古典を当時の発音以外で読むのが無価値というのは完全な暴論。

この理論に基づくと、中国の古典は古代中国語の発音を地域ごとに
再現する必要があり、書かれた書物の時代と地域によって
すべての読み方を変えていかなければなくなってしまう。
これがいかに非現実的かつ非効率であるかは言うまでもない。

大事なのはその書物に書かれた意図を理解することであり、
発音云々をこねくり回すことは、音声学を専門とする人間以外には
あまり意味のない行為である。