稲村 ええ。何かそういうよい名前がないものかというものが事実ぼくのねらいたった。
そこでゴータ綱領に対するマルクスの批判を読んでおって感じたのだが、ドイツにおいても同じような誤謬があった。
それでマルクスは、ゴータ綱領批判の中で、社会主義に重点を置くのか、民主主義に重点を置くのかということで相当批判しておる。
そうすると、あの当時の社会民主主義というのは、社会主義でなく民主主義者の政党という意味なんですね。この間偶然にというか、問題になっておったから読み返してみたんだが、やはりそういう時代があったわけなんだね。
しかしそれが社会民主主義というものを、少くともヨーロッパにおける民主主義者が、社会主義の実現を民主的方法によってなすという方向に次第々々に基礎づけていくことに成功したわけなんだね。
これは長い間の歴史によってそういうふうに規定されたのだけれども、日本の場合はそういう期間がきわめて短かった。
きわめて短いといっても一年や二年じゃないが、ドイツあたりよりもう少し短い期間においてなされなければならぬということを考えてみると、この際われわれは、社会主義の政党であるということを何よりも明確にして、
いわゆる社会主義プラス民主主義の政党、社会主義者プラス民主主義者の共同政党だというような、こういう意味は持たせない方がよいのではないか、こういう意味で実は言っているわけです。

勝間田 そうですか。それでいっぺん森戸先生にお尋ねしてみたいと思っておったのですが、森戸さんにこの点をひとつ思想史的に解明してほしいと思うのですが、
社会改良主義というものと、社会民主主義というものと、社会主義というものの違いですね、これは思想史的にどう違いましょうか。

森戸 これは私は、ドイツでは社会主義の方が先にできたと思います。
マルクスの思想を政党的にはラッサールが持って来て、そうしてさらにリープクネヒトとかベーベルが加わって社会民主主義の政党になるのですが、社会主義の政党は社会主義の実現を標傍するということで、それからラッサールなどのいわゆる普通選争論と結びついて、普通選挙による社会主義の実現ということになった。
それが一方ではドイツに力を占めて来、他面ちょうどドイツは帝国主義の興る近所でしたから、自由主義の運動が非常に強かった。
その間にあって、いわゆる自由主義的な資本主義もいかぬ、社会主義もいかぬという立場でワグナーや、シュモーラーやプレンタノが立って、これらの社会政策学会のとっておる政策が普通社会改良主義といわれておるわけです。あるいは講壇社会主義ともいわれているのだが、これは資本主義をかえるということではなくて、資本主義の欠陥をためていって、ことに資本主義のわく内で勤労者の生活を改善していくということを標榜したわけで、正常な形での社会改良主義というのはその傾向を指すと思います。
それから日本でもその影響で、実はこの間死なれた高野さんなども中心となって、社会政策学会というものをつくられた。それが日本でやはり社会改良主義というものを表明して来たわけです。これは一面、資本主義反対、社会主義反対ということで、社会政策主義とはいわないけれども、大体、社会改良主義というような言葉で通じていると思うのです。
そういうようにして社会改良主義が起ったのですが、社会民主主義の方は、実はマルキシズムの党派が社会民主主義とずっと言って来たので、ロシアのボルシェビキがわかれて社会民主主義の多数党となるまでは、大体マルキシズムの政党が社会民主主義の政党と言われておったわけです。
だから社会民主主義即マルキシズム、こういうようなことで、その傾向がずっと、ことに第二インターナショナル結成以来ずっと支配的であったということです。
ところが第一次世界戦争の終りごろから、いわゆるロシアの革命から共産党ができるようになって、社会民主主義がわかれた。
共産党と社会民主党ということになり、同時に社会民主主義の政党はマルキシズムのうちの共産党これに対する政党だけでなく、
たとえば英国の労働党その他北欧の社会民主主義政党、これらは必ずしも全部マルキシズムじゃないのです。
そういうものを含めた、共産党と反対な社会主義の方向に向っている政党を総称して社会民主主義の政党と、こういうふうに呼ぶようになったと思うのです。
そこで共産党分裂前の社会民主主義という言葉と、それから共産党分裂後の発展における社会民主主義の政党ということに考えられる意味とが、ややかわって来たというのが、社会的発展の現実じゃないかと思っています。