【地域言語】お国言葉・方言学3【訛り/アクセント】
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このスレではあらゆる言語の方言を音韻、語彙、統語、形態は勿論、
社会的な動態や時代毎の変遷など様々な面から言語学的に考察します。
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【アクセント】方言学【訛り】
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1481136448/
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【言語学板】方言/訛り/アクセント/外国語【総合雑談所】
http://itest.5ch.net/mint/test/read.cgi/gengo/1470844473/ 素晴らしい!
標準ドイツ語は、日本の標準語と同じで、人工的に作られた言葉ですから、完全に日常語として標準ドイツ語をそのまま話す地域というのはありません。
日本の標準語と東京方言は、似てはいるけれども違うものであるのと同じです。
一番標準語に近いといわれるハノーファーに旅をして、土地の人の話す言葉に耳を澄ませていると、わずかに標準語からずれているのを感じます。
例えば、たいていの人のchの発音に微かにsが混じっているのが判ります。「私ich」という言葉を「イヒ」と発音せず、ちょっとオーバーに表記すれば「イシュ」と聞こえるのです。
このように日常語ではないため、標準ドイツ語のことを、舞台ドイツ語とか、3分間のドイツ語と言ったりします。
前者は、芝居はどこの地方の人にでも判る言葉で行われる必要がありますから、舞台の上でだけ、標準ドイツ語が使われているということを意味します。
後者は、テレビやラジオのニュースのときだけ話される言葉という意味だそうです。3分というのは、ニュースの一区切りの時間なのでしょう。
実際問題として、ドイツにおいては方言は日本における方言よりもはるかに強い地位を持っています。
例えばヘッセン州は、ドイツの中央にあり、空の玄関フランクフルトを抱える州ですが、ヘッセン人と結婚したある日本人女性は、ヘッセン方言は世界一美しい言葉なのだから、とご主人にいわれて、特訓を受けたそうです。
この話は、ドイツ人と結婚するくらい標準ドイツ語に堪能な日本人でもヘッセン方言が難しいものであることを示すと同時に、ドイツの各地方に住む人々が、自分たちの方言に対してどれほどの誇りを持っているかということをよく示しています。
その誇りを前にしては、いくらテレビでふんだんに標準語を使っていても、おいそれとそれが普及するわけがありません。 促音/Q/(詰まる音)がラ行子音の直前に立つことができる。この場合、促音とそれに続くラ行子音はともに [l] と発音される。
/ダッラ/ [dalla](誰だ),、/アッロ/ [allo](あるだろう) >>32
舞台ドイツ語と言われる理由がちょっと間違ってるな
ドイツは標準語の制定、普及で
標準語での聖書印刷、その聖書の物語を舞台演劇で全土に広めたからなんだよな
つまりは芸能メディア人が国民の言語の手本であり続けなければならない
日本で局アナが「間違えちゃった、あはははっ」なんてことをドイツでやろうものなら…
非人階級から出発してる日本の芸能メディアと
国民の手本でなければならないドイツの芸能メディアでは天地雲泥の差 >>34
なるほど
日本と違ってドイツではメディアに出る人は皆完璧な標準ドイツ語をしゃべるんだな
カタギでは無い日本の芸能界と違ってドイツでは芸能人は国民の手本か。 新幹線車内の英語アナウンスで東京や大阪を[HHLL]と発音してるのはなんで?
東京は[LHHH]のはずやし、大阪は関東発音で[LHHH]、現地発音で[HHHH]のはずやけど
[HHLL]ていう発音はどこから来たんや? 英語やからやろ、、英語は高低アクセントちゃうし
HHLLと言うか、最初の音節にアクセント(強勢)置いてるだけや。
一般的に英語で「大阪」は二音節目のsaのところに強勢置いて言うけど、第一音節に置いた方が多少は日本語に近いから公共のアナウンスではそっちにしてるんやろう。
「広島」も一般的にヒロシーマのように「シ」に強勢を置いて言われてるけど、オバマは広島に来たときに「ロ」に強勢のヒローシマで発音した。
これも日本語とは遠いけどシに強勢置くよりはまだこっちの方が近いと言えるから。
英語で日本語の平板アクセントHHHみたいに上がり続けることは不可能だから仕方ない。 東北弁ではよく変化してシ→ス[sɨ]になるけど、なぜ子音はsなの? スだからでしょ
シだったらセディーユ付きのあの記号になるけど 我:
ラテン語 ego
アラビア語 ana
中国語 nga
nga = ego + ana
なぜなら、中国語は、ラテン語と孔雀語との併合だからだ >>37
>「大阪」は二音節目のsaのところに強勢置いて
saは三音節目やないか
1 2 3 4
オ オ サ カ >>41 英語読みの話な
英語ならオゥ・サ・カの三音節。
東京はご存知の通りトウ・キョウの二音節。ト・ウ・キョ・ウではない。 中輪東京式アクセントでは「イチゴ」はHLLが普通で、東京が異端なんだな。
東京では平板化が進んだ結果なんだろう トウキーオゥとする場合は三音節か。まぁどちらにせよそう言う話。Osakaは三母音しかありえない。 ttps://youtu.be/rIboMBU6Ud0
9:27〜 「丸かる」ってどこの方言? 25日は、丁度2週間後で、被災の数十万人の人々が、体育館などの避難所で生活をしていた。ボランティアや自衛隊も活躍していた。そう言う映像を見ながらすぐに気づいたことがあった。
誰も彼もインタビューに応えるとき東北特有の訛りがないのだ。僕が高校まで慣れ親しんでいた東北弁・仙台弁が見事に消え失せていた。
若い人なら何となく理解可能であるが、僕のような60才ぐらいか70才位の人までも発音といい、イントネーションといい、ほぼ標準語であったのだ。
画面に出てくる普通の被災者は千葉か神奈川あたりかと思うような話し方であったし、仕草も東北のそれではなかった。
僕ら仙台の人は、高校の頃まで、いや多分1980年代ぐらいまでは、「そんだべ:そうですね」「うんだっちゃ〜:そうだろう」とか、普通に使っていたはずである。
1980年代までというのはぼくの想像だが、少なくとも1948年仙台生まれのオレは、1967年に大学に入るために上京するまで、そんだ話し方をしてたっちゃぁ。
それがぎれいさっぱり、消えていたんだっちゃあ、たまげたよ。実は変化は2点あった。一つはいま申し上げた東北弁の言葉・発音・イントネーションがほぼ誰からも出てこないという事だ。
もう一つは、インタビュアーにどう答えたらいいか、そのテレビ局に期待された正解を割に気軽に応えていることだ。もちろんこれはこの10年ほど街頭インタビューでも溢れていたことで、今回の震災に特有な現象ではないが、
マイクを向けられた人の瞬時の「予定調和」の把握が見事すぎてあっけにとられることもあった。空気読む日本的臭覚(姿勢)がやや過度になっている。
ただし、厳密に言うと、人生初めての激烈な体験をした人の中には、予定調和を見事に超えて、詩人かと思わせる言葉を背骨のあたりから聖出していた人も居たことは事実だ。ただし、このような鮮烈な言葉を嘔(は)いた人は、少数派だ。 >>21
熊って ク/マ なんか…
単体だとまず ク\マ 発音してたわ NHKのアナウンサーもこないだまでクマは頭高で言ってたけど最近は平板に変更してるな >>50
ということは、どっちなんだ
平板化の流れでLHにしたのか、まさか間違ってたってわけではあるまい 手元にNHKアクセント辞典があるけど
熊も隈も同じ項目で クマ ̄| になってるな
つまりLHで平板というか尾高? アナウンサーもニュースを読むときは従来から尾高で言っていたようだが、会話のときは首都圏で多い頭高アクセントで言っていたように思う
近頃はNHKで統一する議論となったようで、番組で発話するときは尾高で言うようにしている模様
家へ帰ってからは知らん 今、テレビをみていたら、「熊さん」を当たり前のように頭高で言っていた いや熊さんについては、 ク↑マさん で発音しないと絶対おかしなことになるぞw 獣ではなく「熊さん」という名前だったら頭高で問題ない ∨ ∨
今 晩 は
京阪式はこれで完璧だな。中国語の例を見てこれで一切違和感無いのが判明。
最後の「は」はーかなとも思っていたが、この最後は声調無しで表すのがもう一番自然な京阪式「こんばんは」そのまんまであった。 コンが下がって上がる?
