三角縁神獣鏡は誰が作った?4
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http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1019561007/
≪から3を作りました≫
三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?
魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
C尚方でない
日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など
皆さんはどうお考えですか? 中国と同等の工業技術を持つ日本近隣国家と言えば大韓しか無いやろ 中国で倭専用として製作
百枚が実数かどうか分からないし一回のみとは限らない この問題が紛糾するのは邪馬台国所在説のせい
中国製となれば九州説は吹っ飛ぶ 古墳に収められた鏡には、最初から割れていたものが含まれている。
銅鐸と同じように、葬式の時に鳴らす楽器として使われたものもあるから、
その区別を付けるのがまず先だろう。
鏡の縁が一定の形をしていると、いい音で鳴るんだよな。 三角縁神獣鏡
【定義】
前期古墳から多く発掘され、既に数百面を数える。
縁の断面が△形を呈する。漢末〜三国期の中国では紹興(浙江省)近辺を除き見られないデザイン。
鏡背の内区に神獣が鋳出(半肉彫)され、外区には鋸歯紋などを配置、面径は概ね20センチ以上で、非実用的な大型鏡。
【特徴】
魏の年号を銘文中に含むものもあるが、内区(神獣像部分)のデザインには、長江付近をで流行した平縁鏡、画文帯鏡のものを踏襲している。
ただし、平縁、斜縁等の神獣鏡自体は、魏の本拠である華北や楽老地方でも出土例は多い。
【鏡影】 http://www.sen-oku.or.jp/test/collection/col02/003.html >>1
>A日本人に銘文が書けたとは思えない
これ、どうか?と思うw 銘文を書くぐらい誰でもできるw
銘文を書くことが、難しい原子力の技術を持つぐらい大変なことなのか?ってw
なんつーか、日本の考古学って、その辺の幼稚な発想が多い。 >>9
> >A日本人に銘文が書けたとは思えない
>
> これ、どうか?と思うw 銘文を書くぐらい誰でもできるw
青銅鏡を鋳造する能力と漢文を書く能力は別物だからね。
青銅製品の製造技術は、弥生時代の早期からほぼ全国に広まっているが、
漢字と言うか、文字の記録については、弥生時代は未だ黎明期以前。
三角縁神獣鏡がオール国産だとか言ってるのはアホくらいだから
相手にしたらダメだよ。
三角縁神獣鏡は舶載鏡が4段階、倣製鏡が2段階に様式別に
部類分けされ、倣製の国産鏡が出てくるのは313年の楽浪郡滅亡後に
舶載鏡の輸入がストップしてからだよ。
初期段階の舶載三角縁神獣鏡は卑弥呼が朝貢した景初3年に
画文帯神獣鏡等を参考にして大陸で作られたとみてほぼ間違いない。 倭国首脳部はわざわざ魏までいって朝貢したんだ。
言葉が解れば文字も読めたし書くこともできただろう。
常識で考えろ。
>>12
根拠がまったくないじゃんw
「間違いない」って感想いわれても >>12
それって、「まず舶載有りき」な方々が、舶載説前提で、3世紀中のわずか数十年に押し込めた編年だからね。
「分類」としては使えても、「編年」としては使えないよ。 三角縁神獣鏡の件に関してはもう邪馬台国関連スレで
何回も説明して疲れたんでそっちみればわかるw
>>16
見たけど君の主観的な感想だけでしたよw
あれくらいの論証ていうかお話しで疲れたの?
どこみたのか知らんけど、もう何度も国産派と舶載派で
何スレにも渡って争いが続いてきたんで、さすがにこのネタは
そろそろうんざりしてきてるとこだよ。
まあ簡単に言うと三角縁神獣鏡が国産で呉の鏡職人が作ったものだと
いうのはありえない。呉の鏡職人が渡来して長期間定住して
鏡の大量生産を行った考古学的痕跡などどこにも微塵もありゃしないよ。 >>18
△鏡が中国で作られた考古学的痕跡もどこにもないよw >>19
もうそのネタも何度も繰り返し出たネタだわww
まだぶり返すのか。
中国産の根拠は太田南古墳群で発見された青竜3年(235年)の方格規矩四神鏡の存在。
鈕孔を長方形につくることや、外区文様の外周に突線を加える手法は
漢鏡や3世紀の呉には見られないにたいして、三角縁神獣鏡には
普遍的に確認できることから、三角縁神獣鏡も魏鏡の可能性が高い。
また銘も同じ「銅出徐州」が入っており、中でも河北省県出土の、
方格規矩四神鏡の、「吾作明鏡甚独奇、保子宜孫富無誓」銘は、
静岡県磐田市松林山古墳の三角縁神獣鏡の銘文と一字一句一致するところか、
独特でくせのある筆跡まで一致することから、方格規矩四神鏡を魏鏡と
考えるなら、三角縁神獣鏡も魏鏡と考えるしかない。
大正時代の古鏡研究の第一人者であった富岡謙蔵氏が最初に分類した三角縁神獣鏡群には、
斜縁二神二獣鏡や画像鏡も含まれており、斜縁二神二獣鏡の斜縁に注目しこれを
梅原末治が平縁神獣鏡に含め、三角縁神獣鏡と峻別したのが今の基準となっている。
山東省騰州市から出土した、斜縁二神二獣鏡は愛知県の犬山市東之宮古墳の三角縁神獣鏡と、
図像表現や構成が酷似し、同じ工房で製作された可能性が極めて高い。
少なくとも三角縁神獣鏡
>>20
中国由来の技法で作ったことしか言えてないが。 王仲殊氏によって、国産鏡だということになったのでは? >>18
生産拠点は新たな設備投資のいらない中国のどこか
まあ高い価値で売れたんだよ
鏡職人にとってはウハウハ
倭国の価値物大量と交換したと考えられます
ある意味まがいものなのにね 埴輪にれば当時のジャップの文明レヴェルが極めて低いことがわかるであろう
その未開ジャップに銅鏡制作は絶対に無理 >>29
いいえ
中国で見つからない=国産に違いない
で、思考が停止したままの国産説の方が宗教に近いといえます >>30
そうだ、そうだ!
700対0だろうが、1000億対0だろうが、関係ない。
舶載に違いないという強い信念こそが重要なんだ! 当時の畿内が記銘の三角縁神獣鏡作れたなら、邪馬台国は大和で決まりじゃん。
漢字を読み書きできるということは中国文明を受け入れてるわけで。文字での伝承があったなら
記紀の内容も多少の真実味がある。 まるで魏が受注生産してたような話だな
まったく古代ってやつは霧の中
当時の日本に銅鏡を作る技術力があったとは思えない
恐らく百済あたりで大量生産されたものを
輸入したのであろう 輝ける銅鐸文化を忘れてないかい?
ありゃ、日本独特の日本の制作技術 >>36とか>>38で分かるように技術的な視点を深く考えようとしない連中が国産説の指示者の実態なわけ
だから本職の研究者の間では技術的な視点での検証が進んだ舶載説が優勢になっているのだよ そうだ、そうだ!
当時の日本人にはそんな技術があるわけがない。
日本で何億枚出土しようが中国製だ! 鏡の製造技術くらいあっただろう。
鉄も持っていない近畿地方でさえ銅鐸を作れたんだから。 三角縁神獸鏡と同等レベルの鏡の工房跡とか日本にあるの? 大型銅鐸と三角縁は単に青銅を鋳造するという行為のみが共通する程度のつながりしかない訳だが 文献ではなく、物象が残っているのだから解明されるべき重要事項
だが、中国自身がこれは当方のものではないと言っている
一方、日本にとってもそのデザインは日本の趣味から隔たっている
これは、本当に謎だ
中国・日本以外という選択肢は無いように思えるが
もちろん、半島は全く関係ない
20cm以下の銅鏡は中国製のほうが技術レベルは高い
超大型鏡は中国では出土しないので技術レベルの比較はできない
三角縁神獣鏡の相当数は鈕の穴がつぶれていて紐が通せないか、穴が開いている場合でも鋳放しの状態
で技術レベル以前の問題 >相当数は鈕の穴がつぶれていて紐が通せないか、
相当数というが、出土鏡のうち何%くらいか具体的な数字は示せるかね?
>穴が開いている場合でも鋳放しの状態で技術レベル以前の問題
それは最後の研磨作業を省略しているのであって鋳造の技術とは関係ない
あと、研究者たちは大きさのみで技術論を語っているのでないからね >>48
>何%くらいか
例外的だと考えるなら自分で調べてここに書いたらいい
>最後の研磨作業を省略しているのであって
最終工程まで完了する目的で製作されていない鏡で技術レベルの比較はできない
>研究者たちは
仿製か舶載については研究者により見解は分かれる
>大きさのみで技術論を語っている
誰も言ってない サイズが極端に違う鏡で技術レベルの比較はできないといっている
三角縁神獣鏡の多くに現れる特有の線キズは二層式鋳型の使用で微細な凸面キズが再現できる(鈴木勉氏)
これらの線キズは魏晋鏡にはない
また、中国においても技術レベルに大きな差があり、地域的に多様で拙劣な鏡もあるので
従来の、拙劣であるから仿製とはいえない(森下章司氏) 国内で鋳型が出てるからね。
畿内よりだと土の鋳型、九州よりだと石彫の鋳型が多い。
中国では土の鋳型が多い。
ちなみに九州では、小型銅鐸や剣の鋳型も、
石彫のものが出土されているので、石彫が好きだね。
古い鋳型技術がそのまま発展した魔改造っぽい。
土鋳型も出てないわけじゃないし。 自分から相当数とかいっといてどのくらいの割合か聞かれたら自分で調べろって……
狂ってるな 自国で製造するより
植民地の奴隷を使ったほうが
コストがかからないので
宗主国である百済が倭人奴隷を使い
日本で製造していたのであろう チョンは日本の歴史に口出さんでいいから母国の心配でもしとけ
魏の文献に載っている邪馬台国やらヒミコよりも(日本の文献に無い)
日本で時を超えて実際に多数(数百)全国で出土している
三角縁神獣鏡(中国に無い)のほうがより研究課題にふさわしいと思う
鏡と太陽、天照大御神には深い関係がありそうなだけに
>>49
>中国においても技術レベルに大きな差があり、地域的に多様で拙劣な鏡もあるので
>従来の、拙劣であるから仿製とはいえない(森下章司氏)
これ、これまで仿製鏡と考えられていた古墳時代前期後半から中期に見られる鏡のことを念頭に置いた発言だよ
この流れで車崎氏による三角縁全舶載説が登場しているのですが、理解できていますか?
>>55
うん。私のレスの内容を何か取り違えてませんか? 三角縁に舶載鏡があるという立場だと、黒塚古墳はどう解釈するの?
一方、三角縁は全部国産だとしても、
黒塚でずっと重要視されている画文帯は魏の鏡とは言えないし。
この辺はどうなっとるのかさっぱりわからんのだが、
考古学的には、倭人伝のことはきっぱり忘れるのがよいと思う。
古代史的にはなにか回答を見つけないとまずいのだろうが。 >>48
> >穴が開いている場合でも鋳放しの状態で技術レベル以前の問題
>
> それは最後の研磨作業を省略しているのであって鋳造の技術とは関係ない
研磨もしてない鏡を、魏が邪馬台国に送ったと考えているわけ?
バリが残っているのは全て国産で葬具というのが素直な解釈だと思うが。
もちろん棺の中でバリ付きの鏡が非常に重要視されていると
考えないと仕方のない位置に配置されていたら、また話は変わってくると思うが。 ジャップは未開やから本来廃棄処分にするような不良品をくれてやっただけやろ ただ最初期の三角縁には鋳流したままのものはないだな。
時代が下るといい加減になっていっている。
時代が早く舶載の可能性が高いものほどまとも。 黒塚では画文帯の方が珍重されていて、ホケノの画文帯とそっくり。
ホケノ→箸墓→黒塚だから、画文帯が卑弥呼の鏡でいいんじゃないの?
ホケノは6世紀の堂の後古墳より後に築造されたことがすでに判明しているだろ。
不都合な事実を無視しないのが学問の基本的な前提だよ。 と、不都合な事実に目を背けまくっている九州説信者が申しております 天理大学の学生の調査で、ホケノが作られた時に、
堂ノ後の周濠が、埋めたり壊されたりしている可能性があると
発表されたことを言っているのだろうけど、
さすがにこの件だけでホケノを6世紀に持ってくるのは無理。
他の証拠が揃ってるんで。
ただ周濠の増築や墳丘再整備の問題をきちんと考えないといけないのは確かだけど。
>>62
今のところ画文帯は楽浪郡の鏡と考えられてるのをどう解釈するか。 >>66
画文帯同向式のほぼ全部が同型だろ、ほぼ全部が日本で出土。
例外が楽浪郡の1枚のみ。
普通にあれは日本製。
楽浪の日本が朝鮮に進出したときに持ち込まれたものだろう。
朝鮮にも前方後円墳を作るくらいに進出したんだから、鏡も出るだろ。 画文帯同向式は500年前後のものも多い。
ホケノだけが古いと考えるより、ホケノも同時期と考える方が自然じゃないのか?
同向式は紀年鏡にも多いんだよね。
△の紀年鏡は全部同向式、画文帯の紀年鏡も全部同向式で内部のデザインは丸写し。
日本で絵のパッチワークをしたと考えるのが普通の知能のある生物だろ。 >ホケノだけが古いと考えるより、ホケノも同時期と考える方が自然じゃないのか?
誰も「ホケノだけが古い」などとは考えていない >>69
椿井大塚山、西求女塚も500年頃にしちゃうのかい? 最も遅く見積もるの想定しても、
A.D.300年前後だよね。 去年週刊誌に中国製で決定、ての出てたじゃん。
唐の文献に昔魏の時代に倭のリクエストにより文を外して鏡を作ってあげたって。
文とは飾りの意味らしい。
直接日本とは関係のないマイナーな文献で、日本史の研究者は目が届かないのを読んでて発見したんだって。 週刊誌に載ったのなら間違いないね
週刊誌は国際的にも最も信頼できる資料ですからね 特注品なんだから中国から出土するわけがない。
日本で1億枚出土しようが中国製に決まっている。 纏向1類(前) 弥生X様式土器 後漢193年冷夏凶作 。
考古:弥生後期後半、各地の遺跡で住民の移動。2世紀末各地の土器が纒向に持ち込まれる。
纏向1類(後) 210年金官伽耶の建国(三国遺事、新羅本紀)
纏向2類(前) 3世紀前半辻の大型建物(古韓尺)
纏向2類(中)
纏向2類(後)
纏向3類(前) 庄内3式期末 ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡・鉄器 埴輪(穴あき壺)
倭人伝 邪馬台国官、伊支馬 都市牛利
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)
纏向4類(前)
纏向4類(中)
倭人伝 使大倭監之、 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
大倭は伊都国に勅使の如きを置き女王国(九州)の北部に置いた1大卒を監督する、1大卒は諸国を
検察し、諸国はそれを畏れ憚る。
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、 特鋳説は、せめて他の地域でも同じ部類の特鋳があったことを示さないと単なる妄説。
そもそも特鋳なのに邪馬台国の名前が入らないなんてことがありうるのか? 上にある新潮の記事ってのは、
> 昔、魏は倭国に酬(はなむけ)するに、銅鏡の鉗文を止め、漢は単于に遣(おく)るに
> 犀毘綺袷(さいびきごう)を過ごさず。並びに一介の使、将に万里の恩とす。
こんな文が、晩唐に成立したとみられる「全唐文」に見つかったという話。
画文帯からガラリと絵柄(文=紋)が変わってきているから、
画文帯が魏の鏡なのではないか?
福永も三角縁は楽浪郡の工人の手によると言っている。
つまり画文帯と同じ人達が作ってる。 陳さんが日本に来て作ったんだっけ?
確か、そんなことが書かれた銅鏡があったような。 >>80
いいとこ付くねえ。
確かに特鋳なら「大魏皇帝与明鏡」云々と
刻されていてしかるべきだな もう倭王なのに「鏡持ってると出世する」って書かれてもなw
>>81
たしか楽浪郡の工人が魏に移住して特鋳したと初期には言っていたはず。
王の呉の工人が倭に渡って作ったってのと同じ系統の議論だな。
どちらも製造技術は既に持ってるから変な話だと思うがな。
そもそも何を描くかは技術じゃなくて文化の問題だろう。
当時の倭には独自に画文帯や三角縁を作れるほどの技術も知識もない
小林行雄さん、あの世からこんばんは。
三角縁が舶載の可能性があるのは最初期だけで、後は和鏡ですよ。
あなたは古過ぎます。 >>86
>あの世からこんばんは。
お前は死人なんだなw >>88
きっと>>86は、奥野先生ではなかろうか?
・・・・・あ、まだ御存命だったかw 三角縁神獣鏡は大陸製のものがひとつもなくても何の不思議もないのでは? 技術的なレベルなら、銅剣銅矛に銅鐸があるんだから、
十分水準には達しているだろう。
楽浪や呉の職人連れてきたってんなら、
それは、呪術、芸術に関するものだろう。
だろう? 三角縁の文様は精緻な半肉彫りによる
国内の弥生時代の青銅製品には見られない技術だよ 一部舶載を認めたとしても、
国産になるまで大して時間かかってない。
例えば黒塚を国産とするとせいぜい50年くらい。 >>80
特鋳説、特に>>81のように倭の要望に沿った特鋳を主張する場合、
どんな鏡であろうと、倭が望んだからそうなったということになります。
進化論のインテリジェント・デザイン論みたいなもんで、
(進化が起こったように見えるのは、実際に進化が起きたからではなく、そうデザインされてるから)
詭弁に過ぎません。
「どんな鏡であろうと、倭が望んだからそうなったということになります。」
ならないよ。
演繹は不可。
ちゃんと文章読んでみ。
特注の鏡をあげたということ。
これしかいうことができない。
日本で出土する鏡の「すべて」が特注である理解するのは論理的な飛躍。
本一冊分の論文で要証明だわ。
倭からの要望で 特注説では、どんな鏡が出土しても、特注だから不思議はないって理屈が可能になってしまう。
>>81の文献は文献でいいと思うが、やはり出土をベースにして考える必要がある。
平縁神獣鏡は出てるんだし。 つか△と同時に出土している鏡を国産にした時点で△も国産だろ。
△が1面あれば1億面でも国内で複製できる状況を認めて、その上で△だけ舶載とか
脳みそ腐ってるだろww
ところが同時に出土する国産鏡との技術的・知的差異は明らかなんだな、これがw >>100
どう違うんだ?
やつらは主観主義の宗教論議に逃げ込んでいるだけだろw >>102
つまり三角縁と他の国産鏡を見比べたことがないんだなw
そんなレベルで国産説を強弁する方がよっぼど宗教だと思うがね 当時のありふれた真実(多数出土)
が現代においては謎となり思考停止に追い込まれる
理由は、何か大きな歴史的前提が間違っているからと思われる。
三角縁神獣鏡はそれを問いかけ続ける。
真に発見されるまで。
>>103
そうだ!そうだ!
日本でだけ何百面、何千面出ようが、舶載に決まっている。
それ以外の結論は学界追放だ! >>104
>何か大きな歴史的前提が間違っているからと思われる。
>三角縁神獣鏡はそれを問いかけ続ける。
●いいセリフだ。その通り。
いうならば、「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」という視点からの考察が欠落しているのだ。
後漢末は、天師道や太平道が誕生した一大宗教改革の時代でもある。
画紋帯だろうが三角縁だろうが、
画紋帯であろうが三角縁であろうが、神獣鏡のデザインモチーフは
天師道(根を同じくする太平道も含む)の信仰的精神性をあらわしたものである。
必然的に、神獣鏡が登場するのは天師道の登場以降だろうと推察される。
張陵が中国古来の森羅万象の学問たる道学(黄老道)を基礎とした天師道を興すのが142年、
これが最も盛んになるのが、孫の張魯の代の190年頃である。
この天師道が、神獣鏡を破邪・駆邪の呪具とし、刀を死者を神仙へ導く呪具とした。
後漢末になると魏都・洛陽での鏡製造は明帝の代に再開されるまで数十年間中断された状態で、
明帝の時代(230年代)にならないと復活しない。
後漢末の中断から、およそ30年 から40年の空白がある。
神獣鏡は天師道が盛んだった広漢西蜀と呼ばれる地域と、
天師道と根を同じくする太平道が盛んだった長江下流域でつくられる。
こうしたことから、ご承知の通り神獣鏡は「呉式鏡」といわれる。 つづく ●呉式神獣鏡は、魏都洛陽の尚方では絶対に造らない。
神獣鏡は、体制側の歴史書たる『三国志』が、邪教として批判的に扱っている天師道(鬼道)の神宝である。
天師道が、神獣鏡を破邪・駆邪の呪具とし、刀を死者を神仙へ導く呪具とした。
帝室ご用逹の外交用贈答鏡に、民間邪教の信仰を反映した図柄を採用することは絶対にない。
(あたしが強く主張するところ)
と・こ・ろ・が・だ。
禅譲を受けた正統王朝としてのメンツにかけて、
魏都洛陽の尚方では絶対に造ることのない呉式神獣鏡に、あろうことか魏の景初年号が刻まれている。
この「超のつく不条理」については、これまで話題にされたことがない。(これもあたし独自の着眼)
これは、中国人職人に倭人が造らせた証拠だよ。
しかも、製造手法・完成度・銘文などがまちまちである所をみると、
色んな時代の色んな人間の手によってつくれている。
(完成品を粘土におしつけて鋳型をつくる方法などはごく普通の倭人でもできる)。
福永伸哉とかいう唯物史観職人は、ひもを通す穴ポコの形なんぞをとりあげて、
いまだに、「魏朝が卑弥呼に下賜するために特鋳した鏡だ」と宣っているらしい。アホか。
銅鏡を無機質な「モノいわぬ物」として扱い、そこに込められた精神性や信仰心といった
「文様文化」にまったく関知しない考古のあり方は、いずれ大きな反省を迫られることだろう。
つづく
●神獣鏡は楽浪郡でも造らない
神獣鏡が楽浪郡で造られたという「憶測言説」がある。
景初2年までこの領域を支配してきた公孫氏親子は、曹操、劉備、孫権をはじめ、
劉焉(劉璋)、張魯、張角らと中原の覇を目論んだ領袖の一人である。
いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。
また、景初3年には公孫氏一族は根絶やしになって存在していないし、
遼東郡、楽浪郡、帯方郡は魏の郡県下にあった。
したがって、後漢末の遼東半島や朝鮮半島に神獣鏡が作られる環境が存在した可能性は皆無といえる。
こうした事実を踏まえれば、「神獣鏡は楽浪で造られた」などという詰めの甘い憶測詭弁もボツ。
この素人の指摘で、考古学界の三角縁神獣鏡に関する味方・考え方が大きく変わるだろう。
なんか。文句ある? >>111
「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」。
お前たち「ど」のつく素人半端考古かじりも含めて、
三角縁神獣鏡を語るにおいて、
すべての日本人研究者が気づかなかった盲点だ。
日本でただ一つ、これに着目した論説のご登場だ。
無料でご拝読にあずかったのだ。ありがたく思え。
福永伸哉とかいう唯物史観職人も、ぐーの音も出まい。 >>113
「間違っている大きな歴史的前提」を提示した。
そうそうたる畿内説連を沈黙させた新しい論説だ。
これを超える反論や反証があるならをもってこい。 勝手に未検証の前提を設定してそれを論拠に語られてもねえ
あと、鏡の作り方についての知識が少ないようだから
もっと勉強することをおすすめしておくよ >>108
>したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。
じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん? >>115
>未検証の前提を設定してそれを論拠に語られてもねえ
日本のバカたれ学者が気づきもしなかったことだ。
「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」
検証などせずとも周知の歴史的事実だ。
>鏡の作り方についての知識が少ないようだから
大きなお世話。
鏡の作り方についての知識だけで、これまでどんな議論をしてきたか。タコ
>>116
「彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない」。
>じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん?
思考回路未成熟。なんだぁー・この質問の投げ方は。
出土するからつくったという理屈になるのか? てめえで考えろ。ボケ
遼東郡や楽浪郡で造られることはないという事実が前提むだ。
次に、神獣鏡が流布するのはなぜか。そして、流布しだすのいつごろか。
こうしたことを詰めて考えたことすらなかったろう。
バカづらさげて、「出土するからここで造られた」と、
短絡・単純な考古所見を疑いもせず孫引きして、それを「知識」だと錯覚してやがる。 ちょっとだけ高度な話をしてやろう。
『三国志』が鬼道と書いた張魯の天師道は、医療を主眼とした巫呪祈祷の部分が民衆の支持を集めた。
古代における医療は直接的に生命にかかわるから、これが民心を集めただろうことは容易に察しがつく。
民心の掌握は効果的な政治手法として機能する。
事実、張魯の場合は群臣たちが天子を号するよう進めたほどだ。
ここに、宗教教団が巨大な組織となり、教団組織が国家を形成する過程をかいま見ることができる。
57年に朝献した倭人は、王朝を知り、朝献をしり、その作法を知っていた。
彼らは、国家を知り、政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ。
そこから150年ばかり経過した邪馬台国の首脳たちの戦略性というものを考えたことがあるか。
彼らは、列島における勢力拡大と進出事業の効果的な戦略ツールとして、
三角縁神獣鏡とセットの医療符呪と祭祀(とくに葬送祭祀)様式を全国に拡散させた。
現実には、ほとんど戦うことなくこれを遂行したものと思われる。
これに魏朝の年号を入れたのは、魏の支援を得て列島最強となった勢力が、
拡大戦略ツールとして魏の威光を匂わせるために工作したのではないか。
つまり、拡大戦略ツール国内生産のために、呉からやってきた職人に鏡を造らせた。
そのデザインとつくりは、当然ながら呉式の神獣鏡になる。
倭人はそうした産地特性には頓着することなく、「魏朝から頂戴したありがたい鏡」ということで、
これに魏朝の年号を入れさせたのではないか。
今まで誰ひとりとして唱えることのなかった「新しい神獣鏡の世界」だが、
素直に理解できる奴がいるかなー。 >>118
素直に考えたら、裏付けもなくそんな説を信じられるはずもない >>117
> 「彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない」。
> >じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん?
> 思考回路未成熟。なんだぁー・この質問の投げ方は。
> 出土するからつくったという理屈になるのか? てめえで考えろ。ボケ
>
> 遼東郡や楽浪郡で造られることはないという事実が前提むだ。
> 次に、神獣鏡が流布するのはなぜか。そして、流布しだすのいつごろか。
> こうしたことを詰めて考えたことすらなかったろう。
>
> バカづらさげて、「出土するからここで造られた」と、
> 短絡・単純な考古所見を疑いもせず孫引きして、それを「知識」だと錯覚してやがる。
じゃ、表現を変えてあげよう。
三世紀の楽浪では、神仙思想をモチーフとする神獣鏡群が「流通は許容するが、製造は許されない」と主張するわけだねw
公孫氏が、神仙思想を「歓迎したり奨励することはあり得ない」と言う仮定を生かすためだけの糞ばった見解だね。
その「仮定」も遠く離れた漢中の張魯と遼東の公孫氏が中原の覇を目論んだライバルとか言う「前提」からだけどw
その前提が成立するなら、逆に神獣鏡のメッカ・呉は、張魯の友軍で天師道を推奨していたことになる。
他人の面構えを云々する前に、先ず、鏡で自分の顔をよく見てみよう。 >>120
>三世紀の楽浪では、
3世紀の楽郎に神獣鏡が流通していたという短絡前提だろ。
神獣鏡を神宝・呪具とする体制外宗教が、体制側の人間に受け入れられのは何世紀だと思うか。
「宗教の器」を語るのに宗教の歴史を知ってるのか? タコ。
>公孫氏が、神仙思想を「歓迎したり奨励することはあり得ない
文句があるなら、歴史として反論を述べろ。
>漢中の張魯と遼東の公孫氏が中原の覇を目論んだライバルとか言う「前提」からだけどw
現実・事実だ。だんだん・歴史そっちのけの・言葉尻モードになってきたぞ。
>その前提が成立するなら、
前提ではない。現実・事実だ。
>逆に神獣鏡のメッカ・呉は、張魯の友軍で天師道を推奨していたことになる。
張魯の天師道と根同じくする張角の太平道のメッカだ。赤恥もののお角違いだな。
>他人の面構えを云々する前に、先ず、鏡で自分の顔をよく見てみよう。
れっきとした熊襲の末裔のツラをしてるが・文句あるか。
半島渡りの渡来系集団労働者の末裔くん。 119
>裏付けもなくそんな説を信じられるはずもない
何の裏付けもなく、鏡の形と数だけで、
大罪にも似た言説を学説として流してきたのが考古社会じゃなかったのか。
俺は、事実に基づいて・きちんとした理路の整った論説を書いた。
これに文句があるならば、これを超える事実をもって・理路の整った意見をいえ。 唯物考古のウソ所見(さもなくば軽薄所見)を鵜呑み孫引きで、
さも己の知識でもあるかのように吹いてきたタコども。
銅鏡に関する考古所見を土台から破壊する、マグニチュード9.0超の激震論説だ。
半端な詭弁・方便・かけ合いテクは通用しないと思え。 >>122
鏡の数と形には確かな実証があるけど
おまえさんの説には何の実証もない >>125
け。邪馬台国を「論じる」胡散臭い学者などとは違って、
古代の歴史・文化を真摯に「解説した」学者の論説だ。
しかも、中国の専門学者の意見も交えている。
「実証」などではない、歴史的・文化的事実だ。
日本語もまともに使えんボケナスが。
実証というならば、泣き言めいた否定文言はいいから、
「されは違う」と「実証」してみせろ。弱虫 >57年に朝献した倭人は、王朝を知り、朝献をしり、その作法を知っていた。
>彼らは、国家を知り、政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ。
『政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ』は根拠の無い妄想
作法もどこまで知っていたかは不明
>彼らは、列島における勢力拡大と進出事業の効果的な戦略ツールとして、
>三角縁神獣鏡とセットの医療符呪と祭祀(とくに葬送祭祀)様式を全国に拡散させた。
>現実には、ほとんど戦うことなくこれを遂行したものと思われる。
この段落はすべて妄想
鏡と呪符が一緒に使われたとか、一つの勢力によって戦略的に拡散されたとか
どこにもそんな文献や物証があるんだい?
>これに魏朝の年号を入れたのは、魏の支援を得て列島最強となった勢力が、
>拡大戦略ツールとして魏の威光を匂わせるために工作したのではないか。
>つまり、拡大戦略ツール国内生産のために、呉からやってきた職人に鏡を造らせた。
>そのデザインとつくりは、当然ながら呉式の神獣鏡になる。
>倭人はそうした産地特性には頓着することなく、「魏朝から頂戴したありがたい鏡」ということで、
>これに魏朝の年号を入れさせたのではないか。
どこのどういう名前の呉の職人を連れてきて、誰が魏の年号を入れるように命令したんだい?
君の中の妄想じゃなければ答えられるはずだよね >>121
> 3世紀の楽郎に神獣鏡が流通していたという短絡前提だろ。
貴方の十八番、「現実・事実」とどう違うのかな。
ダブスタと言うことばを知っているか?
> 神獣鏡を神宝・呪具とする体制外宗教が、体制側の人間に受け入れられのは何世紀だと思うか。
> 「宗教の器」を語るのに宗教の歴史を知ってるのか? タコ。
その前にレプリカでも構わないが「神獣鏡」と言うものを見たことがあるのかな?
神獣鏡は確かに神仙思想の影響の元に生まれたものだが、祭器では無い(知ってると思うけど念の為)。
画像に加えて、位至三公とか君宜高官など現世利益的な吉祥句も多く刻まれているだろう。
神仙も同じく、その不老不死と言う特性だけが世俗的に受け入れられたに過ぎない。
> >公孫氏が、神仙思想を「歓迎したり奨励することはあり得ない
> 文句があるなら、歴史として反論を述べろ。
> >漢中の張魯と遼東の公孫氏が中原の覇を目論んだライバルとか言う「前提」からだけどw
> 現実・事実だ。だんだん・歴史そっちのけの・言葉尻モードになってきたぞ。
> >逆に神獣鏡のメッカ・呉は、張魯の友軍で天師道を推奨していたことになる。
> 張魯の天師道と根同じくする張角の太平道のメッカだ。赤恥もののお角違いだな。
いや、言葉尻とか言うレベルじゃないでしょ、貴方の言ってることに論理性が無いだけ。
だいたい呉の領袖は張角じゃないでしょ、神獣鏡は呉の重臣・朱然の墓からも出土するんですよ。
貴方の「論理」だと、説明できないんじゃないのかなw
伊作と論争しても無意味だよ。
子供レベルのケンカなんで >>127
泣き言か恨み節に似て、論理的背景のない否定文言の連呼だ。毎度のことよ。
誰もいわなかった「新しい視点による三角神獣鏡の世界」を提示したが、びくびくムキになるな・タコ。
>『政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ』は根拠の無い妄想。作法もどこまで知っていたかは不明
王朝とは何たるか知ってるか。朝献・朝見とは何たるか・知ってるか。朝賀とは何たるか知ってるか?
1世紀の倭人はみな知っていた。
後漢朝が名実ともに王朝の体裁を整えるのは56年で、その翌年に「朝賀」の使者を派遣したのだ。
たいへんな情報収集力だ。たいへんな行動力だ。
>鏡と呪符が一緒に使われたとか、一つの勢力によって戦略的に拡散されたとか
>どこにもそんな文献や物証があるんだい?
「文献や物証」ではない。お前には・ちと・難しい表現だが、宗教的精神性・信仰文化という「史実」が洞察材料だ。
中国において鬼道組織が国家を形成しようとした事実を述べた。
その拡大ツールが神獣鏡と剣の二種の神宝だ。三種の神宝は、天師道が道教に昇華するときに出そろう。
>どこのどういう名前の呉の職人を連れてきて、誰が魏の年号を入れるように命令したんだい?
●ガキの問答だな。●これでお前の知能程度がわかる。
●こういう論法が通用するならば、ゆくゆく困るのはお前らだ。
この論理循環がわかるか? ぼんくら。 >>128
>貴方の十八番、「現実・事実」とどう違うのかな。
他人にいうほど論拠も証拠もない「願望短絡」と、現実・事実とは雲泥以上の差がある。
>神獣鏡は確かに神仙思想の影響の元に生まれたものだが、祭器では無い(知ってると思うけど念の為)。
明器(死者に副葬する呪具)だ。これまで日本の考古学は無頓着だったが鏡の配列にも明確な意味がある。
だからこそ、そこにある信仰的精神性に注目すべきなのだ。
>だいたい呉の領袖は張角じゃないでしょ、
俺は「張角が呉の領袖」だとは発言していない。
相手の発言の誤解や誤認・認識不足によるお角違いの反論は無礼であると同時に、お前の「知的お里」が知れるだけだ。
そもそも「時系列」という次元整理ができていない。
当該時期は群雄割拠の時代で、取ったり取られたり、勢力版図など確定していない。
張角の太平道は、山東省の青州に主力を置き、徐州から長江流域の揚州から荊州まで広く信徒がいた。
便宜上、江南・江東を呉地域とか呉領域とかいうが、これは三国鼎立後の孫権・呉の版図をいうのではない。
>神獣鏡は呉の重臣・朱然の墓からも出土するんですよ。
当然だな。
孫権も神仙を信じ方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
介象・姚光・葛玄などを厚遇し、神仙道が江南で発展していく環境を整えた。
(道教の前身の天師道は、士族の神仙道派と民間道派に次第に二極化する)。
ついでに道教成立へ向かう初期過程を書くが、時系列を混同するなよ・ぼんくら。
張魯が世を去ったあと、世家(士族社会の名族)の子弟が次々に教団に入り、
宗教の威信が高まり天師道が次第に社会的認可を得るようになる。
(「道教と仙学」漢末の早期道教、魏晋代の早期道教)参照
>貴方の「論理」だと、説明できないんじゃないのかなw
軽い奴ほど、安っぽく勝ち誇った文言を書きたがる。
>>127 >>128
中身がないくせにいうことだけは高飛車だ。
もっとマシな反論をもってこい。
>根拠の無い妄想。
根拠のない妄想であることを具体的に証明してからいえ。
>作法もどこまで知っていたかは不明
作法を知らなかったという具体的事実を提示してからいえ。
>この段落はすべて妄想
妄想であるという具体的事実を提示してからいえ。
●これは失笑ものだな。
>どこのどういう名前の呉の職人を連れてきて、誰が魏の年号を入れるように命令したんだい?
>君の中の妄想じゃなければ答えられるはずだよね
お前たちのレベルでは、こんなのを議論とか反論とかいうのか?
↓↓↓対面会話ならば、モノもいわず殴り飛ばしてるところだぜ。
>ダブスタと言うことばを知っているか?
>「神獣鏡」と言うものを見たことがあるのかな?
>貴方の言ってることに論理性が無いだけ。
>貴方の「論理」だと、説明できないんじゃないのかなw 魏の皇帝から下賜された鏡にしては扱われ方がぞんざいだな
三角の縁も大量生産用に積み重ね易く作ったんだろ
もっと高度な話をしてやろう。
かの大震災に俺は関東で遭遇した。部屋の中はめちゃくちゃ・そして停電。
暖房もできない中で厚着をして・ろうそくの火を眺めながら、
古代人の「土地の神」に対する畏敬と畏怖のほどを思ったものよ。
土地の神を鎮め・豊穣の祈りをささげた銅鐸信仰とは違って、
天師道は、死者の災いが地下の神によって生者にもたらされるのを防ぐ破邪、
そして病気治療という「生者に現世利益を与える宗教」だ。
これが爆発的に広まったことは人間心理の面からも容易に推察できよう。
お前たちが金科玉条のように持ち出す青銅鏡(神獣鏡)は、
(中国には古来、鏡信仰はあったのだが)
後漢末に宗教革命を起こした天師道の神宝・呪具・拡大戦略ツールとして、際立つ光を放ったものだ。
倭国も例外ではない。そのことを、お前たちの大好きな古墳の葬送様式が黙して告げている。
前方後円墳だけをとりあげても、形・規模・外形バランスなど細部がまちまち。
石室をみれば、石の素材・大きさ・組み方・空間の広さや形状などがまちまち。
棺もまた、素材・形・大きさなどがまちまち。
統一された設計マニュアルがあったわけでもなく、各地の墓づくり技術者が個々に、
その土地の労働力や材料でつくったからこういう現象が起きたものと思われる。
ところが。葬送儀礼のほうは鏡と剣が主役で、副葬品から副葬の様子までが全国規模で共通している。
さこには、体系化された葬送様式と祭祀作法が、ほぼ全国規模で広がっていたことを示唆する。
この様式こそがまさに初期道教(鬼道)から道教へとつながる様式である。
こうした統一現象は、「祭祀人材の組織的・計画的育成と全国各地への供給」があったことを示唆する。
こういう思考手順でいくと、誰もが着目しなかった重要要素があることに気づく。
本当は、三角縁神獣は誰がつくったかだ・邪馬台国はどこかなど、
チンケで了見の狭い話に血道をあげてる場合ではないのだ。 >>131
> 他人にいうほど論拠も証拠もない
それは、貴方の方w
張魯の天師道と遼東の公孫氏が、どう関わったから「神獣鏡は流通すれど、製造させず」と言う「事実」が生じるのか説明していない。
ライバル(直接対峙もしていないがw)だったからとかは呉の孫氏の場合と条件は一緒、臣下の墓から神獣鏡が出てくるのも一緒だ。
> >神獣鏡は確かに神仙思想の影響の元に生まれたものだが、祭器では無い(知ってると思うけど念の為)。
> 明器(死者に副葬する呪具)だ。これまで日本の考古学は無頓着だったが鏡の配列にも明確な意味がある。
トボケないで!神獣鏡を葬具として受け入れたのは倭での話でしょう。
楽浪で神獣鏡が造られるか否かの話とは直接関係無い。中国での扱いは、あくまでも世俗品。
> >だいたい呉の領袖は張角じゃないでしょ、
> 俺は「張角が呉の領袖」だとは発言していない。
> 相手の発言の誤解や誤認・認識不足によるお角違いの反論は無礼であると同時に、お前の「知的お里」が知れるだけだ。
呉での神獣鏡の扱われ方について、「張角」の太平道のメッカ」と外れたレスが帰ってきました。
それに対するレスです。自分で外しといて「お門違い」は無いでしょうw
> 孫権も神仙を信じ方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
そう、張魯や張角は神仙思想集団の一派に過ぎない、神仙思想に依拠しているが、二人だけの専売特許ではない。
つまり、神仙(例えば神獣鏡嗜好)を受入れたからと言って、「中原の覇」を競う「ライバル」を受入れる必要はない。
呉の朱然の墓からも楽浪の官人墓からも他の生活用品と一緒に神獣鏡も普通に出てくる。
ともに神仙嗜好が、広く受入れられていた証であり、両者に違いは無い。
よって
>いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
>歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
>したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。
は、何の説明にも、論拠にも為っていない、これで為っていると思うなら、それは単なる思込みです。
>>135
>張魯の天師道と遼東の公孫氏が、どう関わったから「神獣鏡は流通すれど、製造させず」と言う「事実」が生じるのか説明していない。
関わった史実がないから関わりがなかったというのが俺。
「神獣鏡の流通は製造された」と言う「事実」があるのかを説明していないのはお前。
筋論の行方も見えないのか・ボケ。おかしないいがりをつけるな。
>ライバル(直接対峙もしていないがw)だったからとかは
ほれ。直接対峙もしていないの関わりがあったはすがなかろう。後先もみえんぼんくらが。
>呉の孫氏の場合と条件は一緒、臣下の墓から神獣鏡が出てくるのも一緒だ。
だ・か・ら。呉は天師道とは長江を通じて近かったし、太平道とも距離的に近かった。
遼東と横並びで比較する思考回路が理解できん。おまえ・そうとうに頭が悪いな。
>トボケないで!神獣鏡を葬具として受け入れたのは倭での話でしょう。
銅鏡は倭では、神宝であり、祭器であり、明器だ。ここを分別しないと混同した議論になる。
トボケも何も、お前が支離滅裂なのだ。
>楽浪で神獣鏡が造られるか否かの話とは直接関係無い。中国での扱いは、あくまでも世俗品。
ふざけるな。現代人の価値観と見識で古代の信仰精神を愚弄するか。外道
>呉での神獣鏡の扱われ方について、「張角」の太平道のメッカ」と外れたレスが帰ってきました。
>それに対するレスです。自分で外しといて「お門違い」は無いでしょうw
ただの掛け合いになってきたぞ。それに、俺の丁寧な説明を半分も理解していない。
つづくぞ >>135
>張魯や張角は神仙思想集団の一派に過ぎない、神仙思想に依拠しているが、二人だけの専売特許ではない。
あのな。俺にいうほどにお前は何も根拠説明・論拠提示がないまま、むつ論めいた憶測ばかり並べるが、
それで反論になってるとでも思ってるのか。なんだその「一派に過ぎない」「専売特許ではない」て。
きちんと具体的な証拠をのべてからいえ。
>つまり、神仙(例えば神獣鏡嗜好)を受入れたからと言って、
>「中原の覇」を競う「ライバル」を受入れる必要はない。
だからナニ。遼東でも受け入れられていたし、神獣鏡をつくったてか。バカが使う飛び石論法だ。
ごちゃごちゃはいいから、証拠をあげろ。
>呉の朱然の墓からも楽浪の官人墓からも他の生活用品と一緒に神獣鏡も普通に出てくる。
>ともに神仙嗜好が、広く受入れられていた証であり、両者に違いは無い。
だからナニ。遼東でも受け入れられていたし、神獣鏡をつくったてか。バカが使う飛び石論法だ。
ごちゃごちゃはいいから、証拠をあげろ。
>よって、
ナニに「よって」だ。何の論理も通っていないが。
「いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない」。
正論だろうが。文句がれば、「あった」とする状況証拠でももってこい。
「出土するからそこで造られた」なんてのは状況証拠とはいわんぞ。バカの足し算・引き算的思考の産物だ。
>何の説明にも、論拠にも為っていない、これで為っていると思うなら、それは単なる思込みです。
なにでもいいから、筋の通った話をもってこい。お前は頭が悪い。
ま・唯物考古にちょっかいを出す奴は、概して論理性が欠落している。
そのくせ、単純な加減計算めいた思考を論理だと誤解して自惚れている。
>>135
さて・ぼんくら。
このごに及んでも、俺は膨大な資料背景をもって論理的説明を書いてきたが、
これに対してお前は、ただ否定文言を並べるだけだ。そんなことなら誰にもできる。
だがそれは、陽のあたる場所では通用しない。
そしていうことときたら、
「呉で支配層の一部が受け入れていたから遼東の公孫氏も受け入れていた」などととう、
場所と状況と当事者が異なる事例をそのまま横滑りさせるバカの帰納法だ。
俺がやり合った奴の圧倒的大多数が、
この手の「論拠ねつ造」による間違った論証をみせたもんだ。分析と対応も慣れたものよ。
その中でもお前は特別程度が悪い。
ものの道理というものが分かる奴は、
こういう「私は単純・短絡脳です」と白状するも同然のバカげたことはしない。
うん、たいしたもんだ
それだけ自信があるならキミの論がパクられないうちに自費出版でもするか学会に論文を送りつけるかしてみなよ
まあ当然,まともな学者はみんなスルーだろうけどw
うまくいけばdでもとしてウケて人気者になれるかもよww >>136
貴方の主張は「ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
歓迎したり奨励することはあり得ない。」だ。
何故、”あり得ない”のかと言う説明が成立しないと言う話だ。
楽浪で神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されたとすると、何故、天師道を歓迎したことになるのかね?
そして、呉では神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されても、天師道を歓迎したことにはならないわけだw
> 筋論の行方も見えないのか・ボケ。
見えて無いのか、ボケてるのか判らないが、筋道をずらすのは貴方。
> >楽浪で神獣鏡が造られるか否かの話とは直接関係無い。中国での扱いは、あくまでも世俗品。
> ふざけるな。現代人の価値観と見識で古代の信仰精神を愚弄するか。外道
愚弄してるのは貴方。位至三公なんて書いてある鏡が天師道の「神宝」なのか?
漢字を解さない倭人と一緒くたにしちゃいかんw
間違いは、100回書いても間違い、思い込みも100回書いても、思い込みのまま。
こんな簡単な真理が、貴方には理解できないみたいだけど・・・・
>>140
>何故、”あり得ない”のかと言う説明が成立しないと言う話だ。
じゃ「ない」と訂正しよう。実際にあったという証拠が皆無なのだしな。
>楽浪で神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されたとすると、何故、天師道を歓迎したことになるのかね?
十分に説明したが、やはり半分も理解していないようだな。外道
神獣鏡は天師道(と太平道)とセットのツールだからだ。宗教的精神性を色濃く背負った器だ。
>呉では神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されても、天師道を歓迎したことにはならないわけだw
理屈と分別が分からん野郎だな。こっち太平道が盛んだった地域だ。
>見えて無いのか、ボケてるのか判らないが、筋道をずらすのは貴方。
自分が頭悪くて筋論が見えないものを、他人のせいにするな。
>愚弄してるのは貴方。位至三公なんて書いてある鏡が天師道の「神宝」なのか?
「位至三公」は古来から中国ある鏡信仰の時代からの吉祥句だ。
はちゃめちゃな鏡づくりの経緯をみれば、銘文のパクリや混乱などザラだろうよ。
>漢字を解さない倭人と一緒くたにしちゃいかんw
偉そうな口だけはやめられんようだな。
>間違いは、100回書いても間違い、思い込みも100回書いても、思い込みのまま。
だから、間違いであることを宗教文化の観点から潰しみせろ。口先だけの否定などたくさんだ。
>こんな簡単な真理が、貴方には理解できないみたいだけど・・・・
こんな簡単な道理さえ実行できんタコが。
>>140
どんな仕事をしているのかは知らんが、職場で自分の意見をいう機会があるだろう。
あるいは報告書なり企画書なりを提出することがあるだろう。
そのとき、結論を先にいうにしろ最後にいうにしろ、
そこに至る経緯や背景として「かくかくしかじか」「だから・こうだ」となるはずだ。
お前は、意見のいい方・説明の仕方を知らんのか、
今回の場合は論理的に否定するだけの確かな論拠がないせいか。
ただの憶測めいた結論による否定文言だけか、単純加減計算的飛び石論法による結論しかいわない。
●相手の意見を否定し潰すには、相手の論拠や論理を潰すことだ。
(俺は自分の意見や結論をいうときは、最低限、そこに至る経緯を併示している)。
その俺の論拠や論理を潰すには、俺を超える論拠や論理が必要になる。そんな奴は皆無に近い。
(100ある中から1つか2つの例外的事例をもって、
それが通例でもあるかのようにして論拠を否定しにかかる邪道手法もあるが俺には通用しない)。
それが分かっているから、勝負ははじめから見えているのだ。 >>140
●神獣鏡の流行は卑弥呼登場以来のものだろう。
彼女は190年ごろに女王になる。この時点で鬼道をマスターしていた。大陸で最も盛んになる時期だ。
中国古来の森羅万象の学問たる道学(黄老学)を集大成した道書による天師道をマスターするには、
高度な中国語的素養と幅広い知識が求められる。
卑弥呼が生粋の倭人だとすれば、これが可能だったか否か。
卑弥呼に鬼道を伝授した者は倭人だったか否か。
190年ごろにマスターしていたという事実と、
こうした人的環境と時間的関係から、
彼女が倭地でマスターしたという可能性はゼロに近い。
●卑弥呼と・鬼道と・神獣鏡。いつ・どこからやってきたのか。
「何となく卑弥呼」「何となく邪馬台国」のアマちゃんには刺激的すぎるかも知れないが、
これも現実論としての大きな命題だ。
鏡を語る学者から末端のぼんくら素人に至るまで、こういうことを置き去りにしきた。
お前などとは、立ち位置もモベーションも格も違うぜ。 >>141
>>楽浪で神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されたとすると、何故、天師道を歓迎したことになるのかね?
>十分に説明したが、やはり半分も理解していないようだな。外道
>神獣鏡は天師道(と太平道)とセットのツールだからだ。宗教的精神性を色濃く背負った器だ。
「宝器」はやめて、今度は「ツール」ですか?
>呉では神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されても、天師道を歓迎したことにはならないわけだw
理屈と分別が分からん野郎だな。こっち太平道が盛んだった地域だ。
だから・・・太平道が盛んだったら何なんですか?
何の説明にもなってませんよ。
貴方の書込みを読んで、もどかしく感じるヒトは多いと思います。
まさか、朱然は太平道の教徒だったとか言いたいわけですか?
違いますよね、神仙嗜好が有ったと言うだけ、それは楽浪官人でも同じこと。
だいたい、黄巾は全国規模の動乱でしょうに。
だから「こっち」がどうのこうのと言うのは単なる言い訳。
>愚弄してるのは貴方。位至三公なんて書いてある鏡が天師道の「神宝」なのか?
「位至三公」は古来から中国ある鏡信仰の時代からの吉祥句だ。
はちゃめちゃな鏡づくりの経緯をみれば、銘文のパクリや混乱などザラだろうよ。
だから、楽浪や江東の神獣鏡は「宝器」でも「祭器」でも無いんでしょう。
神仙は吉祥句同様にパクった単なる意匠、なんだ、自分でもちゃんと判ってるじゃないですかw
いろんなサイトから気に入った文章をパクッて中身も理解できないままもっともらしいこと書いてるつもりのヒトと同じだwww
>>139
>自費出版でもするか学会に論文を送りつけるかしてみなよ
もう10年も前からホームページで開示してきた。
こうやって底辺にツラだして説いてるのも、発表の場として活用してるのよ。
俺がはじめて発表したという事実を残すためによ。
>まともな学者はみんなスルーだろうけどw
何も知らんのがよくいうぜ。愚かな発言でバカさ加減をさらすな・タコ。
いかに優れた論説といえど、素人見解を専門学界がとりあげることはない。
それが奴らのメンツであり、生き残り策でもあるのだ。
もとより・こっちは百も承知。大きなお世話だこの野郎。
ときたま・畿内説考古学者の教え子か、マイナー研究員か学芸員か、
「畿内説のひも付き」すと思う下っ端が登場するが、
どいつもこいつもアホばかりよ。
いま俺にかまってる名無しもそうじゃないか?
思考回路に不具合のある・かなりアホだもの。けらけら
同じような神獣鏡でも珍・独・奇とか、方形紐孔とか、楽浪独自の意匠があるんだから、
どれが楽浪在地鏡で、どれが流入鏡だかはだいたい判るのになあ。 伊作の基本は、あたりまえのことをもっともらしく書き連ねた上で、
それと関係の無い結論を、実証済み言い張るところだね。
判り易く言うとこんな感じ。
日は東から昇る、これは地球が北極を上とすると、左回転しながら太陽の周りを移動するからだ。
これを自転と公転と言い、コンペル二クスが・・・(中略)・・・地動説として唱え、
現代においてNASAが・・・(中略)・・・・と斯くのように実証した。
このように俺様は、慎重かつ明晰ば理解力で・・・(中略)・・・その事実を検証した結果、
邪馬台国は、熊本に在ったとことを証明した!
何故なら、日は必ず東から昇るからだ、出来るものなら日が西から昇ることを証明してみろ!
それが出来ないボンクラは黙って、俺様の本を買え!せっせと俺様のサイトにアクセスして広告料収入を増やせ! >>144
記憶力がわるいのか、理解していないのか。ぜんぶ一度書いたことの循環になってきたぞ。
>「宝器」はやめて、今度は「ツール」ですか?
こんなくだらん言葉尻しかできなくなったか。
>だから・・・太平道が盛んだったら何なんですか?
お前が天師道と呉地域とのかかわりを云々するから、
こっちは天師道よりも太平道の影響で神獣鏡づくりが盛んだったてこと。最初に書いたことだ。
>朱然は太平道の教徒だったとか言いたいわけですか?
こう書いたろう。
「孫権も神仙を信じ方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
介象・姚光・葛玄などを厚遇し、神仙道が江南で発展していく環境を整えた」。
初期道教は士族を含む上層は神仙道派と下層の民間道派に二極化する。
上層のそりは厳密には、神仙道と新興の太平道との折衷だったかも知れん。
>神仙嗜好が有ったと言うだけ、それは楽浪官人でも同じこと。
同じだと証明はできるか。楽浪に呉同様に基盤となる天師道か太平道があったと証明できるか?
何度もいうが、状況の異なるものごとを横並びに「同じ」とする論法はやめろ。バカやろう
これだけのことも飲み込めないほどのバカか。
>黄巾は全国規模の動乱でしょうに。
ほれ・またバカをいう。そうとうに頭悪いな。
太平道という宗教教団が結成した武闘争組織が黄巾党で、これが起こした動乱が黄巾の乱だ。
俺たちはいま、天師道の信仰的精神性を反映した神獣鏡の誕生と製造地域の話をしてる。
それで、天師道と根を同じくする太平道とその活動エリアについて話が枝葉しているのだ。
それ以上、飛んで枝葉に持っていくか。
もちろんつづくぞ。 >>144
>だから「こっち」がどうのこうのと言うのは単なる言い訳。
「孫権も神仙を信じ方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
介象・姚光・葛玄などを厚遇し、神仙道が江南で発展していく環境を整えた」。
初期道教は士族を含む上層は神仙道派と下層の民間道派に二極化する。
上記の説明でもまだ整理分別と理解がいかないか・ボケ。
>だから、楽浪や江東の神獣鏡は「宝器」でも「祭器」でも無いんでしょう。
神獣鏡は鬼道の信仰的精神性を色濃く背負った器だと説明したが。
お前はバカだから、それを神宝でも呪具でもなく、珍物か姿見として導入するか?
(楽浪に天師道が入ってこなければ神獣鏡も入ってはこない。楽浪に天師道が入ってくるのは何世紀かな)
鏡の素材が青銅だというところに注目してないな。
青銅器を地下に埋めたり死者に副葬する呪詛行為は古くからあった。だから明器は青銅なのだ。
そもそも、神宝・祭器は成分比率でいえば白銅だ。日本書紀をみても神社仏閣の祭器をみてもしかりだ。
>神仙は吉祥句同様にパクった単なる意匠、なんだ、自分でもちゃんと判ってるじゃないですかw
これもまた。頭の悪さ丸だしの加減数式論法だ。
神獣鏡の作者が古来の吉祥句をパクったといえば、古式豊かな鏡つぐりの現場で神獣鏡の意匠をパクったという。
銘文を知らない神獣鏡の胡散臭い作者が古来の吉祥句をパクることはあっても、その逆があるかボケ。
その手の稚拙かつ下劣な手で俺にからむのはやめろ。バカバカしいし沽券にかかわる。
>いろんなサイトから気に入った文章をパクッて中身も理解できないままもっともらしいこと書いてるつもりのヒトと同じだwww
違うな。お前は説明文を解読する力と理解力が欠落している。
しかも継続的記憶と思考の容量がチンケらしく、先に説明されたことを念頭に考えるという、
極めて人間的で初歩的な作業が不完全だ。
己を棚に、虚勢を張って
いっちょ前ツラをするのも顔無し名無し掲示板の特徴ではあるが。ちやんちゃらおかしいぜ。
>>144
おまえ。
畿内説考古学者の教え子か、マイナー研究員か下っ端学芸員か。
「畿内説のひも付き」ならば、もっとマシな反論のできる奴を連れてこい。
お前みたいに何度も同じことをいわせるバカではなく、
多くを語らずとも理解の早い奴をな。 >>149
よう。感情的伊作誹謗ごまめ。
俺の邪馬台国は熊本説はこれまでにない秀作だ。
ただ「このあたり」というようなバカ論とはわけが違う。
>俺様の本を買え!
とくに廃版だ。
しかも、いまとなれば内容も30点そこそこで、見せたくもねーよ。
>せっせと俺様のサイトにアクセスして広告料収入を増やせ!
広告料収入を取るほどチンケじゃないぜ。
そもそも、有料広告主がつくほどのアクセスなどない。
わるかったな。歯ぎしりしかできん・ごまめ。
結局、結論に対する説明らしいことは何も書けて無いじゃんw
長々と書いても、中身が無くて堂々巡りをしてるのは貴方自身だけ。
論点は一つだけ、楽浪で神獣鏡は造らない、と言う貴方の論証が無効だったと言う話なんですよ。
三角縁特鋳説(特鋳説自体はもう「終わってる」けどw)を否定したいがために、そんなこと言いだしたんでしょうけど、
貴方の論拠はマト外れ、同じこと100回書い(ry >>154
>結局、結論に対する説明らしいことは何も書けて無いじゃんw
書いた。お前がアホだから分からんだけだ。
>長々と書いても、中身が無くて堂々巡りをしてるのは貴方自身だけ。
循環の質問に答えると循環する。これもそう書いたろ。
>楽浪で神獣鏡は造らない、と言う貴方の論証が無効だったと言う話なんですよ。
いいや。政治的・精神的・文化的・時間的に、楽浪郡で神獣鏡をつくった可能性はない。
●つくったとすれば、天師道が入ってきた時代以降で、少なくとも正始元年以前ではない。
>三角縁特鋳説を否定したいがために、そんなこと言いだしたんでしょうけど、
少なくとも魏の尚方でつくったという奴はもう出なかったようだな。
で、楽浪郡でつくったことにしたいようだが、その可能性もゼロだ。
思惑や憶測や願望ではなく、政治的・精神的・文化的・時間的側面から立証できるか。
できる奴は一人もいない。いたとしても、失笑をかうような詭弁を並べるだけよ。
>貴方の論拠はマト外れ、同じこと100回書い(ry
お前の反論がピリっとしたものを見せなかっただけよ。
虚勢を張るヒマがあったら一つでもいいから、俺の論拠を崩しにかかれ。
頭のいい奴と気の利いた奴ほど不可能と悟る。軽率に否定しにかかるのはバカばかり。
●「祭祀人材の組織的・計画的育成と全国各地への供給」
●「卑弥呼と・鬼道と・神獣鏡。いつ・どこからやってきたのか」
本来、やるべき重大な命題を提示したが、これには誰も食いつかないな。
それだけ、ここの連中の意識は低いということだ。
「卑弥呼は大和の王だった。邪馬台国は大和にあった。神獣鏡は魏が卑弥呼に特鋳して贈った鏡だ」。
史実そっちのけで、こういうレベルで満足する連中なんだな。
もう飽きたので、最後に一つだけ。
>鏡の素材が青銅だというところに注目してないな。
あのね、白銅比率じゃない銅鏡なんて存在しないだろう。
知ってるだろうが、そもそも白銅とは、青銅(銅・鈴・鉛合金)の内、鈴含有量の多い種類のことで、広い意味ではこれも青銅だ。
なので、白銅鏡と呼ばず、青銅鏡と表現される時も有る。
それで勘違いをしれるのかもしれんが、当然、神獣鏡も白銅比率の銅合金だ。
現代の神社の御神体とそんなに成分は変わらず、銅矛だの銅鍋などの銅製品とは成分が異なる。
中国では、鏡は顔を写すための実用品なんだから色付きじゃ都合が悪いからだよ。
銅鏡の成分比については、新井さんとかの研究成果が方々のサイトで引用されている。
これ以上、恥をかかないよう、ちゃんと調べてみなさい。
>>155
本来、やるべき重大な命題を提示したが、これには誰も食いつかないな。
アンタの論点と直接関係ない話だからだよw
邪馬台国熊本説に難くせ付けるのに、地動説の否定をする必要は無いからな。
己の引用と論証の結果に何の因果関係が無いことにいいかげん気付けよw。 >>156
くだらねー。
『日本書紀』に登場する神宝としての鏡は「白銅」とあるだろ。
細かい成分比率などうっだっていい。
神宝・祭器は白銅、土の下に埋めるのは青銅と相場が決まってるんだ。
(倭地では相場破りの例外もあったようだが)
>神獣鏡も白銅比率の銅合金だ。
ウソをいうな。それとも
銅鐸も三角縁神獣鏡も、新しいときは金色に近い赤銅色に輝いていた
とかいう説のほうがウソだというのか?
俺は、畿内説をとる考古学者の所見など何も信用しない。
100年もの開きがある「土器変年」、これに基づく古墳築造年代、
年輪年代法とC14炭素年代法の「活用方法」。みな信用できん。
これらと似たりよったりで白銅にしてしまってるんだろ。
そういえば、福永説に依存してきたタコどもが、俺説に危機感を感じてやってくるかと思ったが
お前のようなタコだけだったな。ま・相手してもらっだけありがたく思え。
お前の反論は、これまでにやりとりした中でもデキが悪かったぞ。 >>157
>アンタの論点と直接関係ない話だからだよw
古代を考えるに重要な命題だが。鏡以外に興味がないんだな。
>邪馬台国熊本説に難くせ付けるのに、地動説の否定をする必要は無いからな。
何をいってるのか。自分でわかってるんだろうな。
>己の引用と論証の結果に何の因果関係が無いことにいいかげん気付けよw。
ウンコのようにつきまとう伊作ストーカー野郎か。あっていってろ
>>146
10年間も学会は愚か、出版社や素人研究者からもスルーされ続けてきた自説を偉大な学説だと信じてるんだ……
あまりの哀れさに笑い涙が出てきたよ 新井宏って邪馬台国の地理的位置について積極的な発言してないんじゃ?
鉛同位体比の比較から、三角縁のほとんどは国産じゃないかといっているだけで。
俺は三角縁国産説と邪馬台国畿内説は共存可能だと思ってる。 >>101
> 「特注」じゃなくて「特鋳」説だろw
特注説ってのがあるのよ。
倭人伝に書いてるのが下賜鏡。これは数が少ない。
けど日本国内のみたくさん発掘されるから、倭から魏に三角縁神獣鏡を何度も注文したんだって説。
特鋳説じゃ、数が多すぎて、種類も多岐にわたりすぎるってのを解決するための説。
まあ、貰った方の希望も含むわけだから、特注⊂特鋳なんだけど、
>>81によれば、魏が勝手にしたのではなく、倭の特注だった可能性ありってことだよな。
まあ特注ってことならば、時代は違っても内行花文鏡でもいいわけだけどな。
一応、後漢を正当に引き継いでる王朝ってことになってるわけだから。
むしろ敵対している呉の特徴を持った鏡の方がおかしい。 特鋳説だと、240年に使者が1度に数千〜1万超もの大量の鏡を持ち帰ったことになる。
それをちびちびと100年くらいかけて配分したことになる。
水野祐なんかは、王の倉で一元管理して少しずつ配布したと主張している。
しかし、当時の魏は極度の銅不足で貨幣の鋳造が滞っていたのに大型銅鏡をそんなに渡すわけがない。
史書には「100枚」と明記している。
1万面もの鏡を運ぶためには1000人くらいが必要。
出土状況からは製造時期の違いが明らかにある。
文様、デザインの変遷からも製造時期の違いが明らかにある。
という感じで、特鋳説があまりにもバカバカしいので、何回かに分けて受け取ったという説が出てきた。
まあどっちもバカバカしいので五十歩百歩だがw
>>163
アフォな造語だな。
ゆとり世代(九州説)の脳内舶載説かなw >>164
鉛同位体とか製造時に出来る表面の傷など製造技術に関する研究だと、
文様、デザインが明らかに違っても、ほぼ同時に作られてると考えられるのがあるらしい。
もちろんそういう研究者は国産説に傾いていて、魏で作られたと考えているわけではないが。 >>167
同じ古墳から出土する鏡は種類が違っても同位対比は近いことが多いね。
国産は△だけじゃなくて画文帯な内向花文など全般に言えることだろうね。
1枚あれば複製は何枚でもできるわけだし。 最近は△が舶載だとわめいている人たち以外は△のことに触れないよね。
明らかに触れること自体を避けている。 平原の内行花文鏡や方格規矩四神鏡、下池山の大型内行花文鏡は国産まちがいなしでしょう。
神獣鏡は半肉彫りだから国内に製造技術がないってのも眉唾な話。 平原の内行花文は傍製鏡ということなんで国産だろうが、
方格規矩四神鏡はどうなんだろ?
中国から大量に出ているんで、オリジナルは間違いなく
中国製。コピーである傍製鏡なのかどうか? たいていの銅鏡より、
肉薄の大型銅鐸のほうが、製造技術は難しい。
倭人が「魏の下賜品の鏡」を欲しがるもんだから、
景初三年銘入りブランド品として大量生産しましたとさ
>>174
紀年銘が入ってる鏡はごく一部だけですよ
もっと勉強してね >>176
かつ、欠くべからざる肝心な
「魏皇帝与鏡」的な文言が無いし >>169
国産どころかデザインさえ倭独自と見られてろ、
時代もずっと下るはずの獣形鏡と鉛同位体比が同じのが見つかってるし、
国内では同型鏡が見つかってるのに、大陸では出てないなど、
この後の鏡にも続く特徴が出てる。
中国鏡も含まれる可能性がないわけでもないくらいに考えといたほうがいい。 >>173
銅鐸のほうがずっと難しいしね。
いまだ巨大銅鐸は最製造に成功してないくらいで。 >>171
傍製鏡なんて曖昧な言葉使わないほうがいいんじゃないかな。 平原の報告書には傍製鏡って書いてあったもんで。
ちなみに傍という字が違うけど、PCで出なかったので
似た字にしてるので、悪しからず。 意味から言うと倣を使うべき。
倣って作った鏡。
人偏に方は、倣の簡略字なわけだから。
検索すると傍としているサイトが見かけられるね。 >>178
同位対比の報告を見ていると△だけじゃなく、大半が国産だよね。
それを無視して舶載というのは無理がある。
彼らは尿検査で覚せい剤が出ているのに否認している容疑者のようだ。 >>185
> 倣って作った鏡。
傍と書いている人は意味がわからず使ってるんだろうね。
手書きじゃなく漢字変換なら不注意ってケースもあるだろうけど。
鉛同位体比から推測できるのは
あくまでも材料の産地
制作地がわかる訳ではない 当時の国際情勢を冷静に判断すると
百済が中国的意匠で制作した鏡を
百済の文化的植民地であったジャップに下賜したと
判断するのが自然なんやろね いや、鏡は最初期のものは非常に精巧で、高い技術を持つ。
これらの技術は官制のもので(全て署名入り)厳重に管理されてたから民間はもちろん、
他国には簡単に流出しない。
朝鮮半島の鏡は形態的に日本の初期の物より新しく、朝鮮経由は矛盾がある。
少なくとも、日本最初期のものは中国製か、それを型にした直接のコピーだろう。
やがて時代が下がって大きな政変があったとき(恐らく後漢の成立時期)に鏡職人も中国から渡来し、
いわゆる仿製鏡 が日本で濫造されたのではないかな。
三角縁にみられる突線が共通してるんで、
製作技術が同一でしかもかなり特殊なのは間違いない。
舶載とか倣製とかに関係なくほとんどの三角縁に現れる。
舶載とか倣製とか、全くの主観にすぎないことがはっきりしてきている。
何が主観にすぎないのかよくわからんが、突線は全部の三角縁神獣鏡にあるわけじゃないし
他のタイプの鏡にも少数だがある。
特殊な工法であるが故に必ずつくのが突線であるとしたら、
後期の突線のない鏡は客観的に見て、別の工法で作られた=仿製鏡の証左にしかならんが。 >>195
それって冗談にならないよ・・・
あの人たち怖すぎる >>193
全部国産なんだから、最後期の三角縁も国産でいいんじゃないですか?
ただ「倣製鏡」ではないですよ。魏の作った三角縁はないんだから。 技術的に見ると、三角縁の工人が、その前代、並行期、その後代と、国産鏡を作ってた工人から浮いているのは紛れも無い事実 三角縁の場合、磨いてバリ取ってない、
鋳っぱなしのものもあるようで。 >>200
それは三角縁神獣鏡に求められた機能・役割に関係する可能性が考えられるが
製作地を考える上ではあまり参考になるものではないよ まあ、新の時に銅鏡制作の先鋭化があったのは歴史的事実で
そのパトロン達が政変で後漢に追われたのも事実。
とすれば、その職人が日本に亡命してきて作ったものであるとしても不思議じゃない。
銘が3名しかない事から察するに、わずかな職人が渡来し、こき使われ
量産化するためにふちの形状を変えていったのだろう。 福永は確かその亡命した先が魏だったという説だったはず。
最近も同じ事言っているかどうかは知らないが。 纏向3類(前) 庄内3式期末 ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡・鉄器 埴輪(穴あき壺)
倭人伝 邪馬台国官、伊支馬 都市牛利
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)
纏向4類(前)
纏向4類(中)
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
三角鏡は、神功渡海以後の鏡である。
銅鏡よりはるかに高度な制作技術を要する銅鐸文明宗主国である百済民族の指導のもと銅鏡制作技術が進化したと考えるべきであろう 舶載説の人たちってもう完全に腫れ物扱いだよなあ・・・
開き直ってネタ師になれないものかね
水野祐のように「王の倉で一元管理してちびちび配布した」とか、
車崎のように「国産と舶載の切れ目がないから、全部舶載だ」とか、
福永のように「紐の穴で見分ける」とか、
岡村のように「1年で全部作ってその間に文様、デザインの変遷が起きた」とか、
体を張ってネタを提供して笑い話で終わらせようと努力している人もいるのに
誰も突っ込まないからますます険悪な雰囲気になってしまった。
ま、何にしても、特鋳とかいう牽強付会の空想がナンセンスであることに変わりはないと。
日本から欧米に贈るのに「相手に合わせて青い目で金髪でドテラみたいなのを着てダンスをしている京人形もどき」
とかいった「特注製作の変なもの」を贈る慣例でもあるなら別だろうけど。 日本で出土する後漢鏡や前漢鏡は中国でも出土するが、三角縁神獣鏡だけは一枚も発見されない。
日本で何百枚も見つかったにも関わらずだ。
普通、まともな精神状態だったらおかしいと思うだろう。 それでも国産説を主張すること自体が許されない異常な空気があるんだろうね。
だから舶載説じゃない学者の大多数はこの問題に触れないようにしている。 >>213に対する舶載鏡信者の反論は
「まだ発見されていないだけ」や「特鋳だからね」という反論にもならないお粗末な意見だけ
中国では銅鏡があれだけ発掘、研究されてきたのに「発見されていないだけ」とはアホの所行
「古代日本には飛行機があった、ただ見つかってないだけ」これと同じレベル
恥ずかしくないのか? 三角鏡の画像は輸入品である。
だから呉の工人渡来説となる。
しかし、仏獣鏡は?国内で仏獣鏡まで変化したとはできない。
画像は輸入でも製作は国内?
画像が輸入されたのであれば、それに見合っただけの元画像の鏡が無い。
画像の変化は、大陸と同期する、つまり、大陸で新しい画像が出来ればすぐにそれを輸入しなければならない。
ここに古い画像が混載された形跡はない。
画像から作られた順番がわかるような変化を国産で主張することは難しい。
今日も中国鏡説に対するネガキャン乙
「ない」ことは証明できないからまともな学者は論拠にしないぞ
少しは鏡そのものの観察に基づいた議論をして欲しい >>218
逆だろw
無い事を証明する必要はない。
中国にもあるという事を証明しろって言ってるの。
舶載鏡信者って日本語も分からんのか?
中国に一枚も無いから普通は中国製じゃないと考えるんだよ。
無いものは証明出来ない。
わかる? >>218
ここまでレベルが低いと議論するのも哀しくなる
舶載説にはこんなんしかおらんのか? 三角縁の研究者は、全員、三角縁を楽浪郡、帯方郡の系列の鏡としている。
ただし実際の製作地について複数の説がある。
有力なのは、初期に楽浪郡、帯方郡の可能性、その後は国産。 >>220
こんなんしか居らんから腫れ物扱いなんだろ。
おまいだって道路を歩いていて前からイカレた奴がぶつぶつと訳の分からないことをわめいて
向ってきたら道を譲るだろ。渋谷の殺傷事件のようなことにはなりたくないだろ。
そうやって奴らは道路の真ん中を歩き続けてきたんだ。 上がってたから覗いたけど… まだやってるの(笑)
>中国に一枚も無いから
明石に明石焼き、広島に広島焼きが無いのと同じ。
博多に博多人形
佐賀に佐賀錦はあるな。
久留米に久留米絣もあるぞ。 >>223
後漢鏡や前漢鏡、その他の鏡は出てるんだよ。
三角縁神獣鏡だけ出てないのはなぜだい? >>223
言ってる事が屁理屈にもなってないw
こいつはアホなのか? で、結局国産説は印象論しか語れないとw
中国にないと連呼するだけじゃなく
当時の倭鏡との技術的共通点をあげてみろw 踏み返しなどの同型鏡製造技術が日本に特徴的。
洛陽では踏み返しに限らず同型鏡がほとんど見つからない。 >>222
つうか恥知らずが渋谷の雑踏でストリーキングをしているだけだろ。
舶載説なんて。 同型⊃同笵
同型⊃踏み返し
同笵≠踏み返しで技術的には全く異なるレベルのもの
ちなみに同笵は三角縁にしか見られないし
倭オリジナルの鏡には同型鏡はない
国産鏡に同型鏡が多いなんてのも単なる印象論 >>232
倭オリジナルの鏡って何だ?
△のことか?画文帯か?内向花紋か?
古墳から出土する鏡のほぼ全部が国産だろ。
△が舶載とか沙汰の限りじゃないよ。
そのボケが許されたのは50年前までだろ。 >>233
>倭オリジナルの鏡って何だ?
>△のことか?画文帯か?内向花紋か?
いかに古墳時代の鏡のことを知らないかよく分かるなw
もっと勉強してから出直しておいで >>234
返事をはぐらかすのが舶載説の手口なんだよなqq まあ、知ってれば、たいてい黙ってろと言ったって、
知識披露してくるもんだからな。 まぁ古墳出土鏡の実態も知らない連中が
ドヤ顔で鏡のことを語るわ専門家を罵倒するわ
ホントに楽しませてくれるよな >>237
楽しいっていうかなんとかして舶載説をおとしめようとする執拗さはむしろキモい そうそう日本で1億面出土して中国で0だろうが舶載に決まっているのにな。
精緻な理論構成には1000兆対0でも太刀打ちできまいww 稚拙なハニハの造形見たら
恥ずかしゅうて口が裂けても国産説唱えられへんで 三世紀の古墳から出土した三角縁神獣鏡ってあるの?
最も時代の古い出土例はいつの遺跡? だいたい魏の皇帝が呉の様式の鏡なんかやるか
日本からアメリカにハングルで書かれた為書きや感謝状を送るようなものだぞ
常識で分からんか?
分かりやすく言えば会津の人が自分は長州人ですと言ってるようなもんだ >>241
無い。
ほぼ全部、四世紀の古墳から出ている。
だから、三角縁神獣鏡は四世紀の鏡です。
一枚だけ、六世紀の古墳から出土している。 >>247
昔は全部4世紀以降の古墳からの出土として、240年に持ち帰った鏡が伝世した
なんていう珍説も流布していたね。
その後△が出た古墳のほとんどを3世紀にしてこれを泥縄式に解決した。
やつらに学者のプライドがないってことだけは一貫している。 日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など
1 特別な鏡だから日本で中国人の職人に作らせたんだろ
2 だから中国人が日本で作った >>252
全部日本で出ている。その数も600面以上。
中国・朝鮮で1面たりともでていない。
この時点で勝負アリと考えるのが普通だよ。
>>252
> A日本人に銘文が書けたとは思えない
えーw 中国の学者は王仲殊をはじめ、日本製と言っているね。
畿内説にしてみれば、大いなる時間つぶしだろうな。 >>255
おいおいw
景初4年も中国で作られたと言うのか? 同じ国産でもピンキリあっただろうしな。
時代でも違うだろうし、地方豪族がコピーして
さらにその子分が劣化コピー作った場合だってあっただろ。 当時のジャップは文化的に遅れており
銅鏡を制作できるレヴェルにはなかった >>255
書けてないのは三角縁にもあるよね。
そういう古典的な遺物研究を舶載、倣製の基準にしていたけど、
最近の研究でその仮説はかなり揺らいできてる。 239年鏡は崇神6年9月に鏡の改鋳を行った畿内の鏡作が畿内に来て
た大陸人と協力して製造した日本製のものである。
同年改鋳のことは鏡作神社の文献に書かれている。 >>260
そこで高度に文明の発達した宇宙人に三角縁神獣鏡を注文した。
これがいわゆる舶載説である。 >>261
すまんが具体的にどの鏡か提示してくれまいか
>>213
そういうことになりますな。
中国製とは考えられないものを中国製であるとするなら、それは、歴史を歪曲していることになる。
何らかの理由で誤信しているならまだしも、中国製であるとか、魏志に現れているものであるとか
強弁することがあるなら、それは「非常に悪質な故意の捏造」に異ならない。
中国製であるとするには矛盾ないし不自然な点が多すぎるなら、中国製ではないと考えるだけで足りるんだけどね?
「中国製ではないとしてしまうと都合が悪い者」がいるなら、話は別ですが? しょうがないだろ。
三角縁と土器変年だけがたよりなんだから。 >>264
神原神社の景初三年鏡は、韻律に問題がある。
それなのに、三角縁国産説以外の人は、この鏡を舶載と断定する人が結構多い。
> 日本製だとする説の問題は
> A日本人に銘文が書けたとは思えない
こんな事全く言えないのでは?
韻律に問題があっても舶載に認定してしまうのだから。
橿原研でさえ、古鏡総覧で舶載/?製の記述をやめてる。
>>221
王仲殊のように系列としても、呉であると考えている専門家もいるのでは?
>>269
漢字云々の話しは超簡単じゃん
三角縁と同じ時期のもので
研究者だれもが認める国産鏡から
漢字の銘文を書いてる例を提示すりゃおしまいでしょ?
漢字書ける派の人できないの? 横からだが、
研究者だれもが認める国産鏡で
漢字の銘文が論争になったとしたら、
その国産鏡の、国産、舶載論争が始まったりしないだろうか? >>268
年輪年代もあるよ。
まあ第二のなんとか事件になるかもしれないので、最近は触れない人の方が多いけど。
未だにあれを引用している人は人間性を疑われても仕方ないレベル
>>271
なるほど…
でも鏡の文様なんかでも判別できるんでないのかなぁ 生活土器と違って製造地の局地性も仮定できないんで、
相対年代である編年すら不可能。
ましてや製造地を逆算なんて。 >>265
>「いわゆる倣製鏡」群のことだろ。
レスしてくれてるのに申し訳ないが
この回答では全く具体的ではないのだが 三角縁神獣鏡が中国産だと言う人は、一体何の根拠があるのだろうか? 俺は嘘をついたり連投したりしてまで国産説優位に見せ掛けようとする奴の動機が分からない >>278
可哀想な奴だな…
もう誰も信じられないのか… >>275
あれって、紀年鏡だけを別扱いにしてるけど、おかしいよね。
紀年鏡は全体の流れの中に組み込むと、確実に後半〜終期になるのに、
それだと困るからって別にして、初期にしている。
【緊急】米国慰安婦碑撤去請願署名 ※6月9日まで!!【拡散】
このホワイトハウスへの撤去要請署名ですが、6月9日までに2万5千人の署名が必要です
アカウントはメアド必須ですが、不安な方は捨てメアドを利用してください。
○署名方法
PDF版 http://www.nipponkaigi.org/wp-content/uploads/2012/05/whi-H-Syo01.pdf
動画版 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17946574
○ホワイトハウスの署名サイトへhttp://wh.gov/yrR
○ツイッターやSNS,2chなど署名活動の拡散もお願いします。 >>251
事実関係から推定するんじゃなくて、最初に結論を出して、それに合うように割り振るんじゃ、
科学ではない信仰の類いでしかないからね。
まあ、科学を標榜する宗教というのもあるけど、「何かのご託宣を真理と規定して、何でも
かんでもそれとつじつまが合うようにしてしまう」んじゃ、病理の領域とみるほうが当たってる
としかいいようがない。 >>277
そりゃ、何かの神かなんかが乗り移った人のご託宣で、「これが魏志のいう鏡である」とか決まったんじゃないの?
よく知らんけど。 >>287
初期の頃は、「弥生時代の鏡より2まわりも大きい精緻な画像が描かれた鏡」ってことで、
「これは特別な鏡で卑弥呼が魏からもらったものに違いない。」と考えたんだろうな。
森浩一が50年前に国産説を提唱するまでは、やむを得なかった感じがする。
それ以後はただのバカだろ。
現時点ではあまりにも痛々しいので、批判するのも可哀想な感じがする。 >>289
学史を理解していないことは致し方ないとしても
モリコーさんの指摘の時点から全く進歩していないのは自分たちの方なんだという自覚くらいは持って欲しいところだ 割と精巧な舶載鏡はハクをつけたい集団が中国人職人を連れてきて作らせたんだろうさ
中国の研究者もそう言ってる >>289
ギョーカイ事情は知らんけど、そういえば、どこかに、すごくでかいのがあるとか? >>292
「中国人職人を連れてきて作らせた」といっても、よほどの好条件でもないなら、とんでもない僻地のまた先まで
来るわけはないだろうし、拉致してくるというわけにいかんと思うけど、中国の研究者は、そのへんをどういう風に
推定してるの?
>>294
日本人が4世紀頃に中国の鏡を真似て作った。
これが一般的な見解。 280年に呉が滅んで職を失った工人が鏡の需要の高い倭国へ渡った。
初期(3世紀末〜4世紀初頭)のものは呉の鏡工人が作った可能性が高い。
後は日本人がいつものように真似した。
>>292 >中国の研究者もそう言ってる
↓ ↓ ↓
>>294 >中国の研究者は、そのへんをどういう風に推定してるの?
↓ ↓ ↓
で>>297にある中国人研究者の言
「32.三角縁神獣鏡を呉の職人が日本で作ったものとした場合、なぜ、その銘文の中に魏の年号である「景初三年」や「正始元年」という紀年があるのであろうか。
33.この疑問については、私は1981年発表の「日本の三角縁神獣鏡の問題について」において答えを出している。すなわち、日本に移住してしまった中国の職人の頭の中では、中国はひとまとまりの国であり、魏と呉の境界などはすでに希薄となっている。
また、魏は中国の大国であり、その首都洛陽は伝統ある都城、正統性を象徴する都であった。
34.しかも邪馬台国と魏との交渉は緊密であり、呉の職人はこの邪馬台国に居住していたのであるから、三角縁神獣鏡を作るに際して、その銘文に魏の「景初」「正始」という年号を使用したとしても不思議は無かったのである。」
で結局、三角縁神獣鏡が中国産だという根拠は何ひとつないのかな? >>296
外周は内向花紋のパクリで、内部の神獣は画文帯のパクリという感じで独自性はない。
パクリ損なった唐草文様なんかは独自だが、もとのデザインの劣化でしかない。
つまり、日本の鏡職人でも、既存の鏡のデザインを真似ねば作れる。
銘文は、韻を踏まない漢字の羅列。漢字をかじった程度のレベル。
中国音や音韻を知らない者が文字を並べているに過ぎない。
これを中国の鏡職人が作ったというのは、中国の職人に失礼 >つまり、日本の鏡職人でも、既存の鏡のデザインを真似ねば作れる。
>中国音や音韻を知らない者が文字を並べているに過ぎない。
ご託を並べる前に古墳時代前期、つまり三角縁と同時期の倭鏡と比べてみ >>305
素人には御託にしか聞こえないらしい。
三角縁神獣鏡はお粗末って言ってるんだろ。
出来の違いは呉から来た鏡工人の鏡と、倭人がそれをマネして作ったものとの違い。
三角縁神獣鏡は中国人が日本で作った
日本人は踏み返しで作った 日本人が真似した鏡の実例があるんだが…
それがどんなものか知らないらしい >>309
もったいぶって墓まで逃げ切るのが畿内説の手口 >>304
>銘文は、韻を踏まない漢字の羅列。漢字をかじった程度の
♪邪馬台国 ドンと来い♪特別編(286)207: ローガン 2010/05/07(金) 15:18:59 ID:z1ok9YjQ
『表227:日本@名無史さん 2010/05/05(水) 22:26:46 AA
>森博達教授は述べる。そもそも魏の時代は、曹操父子を中心として詩壇が形成され、「建安詩」「正始詩」の時代として文学史上高く評価されている。
>詩は銘と同じく韻文であり、音韻の知識も深まっていた。卑弥呼を親魏倭王に任命した景初三年は、まさにこのような詩文隆盛の時代である。
>そのとき明帝(曹操の孫)は卑弥呼に銅鏡百枚などを賜わり、次のように詔した。 「これらすべてを汝の国内の者たちに示し、わが国家が汝をいとおしく思っていることを知らしめよ。それゆえに鄭重に汝に良き物を賜与するのである」
>この荘重な詔書とともに、「景初三年」銘の三角縁神獣鏡が下賜されたと、魏鏡論者は主張する。魏の詩人がこの三角縁神獣鏡の銘文を見れぱ、押韻の意識すら持たない拙劣さをあざ笑うだろう。
>「朕はアホなり」と言うに等しい銘文である。親魏倭王のみならず、皇帝自身の権威にも傷がつく。
>こんな銘文をもつ鏡を特鋳して賜わるはずがない。 三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。森博達教授の研究に対する考古学からの説得カある反論はまだ出ていないようだ。』
『しかし幼稚だなあ。君、下でも同様の書き込みしてるだろ。自分のレス内容、検証した?某サイト鵜呑みにしてるだけじゃない?
じゃあ聞くが、貴レスの論調でいけば(つまり押韻の件だ)下記のどちらが君の云う所の「アホ」だ?
@張是作鏡甚大好 上有仙人不知老 渇飲礼泉飢食棗 保子宜孫位至侯 王買鏡者富且昌
A太歳在丁酉時加未 師鄭豫作明竟 幽凍三章乃而清眼 服者大得高遠 宜官位為侯王 家□□□ 家吏居已□□□孫子也
さあ、どう?君に返答出来るかな?因みに@は黒塚の13号鏡、Aは紹興出土建安廿二年重列神獣鏡
すみません。又、貼り付けお願いします。』
wwwww >>311
ポイントを絞って書くとまずいからもったいぶってごまかすしか能がないのが畿内説 鏡の銘文なんてのは、文字数が少ない上に、作者などの情報を付加する
必要があるから、韻を踏む踏まないは、一概に法則があったとも思えない。
その上、中国国内では、高級品からそれなりの製品まであったろうし。 中国でも模倣鏡はどんどん質が劣化していくことがあったしね。
だから全部中国鏡だという説が出てきたりもする。 >>311 少数の例を一般化する誤り
やるなら韻を踏んでいるものとそうでないものを網羅的に比較しないと意味がない。
んで三角縁の銘文で韻を踏んでいるものの割合は高いのかね?
まあ舶載説は紐の穴とか無関係なものに的を絞った議論が好きだから仕方ないか
質問です、三角縁神獣鏡のある国々、例えば大和国とか尾張国とかは
どう言った意味があったんでしょうか?
>>316
そんな必要はないなあ
>>311は>>304の無知を曝すのに貼り付けただけ
それに俺は国産説だし >>316
穴はあの後、結構研究が進んだぞ。
向きとか中に詰めたものとか。
福永さんの結論を否定する方向なんですが。 >>318
それってネタだよね?
韻を踏む漢文とそうでない漢文の違いをわかっていないよね? 難しい議論でごまかそうとするのは舶載説の専売特許だから。
「中国で1枚も出ていないよ!」と子供に指摘される裸の王様。
学界には指摘する子供がいないからストリーキングを楽しんでいるんだろう。
>>320
書きたい事があるならかけばいい 無知の>>304に教えてあげれば?
>銘文は、韻を踏まない漢字の羅列。
が無知の304の言い分だ 韻を踏んでないから国産だとよ
続けたければ304とやれよ >>317
それらの地域では四世紀に、三角縁神獣鏡なる大量生産品の葬式道具を
葬儀に使う習慣があった、ということ。
葬式のやり方が同じ地域ってわけですな。 >>321
たしかに「中国で1枚も出ていないよ」で終わる論争ではあるが、
それをいっちゃお仕舞いよ。
学者の醜態を観察することが、この論争の醍醐味なんだから。
>>324は大嘘つきです
「この先絶対出土しない」とも
「この先必ず出土する」とも
誰も言い切れないのだから
出土状況の提示だけでは論争は終わりません
>>325
それを言い出せば
例えば神代文字が書いてある鏡も
「この先絶対出土しない」とも
「この先必ず出土する」とも
誰も言い切れませんよねw >>324
今時舶載説を声高々に叫ぶ学者はいません。
恥ずかしくて… 鏡はもともとは九州の文化で、いわゆる古墳時代になって近畿地方にも普及した。
少なくとも、弥生時代の近畿地方ではまず見られない。
日本書紀に、橿原で即位した神武天皇が、我々は天神の子であるから天神の祭祀を
やろうと宣言したとある。これによって鏡の文化が普及したと言えるかもしれないな。
つまり、三角縁神獣鏡は、神武天皇即位の産物と言えるかも。 >>327
たしかに一般向けの本で舶載説ってのは見かけなくなったな。
学界誌に「踏み絵を踏んだぞ!さあ俺を教授に採用しろ!」と投稿するのはいるが。
相変わらずゴミクズレベル九州説のアフォどもが三角縁神獣鏡をネタにして日頃の鬱憤を晴らそうと躍起になってるのか?
例によって例のごとく「中国じゃ0」を鬼首モノで喚いているが、じゃあその「分母」はいくつなんだという話で
もし中国で100枚出土していてその中に三角縁神獣鏡が0なら0/100
1000枚で0なら0/1000だ。
無論それは共伴のもので確実に魏代と分かるもので洛陽周辺のものだが一体いくらあるんだ?
要するに数字を使ったレベルの低いペテンに等しい話。
国産説の学者でもここのゴミみたいに「500:0」を連呼するような奴は問題外だ。
あと韻というのも大昔から言われてるネタだがそもそも銅鏡の銘文に皇帝の面子がかかるのか?という話で
以前週刊誌にも出てたがある臣下が王に蛮族を手懐ける手段として贈り物の効用を説いた時
その事例として出されたのが卑弥呼への鏡と匈奴の王へのベルトのバックル(犀の角だったかな?)の例
無論バックルなんて「お取り寄せ」だろう。
要は蛮族を手なづけられれば良いのであって
そこに銘文にまで皇帝の威厳を保つ必要があるのかという話だな。
そもそも韻以前に世俗的な利益を説く銘文に皇帝の威信をかけられるかどうか
そこからして問題だがwww
>>319
「中に詰めたもの」というのは中子に何を使ったか?という事かな?
それで工人の系統系譜に迫れる話しなら概略だけでも…
>>331 だな。
書いている本人は 「本気で舶載説を信奉しています。心から信じています。」
というスタンスを堅持している。 ジョーカーは三角縁神獣鏡魏鏡説なのか…。
今時珍しい。 ジョーカーらしき野郎が終止符スレでコチラに暴言を吐いている。
まず奴だな。
奴は258年説の成立を嫌うからな・・・。w ついでに曲学の徒氏も258年説を否定しジョーカーとそこんところは年代が
同説の318年だから、曲学の徒氏もいま必死になって彼の掲示板で318年説を
強調してるが、彼には気の毒だが天津神算木を見ても真は258年説のほう
なのだ。で、両人とも258年説にはうるさく敏感なのだ。w >>304
妄想と現実の区別がつかなくなっているみたいですね
早めに心療内科を受診することをお勧めしておきます >>314
少なくとも、世界を統べている偉い皇帝から麗々しく下賜してやるのに、ロレツの回ってない駄文が刻んである
粗悪品なんか、誰かに無理に頼まれたって意地でも持ち出したりしないんじゃない?
「ロレツの回ってない駄文が刻んである粗悪品をポイポイ投げ与えた類例はいくつもある」なら別だけど、
当時に限らない古今東西の常識から考えても、「するか?普通?」としかいいようがないし。
>>339
勝手に前提作ってそれとの合否で自説を正しく見せかけるのはトンデモの常套手段
まずは皇帝が下賜した鏡の銘文が韻を踏んだ美文麗文であることを示すべきではないのか? >>338
つか、中国語文としてどうとかいう以前に、文法的に中国語になってない漢字の羅列なら、「ダウト」でしかあり得ないという点に異論がある?
>>340
「勝手に前提作ってそれとの合否で自説を正しく見せかける」「トンデモの常套手段」の例。
「ロレツの回ってない駄文が刻んである粗悪品をポイポイ投げ与えた類例」など何一つ提示できない
=「ロレツの回ってない駄文が刻んである粗悪品は、中国以外のどこかで粗製濫造されたものでしかあり得ない」と、
なぜ素直に認めることができないのか?
理由は簡単、「ロレツの回ってない駄文が刻んである粗悪品も中国製であると、勝手に前提作って
「それとの合否で自説を正しく見せかけるトンデモの常套手段」が効かなくなるからでしょ?
>>341
>つか、中国語文としてどうとかいう以前に、文法的に中国語になってない漢字の羅列なら、「ダウト」でしかあり得ないという点に異論がある?
その方法論には「中国で作られた鏡の銘文には文法的に間違いない文章が書かれている」という未検証の前提があるからね
>>342
学問を研究するにあたって前提条件と認められるのは
第三者が誰でも確認できる史料・資料上の事実もしくは先学の研究成果だけだよ
銘文が〜韻が〜と論じ、それを実証するには日中双方の銘文を比較することが必須であり、
論じようとする側が検証データを提示するのは当たり前のこと
自分の常識が古今東西の常識と必ず一致すると考えているなら歴史学に関わることはよした方がいい
>>343
「未検証の前提」って、何の話? 本場の中国で、鏡の銘文の研究なんていくらでもあるでしょ?
「銘文も含めた全体として、明らかに中国製」という鏡に、中国の鏡の銘文の通例から明らかに
外れた、文法的にもおかしい漢字の羅列が存在しているものか?
何一つ読んでもいないということ? 何それ? >>343
歴史学に関わる前に日本語勉強してきた方がいいよ。 >>343
> 論じようとする側が検証データを提示するのは当たり前のこと
そうですよ?
三国の魏からの輸出されたのなら、「当時に現地に存在していたもの」に決まってるわけで、
第一に調べるべきは、「その種のもので当時に現地に存在していたもの」がどういうものだったか?でしょ?
そんなのは、古今東西のいつでもどこでも同じことだし、歴史学がどうとかいうような問題
ではない、「事実関係を確認するための単なる当たり前のこと」。
○世紀に○○で作られていたことが確認されているものがあって、それとそっくり同じものが、
作られたところから遠く離れた全く別のところに所蔵されていて、かつ、諸々の証拠に基づいて、
○世紀に○○から運搬されてきたと確認できるなら、それは、○世紀に○○で作られていたもの、
そのものと判定しても矛盾はない。
逆に、誰かが「○世紀に○○で作られた」と主張しているものがあって、しかし、同じものが
○世紀に○○で作られたという類例は全くないし、○○で作られたにしては不審な
点があるとしたらどうか?
○世紀に○○で作られていたもの「ではない」と考えるのが穏当。
それにもかかわらず、「○世紀に○○で作られた」と主張する者がいるなら、具体的な
根拠を明示すべきでしょ?
どういう「検証データ」があるわけ? >>345
そのへんはいいんじゃないすか? 「問題が大きいのは内容のほう」だし。 畿内説の考古学者も罪だな。
散々、三角縁神獣鏡魏鏡説を宣伝しておいて、都合が悪くなったらさっさと逃げ出す。
梯子をはずされて残されたものは、惨め〜。
梯子をはずされて、それに気がついていないものはもっと惨め。 >>348
第一に、新聞社の文化部記者達な。
卑弥呼の鏡と言われる三角縁神獣鏡・・・って書き出しをいつ止めるんだろ >>346
>「○世紀に○○で作られた」と主張する者がいるなら、具体的な
>根拠を明示すべきでしょ?
見苦しいヤツだなあ 正始に百枚入ってきたのは史実だ
金文として景初正始の年号があるんだから 関連を考えるのは通常の思考 舶載説だ
それに異を唱えるのが国産説なんだから 国産説側(俺もそうだか)が根拠を挙げて論証せにゃならんのだよ・・・
話題の『いわゆる倣製鏡』との区別の件だが 一切合切倭人製とするには 確かに無理がある
渡来工人製のものを真似て作ったと考えるのが普通
その渡来工人製△鏡に刻まれた年号が 景初正始 よって△鏡出土の濃密なエリアが邪馬台国
上にある王氏の見解は妥当www 三角縁神獣鏡が500枚以上
画文帯神獣鏡が150枚以上
方格規矩四神鏡が40枚以上
てなもんで、
卑弥呼がもらった鏡百枚ってのは、
方格規矩四神鏡じゃないかね。
当時の中国での代表的かつ精緻な鏡という評価も
異論はないところ。
一歩譲っても、画文帯神獣鏡止まりで、
三角縁はありえないところだな。
画文帯神獣鏡も踏み返しばかりで、
出てくる古墳の時代も三角縁と大差ありません。 >>350
一番肝心の「どこから?」はぼかす と。
「勝手に前提作ってそれとの合否で自説を正しく見せかけるトンデモの常套手段」炸裂でしかありえないんだけど?
「事実」かも知れないよ? ○世紀に○○で作られたという類例があるならね。
「絶無」じゃないの?
○世紀に○○で作られていたのとは似ても似つかない三角形のガラスのコップとかがあっても、だれかが○世紀に
○○で作られたという鑑定書かなんかをつけたら、○世紀に○○で作られたものになるのかな?
うまい商売じゃないですか? 引っかかる奴もよくいる詐欺の常套手段と、区別しようがないくらいにすばらしい。
自前で当時のものの間に埋めておいて、素知らぬ顔で掘り出すように仕向ければ完璧じゃないすか。 >>351
そうなると、三角縁神獣鏡は、いわゆる「卑弥呼の鏡ではない」ということで確定して、
やっと、いつどこで作られたのかが問題になると。 画紋帯は朝鮮で出てるけど、あれは朝鮮産なんだろうか、日本産がたどり着いたのだろうか。 >>355
あの同向式は日本で同型が20面以上でている。朝鮮で1面だけ出た。
日本の同向式はだいたい470〜530年頃の古墳からの出土が多い。
朝鮮から出土したのは三韓征伐に行った豪族が持ち込んだものだろう。
>>356
同向式はホケノ山古墳でも出ているが、あれも500年前後の古墳だな。
(理由)
ホケノ山古墳の周濠は堂の後古墳(500年頃)の周濠を踏みつけている。
ホケノ山の銅鏃は普通なら5C半ば以降とされるものである。
ホケノ山の副葬部は6C初頭とされた。
となると、ホケノ山で出土した画文帯同向式も他と同じで500年前後とするべきである。
△だけじゃなく、画文帯もまともな学者が触れたがらない地雷原になりつつあるなあ。
畿内説は自浄作用がないから地雷が量産されて畿内説自体が地雷原だな。
ホケノ山が地雷になったら避けて通れないだろうに・・・
若手学者も「地雷で踏み絵かよ。これ踏んだら学者人生終わりだろ!」と嘆きたくなるよな。
おれは神獣鏡は全部国産でも畿内説は成立すると思う。 >>359
というか、揃いも揃って「骨董品詐欺師」が自前で埋めておいたというわけでもないなら、
「いつどこでどういう人が作ったか」をきちんと検証すべき、というだけでは?
「これ踏んだら学者人生終わりだろ!」って、骨董品詐欺師の常套手段に引っかかった
ふりをして、そのままほっかむりしてるような「自称・学者」の人生って何だ?
ということになるな。 >>360
「畿内説」が三角縁を一つの根拠としていたのは、骨董品詐欺師の古い手に乗った、
物事を客観的に観察することができない「学者を自称する薄ら馬鹿」の仕業だったの?
違うんじゃないの? あくまで三角縁は卑弥呼がもらった鏡じゃないの?
だって、たくさん出土しているし、すごく見栄えがするのもあるし、何といっても、「卑弥呼の
当時の古墳」から出てるんでしょ? >>363
そうではない。三角縁=魏鏡説は考古学的には最初から困難があった。
小林行雄は、今よりずっと古い時代のものと考えられていた古墳からしか出ないから、
伝世説、貴重な鏡は何代も引き継がれてから古墳に入れられた、という仮説を考えた。
今では複数回の踏み返しによると考えられてる文様の鈍磨も、
長い伝世の間の手摺りによる摩耗であるという仮設を立てた。
倭人伝さえなければ、こんな説が古代史に登場することはなかっただろう。
しかし倭人伝の鏡の記述、前方後円墳から出土する大量の三角縁を見れば、
こういう仮説を考えてみたくなるのは当然のことだったろう。 >>364
変だなぁ?
「三角縁は卑弥呼がもらった鏡」で、それが何より証拠には、「卑弥呼の当時の古墳」から出てるし、
「三角縁が出るからこそ卑弥呼の当時の古墳」という、循環論法だか「定説」だかが、あちこちに
麗々しく書いてあったような気がするけど?
「最初から困難があった」の? >>365
「学史」って、物事を客観的に観察することができない「学者を自称する薄ら馬鹿」の醜態を表かなんかにしたもののこと? >>367
現代の事も分かってない奴が、古代史なんかやらないでくれるかなw 学史の意味さえわからない馬鹿がいるとは。ゴミレベルのスレだな。ここは。 >>364 いつもの恨み節東遷厨か?
>小林行雄は、今よりずっと古い時代のものと考えられていた古墳からしか出ないから、
>伝世説、貴重な鏡は何代も引き継がれてから古墳に入れられた、という仮説を考えた。
マジでこいつが何を言っているのか分からない。誰か翻訳してくれ。
ここのゴミ九州説のバカどもがしがみついている(まあ恐らく短い余生死ぬまでしがみつくんだろうが)昔の年代観が
何を隠そうゴミクズレベル九州説どもにとって『悪の キョウダイ な組織』のラスボス格であったはずの小林の理論によって支えられてきたという
俺みたいなド素人初心者でも知っている基本の基本のそのまた基本をこの馬鹿は分かってないんじゃないのか?
(だから「学史をやり直せ」とか「現代のことも分かっていない」とか自分が馬鹿にされても自覚できない)
小林は、△を出土する古墳は4C(半ば)以降が多いとする一方で、△は240年頃に
魏から戻ってきた使者が持ち帰ったとした。
この矛盾を解決するために、240年から少なくとも数十年は古墳に埋められることなく
伝世したと考えたんだな。まあご都合主義の妄想だが。
小林の頃は椿井大塚山古墳は4C後半〜末葉(380頃)とされていたので、こう考えるしかなかった。
その後に伝世という不都合を回避するために、椿井大塚山古墳を280年頃に繰り上げたのが
今の畿内説。まあ学説が劣化し続けるのが畿内説の専売特許だな。
椿井大塚山は380〜390年頃で良いし、△もこの頃に日本で作られたということでFAだな。 >>371
前半はおおむねその通りだけど小林の思考とは順序が逆だ
小林は三角縁が3世紀後半の鏡だと主張したが、
当時文献史学側から主張されていた「古墳時代開始4世紀説」に合わせるために
無理矢理「伝世期間」を見積もって三角縁の副葬開始を4世紀とした
純粋な考古学的知見によらず文献史学の成果に引きずられたことは本人も述懐している
つまり80年代以降の古墳時代の年代観の変遷は、
小林によってねじまげられたものに対する考古学的知見からの揺り戻し
ちなみに
>小林の頃は椿井大塚山古墳は4C後半〜末葉(380頃)とされていたので、こう考えるしかなかった。
>その後に伝世という不都合を回避するために、椿井大塚山古墳を280年頃に繰り上げたのが
>今の畿内説。まあ学説が劣化し続けるのが畿内説の専売特許だな。
というのは大間違い
学説がまったく進歩していないのが国産説なのだがね
>>372
こんな感じで今の畿内説の連中は、「俺たちは昔からこの年代観だ」とうそぶいているんだよなあ。
椿井大塚山の年代は考古学の方で決めたものなのにね。
土器年代は布留1後半から布留2で当時は古く見てようやく4世紀末葉とされるものだった。
今は布留0にしてごまかす人が増えたね。古いものが基準になるとか、もう宗教だね。
他の古墳との比較でも仁徳稜などの河内の巨大古墳群の年代が5C前葉で動かせないから、
その前の年代となると400年頃になり、その少し前となると4C末葉までしか遡れない。
今の畿内説は椿井を100年繰り上げたせいで、280〜380年までの古墳の年代を決める指標
がなくなって、権力者のお告げに従う宗教のように成り下がったよね。 >>373
畿内説って根拠なく年代をわめく人が多いよね。
それもピンポイントに230年とか260年とか280年とか。 >「俺たちは昔からこの年代観だ」とうそぶいているんだよなあ。
そんな主張はしていない
小林や佐原の主張した年代観は70年代から80年代半ばまでは考古学界の主流だった
これはまぎれもない事実であり、否定する気などない
しかし、小林や佐原の年代観の論理には無理や問題点があり、
現在の考古学界はそれを乗り越えて先に進んだということだ
その動きに異を唱えたいのであれば、
どこかの同人誌やネットで拾ってきたような薄っぺらな話しをまき散らすのではなく
正々堂々と考古学的手法をもって周囲を同意させるだけの根拠をもった
年代観を提示すればいいだけのことだ
ここでわめいても学問の世界はさらに進んでいくだけだぞ
ホケノが230年とかわめいていた人は >>358 にどうやって反論するんだろう?
都合の悪いことは全力で無視ってのは、研究室にこもれる人だけで大学で学生と
接する機会のある人はそれはできない。
最近はFランの学生でも畿内説を思いっきりバカにしている。 >>372
>学説がまったく進歩していないのが国産説
21世紀初頭で議論が停まってしまったとは思いますが、それは国産説の責任では無いでしょう。
鉛同位体比を使った分析から、複製鏡や倣古鏡の存在を無視した、小林式分配・伝世論が完全にガラガラポン状態になったわけで、
舶載説は「ごく一部だけに楽浪鏡の可能性がある」くらいまでに後退したままと言うところじゃないですか?
>>377
反論?
周濠の切り合いが発掘調査で確認された訳ではないからな
なんだ探査データの読み間違いか…
と思った研究者が大多数で9割9分以上
ホケノ山は6世紀に再利用されているから
そのときに周濠が再掘削されたのでは…
と思った研究者が1分いるかいないか
ホケノは6世紀の築造だったんだ
と思った研究者ゼロ
といったところだな >>378
いや、国産説は「中国で出ないから決まり!」で止まってて
当然進まねばならなかった三角縁と他の国産鏡との近縁性の
考古学的検証という研究方向に向かっていかなかったという現実がある
>>375
畿内説の考古学者は合わないされる年代を合わせていく。
そして、年代が合うから間違いないと主張する。
箸墓なんかがそうだな。なんだかんだの理屈をつけて、年代をさかのぼらせ
卑弥呼の時代に合わせる。卑弥呼の時代に合うから卑弥呼の墓だと主張する。
しかし、結局は無理があるから、また年代がさかのぼる。あとは知らん顔。
今は纏向の年代がそういう感じ。なんだかんだで纏向を卑弥呼時代に合わせた。
卑弥呼時代に合うから邪馬台国だと主張する。しかし、根拠はまったくない。 >>378:ひとぶた
>21世紀初頭で議論が停まってしまったとは思いますが、それは国産説の責任では無いでしょう。
そうかなあ? >>380氏の言う通りでしょう。
舶載鏡倣製鏡という区別は国産説的には首肯出来ないでしょうから(笑)、
仮に200番を境に『前』『後』としますよ。
後の鏡の図像、銘は明らかに製作者がその意味を理解出来ていないもの… で良いですよね?
すると、前の鏡との製作者の区別は、中国人と倭人て事になりますね。
ピークが早いのは当然、前の鏡。つまり複数の中国工人グループが来倭し、短期間に多数製作し去って行った。
という仮説でしょうが、さて、大量の鏡を残した工人グループ。その存在の足跡を鏡以外で 何に見ますか? >>368-369
↑
物事を客観的に観察することができない薄ら馬鹿 >>384
純粋な馬鹿ならまだ良いが、骨董品詐欺師の類いも人間面をして口を挟んでくるからな。 そうそうw
妄想を事実であるかのごとく語ったり
大嘘を平気でつくような奴がいるので要注意だよな >>383
横入りですが、
> 前の鏡との製作者の区別は、中国人と倭人て事になりますね。
・・・ではなくて、「誤りがあったら訂正できる知識があって、かつ訂正できる立場にある者が一人でもいたか否か」で十分ではないかと。 >>388
>「誤りがあったら訂正できる知識があって、かつ訂正できる立場にある者が一人でもいたか否か」
その「一人の先生」の指摘により、訂正されたものが前の鏡で、漏れたものが後の鏡だって?(笑)
ピークはどちらが先?技術移転とか考えないの? 技術移転したかどうかはともかく、
だんだん作りが荒っぽくなっていく傾向にはあるようですな。
鋳っぱなしで、バリも取ってない三角縁神獣鏡の欠片が、
大量に敷き詰められたりしているようなので、
実用性と乖離して量産され、葬具専用に使われているのは間違いないでしょう。
画文帯神獣鏡のほうは、まだ大事に扱われているようなので、
そちらのほうが希少価値は高かったのでしょう。 いや、所謂「舶載鏡と倣製鏡」の区別にまつわる話をしていたつもりなんですけどね。 欠片なのに鋳放しでバリも取っていないと認定できる不思議w >>389
自分の思考方法がかなり硬直してるという自覚はない? >>381
最低限の自浄能力がないと学会として成り立たないよなあ 学会と称する宗教団体ですか。
何かそんなのがあったような? 歴史、考古学系の学会が正常に運用されていないとは思わないが、
藤村捏造事件にあるように、捏造体質がなかなか抜けないのは
なぜなんだろうな。
他人のチェックがされにくいのかね? 一体どこから三角縁神獣鏡が舶載鏡だという考えが生まれたのだろうか?
当の中国の考古学者でさえ中国製ではないと断言しているのに。
今では恥ずかしくて言えない伝世鏡を唱えた人に影響されたのか?
>>399
物事を客観的に観察することができない薄ら馬鹿w 『人間革命』の全巻を読破した上でないと層化の批判はできないとした場合に、
全巻読んで批判するか彼らを避けるかとなると後者になるよなあ。
>>399
骨董品詐欺師の例によって、何か儲け口につながってたからじゃない?
「そういうことにした方が儲かるやつがいた」。
骨董品詐欺の犯人はだれだ? >>402
詐欺師とかの例によって、都合が悪くなると黙り込んで知らんぷりするんじゃない?
「土台がそういう人間」。
ま、科学とかとは無縁の宗教のたぐいなら、そのほうが常態かも知れんが。 三角縁が魏鏡とされた研究史も振り返らず
あーだこーだ妄想を書き込んでるあたりが 研究史的には、モリコー国産説を言った時点でFAだったけどな。
そっから先は暗黒史 どうみても呉鏡の特徴を持っているのに
なぜか魏鏡とされた黒歴史ってやつか。 >>410
誰がどういう手口で骨董品詐欺を働いたのかね? 考古学という学問の性質上
三角縁とほかの国産鏡の技術的な関係性がまったく検証されていないので
モリコーの指摘の時点で「正解が出た」と受け取った研究者はいないな
国産であることの結論はモリコーの時点で出ているよ〜
その先の研究課題があるから国産じゃない、とか無理な話だねえ〜 材料がどこから来たのか推定することって出来るかな? >>415
理解できないのは貴方が考古学という学問を知らないからですよ >>383
おひさです、ローガンさん。
> 仮に200番を境に『前』『後』としますよ。
> 後の鏡の図像、銘は明らかに製作者がその意味を理解出来ていないもの… で良いですよね?
> すると、前の鏡との製作者の区別は、中国人と倭人て事になりますね。
ならんでしょうw
漢字のわからん人間が銘文から造ろうとしたら「いわゆる倣製鏡」レベルのものになるでしょうけど、
コピー鏡なら、漢文の知識が無くても「いわゆる舶載鏡」を非中国人が造ることは可能でしょう。
よって、定理1「倣製鏡の作者は銘を解せず」は正であっても、
それを理由に定理2「舶載鏡の作者は銘を解す」は論証できません。
4世紀〜5世紀になっても三角縁の埋納が続くのは工房が存続したからだと思っています。
また、議論の停滞について、>>380氏の言わんとするところはよくわからんのですが、
21世紀初頭を賑わした鉛同位体比の議論は国産説が提起したものです。
これによって、様式上の「編年」が違っても、埋納先が同じ鏡は、同じ同位体比を持つことから、
三角縁には大量の複製鏡が存在することが明らかとなり、従前の様式論的編年が崩壊したわけでしょう。
鉛議論は、材料のブレンドとか、複雑な条件を想定すると、それだけで結論を出せるようなものではないですけどね。
>>418
つうか、舶載の△を見よう見まねで複製した国産品なら、製造法が大きく違うはずなのに、
その違いがないってのは、全部が一連の流れにあるってことだよ。
デザインや表現の変遷も入り組んでいて分けるべき線も引けない。
それを認めて「全部舶載だ!」とした車崎は、ある意味でまとも。
全部が一連のものと認めたわけだから。
鉛同位対比の研究では、舶載と国産が狭い領域で同じ材料を使用していることが判明したから
舶載と国産を分けることが間違いであることは、すでに決着済みと言わざるを得ない。
△が中国製だという奴は何か反論はないのかよ?
さっきから低俗な批判と罵詈雑言しか聞こえないぞ。
中国で作られたと思う理由と根拠をあげてみろ。
418:ひとぶた
>コピー鏡なら、漢文の知識が無くても「いわゆる舶載鏡」を非中国人が造ることは可能でしょう。
そう。踏み返し鏡ですからね。でも親鏡製作者に非中国人を考えるのは、無理があるでしょう。
何も全て舶載鏡だと言ってる訳では無い。現に紀年鏡だって踏み返し鏡ですからね。
>従前の様式論的編年が崩壊したわけでしょう。
いえ、以前議論させて戴いたように、短期編年なので 同時存在。二次鏡等のストックを考慮した上で、「花輪鏡」製作時に踏み返しによる鋳造と捉えれば良い事。
これは編年とリンクしない話。
>>419
>製造法が大きく違うはずなのに、その違いがないってのは、全部が一連の流れにあるってことだよ。
湯口の位置の観察から、原氾使用か、金属原型使用(踏み返し)かを区別出来るとすれば、
「製造法が大きく違う」わけでしょ? >>418 ヨコからですが
> これによって、様式上の「編年」が違っても、埋納先が同じ鏡は、同じ同位体比を持つことから、
> 三角縁には大量の複製鏡が存在することが明らかとなり、従前の様式論的編年が崩壊したわけでしょう。
「これ」とは荒井宏説のことですね。荒井説は
「埋納先が同じ鏡は、同じ同位体比を持つ」に対して、
椿井大塚山出土鏡群の同位体比が記年鏡群全体のばらつき幅よりも広い範囲に分布することから
成立の余地がないということです。 >>423
でも△はあの狭い領域に全部が収まっているんだゼ
舶載説が成り立つためには、「舶載の△の同位対比」と「国産の△の同位対比」が
別の場所に区分できないとダメだろ。
同位対比の問題を舶載説が必死に無視している現状を理解しろよ。
学者のプライドをかなぐり捨てて不都合な事実から逃げまくっている現状を。
>>423
恥ずかしげもなく、こんなすぐにばれるゴマカシを書くのが舶載説なんだよなあ。
久しぶりにワラタ
まず、△の同位対比は非常に狭い領域に集中している。
これは新井が参入する以前にデータが出ている。
しかも、紀年鏡は△だろうが、画文帯だろうがそれ以上に狭い領域に集中している。
鏡の種類に関係なく、紀年鏡は同じところでほぼ同時期に製造された。
それが紀年の年号に関係ないから、紀年が偽年と断言できる。
結局のところ
「魏代の洛陽あたりでの銅鏡の製作状況がどのようなものであったのか?」
…について分からなければ国産舶載に結論は出ない。
魏鏡説的には後漢末からの戦乱で銅鏡制作組織も壊滅し
そこから再生した時に南方の神獣鏡の意匠を持つ工人が多く招かれた
・・・と言うストーリーになるのか?
対して国産説で方格規矩四神鏡や内行花文鏡を推す場合は
細々とであっても後漢末からの技術的系譜が続いていたと見るのか?
溜飲を下すネタに飢えているゴミクズレベル九州説は必死に
「国産で決着済み」と金切り声をあげているが
何れにせよ現時点ではどちらも単なる想像でしか無い。
尚ゴミクズレベル九州説のアホどもが必死にあげている中国の学者というのは言わずもがな王のことで
例の「邪馬台□の会」も以下の文章を我が意を得たりと載せているがw
>三世紀の魏・西晋の時代に、邪馬台国が中国から輸入した銅鏡は、主に方格規矩鏡・内行文鏡・キ鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡等である。
>中国の北方地域から朝鮮半島を経由して日本に伝わったのは、これら一連の銅鏡である。
その続き部分は何故か触れられていないように思うがw
>いっぽう、同じ時代に日本には中国の南方地域、主として呉の会稽郡から、各種神獣鏡と各種画像鏡を中心とした
>中国南方系統の銅鏡を海路輸入した。
『三角縁神獣鏡』王仲殊
そう邪馬台国の時代に日本に呉鏡たる神獣鏡が入っていたりするのは彼らにとって非常に不味いw
三角縁神獣鏡が魏鏡でなくても神獣鏡の”し”の字も日本に入っていては不味いのであるwww
>>425
>しかも、紀年鏡は△だろうが、画文帯だろうがそれ以上に狭い領域に集中している。
横からだが・・・
そもそもそこで言う紀年というのは黄初から正始あたりまでの精々20年程度の短い期間で
「集中」して当たり前でないのか?
>>428
5世紀の古墳から出てきた明らかに国産と思われる鏡と殆ど同時期に作られたって事だよ。 >>426
>「魏代の洛陽あたりでの銅鏡の製作状況がどのようなものであったのか?」
洛陽の尚方での鏡づくりは、後漢末の中断から30年〜40年の空白があって、明帝の青龍年間に復活する。
>そこから再生した時に南方の神獣鏡の意匠を持つ工人が多く招かれた
神獣鏡は中原で「鬼道」と呼ばれて邪教扱いされた新興宗教の産物だ。
曲がりなりにも禅譲を受けた正統王朝の工房で、
邪教の信仰的精神性を描いた「神獣鏡」をつくることは絶対にない。絶対だ。
>>427
>三世紀の魏・西晋の時代に、邪馬台国が中国から輸入した銅鏡は、
>主に方格規矩鏡・内行文鏡・キ鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡等である。
中国古来からある信仰的精神性を反映した天円地方・四神・北斗の星を描いた方格規矩鏡と、
後漢末に興きた天師道思想を反映した神獣鏡とでは明らかな違いがある。
>同じ時代に日本には中国の南方地域、主として呉の会稽郡から、
>各種神獣鏡と各種画像鏡を中心とした中国南方系統の銅鏡を海路輸入した。
これは、三角縁神獣鏡以外の各種神獣鏡と各種画像鏡という意味だな。
>邪馬台国の時代に日本に呉鏡たる神獣鏡が入っていたりするのは彼らにとって非常に不味いw
ここでいう「呉鏡たる神獣鏡」は三角縁神獣鏡以外の各種神獣鏡を指すのだから、
誰しも入ってきていたことを否定するものではない。
だからといって、三角縁神獣鏡が呉地域から入ってきたという短絡直結論法にはならない。
画紋帯であろうが三角縁であろうが、神獣鏡は後漢末に興きた鬼道の鏡である。
張陵が天師道を興すのが142年、これが最も盛んになるのが、孫の張魯の代の190年頃。
神獣鏡を神宝とし破邪・駆邪の呪具とするスタイルが倭国に伝わり、
広く普及するまでにはどの程度の時間的スタンスが必要か。
そうして、神獣鏡を墓に副葬するほどの普及量に達するまでにはどの程度の時間的スタンスが必要か。
ホケノ山古墳からは画紋帯神獣鏡が出土したらしいが………。
>>429
言っていることが意味不明だな。
今までの話なら普通は同位体比からあるいは紀年から比較的短期間に造られ
それが長期に渡って副葬されたと見て当然その中で一番古いものに合わせて
その製造時期を考えるのが筋だろう?
―と言うか5世紀というから、ひょっとして同じ画文帯神獣鏡ということで一括りにして江田船山あたりとホケノ出土のものも一緒くたにしてるって馬鹿な話なのか?
(東王父、西王母の位置が逆だったりと言う違いがあったと思うが)
もし、その程度のお話なら、とにかく新しい方を基準にしてそっちに持って行きたがる東遷説狂信者のいつものペテン的手段だな、いい加減うんざりだ。
副葬時期の下限なんて理論上限界はない。 >>430
何やら色々と異(作)臭がするがw
>邪教の信仰的精神性を描いた「神獣鏡」をつくることは絶対にない。絶対だ。
根拠なし。
「絶対」という言葉を思い込みで使うな。
その目で見てきたかのような嘘をつくな。
いつものお前の自己満足のイミフワード「信仰的精神性」とやらの御託に何の根拠もない。
だから魏代の洛陽でどのような鏡が作られていたのか資料をもって説明できなければ単なる想定でしか無い。
魏代の洛陽で造られたと言うことが確実に分かっている中国で出土した鏡を数十面〜百面でも出して
その中に神獣鏡が一面もなければそのご高説にも首肯してやろう。
無論今までゴミクズレベル九州説からそんなデータが出てきたことは一度足りともない。
>普及量に達するまでにはどの程度の時間的スタンスが必要か。
「時間的スタンス」というのはどういうニュアンスなのか相変わらず分かりにくい言葉だし(苦笑
最終的に何が言いたいのかも意味不明だがw
要するにだ、ぶっちゃけた話、お前の立場としては熊本邪馬台国の東遷のスケジュール上
二世紀末までには中国で出現している神獣鏡が(例え国産だろうが)3世紀に日本で登場するのは不味いんだろう?(ゲラ
『銅鏡議論を見ていて思う素朴な疑問』
そもそも話が”ズレている”と思うのは銅鏡に皇帝の面子がかかっているかのような評価をしているところだ。
まるで金印と同じようなウェイトを想像しているように思える。
金印なら「格」のようなものにこだわっったらだろうし
実際、志賀島の例のアレは江蘇省出土の「広陵王璽」と文字のフォントやタガネにより刻まれた文様も共通していて同一工房で作られた可能性もあるらしいが
銅鏡なんて世俗的なものにそこまで神経使う必要があるのか?
そもそも銘文にしても押韻のツッコミ以前に(三角縁神獣鏡の銘文にはよくある)「〜保子宜孫」なんて
要するに「女が所有すれば子宝に恵まれる」なんて効能書きが書いてあるようなものに皇帝の権威を求めるほうがナンセンスだと思うが
そう云うツッコミは今までなかったのか?w
舶載説・国産説に関わらずどうも鏡を議論してるうちに過大評価し過ぎになってないか?
これについてはゴミクズレベル九州説以外の人からも意見を聞きたいところwww
あと「邪馬台□の会」にも出ていた三角縁神獣鏡の銘の押韻についての批判をしているサイト
http://www.eonet.ne.jp/~temb/9/Sinzyukyou/Sinzyukyo.htm
つまり、自分の都合の悪いものは、
価値がないという、よくあるお話ですな。
倭人伝の行程記事も、自説に合わなければ、
デタラメで価値がないという議論は、何度となく聞きましたね。
今度は、銅鏡も自説に合わなくなってきたので、
つまらないどうでもいいものにしたいのですね。 >>434
ジョーカーはネジの足りない可哀想な子だから…
そっとしてあげて… まあ、国産量産品であり、呉の意匠を組む三角縁に価値がないのは常識。
漢鏡(魏鏡)である方格規矩鏡に着目すべきであろう。
国産説に「厚み」が感じられないのは
例えば当時魏で造られていた、卑弥呼の鏡を「方格規矩四神鏡」としても
それを言いっぱなしで終わり編年してどれが魏代の「方格規矩四神鏡」かなんて出てこないところだな。
(俺が知らないというだけであるのならご教示願いたいが)
>>432
>根拠なし。
絶対だ。てめえが邪教扱いした新興宗教の鏡を、権威ある工房むでつくるか。
皇帝ご用途達の国際外交贈答用に、敵地・呉の様式鏡を送るか。言葉づかいがチト高尚すぎたか。
>見てきたかのような嘘をつくな。
おれが絶対というときは、「論証の必要のない常識」だ。常識がない者には分からない。
>「信仰的精神性」とやらの御託に何の根拠もない。
「論証の必要のない常識」だ。高尚な世界だ。
>魏代の洛陽でどのような鏡が作られていたのか
明帝の時代につくられたのは青龍鏡だ。はっきりしてるだろ。
>その中に神獣鏡が一面もなければそのご高説にも首肯してやろう。
洛陽では神獣鏡は1枚もない。実は、出土したわずか1〜2も広漢字西蜀でつくられたものだ。
>無論今までゴミクズレベル九州説からそんなデータが出てきたことは一度足りともない。
お前が知らないだけだ。
>二世紀末までには中国で出現している神獣鏡が(例え国産だろうが)3世紀に日本で登場するのは不味いんだろう?(ゲラ
こっちは別に。神獣鏡が日本で登場する時期は畿内説にとって問題なのだ。
>>433
>銅鏡に皇帝の面子がかかっているかのような評価をしているところだ。
皇帝ではない、王朝のメンツ・国家のメンツだボケ。
たしかに、お前の頭は素朴すぎる。
>銅鏡なんて世俗的なものにそこまで神経使う必要があるのか?
だから。そんなものを国家の官製工房でつくるかってことだ。
>銘文にしても押韻のツッコミ以前に(三角縁神獣鏡の銘文にはよくある)「〜保子宜孫」なんて
位至三公も保子宜孫も庶民が好んだ吉祥句よ。
>皇帝の権威を求めるほうがナンセンスだと思うが
皇帝の鏡は金錯嵌鉄鏡、皇后の鏡は銀錯嵌鉄鏡、公子血族は金銀銀錯嵌鉄鏡。
庶民向けの吉祥句など書いてあるわけがなかろう。
皇帝の鏡に「位至三公」なんて銘文があるわけなかろう。この理屈はわかるだろ。
さて。サッカーば応援せんか。バカたれが。 >>438 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
全くの根拠なし。
>「論証の必要のない常識」だ。常識がない者には分からない。
例によってこの阿呆は最後は自分の脳内根拠だけ。
>敵地・呉の様式鏡を送るか。
あのなあ馬鹿よ「呉鏡」といった場合の「呉」とは三國時代の呉を意味するんじゃない
じゃあ2世紀に出た神獣鏡は呉鏡と言わないのか?
…で相変わら具体的なデータは何も出さない(ゲラ
大体「青龍鏡」ってなんだ?
青龍三年銘と言えば京都・大阪で出た方格規矩四神鏡しか思いつかないが
中国での出土があるのか?
>神獣鏡が日本で登場する時期は畿内説にとって問題なのだ。
まあ実際に二世紀には登場する神獣鏡の意匠が三世紀の丸々百年日本に伝わらなかったなんて与太は
東遷説に固執している狂信者が喚いているだけで問題にもなっていないがなw
>>441
みたか「中東の笛」。
あの平衡感覚のなさが畿内説そのまんまなのだ。 まあ結局のところここで国産説で決着がついたと嘯いているゴミクズレベル九州説のアホどもは
何処かに魏で造られていたのは方格規矩鏡・内行文鏡…etcと何処かに書いてあれば
我が意を得たりと飛びついて鵜呑みにするだけ。
実際それがどの様な資料によって証明されるかなんて考えもしない。
だから資料の提示なんか求めても誰も何一つ出せないw
>見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
『 青龍鏡 』とやらが何なのか気が向いたら教えてくれw
過去のお前の知ったかぶり・デタラメの実績を考えると今回もどうせ脳内ソースとは思うが一応念のため(ゲラ
>>444
王朝の格式と威厳を知らない「しもじも」の末裔。
「皇室儀礼を知りません」というような小市民の小せがれに、
ちと、難しいことをいいすぎた。ま・分かる奴が分かればいいことだ。
それにしても、中東の人間に裁定ごとは任されんな。
親日的な表づらをするわりには実際は態度が違う。
大震災のあと「兆」のつく金額を寄付する大富豪が出るかと思ったが、
あっちら方面の民族は・とんと知らんぷりだった。
目の玉の黒目がタテになってるワニとか蛇とかと同じで、
俺たち日本人とは意志の疎通ができそうにない。 意思の疎通ができないという点では、
事実誤認によるお角違いの横車を書きなぐる分裂型支離滅裂思考野郎もおなじだな。 おほほーい・ジョーかあ。
ガキのコロから鼻の穴に指を突っ込んで首をかしげるクセがあったから、
鼻の穴が正面向いてるだろ。
82にも同じような奴がいるんでゆってやったぜぇ。
>>445-447 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
読む価値なし。
きちんと消化していないから突っ込まれるとファビョるしか無いこの馬鹿のいつものパターンw
で、この阿呆の今回の話のオチは以下のようなものと推理する(ゲラ
青龍三年銘の方格規矩四神鏡をもって魏における銅鏡制作の再開を述べたようなものを何処かで見て
てめえの脳内ストーリーに合致すると喜んで飛びついた。
が、それらが出ているのは「京都府太田南5号墳」「大阪府安満宮山古墳」といった出土地の事を
はしゃいで失念したか最初から見ていなかったか。
何れにしろ自身の脳内ストーリーに都合のいい所だけピックアップして覚えこむこの馬鹿の習性www
この方格規矩四神鏡が何れも魏の右尚方で造られたというのなら勿論この馬鹿の熊本邪馬台国東遷説なんか吹き飛ぶって話wwww
方格規矩鏡は糸島平原から大量に出土し、
北部九州の中心とする古墳の十箇所程度から、一〜二枚ずつ出ている。
畿内からも二箇所だけだが出ている。 >>436
>漢鏡(魏鏡)である方格規矩鏡に着目すべきであろう。
なるほど。正L規矩鏡に着目と。
魏鏡の特徴に長方形鈕孔があるという訳ですな。 >>450
本当にこの阿○は毎度屁理屈にもならんことを。
単一的事項を一つずつ挙げていくとどんなトンデモでも成り立つって知ってる?
知識が薄いとこうなり易い。 >>451
やあ、なんか必死やね。そんな幼稚な駄レスはいいから…
>>1から読み返したところ ネガキャンばかり。>>188 >>193 >>232 にはスルーしたまま(笑)。
君らのお仲間で業を煮やしたのが>>350氏というところか…
せっかく参加しているんだから、上記レスに反論してみたらどう? 期待してるよ。
無理かなあ?黙っちゃうかな(笑) >>453
だ・か・ら・どこに中国製だと思う根拠があるんだい?
自分の投稿を読みなおしてみよう。
日本語わかるかい?
本当学のない奴は困るなw 魏の年号が入った紀年鏡は、
魏鏡、あるいは魏鏡を模した鏡でいいんじゃなかろうか。
景初も青龍も魏の年号だろ。 / \ / ヽ く ク _l__ __l_ , _
| ● (_人_) ● | ∠ lエ| 、ノ ヽ| |
ヽ_ ) ) ) )ノ 小 |_, 人 ._| ヽ ー
/:::::( (:|ヽ/Vヽl:( (:i (;#ヽ
|::::|::>:| ハ |::<:.!| ヽ\ __/ ヽ ,
|::::|::::ヽ| リ |:/::|| ||`' / ̄ l | | ・ ・ ・
 ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| (⌒jヽ レ
| こうし 430せんせい |
| | く ク _l__ __l_ __l_ヽヽ
| | ∠ lエ| 、ノ ヽ| | -‐
| | 小 |_, 人 ._| ノ ー
>>455
魏に景初4年はないよ
神獣鏡もないよ
三角縁もないよ
日本で数十枚しか見つかってない鏡だって中国で見つかったけど
三角縁神獣鏡は数百枚出てきたのに中国じゃたったの一枚も欠片もでないよ
国産と思われる鏡は殆ど中国の鏡をマネして作ってあるよ
国産と中国製の鏡に線を引こうとたのは舶載説の人たちだよ
意味無いのに
普通は中国から出たら中国製、出なかったら国産と考えるべきだよ
100パーセントとは言わなくても、国産の可能性が明らかに高いと言うのが考古学者だよ
それでも中国製だと考えるのなら、その根拠が聞きたいな
>>454
>自分の投稿を読みなおしてみよう。
OK 私のレスは>>223>>383>>389>>391>>421>>450 だ。
>>223は、「雲気文」「鋸歯文複波文」の有無、半肉彫で一定の寸法という日本の△鏡についての定義が中国には無い。
その事を、同じであっても地元では違う呼び方をする物に喩えたものだ。
ちょっと鏡をかじった者ならわかるレス。よって>>226は阿〇。
>>383は、舶載と倣製の銘、図像の理解に関する差異を根拠に製作者を中国人と倭人に分けて考え、
国産中国人製とするならば、その工人グループ存在の足跡を何に見るか? でその答えは勿論「無い」だ。
>>421は、広峰鏡の銘のズレを踏み返しと捉え、湯口の位置が一定する倣製鏡との鋳型の違いを述べたものだ。
>>450は、勿論華北東部の魏鏡に見られる特徴との一致に触れたもの。 君には理解できなかったようだが、いずれも初歩的な話。
>だ・か・ら・どこに中国製だと思う根拠があるんだい?
あはは、お仲間のレスに書いてあるやん。
「>>350見苦しいヤツだなあ 正始に百枚入ってきたのは史実だ金文として景初正始の年号があるんだから 関連を考えるのは通常の思考 舶載説だ
それに異を唱えるのが国産説なんだから 国産説側(俺もそうだか)が根拠を挙げて論証せにゃならんのだよ・・・」
そう。ボールは君たちにあるんだ。頑張ってね。(笑) >>458
>じゃあ歴博の人間は考古学者じゃないな。
あそこは、畿内説一派の関東出張所。
畿内説は一つの処世手段。
畿内説によってなるヒエラルキーによりすがって処世する輩の巣窟。
ゆくゆく副館長から館長の座にのぼり詰めるのが誰か。
トトカルチョでもやろうか。にひひ しかし舶載=魏鏡になっているなw
本来呉鏡であっても舶載・中国鏡のはずだが、邪馬台国の位置論争で頭に血が上っている(主にゴミクズレベル九州説の)連中は
要は「卑弥呼の鏡であるか否か」だけにアタマイッパイイッパイ思考が一点集約してるようだwww
で、三角縁神獣鏡を呉地からの各種神獣鏡や画像鏡を元に国内で作ったとしようにも
銘文や外周突線や中子の形状等どうしても華北に見られる要素を組み込む必要がある。
果たしてその「合成作業」のようなものを国内でやったか?それとも中国でやったか?現在のところは不明とするしか無いと思うが
何れにせよ魏代の銅鏡制作環境が分からなければ比較検証の為のベースがない。
「中国で一枚も出ない」だけを連呼して「国産で決まり」という奴の知能を疑う。
と言うか王の論文が出た80年代からこっち中国で魏代の鏡について何かしら新しい知見はあったのだろうか?(国産/舶載どちらに利するものでも構わない)
>>460 上昇気龍
おーい 上昇気龍= 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作大先生 よ
結局お前の言う『 青龍鏡 』って何処で出土した鏡を指してるんだ?
まさか本当に京都大阪の物を言ってるなんてオチじゃないんだろう?w
>>457
まあまあ、落ち着け。
「魏鏡を模した鏡」ともかいてるだろ。
たとえ形状が呉鏡に近くても、蜀鏡(あるのかどうかはしらん)であっても、
ズレた年代であっても、魏の年号を使う以上、三角縁を作った人たちは、
魏鏡を作ったつもりなのさ。
わかることは、発注した人間が、文様デザインの違いが職人の出身地を表すことを
知らなかったということさ。
漢字はそれなりに読めたが、文様の違いはわからなかったのさ。
銘文も韻を踏んでないとかここでよく書かれてるよな。
このへんはアートの目利きの問題だ。
まあ、こんなものを魏朝に持ち込んだら、相当笑いもんになるレベルだろうな。
( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l l l l l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ 三 .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ 角 │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ 縁 │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! ? │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※ ※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ
>まあ、こんなものを魏朝に持ち込んだら、相当笑いもんになるレベルだろうな。
前にも言ったがそもそも、そういう銅鏡の銘文に王朝の面子がかかっているかの如き想定に根拠があるかどうかだな。
まあ以前週刊誌にセンセーショナルなタイトルをつけ載せられてた記事の概略を書いておくと・・・
清代に編纂された唐代の「全唐文」なる公文書に晩唐、文宗の時代チベットから馬を要求してきた時
皇帝に臣下が辺境の民族と懐柔するために贈り物の効用を説きその例として挙げられたのが
「卑弥呼の鏡」と「匈奴王へ贈った犀の角でできたベルトのバックル」
要は相手が気に入るものであり懐柔の効果があれば良いのであって
当時の中国人からすれば卑弥呼の鏡も犀の角のバックルも同じようなもの…だったとw
アートの領域で人によって感じ方が違うのは百も承知だが、
適当にググってでもいいから、できるだけ大きい
銅鏡画像をよく観察してみると良い。
出来の善し悪しもあろうが、総じて、
三角縁のデザインはヌルい。
方格規矩のデザインは凄みがある。
そうではないと言われればそれまでだが、
しっかり見ると感じるものがあるだろう。 >>466
滅多に得られないような貴重品を贈るのが通例と。
銘文なら当然、お手本になるようなものに決まっていて、ロレツの回ってない寝言みたいなのは間違っても紛れ込む余地はないと。
滅多に得られないような、ロレツの回ってない寝言みたいなのが紛れ込んでないと都合が悪い向きもあるようだけど、
アタマ大丈夫?の世界の人かな? >>467
「お墨付き」の類いをそのまま鵜呑みにするしかできない哀れな輩もいるよね。
何のこともない、骨董品詐欺師にアッサリ引っかかる間抜けな手合い。
その手のが、無能なくせにプライドだけ高いと、骨董品詐欺師にアッサリ引っかかった
ことを頑として認めないどころか、あの手この手で「真正品」だと強弁するから始末に
負えない。挙げ句の果てに傍証を作ったりするのもいるらしい。
ま、科学とは縁もゆかりもない信仰の世界らしいから、「そんなのが当たり前」かも
知れんけど。 追記、先述の文献の一文に
『 昔、魏ハ倭国ニ酬(はなむけ)スルニ、銅鏡ノ●(金偏に甘い)文ヲ止メ…』
とあり学者はこれの意を
>倭国にとって禍々しい模様や銘文を刻むのをやめて、彼らの好むような銅鏡を作ったあげたと読める
…としている。
要は贈り物としての効果を最優先したという話しだな。
オーダーメイド=特注品の可能性もあろうし「お取り寄せ」の可能性もあるだろうとw
結局「中国で一枚も出ていない」を繰り返している奴は
ペテン師かペテンに合う頭の弱いやつでしかない。
中国で一枚も出ていないというのなら
当然その分母は中国での出土数だ。
魏代の鏡が100枚出ていてその中に神獣鏡が一枚も出てなければ0/100、1000枚なら0/1000。
小学生でも少し考えれば分かる理屈。
こりゃダメだw
ローガンって阿○は日本語が分からないらしい
畿内説はこんなのばっか
議論はできんのか?
>>468 ロレツ君
お前さんの大好きなロレツが回っている・いないじゃなくて
>>470に挙げた「銘文を止め」とまであれば元々銘文なんかに留意もされてなかったろうって話だよ。
お前が言っているのはその銘文に皇帝の威信なり何なりがかかっていた時の話だ。
果たしてそういうことの伺える傍証の一つでも出せ。
実は何の根拠もない事を自明の理として疑わないのは脳の硬化した年寄りには楽なのかもしれないがwww
>>457
>普通は中国から出たら中国製、出なかったら国産と考えるべきだよ
>>117:良ババ
>バカづらさげて、「出土するからここで造られた」と、
>短絡・単純な考古所見を疑いもせず孫引きして、それを「知識」だと錯覚してやがる。
まずは伊作ちゃんと、意思統一をはかりなさい。 >>473
「銘文なし」というのが間違いない事実だったなら、「銘文なし限定/それ以外は全て偽物」
というだけのことでしょ。
骨董品詐欺師だけあって、すり替えが実にうまいな?
「銘文なんかに留意もされてなかった」からといって、「ロレツが回らないデタラメもありえた」?
何それ?
三角縁という積み上げても大丈夫な形状は、
初めから量産を意識している鏡だ。
かなりいいアイデアだと思うが、
それを取り入れた中国鏡はあるのだろうか?
当時の日本人が単独で思いついたものとは思えないわけだが、
日本に来た職人が思いついたのだろうか? まあ、いずれにしても・・・三角縁神獣鏡の起源は大陸にあるんじゃないだろうか。
そして、三角縁神獣鏡は海を渡ってきた「舶載」と位置付けるべきと思う。 三角縁という便利な形状が、魏の官製工房で作られたとしたら、
その後の魏鏡に影響を与えても不思議はないのだが。 >>479
中国では、鏡を祭祀として使うという文化がないんですよ。
だから△鏡みたいに大きなものではなくてもいいし、
ありゃ〜ワの為に造られた、特注品でしょうな。
だから〜魏鏡に影響を与える、与えないの問題じゃないんですよ。 >>476 恨み節なロレツ君
つうかねえ「止メ」を「銘無し」としてまで意味を限定できるのか自分には分からない。
がTLVの様な幾何学的模様より「わかりやすい」神獣鏡が倭人に受けが良いと事前リサーチで分かった場合
そこにお前の言う「ロレツの回らない」銘があったとてそれを削ったり新たに銘のない鏡を作る必要もないだろう?w
で結局じゃあきちんと「ロレツの回った」銘の鏡である必要を思わせる傍証も何も出せない。
そもそも魏鏡はどんなものだったのか?を資料を出して説明もできない。
それでも「国産で決まった」といまだ舶載説があることにヒステリーを起こしているとwww
特鋳とか言い出したら、何でもありだな。
宇宙人に頼んで作ってもらったと言う説でも理屈上は可能だ。
>>481
舶載の可能性はゼロではないけど、10の50乗分の1くらいの小さい可能性でしかない。
普通はそれを可能性ゼロというのだろうけど。
>>482
むしろ「特鋳じゃない」と言うなら卑弥呼の鏡は当時の洛陽に潤沢に…とまでは言わずとも
ありふれた鏡の中からチョイスされたという話だろうから
じゃあそのありふれた鏡の数十枚ぐらいは出土してるんだろうな?と言う話になるわなw
というよりも、中国で見つからない以上、
特注品か国産品しか選択肢はないだろう。
で、国内で鋳型も出てる以上、まず国産品だろうと。
>>485
母集団たる「魏の鏡」そのものが見つからないなら三角縁神獣鏡が見つからないのは当たり前。
魏の代に魏で作られた鏡はいっぱいあるよ。
三角縁はないけど。 >>487
ソースは?
そもそもそんなものがあればとっくに話にケリが付いている。 まさかとはおもうが、>>488 は魏で全く鏡が作られていないと思ってるのか?
日用品としても普通に必要だろう? >>480
それじゃ、最初に結論を決めておいて、それに合うようにこねてるだけと何も変わりないんだけど? >>489
もうね、脊髄反射で書き込むなよ阿呆。
例の邪馬台□の会と京都大阪の青龍銘鏡が出てきたなw
中国のどこから出土したもので何をもってそれが魏代のものとされるのか具体的に言ってみろよカス。
>>481
こりゃ完全に詐欺の手口そのものだな。常習犯だけあって、さすがに堂に入ってますな。
> 神獣鏡が倭人に受けが良いと事前リサーチで分かった
・・・から、
> 「ロレツの回らない」銘
があるものもかき集めて渡した と。
その根拠は、「神獣鏡」が、まさに魏から贈られた鏡だからである と。
お前の言う「ロレツの回らない」銘がある鏡は、いったいどこから掻き集めたというのか?
「神獣鏡」が、まさに魏から贈られた鏡だから、当時に魏で掻き集めたに決まっている?
そもそも魏鏡はどんなものだったのか?
資料を出して説明もできない。
当然だよね、「資料を出して説明」なんかしたら、自分が「魏から贈られた鏡」と
強弁しようとしているものと似ても似つかないから、都合が悪いので故意に伏せる。
うまい手だよね、引っ掛かるのもいるだろうな。 >>492
いつもの手口が通用しなくて興奮しているのは分かるけど、見苦しい署名を入れないほうがいいよ。
宗教の折伏かなんかではない、科学的な論議のつもりなら、もうちょっと冷静に。
>>493 恨み節なロレツ君
>そもそも魏鏡はどんなものだったのか?
>資料を出して説明もできない。
>当然だよね、「資料を出して説明」なんかしたら、自分が「魏から贈られた鏡」と
>強弁しようとしているものと似ても似つかないから、都合が悪いので故意に伏せる。
自分が資料を出せないから 逆 切 れ かwww
火病を発症して何か勘違いしてるの伏せるも何も俺は最初から「そんなものは知らない」といっている。
要は後漢と晋の間の魏代のいつ頃に銅鏡制作組織が立ち直ったか?だ。
日本の青龍三年(235)銘鏡をそれ自体は模倣鏡としてもその紀年はオリジナルのままの正しいものとし
青龍年間に再開されたとしても景初三年(239年)まで僅か4年。
倭人の好みに合わせて百枚ほどをつくれるぐらいに軌道に乗ってたかどうか?
「国産で決着済み」と金切り声を上げているゴミクズレベル九州説どもから
きちんと魏代の鏡の出土例・資料を十分に挙げてもらったなら大きく国産説に寄ることに何ら躊躇うことはない。
>>495
もうちょっと冷静に。
興奮のあまりにロレツが回らなくなってるようだが・・・
> 火病を発症して何か勘違いしてるの 伏せるも何も俺は最初から「そんなものは知らない」といっている。
かもしれないが とかが抜けてないかね?
「火病を発症して」るのは、お前だろ? 冷静を欠いたら駄目だぞ?
子供の頃から嫌というほど言われてるだろ?
さて、「金切り声を上げているゴミクズレベル」は、果たして誰のことかなぁ?
ちょっと観察を続けてみましょうか。 で結局ここまでと言うか今まで
ゴミクズレベル九州説から中国出土の魏の鏡の事例は一件も提示なし。
あるのは「国産で決着済み」という空念仏だけw
>>498
興奮のあまりにロレツが回らなくなっていたことに気がついたなら、訂正したらどうかね?
「金切り声を上げているゴミクズレベル」君。 >>499
つまらないツッコミするなよ低脳ゴミクズ。
話は簡単
「これこれこう言う資料で魏代も後漢時代と変わらない鏡が作り続けられたことが証明される」
という資料を出せば良いだけ。
それが出せないのなら国産・舶載両方の可能性を考えておくのがまともな思考。
少なくとも「国産で決まり」喚くのは理論的でも科学的でも常識的でもない。
まあゴミクズレベル九州説にまともな話が通じるわけもないがw
つまり、魏鏡などは存在しない。
当然ながら三角縁も魏鏡ではないし、証明もできない。
という結論だな。
>>501 そうなんだよね。
魏では基本的に漢の鏡を引き継いで新しいものはほとんどない。
しかも鏡の出土量自体が少ない。
これには魏は極度の銅不足で、貨幣の鋳造も滞っていたという事情も影響している。
この状況は呉を滅ぼして銅の供給が回復するまで続いた。
この状況で大型の銅鏡、それも新型のデザインの鏡を日本に大量に寄贈したと考えるのは、
よっぽどのバカだな。特鋳とかいうのは、論外。
>中国出土の魏の鏡の事例は一件も提示なし。
つまり、三角縁が舶載の魏鏡である事も提示できない。
国産説が妥当だな。
多分かなり後世に呉が滅びた時に職人が日本に来たのだろう。
まあ、何度となく言われ続けた結論だ。
三角縁が、魏鏡であることを証明する以前に、
魏鏡が存在するかどうかの証明が必要なのか。
随分と先は長そうだな。 まあ、魏の時代にも鏡が作られはしていただろうが、どれが魏鏡か分からない状況で、
三角縁を魏鏡と主張するのもあほらしい。
知り合いが所有する洛陽博物館発行の『洛陽出土銅鏡』には、
漢式鏡ばかりで神獣鏡は1枚も掲載されていない。
(洛陽近郊から呉式神獣鏡が1〜2枚出土した実例がある。
それは、神獣鏡の本場だった広漢で造られたものである)。
もう1冊は『鄂城漢三国六朝銅鏡』という本だが、
これは、鄂城(長江流域の湖北一帯)から河口に至る流域でつくられた、
「漢・三国・六朝時代の銅鏡」という意味だと思われる。
ここには、日本では見ることのないさまざまな神獣鏡が網羅されている。(銘文も多様だ)
むろん、日本だけで出土する「有名な」三角縁神獣鏡はない。
わが国で出土している魏の年号が記された鏡の図柄の比較
・青龍三年 (方格規矩四神)
―――――――――――――――――――――――――――
・景初三年 (神獣)
・景初三年 (神獣)
・景初四年 (盤龍)
・正始元年 (神獣)
一目瞭然。魏の官製工房が復活したのは明帝の青龍年間で、
復活し立ての官製工房で製作されたのが「方格規矩」という中国古来の図柄だろう。
畿内説は「突然」が好きだから、
景初年間になって突然神獣鏡に変更したとでもいうのかなー? 神獣鏡といっても、製法・完成度・鈕の形・銘文などまちまちで、色んな人の手によって造られている。
●銘文をみただけで作り手が異なるという事例。
・島根県神原神社古墳出土の景初三年紀年鏡
「景初三年、陳是作鏡、自有経述、本是京師、杜地命出、吏人銘之、位至三公、母人銘之、保子宜孫、寿如金石兮」
・群馬県柴崎蟹沢古墳出土の正始元年紀年鏡
「正始元年、陳是作鏡、自有経述、木自猟師、社地命出、寿如金石、保子○○」
※正始元年鏡の銘文は、陳さんの景初三年鏡の銘文を別人が写したものだろう。
写したのはいいが、漢文を熟知していたかどうかも疑わしい。
・国分茶臼山古墳出土の三角縁神獣鏡
@「□作明竟 幽煉三剛 銅出徐州 師出洛陽 彫文刻鏤 皆作文章 配徳君子 清而旦明
左竜右虎 転生有名 師子辟邪 集会並王父王母 游□聞□□□子孫」
A「吾作明竟〔君〕真大好 浮由〔官〕天下 □四海〔高〕用青同 至海東〔宜〕」
これらの鏡は、銘文を見ただけで作り手が違うことがわかる。
三角縁神獣鏡には色んな人の手による質の異なる作品があることを前提に議論したほうがいい。
製法・完成度・鈕の形・銘文などまちまちで、
色んな人の手によって造られている。
その三角縁神獣鏡を「誰がつくったか」なんてボケスレは、
本日よりさほどの日数をおくことなく閑古鳥が鳴くことだろう。 >>507 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
よろしい。(少しは整理してきたか?w)
日本(京都・大阪)で出土した青龍三年銘鏡を魏鏡とするんだな?
(模倣鏡としてもオリジナルの方格規矩四神鏡にあった年号はそのまま模倣されたとするでいいのかな?)
じゃあ何故同じ日本で出土し、同じ魏の年号がある、それ以後の神獣鏡を同じく(少なくともオリジナルは)魏で作られたとしないのか?
その根拠が何もない。
何が「一目瞭然。」だ自己完結してんじゃねえよ小学校に戻って日本語の使い方からやり直してこいドアホウ。
結局は「魏では神獣鏡は作られない」という前提に立った一種循環論法。
当時の魏ではどのような鏡が作られていたか?神獣鏡の可能性はありや無しや?
↓
方格規矩四神鏡のような後漢時代と同じもの。
日本で出土した青龍銘鏡がその証左
↓
同じく日本で出た魏年号の神獣鏡があるが?
↓
それは魏で作られたものではない。
魏では神獣鏡は作られなかったからだ。
↓
その前提は何によって証明されるのか?←馬鹿によって始めに戻る羽目に…
>さほどの日数をおくことなく閑古鳥が鳴くことだろう。
無様な捨て台詞ご苦労、さようならボケ老人。
ちなみに>>507であがっている紀年鏡は景初四年の盤龍鏡が辰馬考古資料館のもので
「伝・宮崎県持田古墳出土」とされいてる以外全て九州伊東(京都・大阪・島根・群馬・山口・兵庫)
「魏の紀年鏡」という話になると何故か九州はお寒い状態になる(もっともヤマトにもないが) >多分かなり後世に呉が滅びた時に職人が日本に来たのだろう。
呉の滅亡が280年、それでも3世紀 。
問題は舶載説の学者の言う三角縁神獣鏡に見える華北地域の特徴を如何にインポートしたか?だが
それらが280年以後も続いて大陸にあったなら時間的余裕もあろうが
舶載説の福永によれば外周突線と長方形鈕孔の組み合わせは西晋泰始七年(271)の銘を持つ北京市の某所から出たものがほぼ下限となり
仮に国産説に立ってもそこから大きく下るのは考え難いとのこと。
亡命呉人による国内での製作開始もあまり時間的余裕はなさそうだ。
あと鈕孔形状については例えば踏み返したからと言ってトレースされるものでもない。
渡来工人による国内での製作を考えるとしても呉人よりは華北魏の領域からの工人渡来を想定したほうがこの場合理屈には合う。
>>508
実際作り手は違うんだろうけど、
> これらの鏡は、銘文を見ただけで作り手が違うことがわかる。
これは極論すぎるのでは?
Tシャツの文章見て製造会社当てるような乱暴な話では?
>>513
麻薬撲滅Tシャツに、大麻とかの絵が描いてあるのと、タンポポかなんかの絵が描いてあるのがあったら、
どっちが怪しいかは一目瞭然、とかいうことはあるから。
そういや、国産品の模造品で、説明書に旧字が混ざってるのもあった。 >>513
>これは極論すぎるのでは?
極論というより…
>>508には「※正始元年鏡の銘文は、陳さんの景初三年鏡の銘文を別人が写したものだろう。写したのはいいが、漢文を熟知していたかどうかも疑わしい。」と。
云わんとする事は、漢文を知らない工人が景初三年鏡を写して(真似て)正始元年鏡を作った可能性を考えろ…でしょう。
でも、この両鏡の銘には大きな違いがあるので、写した(真似た)という関係を2鏡間で考えるのは、ペケですな。 >513
>Tシャツの文章見て製造会社当てるような乱暴な話では?
ずいぶん安っぽい横じゃりだが。短絡極論すぎるのはお前だ。
・島根県神原神社古墳出土の景初三年紀年鏡
「景初三年、陳是作鏡、自有経述、本是京師、杜地命出
・群馬県柴崎蟹沢古墳出土の正始元年紀年鏡
「正始元年、陳是作鏡、自有経述、木自猟師、社地命出
両者が漢文として成り立つ読みをしてみせてくれ。
そうすれば、「Tシャツの文章」とどう違うのかも自ずとわかる。
>>515 ローガン。
「この両鏡の銘には大きな違いがある」ではない。
明らかな間違いか、もしくは異同がある。
同じ人物がつくったのなら、こんなバカげた異同記銘をやらんだろ。
なんでもいいから、こんなゴミスレは放置して消せ。 >>516:上昇気龍
>「この両鏡の銘には大きな違いがある」ではない。明らかな間違いか、もしくは異同がある。
いや、そういう事じゃなかよ。 景初三年鏡の銘文は左回り、正始元年鏡は右回り。
何も知らん者が真似しただけなら、逆にせんでしょう。 >景初三年鏡の銘文は左回り、正始元年鏡は右回り。
同じ奴がつくったのなら、逆にせんだろ。
毎度のことながら、なんか少しズレてるぞ。 >>518:別格
私は「この両鏡の銘には大きな違いがある」と言ってるんだから、同人製作を否定しているんだけど。
私の指摘は、「手本→写し」を直接2鏡間に求める別格の理路に対するもの。 >>518
> 同じ奴がつくったのなら、逆にせんだろ。
意味をほとんど理解できてない場合、
・完全にコピーすることに成功
・逆さまにしちゃう
どちらも起きうるし、混在しても不思議ないだろ?
だから同じ製作主と主張しているわけじゃない。論理的に飛躍しているというだけ。
さっき図書館で古代の書の本を読んだばかりの付け焼刃なんだが、
木簡や象嵌された銘の書を分析すると、
5世紀くらいまでは、漢字の意味がまだわからなくて、ただ模倣している場合や、
なんとか意味は理解しても、文章として成り立ってない場合が多いそうな。
万葉仮名も含めて、整った文章をかけるようになるのは、
7世紀に近くなってからだとか。
その本では、古代の書から推測すると、音の数はもっと多かった。
神代文字では50音にちかい字数なので、かなり後世のもので、
古い文字ではないと一刀両断していた。 6世紀後半の戸籍の木簡が出てきたみたいだけど、
日本での使いこなした文章の例としては、
そろそろ上限かもしれないね 九州年号が6世紀前半から始まっているけど、
これは、文字を使えるようになってきて、
王朝を運用させることが可能になってきたからかもしれないね。 >>521
4世紀の国産鏡では漢字を文字として認識しておらず訳のわからない記号になっている
まともな漢文としては5世紀になってからの「王賜」銘鉄剣が最古の例かな
鏡の銘文だと隅田八幡神社画像鏡まで下がるかな >>521
「ナウいデザインだっぺ」とかいいながら、ラーメンどんぶりの模様みたいなつもりで適当に散りばめたとかさ。 五世紀の倭王武の上表文は、比類なき銘文。
漢字を習ったばかりの国家が書けるシロモンじゃない つてをたどって、中国人あたりに書かせたのかもしれないが、
漢字を使えるか使えないかの時代に、それだけ立派な文章を
書いたということは、相当重要な案件だったということだろう。
上奏文に対する気合がうかがえる。 一世紀に漢委奴國王の金印をもらった国家が
その印文を読めなかったとは思えん。
仮に読めなかったとしても、すぐに学習しただろよ。 ごく一部は読めただろうけどね。
朝廷クラス+各地方庁官僚が、文書で
連絡を取り合わなければならない場合、
相当の人数が読めなければ国家運営が出来ない。
まあ、常識的に考えて、木簡が出だした時期が、
文字と文章が定着した時期と考えていいだろう。
使えるようになるためには、それなりの過程を経る
必要があると思うよ。 >漢字を習ったばかりの国家が書けるシロモンじゃない
>>527 つてをたどって、中国人あたりに書かせたのかもしれないが、
偏遠、祖禰、跋渉、融泰、累葉、朝宗、見吞、邊隸、虔劉、寇讎、壅塞、控弦、
垂成の功、諒闇、偃息、虎賁、覆載……。
これだけの難解な言語を使いこなすのは、当時の中国にも決して多くはなかったろうぜぇ。
そうとうに優秀な中国人文筆職能者を擁していたと思われるぜぇ。
熊本の江田船山古墳出土の銀象嵌鉄刀の所有者は无利弖(むりて)、
刀を鍛えたのは伊太加(いたか)、銘文を書いたのは長安とあるぜぇ。
所有者と刀工は倭人で、文字原稿を書いた長安は文筆職能の中国人のようだぜぇ。
>>529 一世紀に漢委奴國王の金印をもらった国家が
>>530 ごく一部は読めただろうけどね。
朝献・朝貢にはきちんとした上表書がつきものだぜぇ。
漢字を知らなきゃ「漢字外交」はできないぜぇ。
3世紀当時、倭人が漢字名称を使っていたことを思わせるのが、
「大率・大倭・持衰」といった名称だ。これは中国人がつけたのではないぜぇ。
対馬も、同じ形をした同じ大きさの島が向かい合っている事から「対島」と読んでいたんじゃないか。
●文字だ木簡だと枝葉な飛んでるが、本題に戻すぜぇ。
三角縁神獣鏡は色んな奴が、色んな製法と技術でつくってる。その実例がこれだったわけだ。
・島根県神原神社古墳出土の景初三年紀年鏡
「景初三年、陳是作鏡、自有経述、本是京師、杜地命出、吏人銘之、位至三公、
母人銘之、保子宜孫、寿如金石兮」
・群馬県柴崎蟹沢古墳出土の正始元年紀年鏡
「正始元年、陳是作鏡、自有経述、木自猟師、社地命出、寿如金石、保子○○」
漢字を知ってるとか知らないとか。読めるとか読めないとかは習熟度に個人差があるものだ。
正始元年の鏡は景初三年の陳さんの鏡を模写したが漢字の習熟度がいまいちだったらしく、
文字を間違えてるわ・意味がなっとらんわだから、別人が作ったとゆってる。それだけのことだ。 さて枝葉ではあるが。
倭人がある程度は漢字名称を使っていたらしいことは分かった。
そこでだ。
倭国30ヵ国の中で、
倭人が舊奴国(旧奴国)と読んでいたものを、倭人伝が狗奴国と書いたとしよう。
(倭の奴国以来の旧臣・重臣・遺臣が中心となった国というわけだ)。
そう考えたとき。
卑弥呼と卑弥弓呼が何やら姉弟か血族を匂わせる名であること。
素(根源的な何か)が原因で不和だったこと。
そして、狗奴国が男王担いで女王国と紛争を興したこと。
何やら、倭国の王位継承問題とか支配権問題に集約されるんじゃないか?
>>532 伊作
このスレの趣旨から外れた内容、スレ違いだ。
>正始元年の鏡は景初三年の陳さんの鏡を模写したが漢字の習熟度がいまいちだったらしく、
>文字を間違えてるわ・意味がなっとらんわだから、別人が作ったとゆってる。それだけのことだ。
王の側近クラスなら立派な銘を書ける職能も抱えているだろうけど、
そういう人の 「監修を受けていない鏡」 であるとも言えそうだね。
部下や地方の職人が私的に作った可能性もあるな。 >>534
なにしろ。当代一の人気商品・売れ筋商品だからして、
ひと山当てようって「商売人」が出たところで不思議でもない。
なにしろ。
生身の人間が生きた現実が「歴史」だから・よ。 500枚以上出てる△神獣鏡はやっぱ国産じゃね?
中国皇帝からの下賜品は当然貴重だったと思われ、そんなレアなプレミア品をアホみたいに、ドッサリ棺に入れるかな?例:黒塚古墳
やっぱり大和朝廷お抱えの呉の職人が初めて国産化に成功した(模)倣製鏡を、死に際して大王からのお悔みとして配布、
菊の花みたいにドッサリ詰め込んだんジャマイカ?
そして貴重だった下賜品はせいぜい頭に1枚、大事に入れるのが自然だろう。
1950年代のアメ車と国産初のトヨペットクラウン、VWビートルとスバル360を思い浮かべれば解りやすいかもw
当時のアメリカ人やドイツ人にして見れば、猿にも車が作れるのか?という驚愕だろう。 貰った100枚のうち、金、銀、石玉が象嵌されたものがあったかどうか? >>531
「漢字外交」なんて、代書屋にやらせりゃ良かろう。
「大率」は「一大の率」ではないか。 >>536
>やっぱり大和朝廷お抱えの呉の職人が初めて国産化に成功した(模)倣製鏡を、
???ひょっとして倣製鏡の始まりを三角縁神獣鏡、あるいは畿内ヤマト王権に見ている?
先に出ていた方格規矩四神鏡なんかにしても平原の32面全てが国産である可能性が指摘されていたりするわけだが…
どの道「卑弥呼の鏡」が神獣鏡であったとしても現在出土しているものの中に1枚あれば上等。
下賜品としての鏡は後にも先にもその百枚だけだった可能性があるんだから…
景初三年239年の10年後には司馬懿のクーデターが起きる。
どの道、魏と邪馬台国の蜜月期は長くない。
平原の、中国でルーツが見える方格規矩四神鏡が倣製鏡なら、
中国のルーツさえ見えない三角縁は、まず間違い無く国産ということになりますな。
平原の内行花文鏡も倣製鏡があるらしいので、技術的には
三角縁が国産であることはまず間違いないでしょう。
>>538
>「漢字外交」なんて、
お前には高尚すぎる言葉だ。頭に悪いからかかわるな。
>「大率」は「一大の率」ではないか。
一女子は「一女の子」か。……あっちいってろ。
三角縁神獣鏡は誰がつくったのか。色んな奴がつくった。
「はい・おしまい」
中国車なんて一昔前では考えられなかったが、欧州メーカーとの提携で信じられないほどレベルが上がってきている。
韓国車も、デザインはイタリアでリストラされたイタリア人に、車両開発はドイツでリストラされたドイツ人に、品質管理は日本でリストラされた日本人に、
それぞれ担当させることで、高品質低価格を実現し、欧米での売り上げを伸ばしてきている。10年前まで考えられなかった事態だ。
本国でリストラされた技術者を招いて、それまであり得なかった高品質・低価格で実現でき、今や日本メーカーを脅かす程に成長したわけで、
それと同じようなことが△神獣鏡で起こったと想像できる。
つまり呉から逃れてきた職人をヤマト王権が召抱え、職人は新天地でまた仕事ができる意欲に燃えて、
日本人には造れないような渾身の鏡を作ってヤマト王権の恩に報いた、という図式ではないか? >>541
ものはついでだ。本物の研究者の片鱗をみせる。
「大率」について中国歴史書は3通りの用例がある。
@『史記』が「大いに率いる」という動詞に用いている。
(單于聞之大率衆来入)。
A『漢書』が、「あらまし・およそ」という熟語に用いている。
(県大率方百里、大率十里一亭)。
B『隋書』百済伝が、百済人の官位に「大率、恩率、コ率......」があると書いている。
(官有十六品:長曰左平、次大率、次恩率、次コ率……)。
百済と倭国の関係や言葉の意味からみて、倭人の大率は百済の官位に近い使い方とみなされる。
一女子は「一・女子」、一大率は「一・大率」である。
『倭人伝』刊本が一支国を一大国と書いているのを検証もせず一大国が正しいとの前提で、
一大率を「一大の率」などど我流解釈をした上で、
一大国と一大率をくっつけるパズル的解釈もあったようだが、
そうした解読ゲーム言説の末路をみてみるがいい。 >>538 名前:日本@名無史さん :2012/06/19(火) 00:04:18.69
>「大率」は「一大の率」ではないか。
其の通りでしょう。
一は一人。
大は大王。
卒は20ヶ国から30ヶ国の統率諸侯の組織名。
>>543 名前:上昇気龍 :2012/06/19(火) 08:35:02.60
>>541
>ものはついでだ。本物の研究者の片鱗をみせる。
>「大率」について中国歴史書は3通りの用例がある。
>@『史記』が「大いに率いる」という動詞に用いている。
> (單于聞之大率衆来入)。
「卒」に『ひきいる=率いる』という意はない。
率いるを『ひきいる』と読ませているのは『引き卒(い)る』の変形。
ところで、
ここででの「大卒」は、『完全に終わった』という意では?
と言うテスト。
>>543 名前:上昇気龍
A『漢書』が、「あらまし・およそ」という熟語に用いている。
(県大率方百里、大率十里一亭)。
そんなことは無いだろう
というテスト!
卒長(古代軍隊百人為卒,其長官称卒長)
の「卒』では。
「卒」を卒業出来てませんね。
>>546
「大率」の話だがな。
イカ頭、話の筋を違えてるぞ。あっちいってろ。
>>543 名前:上昇気龍 :2012/06/19(火) 08:35:02.60
>>
「一亭」って難だか解ってますか? >>547 名前:上昇気龍
>>546
>「大率」の話だがな。
>イカ頭、話の筋を違えてるぞ。あっちいってろ。
中卒の頭で大卒を把握するのは無理のようですね。
公害の垂れ流しのようなことしか書き込めないでしょう。
一大率は「いたのそち」と読むのが正しい。
「いた」とは板付であることは言うまでもない。
>>547
伊作、お友達が出来たみたいだね。
よかったなw >>543
研究者を自称するには、さしたる知能は必要がないという証拠。
ちょっと知能テストをしてみる?
「一・女子」ならともかく、何で「一・大率」になるわけ? 魏の都・洛陽の官製工房「尚方」では作られるはずのない神獣鏡は、
ほぼ間違いなく呉鏡と思われるのに、魏の年号が入ってるのはなぜ? これって日本の歴史学会の最大の恥部って大学で教えられたわww
どっちとは言わんけど。 >>555
製作されたのが、魏の勢力圏であるか、または、勢力圏内で流通させる目的でだからだろう。
だから、魏の年号が入っていれば、それは呉鏡じゃない、そんなこともわからんのかw 魏が魏の威信において流通させるのに、
変な銘文や、間違った年号を入れることはあるまい。 何で「威信」なんて言葉に言いかえるのw
尚方で無いんだから、誰が造ったっていいんだよ。
何が何でも「矛盾」状態にしときたいみたいだけど、何でさwww まあ、下手くそな文章と稚拙な文字、間違った年号、
魏朝の高官が見たら、笑われるような鏡だからな。 昔宇佐の工場で作った製品にMade in USAと書いて売ったような話だな。 ( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l l l l l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ 三 .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ 角 │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ 縁 │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! ? │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※ ※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ いまだに三角縁神獣鏡が魏で作られたなんて言ってる学者いるの? 呉の意匠に魏の年号、
まだ当時は、それがどういう意味を持つかが
分かる人がいなかったんだろうね。 新説 珍説でもあるが
274年神功渡海、 これが発端となり新羅は調(税)を毎年80艘を収めるようになる
この調の中に△鏡が含まれるのであれば、△鏡は新羅で作られた。
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。 神功渡海。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。
九州で半島土器が出るのは西新町遺跡だが、(鴻臚館の近く)
あそこは3〜4世紀じゃなかったっけか?
>あそこは3〜4世紀じゃなかったっけか?
長畑馬場遺跡
http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin.php?id=3100
長畑馬場遺跡 (ながはたばばいせき) 平戸市大島村前平1456
本遺跡は弥生時代中期中頃を中心とし、古墳時代初頭まで継続している。住居址は弥生時代中期のもので、
同時に甕棺、土坑、箱式石棺からなる墳墓群も形成さ れている。出土遺物は多彩であるが、特に土師器は
畿内の庄内系の土器の影響下に成立した在地甕である。 本遺跡が位置する大島村は、壱岐とは一衣帯水の地 であり、
また平戸や生月、北松浦の半島は交易のルート上にあり、五島列島や対馬を含めて同じネットワークで結ばれた集団
であったことが推測される。
景行 諸県は玄海町諸津。イズミ媛。(250年ころ)庄内式
神功 田油津媛は田平媛。(274年渡海) 纏向5類 (布留1)
倭国乱の平定は、渡海ルートの管理でもある。
答えになってない。
考古学素人が変なこと書くなってw
>>568
> >あそこは3〜4世紀じゃなかったっけか?
>
> 長畑馬場遺跡
> http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin.php?id=3100
> 長畑馬場遺跡 (ながはたばばいせき) 平戸市大島村前平1456
> 本遺跡は弥生時代中期中頃を中心とし、古墳時代初頭まで継続している。住居址は弥生時代中期のもので、
> 同時に甕棺、土坑、箱式石棺からなる墳墓群も形成さ れている。出土遺物は多彩であるが、特に土師器は
> 畿内の庄内系の土器の影響下に成立した在地甕である。 本遺跡が位置する大島村は、壱岐とは一衣帯水の地 であり、
> また平戸や生月、北松浦の半島は交易のルート上にあり、五島列島や対馬を含めて同じネットワークで結ばれた集団
> であったことが推測される。
>
> 景行 諸県は玄海町諸津。イズミ媛。(250年ころ)庄内式
> 神功 田油津媛は田平媛。(274年渡海) 纏向5類 (布留1)
> 倭国乱の平定は、渡海ルートの管理でもある。
>
> >>565
たまに西洋人が訳のわからない漢字(意味不明、上下逆さま、左右反転…etc)をプリントしたTシャツを着たり、
中国人がディズニーランドのパクリテーマパークに「どらえもん」や「クレヨンしんちゃん」のキャラクターを加えてオリジナルと称しているけど、
△神獣鏡はまさにそんな感じだったんジャマイカ?
解り易いマンガちっくな神獣鏡に、稚拙な銘文と権威ある魏(正統派漢民族王朝)の年号を入れて、日本人が作った鏡かと。
西洋舶来のパンに日本古来のスィーツ・あんこを入れてアンパンを発明した日本人らしい発想。
韻を踏まない稚拙な喜唱文を見れば、
1世紀の漢委奴国王、2世紀の帥升、3世紀の邪馬台国の卑弥呼と、
一貫して中原を統一した正統派漢王朝にのみ朝貢してきた九州勢力が決して作ることのない神獣鏡であることは一目瞭然。
セラムンのTシャツで、「ぬりえ」とかかれたTシャツとかねw 訂正
×作ることのない→○賜る(受け取る)ことのない >>564
>いまだに三角縁神獣鏡が魏で作られたなんて言ってる学者いるの?
普通にいる。
と言うか魏鏡説を唱える学者はそれなりに理論武装がしっかりしてるが
国産説はただ雰囲気に流されてるような学者が多い感じだなwww
(ここのゴミクズレベル九州説と同じような「500以上対0」のみを根拠とするようなレベル)
>>570
>解り易いマンガちっくな神獣鏡に、稚拙な銘文と権威ある魏(正統派漢民族王朝)の年号を入れて、日本人が作った鏡かと。
実は「神獣鏡」と「魏年号」の組み合わせは ”中国において” 出土例がある。
(いつぞや 森村伊作 が言っていた『青龍鏡』(笑)とやらは日本での出土だがw)
・黄初二年(221)同向式神獣鏡
・黄初四年(223)対置式神獣鏡
いずれも湖北省鄂城(出土地が伝承されるものなら他に湖南省・浙江省等があり不明な物なら他にもある)
「神獣鏡」+「魏年号」=日本製 などと短絡的に考えない方が良い。
問題は湖北省鄂城と言えば当時一応は呉の領域と言うことで
魏鏡説をとるには根拠にはなり得ないところかな?
(ただ荊州といえば常に三国で奪い合いになった土地でここを完全な呉の支配下の如きに理解していいのか?とも思うが
三国志に詳しい人間の見解を聞きたい所)
まあ「舶載」というなら本来呉鏡であっても舶載なんだろうだがwww
つまり中国製と言っても魏鏡でなく呉鏡であればその組み合わせはありうるという話。 『三角縁神獣鏡に関する根拠なき思い込み、あるいは知った上でのイメージ操作・詐欺・ペテンその1』
>>571
>韻を踏まない稚拙な喜唱文を見れば、
ちなみにこれをもって魏から卑弥呼への下賜品足り得ないと言うのは根拠がない。
(まあ柔軟性の欠片もなくなった年寄りに発想の転換を強いるのは無理だろうし
どの道このネタは死ぬまで言い続けるんだろうがwww)
そもそも魏の高官や皇帝の墓に入れる鏡でもない。
あくまで倭人への下賜品だし、鏡自体当時の中国で高位の威信財でもなんでもない。
先ずに先方の倭人は当時の中国人から見れば人を惑わす鬼道をやっている連中であり
その「ロレツが回っていない」銘文を見て笑うも糞もない。
一方中国人の感覚にしても先に紹介したサイト(http://www.eonet.ne.jp/~temb/9/Sinzyukyou/Sinzyukyo.htm)にあるように
>「全唐文」の第684巻(清代の編纂)に
>「昔、魏は倭国に酬するに、銅鏡の鉗文を止め、漢は単于に遣するに犀毘綺袷を過ごさず。並びに一介の使、将に万里の恩とす。」
>という文章があるそうで、原文を捜したら「昔魏酬倭国止於銅鏡鉗文…」とあった。
>これは「昔、魏は倭国にむくゆるに銅鏡における文を鉗するのを止め、…」と読み下せる。
>「鉗」は「首かせ」で、「文」は「模様」を表す。要するに、銅鏡の模様の規制(首かせ)をはずしたという意味である。
要は倭人の好みに合わせてやり懐柔の効果をあげれば良いわけで
そこに皇帝の面子をかけ古来よりの様式に固執する必要は欠片もない。
稚拙な銘文の神獣鏡を見て笑う人間が何処に居るんだというお話wwwwwww 『三角縁神獣鏡に関する根拠なき思い込み、あるいは知った上でのイメージ操作・詐欺・ペテン…その2』
よく卑弥呼へ下賜された鏡は洛陽の中央の工房で作られたということを自明の理・前提としている奴がいるが
(まあこれはリアルの学者でも結構いるのかな?)
これも根拠がない。
(左・右・中)尚方銘でもあれば洛陽の工房で作られたと思いがちなんだろうが
実際に正始二年の左尚方の銘がある大弓の部品で実際には現在の河南省北部で作られたものが確認されている。
つまり魏の領域内であっても呉に近い地域で制作された可能性とか
魏鏡説の学者が思い描く技術的系譜の工人のいた地域の可能性もあるだろう。
必ずしも洛陽近辺である必要はない。
それらを考慮しないのは非科学的非論理的、詐欺ペテンのレベル。
それを否定するなら確実魏代で洛陽にて制作されたという資料を持って来いという話だ。
問題の景初当たりには洛陽での銅鏡製作も十分軌道に乗っていたことを示すだけの出土数量があり
それらの中に神獣鏡が一枚もなくここのゴミクズレベル九州説が推す方格規矩四神鏡や内行花文鏡で
きちんと「ロレツの回っている」銘文ばかりと言うのならその主張にも状況証拠としての根拠もあろうがw
>>574 >魏鏡説を唱える学者はそれなりに理論武装がしっかりしてるが
「魏で神獣鏡をつくった」とする理論があるわけか?
>575 >「神獣鏡」と「魏年号」の組み合わせは ”中国において” 出土例がある。
「魏の年号である黄初年号の神獣鏡が出ているが、呉が魏と同盟を結ぶことを考えて
呉も魏の年号を使う時期があり、製作地は呉である」(王氏)
>「神獣鏡」+「魏年号」=日本製などと短絡的に考えない方が良い。
魏年号入りの神獣鏡が出たからと魏で製作したなどと短絡的に考えない方が良い。
>つまり中国製と言っても魏鏡でなく呉鏡であればその組み合わせはありうるという話。
神獣鏡は魏鏡ではないということだな。魏鏡説を唱える学者の理論は壊滅だな。
鄂城あたりで魏年号入りの呉式神獣鏡をつくった。
ここにいた技術の半端な職人が倭国に渡来した。
>そこに皇帝の面子をかけ古来よりの様式に固執する必要は欠片もない。
皇帝ご用達の国際外交用贈答品に、魏の官製工房で邪教の呪具たる神獣鏡をつくったてか。
歴史を語りながら、王朝の格式と威厳をあまりにも矮小化して愚弄してるぞ。 >>577 >実際に正始二年の左尚方の銘がある大弓の部品で実際には
>現在の河南省北部で作られたものが確認されている。
鏡に正統性や格式与えるために、ほかで造ったのに尚方で造ったように見せる細工をしたらしいな。
この現象から、尚方の格式と威厳を見てとるのが歴史語りの常道じゃないのか?
>魏の領域内であっても呉に近い地域で制作された可能性とか………必ずしも洛陽近辺である必要はない。
論調をみるに、卑弥呼に贈られた鏡は「どこでもいいから魏でつくられたことになればいい」という、
開き直りにも似たゴロツキの論調になっているぞ。もっとも、お前は品がなくゴロツキだが。
>魏鏡説の学者が思い描く技術的系譜の工人のいた地域の可能性もあるだろう。
鄂城あたりで魏年号入りの呉式神獣鏡づくりを手伝った、技術の半端な下っ端職人が倭国に渡来した。とか
>それらを考慮しないのは非科学的非論理的、詐欺ペテンのレベル。
まさに魏鏡説の学者とお前がそうだ。
>確実魏代で洛陽にて制作されたという資料を持って来いという話だ。
思考のロレツがまわらなくなってるぞ。それは、魏鏡説の学者とお前がやることだろう。
国産説派は「神獣鏡が魏代に洛陽で製作された」などはいっていない。
皇帝ご用達の国際外交用贈答品に、「粗末な造り、粗末な銘文の鏡もあり得る」といいたいのかな。
お前の文章は分裂ぎみで的確には読めんが、ゴロツキ詭弁の連呼だ。ゴミクズはお前だな。 三角縁神獣鏡は誰が作った?
色んな人が・色んな時代に・色んなところで・つくった。
はい・これでおしまい。 >>578-579 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
おやおや魏代の鏡として日本(京都大阪)出土の「青龍鏡」(笑)を出して
それが魏で制作された舶載鏡であることも証明できずトンズラこいた
考古学にも造形の深い天才 森村伊作 大先生じゃないかwwwwwwwww
どれもこれもピントはずれのケチレスだが
>皇帝ご用達の国際外交用贈答品に、魏の官製工房で邪教の呪具たる神獣鏡をつくったてか。
>歴史を語りながら、王朝の格式と威厳をあまりにも矮小化して愚弄してるぞ。
…などと所詮なんの根拠もない何処ぞの自惚れ屋の爺いが考えた「脳内ストーリー」に基づく話。
所詮当時の魏における銅鏡制作事情が分からない限り舶載・国産に決着はつかんよアホウ。
付けたかったら日本出土の「青龍鏡」(笑)ではなくて中国出土の魏鏡の出土例を出して
そこから当時の状況を組み立てろゴミカス。
>>580 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
>色んな人が・色んな時代に・色んなところで・つくった。
>はい・これでおしまい。
この爺のパターンとして気に入らないスレには必死に店終いを強いるというのがあるが
なにか都合の悪いことでもあるのかな?(ゲラ
>色んな時代に
・・・3世紀に
>色んなところで
・・・ヤマトを中心に九州以東で
作られたとしたら
たとえ国産であってもそれだけの鏡を大量にばらまく勢力が出現していたということであって
このキチガイジジイがほざいている「熊本王朝東遷説(仮)」もハイ頓挫www
>>578 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
>鄂城あたりで魏年号入りの呉式神獣鏡をつくった。
>ここにいた技術の半端な職人が倭国に渡来した。
まあ要は渡来呉人による製作説だろうが
黄初二年(221)黄初四年(223)銘の鏡を作った職人が日本にやってきて
その技術を伝えたとなるとどうしても3世紀内になるが良いのか?w
仮に3世紀前半のその年に10代で一端の職人であっても
4世紀には90才超えるぞ?www
毎度毎度毎度毎度…その場限りで取り繕って
他で自分がほざいてきたことと整合性がとれなくなるこの馬鹿のいつものパターンだが
いまだに舶載説を本気で信じている人っているのかな?
本気で信じているふりをしている人ならいるかもしれないけど。 中高年層を中心に居ると思うけどさすがに卑弥呼の鏡とか言ってるのは畿内くらいかと… >>585
まあ可能性としてはないでもないんじゃないのかね、今でも。
画文帯神獣鏡に対して特に優位なところもないけど。
手づれによる朦朧化なんてのは完全に否定されたということでいいんじゃないでしょうか。 >>587
同向式に関してはほぼ全部が国産だな。
それ以外でも大半が国産だろう。
5C半ば以降の古墳から出てくる画文帯はほぼ全部国産。
△が国産なのに画文帯が全部舶載というわけがない。 鏡だと必死に捏造とか見苦しいな
youtubeのはやし浩司氏の動画を見れば
鏡として使われてた可能性なんて無いのが理解できるはず
銅鏡の周りの淵や模様が暦を表すものであるのは明白
真ん中の球が何で空撮された地図であるか説明してみろ 魔鏡ってのは反射させた光を見るものなんだから別に模様が地図だろうが獣だろうがなんでもいいの
いわばプロジェクターのようなもの 二千年後に発掘される会社事務所の出土品でも
(有)西村製材所 でんわXX-XXXX と大きく書いてあるのに鏡として使うわけがないとか云うんじゃないの。
銭湯遺跡では、ケロリンと書いてあるから広告看板であって、洗面器とは考えられない。 三角縁は日本からはたくさん出ているのに
中国では一枚も出土していないのだから
日本製だと考えるのが自然だよね 乗り物にセットして使うカーナビみたいな物だったんだろう >>597
国内で権威付けのために配布するなら、自分で作ったものの方がいいしね。 つまり三角なんたらは中国の歴史とはなんにも関係ないってことだな
もしそれを表すような記述などがあれば中国史が捏造だってことになる 最近の説は、初期の三角縁四神四獣鏡は魏の職人が作り、西晋が滅んでからは
日本で作られたってのがあるらしいな。
紐孔が長方形で特徴的らしい。 いまだに舶載説を本気で信じている人なんているの?
精神を病んでそうで怖い・・・ >>603
福永かな?
それほど最近でもないと思うが・・・
まあ背景として長く戦乱の続いた洛陽では銅鏡を作る組織も壊滅
戦乱を免れた地域から職人を招来してそこで
そういった意匠なりが入ってきた
・・・と話としては成り立つんだろうが
やはり洛陽で魏代の鏡として現物の出土が欲しいところ >>603
なんで紐孔だけにあんなに注目しているのかさっぱり分からん。 >>606
普段注目されるような場所じゃないから、
職人の何気ない癖が現れやすい、
と考えられるから 多数の人間が点でばらばらに思い思いに作っていたなら鈕孔の形はもっとバリエーションがあったはず
しかし、指摘されるように実際にはそれなりの人数の職人が作っていたと考えられるのに鈕孔の形にまとまりが見られる
こうした現象から、鈕孔の形状は、ある職人集団の共通のクセと考えられる クセかも知れませんが、縁の形状はすぐ目につくため、簡単に真似できてしまう点が、目立たない鈕孔とは異なりますね 銘文の音韻や由来の研究のほうがずっと目立たない部分の研究だよ。 >>604
「卑弥呼がもらった鏡」でないと自分の立場がボロボロに崩れるから必死になってるだけじゃない。
よくいるよね、思い込みと決めつけが激しいタイプの馬鹿。 >>612
銘文も漢字が読み書きできる職人ならコピー可能 途中からは日本で作ったと思うな。
鏡作神社なんてもんもあるしさ。
あのへんを発掘できたら、鋳型が出てくると思うんだけどな。
民家がいっぱい建ってるんだよなw
奈良は、肝心な時期のものは、大抵集落の下に埋まってる。 九州の石彫の鋳型と違って
砂型、粘土型だと、使用後に壊して再利用するから、残りにくい。 >>9
うんそうだね。韻を踏んで無いかなり低劣な銘文らしい。
△が中国産であることを否定する主要な根拠の一つだね。
三角縁神獣鏡が全部魏の制作って、最近の畿内説の人は言ってないんじゃないの?
昔の人は知らんけどさw >>620
今も昔もまともなのは皆無なんじゃないの?
小林以前のことは知らないが。 三角縁神獣鏡について案があるんだけど
外野の人間が投稿できる機関紙、学術誌みたいなものってあるかな >>620
最近っていつだ。
ここ50年くらい、全部魏の製作なんてやつはいないだろw
とんでも本は除くけどな。 西王母と東王公と龍虎が描かれた、
典型的な前漢時代の絵柄の神獣鏡をヤフオクで落札したんだけど、
ちょっと緑青が浮いてる程度で、
全体に銀色に輝いてて、二千年を経過したにしては綺麗すぎるんだよね。
ほんとうに前漢時代の鏡か、そのレプリカ(踏み返し?含む)かは、
どうやったら判るんだろう?
確実な鑑定方法が分かる人いますか? ヤフオクか〜
そういやそういった発見物だの昔の刀剣だの出れば
オークションあたりにすぐ出るんだっけ? 昨夜のヤフオクは古鏡祭りの状態で、
二百回以上入札を繰り返して数十万円まで競られた鏡もあった。
今日もかなりの銅鏡が競り落とされるらしい。
このタイミングを外すように、前日に落札された鏡は安かったWWW
ただし、精緻な図柄にしては、ちょっと?が付くものもある。
たとえばコレなど。
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b166017050
多少汚れがあるけど、全体にギンギラギンの綺麗な状態だ。
こういったものを鑑定できる見識を持った人でないと、
誰が鏡を作ったかなんて議論できないよね?
聖獣の龍虎は簡単に識別がつくが(古代中国では麒麟も龍の一種)、
東王公と西王母の二神は、どっちがどっちだか分かる?
この写真だと見ても私は???状態。 紐を通す穴が円いと中国製で、四角いと日本製
という説を唱えていた学者様がいたようだが、
>>629の西漢の時代の作とされる中国製の鏡は、
どちらかというと、穴が四角いようにも見える。
しかし、2世紀に日本で鏡が作られたことはないから、
それより2百年は古いだろう鏡が日本製というのは不自然だ。
日本製はもっと平べったい穴になるってことなのか?
実際に鏡を復元している職人さんの話では、
そのへんにある物を適当に置いて穴にするのだから、
四角とか円とか関係ないのだそうだが、
職人と学者のどちらが正しいのだろう? ま〜中国っていっても中国人らの話とは限らない
分かりますかね?
例えば太極拳なんて拳法があるだろ
あれなんか見ていけば回教(イスラム教)
あたりのやつらが残した影響ってのがで
かそうなんだよなw 意味がわかったはず「神と人間は違うのだ」
神官、神主、巫女とか
本当に違うんだよ 流行碑ってのが向こうで出てんだろうがよ
流行は流行、そのまんまの意味
中華システムってのは全て中国人、はいできあがり〜w それと『世界妖怪図鑑』に載っている「半女半男人」
ググっても出て来ないw
ググっても画像が見つからないという意味だよ
この図鑑持ってるから良いんだけどw >>633
おー、識者がいるものだね。
やっぱり>>629は三角縁神獣鏡と繋がりを持った鏡ということだね。
>>629の漢鏡にある文字の部分が、
黒塚古墳出土の三角縁神人龍虎画像鏡(8号鏡)にないだけでなく、
図柄の部分も細かく見ると同じではなく、
黒塚古墳出土のもののほうが、髪形や服装などの形が拾いやすいと思う。
どちらかが、どちらかを手本にして作られた、姉妹鏡と見て間違いないだろう。
素人判断で悪いが、
痛みの少なさからみると、>>629のほうがコピーの可能性もあるが、
こんなメンドクサイ模造品を作って一か月もかけて磨いて売って儲けになるのか、
やや疑問を感じる。
>>629の製作場所や製作年代や入手経路をはっきりさせることで、
黒塚古墳の鏡が、
前漢の時代の作とされている鏡より先に存在したのか後から模倣されたのか、
正体が見えてきて、三角縁神獣鏡の謎が解けるかもしれないね。
>>629が、近代の模造品でないことを祈りたい。
間違いのない調査はどこに頼めばやってくれるのだろう?
奈良県立橿原考古学研究所に持って行けば、分かるのだろうか? >>629の前漢の時代の鏡のほうが図柄が素朴
したがって>>633の画像鏡のほうが
>>629などの鏡を手本にした後世の作の可能性が高い
しかし、>>629の前漢の鏡が踏み返しで造られたものでないという保証はない。
日本の古墳から出土する鏡が、
前漢時代の古鏡でも使われていた典型的なモチーフを模倣したものということは推測できるが、
三角縁神獣鏡が中国で造られたか日本で造られたかまでは分からないだろう。
専門家からならば、また違った回答があるのかもしれないが・・・ 銘文は
袁氏作竟真大巧,東王公,西王母,青龍在左,白虎居右,仙人子喬,赤松子,千秋萬歲不知老,渴飲玉泉饑食棗
かなあ?ちょっと見にくいので自信なし。
前漢の画像鏡 は、知らないな。 【次に韓国起源にされそうなものを予測するスレ】
なんだこのスレw調べてみて 3世紀の日本に新種の鏡をクリエイトできる先進的な鏡工房があったと考える方がオーパーツ的で異常だろう
できて丸パクリだ >>641
解読ありがとう。
つまりは、不老長寿を祈願する祭具という、オーソドックスな答えだね。
鏡の上がどちらかということや、
どちらが東王公で西王母かということも、やっと分かって助かった。
下手すると上下反対に飾って、識者から顰蹙を買ったかもしれないw
さて、今夜のヤフオクも、目ぼしいモノを狙ってみるかw >>646
どうやって判断してるんだ?w
根拠のない決め付けだけなら、小学生でもできるぞ?w >>646
これも贋作って言うのか?
春日大社◆重要文化財 御神鏡 禽獸葡萄鏡◆千二百年記念
http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d160997221
こういうものは、分霊品と言って、贋作扱いはしない。
踏み返しの手法で作った分霊品(コピー)も贋作とは言わず、
神社で正式に御神体として扱われて来たのに、
なにをもって贋作と決めつけるのかが謎。 >>648
レプリカって書いてあるじゃん
「本物」の海獣葡萄鏡とは見なされないな >>629なんて古物商が1000円で出品してる時点で
「これは本物ではありません」と教えてくれているようなもの
本当に漢代のものだったらこんな値段でこんなところに出さずに
博物館や美術館に直接持ち込んでるわ
桁が3つは違う >>629の出品者に対して悪い評価が2件ついてるけどそれを読んだら笑える
商品に薬品の臭いって古色をつけるために偽物屋がよくやる手口なんだよね
コメントの日本語がおかしいし、過去の出品品目も中国美術ばっかりだし
お察し・・・ >>629の出品者は他にも鏡を出してる
>>629と
ttp://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k186471949
ttp://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/193281581
の3枚の画像を見比べておかしさを感じない人間は幸せ者かな
それぞれ、
・外区にわずかばかり見られるが内区には全くみられない
・鈕の頂部に帯状の変色
・鏡面に斑点状のものが少数
という錆の特徴が一致
しかも今日出品の鏡の文様は象とか鹿とか神獣鏡としては異例のもの
まちがいなく現代の作品だな 他の業者だが、
博物館に展示されたこともある履歴を持つ鏡を、
やはり千円から出品しているケースがある。
ヤフオクでは、安い値を付けないと入札数が得られず、高く売り抜けないから、
千円スタートは当然あるし、一円スタートのオークションも普通にある。
知らないのは、情弱と判断される。 648のようなレプリカ(コピー、分霊品)は本来、
神社に御神体として飾るために造られてきたものだ。
神道界では、復元品だと承知のうえで、本物の御神体として扱われる。
もちろん、国宝・重文クラスのオリジナルとは価格の桁が幾つか違うことや、
オリジナルと区別するための相違があることは、誰もが承知している。 通常の保管方法の場合、銅は酸化被膜によって保護されることで、
内部の酸化・腐食が進行しなくなり、長期間の保存に耐える点が鉄などと異なる。
掘り出した直後から銀色の古鏡というものはまず考えられないが、
漢の時代の棺から生前の柔らかさを保ったミイラが発見される例などもあるため、
現代の常識では通常考えられない保存状態の漢鏡が存在してもおかしくはない。
漢時代の墳墓は、大量の炭素に覆われており、
内部には有機物が分化して生じた可燃性のガスが充満する仕掛けになっているものもある。
盗掘するときに使う金属が火花を散らすると、燃え上がって火葬される仕掛けだ。
このような墳墓の密封性は非常に高いため、副葬品が錆びないことは十分にある。
幾つかの日本の古墳の壁画の保存状態が良いのは、
遺体が分解して生じた有機物が守っていたからだと判明している。
古墳を開けたため、有機物が拡散してカビが生えてしまい、
壁画が深刻なダメージを被った事例が知られている。
息長斎王家の紀州の廃坑を利用した神庫は、
落ち葉が発酵して生じる二酸化炭素などによる酸化防止措置が採られているため、
千数百年を経た十種神宝などが、腐食もせず良好な状態で保管されている。
知識のない者が二酸化炭素などが充満した神庫に入ると窒息死する。
息長斎王家が伝承する、神宝を守る本物の結界の秘術は、盗掘除けにもなっている。
実際に、終戦後G●Qの将校が、天岩戸を破壊して内部に入ったが、
落盤トラップを作動させて命を落としている。
このとき、発酵ガスの仕掛けを解除することなく救助に向かった米●の兵士達も、
次々と窒息死して遺体が回収不可能になり、神の祟りと恐れられた。 もちろん、神庫の収蔵品のメンテナンスは毎年定期的に行われており、
作業にあたる、本物の結界の秘術を熟知している息長一族の陰陽の術に精通した修験者達が
窒息死するようなことは通常起こり得ない。
もちろん、二酸化炭素が充満したエリアで、普通に呼吸すれば誰でも死亡するが、
外部から送られる空気のみを吸っていれば、数百mの地下でもどうということはない。 贋作を作って騙そうと思っているなら、
古鏡の全体に緑青が付くように一定期間放置すれば済むことだ。
そのほうがずっと本物らしく見えることは、誰でも分かる。
数時間で緑青を発生させ、一日置けば全体が緑青色に変る、
極めて安価で手間のかからない化学処理の方法が一般に知られている。
黒光りする銅像のような強固な被膜を短時間で作って保護する化学処理も可能だ。
そうせずに、大部分が銀色の状態で売りに出される鏡は、
酸化膜を化学処理で除去してから磨いて使われ、
その後の保存状態によって一部が再び錆びたと考えるのが妥当だ。
同様の錆び方をしているということは、
同じコレクターの保管品だったという事実しか示していない。
金属鏡は磨いて使うのが当たり前だから、
コレクターから放出された研磨状態の古鏡が売りに出されていても不思議はない。
仮に現代の技術で贋作を作ったとしても、
鋳ばなしの状態から研磨して鏡面を得るには、手作業で一ヶ月近くかかる。
電動の道具を使うにしても、作業料金を何万円かに設定しないと成り立たない。
下は復元青銅鏡の販売サイトで、磨き作業の手間がどの程度のものか見当がつく。
http://www.narahara-art.co.jp/gallery/seidokyo_order/index.html
古物扱いだと数千円から一万円程度の低価格でしか売れない可能性があり、
原価割れするリスクがあると分かっていて、
面倒な手間がかかる鏡面までの研磨作業を赤字覚悟でやる業者はまずいない。
適当なところで研磨を止めて錆びさせて誤魔化したほうがはるかに楽で、
利益が大きいことは言うまでもない。 それよりも>>629のリンク先で着眼すべきポイントは、
細部にゴミが付いたように模様が不鮮明に埋まっている箇所があることのほうだ。
踏み返して鋳造することによる劣化と考えるのが妥当かもしれないが、
量産コピーが行われたのが、近年か2千年前かは、容易に判断しかねる。 黒塚古墳出土と言えば、画文帯神獣鏡だよな。
盗掘されてない状態で、三角縁神獣鏡が33面も出てきたが、
画文帯神獣鏡は1面しか出ておらず、
しかも立てた状態で、埋葬者の頭部と思われる位置に置いてあったことから、
埋葬時、特別扱いされていた可能性が高い。
三角縁神獣鏡は葬儀用の量産品扱いだった可能性がある。
三角縁神獣鏡より古い様式の画文帯神獣鏡だけは、
小ぶりにもかかわらず、特別な意味を持たせてあったことから、
中国で造られたのではないかと考えられている。
そうなると、価値が低い扱いの量産型葬儀用品の三角縁神獣鏡は国産鏡で、
卑弥呼が授かった百枚ではないという話になってくる。
邪馬台国畿内説では、特産品のシルクが畿内では作られていなかった点で
大きな疑問符が付いているわけだが、
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡でないとなると、ますます邪馬台国畿内説は線が細くなり、
三角縁神獣鏡より様式が古い漢鏡が多く出土する北九州が、邪馬台国の有力な候補地になる
黒塚古墳の発掘結果は、邪馬台国九州説に有利なものだった。
神人龍虎画像鏡も、黒塚古墳からは1枚しか出ていない。
注目すべき鏡ではあるが、画文帯神獣鏡ほど重要なものではないようだ。 画像鏡というのは、
墓室を飾った画象石の文様に類似することから付いたものだが、
なぜ不老長寿を祈願する内容の鏡が、
老いて死んだ人の墓に納められるのか。
ちょっと話が違うんじゃないかなぁ、なんか矛盾してない?
という感覚に陥る。
後漢時代中期(1〜2世紀)のものが多いようだが、
なぜ>629が前漢の鏡と判断されたのか、興味がある。 三角縁神獣鏡は、
崑崙・昇天などをテーマとした漢代の埋葬の思想を継承しながら、
節(帝の命を受けた使者に授けられるもの)を描くなど、
中国や朝鮮には存在しない日本独自の様式を展開していることから、
国産鏡で確定だろう。
卑弥呼に下賜された鏡などという戯言はなし。
漢鏡の出土状況から見れば、邪馬台国は北九州が有力。
畿内説は、条件がまったく合わないから、
鏡の分布に着眼すれば、もはや考えられない状況。 三角縁神獣鏡に謎などない
含まれる鉛の同位体比がすべて神岡鉱山に該当する
和鏡でファイナルアンサーだよ 神様の真似なんてしてるから、こうなったんだよ
昔からいるんだよ、土地の神というのが
『プサン港へ帰れ』トトロ トトロ むかしから住んでる 以前あった謎の書き込み「ここはチョンばかりだな」
そのような鏡、儀式、祭祀がなくても人は住んでいた
そして生活していた
確実に邪馬台国、卑弥呼以前の時代だよ
出雲は縄文人
このような事が言いたいんだと思う >>659
邪馬台国の特産品のシルクと
卑弥呼が魏から受け取った筈の鏡百枚
両者の分布が畿内説を否定してたのか
畿内説確定みたいな話を聞いていたが
考古学的に否定されてるならマジ駄目じゃん ググると見つかるな「出雲 縄文遺跡」
古代出雲 祭祀
古代出雲が大陸と交流していたんだよ
大君、大王はどこに住んでいたの?という事になってくる だいたい、邪馬台国をヤマト国と読もうとした時点で
小学生のお子様レベルの無理があったわけで
知らないこと、分からないことが多すぎる段階で、
なんでも知ってることと結び付ようと無理をするからそうなる! 天照大神を神降ろしして神託を下す巫女がどんな姿か知ってる人はいるかな?
明治維新以降の国家神道化によって、神託を下す神事は否定されてしまい、
現代ではまず見ることが出来ない。
斎王託宣事件の記録に目を通せば分かるが、
伊勢の斎宮や内宮で、天照大神の神託が下されたのは、
せん子女王が酒をあおって酒乱状態で口走った一件のみだ。
つまり、正式な祭祀で伊勢神宮に天照大神が降臨したことは一度もない。
天照大神の神託を下す巫女は、
秦氏創建の宇佐神宮を除けば、息長斎王家以外に伝承していない。
渡来氏族の秦氏は、息長斎王家を奉斎する取り巻き集団。
つまり、神功皇后を輩出した息長の巫女がすべてのルーツなのだ。
それでは、巫女神道に伝わる、非公開神事の内容をここに暴露しよう。
天照大神を神降ろしして神託を下す巫女は、男装するシキタリがある。
伊勢の内宮に奉納された天照大神の御神服の記録を見ても明らかだが、
男神の装束となっている。
このことから、息長一族独自の伝承ではなく、皇室神道も同じ流れと分かる。
さて、ここからが本題だが、
日の巫女の王の女性の髪形をしたまま、男装用の天冠をかぶった頭部の状態は、
天照大神の御神体とされる鏡に描かれると、どんな図柄になるだろうか。
答は、
西王母のような二本の巻いた線が左右から飛び出し、東王父の3本線の冠と合わさった形になる。
鏡作神社の三神二獣鏡などに、この独特の表現が見られる。
中国の道教を踏まえた様式とはまったく異なる、
日本独自の太陽神を描いた鏡が、八咫鏡を作った神を祀る神社に伝わっている。 そのと〜りだ
諸蕃や蝦夷を大事にしなければいけない
悪く言うと日本には「人と土地しかなかった」ようなもの
他の国と交流し、文化を取り入れ、
現在の日本という国が出来たのだよ、こなん君 まだ舶載三角縁神獣鏡が国産だと思ってる人がいるのか
世の中、情弱っているんだなあ >>674
鏡を研究する国内の専門家の大半が、
舶載三角縁神獣鏡という考え方そのものを否定している状況で、
強弁しても無駄。
そんなものは存在しないことが、含まれる鉛の分析から分かった。
もちろん、九州の香春神社などの銅山が見つかるまでは、
鏡を作る銅は海外から輸入されていたのだが、それは銅鐸も同じ事情だった。
中国産の銅で造られた銅鐸を、中国製と言わないように、
中国産の銅で造られた和鏡を、中国製と言うべきではない。 >>673
倭民族を日本を卑下しすぎだな。
黄帝の権威と率いた軍団の力を象徴する聖獣は、日本生まれと伝承されてきた。
日本側が勝手に主張していることではなく、大陸の漢民族の間にそう伝わっている。
なぜそんな伝説が生まれたかと言えば、
7千年前に鬼界カルデラが大噴火した降灰の影響で
西日本の植物が大打撃を受けて、飢饉が発生して居住不能になったため、
大量の難民が海外脱出して、食糧事情の良い大陸東岸に大疎開したからだ。
漢民族と言葉が異なる膠着語圏に属する東夷とか、
倭国の天津神を奉斎する海人集団が、山東半島付近にまでいたり、
日本語と大陸の高句麗語の数詞が完全一致するほど近縁の言語だったのは、
(現代の半島の朝鮮語は日本語と数詞が一致しない、比較的疎遠の言語)
疎開した縄文人の文化を受け継いだ子孫が多く残っていたからだ。
地球規模の寒冷化に伴って、大陸で大飢饉と黄巾の乱などの戦乱が巻き起こり、
多くの東夷や海人は、孔子の「道に行き詰まったときは【東海に浮かぶ】」教えに従って、
東海姫氏国=蓬莱=日本へと、大挙して「里帰り」の帰化を実行している。
その結果、近畿地方の豪族のじつに3割が渡来系だった時代もある。 黄帝の別姓は姫とされるが、これは「東海姫氏国」=日本の国姓の姫のことだ。
中国側には、母親が姫水に住んでいたからだという伝承しか残っていない。
しかしそこには、
アカルヒメの母親が池のほとりで虹のように輝く日矛をホトに受けて懐妊したエピソードと同じ、
神婚による処女懐胎のエピソードが存在していたと、
息長斎王家の神庫に残る文献をもとに、当代宗主・耀姫様がレクチャーしている。
黄帝は、蓬莱=東海姫氏国に住むという、
東王公や東盟聖王(高句麗国の始祖の尊称)と繋がっており、
東照神君家康公もまた、
その神号を内々に、姫姓を受け継ぐ息長斎王家の明姫様から頂いている。
真相を明かすと、家康の最後の妻は春日局で、徳川家光は家康と春日局の子なのだが、
春日局は、「シコメ」「借り腹」と言われたにしては、
家康から敬愛されただけでなく、朝廷からも、乳母とは思えない破格の扱いを受けている。
ことの真相は、皇族より上位の皇祖の一族、息長斎王家の外家(分家)の出の姫なのだ。
だから、男勝りの剛腕で、筋骨隆々すぎて女らしくなく、シコメとすら言われたのだ。
現在の息長斎王家宗主・耀姫様も、その絶世の容貌から妭姫(みめよい)と言われながら、
長さ2mを優に超える奉納刀の大太刀を手にして、軽々と剣舞を舞う。
天日槍=都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)=角がある人=鬼神の子孫と言われるだけあって
その腕の太さは、並みの女性の大根足ぐらいあり、普通の洋服の袖が通らず、
誰もが後姿を男性と間違えたり、水着姿を見て女子プロの選手と勘違いするほどだ。
家康は、息長斎王家の女性に対して内々(正式)に妻問婚して子を成したことで、黄帝と同格の存在となり、
没後、東照の神号を息長一族から御下賜される栄誉を与えられたのだ。 葵祭は桃太郎のエピソードと一対一対応する要素で構成された、
皇祖の大王と王権が誕生した故事を祝うものである。
そして、皇祖の大王=黄帝=東王公=東盟聖王=東照の君は、皆縄文系の血統だ。
Y遺伝子で言えばD系列になる。
日本国(ヒノモトのクニ)は、神仙が住むとされる蓬莱の伝説や扶桑信仰の国。
孔子が、道に行き詰まったら「東海に浮かぶ」と説いた、最終疎開(避難)地だ。
奈良や京都の盆地の池沼や、大阪湾などに広がる湿地帯が、
豊葦原瑞穂の国と呼ぶ状態だったからこそ、大量の帰化民を受け入れて栄えることが出来た。
しかし、渡来人が大量に帰化する以前から、高度な技術を有していた。
単に倭人文化圏の中心地が、大陸東岸から北九州や畿内に移転したにすぎず、
倭民族を主導する王族の血統は、何千年も変わっていない。
山東半島付近では、青銅器の製法を伝承するのは、
フイゴの神でもある蚩尤=兵主=天日槍を祖先の王として奉斎する集団だった。
天日槍を祖先とする息長一族から神功皇后が輩出され、
その子の応神天皇が男系の祖先の神と「名を交換する」ことで、現皇室は成立している。
男系の皇統が途絶えたため擁立された継体天皇も、皇祖の一族息長斎王家の血を引いている。
つまり、山東半島の青銅製の祭具を作る技術を伝承し、
ヤマト王権に集う諸豪族達に祭祀の用具(青銅鏡や銅鐸など)を下賜できる、
天日槍を奉斎する=息長一族が、ヤマト王権の中枢・大王家の祖なのだ。
その証拠に、奈良の纏向遺跡を見下ろす東の高台には、今も穴師坐兵主神社が残る。
この神社には古い時代、
兵主ではなく天日槍の名で始祖の大王(素戔嗚)が祀られていたことが分かっている。
奈良の宗教王国を率いていたのは、天日槍=息長斎王家に他ならない。 >>679
色んなパーツを恣意的に集めて、自分しか理解できない結論を出して
誰からも反論がないのにご満悦な自称歴史家のおっさん乙w >>676
>鏡を研究する国内の専門家の大半が、
>舶載三角縁神獣鏡という考え方そのものを否定している状況で、
>強弁しても無駄。
どこの国内の話しですか?
鏡を専門的に研究している人たちの多数派は
全舶載もしくは一部舶載との立場で
三角縁=魏鏡を認めてるんだけど 根拠付きで魏鏡と主張している先生は誰ですかね?
なんとなく推測している先生は、
たまに見受けられますが。
そもそも、どういう条件が整ったら
魏鏡と言えるのでしょうか? まずは『三角縁神獣鏡研究事典』を読んでみるべきだろう >>683
>根拠付きで魏鏡と主張している先生は誰ですかね?
福永先生とか?
鈕孔形状その他からの三角縁神獣鏡を作った工人の技術系譜の推測等は素人目にはかなり説得力がある
逆に「なんとなく推測」というのなら国産説の代表みたいな学者を挙げて欲しい
過去の魏鏡説かが受けた指摘や新たに中国鏡の系譜と照らしあわせた今の舶載説の学者と互角に渡り合える研究家っているのか?
単に「中国からは一枚も出ない」「銘文が稚拙」とかで国産をとってるのがほとんどのような気がするがw
>そもそも、どういう条件が整ったら魏鏡と言えるのでしょうか
難しいが何れにせよ国内の出土だけで言い争っても埒が明かないだろうな
魏代洛陽で作られた鏡の種類がきちんと出土によって確かめられなければ舶載説も国産説も推理・推定でしかない 方格規矩鏡、内行花文鏡は魏の時代にも出土している鏡として
間違いないだろう。 黒塚古墳の発掘が行われた時点で、もはや決着がついている。
盗掘を受けていない埋葬状態から、
三角縁神獣鏡は大量に棺の外に置かれていたことから、葬儀用の量産品で、
本当の漢鏡は、小ぶりでもそれと別格の扱いを受けていたことが確定。
三角縁神獣鏡に含まれる鉛の分析から、
神岡鉱山で採れた銅と混ぜて国内で鋳造されたことが100%確定。
分析結果に勝手な異論を挟むことは不可能。
日本産の鉛を中国大陸に持って行って加工したなどと唱えても意味がない。
三角縁神獣鏡には、明らかに大陸産よりも稚拙なものが多く含まれることからも、
日本製と考えるべき。
纏向遺跡を支配した、穴師坐兵主神社の兵主神=天日槍を祀る一族が、
ヤマト王権大王家で、
中国大陸の山東半島付近と縄文時代からの密接な繋がりを持ち、
大陸産の銅を輸入して銅鐸や青銅鏡を量産して下賜していたのが真相。
つまり、三角縁神獣鏡は息長斎王家の者達が作って下賜した、がファイナルアンサー。
日本オリジナルのデザインが施された三角縁神獣鏡は数多く見つかっており、
とくに太陽神が描かれた神鏡などは、日本製以外に考えようもない。 卑弥呼の邪馬台国の話を補足しておくが、
国産の鉄は硬くて刃物にすると脆いため、
柔らかくする材料を産する朝鮮半島の南部にも、
天日槍=都怒我阿羅斯等=敦賀の豪族は領土を拡大していた。
だから、新羅の第四代国王は日本の丹波の出身などという伝承が残る。
神功皇后が半島に渡り戦わずして勝っているのは、
半島の王族より、姫姓を受け継ぐ神功皇后のお里の家のほうが血統が上位だから、
平伏低頭するしかなかったのだ。
その一族の日女神が里帰りしたことが、
香春神社(日本最大の銅山だった時代がある)の伝承などの形で残っている。
アカルヒメの朝鮮半島からの里帰りの神話も、その影響を受けて変形している。
本当は、ハツ姫と蚩尤のペア=アカルヒメと天日槍のペア=天照大神と素戔嗚のペアを奉斎する王族は、
山東半島付近から日本へと、何派にも分かれて帰化(里帰り)している。
卑弥呼の時代は倭国が乱れて彼女の宗教的な力だけでは束ねられないため、
魏の後ろ盾を得る必要があった。
そこで漢鏡が尊ばれていたのだが、それが残るのはほとんどが九州。
つまり、卑弥呼は九州を支配した女王にすぎず、
日本書紀での扱いも、「天祖」ではあっても「皇祖」とされていない。
それから、
古墳に埋めずに家宝として保存していたなどという、
苦し紛れの奇説は、現実から乖離した子供騙しにすぎない。
そんな誤魔化しは必要なく、邪馬台国は九州でファイナルアンサー。
執念深く異説を唱えれば唱えるほど、考古学とズレて言いわけが見苦しくなる。 >>689
それは、材料を輸入していた、という伝承と合致する事実しか示していない。
また、用途によって、黄金色と銀色の使い分けがあり、組成が異なるのだが、
言及がないことから、神鏡の製作の実態を知らない、門外の素人の研究だと分かる。
残念ながら、この種の素人の作文を、信頼できる情報とは言わない。 >>685
鈕孔形状?
そんなもので分類できると考える時点で、
神鏡造りの現実を知らない素人と丸判りの説。
実際に金属鏡を造っている人達から、完全に否定されている。
デタラメがまかり通るのは、ペーパー学会のみ。
とある復元鏡の鋳造職人の言葉をそのまま引用する。
「穴の形なんか、その時その時の職人の気分で
勝手に近くにあったもんでこさえとるんや。
産地や制作者によって決まった穴の形があるなんて、
全く現場を知らんもんが机の上で考えた理屈や。」
青銅鏡を造っている現場のプロ(職人)は、粘土でナカゴを作るという現実離れした話に騙されたりしない。
息長斎王家に生まれて二千年来の秘伝を受け継ぎ、
神鏡の復元に携わる人間国宝級の職人達を影ながら育成・指導してきた本物の専門家達も、
そんな嘘の製法を認めたりはしない。
金属鏡の製作現場を知らない、不勉強なニワカの門外漢が、
大学教授などの肩書を利用して、研究者を詐称して机上の空論を垂れ流している、
と認識されてゴミ箱行きの話だ。 いわゆる「本物の」舶載鏡(こんな素人造語自体が専門家から見ればナンセンス)のなかで、
長方形鈕穴を持つ鏡は極めて限定的だ。
中国製であるなどと、とても言えない状況にある。
まともに統計処理すら出来ない(調査の努力をしていない)人物が、
「知ったような思い付きのデタラメを紙の上で並べて、人々を惑わしてきた」のが実情と言える。
魏の領域内の特異な工人集団などというものも、まったくの架空の存在であり、
実証する要素(伝承や文献や考古学的資料)が皆目見当たらない。
対して、息長斎王家の祖とされる兵主神が、フイゴと銅製品を鋳造する神とされてきた伝承は確実に残っており、
また、神器として下賜された青銅鏡がきちんと現代まで残っている。
発掘によって出てくる葬儀用の鏡や現存する祭祀用の鏡と、伝承内容はピタリ一致しており、
考古学が、社家が二千年来伝承してきた秘伝の内容を明確に裏付ける形になっている。
教授の肩書を手に入れた門外の素人が、ペーパー学会を駆使して、
子供の騙しの嘘を流布する姑息なテクニックが通用する時代は終わっている。 「情報考古学」2005年vol11 NO.2(2006年発行)掲載の
新井宏氏の「鉛同位体比から見た三角縁神獣鏡の製作地」という論文がある。
「三角縁神獣鏡の鉛の同位体比の分布は、
殆ど全ての仿製鏡(こんな独自の素人造語を使うな)の分布に一致している。
舶載とされた三角縁神獣鏡の多くが、中国産ではなく、
日本などで製作されたか、或いは複製された鏡であることを示している。」
成分分析の結果示された事実は、もはや誰にも覆せない。
虚言癖があると思われる某大学の例の教授などが用いてきた、
ペーパー上の騙しのテクニックが通用する時代は終わっている。
高度な技術を要する事柄について、
伝承主体から乖離した人々が、
門外漢の素人考えで勝手な思い付きのデタラメを並べてみても、
それらの嘘は、たいした時間を置くことなく、必ず見破られて終わる。
これにて中国製、和製の鏡に関する議論は終了。
今後は、鉛同位体比の調査を経ないで、
中国製・和製と適当なことを知ったかぶりして書き殴っても、もはや誰も信じない。 伝世鏡の「手ずれ」説も真っ赤な嘘だということが、
高精度デジタルマイクロスコープを利用した、肉眼では観察できない高倍率の調査から判明している。
長期間の使用による磨滅などではないことが明白になったことで、
一流大学の教授職の肩書と、ペーパー学会を使った、
いい加減な思い付き(脳内妄想)を流布する、騙しのテクニックのボロが出た格好だ。
いくら立派な教授職の肩書きを手に入れても、
ろくに古鏡を観察せずに、「手ずれ」の痕跡がある!などと、
専門家気取りで増長して思い付いた嘘(捏造)を並べ立てると、
大恥を掻くことになる。
後から細かく検証作業を行う人が現れたら、それで終了。
二千年間神鏡の製作を主導してきた伝統や、神器として下賜した歴史を持つ、
息長斎王家の専門家達がまったく関知しない、
誤情報を流布する近代のペーパー学会御用達の、
舶載鏡・仿製鏡・伝世鏡などの、虚言流布用の特殊「捏造学術用語」には注意を要する。 制作者の名前が書かれている奴もあるよ
「洛陽の陳氏」とか「王氏」とか書かれている
ネタじゃなくてマジレスですよ >>690
鏡の材料を輸入してたなんて伝承聞いたことないんですが詳しく教えてもらえませんか?
成分が一致してる他の鏡は中国で製作されたのに三角縁神獣鏡だけが日本製なんですか?
九州で出土する鏡は日本製ではないのですか? >>696
九州で出るやつも国産鏡はたくさんあるよ。
わかるものはちゃんと国産鏡と分類されてる。
あと、分析されてるといっても、
合金の配合比率の話しなので、
国産でも中国と同じ配合になったら
区別がつかない。 銅鉱山が少なかった日本。
秩父で自然銅の塊が見つかり、
銅の自給を祈念して、
和銅という年号が制定された。 △鏡の材料を輸入してた伝承なんかないよ
△鏡が中国製がだと確定したら九州説は終了だから嘘つくくらい朝飯前 >>699
>△鏡の材料を輸入してた伝承なんかないよ
つまり△鏡は全部国産銅を使用した国産鏡ということですかね? >>62なんて、東遷論者がいかに畿内説を知らないかを示す証左だよね >>703
無知な素人の戯言だから 放置するように >>700
分析結果の文書くらい読めば?
中国製と国産の両方があるってことだよ 韓国の専門外の学者がトンデモを唱えるのは、珍しくない >>707
それより「平原鏡から三角縁神獣鏡へ」の方が新しくて面白い。
鉛同位体比より、形式も紀年も違う鏡がセットで製造されてた可能性が高い。
実際に、形式も紀年も違う鏡なのに、鉛同位体比が全く同一のものが、
古墳にセットで入っているケースがある。
平原鏡も踏み返し鏡が多く、銘文の再利用、突線ひびなどの特徴から、
製造技術が三角縁の時代まで継承されてる可能性が高い。 中国産の鏡が一枚あれば
それを鋳型にして、何枚もコピーできるじゃん
結論
中国産の日本製 三角縁にはいろんなバリエーションがあるので中国鏡1枚では無理 よくわかった
つまり、国産派は鏡のことをよく知らないから誤解しているということなんだ いや、製造技術を研究してる人の方に?製鏡を多めに考える人が多い。
国内でどういう生産技術があったのか研究するわけだから当たり前なんだけど。
これも国内でこうやって作ったんじゃないかってどんどん判明していくわけだから。
遺物の形態分類してる人は舶載鏡を多めに考える人が多い。
これは研究初期に舶載鏡を多めに想定していたということ以外に論拠は乏しい。 >>517
鋳造技術の研究といっても現代の技術で作って喜んでるだけじゃだめなんだが 田原本の鏡作神社のあたりで作ったんでしょうな。
あのへんを発掘できればいいけどね。 >>691
へえ、どこにその息長斎王家ってあるの?
今も職人さんがいるようだけど、どこにあるのか教えてほしいな >>691 天日影虎 ◆Dlof2CSSdI
>青銅鏡を造っている現場のプロ(職人)は、粘土でナカゴを作るという現実離れした話に騙されたりしない。
>息長斎王家に生まれて二千年来の秘伝を受け継ぎ、
>神鏡の復元に携わる人間国宝級の職人達を影ながら育成・指導してきた本物の専門家達も、
>そんな嘘の製法を認めたりはしない。
何だこいつ?キチガイ電波さんかな?
そもそもその
「息長斎王家に生まれて二千年来の秘伝を受け継いできた本物の専門家達」
・・・って何処の誰よ?
「ボクの考えた秘密の結社」
でもなきゃ表に看板出してるんだろう?
ソースを出せや
そもそも粘土でナカゴを作らないというのなら1回こっきりの使い捨てじゃなくて「使い回し」するということだよな?
なら職人により同じ形状のものが作られる確率が高いと考えた方が妥当
それに「湯の回り」とか考えれば
そりゃ「時々の気分で変え」てもいいだろうが同じものを使うほうが効率がいい
(そんなことで万が一にも失敗したら馬鹿馬鹿しい)
実際その鈕孔形状はある時代に集中してるんだから
「職人のその時時の気分次第」とか言っても意味なし 福永さん自体、もう鏡はやめてんじゃないの
同笵鏡分与と地方政権の構造との関連の研究は良かったけど 多くは鏡作神社のあたりで作ったんだろうな。
神社の伝承によれば、崇神天皇の時代に「形代」を作ったという。
崇神陵は前期初頭、箸墓や西殿塚よりも後。四世紀初めごろといわれる。
古墳と伝承からは、崇神は三世紀末から4世紀初頭に生きた人物。
その頃から作り始めた。田原本には多くの鏡作神社が鎮座する。 中国では三角縁神獣鏡は見つかっていない。
ただし、洛陽の骨董市で見つかったという情報あり
というところか。 ×中国では三角縁神獣鏡は見つかっていない。
中国では三角縁神獣鏡の出土例はない
×ただし、洛陽の骨董市で見つかったという情報あり
ただし、洛陽の骨董市で売りに出されていた、出土地がはっきりしないものならある 吾作明竟真大好上有聖人東王父西王母師子辟邪中?臣位至公卿子孫壽 >>726
舶載説の人でもこれを三角縁神獣鏡とは認める人は居ないだろうな。
一見して別物と分かる。
つか、日本の学者の意見を聞いて記事にしろよ。
この種の鏡はこれまで何回も否定されてきた。 >>732
>中?臣
口銜巨が正解だけど、
確かにこの鏡、不思議と文字の中央に縦線が巡っている。 これ、日本出土の大半の三角縁神獣鏡とおなじく「韻が踏めない」からなぁ・・・
確実に「中国から出土」したのなら「韻が踏めない銘文付き銅鏡」の出土例になって
日本出土の三角縁神獣鏡=魏鏡の可能性が高くなるんだが。
骨董市での入手一例のみではなぁ・・・ 「銘文の韻が踏まれていないから中国鏡ではない」という主張は論破されてるよ 三角縁神獣鏡の原料は銅鐸。
あちこちで、細かく破壊された銅鐸が見つかっている。
どうしてそんなことをしたかというと、再び溶かすため。
そして、作られたのが三角縁神獣鏡。 材料の科学的分析では、はっきりわからないというのがなんともなあ。 >>737
海東鏡ってのがあるだろ。作った人が海を渡ってやってきた工人(鏡作師)だと
銘文に書かれている。
もちろん手ぶらで来たはずがなく大量の胴銭を持ってきたはずで、三角縁神獣鏡は
それら中国銭を溶かして作った物だと思うけどな 何でもかんでも中国から来たとか中国人の技術者が作ったとかいうけどさ、
ほんとかなと思うよ。
だってあのどでかい銅鐸を作れたんだよな。なのに「倭人には技術がないから
中国人が作ったに違いない」とか、学者の言い分は信用出来ない。
たいした根拠なく「あらたな技術を持った渡来人が・・・」と書いてる気がする。
本のどこを読んでも根拠は書いてない。 【話題】国内最古の「多鈕(たちゅう)鏡」鋳型、福岡で出土…権威の象徴だった多鈕鏡はすべて朝鮮半島製とする定説を覆す[05/29]&#169;2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1432842866/ これまで朝鮮人はまじでうざかったからいいニュースだな
未だにバカチョンが、北から南まで田舎でも都会でも日本人を騙しつくして暴れているが
早く朝鮮半島に追い返したい (Q)ツチノコとネトウヨってどっちが希少種なの?
(A)ツチノコは架空の生き物です
ネトウヨは架空の中で生きています
ですからネトウヨの方が実在している珍しい生き物です
みなさんネトウヨを虐待してはいけませんよ(笑) >>726-735
ところが西川寿勝は本物説なんだなぁ。
24日に安本美典との公開討論があって、本人の中国レポート面白かった。
中国人に接待されてだいぶ骨抜きにされてるみたいだが。
得意満面に本物説を語った後、安本にボコボコにされてたw >747 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2015/05/31(日) 07:22:32.69
>748 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2016/01/31(日) 02:59:31.36
おまえら8ヶ月も何してたの? あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?
魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
@日本に送られたのは特注だからでしょう
似た鏡は中国で出土してる
A日本に送るために特注したから
B魏志倭人伝に書かれてるのが100枚というだけで他にも多数
輸出されたのでしょう 邪馬台国時代の倭国は漢字が普及していなかった
だから卑弥呼が倭王に冊封されて、各国に自慢げに伝えたとしても、
証書の書き写しを送っても、各国は?だろう
そこで魏から賜った鏡の複製品を邪馬台国で大量に作って、
各国にばらまいたんだよ
漢字の年号が入っていて、立派な格調高い文様がある綺麗な鏡をみれば、
卑弥呼の御威光極まれりってことさ >>757
国産でも材料の銅は輸入品だろ。
>>761
複製品じゃなくて全て記念メダルみたいなもので
後世に国内で作られたものだろう。 >>756
特注かどうかは分からんが。
少なくとも、魏は倭に剣や絹や鏡を与えた。
魏の王から下されたからこそ値打ちがあった。
だから「輸入した」ってのは意味がない。
魏の王からもらったありがたい鏡。
それを真似して、倭の王権が鏡を作らせ家臣に配ったと考えるほうがまとも。
魏と同様、剣の方が上位だったと思うけどね。
埼玉稲荷山古墳のやつのように。
恩寵の時計のように、天皇からもらったからこそ値打ちがあるのであって、同様のものを
自分でお金を出して買っても何の意味もない。 中華製のアリガターイ青銅製の鏡は平縁の鏡。
と言うのは既に定また物。
更に、中国大陸から三角縁の鏡は一切出土していない。
故に、三角縁神獣鏡は我が国で生産された物? 3世紀の日本では文字は使用されておらず銘文鏡を作るはずがない
魏の皇帝が特注して卑弥呼に100枚渡したものを、それ以降日本国内でマネて生産したと考えるのが妥当 三国志の時代、魏国の東北地方に盤拠した豪族の公孫氏が離反、独立の動きを見せると
魏国の宿敵、呉国は使節を遣わして共に連合して魏国に当たる様に工作。(遠交近攻の術)
その際、使節に青銅鏡等の職工集団が随行したという。
魏国は公孫氏に破格の好条件を提示して魏国残留を慰留。
公孫氏はその条件を呑んで、その証に呉国の使節(大使)を斬首して魏国に送付。
随行していた呉国の職工たちは難を逃れて東海(黄海〜東シナ海)に浮かび北九州の
豊国(宇佐)の女王ヒミコ/豊玉日女命(宇佐津日女命)のに庇護を求めようとしましたが、魏国と誼を通じようとしているのを知り、九州を去り、畿内の大和(磯城)王国に至り定住化。
磯城の大王家(三百枚)や葛城の登美家(100枚)らが
渡来した彼らに魏鏡より大型の青銅鏡を作らせ配下や友好関係に有った豪族らに配布した。
中国の鏡は小型故に平縁(三角縁の鏡は一切出土していない)でしたが、
それらより大型にした為に割れを防止し強度を上げる為に三角縁としたという。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
3AGUV とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
IVA ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています