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日本史における武士道の発展と役割について
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0001日本@名無史さん
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2011/12/20(火) 18:55:22.86
考えよう
00311
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2012/01/16(月) 05:29:24.31
>>29
おおソース教えてください

>>30
それは明治時代に作られた偽武士道では
0032日本@名無史さん
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2012/01/16(月) 12:27:57.31
スキンヘッド先生の新書読んでみたら?その後原史料にあたればいいのでは。
0033日本@名無史さん
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2012/01/16(月) 14:25:56.02
語源の「さぶらう」からしたら、貴人・天皇家や公家のボディガードが始まりなんかな?
0034日本@名無史さん
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2012/01/16(月) 16:25:49.33
武士とは利欲を追わず、嘘をつかず、卑怯未練の振る舞いをせず、恥を知り、義のために
平然と命を投げ出す人。
00351
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2012/01/16(月) 17:50:00.99
>>33
俺もそう思う
けど自分の領土を守るために武装した農民が始まりとも言うよね

>>34
でも戦国時代は裏切りめっちゃあったよね
武士は主君を七度変えないと武士じゃないとか言い切った大名もいたし
0036日本@名無史さん
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2012/01/16(月) 18:37:51.49
武士道といっても江戸時代のは徳川に忠義マンセーの
儒学劣化コピーの朝鮮武士道だからな
0037日本@名無史さん
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2012/01/17(火) 17:13:38.24
日本の再建は武士道復興から!だれけきった今の若者を武士道教育で締め上げろ!!
0038日本@名無史さん
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2012/01/17(火) 19:32:37.78
そういうあなたはだらけていないんだよね
0039日本@名無史さん
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2012/01/17(火) 20:49:36.81
>>37
いるいる、こういうおっさん。
年齢相応のキャリアを築けずに同世代に対して抱いたコンプレックスを、
若い世代に八つ当たりして憂さ晴らしするためのダシとして武士道を口実してんの。

戦前戦時中の突撃兵育成、戦後昭和の社畜育成にフル活用された武士道も、
今じゃもうこんな使い道しかなくなってるってことなんだろうな。
0040日本@名無史さん
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2012/01/17(火) 22:06:20.01
プロテスタンティズムと武士道の禁欲精神は通じるものがあるから日本にも資本主義が定着すると
新渡戸稲造が言った後にマックス ウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神が発表された。
0041日本@名無史さん
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2012/01/18(水) 04:36:29.13
武士は封建領主ですね。
今でいう自民党や民主党とその家臣です。
関白太政大臣、徳川将軍=今の内閣総理大臣。
大名=藩主=上院議員、下院議員=衆議院や参議院、県知事
ここからが、下っぱの武士です臣下=県議会議員
市長、市議会議員
村長、村議会議員
自衛隊、二士、一士
警察官、巡査

会社で例えるなら、平社員が下っぱの武士で、管理職が中級の武士だな。
0042日本@名無史さん
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2012/01/18(水) 04:48:59.22
会社企業でも、今もそうだが、派遣社員、契約社員、下っぱの正社員などの平社員は、特に管理職に頭を下げるしかない。
封建時代はさらに厳しかった。代官などの武士が、 水戸光圀公に会えば、頭を下げてひざまずく。
今は霞ヶ関の官僚が、内閣官房長官に会っても頭を下げてひざまずく事はない。
そういう意味では、昔は合理的がさほどなかく、儀式のようなものにしばられていた。
0043日本@名無史さん
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2012/01/18(水) 04:50:34.68
さほどなかく→さほどなく
0044日本@名無史さん
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2012/01/18(水) 05:10:30.21
昔は合理性がさほどなく。


昔の武士の給与が少なかった場合、武士は江戸の町で内職をしていた。
今でいう10万円の給与で、支出が16万円なれば、内職をして副収入を得るしかない。
多くの町人が武士に憧れていたが、武士は武士の世界で厳しかった。
また、武士の世界では暗殺や敵討ちなども行われでおり、
武士は、武道を磨き、暗殺や敵討ちに備えなければならないので、睡眠をする時も多少は気を張っていた。
町人もそうだが、武士と武士で斬り合いが起きれば、官僚たる代官の武士が、馬に乗りとめにかかる事もあり、江戸時代は江戸時代なりに物騒な世の中であったらしい。
0045日本@名無史さん
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2012/01/18(水) 09:17:50.88
>昔の武士の給与が少なかった場合、武士は江戸の町で内職をしていた。
今でいう10万円の給与で、支出が16万円なれば、内職をして副収入を得るしかない。
多くの町人が武士に憧れていたが、武士は武士の世界で厳しかった。
また、武士の世界では暗殺や敵討ちなども行われており、
武士は、武道を磨き、暗殺や敵討ちに備えなければならないので、睡眠をする時も多少は気を張っていた。


特に大商家や豪農に雇用されていた浪人=用心棒は、敵方の商家や豪農の人々を暗殺したりしていました。
豪農は農民の私兵のような人々を雇っていたと思うのですが、彼ら豪農などの土地の支配者が地域地域で、別な豪農と紛争を起こしていた可能性も高い。
農家は農民で小規模の紛争のようなあり、武家に仕官できなかった浪人も、豪農に雇われて、農家の紛争に参加していたと思います。
ただ、だいたいは代官様に取り押さえられるのですが。
武家も足軽という昔からある役所に徴兵、雇用された兵隊がいますが、彼らは上にたてつけば命とりになるので、余計な事はできません。
総じて武家も商家も農家、職人も大変な時代でもあり、
その時代を支配していたのが武家という事になる。






0047日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/18(水) 09:30:14.96
>農家は農民で小規模の紛争のようなものがあり、武家に仕官できなかった浪人も、豪農に雇われて、農家の紛争に参加していたと思います。


この豪農が二本差しを許されて武家になる。
すると、その二本差しの豪農の士気があがり、田舎の封建領主のようになる。
つまり郷士といった武士になる事ができるのです。
ただ、これら郷士やその私兵も、徳川幕府の藩の領土内の人々であり、藩の代官には逆らえなかった。
このように武士にも、郷士や浪人といった人々がおり、
金持ちの農家や商人は武士=郷士という身分を手に入れたいという欲を持つのが、江戸時代の特徴かもしれない。
0048日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/18(水) 12:09:14.93
明治の日本軍が強かったのは元武士が司令官、将校だったからだよ。百姓や鍛冶屋や朝鮮人が
将校になった昭和の日本軍は弱かった。
0049日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/18(水) 14:46:33.58
「鎌倉武士のなんともいえぬ潔き気風の真髄となっているものもやはり平安時代の「あわれ知ること」である。
平安士女の生活と鎌倉武士の生活が相異なるから、その現れた事相はもちろん違う。
彼にあっては花鳥風月恋愛等に顕れたものが、これにあっては、軍陣の関係、忠孝の事蹟などに顕れたが、
その外相をおいて、その真生命について見るときには、同じ情韻が溢れているのである。
自分の詠歌を勅撰集に加えたいばかりで、死を決して落ち行く旅の路から戻ってきて、夜、和歌の師の門を叩いた平忠度もある。
足柄山の月の夜に笙の秘伝を伝えた新羅三郎もある。
落花に対して風を恨んだ源義家もある。
梅の花を箙に插して敵陣に突進した梶原景季もある。
熊谷直実が平敦盛を逃がそうとしたなども、みな鮮明に鎌倉武士の風尚を示すものである。
これらはむしろあまり鮮明すぎて、鎌倉武士の風尚を浅くするかと思わるる事例に過ぎぬ。
実に鎌倉武士は武健であった。(1/2)
0050日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/18(水) 14:48:08.13
忠君の情が厚かった。
そしてその武勇や忠義に一種の気韻を与えて、花よりも美しからしめるものは、
この「あわれ知る」という気風であったのである。
武士道は決して文字の上の解釈で知られるものでもなく、理屈や教条で組立てられるものでもない。
理屈や条規は、ただその形体である。その真体、精神はただ身証体得するほかには、これを捉える術はないのである。
鎌倉武士のあいだに禅学の流行したのも、その原因はこの辺にあるのである。
このことについては、武士はいつ死ぬか分からぬから宗教によったのだろうとか、
在来の仏教が腐敗したから禅宗が流行ったとか、いろいろの解釈をする人があるけれども、
我は禅の直覚的悟道と武士道の真髄なる物のあわれ、物の心を知るということと同じ趣があると思う。」(堀維孝)『国民道徳に関する講和』稿本。大正二年(2/2)
0051日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/18(水) 15:06:07.06
明治の近代化以降、江戸時代の豪商は武士との競争に敗れて消えて行った。

商人達は、伝統主義に傾向するあまり改革をタブー視していたが
武士は西洋から複式簿記を取り入れ革新的に伝統主義を破壊していった。
0052日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/18(水) 18:38:37.41
皆さんありがとう
よく読んでみるよ
0053日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/18(水) 21:17:57.83
>>48
違う違う。
明治の司令官・将校は薩長出身で、昭和の司令官・将校は東北人だからだよ。
0055日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/24(火) 15:19:43.82
東北の司令官と言えば石原完爾。石原完爾は庄内藩士の息子であり、学才があり天才的だった。
0056日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/24(火) 15:30:23.06
武士道とは、やはり支配者側を強固にするための道。

禁欲と、主君に対する義により、武士は己を正し、生活を整え。武士の武術稽古により、肉体や精神を鍛える。
武士は、町人を支配したが、やはり武士は責任が重く、殿様に牙をむくならば切腹になった。

現代に例えばサラリーマンが贅沢をせず、貯蓄をし、紳士的な生活をし、生活を整え、剣道や柔道の稽古をしたり、呼吸法をし、心身を鍛える。
ただし、サラリーマンが殿様たる社長に牙を向けば、切腹=クビになるぞ!という事。
昔は着物だが、今のサラリーマンはスーツにネクタイ締め。
だが大企業の社員さんも、武士道の考えはある。
0057日本@名無史さん
垢版 |
2012/01/24(火) 15:33:36.03
サザエさんにでてくる、波平さんなどは、サラリーマン武士道を継承していますね。
ただし、今の会社員=サラリーマンは一般人ですので、
支配者ではありません。
支配者と言えば、今も昔も公務員のサラリーマンでしょう。
00581 ◆SUHWfIzc52
垢版 |
2012/02/04(土) 12:52:18.36
>>53
東北の軍人は強かったよ
というか名将が多かった気がする

>>54
そういう人もいるだろうね

>>55
なるほど
あなたが一番初めに書いたことを武士道の概念とすれば、
確かにそうなるね

>>57
サラリーマン武士道w
00591 ◆SUHWfIzc52
垢版 |
2012/02/04(土) 12:53:30.87
でも薩長にも名将は多かったというか、
明治の指揮官は幕末を行きぬいた猛者が多かったから、
薩長側のが強かったかもね
0060日本@名無史さん
垢版 |
2012/02/05(日) 08:16:05.17
田舎をクソイナカにして、なお劣化させる「先祖が武士」という奴ら
ttp://ameblo.jp/inaka-wo-abaku/entry-10772592103.html
あいつらの誇り「先祖が武士」なら武士を貶めてやる!
ttp://ameblo.jp/inaka-wo-abaku/entry-10742702267.html
0061日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/28(土) 03:58:02.12
まあ明治の日本軍がタイムスリップして昭和の日本軍が戦ったら昭和の日本軍が勝つけどな。
公平を期すために昭和の時代の同じ武器使っても。
0062日本@名無史さん
垢版 |
2012/05/21(月) 23:08:25.94
なんで?
0064山武士
垢版 |
2012/08/26(日) 21:35:15.91
武士道精神は現代に於いて復活されるべきである。この空虚な現代と虚構に満ちた世を、自ら進む道を決断する生き方の指針としたい。精神は儒教による中庸をなし、世の中の判断は大義と仁道を基軸とする。
0065日本@名無史さん
垢版 |
2012/08/29(水) 13:22:57.29
武士道なんて江戸時代に朱子学の影響で創造されたもんなのに
何故か戦国時代の武将をそれに基づいて美化しちゃったりとか
0066日本@名無史さん
垢版 |
2012/09/09(日) 11:18:12.86
武士道復活するには、殺し合いを前提としないと。拳銃解禁からだな。刀狩り反対!
0067日本@名無史さん
垢版 |
2012/09/09(日) 19:57:48.94
日本は武士道を忘れて商人国家になったからシナ、チョーセンに馬鹿に
されるのだ。武士道復活でアジアに覇を唱える国になろう!!
0068日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/30(火) 12:18:44.48

武家政治を作ったのは、北条政子!

日本を造ってのは、天照大神!

皆さん女だよ!!
( ̄∀ ̄)
0069日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/30(火) 13:30:58.98
日本は昔から商人国家だっての
0071日本@名無史さん
垢版 |
2012/11/03(土) 08:29:23.60
>>67
武士道国家を地で行ってるような北朝鮮なんて、全世界から馬鹿にされていますが。
0074日本@名無史さん
垢版 |
2013/01/15(火) 17:54:36.55
アプローチ理論が逆

武士団が天皇大和勢力を滅ぼして、国家統一して日本を建て、社会殖産した。

が正しい歴史で、武士がコアであり、武士団が日本を建国した。

武士とは国家開闢の基礎


なの。影響じゃなくコア。
0075日本@名無史さん
垢版 |
2013/01/22(火) 21:33:40.26
昔の人の写真を見ると顔つきが違うね。
引き締まったというか、常に生死が付き纏う生活に身を置いてるからか、殺気を感じる。


幕末の武士然り、零戦パイロット然り、男ならああ成りたいもんですな。
0076日本@名無史さん
垢版 |
2013/12/16(月) 15:19:53.53
江戸時代の武士はただの官僚or公務員。
0078日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/07(水) 19:35:22.66
姉妹スレ
会津武士道
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1292939835/
武士道と云ふは死ぬことと見付けたり
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1340106807/
武士道とはなんだ?
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/cafe40/1322298759/
教祖が適当に毒女に武士道を語るスレ32
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/sfe/1311966373/
【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1287828757/
【北乃きい】 武士道シックスティーン 【成海璃子】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1244118563/
>>77
【書籍】 「サムライ精神」の実体と偽りの歴史に関する報告書「サムライ精神は偽りだ」 [12/21] スレが落ちたよ。
0080日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/01(日) 10:08:29.03
>>74
中世は武士の天下ではなく経済を牛耳る寺社勢力だよ。知識財力ともに
武家勢力とは比較にならない。武士が頼朝以来支配者になったなんていうのは
戦国終了後大名にのし上がった連中が自分たちの支配を正当化するための
方便に過ぎない。
0081日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 13:56:03.62
寺社は元寇のときにも応仁の乱のときもクソの役にも立たなかったからな。

いざ応仁の乱のような戦乱になれば知識と財力ではどうにもならないことも多い。
比叡山は信長を悩ましたが、逆に言えば悩ましただけ。
0082日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 15:40:23.21
まあ、武士の起こりを見たらヤクザと同じだよ。
ただ、ヤクザだって任侠道があるように、
武士だって、ある程度の身分になって社会的地位が向上して、
統治する段階になると、
いつまでもヤクザみたいなことを言っておれなくなるから
仏教なり、中国の古典なり儒教なりから
道徳みたいなものを輸入して、身を整えてきたのだろうて
戦後の日本でも、警察が無力になってヤクザが治安代行をしていた時が
あっただろう?山口組の三代目が一日警察署長をやっていて
あのまま、政府がしっかりしていなかったら、おそらくヤクザの
任侠道が道徳律として定まって、今頃は武士道と任侠道が
ミックスされた体制になっていたと思うぜ。
0083日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 15:53:47.34
ヤクザの起源を追ってもいいんだよ
そんな古い時代じゃあない
0084日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 16:56:00.17
アウトローであるはずの893が経済活動で大幅に幅を利かせるようになるのは戦後

もともと警察が朝鮮人の悪事に手を撃てないのを893を使って鎮圧したのがはじまり。
893も時代が変わると朝鮮人が牛耳ったりとかで今この有様。
0085日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 17:31:41.48
戦後、公職追放された軍部の一部人脈が地下経済に加わった経緯もあるだろ

そいつらも893化したんじゃね? だから地下経済が肥大化したんだと思
0086日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 17:33:55.47
>>81
今後も多大な妨げになる、軍事的にも危険な存在だと思ったから攻撃したんじゃん
単に悩ます程度の、取るに足りない存在なら焼かれなかっただろ
0087日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 19:30:53.10
>>83
今のヤクザの起源は比較的はっきりしているだろう?
旗本奴の時代だろう?
武士が統治者として自覚をしだした時期にあたる。
それ以前の戦国乱世は武士と、農民とヤクザと商人の境目が
あいまいだったからな
0088日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 22:16:53.73
そもそもが身分や職業で分けようとするから間違う。
武士という職業は基本はない。
もし武士という職業が明文化された形で確立していたならそれは室町将軍家や守護家レベルの家系が専属武士というたち位置立ったんだろう。
ただ彼らには武士という概念などないから貴族化した生活をしていた。悪魔で統治者としての自覚は会っても、
自らを武士という職業概念など持ち合わせてなどいない。

そもそも武士とはなに?
富裕農家が地域の名望的意味合いで必然的武装化し始めた概念的武士と、
応仁以降地域基盤が完全崩壊して世の中で、偶発的に武装化し始めた戦国武士層(雑多出自)は、
中世では同じ武士に分類されるが、質や意味合いはまるで違う。

武装富裕農家は武士としての成分は質は高いが、時代の寵児にはならなかった
かた時代かたや世の乱れにより出現した偶発的武装化によった戦国武士層は現代のマフィアに近いだろうが
結果として時代の寵児になった

時代がそれを許してしまった。
が、それらとて大義名分もつ公になればある程度の規律をもつようになる
自覚が芽生えるからだ。
0089日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 22:26:39.89
そしてそんな輩こそ武士という不確定的な抽象的、概念的意味合いしかもたない武士というたち位置にこだわる。

なぜなら自らを立証できるたち位置が存在しないからだ。
例えば富裕武装農家は武士的たち位置が失われようとも、存在としての価値は失われない。
何故ならば武装化していること事態に意味合いは存在しなく、
悪魔で手段としての武装武士化、ようは地域貢献の目的のための武士化であるからだ。

かたや戦国以降の武士は武装化していることが存在意義であり、
武士的立場か失われたら、個としての存在価値が皆無になる。何故ならば雑多出自だからだ。
武士というたち位置にこだわらなければ、個として存在しない。
こういった階層こそが武士という概念的区部にこだわり、
また固執してこだわった。
0090日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/02(月) 22:34:14.17
武士とは単なる武器をもつもの程度の意味合いしかない。
例えばお前らが甲冑でフル武装してタイムスリップしたれもう立派な現代的意味合いでの武士だろ。
モチロン当時もそう認識しているはず。
ただなぜフル武装しているのかでたち位置も意味合いも違ってくる。

わかるよな?
フル武装は強奪のためなのか、かたや地域のためなのか。
しかし戦国時代はこんな真逆のたち位置でも同じ武士に分類されてしまった。

何が言いたいのか?

それは武士とたち位置に意味など存在しない。
武装してりゃ戦国以降は誰でも武士
武士であることに価値など一ミクロンも存在しない。

ここを現代人は勘違いしてんのよ
0091日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 13:25:33.78
しかしただの武装した農民と、神社で毎年流鏑馬や野馬追いするような武家の子孫の武士は意識も生活習慣もだいぶ違うよな。

農民や商人がただ見よう見まねで武装しても、騎射のやり方はわからない。
手柄を立てた足軽を馬に乗せたらすぐ乗馬ができるというものでもない。
もちろん誰かに習えばできるようになるが、その場合の武士道は従来のものから学んだもので、ただの武装した農民の意識とは違う。
0092日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 13:32:54.88
今のサラリーマンに甲冑着せても乗馬はできない。
また馬が借り物ではニワカに過ぎない。

足軽鉄砲隊が大勢いれば武田騎馬軍団にも勝てるかもしれないが、それはあくまで苦肉の策。
0093日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 13:35:30.70
江戸時代の軍役でもあくまで主力は乗馬した武士。
徒士や足軽はあくまで補助に過ぎない。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 19:41:39.87
裕福なごうのうがなぜ馬ごときがいないと思うのか?
ごうのうは馬はのってるはずがないという固定観念はまさに農民は弱いのが前提というはなしでじょ

普通に豪農屋敷には馬小屋あるんたがな?
戦闘で鍛練されてないというが、なら守護大名たる貴族は今の鍛練などしてない

豪農は馬を持ち、また馬に乗ることも可能
ただ、所詮は騎馬戦闘なんて幻想
騎馬武者も戦闘時は下馬して戦う

憶測や農家への弱者目線がそうさせるのだろう
そもそも軍事鍛練だけを生業にした武士なんて鎌倉以降は楠みたいな一部の武士か、
戦国以降は足軽盗賊か傭兵だろ
0095日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 19:50:33.59
>>91
大前提忘れてるが、
そもそも名門足かが幕府が紀伊討伐で伊賀や甲賀にぼろ負けしたのはなぜだ?
その伊賀や甲賀、戦国の雑賀は貧農だらけだぞ

秀吉軍団は精強な生粋の武家出自軍団なんて聞いたこともないが強い
型にはまった流鏑馬程度や剣術程度が戦で通用するなら、室町武家衆はこんなにごとごとく滅ぼされてないはず
0096日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 19:53:58.20
織田軍団の強さは兵農分離だろ
0097日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 20:09:38.68
まあ、お武家さんが、自分たちのイデオロギーに
禅と儒教を取り入れたことはかなり注目されても
良いとは思うのだが、
0098日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 20:10:19.33
織田クラスの雑多集団の専属武士化だから強い
なんせ雑多は武士以外食えるみちないからな
しかも一攫千金ありだし
逃げ道がない雑多はそら強いでしょ
0099日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/03(火) 20:36:28.83
講武実用流 江戸幕臣(東京都)
中西派一刀流 江戸の浪人(東京都)
天真一刀流 江戸高崎藩士(東京都)
天真白井流 江戸岡山藩士(東京都)
一刀流高柳派 江戸幕臣(東京都)
北辰一刀流 陸奥の富農(宮城県)
浅利派一刀流 下総松戸の町人(東京都)
直心影流男谷派 江戸幕臣(東京都)
直心影流長沼派 江戸沼田藩士(東京都)
直心影流島田派 豊後中津藩士(大分県)
神道無念流・戸賀崎流 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
神道無念流・岡田派 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
神道無念流・斎藤派 越中仏生寺の百姓(富山県)
鈴木派無念流 江戸尾張藩士(東京都)
扶桑念流 武蔵熊谷の町人(埼玉県)
不二心流 肥前島原藩士(長崎県)
鏡心明智流 駿河沼津藩士(静岡県)
心形刀流 江戸幕臣(東京都)
馬庭念流 上野馬庭の富農(群馬県)
本間念流 上野赤堀の富農(群馬県)
神道一心流 上野利根郡の富農(群馬県)
柳剛流 武蔵葛飾郡の富農(埼玉県)
天然理心流 武蔵多摩郡の富農(東京都)
甲源一刀流 武蔵秩父郡の富農(埼玉県)
甲源一刀流・比留間派 武蔵梅原の富農(埼玉県)
法神流 上野勢多郡の富農(群馬県)
気楽流 上野緑野郡の富農(群馬県)
立身流 下総佐倉藩士(千葉県)
香取神刀流 常陸笠間藩士(茨城県)
大石神影流 筑後柳川藩士(福岡県)
加藤田神蔭流 筑後久留米藩士(福岡県)
薬丸示現流 薩摩藩士(鹿児島県)
0100日本@名無史さん
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2014/06/03(火) 22:48:39.50
>>94
斬り合いは下馬してからが多いんだろうが、騎馬武者の本来の戦いは騎射戦闘だろ
弓折れ矢尽きてのち、斬り合うんじゃん。(もしくは敵を追い詰めてから)

>>96
むしろ、尾張兵の弱兵ぶりの原因じゃないの?
尾張の弱兵って有名だったらしいしな(ホントカヨ
0101日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/04(水) 00:34:51.44
矢がつきるとかなに時代の話よ?元寇時代の武士の話なら確かに当時は武士はいたが、
奴等は豪農でもあり、ざいち領主でもあり、商人でもあり、武士でもあり、
奴等こそマルチプレーヤーなんだけどな
0102日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/04(水) 08:59:12.19
>>101
日本全国を統一的に網羅する公平で均等な警察も、法律も
裁判所もない状態だからな、
完全自立救済主義、自分の権利は自分で守るしかないわけで、
それこそ自分で警察から裁判所まで網羅しないといけないから
0103日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/04(水) 12:34:52.43
>>102
だよね?
で彼らは武士という概念的部分にそんなこだわりあったとかんがえてますか?
領主としての意識はあるが、武士専属となんておもってないですよ
防人など一般警備専門は下層がやるものだし
0104日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 09:30:28.08
室町武家衆は晩年の今川義元みたいに眉毛抜いておしろい塗って蹴鞠するような公家化した武士だろ。

駿河の今川や大内、朝倉でも一瞬で公家化する。

織田軍団は確かに秀吉みたいなリアル農民足軽上がりも大勢いるが、幹部は斯波氏に仕えた武士、城主が中心だ。
徳川・松平もそうだ。
0105日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 12:42:03.39
何故名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」 

尾張の歴史

◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。

藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼

◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。

◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国幡豆郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国幡豆郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。

◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。

◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。
0106日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 13:25:17.55
戦国時代の最終勝利者は秀吉ではなく、家康だが、
足軽農民武将の限界を証明したのが小牧長久手の戦い。

秀吉得意の水攻め、水軍攻撃も通用せず、
武田相手に鍛えられた騎馬、使い武者、馬廻りを駆使した複雑な機動戦の前に秀吉も屈した。
0107日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 14:13:23.60
長柄とか鉄砲は、乗馬に比べると習得しやすい。普段から馬飼う必要ない。
だから無理して平時から準備しなくていいともいえる。

しかし馬飼って、乗馬習って、早馬したり、馬廻りするのはすぐにはできない。
今でも金や時間がかかる。
0108日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 14:24:13.65
洋の東西を問わず、それこそローマ帝国や中国古代王朝の昔から、
騎馬は特権階級の証だからな。
モンゴルみたいな特殊環境は別だけど、穀倉地帯で馬を飼うのは
人口の一部しか無理だから、必然的にそうなる。
0109日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 16:35:36.34
>>106
信雄を助けようと出向く家康を尾張以東で押しとどめつつ、
本命の信雄を全力で叩きに行って勢力削りまくって、
信雄が耐えきれなくなって講和(という形式の屈服)するように仕向けた戦いだから、
戦術面では家康が勝ったとはいえ、戦略面では家康のほうが惨敗じゃん

そんなんで家康が秀吉に勝ったとか、寝言みたいなもん
0110日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 19:06:23.27
おめーらよ
貧農あがりの雑賀、根来にその徳川豊臣を包括する織田軍団は何回駆逐されてんだたこ
石山本願寺に信長はいっさいかててねえだろたこ

しかも斯波に使えた武士て普通に在地地侍が大半墮ぼけが

地侍とは富裕武装農家だぞたこ
しかも島原の欄では幕府軍団ソウダイショウ板倉は討ち死にされてんちゃうんけ

挙げ句は幕府の旗本は幕末、長州の奇平隊に一日でボコラレてんちゃーんけ?
0111日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 19:08:41.15
しかも武田の騎馬隊とか今時ファンタジーこいてるていのうはなんなの?
0112日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 19:19:09.01
107
その馬上技術なんぞ費用対効果が壊滅的だから幕末なんぞ騎兵隊なんていねんだばか
戦国時代でも農業国なのにどこに騎馬戦できる場所があんだよたこ

俺が戦国時代にいても、騎馬隊なんて真っ先に解体するわ
日本は軽装歩兵が最大限の効力はっきする
0113日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 19:30:21.14
はよせいや
ワーテルローの闘いや南北戦争ばりの騎兵合戦あんならでしてくれや

いっさい日本ではない
0114日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 19:37:31.30
因みにワーテルローでは最強誇ったフランス胸甲軽装騎兵隊がイギリス連合の軽装歩兵連隊に
壊滅させられてんだが?
0115日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 19:48:44.72
訂正 イギリスプロイセン連合の軽装砲兵連隊

ちなみにイギリス 竜騎兵隊というファイナルファンタジーの世界みたいな兵団いた
騎馬隊とかほざいてんならいぎ)フランスばりの騎兵隊が存在してからほざけやぼけが
0116日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 21:32:30.35
汚い言葉使ってごめりんこ てへぺろ(*´ω`*)
0117日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/05(木) 23:58:18.60
東武士は大方強敵どもなり
上方の弓矢すえになりたる国ども
上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て
上方武士は、歩の頸を一つ取りは、侍の頸を十も取りたるやうに、針ほどの事を棒程に過言を申と、山本勘助が話を聞き候如くあるべきなり。
信州(武士)弓矢功者の事は、侍の事は申に及ばず、百姓まで勝負のすべをよく存じたる
信州弓箭つよき事、大形ならざるに付、忰者・中間まで武勇をたしなみ、にげおつる者さのみ無之して
関東の儀、昔より弓箭国と申は、まず武蔵は武の蔵とやらん承及候。(中略)よき武士あまた候て、(中略)弓矢巧者、手柄武士達際限なく御座候事、老若共に沢山なる儀は、積もられぬ程にて候
三河は武篇の国なる故、五千あらば上方の二万にかけあひ申べく候。(中略)三方ヶ原御合戦に、討死の三河武者下々迄、勝負を仕らざるは一人もなく候。
たけき武篇の家、和朝に上杉謙信・徳川家康なり。
(『甲陽軍鑑』)

今度上様(織田信長)東国御出馬付、当国(大和国)衆自昨日上洛
(中略)
甲斐、越後之弓矢天下一之軍士之由風聞、一大事之陣立也
(『蓮成院記録』)
0118日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 08:11:13.00
>>117
畿内人は文化と経済を担い、東国人は人殺し技術を磨いていたわけだな。
0119日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 09:35:12.97
小牧長久手は、複雑な機動野戦で家康に完敗した秀吉が交渉で家康を妥協させたに過ぎない。

関が原の戦いも石田三成のような商人番頭武将の限界を証明した野戦といえる。
石田三成は手紙書きまくって武将を煽ることはできるが、自分で野戦の指揮をすることはできない。

家康のように酒井・本多・榊原・井伊のような「リアル武士」がいるのは絶対的な強みだ。
0120日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 09:39:01.64
そもそも朝鮮出兵から商人武将の限界が見えていた。

三成のようなただの商人武将では福島正則や加藤清正のような武将を統制できない。
0121日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 13:21:10.35
仮に石田三成が関が原で家康に勝利していたら、
近江商人や、堺商人、博多商人が日本の社会道徳の中心になっていただろう。

商人でも金次第で大名にまでなれる商工農士の身分制度になっていたかもしれない。
0122日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 13:26:57.10
江戸幕府の当初には、京都の角倉や堺の今井などが代官として旗本になってるけどね。
0123日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 14:05:21.04
大名の子弟は幼いころから読み書き算盤を学び、井原西鶴を読んで道徳を学ぶ。

藩で一番偉いのは勘定奉行。仇討ちは軽蔑される。
城の中には住吉神社があって、歴代藩主の夢は金を貯めて銀二貫を奉納すること。
0124日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 15:11:23.97
>>123
なんでそんな中途半端にネタを織り込んでいるんだ
0125日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 17:58:49.46
>>119
家康中心史観って江戸時代限定の特殊視点だろ

もともと織田家の継承問題がこじれての内訌であって家康は門外漢だったのが、
当事者たる信雄からの支援要請があったから家康が関与することになった

信雄を支援できなかったことで戦略目標を達成できなかった家康は、戦場では勝ったが戦略では負けてるぞ


戦術的勝利では戦略上の劣勢を覆せないって形かな?


>>121
それはない
三成とかは官僚的武将であって商人的武将じゃ無いぞ
0126日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 19:34:29.20
秀吉が信雄との交渉で切り崩しを図ったのは、別に最初からそれを意図していたわけではない。

最初は簡単に勝てると思っていたが野戦ではどうやっても勝てなかった。
つまり秀吉の最初の戦略目標は、家康を完全に潰すことだった。しかし秀吉は家康を潰せなかった。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/06(金) 21:16:27.40
あの時点で秀吉にとっての最優先課題は信雄を屈服させることで、

あわよくば、家康を倒せたらそれに越したことはない、って程度。


後に家康が強くなったという史実を知ってる人間が見たら家康を倒すべきだったと言えるけど、
あの段階では、秀吉が家康を倒すべきだったと考えるのは不可能だ。

家康を潰すことこそホントの目標だったとか言っちゃうのは、結果論敵視点にすぎん。
0128日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 00:07:43.84
120
なにいってんだこの馬鹿
福島や加藤は桶屋と貧農だが?
0129日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/07(土) 01:08:13.56
江戸時代の斬捨御免だけはダメ
腕試しに農民を辻斬りとか普通にやってたみたいだし
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