【IPなし】ハプログループで語るスレ 裏スレ4
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>>96 >王族は漢民族とツングース…。 で、その王族の漢民族とツングースを支配してたのが 日本列島から来た倭人だということ。 とんでもないのが出たら悩みの種になりそうで怖いから一歩踏み出せないわ 誰か勇気をくれ >>102 だいじょうぶマイ・フレンド とんでもなく珍しいものが出たら面白いじゃないか >>101 >で、その王族の漢民族とツングースを支配してたのが 日本列島から来た倭人だということ 倭人というのは華僑の事だ 縄文人の子孫はまだ山の中で採集生活をしていた >>102 珍しいのが出た方が科学の発展に貢献できるよ。 >>105 ブロクやないかい 天皇即位記念金貨みたいな 有償でいいから公的機関が天皇のハプログループを発行したものが欲しい 切手に細かい字で印刷してもいいし 自分が天皇と同グループなら堂々と他民族を見下せるもんな どうやっても知りたい気持ちもわかるよ(^_^) 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、 中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。 ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。 そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、 石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、 石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。 ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、 木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。 石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも 伝わっていないのだ。 それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の 耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。 オール木製で。 しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も 日本の最古水田には一切伝わっていない。 日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと 言っているのと同じレヴェルの話である。 ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も 経ってからの事で、やはり木製であった。 石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ 永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>109 だから雲南やタイの稲作部落にもそんなものは無いんだよ >>96 >38度線… 38度線へはどこから来たんだ? 日本列島から北上したというオチかな? >38度線へはどこから来たんだ? 漢民族が楽浪郡を支配してたんだろ そこに満州からツングースが入って来て百済・高句麗を建国した 天皇は百済に居た漢民族だよ ところで美容板の縄文人って実は元寇の時の使者が実は殺されないで 子孫作ってたんじゃないの?w そんな事あるかい!俺は縄文時代から日本で縄文土器を作ってたはずだ 俺が被差別部落民でC2だが 出雲系だと言うのは正しいと思うぞ 俺の親父が昔言ってた話しでは 「自分達が天皇になるはずだった」だからな おそらく先祖代々、そういう話が受け継がれてきた んだろう >>112 >満州から… 結局 38度線関係ないやん! >>114 >縄文時代から… ホントかな? C2c1a-Z1300 韓国慶尚南道昌原市(漆原諸氏) C2c1a-Z1300 徳島県鳴門市 C2c1a1-F3755 長野県駒ヶ根市 C2c1a1-F3755 兵庫県(美容板の縄文人) C2c1a1b-Z31667 長崎県平戸市 出雲系の根拠は? ここの人はD1b1a2はあの家系の信憑性高いと思う? 有名人のハプロはやりすぎだと思うけど共通祖先の時代と短期間での人口増加を見ると背筋凍る 国内向けの検査で調べる気なかったのに下手にDとだけ分かって悩ましいわ 気になる材料を羅列してみると、 渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、 ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。 弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、 その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。 最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で 始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。 複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から 稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 長江の稲作民は元々シベリアに居たから、沿海州の北方民族に近いだけだろ >>114 >>116 補足するとこうなる。 C2-M217 堺正章 C2*-M217* 北方系アイヌ C2c1a-Z1300 百済王 C2c1a-Z1300 韓国慶尚南道昌原市(漆原諸氏) C2c1a-Z1300 徳島県鳴門市(和泉氏) C2c1a1-F3755 沖縄県(小橋川氏) C2c1a1-F3755 長野県駒ヶ根市(宮澤氏) C2c1a1-F3755 兵庫県(美容板の縄文人) C2c1a1a1-M407 モンゴル(ジンギスカン) C2c1a1b-Z31667 長崎県平戸市 C2c1a2a-F3880 司馬炎 C2c1a2a1a2-F3909 春日虎綱 C2c1a2a2b-F3555 孔子 C2c1a2b-CTS3385 韓国全羅南道咸平郡平陵面竹洞 鄭洛仲 C2c1b-F845 北朝鮮 金正恩 http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_9/view/id/1775879/page/58180?& ;sfl=subject&stx =%E9%9F%93%E5%9B%BD%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E7%A4%BE%E3%81%AE%E6%9 6%BD%E5%B7%A5%E8%83%BD%E5%8A%9B%E3%81%AF%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%8A%E4%BD%8D&sst= wr_datetime&sod=desc 桓武天皇孫高見王嫡男高望王の血統を引くと伝わる、血統上坂東平氏の(家系上は清和源氏) 士族の私がO2a2系統でした 10代の後半極度のネトウヨだった私といたしましては、晴天の霹靂と申しますか。。 台湾・中国あたりに親しみが沸いてきましたw 個人的に天皇家/源平等王種諸氏族はD-Z1500だと考えているので、 平氏と信じていた天国の爺さんに謝らなくちゃな笑 分子遺伝学の力は凄まじいですね たぶんこの分野に関しては、民間学習に委ねられていると思うので (性質上アカデミズムには相当の圧力がかかると思う) 一般人は民間学習でいろいろ察する程度にとどめておくくらいしかできないのかな、と思っています。 >>117 事の性質上、明らかにできないだけで、統計学的にはほぼ確定なんじゃないんですかと思いますけどね 公になったときの国民に与えるインパクトを考えると、、 大陸で見つかる石器時代人骨はC2ばかりだから縄文人にC2がいてもおかしくない。顔の復元も縄文人まんまだ。しかし、日本の縄文人骨からD1b以外が検出されるまで縄文人にC2が居たとは言えない。個人的には縄文晩期の渡来だと思うけどな。 それとC2c1a2aには佐賀県の小川氏、山口県の灰谷氏がいる。 >>117 >D1b1a2はあの家系の信憑性高いと思う? 思います。 SNPの結果と、STRが近似した種がある時代に全国各地の 離れた場所で同時期に繁栄、広がり出す点。 この人物が一般庶民だとすれば、特定の地域からじわじわと 広がり出すはずなのにそうでないと言うことは、 この人物が中央省庁から各地に派遣された、高級役人クラスの人物 であるということ。 その人物は、一夫多妻で支族が多数生まれても充分に賄いきれる財力を 持っていること。 Z1504のSNPを持つ人物は、南は沖縄から北は青森県、対馬や佐渡島などの 僻地までくまなく分布しており、拡散した時代は、 歴史時代(大和朝廷が成立して安定期に入ってから) であることが確実である点。 系譜学においては信頼性が下がるが、それでもこれだけの繁栄力 があるのは、藤原氏か皇胤氏族しかあり得ない点。 「天皇がチョンだO2だ」と四六時中書き込んでいる人がいるが、 残念ながらO2の可能性はない。ひと昔前まではその可能性もある ように見られていたが、O2は人口数の割に雑多な枝の集合体で 特定の枝から派生した近代同種ではなく、時期がバラバラに 渡来した人たちであることが明らかで、派生繁栄の枝として 優位に立っていない。 >>126 可能性がないとは言い切れない。 ミスリードを多分に含んだ言い方やめてくんない? 近代同種から派生した枝ではないソースを頼む >>121 似た境遇だね 源氏出身の俺もO2a2 天皇家は秦氏と同族だと思う 気になる材料を羅列してみると、 渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、 ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。 弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、 その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。 最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で 始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。 複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から 稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>122 >>126 返信ありがとうございます 客観的に見て同意見です 調べずに気にしても仕方ないのではっきりさせるために調べてみます >>126 自分結構このスレをロムってきましたが、すばらしい結論であるとおもいます。 D-Z1504に関しては、皇胤か藤原氏しかほぼ候補はない、といっていいとおもいます。 70% 天皇家 30% 藤原氏 くらいの確率で天皇家なのかなと。 一方わたしは、藤原氏とされているO-F1204のほうは、拡大の時期からいって藤原氏とは限らないんじゃないか、と考えています。 あくまで藤原・中臣朝臣系かな、とは考えているんですが、D-Z1500ほどの説得力はなく、 O-F1204は天皇家以前の王朝であるスサノオ・大国主王朝の遺伝子か、 あるいは蘇我氏はじめ多数の古代豪族の祖として・人臣最大の人物とされた武内すくね(武内は皇別とされているけれど)の遺伝子である可能性も多少あるのではないかと考えています。 なぜなら西暦3世紀(神武帝) 遅くとも西暦6世紀(継体帝)から万世一系で王孫諸氏族を輩出してきた天皇系の遺伝子(D-Z1500系統)と考えられているSTRより、 新興貴族である大織冠・中臣/藤原鎌足公の遺伝子とされるO-F1204系統のSTRのほうが古い時期に拡散している、と結論するのはむずかしい。 8世紀の新撰姓氏録においても、皇別として3分の1を占めている天皇系氏族と、 神別筆頭とはいえ、一貴族でしかない中臣/藤原一門では、当時は力関係が違いすぎる 当時は天皇系諸氏族>>藤原氏>>>その他神別古代豪族=外別氏族くらいの力の差があったことが新撰姓氏録に目を通すとわかります。 http://kitagawa.la.coocan.jp/data/shoji.html 摂関期以降は、ご存じのように藤原北家単独で、清和源氏以外の皇別氏族全体や、外別諸蕃氏族全体を対抗ないし圧倒するパワーを持ちましたが。 源≧藤>>>平>>>菅>橘>秦その他くらいの勢いです。 となると大国主とか武内あたりの連中の可能性も無視できない。 つまり、歴史に残らないほどのいにしえより繁栄しているオオキミの血統より、藤原氏のほうこそ中世以降に拡大している、というのが天皇系=D1b説の唯一の弱点。 ・西ヨーロッパの男性の半数は、4000年前のある王の血筋を引いている。(R1b) ・チンギスハンの男系子孫は800年で1600万人 ・サウジのサウード王家はたった100年で1人から1万人に拡大 これらのファクトからして、 D-Z1504やO-F1204が昔の有名人の子孫じゃないって考えるやつは、工作員か知的障⚫者だろう。 知的⚫害者の方は、先祖だの歴史だのに興味を持たないだろうから、工作員でしょう。 賛否こそあれ、chojaeや有名人のハプログループ管理人は、日本史研究に圧倒的な功績を残したと私は思う。 日本人の1割以上が、2000年以内に生きたある人物の直系子孫であることを明らかにした。 これは恐ろしい事実であるが、>>134 のように同様のケースは世界各国に見られる。 しかしここから先に行くには、日本史の核心である天皇家の遺伝子を特定する前に、外堀を埋めていく必要があると私は思う。 倭国王帥升/スサノオ/出雲神族 アメノホヒ/出雲臣族 物部氏 大伴氏 武内すくね 藤原氏 秦氏 >>128 さんや俺のように、源氏・平氏の血統で結構O2a2が出たりしている。 他の氏族を特定していくことも大切だと思う。 このスレの奴らって大和以前に勢力を誇っていた豪族(出雲とか吉備とか)がo1b2やc2だったら発狂すんのか?w 有名人のハプログループが貢献してるだって、笑わせんなよ。チンギスのハプロですら間違った情報載せてるのにwww 俺自身渡来系O2だからね。。 まあ士族だし、俺んちの先祖は人名辞典にも載ってるしね。 O2であれ正真正銘の日本人だって思ってるから出雲とか吉備がOであれば大歓迎。 そのうえで天皇系はDと考えてる。 >>139 ハプログループCはチンギス・ハンを輩出してるだろ。 ハプログループRやJに勝った実績があるのはCだけだ。 国内ではO・Dには勝てていないが。。 地味に中学時代に義経チンギス・ハン説を知って胸ときめかせていた私としては、 チンギス・ハンがモンゴル源氏じゃなかったのが残念なのですが。 >>139 日本人なら必ず常染色体内に縄文の遺伝子が含まれているから Y-DNAのハプログループが何であれ問題ないでしょ >>137 >チンギスハンのハプロですら間違っている… チンギスハンの墓すら見つかってないのに、間違っているか どうか現時点で結論は出せないだろう。 >>144 D1b1a2やO1b2より規模の大きい異常さだから調べれば間違ってるのはすぐ分かるよ。 管理人がソースまともに見てないのと自分で調べられないからだろうけど。 >>135 全く同意見ですね。 chojae氏や有名人のハプログループのサイトは、 局所的には難点がいくつかあるものの、大局的に見たら 大筋では間違っていないと思う。 宮内庁も訂正コメントを発表していないし、欧米の科学者も 反対意見を述べていない。 イギリスの遺伝学者と統計学者が最初に発見したと言うけれど、 中国の復旦大学も初期の頃から結構、この問題を研究していたしね。 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、 中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。 その時代差、約6500年。 その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、 4000年前にはすでに戸建ての時代である。 商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には 瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。 縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。 中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>146 復旦大学は2013年に曹操の男系子孫を特定してた。 サンガー研究所の発表は黎明期だったこともあって影響考えていないと批判されてたね。 この話題にセンシティブになってる証拠だな。 いくら情報統制しようが海外論文自分で引っ張ってくるし公開データベース掘れるしデータの扱い学んで適用できるしなぁ。 アマチュアつっても不特定多数から遺伝子データ集める大義名分と発言する立場と高性能なシーケンサが無いだけで知見は大差無いよ。 鳥取の遺跡の人骨 弥生時代後期に渡来か DNAで判明 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181019/k10011677081000.html >国立科学博物館や山梨大学などの研究グループがおよそ40点の人骨の「ミトコンドリアDNA」を分析したところ、 >ほとんどの人骨のDNAの特徴が中国や朝鮮半島の人のものと共通していることがわかりました。 これなんかもミトコンドリアDNAで記事化するなんてほんと公共放送としてどうなのかと思うね。 mtDNAとY染色体の差異見る限り古代の日中朝は貿易品として「女」を輸出入してたのが明らかだからな。文字記録にもあるし。 記事書いてる奴の「遺伝的な差異が無い」という願望か政治的なアピールが先走った報道にしか見えない。 >>149 ミトコンドリアDNAで差違が無い→報道 Y染色体で差違がある→報道せず 分かりやすいほど恣意的なマスメディアだよな。 つまり関西人や首都圏民の顔面がほとんど朝鮮人なのは 母系の影響が強いと、そういうわけですな 今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など人類史の常識が次々と覆されている[橘玲の世界投資見聞録] http://diamond.jp/articles/-/182802 ■西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じ起源を持つ同祖集団 馬と車輪を手にしたステップの遊牧民のうち、ヨーロッパ系とは別の集団は南へと向かい、 現在のイランや北インドに移住した。彼らはその後「アーリア」と呼ばれるようになる。 独立後のインドでは、「インド人とは何者か?」が大きな問題になってきた。 ひとつの有力な説は、ヴェーダ神話にあるように、 北からやってきたアーリアがドラヴィダ系の原住民を征服したというもの。 この歴史観によると、バラモンなどの高位カーストは侵略者の末裔で、 低位カーストや不可触民は征服された原住民の子孫ということになる。 だがこれが事実だとすると、 インドはアメリカの黒人問題と同様の深刻な人種問題を抱えることになり、国が分裂してしまう。 そこでヒンドゥー原理主義者などは、アーリアももとからインドに住んでおり、 神話にあるような集団同士の争いはあったかもしれないが、 それは外部世界からの侵略ではないと主張するようになった。 現代インド人のDNA解析は、この論争に決着をつけた。 インド人のDNAを調べると、アーリアに由来する北インド系と、 インド亜大陸の内部に隔離されていた南インド系にはっきり分かれ、 バラモンなど高位カーストは北インド系で、低位カーストや不可触民は南インド系だ。 インダス文明が滅び『リグ・ヴェーダ』が編纂された4000年〜3000年前に大規模な交雑があり、 Y染色体(父系)とミトコンドリア染色体(母系)の解析から、 北インド系の少数の男が南インド系の多くの女と子をつくっていることもわかった。 近年のヒンドゥー原理主義は、 カーストが現在のような差別的な制度になったのはイギリスの植民地政策(分断して統治せよ)の罪で、 古代インドではカーストはゆるやかな職業共同体で極端な族内婚は行なわれていなかったとも主張している。 この仮説もDNA解析で検証されたが、それによると、ヴァイシャ(商人/庶民)階級では、 2000〜3000年のあいだ族内婚を厳格に守って、 自分たちのグループに他のグループの遺伝子を一切受け入れていないことが示された。 ジャーティと呼ばれるカースト内の職業集団にもはっきりした遺伝的なちがいがあり、 インドは多数の小さな集団で構成された「多人種国家」であることが明らかになった。 西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、 イラン人は同じステップ地方の遊牧民「ヤムナヤ」に起源をもつ同祖集団で、 だからこそ同系統のインド=ヨーロッパ語を話す。 それに加えてライクは、バラモンによって何千年も保持されてきた宗教もヤムナヤ由来で、 ヨーロッパ文化の基層にはヒンドゥー(インド)的なものがあることを示唆している。 >>150 まあ、日本の実績はミトコンドリアDNAしかないし 極東代表として日本の研究機関はGeno2.0プロジェクトに関わっていない (支那の復旦大学がアジア代表として関わっている) 日本はY-DNA研究に関しては完全に終わってる >>153 Y染色体を意図的に無視してるし、 政治的圧力が猛烈にかかってるんでしょうね この件に関してはパンピーの民間学習に完全に委ねられている 俺たちパンピーががたがた言ってられるのもいつまでかわからないレベル Y染色体の研究がここまで進まないで中国韓国にはるかに遅れをとっているのは異常といっていい 日本は多湿地帯だから人骨からY染色体を採取できないとかめちゃくちゃなこといまだに言ってるし 世界中で考古学や歴史学が分子遺伝学で塗り替えられてるなか、この現状はおかしい https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/8b23db8b59f0496f05efee4044980f21?offset=380 10年以上まえに経団連はy染色体に注目してる 2010年前後にはホリエモンや茂木健一郎もみずからのハプログループを検査している アンテナの高い知識層はそのくらいからY染色体ハプログループに注目してる にもかかわらず、いまだに戦国大名レベルの人物のY染色体すら特定されない、特定しようとすらされてない 俺はみんなに提供できる情報がなく、既存の情報から屁理屈こねるしかできないので このスレから手を引くけど、 日本のY染色体研究に関してはこのスレが希望といっていいレベルだと思ってるよ このスレには真の知識人層が結構いるとも思ってる 2大modal typeに関して 明治初年の公家・社家・大名家による華族の類別。 まだ伊藤博文や山縣有朋のような勲功組はここには入っていない。 明治11年・1878年の〈華族類別録〉から。 1878年当時、華族全476家における出自は、藤原朝臣の201家を最大としており、天皇家の分家・源朝臣の168家をすら上まわっている。 源氏は嵯峨源氏・宇多源氏・村上源氏など二十一流合計で168家。 源氏に次ぐ武家の名門平朝臣が22家。 源平を代表とする皇別氏族全体の合計は229家であり、藤原一門の201家をわずかにリードしている。 皇別氏族と藤原氏のみでなんと有力公家・大名・神職華族476家中9割超の430家を占めている。 天穂日命後裔の大江朝臣・菅原朝臣は平氏同等の22家で天皇家の分家と藤原氏に次ぐ第3勢力である。大江・菅原を含む、藤原氏以外の神別諸氏族は合計39家である。 そして、外別・諸蕃の氏族はなんとわずか4家しかない。後漢霊帝後裔と百済国琳聖太子後裔の数家である。出自不祥は3家となっている。 http://www.geocities.jp/okugesan_com/ruibetsuroku.html つまり日本の中世支配階級のトップである大名と公家は 皇胤or藤原でほぼ独占されていたということ。 華族制度制定時の476家のうち430家が皇胤か藤原氏。あとは大江・菅原の土師氏が22家でかろうじて目立っている程度で、文字通り圧倒的に皇胤・藤原が強い まあこの類別では徳川家が源氏とされていたり、織田家が平氏とされていたり、割と怪しい点が多々あるし、 ひどいのになると島津が源氏扱いになっている(w)けど、 多くの仮冒を割引いても またこぞって有力者が血統を仮冒したという事実にこそ、 王孫と藤原氏が別格の血統として尊重され拡散していった事実を証明している。 公家・大名に次ぐ武士階級、それに次ぐ庄屋・豪農・豪商階級では 大名公家のように9割まではいかないだろうけど、遺伝子が上の階級から下って拡散していくという法則にしたがって、過半数が皇胤か藤原の血筋を称していただろう。 そのなかには無論仮冒であったり女系相続で男系が違っている家も相当多かっただろうが、本物も多かっただろう。 これらの事実からして、2大modal type説はかなり説得力を持っているとおもう。 天皇家がO1bって可能性とか、 藤原もD1bって可能性も捨てきれないとおもうけどね。 とにかく日本各地に伝わる名門の伝承が 遺伝子という絶対的な証拠で真実性を保証された事実は凄まじいですな🙆 平氏の落ち武者と言われる子孫(平姓)と知り合ったんで Geno2.0勧めてみた 興味があると言っていたので結果は数か月後に報告するわ 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。 「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、 角と耳がありイノシシの顔だ。 http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html . 系統に関してはクソみたいな遺伝子検査しか存在していない日本国内は永らくブルーオーシャン状態。 生き馬の目を抜くような日本市場で完全に放置されている理由はこのスレ見てる人なら言うまでもないでしょう。 人権とか差別呼び起こすとか関係ない、議論すら放棄して根本的に触れようとすらせず察しろってよ。 相当な圧力かかってるんだと思うよ。 海外の企業もまったく日本国内での宣伝活動してないからな。 島国って便利。 実際に差別してるじゃん ガラパゴス史観や崗上虜囚のような老害ブロガーが このスレでも◆xIkvGQhAcq4Rみたいなお目出度いやつがいるし 差別を断罪したいなら朝日新聞にでも駆け込めばいい ここはそんなもんどうでも良いわ じゃあO-M175の子孫は全員大陸人だから日本から出ていけよ 一重まぶたの奴は目障りだから死ねばいい 朝鮮の血が大量に入った関西人は論外、日本にいらないから死ね どうやら日本は海外から天皇一族が大量にいるやべー国と見られているようだ。 日本でできないからと海外からやろうとしても多分同じことになる。 不毛さに気付いたなら手を引いた方が良い。 >>166 このスレの差別主義者は ID:plDto4mKか? >>どうやら日本は海外から天皇一族が大量にいるやべー国と見られているようだ。 統失全開の発言って面白いなw >>168 差別を断罪したいなら朝日新聞にでも駆け込めよ一重くん 金儲けしたかった視点で見ると邪魔でしかないけどな。 アメリカで遺伝子検査のベンチャーが勃興してることに気付いてた堀江とかと同じだ。 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。 「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、 角と耳がありイノシシの顔だ。 http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html . >>170 別に5ちゃんのレスくらいで差別を断罪とか言う気も起こらんが あなたは神経質だね それに陰謀説なんか信じるタイプ? 宝来 聰氏が2004年に亡くなったから日本のY-DNA研究は終わったんだよ 宝来氏と共同論文を書いたHammer氏が その後FTDNAの研究者になっている FTDNAが日本にキットを販売しているのは 宝来氏のおかげと考えているがね 学者も知識足りてなさそうな怪しい連中も多いぜ そこは即答しろよってのも無きにしも非ず 有名な人は大半は頭が下がるくらい優秀だけど >>142 >天皇しか心の拠り所がない… いいじゃんか。日本国の象徴なんだしさ。 金正日しか心の拠り所がない いいじゃんか。北朝鮮の最高指導者なんだから。 蝦夷(えみし)が大和朝廷に頼る。『日本書紀』と遺伝子の一致(2018.08.11) 阿倍比羅夫の遠征と符合するオホーツク人の南下 https://kodaishi.net/lecture/emishi_gene 蝦夷(えみし)がオホーツク人の南下によって混血し、アイヌ人となるまでは 蝦夷(えみし)は日本語を話していた。 >>127 >近代同種から派生した枝ではないソース… http://famousdna.wiki.fc2.com/upload_dir/f/famousdna/b6056fb3a30d368977a2fd4adfd56cd7.jpeg 2008年の水野氏の研究で、D1b1a2の枝、O1b2a1a1の枝は 繁栄拡散の優位に立っているが、従来「O2」と一纏めにされて多数派のように見られていた枝は、 実際には「O2a1」と「O2a2」を合わせて計算していたもので、 「O2a2」も「O2a2a(M188)」と「O2a2b(P164)」を合算していたもの。 https://www.yfull.com/tree/O/ によれば、O2a(M324)から「O2a1」と「O2a2」に分岐し、 さらに「O2a2a(M188)」と「O2a2b(P164)」に分岐したのが23700年前。 日本列島に渡来以前に分岐した別々の人物で、分岐繁栄の枝として 歴史年代以降の「一人の人物」に遡り得る近代同種ではない。 >>183 Oのいち部か、Dの一部かは不明だが、どっちかってことは確か。 それから、Oが日本列島へ入ってきたのは2000年とかそんなもんじゃなくて、もっとはるか昔ってことだな。だからあの一族がOであってもおかしくない。 Dは最終氷期よりも以前に日本列島に到着しており、Oは6000〜7000年、あるいは 5000〜4000年前にその一派が日本列島に到達していると見るしかない。 これまで「渡来人がやってきて弥生がはじまった。日本人は渡来人の子孫」と言われていたが、そうではなく、すでに4000年前頃には「倭人」の原型ができあがっており、周の王に使者を送ったのは彼らの一派。 水稲稲作は彼らが受容し、広まった。 突帯文土器時代は、誰かがやってきたのではなく、「受容した」 西日本の縄文遺跡は海や川や湖のほとりから見つかることが多い。 彼らは海人であり交易民であり、黒潮を越えて神津島まで石を取りに行った。 半島や沿海地方との交流もある。 >>183 確かにD1b1a2bと、O1b2a1a1a以外はどれも5%程度だな。 日本人一億2000万人のうち半分が男性として、その5%と計算すれば 大したものだが、D1b1a2bとO1b2a1a1aに比べるとどんぐりの背比べ、 繁栄の優位には立ってはいない。 O2は日本列島における歴史時代の支配者の枝(近代同種)ではなさそうだ。 chojaeと有名人のハプログループの方法論は同じで、 chojaeは統計学からそれを導き出した(イギリスの方が先との説もある)。 しかし、chojaeは日本の史書に関して、明白な読み誤りがあることと、 chojaeの論を鵜呑みにした場合、遺伝的に優位に立つはずの 「藤原氏の存在が証明されていない」などの問題があった。 また統計学上証明されても、実際に子孫からのサンプルで 検証し得るのかという問題があった。 それを補ったのが有名人のハプログループのサイトであろうと思う。 一方で同サイトは本当にその子孫から得られたサンプルなのか、 自称子孫から得られたサンプルなのかという問題があって、 有力な情報であったにもかかわらず活用されて来なかった。 今、Y fullなどのデータと総合した結果、それらに対して 一定の結論が出たのではないかと思う。 >>149 ミトコンドリアでやっても意味があるとは思えないんだよな。 だって、大陸の北部と半島〜日本はほとんど差がない訳だから。 これをもって「女が大量にやって来た」とかいうやつがいるが。 縄文人も旧石器人も大陸から渡ってきた。そこには従姉妹が残っていたはずで、 彼女らの子孫が来たなら、似たようなものになるのさ。 それに、「弥生後期に新たに渡来した集団」のはずなのに、遺跡から出てくるのは それまでの連続でしかない。 遺伝学者が言う「渡来人」ってのは、時代が違うとしか思えない。 >>158 景行天皇以降の子孫や、天火明命の子孫もいますからね。 海部さんを調べたらどうなるかな。 >>172 日本人は、3000年から4000年前にいた天皇家含む氏族集団の末裔なんだよ。 朝鮮のようによそから支配者がやってきて支配したこともない。 だから、全員が彼らの血を引いていて親戚なんだよ。 朝鮮のように清や元から后を押し付けられることもなかったし、庶民の血が天皇家に 流れ込んでいる。 あとからやって来た新羅や百済の子孫もすでにすっかり溶け込んでいる。 そうなってからすでに1300年がたち、みんな親戚なんだよ。 朝鮮は高麗に起源を持つ家系が多いが、高麗王自体が中国人だしな。 朝鮮ってのは、中国人の一派でしかないわけだ。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか 経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、 佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、 日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、 朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。 このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。 この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で 比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。 ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。 日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 樹木植生が日本(1000種類超)より圧倒的に乏しい朝鮮半島(30種類程度)で その時期に植物が栽培されていたっていうのがまず眉唾もの。 本当に韓国行ったことあるのだろうか? 寒冷で風景は基本的に殺風景。 樹木が乏しく腐葉土由来の土壌も育ってなくて作物育てるのは大変だろうなと思ったよ。 日本の統治下に入るまで原始的な灌漑施設さえ国家事業で自作できなかったことからも文化として根付いていないのも明か。 教科書書きかえないとな。 >>164 崗上虜囚は全く関係ないだろ、差別ブログは「ガラパゴスブログ」と 「ナンジャモンジャブログ」だろ。 >>192 >「ナンジャモンジャブログ」 もうないし… 頭の中も更新しな ◆中国の釜 中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。 釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ 釜 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた 商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた . >>164 >>192 ガラパゴス〜のどこが差別? >古代〜中世の時代の資料が語る人口の様子は、 > 元々農民として食糧生産活動に従事し人口として認知されていたはずの農民である弥生系「O2b」,「O2b1」に対し、 >縄文系の「D2」のほとんどは狩猟採集、貧農や極貧農、下働き・雑用等で人口にはカウントされていなかったでしょう。 >また山の民であった「C3」も当然カウント対象外だったと思われます。 > しかし海の食料を調達する「C1」はカウント対象内だった可能性があります。 >「D2」が人口として正式にカウントされるようになったのは、明治時代になり富国強兵化で 前線に送りだされる使い捨て戦力として立ち位置>が見つかってからと思われます。 >いずれにせよ低人口増殖率の「D2」は、産めよ増やせよ時代が終わった今後の少子化時代で >現在の人口比率を今後も維持することは先ず無理でしょう。大幅に減少する可能性が高いと思われます。 ハプログループ如きで身分や役割が厳然と分かれると妄想するところがそれっぽい いずれにせよ数字や記号の羅列の意味すら捉えられずに妄想吐く人だということは伝わるな >>164 >>崗上虜囚は全く関係ないだろ 本人乙 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる