見方を使う時の感覚」だけで書いた>>256が文化庁の分析とほぼ一致しててワロタ まあ普通の人は自分が何喋ってるのかをそれくらい意識して話を組み立ててるだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています