●神獣鏡は楽浪郡でも造らない
神獣鏡が楽浪郡で造られたという「憶測言説」がある。
景初2年までこの領域を支配してきた公孫氏親子は、曹操、劉備、孫権をはじめ、
劉焉(劉璋)、張魯、張角らと中原の覇を目論んだ領袖の一人である。
いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。
また、景初3年には公孫氏一族は根絶やしになって存在していないし、
遼東郡、楽浪郡、帯方郡は魏の郡県下にあった。
したがって、後漢末の遼東半島や朝鮮半島に神獣鏡が作られる環境が存在した可能性は皆無といえる。
こうした事実を踏まえれば、「神獣鏡は楽浪で造られた」などという詰めの甘い憶測詭弁もボツ。

この素人の指摘で、考古学界の三角縁神獣鏡に関する味方・考え方が大きく変わるだろう。
なんか。文句ある?