現代日本語においてガ行鼻濁音は存続できるのか?
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そもそもガ行鼻濁音を聞き取って識別できる人が減少してくるわけで 音素として識別してる人間いるの?
ほとんどが惰性で使ってるだけでしょ そんな事言ったら日本語の他の全ての発音も惰性で使ってるだけだよ >>4
で、ガ行鼻濁音を音素として認識しているの? アナウンサーとかが未だに抵抗しててほんとキモいよね なんか話がかみ合わないね
つまり僕が聞いてんのは、例えば
大ガラスと大烏という最小対(ミニマルペア)を発音で区別するのかってこと
東日本の小中学生はこの二つの単語を間違って発音した時にその間違いを認知するのかどうかを聞いている これが代表的なガ行鼻濁音と非鼻濁音の最小対ね
オーガマ(大蝦蟇) VS オーカ゜マ(大釜)
オーガラス(大ガラス) VS オーカ゜ラス(大烏)
ジューゴ(十五) VS ジューコ゜(銃後) >>11
無意識なんだから言われないと気付かないと思うよ じゃあ旧来の老年層が保持していたようなガ行鼻濁音の認識が衰退してるってことじゃん じゃあもう音素としてのガ行鼻濁音が滅びてるってことなの?
エティックな鼻濁音は残存してもイーミックな鼻濁音は無いと その音素を弁別する/しないと、それが意識に上る/上らないとは独立しているんだよ
「あいつの言葉はなんだか自分たちと違うけど、その理由はよくわからん」
なんてことも往々にして起こる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています