農民を語る
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 ̄ ̄ ̄ ̄ 歴史好きのサークルなんかだとほとんどの人は武家出身って名乗るので、自分だけ農民と
言うとしゅんってなっちゃうね。
でも、江戸時代の農耕器具を見つけて小学校に寄付した話なんかは刀自慢より食いつきいい
印象。 >>68
早島大祐氏著「足軽の誕生 室町時代の光と影 2012年」は、読むに値しますか? 北東北在住だが、こちらの農民の多くは、戦乱で負けて逃げて農民になった人が多い。
だから、明治維新前に姓を持っていたりする。
俺の家も床下から刀が発掘されたりと、なにやらあった気もするが、まあ気持ちは農民だな。
近所見ても蝦夷系の顔つきの人もいて(顔がやたら濃い)色々混じっている感じ。 >>105
北東北地方で戦乱難民というと、前9年役戦でですか?
逃げて農民になるというと、耕作する田畑はどうやって取得したのですか?
先住民から略奪したのですか?未開の山野を、細々と整地開墾したのですか? >>106
寺社や貴族の荘園が受け皿になったんじゃなかろうか
彼らは膨大な寄進地を抱えて慢性的な人手不足だし よく豪族らが合戦に負け、帰農して庄屋になったってあるけど、元手の金があったからですか? 新しい領主が旧支配層を利用して体制を固めるってのも良くあるな >当然作った商品作物を売る商人でもあった。
付加価値つけたら「職人」。
商人とは流通業のみをいう。 >>108
戦国時代までの豪族はたいてい農民だろ。
最初から半農半武。帰農したっていうのは、兵農分離のときに負けたので
武士として雇ってもらえなくて、農民専業になったってだけだろ。 ×戦国時代までの豪族はたいてい農民だろ。
○戦国時代までの田舎の豪族はたいてい農民だろ。 農民が余った農作物とかを売ってるのは単なる「行商」で商人とは言わない。
職人が作ったものを売ったり、蕎麦屋を開いて、蕎麦を売って金をもらったり、
大工仕事で金をもらっても、商人とは言わないのと同じ。
農民がモノをうっててもそれは「農民」。 江戸時代は全期を通じて寒冷で凶作や飢饉が絶えなかったらしいから
農民にとっては検見法の方が楽 >>106
前九年もある。戦国時代になり、各種の戦闘で負けて逃げ込んだ人もいる。
土地は、蝦夷の生活だと平地はあまり必要なくて、台地に蝦夷は住むから、棲み分けはできると思う。
一族郎党で開拓したと思うよ。
>>107
荘園なんてないなあw
>>108
親族や働き手が多いトコほど開拓できるからな。単純に労働力の違いだろ。 NHK高校講座でやってたが、藁を編むなどの農作業の準備
あとタバコ吸ってたw / \ \
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(Y^ヽ(Y^ヽ| ヽ、ニ三 農民てなんで蔑まれ感満載のネーミングなだよなんだろう
固定観念のせいだよな 百姓って名はどこからきたの?
百の姓だから大勢いるって意味かな 姓を持つものだから単純に源姓農家、藤姓農家ってことだから
百姓と言うと土人みたいなイメージが定着してるが姓を持つ民
由緒ある一般人みたいな >>122
商人もニュアンスによっては侮蔑。何故か武士と職人が褒め言葉として残ると。 / ―― \ /
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ねぇノーミン?土地売って!!って替え歌が昔流行ったね・・ 埼玉千葉は田舎の代名詞だったのに、宅地開発によってノーミンは住処を失ってしまった。
ノーミン谷も今では新興住宅地だ。 まあ、大きな戦いをするのはもっぱら武士だしな。
農民に関しては、民俗学が好きな武士もいて、積極的に民衆に降りて取材をするような人が
いた地区だと江戸時代にも結構記録が残っているんだよな。 要するに百姓は飛躍出来ない。飛躍しようなどと無理難題
を言われるがそれはエナジー(高揚)をおさえるためです
。人類はそうやって生き残った。農民の動作は笑われる
が故に続いていく。 彼ら貴族や商人の固定概念はすり込まれ必ず消えない。 歴史か?
そういやないよな
記録に残ってるのは年貢をとられて反乱を起こしたとかそんなのばっかりだな 「百姓とは天孫なり」とかどこかであった気が。
天孫、つまり天皇家の子孫。稲作技術を大陸から持ち込んで豊かな食生活を源に、
子孫繁栄を続け、一族の数の多さでやがて日本民族の主流となっていった。
農民=農耕技術者集団=百姓=天皇家の子孫 中世の慣用句に「百姓様ほどに成りたし」という言葉があった。
百姓は明らかに上流階級を指す言葉だった。 >>130
その人、菅江真澄だな。
菅江真澄は武士なのに、積極的に農民や貧困層に混じって取材するから、江戸時代の農民の生活が丸わかり。
まあ、基本は地方の歌が分る文化人のトコに寄って、更に旅を続けた人なんだけど、菅江真澄以外の人は
どんなに地方を旅しても、庶民の生活なんて無視して、目的地までまっしぐらだ。
日記を書いても、庶民の生活様式なんてほぼ書かない。アウトオブ眼中。 よく日本の農家は金持ちとかいうけど、じゃあなんで継ぐ奴が出てこないんだ?
補助金とかもあって割のいい仕事なら、普通は就職希望殺到するだろ。
年収があってもその分、農機具とか苗の購入代金や肥料代で出て行く分も多いから
実収入は本当は少ないんじゃないか? キッシンジャーの嫌みの本質なのよ。
日本のバックボーンの農村社会を破壊すればまた土人に戻ると 江戸時代の日本人の80%が百姓だった
百姓っていうと農業だけのイメージだけど実際は林業や漁業に携わる人まで含んでた幅広い概念
大名ほどの人間は百姓まで落ちることはないが一般の武士が百姓になる例は腐るほどあった
つまり百姓も有史以来代々ずっと百姓だったわけではなく時代を遡れば武士だったなんて多々あること 実態は富山の薬売りみたいに、農業以外にも手広くやってたとl。 >>139
現代のことなら
搾取層である農協があるから
新しい集団はどんどんできてるよ >>139
日本の農業を破壊させた米国の陰謀のため 日本人のほとんどが百姓の子孫なんだから、
もっとご先祖様の生活を知ったほうがいい ネットで見かけた話だと、40過ぎの専業農家のおっさんが「年収一千万」をアピールポイントに
若い美人をゲットしたが、その女は農業を手伝わねーわ贅沢しまくるわでわずか数年で
おっさんの貯金をすべて使い切って離婚したそうな。
いわば会社の年商一千万円ってのを手取り一千万円であるかのごとく言ったわけだから
おっさんの自業自得ではあるけどな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています