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母音
a 収束 例:あっ
e 拡散 例:えっ
i 情報
o ポインティング(指差し) 例:この
u 終止
nn 終止 >>198
これは俺の考えだがこれ一本で日本語研究はほぼ完結する
そういう理論で形式も滅茶苦茶だから常識的に考えればこの研究は嘘だ
内容を理解してもらわないとそうなるのは俺も分かる
何とか上手くやりたいと思っている。俺としては期待して、と言いたいところだが常識的には期待しないのが正解だ >>1 が言っていることは
@「概念」あるいは「言葉」には「静的な概念〇」と「動的な概念→」がある
A動的と静的の組み合わせ概念として
「収束・発散・情報・ポインティング」がある。
B日本語に使われている言葉は、音素とそれらの概念が対応している
ということか
Bを示すならもっと例を示して欲しいんだけど
句読点の下りは何? >>203続き
つまりブーバーキキを説明できるような論理展開を考えている、と >>203
収束拡散、情報ポインティングが根本にあって、その上に○と→があるというイメージかな
>>32で言い淀んでるけど、そこついてはもう少し考えないといけないと分かった
1と3はそう
句読点のはそれと>>60で読点の直前のひらがなを見れば、そのブロックの論理的な位置づけが分かるという例
例えば「〜だったら、」だと「r」でそのブロック全体が「選択それ自体」を表していると分かる 「機関」と「期間」の例はなぜ全く違う意味なのに同じ要素を持っていても問題ないのかわからんかった。
じゃあ例えば
「時間」「期間」「間隔」「瞬間」「刹那」
には似たような意味があるのに
同音異義語は全く違うものになってる。
「次官」「機関」「帰還」「感覚」「春寒」「切な(い)」
読み方は違うけど似たような意味のもの、読み方が同じだけど全く違う意味を持つもの
をそうカテゴライズたらしめているのはどう説明できるの?
タンパク質という同じ要素をもつけれど異なる二人という例があったけれど
「刹那」と「瞬間」には同じ要素なんてなくて、まるで人間とコンクリートの塊くらい違うのに同じ意味があるわけだけど、それは >>204
ブーバキキは語感の問題だけど、日本語においては機能語を説明する理論になる じょじょびじょばああああああああああああああああああああああ
じょびじょばああああああああああああああああああああああ 論文のフォーマットが〜と言ってくる奴は「研究のストーリー性」の話をしてるんだよ。
ぱっと調べたところ、このリンクの記事が分かりやすかった。
http://www.recomtank.com/entry/rd-presentation
http://ymatsuo.com/japanese/ronbun_jpn.html
これにのっとって文章をまとめれば少なくとも大学権威主義の奴らは黙らせられると思うよ。
頑張れ! zは集合の内側における動き(・→)だけど、次と時は意味が似ている
kは集合の外側だけど、官と間は堅い印象という意味で似ている
分析していけば共通点は見出せるはずだけど機能語で議論した方が理想的ではあるな
もう飯の時間なんで今すぐこれ以上の返事はできないけど 飯食い終わった
語感での議論はなかなか厳しいな
瞬間と春寒では間と寒は無機質な感じが似ているけど瞬と春はな
sが集合の外における動き(・→)、yが集合の内側における動き(→・)
瞬と春は内面に迫ってくる感じが似ていると言えば似ているが、こんな議論しても胡散臭さが増すだけだしな 同じ意味の言葉で語感が全く違うことはいくらでもありえる。犬とdogとかね
Dogはdが集合の辺、gが集合の辺を結びつける操作で、狩りとしての側面を見ている
犬はiが情報、nが集合の内側、uが終止で動物としての側面を見ているのが分かる
みたいなことは言えるけど胡散臭いわな。俺としては語感より機能語の話がしたい それより読点の話とか助詞の話をしませんか
ちょっと風呂に入ってきます >>209
ありがとうございます
近いうちに書き直すときに使います ipadなのでリンクとかは張りにくいですが返事はできます
例を増やすのは今はちょっと難しいですが、何か質問があれば聞いてください 読点による検証は反例も含めて探しやすいんでやりやすいんじゃないかな この言語学板のソシュールが俺のvサインになる日も近いか 人間の意識がどこにあるのかを考えると細胞にあるわけじゃない
特定の器官でもなく、自我は総和として存在するのだと言われている
しかし総和として存在するとは何か
細胞一つ一つを猿と考えてみると、これはまるで100匹目の猿現象、オカルトだ 空間の中に脳があり、脳の中に自我があると考えるのが普通だ
しかし脳の中にあるとは何だろうか
これは仮説だが、俺は涼宮ハルヒよろしく、同じ世界の言語学者をデチューンする事でこの状況を作り出しているのではないか 最後の仮説はそうじゃないけど、基本的には完全に論理的な問題として考えている 情報とポインティングをどう捉えるべきか考えていた
元々「この」とか「を」とか、文をそのまま見てそういう傾向があるというぐらいだった
せいぜいコンピューターに似ているなぐらいで、情報とポインティングとは何かまでは考えていなかった
思うに「→」はいくつにでも細分化可能だ。それを一つにするのに情報とポインティングが必要なんじゃないか
情報とはつまり動きにおける同質性だ。ポインティングとはつまり目的地を指差す事だ
これらによって本来混沌なはずのものが一つの「→」として意識されるという事なんじゃないか
だとしたら収束や拡散も厳密には「意図の収束」、「意図の拡散」と呼ぶべきではないか
「○」をどう意図するかで、これも本来混沌なはずのものが一つの「○」として意識される 収束と拡散が○における→的なものだとしたら
情報とポインティングは同質性と地点だから→における○的なものと言えるのかもしれない
まあ本題ではないが これは言うべきか迷うけど、・と○を別のものとして考える事もできるにはできる
図形としての○は中心から等間隔に引かれた線なんだろうけど、この等間隔には同じだっていう考えが必要になってくる
このイコールっていうのは集合の問題だろう
・という道具を使って動きを表すと線、同質性を表すと○と言えるのかもしれない
ただそういう事を言い出すと説明が複雑になるのよね 逆に→という要素を使って・を表すと地点、○という要素を表すと情報になる
同質性という要素を使って・を表すと「違う意味での情報」、→を表すと「対」になるのではないか a 収束 例:あっ
e 拡散 例:えっ
i 情報
o ポインティング(指差し) 例:この
u 終止
nn 終止
これの根拠は?
なんとなくでは説得できないけど、2000単語見て検証したような結果なの?
収束拡散ポインティング終止のちゃんとした定義を与えてくれないとわからないし。 >>229
うーんタイムリーではある
皆○と→とそこで意味不明ってなるらしい
>>224じゃ駄目なんか しかし>>226と>>227は本当に話をややこしくする
・も意識の偏りを表したものだったのが存在になるし
そのままでいいか 終止は連体形と終止形を同一視する考えから来ている
一つ前の表の更に前に母音の高さで活用を分析するっていう研究をしていた、それの名残だな
終わらせると同時に一体と見なすみたいな働きだと思っている
ただ、「うんこ」とかあるからな。その意味で終止もニュアンスでしか捉えられてない >>230
いや、抽象的に説明するんでなくて具体的に例示してほしいわけよ。結構意見上がってるけど。
素人目からしたら、なんか一つの単語(機能語?)だけ取ってきて取って付けた説明をしてるようにしか見えないんよ。
だからこそ根拠を示して欲しいわけ。
抽象的な説明をいくら積み重ねられてもしっくりこないし、
気を悪くしたら悪いけど、論理的に説明されてないから言葉遊びの感想文にしか見えないんだよ。 初めて研究室で発表して教授に無限に突っ込まれまくった思い出が蘇ってくるスレ >>234
そうだな、例えば読点の一文字前のひらがなとそのブロックの論理的な位置は同じなはずだよ
俺の考えでは例外無くそうで、これなんかは良い証拠になるんじゃないかしら >>234
後は機能語の照合かなあ
そもそもそんなに数無いと思うから不安だけど、俺としては証拠として出せるのはそこまで 機能語っていうのは内容語じゃないものね
内容語っていうのは「犬」とか「柿」とか。まあ俺もその区分に詳しいわけじゃないんだけどな
書いてみると結構ありそうだな。これの意味を照合していけば結構証拠っぽくなりそうだな 横からだけどその返答だとまあ「ブロックってなんすか」「論理的な位置ってなんすか」「ひらがなと論理的な位置が同じってどういうことですか」って返ってくると思うよ >>235を例文にするっていうのもアリだけどある程度体系的じゃないとまずいよなあ
どこかに機能語一覧とかねえかな >>239
まあそうだけど仕方なくねえか
「そもそもそんなに数無いと思うから不安だけど、」俺としては証拠として出せるのはそこまで
これが読点によって区切られた「ブロック」な。別に用語として言ったつもりは無かったんだけども
論理的な位置が同じっていうのは、このブロック全体が「集合の辺」的な意味を持っているって事だ
何て言えばいいのか知らんけど伝わってるよね?それが俺の考えでは例外なくそうだって事。 「そもそもそんなに数無いと思うから不安だけど、俺としては証拠として出せるのはそこまで」
これはフローチャート的な意味を持っていて、「条件」だったら
「そもそもそんなに数無いと思うから不安だけども、俺としては証拠として出せるのはそこまで」
だけど「集合の辺」でも並置として意味は通る。という感じだな
こういうのがくどいようだけど例外なく当てはまる >>241
うーん、「ブロック」はわかったけど、「「集合の辺」的な意味」はよくわからないな
概念がややこしくて理解ができないというよりは、>>1がどういう仕方で言葉を使っているのかが推測できなくて理解できないという感じ
他の人にはもしかしたら読めるのかもだけど、少なくとも俺にはよくわからないし伝わっていない 本当は○と→に一番疑問を抱かれやすいんだろうけどな
まあとりあえずって事で >>244
この投稿については、俺は「「優雅」は「犬」という集合の内側にあります。」が読めなくてわからないのよな。
まず、「犬」は集合である、という前提を俺は>>1と共有していない。
「優雅」が集合である、という前提も共有していない。だから読めない。
最大限意味を汲み取りにいくと、
「我々が「優雅」と形容しうるものの全体を集合とみなし、この集合を改めて「優雅」と呼ぶことにする」
「我々が「犬」とよびうるものの全体を集合とみなし、この集合を改めて「犬」と呼ぶことにする」
あたりだろうか。
けどこうすると、今度は「「優雅」は「犬」という集合の内側にあります。」って言明は、
>>1が「優雅」と「犬」について、前者が後者の「内側にある」ように定義したんだからある種当たり前のことであって(*1)、
だから「nは集合の内側を表している」みたいな結論は引き出せないはずでは、という気がしてくる。
というわけでよくわからん、となる。
(*1): ここでは、「我々が普段「犬」と呼んでいるものは、我々によって「優雅」と形容されうる」と>>1が考えているはずだと仮定している >>247
まあまあそう言わずさ
これは論文では無いし今は伝われば良いわけだから
まあ論文の練習だと思って聞けば良いのかもしれないけどね >>247
この「優雅な犬」は「”優雅な犬”」という具体的な存在について話してる
それは後半の
>「優雅な犬」が「優雅な犬か」と言ったとしたら
辺りで伝わって良いんじゃないかしら んー、俺はめっちょインフォーマルに、ぶっちゃけ気分がわかればいいかなくらいのノリで読んでるつもりなんだけどな
まあわりと普段かっちりしたテキストを読むことが多いからその癖が出てるのかもしれん
誰か他の人にもコメントお願いするといいかもですね 俺が詐欺師のような奴だったら例外無くなんて言わないよ
それが証拠になって確実に嘘だとバレちゃうからね
もう少し好意的に見てくれて良いんじゃないかしら これが嘘だとか間違った理論だったら俺はもう崖っぷちだよ。論理的にそうだ >>234だけど
まあそう焦らず機能語一覧を作るか探すところから始めなよ。
「俺の中ではそう」をずっと言ってても始まんないぜ。
機能語一覧を漏れなくダブりなく列挙できたら叩き台になるだろうよ。
応援してるよ。 >>254
読点の直前のひらがなでそのブロック全体の、まあ論理的な位置づけ?が分かるとしてさ(他に言い方思いつかねえ)
もし傾向とかでなく例外無くという事であれば、これだけで立派な発表できるような法則だ
表さえ読めれば反証できるようにもしてある。これはもはや俺を信じるかどうかの問題じゃない
まあ応援はありがたく頂いとくがな たぶんだけど、
英語で言うと
前置詞:in,on,out,for,to,at,from,during,between,among,beneath,under...
接続詞:and,but,however,if,that,while,as,because,though,although,...
be動詞:be,is,are,was,were,am,
冠詞(?):a,the
疑問詞:why,where,what,which,who,when,how,whether
みたいな感じでしょ。
まず英語で貴方の理論を当てはめてみたら。
学習サイトなんかで一覧表を見つけやすいから。
英語と日本語の機能語を列挙して貴方の理論が当てはまると言うだけでも論文になるレベルだと思うよ >>255
いやだから、叩き台がないから困ってるんだよ。
例えばwikipediaの文章を使って、この句読点の直前はこうだからこうだ
っていう立証をしてくれれば少しは議論が進められる。 """
ウィキペディアは、2000年に立ち上げられたオンライン百科事典プロジェクトであるヌーペディアの分岐プロジェクトとして始まった。
元となったヌーペディアは、ウィキペディアと同じくGFDLによるオープンコンテントの百科事典プロジェクトではあったが、記事の執筆は博士号を持つようなその分野の専門家に限られ、
作成された記事も審査と承認を経て公開される従来の百科事典のような厳格な手順を採用していた。
特に7段階に及ぶ厳格な審査・承認手順を敷いたことでプロジェクトの進行は非常に遅くなり、最初の年で完成した記事は12個のみであった。
ヌーペディア創立者のジミー・ウェールズと創立メンバーの1人でありヌーペディア編集主任のラリー・サンガー は、ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、解決策を話し合い、模索するようになる。
ウィキペディアの着想の経緯については、現在ではサンガーとウェールズとで認識が異なっている。
サンガーによると、2001年1月2日にコンピュータプログラマで旧友のベン・コヴィッツと、カリフォルニア州サンディエゴで行った会話に端を発すると述べている。
ヌーペディアの問題をサンガーから聞かされたコヴィッツは、ウォード・カニンガムによって発明された「ウィキ」の仕組みについて説明した。
それを聞いたサンガーは、ウィキがよりオープンでシンプルな編集手順を持つ百科事典を作るプロジェクトに相応しいものと考えるに至った。
サンガーはウェールズにウィキをヌーペディアに利用する案を持ちかけ、ウェールズからの好感触を得たサンガーは具体的なウィキの適用に動き出した。
初期のBomis社のプレスリリースでも、ウィキ導入のアイデアはサンガーの提案とされていた。
ウェールズも、2001年10月30日のウィキペディア・メーリングリストにおいて、ウィキを使用するアイデアはサンガーが持っていたと述べている。
しかしその後、ウィキのアイデアはヌーペディアを運営するBomisの社員であったジェレミー・ローゼンフェルドから聞いたとウェールズは述べていおり、現在ではそれぞれの認識が異なっている。
2005年には、ウェールズ自ら、英語版ウィキペディアの「Jimmy Wales」の記事にこの認識を書き込んでいる。
""" >>256
英語だと語感レベルでの一致しかないように見える
まず一文字じゃないしな
しかしどうだろう。何やらまだ俺という人間を試されてるような気がするのだけど
もう反証できるようにしてある。例外を見つければいい
今あるのは反証できるようにしてある怪しい理論と、どうせ間違ってるから検証はめんどくさいと思っとるあんたらだ
その限りにおいてもう俺は責任を果たしたんじゃないかな。俺を試しても仕方ないと思うの >>260は>>1 ??
間違ってるとわかっている理論を誰も検証しようとは思わないだろうよ。
>>1が正しいと言ってるから検証してみたいと思っているだけで。 >>242もそうか
ちょっと「集合の辺」に偏ってるな別の例としてもう少し挙げてみるか >>263
少なくとももう内容の議論に移ったのであって、俺を疑ってる奴がいるとしたらちょっとズレてるんじゃないか
疑うのは俺でなく俺の理論であるべきだろう 「ウィキペディアは、2000年に立ち上げられたオンライン百科事典プロジェクトであるヌーペディアの分岐プロジェクトとして始まった。」
「h」は「結びつける操作、集合の内側」だ。g,h,wはどうせ表の通りなんでz,yあるいはs,pがあれば良いんだが >>259
「ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、」解決策を話し合い
「n」は「集合の内側」
「ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、」は目的だな
結果である「t」が選ばれるんじゃないかと思われる人もいるかもしれないが
「ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、」は結果じゃない、必要だ
だから集合の内側で良いんじゃないか 集合の辺やそこにおける動きの問題だけでも確かに言えるなら大した理論だがな
コテ再び付ける 「ヌーペディアの行き詰まりを打開するために、」は前提っぽくもあるね
まあ必要条件という意味で「n」でも良いし、むしろ「n」が良いはず ああ、コテ外れた。失礼
そろそろこの鉱脈はでかいんじゃないかと思い始めてるんじゃないか 少なくとも「結びつける操作、集合の内側」とかの解釈(およびその解釈が文意に照らして妥当であることの検証)が誰にでもできるようでないと反証可能性はないと思うよ
それはそれとして老婆心っぽいことを書かずにはいられなくなったので書くと教授とかからの激詰めは普通このへんのレスの数倍エグい
けどこういうのって常に人間じゃなく理論に向いてるから(このスレにある無数のツッコミもそう)、なんとか割り切って変に深読みしないよううまくやるテクが必要
他人の研究が突っ込まれているのを聞くつもりでやるとかね
他方でそうはいっても精神ダメージは実際なくならないのでいい感じの気晴らしが大事になってくる
これはもうマジで大事、っていうかほとんど研究の一部といってもいいくらいに大事
こういうところが下手だとつらそうな大学院生の仲間入りになる、あとパフォーマンスも確実に落ちる >>271
これは決してこの問題が小学生レベルというわけじゃなく例えなんだけども
どんなに論理的な証明でも、例えば小学生には分からなかったりするものだぜ
俺としては表の説明はできるが。その他にも俺としてできる事はやろうと思うが 「ウェブサイトには広告は一切掲載せず、」資金的には個人や団体などからの寄付により運営している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2
「z」は「集合の内側における動き、・→」
「ウェブサイトには広告は一切掲載せ」の否定だな
否定はあの表には無いが、まあ集合の内側の問題ではあるんじゃないか
「集合の内側における動き、→・」である「y」は「AやB」という風にorの表現になる事がある
「AやB」というと選択肢にも使われるが、選択肢だけでの表現だと「m」で「AまたB」になるんだろう >>273
大事なのは説明のない知識を用いないことであって、簡単であることじゃない
ようはその解釈とか検証が、提示済みのテキスト情報(と、その他参考文献などで示す情報)だけをうまく使ってコンピューターに実行できるようになっているか、という問題 >>275
うむ。説明にはもう少し労力をかけたいと思っている 風呂に入ってくる。飯とか何とかかなり長い間書けないんで各自例を確かめてほしい コテハン外れてるだけだよ
さてそろそろこれ合ってるんじゃないかの一声があって良いんじゃなかろうか
面白いと興味深いはあったけど 平日の仕事時間にこんな大量に暇してる奴がいてたまるかよ さあさあ、言語学板の皆さん。寄ってらっしゃい見てらっしゃい てか、増田はidがないから誰が誰かわからなくなって、自演疑いたくなるマン
とかがたくさん出てきてややこしくなりすぎてそれでこっちに来たのに
ここもidないのだとは知らなかった。 例挙げたんだから読んでよ〜
何でスルーされてんだろ。議論しようぜ >>263はさ、つまりどうすればいいわけ?
間違ってるに決まってるから検証はしない
ならお前に話してないからせめて去れよ。ネットは広いんだから 何言っても無駄な気がしてならない
毎回そうだけど、聞いてやろうか?ん?ん?みたいなさ
お前それやりたいだけだろと でもし理論が正しかったら何も言わずに去ってくだろ、どうせ
コンビニのオヤジみたいにクレーム付けてストレス解消したいだけだ
俺は店員じゃないしお前らは客じゃないんだ 俺は人間関係をやりたいわけじゃないわけ。理論の話がしたいわけ
理論の話っていうのはやってあげるやってもらうの問題じゃないわけ
珍しく歴史に残ってる議論フリークのソクラテスだとかは奴隷だとかにも話しかけてるよね
それは奴隷に話しかけてやってるわけじゃない。議論それ自体が先にあって人間は関係ないという話なの
それで俺はどうすればいいのか。東大でも出ればいいのか
馬鹿馬鹿しい。権威以外からは新しい理論は出てこないと思っている そもそも権威に拾い上げてもらわなければならないと思ってるからおかしなことになる
自分に決定権がない状態は不健全だ >>293
少しでも委ねるからこういう風に調子に乗った犬みたいな奴が出てくる >>296
権威にもある程度尻尾振っておかないと、今の学術基盤はその権威達が構築したものだ。
それを利用するのが一案近道だし、裏付けもできて世間も信用する。
世間一般の人はど素人なのでそれそのものを理解はできない多かれ少なかれ権威的な裏付けが必要だ。
言語理論が自己完結を目指すのは構わんが、その先にあるのはせいぜいブログで宣伝するかkindleの自費出版とかになるだろうな。
どこの誰か書いたかも分からん小難しいブログや本、kindle本はせいぜい1冊100円でも売れないだろう。
完全に自己完結するなら、あくまで趣味として研究しながら他の関係ない仕事を頑張るしかないな。 >>296
議論がしたいそうだが、こんな場所では無理だ。ただ言語理論の情熱に打たれて人が集まってるだけだろう。
どうしても人間関係の話にシフトしてくよな。頑張れとかさ。
説明が不十分だから興味をもってきてくれた人も、細かい所を突っ込むだけで終わる。情報が断片的なんだ。情報理論の頭の中ではつながってるんだろうけど、それが他人に伝わらない。
もう少しあちこちで宣伝して小さいセミナーでも開いてみたらどうか。オフ会みたいに。
たしか、どこかで熊野がどうとか言ってたな。三重県民か?こんなところで個人情報は書きたくないかもしれないが、俺もだが言ってやる。
俺も三重県民だ。言語理論がセミナー開くなら行ってやる。
文章で伝えるには限界がある。まとまった理論でも上手な図や分かりやすい文章をメールで書いても、相手にうまく伝わらないことなんてよくある。
だから俺も相手が海外の先生あっても何度も話を聞きに行っている。メールじゃ限度があるしな。
まして、今回は周りはたいてい専門外だ。土台むりな話だ。
権威に汲みせず、この理論を世に広めるには行動しかない。ネットで騒いでもストレスがたまるだけで生産性がない。
もう少しまとまってから、セミナー開いてみんなに説明しろ。
俺はそれが一番いいと思う。しっかりしたものだったら、参加者みんなでちゃんとしたフォーマットに直してどこかに持っていけばいい。
俺には言語学者に直接のつてはないが、いろいろ知り合いをあたっていけばどっかでつながるかもしれんしな。 はじめはなんか面白いこと考えてるなーくらいの興味本位で近づいていったが、理論を読んでてちゃんとした形にすれば論文になるんじゃねーの?って思った。
先行研究というか似たような研究はあるんだろうけどな。
その中でどれほどこの言語理論がすごいものかってのは、前も言ったが俺には判別がつかない。
分かるのは言語理論本人が本気だということだ。絶対の自信を持っていて、それを世に広める情熱もある。
望んでないかもしれないが、言語理論が言ってた人間関係の話だな。今のところはそれだ。
どれだけ進んでも、人間関係の所でとまる。
議論ができるほどまとまってないし、説明不足のところも多い。こういう論文的なのは書いたことないだろ?あったらすまんが。
人間関係ができたら、あとはうまく説明するだけじゃねーか。人間関係できてなかったら、そもそも耳なんか貸してもらえない。
それでも人に会うのが嫌なら、youtubeでも使ってオンラインセミナーやれ。
俺はこの言語理論よりも言語理論本人に興味がいってる。この言語理論を武器にどこまでやれるか。どこまで権威主義を引っ掻き回せるか。
面白いじゃねーか。いくらでも担いでやるから、本気でやれ。自己完結なんかすんな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています