>>176
3つほど:
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「動きや変化」ってことは、「→」は「◯」が変わる様子を表現するための記号ってことでいい?
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収束と拡散についてのイメージ図だけど、これをどう読むのかがわからない。
具体的にどうわからないのかを書いておく:
まずこれは「場」の様子を描いているんだよね?
それで、これは下から上に読むものなの?それとも「場」にはつねにこういう矢印と集合があるの?
言い換えれば、「→」と「◯」は同じレベルで存在しているの?
それとも、「◯」はつねにあって、それが変わる様子をヒトの都合で描いたものが矢印なの?
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直観主義ってのはまあ古典論理から排中律を除いたフラグメントなわけだけど、これがどう「収束」と「拡散」に対応するのかよくわからない。
直観主義の枠内での証明が常に構成的であるように、「◯」と「→」によって記述される概念はつねになんらかの意味で「構成的」になっているとか?
まあよくわからない。
あと直観主義と形式主義は排反でないので両者が対比されている理由もよくわからない。
というのは、形式主義的な直観主義は可能だから(もちろん直観主義の生みの親ことBrouwerの意図には反するが)。
実際Brouwerの弟子のHeytingは直観主義を形式化している。
まあでもここでの「対応」ってのは、>>1が「思っている」って言ってるようにまだ未完成なんだろうな。
だからあまりツッコんでもしょうがないのかもしれない。