>57年に朝献した倭人は、王朝を知り、朝献をしり、その作法を知っていた。
>彼らは、国家を知り、政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ。
『政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ』は根拠の無い妄想
作法もどこまで知っていたかは不明

>彼らは、列島における勢力拡大と進出事業の効果的な戦略ツールとして、
>三角縁神獣鏡とセットの医療符呪と祭祀(とくに葬送祭祀)様式を全国に拡散させた。
>現実には、ほとんど戦うことなくこれを遂行したものと思われる。
この段落はすべて妄想
鏡と呪符が一緒に使われたとか、一つの勢力によって戦略的に拡散されたとか
どこにもそんな文献や物証があるんだい?

>これに魏朝の年号を入れたのは、魏の支援を得て列島最強となった勢力が、
>拡大戦略ツールとして魏の威光を匂わせるために工作したのではないか。
>つまり、拡大戦略ツール国内生産のために、呉からやってきた職人に鏡を造らせた。
>そのデザインとつくりは、当然ながら呉式の神獣鏡になる。
>倭人はそうした産地特性には頓着することなく、「魏朝から頂戴したありがたい鏡」ということで、
>これに魏朝の年号を入れさせたのではないか。
どこのどういう名前の呉の職人を連れてきて、誰が魏の年号を入れるように命令したんだい?
君の中の妄想じゃなければ答えられるはずだよね