【Y-DNA】ハプログループ総合スレ36【mtDNA】©2ch.net
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そもそも
縄文人は D1b2b
現代日本人はD1b1
ハブロタイプが全然違うから現代日本人は縄文人とは別人種だよ 東南アジアから北上してきたなら、アルタイよりも日本列島の方が地理的に近いんだから、
アルタイよりも先に日本列島に人類の足跡が登場するハズだろうが。
南方系の石器文化を持った集団が日本列島最古の人類の足跡になり、
その後に日本列島より遠いアルタイに南方系の石器文化を持った集団が登場して、
それから石刃技法を生み出すハズだろうが。
ところが実際は、45000〜50000年くらい前に中央アジア方面から石刃技法を持った集団が
アルタイに登場し、35000年くらい前にその石刃技法を持った集団が日本列島に登場し、
それが日本列島最古の人類の足跡になっている。
東南アジア北上説は理不尽極まりない矛盾の塊と言わざるを得ない。 遺伝学で示されるのは人類が辿ってきた経路
考古学で示されるのは文化の伝播
文化の伝播=人の移動、ではない
ドミノ倒しの如く、人の移動は隣の集落との交易に留まり、文化だけが次々伝播していく
これが現実 遺伝学の成果と考古学の成果は何も矛盾しない
東南アジアから北上し、樺太から内陸に入り、アルタイまで西に進んだ
その人類の大きな流れの中で、成立した文化が逆流伝播していったと見るのが、様々な学問から多角的に捉えて浮かび上がる現実 考古学 ← 絶対的な事象
遺伝学 ← どうとでも解釈でき、舌先三寸でたちまち単なる詐欺材料 >>455
舌先三寸乙
人類集団の移動定着あれば生活文物や生活文化や住居文化が確実に伝わるに決まっとろうがボケ!
しかも、それらはぜーんぶぜんぶ、それまで人類の痕跡がない地域で起こった最古の人類の足跡だぞ。
そこに最初に定着した人類集団がもたらした生活石器文化に決まっとろうがカス!
>>456
口を開けば詐欺のオンパレードだな(嘲笑
九州以北には東南アジアから北上した痕跡たる証拠の南方系の石器文化はない!
樺太から内陸、アルタイには日本列島から移動した痕跡たる証拠のナイフ形石器文化がない!
だいたい日本列島からアルタイに移動したなら、何で人類の最初の痕跡がアルタイの方が1万年以上早いんだボケ!
おまえはただYを、ここの頭カラッポのパッパラパーどもへの詐欺材料に使ってるだけだ! 大阪は人種が違うと思われる
ハプログループでもNOが多いと出てる
食習慣から肉(牛肉)を食べる
このとは脂肪の摂取量から違うことが分かっている
つまり、大阪と秋田や高知では違う食習慣となっていることからわかる
飽和脂肪酸の摂取量が2倍近く違う
また、体の特徴からも東日本人とは違うことが明白 北方モンゴロイド形質を持った縄文晩期の渡来人、いわゆる弥生人たちは最初に
山陰の出雲あたりに渡来定着したあと、西日本中に広がっていった事が彼らが
もたらした沿海州南部と文様が一致する最初の弥生土器の拡散と分布から知る事が
できる。
その分布は九州北部から中部西部あたりまで広がっている。
その中でも畿内は長い間栄え続けてきたため、彼らの人種的特徴が色濃く
残されたのである。 弥生人は縄文人とあまり変わらないんだよ
北方モンゴロイド形質なんか持ってない 渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析によると、ちょうど朝鮮人とオロチ、
ギリヤーク(ニヴフ)の中間あたりの位置を示す。
地理的にオロチ、ギリヤーク(ニヴフ)の分布位置と朝鮮半島のちょうど中間あたりは
ウデヘ、ナナイの住む沿海州南部あたりで、これは弥生開始土器の示す沿海州南部と
整合している。
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/1-thumb.jpg
http://f.hatena.ne.jp/nyankosensee/20110813183224 >渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析によると、ちょうど朝鮮人とオロチ、
ギリヤーク(ニヴフ)の中間あたりの位置を示す。
長江人は縄文時代に九州に入っているよ
山陰のは弥生人でなくて漢民族だろ 朝鮮人とオロチ、ギリヤーク(ニヴフ)の中間あたりの位置を示す漢民族は古墳時代以降も大量に入って来たので弥生人とは関係ないんだよ >>463-464
インドシナくせえブタゴリラ顔が見えてるぞ華南ブタチーノ。 九州で今迄完全な縄文人だと思われていた人骨も実際には長江人との混血だったのがわかった
九州の縄文文化は実際には長江文化だったんだな >>460
でも西日本は7000年前に九州の噴火で消えたんじゃないの?
それとも酸性土が多かっただけなの? >>466
そうサギブいてるサギー考古学者の名前を言ってみろよ。
クッサイ汚らしい醜悪極まるグロキモ顔面の華南インドシナ褐色ブタロイドのおまえ。
>>467
消えてない部分から程なく九州も復興再生してるよ。
土器のブランクも2000年ないんじゃないか? 縄文人直系でなかった西北九州弥生人 ゲノム解析で判明
米山正寛 2019年7月23日
https://www.asahi.com/articles/ASM7J6TNBM7JULBJ01M.html
弥生時代に現在の長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は、縄文人直系と考えられていたが、
実は渡来系弥生人との間でかなり混血が進んでいたことを、国立科学博物館などのグループが
人骨に残された遺伝情報(核ゲノム)を解析して明らかにした
九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、
鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、
そして、西北九州弥生人だ。
渡来系弥生人が在来の縄文人と交じり合う形で、現代の日本人につながる人々が生じていったとされるが、
西北九州弥生人は影響をほとんど受けず、顔の彫りの深さや腕の太さなどに縄文人と共通する特徴を残していたと考えられてきた。
今回、下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保市)から1970年に発掘された約2千年前の西北九州弥生人の男女各1体の人骨を対象に
核ゲノムを構成するDNAの変異に注目して遺伝的特徴を解析した。2体はともに縄文人と現代日本人との中間に位置付けられた。
縄文人直系と考えられてきた西北九州弥生人も、渡来系弥生人との間で混血が進行していた可能性が高まった。
そもそも
縄文人・アイヌ人は D1b2b
西北九州弥生人・現代日本人は D1b1
ハブロタイプが全然違うから西北九州弥生人・現代日本人は縄文人・アイヌ人とは別人種だよ 西北九州弥生人は日本語を話し、二重瞼、寒冷地適応していない
寒冷地適応しているのは弥生時代後期から古墳時代に朝鮮から渡来した漢民族だけだよ >九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、
鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、
そして、西北九州弥生人だ。
大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人 = 漢民族、一重瞼、寒冷地適応している
鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人
= 長江人、二重瞼、寒冷地適応していない
西北九州弥生人 = 九州の先住民、二重瞼、寒冷地適応していない >>471-472
さっさと華南ブタニガーランドに帰れよ汚らしい! まず、ここの華南ブタニガー工作員以外の連中のレベルが低すぎるから471-472みたいなバカバカしい狂言を吐く華南ブタニガーが湧くんだぞ。
まず、日本には中国から渡来定着した事を証明する考古遺構が一切ないし、
中国から渡来定着したと提唱している頭のおかしな考古学者も一切いないという事。
まず、日本には中国から渡来定着した事を証明する考古遺構が一切ないし、
中国から渡来定着したと提唱している頭のおかしな考古学者も一切いないという事。
↑これだけでも覚えろ頭カラッポのパッパラパーのおまえら。
常識だからもう一度言うぞ。
まず、日本には中国から渡来定着した事を証明する考古遺構が一切ないし、
中国から渡来定着したと提唱している頭のおかしな考古学者も一切いないという事。 >>475
じゃあ何で中国人の生活文物と住居文化の生活遺構がないんだよ?
死ねよグロキモインドシナブタネシアン! そもそも石上神社や出雲大社みたいな建物を作る習慣は日本には無かったんだよ >>477
どこに中国式飲食器、炊飯器、調理器があるんだバカ!
どこに中国式土壁建築、瓦屋根建築があるんだバカ!
さっさと死ねこのインドシナブタ! >>479
>どこに中国式土壁建築、瓦屋根建築があるんだバカ!
法隆寺は瓦屋根建築だろ
中国人と言っても朝鮮化してるから黄河文明の時代から変化してるだけさ >>480
法隆寺のどこが纒向と同じ弥生時代なんだよ?
馬鹿すぎだろおまえ。
顔はニグロブタ、脳味噌もインドシナブタ広鼻ロピテクス並み。 大化の改新以降、その支配体制に米を用いた
さて
東日本人と西日本人ではコレステロールが異なる
東日本はコレステロールが低いが
西日本人では高い傾向がある
これが一体何を意味するのか?というと
筋肉と関係する
コレステロールが高いほど筋肉成長は高くなる
ボディビルではアタリマエのこと
このことは、大阪人と東北人で明らか
つまり大阪人のほうが筋肉がよく発達している
被支配平民たちの筋肉が発達されては困るのだ
当時、力といえば筋肉だったから ところで、コレステロールが高いということは別の側面をも意味する
それは北方適応した遺伝子だということ
コレステロールと緯度はかなり強い関係がある
高緯度ほどコレステロールが高くなる
北方適応するとネアンデルタール人みたいに筋肉もりもりになる
一部の欧米人みたいに筋肉もりもりポパイみたいになる
このことは、新たな知見を生み出す
西日本には北方適応した北方系がなぜかいる
西日本は暑いので南方適応した背の低い遺伝子と合体している
東日本には南方適応した南方系がなぜかいる
とはいえ東日本は寒いので長い年月をへて北方適応している
とはいえ、西日本人ほどは北方適応できていない
北方適応の性質も異なる
東日本人は主に高い身長が特徴 30年くらい前に、日本人(縄文人)は北方と南方からやってきたとNHKが放送してたが
その真実が明らかになった
縄文人の遺伝子はほとんど現代には残ってないらしいので、
南方からきた民族に乗っ取られたのだろう
北方とは朝鮮半島経由って言うことになるのかなw >>470
それって、大陸にはまだDが居たってこと? >>485
中国大陸に展開したY-DNA「D」は後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、
南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。
呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。
このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。 おそらく
縄文人・アイヌ人は D1b2b でアイヌ語を話していた
四川文明人・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人は D1b1 で日本語を話していた 弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は O1b, O2
なんだろうね 弥生時代を通して朝鮮から移住してきた渡来人の痕跡遺構だと断言できる痕跡遺構はない。 >弥生時代を通して朝鮮から移住してきた渡来人の痕跡遺構だと断言できる痕跡遺構はない。
朝鮮鏡が出土してるだろ >>468
そもそも現在の鹿児島にあたる地域は大部分が生存してるからな
噴火の直接被害を受けたのは種子島・薩摩大隅半島南部
400年後にはAエリア完全復興
7300年前(縄文早期)の鬼界噴火災害エリア区分
Dエリア→影響なし 熊本平野以北
Cエリア→噴火を挟んで長期継続的な遺跡利用が確認される 人吉平野以北
花粉分析の結果によれば極端な植生変化は認められない
Bエリア→生活圏の移動、適応不可
Aエリア→人類は死滅、わずかな生存者は移動、適応不可
https://i.imgur.com/EVxqGSO.png
噴火の400年後(縄文前期)には南九州全域に縄文遺跡の再分布がみられ、種子島においても土器が多量に出土したり、明確な遺構を伴った遺跡がみられる。
https://i.imgur.com/9kW5Qb7.png
噴火後のA・Bエリア主な遺跡
https://i.imgur.com/xN4njwm.png >>491
無勉の頭カラッポのパッパラパーばかりの中、これは珍しく有益な所見。
鬼界カルデラでのダメージブランクはほんの400年程度という事だな。
ほぼノーダメージと変わらんな。 >>490
だから青銅鏡のどこが生活密着文物なんだカス!
生活密着文物とは飲食器や炊飯器や煮沸器や織器など、衣食住に関する文物だカス! 青銅鏡は部屋に祭って、毎日拝んでいたんだから生活密着文物だろ 内陸にマグロ!?遺跡から骨出土 南陽、縄文草創期に海岸部と交流の可能性
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/内陸にマグロ遺跡から骨出土-南陽、縄文草創期に海岸部と交流の可能性/ar-AAFBTli?ocid=spartandhp#page=2
約1万1千〜1万2千年前の縄文時代草創期の竪穴住居跡が確認された南陽市赤湯の北町遺跡で、
内陸部の縄文遺跡としては全国的に珍しいマグロの骨が出土した。
当時から内陸部と海岸部で人的、物的交流があったことが推察され、
愛知学院大の長井謙治准教授(先史考古学)らが8日から、
現地で2年目の発掘調査を始めている。 突然すみません。helixのgeno2.0nextでYハプロがCTS201と出たんですが、subcladeを調べたいと思いFTDNAに転送しようとしたら、helixは対応してなくて無理でした。
下流を更に調べるにはどうしたらよいですか?ダウンロードしたデータから自分で読みとくことも可能何ですか?誰かお願いします。 >>498
諦めてFTDNAのBigY-700をテストすることをお勧めします
今ならセールで$499です >>497
服全体は出ていないが、布片はかなり出ている。
魏志倭人伝の記述から貫頭衣だと思われていたが、織機から弥生時代の織布の幅は
30センチ前後であることから、実際はかなり違ったものだったよう。
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode04/dress01.html 「犬」「猫」どこから来た? 進化の謎、遺伝子で判明
(この記事は会員限定)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48417390Z00C19A8MY1000/
「家族の一員」ともいえるイヌやネコなどのペット。
遺伝子を解析することで、野生動物からどう進化したのかを探る研究が進んでいる。
日本犬は欧米原産のイヌと比べてオオカミに近く、独自に進化した可能性が高い。
ネコも中東のヤマネコが品種改良され、船に乗って世界に広がった可能性が指摘されている。
人間と共同生活することで、性格や姿形がどう変化してペットになっていったのかもわかるという。 ここの連中はホント生きてる価値のない、さっさと死んだ方がマシな無勉無学の
頭カラッポのパッパラパーばーっかり。
華南ニグロブタに「中国から来た来た詐欺」を働かれても何一つ反駁も反論もできず、
その全くのフィクション、虚構を真実化させる事に一役買ってしまい、
詐欺を大成功させてしまうようなマジで死ねの一言のゴミクズばーっかり。
ホント大馬鹿野郎だってのおまえら。
おまえらゴミクズが学問を語るな恥ずかしい!
己の無知さ、無学さ、無勉さ、頭の悪さ、頭カラッポさ、頭のパッパラパーさを
死ぬほど恥じて生きろ! 「この人は、他の多くの人間たちに知恵ある者だと思われ、
とりわけ自分自身でそう思い込んでいるが、実際はそうではない
私はこの人間よりは知恵がある。
この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、
私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。
どうやら、なにかほんの小さな点で、
私はこの人よりも知恵があるようだ。
つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」
プラトン ウイグル族ってY染色体の坩堝すぎね?
チベット系のDから西欧白人のR系から北欧系のIから中東系のJから
漢族系からモンゴル系まである >>499
有り難うございます。返事が遅くなりすみませんでした。Big-y700受けないとダメなんですね。$499かぁ。ちょっと高いですね。検討してみます(゜ロ゜; >>469
そこでいう「縄文人の遺伝子」とはいったいどこで採取されたものか?
もしも礼文島と福島の人骨から取ったものであるならば、前提が間違っていることになる。
4000年以上前の、西日本各地の人骨の遺伝子を解析してから言うべきだ。 >>462
人骨の形態だけで結果を出すと、誤った結果が導き出されることははっきりしてるじゃない。
DNAを調べたやつも、注意が必要だけどな。
いつの、どこの場所の人骨を調べたのか。
縄文時代の礼文島の遺伝子を引いていないから、お前らは「朝鮮からの弥生の渡来人」
だと言われて納得するか? >>488
違うね。
O1bは縄文時代から日本列島に存在していた。 縄文人・アイヌ人は D1b2b
西北九州弥生人・現代日本人は D1b1
ハブロタイプが全然違うから西北九州弥生人・現代日本人は縄文人・アイヌ人とは別人種だよ >>506
オレもそう思った。ウイグルからカザフスタンにかけての地域。
非常に古いやつがあるからな。
歴史時代の民族移動でやってきたのもあるだろうが、そうじゃないのもあるんだろうな。
出アフリカ後、北回りでシベリアにマンモスを追って広がった古い集団があって、
RやO、N、Q、に別れたK2の主力がそのあたりにいたんだろうな。
それらに別れた後で最終氷期の最寒冷期がやってきて、東へ行ってたONの主流は
その後南下し、農耕や水稲稲作を持って東アジアを制覇した。
北へ向かった一群は、遊牧しながら西の果てまで向かい、フィンランドで国家を形成した。
西に残ったPの主流はその後ウクライナ近辺で車輪を発明し西ユーラシア一帯に
広がって印欧語族の根幹となった。
氷河期の終わりに東へ向かった一群は、アメリカ大陸の先住民の主力になって満ち溢れる。
マリタ遺跡の人骨は、この人々と同族か先祖になるらしいな。
後のシルクロードが通るけど、もっと古い時代も同様に交易の通路だったのだろうな。
不思議なのは、オレはバイカル湖近辺の人がOの先祖かと思っていたけどマリタが違うとすれば、
ONの先祖はどこにいたのかということだ、 >>462
現代の朝鮮人の人骨やDNAを調べても、あまり意味がないと思うわ。
朝鮮人自体が半分は中国人の遺伝子。
というか、mtDNAもY-DNAも中国の北部とほとんど変わらないからな。
もしも国家を保っていなければ、漢民族の遺伝子に汚染された辺境の少数民族 >>484
そこでいう「縄文の遺伝子」は礼文島のやつかい?
礼文島の遺伝子を持っていなかったら、「朝鮮から渡ってきた弥生の渡来人」に
認定するのかね? >>310
>紀元前1世紀頃に書かれた中国の史書「漢書」に
>「楽浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見す」
>って書いてあるから
>当時既に日本列島にいくつも国があって、暦も用いていたことは明らかなんだけど
明らかではない
倭を日本列島と記した古代文献は一つもない
中国の学者楊守啓氏がいうには、「朝鮮側の史料『東鑑( 東国通鑑) 』では詳らかではないが、
日本の史書から判断すると、高句麗広開土王即位の年は西暦3 9 1 年であり、日本では仁徳天皇の治世時に当たる。
しかし、この間、両国には抗争の事実はみられず、又、中間の履中・允恭両天皇の時代にも、高句麗・新羅と闘争の事実はない。
又、三宅米吉氏も『高麗碑考』の中で同様のことを語っている。即ち、「倭・倭人と高麗との抗争記述も、
『日本書紀』など日本側の記述に対応すべきものがなければ、強いて附会する必要はなかろう。
碑文中に現れる倭が、大和朝廷で在ることを明証した論考は現れていないのである」との見解を述べている。
倭や邪馬台が何処であろうと、我が国の古代史に繋がることではないので、
目角を立て附会曲解をする必要ないこと、論ずるまでもない。
「倭」そのものゝ総体的な輪郭が把握できず、「邪馬台」が「大和朝廷」の前身などという固定観念で、
これら倭人に関する伝記などを捏ねくり返してみたところで、
先人の糟粕を舐め啜るのが落ちであろう。 >>327
バカ発見
Yハプロに形質的な遺伝情報なんてねーぞ馬鹿 >>513
2点
朝鮮半島には中原からの痕跡遺構はない。
朝鮮半島人の遺伝子の大部分は遼東半島から入ったもの。
遼東半島は戦国時代に燕に併合されて漢化しただけの名のみの漢人。
遼東郡秦人も遼東郡漢人もその延長線上もあり、楽浪郡は遼東郡漢人によって
築かれた植民都市である。 ×延長線上もあり、
○延長線上にあり、
遼東は戦国時代に燕に併合されて漢化する前はウラルアルタイ語系の地域で、
中国とは何の関係もない人々が住む地域であった。
この中国とは何の関係もない人々が燕に併合されてから漢化したのである。
その後裔の遼東郡秦人、遼東郡漢人もその延長線上の人々で、中原の中国陶磁器とは
全く違う陶磁器文化である事も彼らが名ばかりの漢人であった事を物語っている。
遼東郡漢人はその後、楽浪郡を築くが、楽浪土器にも中原の中国陶磁器に見られる
三足や大きな耳の付いた器形や原始青磁が一切見られないのはそのためである。 華南では川を江と書く
華北では川を河と書く
朝鮮では川を江と書く
つまり、朝鮮の稲作文化は長江の稲作民の文化が山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの
弥生文化も朝鮮から伝わったものではなく、山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの 朝鮮半島への稲作伝播は山東半島経由か遼東半島経由しかないが、朝鮮半島の古代文化のほとんどが
遼東半島から入っているところと、朝鮮半島には中国土器が一切ないところから考えて、遼東半島経由で
伝播した可能性の方が高い。
遼東半島南端から鬲が出土しているから、山東半島から遼東半島に伝播して鬲文化を失った段階で
朝鮮半島人が自身の手で遼東半島から取り入れたのではないか。
稲作の伝播は人の移動ではなく、隣人から隣人に伝播していくリレー式伝播だから、
長江の稲作民なんて全然関係ない。 九州の縄文時代の焼畑作物は長江文化のものだ
水田の前に長江文化が伝わっている >>522
で、長江から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる衣食住に関わる生活密着型文物と文化である
三足や耳の付いた長江系土器の飲食器や炊飯器や調理器と
石刃の長江系耕作用農具と
中粒種の長江系イネと
土壁の長江系住居と
帯と袖の付いた長江系衣類と
龍信仰と
亀卜と、
渡来時に伝わった長江系言語の単語は?
で、長江から渡来したと提唱している頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は?
. >>522
で、長江から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる衣食住に関わる生活密着型文物と文化である
三足や耳の付いた長江系土器の飲食器や炊飯器や調理器と
石刃の長江系耕作用農具と
中粒種の長江系イネと
土壁の長江系住居と
帯と袖の付いた長江系衣類と
龍信仰と
亀卜と、
渡来時に伝わった長江系言語の単語は?
で、長江から渡来したと提唱している頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は?
. >鬲文化を失った
何で理にかなった炊飯器が使われなくなったの?
釜が出土してるの? 縄文人直系でなかった西北九州弥生人 ゲノム解析で判明
米山正寛 2019年7月23日
https://www.asahi.com/articles/ASM7J6TNBM7JULBJ01M.html
弥生時代に現在の長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は、縄文人直系と考えられていたが、
実は渡来系弥生人との間でかなり混血が進んでいたことを、国立科学博物館などのグループが
人骨に残された遺伝情報(核ゲノム)を解析して明らかにした
九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、
鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、
そして、西北九州弥生人だ。
渡来系弥生人が在来の縄文人と交じり合う形で、現代の日本人につながる人々が生じていったとされるが、
西北九州弥生人は影響をほとんど受けず、顔の彫りの深さや腕の太さなどに縄文人と共通する特徴を残していたと考えられてきた。
今回、下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保市)から1970年に発掘された約2千年前の西北九州弥生人の男女各1体の人骨を対象に
核ゲノムを構成するDNAの変異に注目して遺伝的特徴を解析した。2体はともに縄文人と現代日本人との中間に位置付けられた。
縄文人直系と考えられてきた西北九州弥生人も、渡来系弥生人との間で混血が進行していた可能性が高まった。
そもそも
縄文人・アイヌ人は D1b2b
西北九州弥生人・現代日本人は D1b1
ハブロタイプが全然違うから西北九州弥生人・現代日本人は縄文人・アイヌ人とは別人種だよ
西北九州弥生人は日本語を話し、二重瞼、寒冷地適応していない
寒冷地適応しているのは弥生時代後期から古墳時代に朝鮮から渡来した漢民族だけだよ 912投稿者:2 投稿日:2019年08月09日(金) 10時53分23秒
大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人 = 漢民族、一重瞼、寒冷地適応している
鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人
= 長江人、二重瞼、寒冷地適応していない
西北九州弥生人 = 九州の先住民、二重瞼、寒冷地適応していない 納豆、なれ寿司、赤飯みたいな北九州に伝わっている照葉樹林文化が長江人の伝えた文化だよ 日本語ももともと長江の一民族が話していた言葉なんだよ
縄文人はアイヌ語を話していたからね
出雲や鹿児島にはアイヌ語起源の地名が沢山残っている
その後に長江から日本語を話す民族が九州に渡来したんだ 納豆、なれ寿司、赤飯みたいな九州に伝わっている照葉樹林文化が長江人の伝えた文化だろ
沿海州にそんなのないだろ
神社の鳥居とか登呂遺跡の校倉作りもすべて長江のと同じだろ
そもそもアカ族等のタイの山岳民族は長江からの移民だとわかっているけど
三足や耳の付いた中国系土器の飲食器や炊飯器や調理器と
石刃の中国系耕作用農具と
中粒種の中国系イネと
土壁の中国系住居と
帯と袖の付いた漢服などの中国系衣類と
龍信仰と
亀卜と、
渡来時に伝わった中国系言語の単語
は全く持って居ないよ >>525
最古水田で日本稲作が開始されたときの状況と全く同じだったのではないか?
搬入された朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけで、朝鮮土器を全く作らない人々の
手によって日本稲作は始まってるんだよ。 >>529
で、3000年前に全く持っていなかったという証拠は?
. 天皇家は間男の子供を天皇にしたのが何回かあるから
遺伝子は繋がっていないよ 明治天皇以降は乱交だったので天皇の父親が誰かはわからない >>532
で、3000年前に全く同じだったという証拠は?
. >>526
うわっ骨だけみると縄文人とされてきたタイプじゃんw >>529
おまえのサギ材料って、弥生時代に関係ないものばっかりだな。
納豆 ← 室町時代の登場
なれ寿司 ← 奈良時代に遣唐使によって持ち込まれた
赤飯 ← 古代米は全部赤かった
鳥居 ← 8C以降の登場
校倉作り ← ベースの高床式倉庫は弥生早期に松菊里型住居とセットで朝鮮南部から取り入れられた 華南では川を江と書く
華北では川を河と書く
朝鮮では川を江と書く
つまり、朝鮮の稲作文化は長江の稲作民の文化が山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの
弥生文化も朝鮮から伝わったものではなく、山東半島から朝鮮西岸沿いに海路を伝わったもの 吉野ヶ里遺跡の紹介 門と鳥形
弥生時代の土器等に描かれた高床建物や重層建物の屋根の棟飾りや軒飾りには、鳥の姿が描かれていることがあります。また弥生時代の遺跡からは木製の鳥形が出土しており、当時の習俗的シンボルであったと考えられます。
鳥への信仰は現在でも穀霊観念が明確な東南アジアの稲作民族に広くみられることから、弥生時代に穀霊信仰が存在したと推察されます。
当公園においては佐賀県神埼市の「託田西分貝塚遺跡」の出土例に基づいて復元した鳥形を環壕入口の門や主要な建築物の軒飾りとして設置しています。
▲南内郭入口(東側)門に設置した鳥形
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html 朝鮮に漢字が登場するのは朝鮮に稲作が登場する二千年くらい後だし、
鳥信仰なんて世界中に見られる。
そんな馬鹿材料に引っかかってくれる無勉無学の脳弱低能で頭カラッポの
超パッパラパーっているの? 有料論文を買ってアンダマン人の遺伝データを入手した
データ自体は研究者向けに公開されているからISOGGに伝えてみた
BigY優先だが反映してくれるかな? 中国には、なんと日本語を聞き取れる民族がいる!?=中国メディア 2018-08-30
http://news.searchina.net/id/1666373?page=1
中国メディア・東方網は28日、「中国には日本語を聞き取れる少数民族がおり、日本人の祖先はここから生まれたとの説もある」
とする記事を掲載した。
記事は「日本の歴史上の発展は、中国と深い繋がりを持っている。
そして、日本の起源についても中国にかかわる様々な説が出ており、
例えば秦の始皇帝の医師だった徐福が祖先といった説や、東南アジアから逃げて来た移民が祖先という説もある。
しかし近年、日本の学者が日本人発祥の地として四川省の山岳地帯にある涼山を挙げたのだ」と紹介した。
そして、日本の歴史学者が長年の研究の末、日本の言語や習慣が四川省の涼山に住むイ族とかなりの部分で似ていることを
発見したと説明。実際に現地調査に訪れたところ、現地のイ族の人たちは日本語の発音に違和感を覚えず、
一部の発音は日本語とほぼ同じであり、いくつかの日本語の意味も理解できたことから歴史学者が大いに驚いたと伝えている。
また、現地には「火把節」という1000年単位で伝承されている有名な祭りがあり、
これが日本の伝統的な祭りである「火祭」と関係性を持っているとの説も出たと紹介。 青谷上寺地遺跡の弥生時代後期人骨に関しては、ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では32人中31人が「渡来系」で、
1人が「縄文系」と推定されています。一方、核DNA解析では、父系(YHg)の多数が「縄文系に近い」と分類されたそうです。
おそらく、現代日本人のYHgにおいて30〜40%と高い割合を占めているD1bなのでしょう。
しかし、現時点で確認されている「縄文人」およびゲノム解析で「縄文人」の変異内に収まる東北地方の弥生時代の男性は全員YHg-Dに分類されるものの、
より詳細に分類できる個体は全員、YHg-D1b2aです。
一方、現代日本人で多いのはYHg-D1b1です。
YHg-D1bは、D1b1 とD1b2に分岐し、D1b2からD1b2aが派生します。つまり現時点では、現代日本人のYHgにおいて多数派のD1b1は
「縄文人」では確認されていないので、弥生時代以降にアジア東部から到来した可能性が高いのです。
もし現代日本人のYHg-D1b1の多くが弥生時代以降の「渡来系」由来で、青谷上寺地遺跡の弥生時代後期集団の男性もYHg-D1b1だとしたら、
青谷上寺地遺跡の弥生時代後期集団は、母系では「渡来系」で父系では「縄文系」ではなく、
どちらでも「渡来系」が圧倒的に優勢だったと考えられます。
おそらく
縄文人・アイヌ人は D1b2b でアイヌ語を話していた
四川省の涼山に住むイ族・九州縄文人・西北九州弥生人・現代日本人は D1b1 で日本語を話していた
弥生時代後半から古墳時代に朝鮮から日本に移住してきた渡来人は O1b, O2 で百済語、高句麗語を話していた 日本人と中国・東南アジアの少数民族の先祖が同族! 2015-07-31
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12056508365.html
近年脚光を浴びた三星堆文明は、これまでの中国文明と違って、誰が造り出した文明か今のところ断定が下されていないが、彝族の祖先が造った文明ではないかという説がある。
中国大陸に展開したY-DNA「D」は残念ながら後発のY-DNA「O」に中国大陸の中原のような居住適地から駆逐され、 南西の高地に逃れY-DNA「D1a」のチベット人や羌族の母体となった。
欧米の研究者はチベット人の持つ高高地適応性はデニソワ人との交配の結果獲得した後天的な獲得形質と考えているようだ。
そして呪術性が高い四川文明はY-DNA「D」が残した文明と考えられる。
このため同じY-DNA「D」遺伝子を40%以上も持つ日本人には四川文明の遺物は極めて親近感があるのだろう。 青谷上寺地遺跡で出土した渡来系弥生人の男性は縄文人と同じY-DNA D1b1 を持っていた 2018-12-21
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12420079127.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています