>>128
>貴方の十八番、「現実・事実」とどう違うのかな。
他人にいうほど論拠も証拠もない「願望短絡」と、現実・事実とは雲泥以上の差がある。

>神獣鏡は確かに神仙思想の影響の元に生まれたものだが、祭器では無い(知ってると思うけど念の為)。
明器(死者に副葬する呪具)だ。これまで日本の考古学は無頓着だったが鏡の配列にも明確な意味がある。
だからこそ、そこにある信仰的精神性に注目すべきなのだ。

>だいたい呉の領袖は張角じゃないでしょ、
俺は「張角が呉の領袖」だとは発言していない。
相手の発言の誤解や誤認・認識不足によるお角違いの反論は無礼であると同時に、お前の「知的お里」が知れるだけだ。
そもそも「時系列」という次元整理ができていない。
当該時期は群雄割拠の時代で、取ったり取られたり、勢力版図など確定していない。
張角の太平道は、山東省の青州に主力を置き、徐州から長江流域の揚州から荊州まで広く信徒がいた。
便宜上、江南・江東を呉地域とか呉領域とかいうが、これは三国鼎立後の孫権・呉の版図をいうのではない。

>神獣鏡は呉の重臣・朱然の墓からも出土するんですよ。
当然だな。
孫権も神仙を信じ方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
介象・姚光・葛玄などを厚遇し、神仙道が江南で発展していく環境を整えた。
(道教の前身の天師道は、士族の神仙道派と民間道派に次第に二極化する)。
ついでに道教成立へ向かう初期過程を書くが、時系列を混同するなよ・ぼんくら。
張魯が世を去ったあと、世家(士族社会の名族)の子弟が次々に教団に入り、
宗教の威信が高まり天師道が次第に社会的認可を得るようになる。
(「道教と仙学」漢末の早期道教、魏晋代の早期道教)参照

>貴方の「論理」だと、説明できないんじゃないのかなw
軽い奴ほど、安っぽく勝ち誇った文言を書きたがる。