日本史における武士道の発展と役割について
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戦前の兵卒
戦後の社蓄
21世紀のネトウヨ
武士道で洗脳された平民という点では同じなのに、
なんで一番下は国家に何の貢献もない穀潰しになってしまったのだろう。 おお
こんなに書き込んでくれてありがとう
>>5
彼らに武士道はあるのかな? >>7
しかしそれは江戸時代にかかれた本にあること
それ以前の武士達はどう捕らえていたのだろうね 武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかり也。
別に子細なし。胸すわつて進む也。
図にあたらぬは犬死などなどと云う事は、上方風の打上りたる武士道なるべし。
(『葉隠』) >>11
って戦国時代かそれ以前の武士は言っていたけど、
確か葉隠れでは卑怯な価値方は負けるよりたちが悪いといっているんだよね
謎だわな
>>12
そういうのもあるの?
初めて聞いたよ >>14
そういうことありそーだね
>>15
七度変えては藤堂高虎だよね 戦国の世が終わって
戦が無くなっちまって、戦争に憧れてる中二病患者と徳川幕府の支配を確立するための儒教がまじりあったのが武士道
戦争を知らない平和な時代の奴がかっこつけてるだけ >>17
つまり戦国以前の武士には武士道はなかったと?
でも確かに武士道という言葉は、戦国末期で使われたし、
武士道という概念は江戸時代や幕末に定義されたね きょうテレビ付けたらたまたまNHKの「さかのぼり、日本史?」
とかいうのをやっていた。東大の先生が石沢とかいうアナの質問に答える
という形式で進行するんだが、鎌倉時代初期は武士が血を血で洗う争いが最も
激し時代だったらしく、農民は武士からさんざん痛めつけられ、収奪も日常茶飯で、
だれかれとなく武士が気にいらないと殺していたそうな。まるで今の
北朝鮮そっくりなんだけど、朝鮮人と違うのはそんななかで北条時頼が出てきて
武士に対してものすごいきびしい規則を定め、農民を守る撫農民というのを
やったおかげで、それからの時代がうまくまわり始めたというように言ってた それでも温室に閉じこもっていた貴族よりは武士の方がましだったと本郷先生は言ってました >>19
お前さん詳しいな体験者か?俺は今の北朝鮮なんか知らんわ 武士道という言葉自体は伊達政宗からって聞いたけどな。
ただその意味は時代や人によって違う。
まあある程度の傾向はあるけど。 あけましておめでとうございます
>>22
テレビでいっていたね 武士道が結晶化した人物が山岡鉄舟で平和な時代の所産であれこういう人物が
実在した事が日本にとっては宝 何百万といた武士の中でその一人なら只の武士の中の変わり者、武士道とは関係が無いw 切り取り強盗は武士の習いと言うからな、夜中に徒党を組んで押し込むなんざ武士の鑑だ 武士というか、もののふのありかたについては
すでに源平合戦の頃に坂東武者が言っている。
主への忠誠とみっともない死に方を嫌う価値観。 忠誠、勇気、廉恥、克己、高潔、無私、これが武士道。かつて日本にはこのような徳目を一身に具現した社会集団が
存在したのだ。武士道を忘れてから日本はおかしくなった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています