イ族は中国人じゃないからそんなの無いだろ

九州縄文人とイ族は農耕民だけど南方系で Y-DNA は D1 なんだ:

ユーラシア東部の現生人類集団の2層構造
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_32.html

オセアニアも含むユーラシア東部の現生人類集団が、北方系と南方系に明確に二分されることを見出しました。
現代人との比較では、北方系はシベリア集団と強い類似性を示し、南方系はアンダマン諸島・オーストラリア先住民・パプア人と密接に関連しています。
モンゴルや中国北部の現代人は北方系に分類されます。ユーラシア東部の現生人類集団の形成過程の検証において重要となるのは、古代人の頭蓋ですが、
後期更新世に関しては、中国北部の周口店上洞(Upper Cave at Zhoukoudian)遺跡および南部の柳江(Liujiang)遺跡からインドネシアのワジャク(Wajak)遺跡まで、
現生人類頭蓋は南方系の範囲に収まりました。

本論文は、後期更新世のユーラシア東部には、まず南方系現生人類集団が拡散してきたと推測し、
これを「第1層」と呼んでいます。

中国南部でもやがて農耕が始まりますが、5000年前頃までは、狩猟採集民集団が広範に存在していたようです。
これら中国南部の14000〜5000年前の狩猟採集民集団は、依然として「第1層」の特徴を保持していました。
日本列島の「縄文人」も南方系に区分されます。

 北方系が中国北部以南のユーラシア東部に出現するのは、農耕開始以降です。
新石器時代・青銅器時代・鉄器時代のユーラシア東部集団では、「第1層」たる南方系から北方系への置換が確認されます。
本論文はこの北方系集団を「第2層」と呼んでいます。
「第2層」の拡大に関しては、農耕開始による人口増大が大きな役割を果たしていたのではないか、
と推測されています。

中国の黄河および長江流域では、9000年前頃に農耕が始まり、キビなどの「雑穀」やコメが栽培されるようになり、
やがて複雑な社会構造を形成していき、ついには「国家」が出現します。
中国の初期農耕集団は南北ともに、北方系との頭蓋の類似性を示します。

黄河および長江流域の最初期の農耕に関して、本論文は「第2層」集団との関連を推測しています。