三角縁神獣鏡は誰が作った?4
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≪から3を作りました≫
三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?
魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
C尚方でない
日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など
皆さんはどうお考えですか? 特鋳説だと、240年に使者が1度に数千〜1万超もの大量の鏡を持ち帰ったことになる。
それをちびちびと100年くらいかけて配分したことになる。
水野祐なんかは、王の倉で一元管理して少しずつ配布したと主張している。
しかし、当時の魏は極度の銅不足で貨幣の鋳造が滞っていたのに大型銅鏡をそんなに渡すわけがない。
史書には「100枚」と明記している。
1万面もの鏡を運ぶためには1000人くらいが必要。
出土状況からは製造時期の違いが明らかにある。
文様、デザインの変遷からも製造時期の違いが明らかにある。
という感じで、特鋳説があまりにもバカバカしいので、何回かに分けて受け取ったという説が出てきた。
まあどっちもバカバカしいので五十歩百歩だがw
>>163
アフォな造語だな。
ゆとり世代(九州説)の脳内舶載説かなw >>164
鉛同位体とか製造時に出来る表面の傷など製造技術に関する研究だと、
文様、デザインが明らかに違っても、ほぼ同時に作られてると考えられるのがあるらしい。
もちろんそういう研究者は国産説に傾いていて、魏で作られたと考えているわけではないが。 >>167
同じ古墳から出土する鏡は種類が違っても同位対比は近いことが多いね。
国産は△だけじゃなくて画文帯な内向花文など全般に言えることだろうね。
1枚あれば複製は何枚でもできるわけだし。 最近は△が舶載だとわめいている人たち以外は△のことに触れないよね。
明らかに触れること自体を避けている。 平原の内行花文鏡や方格規矩四神鏡、下池山の大型内行花文鏡は国産まちがいなしでしょう。
神獣鏡は半肉彫りだから国内に製造技術がないってのも眉唾な話。 平原の内行花文は傍製鏡ということなんで国産だろうが、
方格規矩四神鏡はどうなんだろ?
中国から大量に出ているんで、オリジナルは間違いなく
中国製。コピーである傍製鏡なのかどうか? たいていの銅鏡より、
肉薄の大型銅鐸のほうが、製造技術は難しい。
倭人が「魏の下賜品の鏡」を欲しがるもんだから、
景初三年銘入りブランド品として大量生産しましたとさ
>>174
紀年銘が入ってる鏡はごく一部だけですよ
もっと勉強してね >>176
かつ、欠くべからざる肝心な
「魏皇帝与鏡」的な文言が無いし >>169
国産どころかデザインさえ倭独自と見られてろ、
時代もずっと下るはずの獣形鏡と鉛同位体比が同じのが見つかってるし、
国内では同型鏡が見つかってるのに、大陸では出てないなど、
この後の鏡にも続く特徴が出てる。
中国鏡も含まれる可能性がないわけでもないくらいに考えといたほうがいい。 >>173
銅鐸のほうがずっと難しいしね。
いまだ巨大銅鐸は最製造に成功してないくらいで。 >>171
傍製鏡なんて曖昧な言葉使わないほうがいいんじゃないかな。 平原の報告書には傍製鏡って書いてあったもんで。
ちなみに傍という字が違うけど、PCで出なかったので
似た字にしてるので、悪しからず。 意味から言うと倣を使うべき。
倣って作った鏡。
人偏に方は、倣の簡略字なわけだから。
検索すると傍としているサイトが見かけられるね。 >>178
同位対比の報告を見ていると△だけじゃなく、大半が国産だよね。
それを無視して舶載というのは無理がある。
彼らは尿検査で覚せい剤が出ているのに否認している容疑者のようだ。 >>185
> 倣って作った鏡。
傍と書いている人は意味がわからず使ってるんだろうね。
手書きじゃなく漢字変換なら不注意ってケースもあるだろうけど。
鉛同位体比から推測できるのは
あくまでも材料の産地
制作地がわかる訳ではない 当時の国際情勢を冷静に判断すると
百済が中国的意匠で制作した鏡を
百済の文化的植民地であったジャップに下賜したと
判断するのが自然なんやろね いや、鏡は最初期のものは非常に精巧で、高い技術を持つ。
これらの技術は官制のもので(全て署名入り)厳重に管理されてたから民間はもちろん、
他国には簡単に流出しない。
朝鮮半島の鏡は形態的に日本の初期の物より新しく、朝鮮経由は矛盾がある。
少なくとも、日本最初期のものは中国製か、それを型にした直接のコピーだろう。
やがて時代が下がって大きな政変があったとき(恐らく後漢の成立時期)に鏡職人も中国から渡来し、
いわゆる仿製鏡 が日本で濫造されたのではないかな。
三角縁にみられる突線が共通してるんで、
製作技術が同一でしかもかなり特殊なのは間違いない。
舶載とか倣製とかに関係なくほとんどの三角縁に現れる。
舶載とか倣製とか、全くの主観にすぎないことがはっきりしてきている。
何が主観にすぎないのかよくわからんが、突線は全部の三角縁神獣鏡にあるわけじゃないし
他のタイプの鏡にも少数だがある。
特殊な工法であるが故に必ずつくのが突線であるとしたら、
後期の突線のない鏡は客観的に見て、別の工法で作られた=仿製鏡の証左にしかならんが。 >>195
それって冗談にならないよ・・・
あの人たち怖すぎる >>193
全部国産なんだから、最後期の三角縁も国産でいいんじゃないですか?
ただ「倣製鏡」ではないですよ。魏の作った三角縁はないんだから。 技術的に見ると、三角縁の工人が、その前代、並行期、その後代と、国産鏡を作ってた工人から浮いているのは紛れも無い事実 三角縁の場合、磨いてバリ取ってない、
鋳っぱなしのものもあるようで。 >>200
それは三角縁神獣鏡に求められた機能・役割に関係する可能性が考えられるが
製作地を考える上ではあまり参考になるものではないよ まあ、新の時に銅鏡制作の先鋭化があったのは歴史的事実で
そのパトロン達が政変で後漢に追われたのも事実。
とすれば、その職人が日本に亡命してきて作ったものであるとしても不思議じゃない。
銘が3名しかない事から察するに、わずかな職人が渡来し、こき使われ
量産化するためにふちの形状を変えていったのだろう。 福永は確かその亡命した先が魏だったという説だったはず。
最近も同じ事言っているかどうかは知らないが。 纏向3類(前) 庄内3式期末 ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡・鉄器 埴輪(穴あき壺)
倭人伝 邪馬台国官、伊支馬 都市牛利
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)
纏向4類(前)
纏向4類(中)
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
三角鏡は、神功渡海以後の鏡である。
銅鏡よりはるかに高度な制作技術を要する銅鐸文明宗主国である百済民族の指導のもと銅鏡制作技術が進化したと考えるべきであろう 舶載説の人たちってもう完全に腫れ物扱いだよなあ・・・
開き直ってネタ師になれないものかね
水野祐のように「王の倉で一元管理してちびちび配布した」とか、
車崎のように「国産と舶載の切れ目がないから、全部舶載だ」とか、
福永のように「紐の穴で見分ける」とか、
岡村のように「1年で全部作ってその間に文様、デザインの変遷が起きた」とか、
体を張ってネタを提供して笑い話で終わらせようと努力している人もいるのに
誰も突っ込まないからますます険悪な雰囲気になってしまった。
ま、何にしても、特鋳とかいう牽強付会の空想がナンセンスであることに変わりはないと。
日本から欧米に贈るのに「相手に合わせて青い目で金髪でドテラみたいなのを着てダンスをしている京人形もどき」
とかいった「特注製作の変なもの」を贈る慣例でもあるなら別だろうけど。 日本で出土する後漢鏡や前漢鏡は中国でも出土するが、三角縁神獣鏡だけは一枚も発見されない。
日本で何百枚も見つかったにも関わらずだ。
普通、まともな精神状態だったらおかしいと思うだろう。 それでも国産説を主張すること自体が許されない異常な空気があるんだろうね。
だから舶載説じゃない学者の大多数はこの問題に触れないようにしている。 >>213に対する舶載鏡信者の反論は
「まだ発見されていないだけ」や「特鋳だからね」という反論にもならないお粗末な意見だけ
中国では銅鏡があれだけ発掘、研究されてきたのに「発見されていないだけ」とはアホの所行
「古代日本には飛行機があった、ただ見つかってないだけ」これと同じレベル
恥ずかしくないのか? 三角鏡の画像は輸入品である。
だから呉の工人渡来説となる。
しかし、仏獣鏡は?国内で仏獣鏡まで変化したとはできない。
画像は輸入でも製作は国内?
画像が輸入されたのであれば、それに見合っただけの元画像の鏡が無い。
画像の変化は、大陸と同期する、つまり、大陸で新しい画像が出来ればすぐにそれを輸入しなければならない。
ここに古い画像が混載された形跡はない。
画像から作られた順番がわかるような変化を国産で主張することは難しい。
今日も中国鏡説に対するネガキャン乙
「ない」ことは証明できないからまともな学者は論拠にしないぞ
少しは鏡そのものの観察に基づいた議論をして欲しい >>218
逆だろw
無い事を証明する必要はない。
中国にもあるという事を証明しろって言ってるの。
舶載鏡信者って日本語も分からんのか?
中国に一枚も無いから普通は中国製じゃないと考えるんだよ。
無いものは証明出来ない。
わかる? >>218
ここまでレベルが低いと議論するのも哀しくなる
舶載説にはこんなんしかおらんのか? 三角縁の研究者は、全員、三角縁を楽浪郡、帯方郡の系列の鏡としている。
ただし実際の製作地について複数の説がある。
有力なのは、初期に楽浪郡、帯方郡の可能性、その後は国産。 >>220
こんなんしか居らんから腫れ物扱いなんだろ。
おまいだって道路を歩いていて前からイカレた奴がぶつぶつと訳の分からないことをわめいて
向ってきたら道を譲るだろ。渋谷の殺傷事件のようなことにはなりたくないだろ。
そうやって奴らは道路の真ん中を歩き続けてきたんだ。 上がってたから覗いたけど… まだやってるの(笑)
>中国に一枚も無いから
明石に明石焼き、広島に広島焼きが無いのと同じ。
博多に博多人形
佐賀に佐賀錦はあるな。
久留米に久留米絣もあるぞ。 >>223
後漢鏡や前漢鏡、その他の鏡は出てるんだよ。
三角縁神獣鏡だけ出てないのはなぜだい? >>223
言ってる事が屁理屈にもなってないw
こいつはアホなのか? で、結局国産説は印象論しか語れないとw
中国にないと連呼するだけじゃなく
当時の倭鏡との技術的共通点をあげてみろw 踏み返しなどの同型鏡製造技術が日本に特徴的。
洛陽では踏み返しに限らず同型鏡がほとんど見つからない。 >>222
つうか恥知らずが渋谷の雑踏でストリーキングをしているだけだろ。
舶載説なんて。 同型⊃同笵
同型⊃踏み返し
同笵≠踏み返しで技術的には全く異なるレベルのもの
ちなみに同笵は三角縁にしか見られないし
倭オリジナルの鏡には同型鏡はない
国産鏡に同型鏡が多いなんてのも単なる印象論 >>232
倭オリジナルの鏡って何だ?
△のことか?画文帯か?内向花紋か?
古墳から出土する鏡のほぼ全部が国産だろ。
△が舶載とか沙汰の限りじゃないよ。
そのボケが許されたのは50年前までだろ。 >>233
>倭オリジナルの鏡って何だ?
>△のことか?画文帯か?内向花紋か?
いかに古墳時代の鏡のことを知らないかよく分かるなw
もっと勉強してから出直しておいで >>234
返事をはぐらかすのが舶載説の手口なんだよなqq まあ、知ってれば、たいてい黙ってろと言ったって、
知識披露してくるもんだからな。 まぁ古墳出土鏡の実態も知らない連中が
ドヤ顔で鏡のことを語るわ専門家を罵倒するわ
ホントに楽しませてくれるよな >>237
楽しいっていうかなんとかして舶載説をおとしめようとする執拗さはむしろキモい そうそう日本で1億面出土して中国で0だろうが舶載に決まっているのにな。
精緻な理論構成には1000兆対0でも太刀打ちできまいww 稚拙なハニハの造形見たら
恥ずかしゅうて口が裂けても国産説唱えられへんで 三世紀の古墳から出土した三角縁神獣鏡ってあるの?
最も時代の古い出土例はいつの遺跡? だいたい魏の皇帝が呉の様式の鏡なんかやるか
日本からアメリカにハングルで書かれた為書きや感謝状を送るようなものだぞ
常識で分からんか?
分かりやすく言えば会津の人が自分は長州人ですと言ってるようなもんだ >>241
無い。
ほぼ全部、四世紀の古墳から出ている。
だから、三角縁神獣鏡は四世紀の鏡です。
一枚だけ、六世紀の古墳から出土している。 >>247
昔は全部4世紀以降の古墳からの出土として、240年に持ち帰った鏡が伝世した
なんていう珍説も流布していたね。
その後△が出た古墳のほとんどを3世紀にしてこれを泥縄式に解決した。
やつらに学者のプライドがないってことだけは一貫している。 日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など
1 特別な鏡だから日本で中国人の職人に作らせたんだろ
2 だから中国人が日本で作った >>252
全部日本で出ている。その数も600面以上。
中国・朝鮮で1面たりともでていない。
この時点で勝負アリと考えるのが普通だよ。
>>252
> A日本人に銘文が書けたとは思えない
えーw 中国の学者は王仲殊をはじめ、日本製と言っているね。
畿内説にしてみれば、大いなる時間つぶしだろうな。 >>255
おいおいw
景初4年も中国で作られたと言うのか? 同じ国産でもピンキリあっただろうしな。
時代でも違うだろうし、地方豪族がコピーして
さらにその子分が劣化コピー作った場合だってあっただろ。 当時のジャップは文化的に遅れており
銅鏡を制作できるレヴェルにはなかった >>255
書けてないのは三角縁にもあるよね。
そういう古典的な遺物研究を舶載、倣製の基準にしていたけど、
最近の研究でその仮説はかなり揺らいできてる。 239年鏡は崇神6年9月に鏡の改鋳を行った畿内の鏡作が畿内に来て
た大陸人と協力して製造した日本製のものである。
同年改鋳のことは鏡作神社の文献に書かれている。 >>260
そこで高度に文明の発達した宇宙人に三角縁神獣鏡を注文した。
これがいわゆる舶載説である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています