リリック談義
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まず評価基準が違うからバトル出が音源で微妙パターンが多いのは仕方が無いと思う
ネトラとか言ってネットで韻踏んでるのも基準が違う意味では一緒で音源で評価されたかったら
この2つは何ならしない方が良いんだと思う メッセージ性を押し出したものは他ジャンルにも通ずるものの筈なのに
HIP HOP界外でリリックを褒められるのはほぼ見ない
BOSEのリリックは以外にもロック系のリスナーが以外にも褒めてた
クリーピーのかつて天才だった俺たちも他板で天才と言われてた
数としては少ない BOSEのリリックは意外にもロック系のリスナーが褒めてた KREVAはバトルの影響を避けてリリックで評価されるタイプでも無くなった
Rはバトルを否定してないけど上の曲みたいな一般人目線としてのメッセージが
バトルやってない方が早くに出てただろうし磨かれてただろうと思う 星の死阻止
USのラッパーは強いメッセージを言ってるから自分達も言いたいのはわかるが
環境問題を訴えるラッパーと言うのはどうなんだ?正直売れたアルバムでは無い
当時も環境問題ならもっと目立つ形で訴えてる人は居ただろう USでやってることを日本に置き換えようって言うファッション的な要素が強いだろうな
曲で言ってる何割が本音なのか、本人達はリアルだ何だの言ってるが、
アメリカが街が危険と言ってるから言ってるだけで東京や日本を
そんなに危険に思ってないことは確かだな ここにリリック面で影響を受けた層はかなり多いと思うが
物事を大袈裟に受け取って表現するのをかっこいいと思ってるので
物事との距離感がオカしい、平和な日本で危機を煽るより
他のトピックを探す方が良いと思うのだが 向こうのラッパーは落ち着いてるから
危険も無いのに煽らないしチル系のでも
平和な国に居たらずっと書いてるだろうな 内容(メッセージ、バックグラウンド、テーマ)、表現力(比喩、言葉選び、詩的センス)って別の評価軸が有るよね 語彙も表現の方に入るだろうけど言語学者みたいなのが
詩的センスも有るかと言ったらまた別の話 他のジャンルで言うと桑田のスキップ・ビートは
暗喩とか言葉遊びだな 表現に優れていればとっておきの重めの実話から来るエピソードが尽きても
安定して良いものが書ける 意味を成立させること自体が長らく課題になってたけど
ただの文章だとスタートラインと言うかその時点では
他のジャンルからしたら平均以下だからな 韻を踏んで文章を作れるラッパーは増えたかもしれないけど
歌詞に対して文章ってのは翌々考えると悪口なんだよな 着眼点と視野これはどっちだろうな内容選びも大事な所が有る https://youtu.be/ZKRSkij5LN8
長かった住宅ローンも終わり
めでたく子供たちも親となり
時間が経ってたいつの間に
そこでやりたかった事を始めるのかい
定員オーバー間近の宇宙船 向こうは独り言も無くなったじゃん
と言うか普通に参加しても良いんだぞ?
繋ぎだよ 日本のバック・イン・ザ・デイ物って他は
単純な悪自慢・不幸自慢が多いイメージが有る アメリカって訴訟大国なのに名指しで銃ぶっ放すって言っても
脅迫になんないのなたまに名誉毀損の訴訟になってるのは
知ってるけど 日本で名指しで包丁で刺すって言ったら警察沙汰だよな? まぁ日本で本当に悪くて銃を隠し持ってる奴は銃の話はしない
薬も自白になってしまってる本当にそこからガサ入れに入ってるのかも
しれんしなメディアの発言で動く税務署みたく 舐達磨嫌いじゃないけどトラックが全然違ったら興味無いだろうな 韻のために持ってきたような単語が
リリックの中で浮くのが嫌いだが
それは比較的無い バトルとかネットで書いてる様なのは
わざと単語の違和感を際立ててんじゃないかな
リリカルでは無いよね 2pacも本人は否定してるけどギャングの様に担ぎ上げられる以前に
読書家で有り詩人なので文才の様なものが必要 難しい言葉を使うかどうかって個々の自由だと思うけど
使ったからリリカルかと言ったらそうでは無い
甲本ヒロトなんて敢えてわかりやすい言葉を使ってる 本を読まなくても書けるレベルの人も居れば
本を読んでも書けないレベルの人も居るよな
詞の世界は ただ韻を踏んでるだけのものは俳句で言うと5・7・5にしただけと同義でレベルが低い 人の感情が動くものはその辺には簡単には転がってない USは元々ポップスやら詩全体で踏んでた所にラップが生まれたから
自然な流れで当然の様に韻を踏んでいるしlyric=叙情詩で詩のジャンルも変わらない
日本は独立したものの様に扱い過ぎている 路上のポエトリーがHIP HOP以前から有ってルーツの一つなので
普通の詩の延長と言う感覚のはず 破滅型の芸術家は良くも悪くも熱狂的な信者が多い
若くして死ぬミュージシャンが多いし作家なら太宰で
詩人なら中原中也だな 純文学みたいに文章だけで優れてるとわかるものを書かないと駄目なんだろうな 例えていくとネット小説と書籍になってる小説の差がデカいことがわかる とは言えリリックと言う観点では曲がりなりにも文章を書いてる方が上だろうな ケータイ小説なんてのが馬鹿にされたがその辺に書いてるのはあの辺のラインか ネットで韻を踏んでるのはその辺のレベルかなってこと 英語で書くなら英語力が必要、日本語で書くなら国語力が必要シンプルな話 英語・日本語どっちでやっても自由だが
基本日本語で書くとしても普段使う外来語まで
避ける意味は皆無に等しいジジババ向けにするならともかく
それなら文学・詩的表現を伸ばす方がずっと良い 日本語だからバトルがやってこれたんだとは思ったが
そのバトルが否定されつつ有る 当時の邦楽並の英語の割合だと無駄なDIS・BEEFが起こらなかったとも言える 日本語ロック論争の終結は
・日本語のロックのヒットが出る
・日本語と英語混合の歌詞で歌うバンドが出るだった
これはラップでも一応出来てるのか?
ただ日本語のロックを成功させた松本隆が作詞家としても成功してるから
日本語がどうとか言うならそのくらい日本語の詞に長けてる部分を見せないとな 作詞家になれって話じゃないがその成功が有るから
誰も今日本語のロックに文句を言わないってのは有るってのが伺える 母国語で書いてるのに他ジャンルから評価されない詞ってのは空虚だろう ロックの場合柄悪い側が英語派だった
ラップは日本語・英語混ぜるの辞めろと言ってたこと考えると
どっちも柄悪い側が敗けてる そもそも英語・バイリンガル・日本語と3つのスタイルがバランス良く居るなら
それがベストな気もする 良く言われるのは日本語で書くのはセンスが要る
日本で英語でわけわからんこと書いても誤魔化せるからね
バトルはどうしても日本語を意識して使ってるし
音源で苦しむタイプは悪口以外センスないんだろうな そういう場合素直にバトルとスタイル変えれば良いんだろうな そもそもディスばっかやって多様な表現が上手くなるわけがない バトル出で良いものを書けるやつは単に才能で書いてる 上岡龍太郎が引退する少し前にさんまに対して君を論破出来ない様では何とかかんとかって話してたけど
無能力って言葉がバトルでも出て来たりしたよな、技術としては口の上手さってのは重要なんだろうけど
同時に面白い奴ってそんな喧嘩するか的な事も思った、リリックに対しても一緒で
文章力にも置き換えれるし別の磨き方も有るよな この人だって何かを説いた本は書けても
小説・詩は向いてなさそうだよな 本当にリリカルなものが出来るとすれば
ネタみたいなものとは聴く側が勝手に区別するし
お笑い敵視みたいなのって器小さいアピールにしかならないよな 内容と表現力に分ける考え方は芸人がすべらない話について喋ってたことが元ネタだからな どこを切り取るとか何をリリックにするかって言うアンテナの話もそれに近い
松本人志が才能の無い後輩は同じ経験をしてもそいつは面白いことにすら気付かないと
話してた、そこでエピソードトークが出来る数が全く変わってくるんだろうな たけしは話が上手い奴は道案内が上手いと言ってた
あと紳助が話してるときに画が浮かんでるものだと言ってたな
視覚的なリリックはその辺が参考になるだろう 松紳でこういうものだよなって感じで話してたから
松本も当然話すときは画が浮かんでるんだろうな 時事ネタみたいなのを少し前は入れろとかこういうことを言えって声が無くなった
人が減ったのも有るが、曲には実際入ってない そういうことを言わなくてもバトル経験者ならハーコーみたいな
良いのか悪いのかわからない風潮も有る気がする 芸能・政治ネタを話してる他板の方がある種ヒップホップらしさはあるかもな 意見・文ともに変だと寒いものになるから
リリックにするにはスキルが要る 駄洒落って言い方をする文化が有るのが良くないって話が有るよな
いわゆるウィットに富む=気が利いた笑いが日本に少ないんじゃねぇの?
謎掛けは凄いが勝ってるしお笑い文化から変えたほうが良いね まぁ気の利いたことでしか客が笑わなくなったら面倒くさいから
芸人はそんなことはしたくないだろうな
これは韻にも言えてて自分がそれで曲が良くなると思うなら
踏んでいれば良かっただけで人に強制することは無かったと思うんだがな
呂布はあまり韻を踏まないスタイルでバトルやってたし
かせきさいだぁなんかは全然音楽的に聴ける ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています