大阪・京都塵の性格
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人肉で商売をする最弱京都兵
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弓(宇都宮33師団)の小倉軍曹と安(京都53師団)の兵隊の会話(シンゲルの部落にて)
弓・小倉「いくらだ」
安・兵隊「百円でどうだす」
弓・小倉「百円だと」
安・兵隊「本物のぎゅうでっせ(←本当は日本兵の死体から切り取った人肉※409頁)、高うはおまへんやろ」
弓・小倉「ばかやろう!こんな臭い、腐った肉(←人肉)を持ってきやがって。それを百円で売る。貴様それでも兵隊か」
安・兵隊「そらあんた、ただあげるいうわけにはいかん。あてらも何とかして米も買わんならん、金持っていかにゃ売ってくれんさかい」
弓・小倉「何を言いやがる、これだけの肉を百円だ。兵隊に売つけてどうすっか」
安・兵隊「いらにゃ売らん。あんたかてのうて困るやろ思うたんや」
弓・小倉「このやろう」
小倉軍曹はいきなり殴りつけた。兵隊は悲鳴をあげて逃げ去った
弓・小倉「とんでもない兵隊だ。戦をさせりゃあ、すぐ逃げるくせに、戦線にいても金儲けだけは忘れん奴だからな」
(文春文庫『インパール』404頁)
最弱京都兵による人肉窃盗団
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道端で倒れていた弓(宇都宮)の塩山一等兵は安(京都)の兵隊に胸ポケットの品物を盗られ…
安・兵隊A「何も持っておらへんやないか」
安・兵隊B「こいつまだ死んでおらんがな。ぬくいがな」
安・兵隊C「さよか。あすにしよか。早うやらんと肉が腐るさかい」
(文春文庫『インパール』405頁) Dr.Jekyll@ドL'兼Janner@yasuhydeyou
2018年12月21日
横山やすしwww← ガラの悪いオッサン代表じゃないですかwww← hydeも昔よく大阪が苦手って言ってました。 和歌山弁を茶化されたり、すぐに『アホ』って言われるのが嫌で← 難波時代です。 東京の人(もしかしたら関東の人かも知れないけど)の話し方が優しいって言ってました(笑)←
https://mobile.twitter.com/yasuhydeyou/status/1075855237787701248
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ユウ30th L'Anniversary
@drop_colour
hydeは大阪弁が苦手 パート4
#ラルクアンシエル #音楽戦士
※動画あり
https://mobile.twitter.com/drop_colour/status/1259660302104186880
AT@atchan_ok
2015年6月20日
hydeさんは関西ローカルの番組で、大阪弁が苦手な時期があったって言うてたな。今はそんなこと無いが、グイグイ来る感じが嫌だったとか。大阪時代は南海電車で和歌山に帰ってたらしい。
https://mobile.twitter.com/atchan_ok/status/612026711962574852
*windy*@PUEL_hyde
2018年12月22日
hydeの都市伝説って何? どいはちろう?あれはラジオのおふざけ発言よ〜 和歌山が恥ずかしいなんて言ったこと無いよ〜むしろ子供の時の思い出、めっちゃ話してるやん hydeちゃんが苦手だったのは大阪弁「怖かった」 大阪のライヴ「金払ってんやから相応のもん見せて貰おか、いう雰囲気」
https://mobile.twitter.com/PUEL_hyde/status/1076261624195891200
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 歴代天皇陛下「関東人は野蛮で文化程度も低い」
後醍醐天皇の正中の乱の際に弁明した言葉がある。
「関東は戎夷(えびす)なり。天下管領しるべからず。卒人の民皆重恩を荷う。聖主の謀反と称すべからず。
但し、陰謀の輩あらば、法にまかせて尋ね沙汰すべき事の由これを載せらる、多く本文を引かる、その文体宋朝の文章のごとし(花園天皇記)」
この時代の公家の国家観は「天下」があって、その「天下」の中に「日本国」(畿内)と「外国」(周辺地域)が併存するというものであった。
彼らは観念の上で2つの国家という意識を持っていたである。そしてさらに天皇や公家の居住地である京都や畿内が清浄で周辺地域は野蛮で文化程度も低いという観念が横行していた。
この野蛮で文化程度の低い地域の代表が東国であると意識されていた。だから後醍醐は率直に「関東は戎夷なり」と言ったのである。
日本書紀「関東人は凶暴で不潔で恩知らず」
景行天皇は次のように述べられている(日本書紀)。
「東の国(関東)の人々は性質が凶暴で人を凌辱しても恥じることない。
国を治める人がいないので、領地争いばかりしている。
道を通る人に悪いことをしたり、苦しめたりしている。
蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。
獣の皮を着て動物の血を好み、兄弟は仲が悪くて争ってばかりいる。
人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。
仲間を集めては、大和朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている。」 太平洋戦争を引き起こした人物:東条英機(東京出身)
憲法第九条を作成した人物:幣原喜重郎(大阪出身)
これだけ見ても、いかに東夷が好戦的で野蛮かというのが良くわかる 人口100万人あたりの殺人発生件数
★3位 大阪府
★9位 奈良県
★11位 京都府
☆12位 茨城県
★14位 兵庫県
☆16位 千葉県
☆17位 東京都
☆20位 神奈川
☆24位 埼玉県
★26位 和歌山
☆30位 栃木県
☆31位 群馬県
★32位 滋賀県
http://grading.jpn.org/Divy2502002.html
残念ながら関西の方が治安悪いみたいですね。。。 >>1
「僕は少年通信兵だった」という光人社さんの戦記があるが、著者がサイゴンの病院に入院した時に、ビルマから下がってきた、菊兵団[福岡県久留米市]らしき兵隊さんがいて、初めは親切だったが、著者が京都の人だと知った途端、一切口を聞いてくれなくなったそうだ(笑)
▼田中稔中尉(福岡県出身、小倉114連隊)
『大阪、京都出身の兵士たちで編成された祭兵団と安兵団の両師団は、北ビルマの戦線で弱兵の見本のようにいわれていた』
▼古瀬正行さん(久留米18師団、長崎県出身)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ。「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼向江松雄さん(鹿児島145連隊、鹿児島県出身)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』 狂都贅六はヘタレ
【レイテ戦最強→千葉県・佐倉57連隊】
米21連隊長ヴァーベック大佐の報告
「21連隊は1944年11月5日、強力な敵と交戦した。敵は第1師団(玉兵団)57連隊(佐倉)、49連隊(甲府)及び第1連隊(東京)の一部、及び砲一門を持つ第1師団の砲兵の一個大隊以上である。
敵と交戦した者は、その見事な戦闘振りによって感銘を受けた。向う見ずな攻撃、無益な犠牲や一般に戦術の初歩に反した行動は見られなかった。敵の最も顕著なる特徴は射撃の特殊的なこと、あらゆる武器の使用の統御にある。敵の射撃は例外なく最大の効果を発揮する瞬間まで抑制されていた」
戦後大佐(W・J・ヴァーベック)が東京に来て第1師団長片岡中将に会い、57連隊(佐倉)の善戦を称賛した。
リモン峠でよく戦って死んだ兵士に対し、これ以上よき供え物はないと思われる。
レイテ戦記(中)36~40頁
▽ジョージ・マーシャル元帥(アメリカ陸軍参謀総長、『米軍公判戦史』より)
『レイテの東京第一師団(玉兵団)は日本の師団の中でも最強のものと思う』
【レイテ戦最弱→京都府・京都9連隊】
京都16師団(垣兵団)の見習士官の軍医「どや、この戦争はとても勝てん。死んでも無駄死や。ここらに隠れてたら米(べえ)さんはきっと来る。みないっしょに降伏しよやないか」
生きて虜囚の辱めを受けず、を金科玉条として服膺すべき帝国軍人としては、あり得べからざる言葉である。
フィリピン他の戦場で軍医が患者、衛生兵と共に投降した例が多い。しかしこの見習士官のように、敵上陸二日目にそれを言い出した例は他に聞かない。
レイテ戦記(中)109頁
▼ダグラス・マッカーサー大将(南西太平洋軍総司令官、『レイテ戦記』より)
『レイテ島の上陸(vs 京都16師団)は他の戦線と比べるとよほど楽だった』 京都15師団(祭兵団)の酒井朝次さん(本籍地:京都府、野砲兵第21連隊、上等兵)
・入隊した昭和15年には東京から徴集した昭和12年兵がいた。これは身体のしっかりした人達だった。13年兵は名古屋出身者でこれもしっかりした身体の人達。14年兵は京都出身者で、ここから第1乙種の者も現役兵としてやってきた。16年兵は体が貧弱なのが多かった。
・京都の兵隊は弱い。九州の兵隊はハングリー精神があり勇敢で感心した。 携帯の未払いがどーのとかの詐欺SMSが来たw 詐欺業者がかけて欲しい番号の市外局番が大阪だったので、修羅国の民としてはまず大阪人の民度を疑うwww レイテでは東京1連隊、甲府49連隊、佐倉57連隊の東京第1師団を筆頭に、岐阜12連隊、福山41連隊、津33連隊、青森5連隊、
さらに日本一の精鋭と呼ばれた68旅団の水戸126連隊(日本一悲運の部隊でもある)と皆よく戦って玉砕したが、
損耗率10%で逃げたくせに京都新聞のインチキ戦記で広島福山41連隊の悪口を後世に伝えた弱兵京都の9連隊はどうなのよ?
お公家連隊の生き残り「我々16師団も健闘したんドスエ」←いやいや16師団でよく戦っていたのは三重の津連隊だけでしょうが!
山の中で人肉求めて共食い始めたのが京都連隊でしょうが!
カトモン山の放棄=京都9連隊←結局この方面に米軍来なかったからね。辛い役割はすべて三重33連隊の京都垣(16)師団です…
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京都16師団の戦闘振りは、友近軍参謀長(愛媛県出身)をはじめ多くの上級兵団の不満を買った。
水際陣地よりの早期後退、カトモン山の放棄は、航空作戦実施中の南方総軍をがっかりさせた。(昭和19年10月)31日付電報で、ペリリュー島の敢闘(水戸、高崎連隊)を引用しつつ、方面軍の作戦指導を避難しているくらいである。
レイテ戦記(上)327頁 明治以来の伝統ある戦闘部隊のくせに、第一次バターン戦では敵前逃亡(迷子)を繰り返し、本来警備部隊なのに常に最前線で戦わせられた福山141連隊の将兵から恨まれ、馬鹿にされていた京都歩兵第9連隊は、レイテ島でも損耗率10%で逃げたよな! レイプの事なら、幼女から老婆まで京都第十六師団にお任せあれ~!
南京大虐殺ってクズ京都人のせいで日本人の評価が地に落ちたわけだからね
こいつらに比べりゃ逃げ回ってた大阪人の方がまだマシだ
京都の弱兵16師団から四国の善通寺11師団に交代したあと残虐行為がかなり減ったというから、どんだけレイプ好きだよ京男(怒)
南京の日本軍(南京警備部隊の京都第16師団)には正月三日間の休暇が下令されたが、難民区国際委員たちには背筋が寒くなることだった。それは多量の正月酒がふるまわれ、大勢の酔っぱらい日本兵(京都兵)が巷に出て、勝手気儘な蛮行を繰り広げることを意味したからである。
南京難民区の新年は強姦ではじまった。
(笠原十九司・中国近現代史)
1938年1月15日(南京郊外の棲霞山寺)
多くの日本兵(京都16師団)が来て若い女を捕まえ十人を選び出して寺の一室で強姦した。
その後ひとりの泥酔した日本兵(京都16師団)が来て、一室に入り、酒と女を出せと要求した。酒は出したが、女は出さなかった。
彼は立腹して銃を乱射し始め、少年二人を殺して引き揚げた。
持場へ帰る途中、彼は道端の一軒の家に入り、七十歳の老農婦を殺し、ロバを盗み、家に火を付けた(『英文資料編』195頁)。 【福岡vs京都】 ビルマにて
菊将兵「弱兵の関西部隊に食わせる食糧はもったいない。我々九州部隊が頂戴しようじゃないか」
菊将兵「弱か京都53師団に、こぎゃんもんを食わせっこたなか!」
↑牛車ごと強奪w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています