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文禄・慶長の役の時に、沙也可と共に朝鮮に投降した
日本の武将・金誠仁は、その後、丙子胡乱の時に
日本人投降兵らと共に、咸鏡道方面に多数配備され、
戦後もその地域の警護のために咸鏡道方面に集約して住むようになり
咸博金氏の始祖となった。
金誠仁自身は、官職を退いたのち、慶尚北道の清道郡に隠居したが、
朝鮮北部に残留し定着した金誠仁の子孫は多く、大韓民国が建国された後に
結成された金誠仁の子孫による大宗会(咸博金氏宗族会)には、
約4千人程度が登録されている。

延辺地域の朝鮮族は、咸鏡道方面から越境してきた人が多く、
C1は降倭兵の子孫であった可能性も考えられる。