バンが下がって上がる?
下がるとこなんかないわい 中国語の ∨∨無し
の言葉聞いてみたら違和感無いで
/よりも断然自然 というか法則で∨∨の連続は変わるんやったかな
とにかく ∨∨無 の言葉は京阪式「こんばんは」等の声調表記としてかなり自然だった
下がるところなんかないとはどういうこと?
こんばん は、
LHLL やけども。 その∨の印はなんや
一拍のうちで下がって上がるて言いたいんやないんか
だいたい、中国語とか外国語でkonとかbanは一拍やろに、日本語ではコ・ン、バ・ンで二拍やしな
一緒くたにはでけんやろ 果たして本当に「ん」が一拍で発音されているのだろうか GOTOトラベルか何かか、関西の電車内で白髪の首都圏方言の老人がしゃべっていた。
「〜だよ」「おっことしちゃった」など、確実に首都圏人のようだったが、老人なのに「じゃん」使ってたから神奈川人? 横浜弁だな
「今、孫来てんじゃん。可愛いけど疲れるんだよね〜」と老人が言ってるとちょっと吹く 「今しがた、孫が来ておるのじゃが、愛らしくはあっても、草臥れるんじゃよ」
老人語はこうでなくては感じが出ないね 「洗濯」
平板 HHHH(H) [0]:東京・山梨・長野(東信)・岡山・広島など
起伏 LHHL(L) [3]:愛知・静岡・新潟・長野(北信)・北海道など
「服/靴」
尾高 LH(L) [2]:東京・山梨・長野・静岡(東部)・北海道など
頭高 HL(L) [1]:愛知・静岡(中西部)・新潟・岡山・広島・鳥取など
「大根(ダイコン)」
平板 HHHH(H) [0]:東京・山梨・長野など
起伏 LHHL(L) [3]:愛知・静岡・新潟・北海道・岡山・広島・鳥取など
個人的に気になった単語のアクセント分布
間違ってたら指摘してくれるとありがたい 0だとか数字書いてるから一瞬、京阪系アクセント辞典さんかと思った しかし、遅上がりはアクセントではなくイントネーションと言うがどうしてイントネーションの結果を無視してアクセントはこうだ、と抽出できるんだろう
広島なんか東京式でもコテコテの遅上がりで結構違うし、その広島に近い愛媛県の島では東京式なんだか京阪式なんだか分からないような遅上がりばっかりのなんとも言えないアクセントになってるし 遅上がり現象があまりに強いので、中間の垂井式とかじゃなくて遅上がり弁になってる 東京式アクセントの定義って何?
沖縄ですら東京式アクセントの変種みたいな扱い見たことあるけどさすがに無理矢理だろ?
東北の岩手か秋田とかは結構東京式だなと思うけど青森のあの特殊なアクセントでも東京式の基準は満たしてるのか 東京式アクセントは「東京」と付いているから武州あたりが元祖というのは誤り
東京式アクセントの別名は乙種アクセントという
京阪式を甲種とし、それに対立するようにあるアクセントを乙種という
近畿を中心に存在する甲種(京阪式)のほかは日本全国が乙種と言ってよい
元の都であった京阪に対して今の都である東京に乙種の代表を名乗らせているのだが、乙種は東京のアクセントというより京阪式を除いた全地域のアクセントと言ってよい
東京式の変種というのも、京阪式から変化したのではなくて東京式から変化した結果、独自と言えるアクセントになっているもの
鹿児島弁でも福島弁でも、あんな風になる前は東京式だった時代があるというもの 標準関西弁とか
標準京都弁とか
文法・アクセントとかで
方言学習書って作れるんだろうか 鈴木武蔵って群馬県出身らしいけど「ぼくも」「そこで」とかLHLで京阪式みたいなのがちょくちょくある気がするが何でだろ >>74
[0] 平板はHHHHではなくLHHHだぞ。そもそも東京式にHHHHは存在しない。 そっちの方が東京式らしく正確だと俺も思うけど、東京式アクセントでは上がり目の区別は無く、下り目のみを区別するもので、最初が下がるのはアクセントではなくてイントネーションということでアクセント辞典から最初が下がるのは明記されなくなった
つまり最初から上がっていても別に間違いでは無いとのこと。
確かに、東京人でも場面によっては最初が下がってない時もあって俺みたいな京阪式話者からしたら、「ん?何で京阪式?」と思ったりしてたけど。 アクセントは語を判別するためにある
ハ\シとハシとでは別の語である
ただし東京式アクセントではハシ(HH)と言ってもハ/シ(LH)と言ってもどちらも同じと取る
違うアクセントとは聴かないのである
じゃぁ最初の拍だけ低いのはアクセントに入らないんなら何といえばいいのか
イントネーションとでも言っておかなくてはしかたがない 逆に京阪式話者にたずねたい
「雨」をアメ(HH)でなく(LH)と言ったら別の語になるのか >>87
そうらしいねぇ
結構衝撃だけども。ちょっと逸れるが「他所(ヨソ)」と言う単語なんか京阪式ではHLなので、東京ではLHかな?とか思ってしまうが東京でもHLなんだな
>>88
京阪式で「アメ」をHHは飴やし、LHなら雨だな。(正確にはLFらしいが近年ではLFはLHに収束している)
言うまでもなく全く違うものになる
東京人には、京阪式の「橋」(HL)と「箸」(LH)の違いは東京と逆ですね〜とか説明できても、「箸」(LH)と「端」(HH)の違いは説明しても理解し難いと言うことになるのかな? 雨、飴は京阪式では共にHHと言えるのではないか
助詞が付くと
雨が LHL 飴が HHH と違ってくる
東京式で
橋 LH 端 LH と同じだが
助詞がついて違ってくるように
橋が LHL 端が LHH 京阪式では、調べると「雨」や「前」は、昔は低起して更に下がるものだったが、今は低起して上がる(LH)
「枝」や「鼻」は高起して高いまま(HH)
ということで雨(LH)と飴(HH)はやっぱり違うもののようだ そらそうじゃ。>>90の考え方は考えられんわ
京阪式をは東京式の考え方に当てはめてどうすんの また、平安時代ごろに連母音[oo][ou][eu]だったものは、共通語では[oː]になっているが、佐賀県をはじめ九州方言では[uː]になっている[6][7]。
[例]いっしゅー(一升)、きゅー(今日)、うーか(多い)、うーかぜ(大風・台風)
やはり九州は琉球側の言葉だな。 貴重なもんあるやん。
隠岐方言
隠岐方言の最大の特徴はそのアクセントであり、他には見られない異色のものである。
中国地方のアクセントは東京式アクセントであるのに対し、隠岐方言のアクセントは他には見られない異色のものである。しかも隠岐アクセントは、島内でも地区によって大きく異なっている
隠岐弁講座
https://youtu.be/44Aw4w3Bpvs
https://youtu.be/oKY-fOwOd0Y
隠岐 海士町の民話 01 「小僧の一斗飯」
https://youtu.be/oCyWbwxG24U
海士X(アマックス)「海士×方言」編 Part-1 海士弁座談会
https://youtu.be/7hpYkUO9S1c
海士X(アマックス)「方言」編 Part 2
https://youtu.be/-SlkqX3PPqs
子供 江戸弁
若林
そうなんですよ。 あの、親父の地元が築地の近くで、 親父は小さな頃から 築地の少年野球のチームに入っていたんです。 親父たちの同世代は大人になってからも、 コーチとしてチームに関わっていて。 そんなに長く連れ添っているのに、 顔を合わすたびに 「おめえ、まだ生きていやがったのか。 早くくたばりやがれ、ハゲ」 「うるせえな、バカ野郎」 って悪口を言い合ったまますれ違う、という よくわからないやりとりがあって(笑)。
若林
おかしいですよね(笑)。 3歳くらいのころ 親父と銭湯に行った帰りに、 たまたま近所のおじさんと会って。 「お前、いくつだ?」と聞かれたんですけど、 僕は引っ込み思案だったから、 3って指を出して答えたんですよ。 そしたら、 「なんだ、てめぇ、口で言えねぇのかよ。 しみったれたガキだなあ」 って言いながら去って行かれました。 「たまご」と「こころ」は単体だと LHL だと思うけど
助詞がつく場合、「たまごが」は LHLL 、「こころが」は LHHL であってる?
「こころが」の方は異論があるかもしれないけど はなわ家がついに佐賀を捨てて横浜に引っ越しとは、許せんのう。
やっぱし、佐賀の歌でデビューして住みます芸人してただけでやっぱり実際は心佐賀にあらず、ずっと関東弁を使ってやはり結局は兄と同じで関東人意識が強かったんだなぁ
坂上の動物番組で子供10人以上の家庭で4年前に大阪から北海道に引っ越しした家庭が出ていた。
4年生(9歳)の子供は東京式共通語も話すが使い分けててきちんとした大阪弁も保持。
幼くして引っ越して四年も経ったら元の言葉崩壊しても自然だと思うが、
上に何人も大阪弁の兄弟姉妹が家庭内にいるから十分に移民のような形になって普通に関西弁が保持されるんだな。
兄弟居なかったら勿論、普通の少人数家庭なら子供の言葉は完全に上書きされ消失するものだがあの調子なら無事バイリンガルで育ちそうで興味深い。 逆に徳島でテレビ無しネット無し自給自足環境で暮らすキノカワ家は親はどこ出身か知らないが東日本の東京式、子供は地元徳島で京阪式アクセントや徳島弁を身につけて(というかこっちは元々子供は徳島で育ってるが)るな。
今時ネットがあればどこに居てもいくらでも東京弁や東京式は覚えてしまうものだが、
テレビもネットも無いと言うことだからこれは興味深い例になるかもしれないな。
テレビもネットも無いのなら、子供が東京式も使ったりしてるのは、ほぼ100%親由来のものということになる。 福井弁のスレが無いな
https://youtube.com/watch?v=U4Y3J-dEtV0
福井県福井市の80歳男性宅の玄関先には古びた木製の柵がある。認知症の100歳の母親が夜中に家から出ないように自分で作った。介護を始めて今年で10年たつ。
母の認知症に気づいたのは、雪がひどく降った日の夜だった。物音がして外を見ると、地面に足跡がついていた。新聞配達にしては早すぎた。 江戸には上方の言葉を信奉する層も
江戸時代は言語学的に「寛永期」「明和期」「化政期」の3つに区分される。明和期以前の江戸の町は、様々な地方の方言が入り混じった状態であった。当時、「上方語的な言い方が伝統的に正しい」と考えられていたが、京都や大坂を中心とした上方では経済が発達していたことも影響し、上方の言葉は高い威信を保っていた。
そのような状況下において、西日本型の文法をベースとした武家言葉が形成されると同時に、近松門左衛門の浄瑠璃をはじめ、上方の言葉をベースにした芸術性の高い作品が多数輩出された。
ところが、明和期を境に東日本型の特徴を踏襲した江戸語が形成されると、江戸の若者に始まり、やがて中流階級や上流階級にも受け入れられ、最終的に江戸の町全体に浸透していった。その一方で、江戸の年配者の間では、上方言葉の使用が好まれた。
当時の江戸において、江戸の人たちの中でも、年配の人の多くは上方風の言葉づかいをしていたのであろう。特に、医者や学者などの職業を持つ人物は、言葉づかいに保守的であり、古めかしい話し方が目立ったと思われる。
(金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』) 上方の人間が上方の言葉を話すのは当然として、その他にも武士やその妻が上方の言葉を話していた。武士の中でも、庶民の世界に深く関わっていた者は、基本的に上方語と江戸語のバイリンガルであったとされる。
江戸語が浸透した江戸でも、老年層にとって上方の言葉は規範とすべき言葉であり、安易に手放せないという思いがあったのだろう。それが如実に表れているのが歌舞伎だ。
若年・壮年層の人物が、いち早く江戸の新共通語である東国的表現を自分たちの言葉として駆使していた時点で、老年層は未だ上方語的表現を、規範的な言葉として手放さなかったというような構図が、江戸においてある程度現実に存在したのであろう。歌舞伎の表現は、それをより誇張し、図式・記号的に登場人物に割り当てているのである。
(金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』) https://intojapanwaraku.com/culture/152916/
江戸から明治へ。上方語の行方
明治時代に入り、東京語が事実上の標準語へと格上げした一方で、大阪弁は一方言に成り下がった……というわけではなかった。上方語の末裔である大阪弁は引き続き、エンタメ分野での活路が見出されたのだ。とにかく他の方言とは一線を画していたのは間違いない。
言語学者の金水敏氏によると、漫画やアニメの世界では概ね西日本の言葉が使用されており、その言葉を使用する者は決まって白髪または禿頭、時には腰が曲がった老人である。ここに、江戸時代に成立した「上方語を話す人=老人」の構図が窺い知れる。
お茶の水博士:親じゃと?わしはアトムの親がわりになっとるわい!
(手塚治虫『鉄腕アトム1』)
阿笠博士:いやー、この子の親が事故で入院したんで、ワシが世話を頼まれとったんじゃが、ワシも一人暮しでなにかと大変なんじゃ
(青山剛昌『名探偵コナン1』)
※黒字は上方風(大阪弁風)の言葉を指す。ただし、「じゃ」「わし」などは中四国や九州地方でも使用が見られるが、概して上方から広まったものと考えられている。 江戸時代に老年層の間で使用されていたとされる上方風の言葉の一例が「わし」だ。その言葉の使用は、近松門左衛門の作品をはじめ、洒落本や人情本などにも見られた。
漫画やアニメの世界に登場する博士の話し方は決まっており、自称表現に「わし」を用いている。江戸時代、上方語は医者や学者の間でその使用が好まれたが、その点を踏まえても江戸の伝統が受け継がれているのが分かる。
さくら友蔵:でもまる子のいうとおりじゃなあ。ほんとにみんなお金もらえるから働いとるしのう
(さくらももこ『ちびまる子ちゃん4』)
※黒字は上方風(大阪弁風)の言葉を指す。
大阪弁風の言葉を話すさくら友蔵の出身は静岡県清水市(現在の静岡県静岡市清水区)。つまり、生粋の東日本人である。もちろん、博士でもない。ただし、「老人」であるという点においては上記の事例と共通する。一般に、漫画やアニメに登場する老人が発するセリフにおいてこうした傾向が見られると金水氏は言う。
日本人が生まれてから間もない時期に出会う漫画やアニメ。そこには大阪弁風の言葉が多用されており、日本人の多くは無意識のうちに大阪弁風の言葉を身体に取り込んでいたのだ。よって、出身地に関わらず、大阪弁は日本に居住する多くの人々にとって生まれながらにして馴染みの言葉であり、いわゆる日本の共通語として位置づけることができる。 江戸末期までは「へん」は登場しておらず、打消表現として「ぬ」が好まれた。その後、町人女性や遊女などの女性において「ん」の使用が目立つようになり、明治中期には「ん」の形が優勢に(少数派であるが、「ぬ」の使用も若干見られた)。そしてその流れから、「いかん」「ならん」「つまらん」「かしらん」などの慣用化された打消表現が生まれた。
次に目につくのは、いずれも全体に対する割合は小さいながら、「ヘン(二・二%)」と「ナイ(一・八%)」の出現が見られることである。このうち、「ヘン」については、属性的な面では、女性の方の使用が進んでおり(八・〇%−男性は一・一%)、また形態的な面では、単純終止(三・四%)や助詞類下接(二・〇%)の場合から始まっているようである。
(金沢裕之『近代大阪語変遷の研究』)
このように、明治時代の大阪では、江戸時代に優勢であった「ぬ」の音変化によって生まれた「ん」が主に使用された。使用層も当初は女性のみに限定されたが、明治中期から後期にかけてさまざまな活用のバリエーションが生まれ、幅広く使用されるようになった。
その他にも、「なんでやねん」でお馴染みの「ねん」。標準語で断定を表す「のだ」に相当する「のや」から出発し、「のや(んや)→ねや(ねんや)→ねん」という変遷過程を経て生まれた言葉である。より厳密に言うと、「ねん」は大正時代に「ねや」から移行する形で一気に使用ケースを増やし、大正末期には大阪弁として普及していった。 命題処理度が大きい発話ではノヤが優勢になり、命題処理度が小さい発話ではネンが優勢になることが読み取れる。ここでいう命題処理度とは、話し手が発話時に「聞き手に伝える」以外にどの程度命題処理を頭の中で行っているかということを表すので、命題処理度が小さいほど、発話時に「聞き手に伝える」ことに専念していると言える。つまり、ネンは聞き手に伝えるという機能に特化されているということになる。
(野間純平の論文「大阪方言におけるノダ相当表現:ノヤからネンへの変遷に着目して」)
「ねん」は「のや」からの変遷の流れの中で、発話時に聞き手に伝えるという、本来の「のや」には見られなかった対人用法を発展させていった。こうして、大阪のお笑いの要素をなす「なんでやねん」の礎が形成されたと見ることができる。
ちなみに、ボケ・ツッコミの掛け合いの言葉という印象の強い「なんでやねん」であるが、お笑い黎明期から用いられたわけではなかった。そのワードが用いられたのは1960年以降である。想定される正解からずれた言動に対する強い戸惑いの気持ちを表明する際に使用される「なんでやねん」であるが、今日ではツッコミと同時に発することで、笑い効果を高めるという役目を担っている。 インターネットの普及で「なんでやねん」は多くの日本人にとってより身近な言葉に
1990年代半ば、Windows 95解禁をもってインターネット時代の幕開けになった日本。インターネット黎明期には「みゆきネット」と呼ばれる今日のSNSの先駆け的存在が登場したほか、掲示板「2ちゃんねる」が開設。SNSの前身である前略プロフィールに始まり、mixi、GREE、モバゲーなど、様々なSNSが誕生しては廃れ……を繰り返しつつ、令和3(2021)年5月末現在、FacebookやTwitter、Instgram、TikTok、LINEが友人や家族とのやりとりを支える主要なコミュニケーションツールとなっている。
携帯メイルやブログや掲示板、SNS(Social Networking Service)などは、非対面・非同期というメディア特性をもつ「打ちことば」によるコミュニケーションである。お互いに顔を合わせることなく、タイムラグをはさんでのコミュニケーションであるため、「自己装い表現」が取り入れられやすい。
(田中ゆかり『「方言コスプレ」の時代』)
もともと親密な間柄でやりとりする「打ちことば」には、話しことばに近いくだけた文体があらわれやすいことが分かっている。「共通語」と「方言」のバイリンガル状態がほぼ完成した一九八〇年代以降、「方言」は「くだけた話しことば」のスタイル(親密コード)としてすでに機能しており、一九九〇年代中頃以降に急速に普及した「打ちことば」において、「くだけた話しことば」らしさを表現するのに、「方言」は非常に効果的な素材となっていたといっていいだろう。
(同上)
また、「打ちことば」は、音声を伴わないため、正確な再現がなかなかむずかしい「方言」のアクセントやイントネーションを気にせずにヴァーチャル方言を使用することができる。つまり音声を伴う対面コミュニケーションに比べ、ヴァーチャル方言を採用するハードルが低いわけだ。
(同上) 県境や河川、山など、ここを越えたらガラッと方言が変わる地域ってありますか?足を運んでみたいのでお教え願います。 佃(月島駅)は深川(門仲駅)の隣駅だけど、同じ江戸弁でも違うアクセントなんだよね。
7月お盆の佃念仏踊りでは独特の歌を披露してくれますが、コロナで今夏も中止でした、涙。 >>112
神戸方言は川を越えると差異があると言われていた。
旧生田川の東西、住吉川の東西など。 アクセントについてです。 全国で無アクセントの県がいくつかありますが、その一県に住んでいます。 私の県は、箸も橋も端もアクセントが同じなので、 話の流れから どの『はし』なのかを判断する感じです。 小さい頃からそれが当たり前なので、会話中困ることはないのですが、 他県の方からは、意味がわからないと言われます。 その時に『アクセントが無いので』と言える相手なら良いのですが、そうではない場合が大変困ります。 他県に行き、気心知れない相手と会話をしなければならないことがあるのですが、 そんな時、話すのを大変躊躇してしまいます。 皆様が、知らない相手と会話をして、相手のアクセントがめちゃくちゃだったら、どんな印象を受けますか? 何だこの人?って感じですか? 会話が始まる前に “無アクセントなので意味が通じないかもしれない” と、一言言うべきでしょうか? 何も考えずに話していますが、『橋』を『箸』と言ったら、相手は変な感じですよね? 一言断って会話を始めるべきですか? とても困っています。 最近は関東出身者でも、一定の聞ける関西弁を使える俳優が増えてきたが、筑前式の出身者はやっぱり無理っぽいな エセ感が強い Z世代の大阪人は大阪弁話さんて言われてるけどほんまか?
うちの周りの人は普通に大阪弁やさかい >>120
私は出身が河内南部で今は神戸だが、子供や若い女性の話し方からは明らかに語彙・文法・アクセント含めあらゆる関西弁的な特徴が消えつつあるように思う。
一言二言程度聞いただけでは京阪式なのか分からない人も多くなってきてるように感ずる。
其れに、昔から方言自体は一貫して衰退する傾向にあった。周りの人は普通に大阪弁との事だが、大阪府南河内郡千早赤阪村教育委員会が1997年に行った調査では老年層と若年層で明らかに方言残存度が違う。
https://i.imgur.com/YMDHYIV.png
「蛇」では老年層に多いクチナやクチナワがほぼ消えてヘビに、「太陽」ではタイヨウが多くなりオヒサンはあるがオヒーサンは消えた。
「梟」では共通語形のフクロウのみになりフクロクやフクロやフックフックなどの方言が消滅、「玉蜀黍」ではナンバやナンバキビと言った大阪弁本来の語形が消滅してトウモロコシのみになった。
斯ういうのも大阪弁の衰退に他ならないし、アクセントみたいに東京と大阪で違いがあるものという事すらも忘れられて「おそらく昔から蛇はヘビ、玉蜀黍はトウモロコシと言ってたんだろう」となってしまう分さらに深刻。
今の時代に同じ地域の若者を調査をしたら、若年層に一ヶ所だけ残っていたクチナも聞かれないだろうし、当時はまだそれなりに残っていたオヒサンすら使われなくなっている可能性も高い。それでも千早赤阪村は方言が残っている方だと思われるので、地方からの出入りが多い北摂や大阪市内の若者の方言がどれ程聞かれなくなっているかは推して知るべし。 伝統的な方言単語なんかは言うまでもないほど残ってないわな
「~やで」等の基本中の基本の関西弁語尾すら避ける傾向もある。 >>124 今の朝ドラで水川あさみはんが「何してけつかんねん」ゆうてたけど、
当人がインタビューで、自分としてはつこたことのない言い方やゆう意味のことを
標準語でゆうてはった。ちなみに「けつかる」は広辞苑にも載ってる言葉だす。 「けつかる」は関西の言葉という感じを持ってきたが、辞書にも載っているし、森鴎外の小説にも出てくるというから、もともとは全国区の言葉だったということがわかる。
このぞんざいな悪口言葉を、関西芸人がテレビ時代になっても使っていたので関西弁との認識になっていたのだろう。 テレコやツロクも昔は東京でも使われた。(今でも東京の古老は使うか?) 今の子供はYouTubeの影響でペラペラと東京語でしゃべる 京都では千年以上、例えば「春」は「る」の高い「はるう」というような
アクセントで言われてきたんだけど(「る」は高く「う」は低い。アホウと同じね)、
今は、「る」が高いのは同じだがおまけの「う」のつかない「はる」という
アクセントで言われるようになった。「舟」は「ふ」が低く「ね」が高いが、
それと同じアクセントになった。
その「舟」に「は」の付いた「舟は」も、長らく「ふね」は低く「は」が
高かったんだけど(「は」なんかが付くと「舟」のアクセントが変わる)、
最近は「ね」だけが高く「は」が低い。
千年来のアクセントが変わっちゃったんだ。大変化だよ。このこと、日本語の
アクセントの本には書いてあるんだけど、一般にはほとんど話題にならない。
ならないまま、この変化が完了してしまったんだ。 拍内下降が無い方が、助詞が付くとアクセントがLLHに変わる
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