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さらに、1953年には、SIAE(伊)、GEMA(西独)、PRS(英)など、欧米の主要な著作権管理団体と契約を結んで、それらの楽曲の管理ができるようになりました。
自分たちの管理楽曲をまかせることで、小さなJASRACを支援してくれたのです。

また、私がJASRACに入った1975年ごろの管理職の多くは、海外の著作権管理団体に留学した経験がありました。
留学先で、実務のノウハウを覚えて戻ってきて、JASRACの基礎を築いたのです。
ほとんどが、海外の著作権管理団体の招待によるものでした。

10年、20年という長いスパンで見て、著作権の思想が普及して、音楽文化が振興して、アジアの著作権管理団体が伸びること。
互いに音楽文化の交流と楽曲利用があって、創作者が著作権使用料を得ることができる。
そういう基盤をつくることで、JASRACの委託者の共通の目的にかなう。
このことと、分配保留金の解消という課題が符合したわけです。