三角縁神獣鏡は誰が作った?4
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≪から3を作りました≫
三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?
魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
C尚方でない
日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など
皆さんはどうお考えですか? >>317
それらの地域では四世紀に、三角縁神獣鏡なる大量生産品の葬式道具を
葬儀に使う習慣があった、ということ。
葬式のやり方が同じ地域ってわけですな。 >>321
たしかに「中国で1枚も出ていないよ」で終わる論争ではあるが、
それをいっちゃお仕舞いよ。
学者の醜態を観察することが、この論争の醍醐味なんだから。
>>324は大嘘つきです
「この先絶対出土しない」とも
「この先必ず出土する」とも
誰も言い切れないのだから
出土状況の提示だけでは論争は終わりません
>>325
それを言い出せば
例えば神代文字が書いてある鏡も
「この先絶対出土しない」とも
「この先必ず出土する」とも
誰も言い切れませんよねw >>324
今時舶載説を声高々に叫ぶ学者はいません。
恥ずかしくて… 鏡はもともとは九州の文化で、いわゆる古墳時代になって近畿地方にも普及した。
少なくとも、弥生時代の近畿地方ではまず見られない。
日本書紀に、橿原で即位した神武天皇が、我々は天神の子であるから天神の祭祀を
やろうと宣言したとある。これによって鏡の文化が普及したと言えるかもしれないな。
つまり、三角縁神獣鏡は、神武天皇即位の産物と言えるかも。 >>327
たしかに一般向けの本で舶載説ってのは見かけなくなったな。
学界誌に「踏み絵を踏んだぞ!さあ俺を教授に採用しろ!」と投稿するのはいるが。
相変わらずゴミクズレベル九州説のアフォどもが三角縁神獣鏡をネタにして日頃の鬱憤を晴らそうと躍起になってるのか?
例によって例のごとく「中国じゃ0」を鬼首モノで喚いているが、じゃあその「分母」はいくつなんだという話で
もし中国で100枚出土していてその中に三角縁神獣鏡が0なら0/100
1000枚で0なら0/1000だ。
無論それは共伴のもので確実に魏代と分かるもので洛陽周辺のものだが一体いくらあるんだ?
要するに数字を使ったレベルの低いペテンに等しい話。
国産説の学者でもここのゴミみたいに「500:0」を連呼するような奴は問題外だ。
あと韻というのも大昔から言われてるネタだがそもそも銅鏡の銘文に皇帝の面子がかかるのか?という話で
以前週刊誌にも出てたがある臣下が王に蛮族を手懐ける手段として贈り物の効用を説いた時
その事例として出されたのが卑弥呼への鏡と匈奴の王へのベルトのバックル(犀の角だったかな?)の例
無論バックルなんて「お取り寄せ」だろう。
要は蛮族を手なづけられれば良いのであって
そこに銘文にまで皇帝の威厳を保つ必要があるのかという話だな。
そもそも韻以前に世俗的な利益を説く銘文に皇帝の威信をかけられるかどうか
そこからして問題だがwww
>>319
「中に詰めたもの」というのは中子に何を使ったか?という事かな?
それで工人の系統系譜に迫れる話しなら概略だけでも…
>>331 だな。
書いている本人は 「本気で舶載説を信奉しています。心から信じています。」
というスタンスを堅持している。 ジョーカーは三角縁神獣鏡魏鏡説なのか…。
今時珍しい。 ジョーカーらしき野郎が終止符スレでコチラに暴言を吐いている。
まず奴だな。
奴は258年説の成立を嫌うからな・・・。w ついでに曲学の徒氏も258年説を否定しジョーカーとそこんところは年代が
同説の318年だから、曲学の徒氏もいま必死になって彼の掲示板で318年説を
強調してるが、彼には気の毒だが天津神算木を見ても真は258年説のほう
なのだ。で、両人とも258年説にはうるさく敏感なのだ。w >>304
妄想と現実の区別がつかなくなっているみたいですね
早めに心療内科を受診することをお勧めしておきます >>314
少なくとも、世界を統べている偉い皇帝から麗々しく下賜してやるのに、ロレツの回ってない駄文が刻んである
粗悪品なんか、誰かに無理に頼まれたって意地でも持ち出したりしないんじゃない?
「ロレツの回ってない駄文が刻んである粗悪品をポイポイ投げ与えた類例はいくつもある」なら別だけど、
当時に限らない古今東西の常識から考えても、「するか?普通?」としかいいようがないし。
>>339
勝手に前提作ってそれとの合否で自説を正しく見せかけるのはトンデモの常套手段
まずは皇帝が下賜した鏡の銘文が韻を踏んだ美文麗文であることを示すべきではないのか? >>338
つか、中国語文としてどうとかいう以前に、文法的に中国語になってない漢字の羅列なら、「ダウト」でしかあり得ないという点に異論がある?
>>340
「勝手に前提作ってそれとの合否で自説を正しく見せかける」「トンデモの常套手段」の例。
「ロレツの回ってない駄文が刻んである粗悪品をポイポイ投げ与えた類例」など何一つ提示できない
=「ロレツの回ってない駄文が刻んである粗悪品は、中国以外のどこかで粗製濫造されたものでしかあり得ない」と、
なぜ素直に認めることができないのか?
理由は簡単、「ロレツの回ってない駄文が刻んである粗悪品も中国製であると、勝手に前提作って
「それとの合否で自説を正しく見せかけるトンデモの常套手段」が効かなくなるからでしょ?
>>341
>つか、中国語文としてどうとかいう以前に、文法的に中国語になってない漢字の羅列なら、「ダウト」でしかあり得ないという点に異論がある?
その方法論には「中国で作られた鏡の銘文には文法的に間違いない文章が書かれている」という未検証の前提があるからね
>>342
学問を研究するにあたって前提条件と認められるのは
第三者が誰でも確認できる史料・資料上の事実もしくは先学の研究成果だけだよ
銘文が〜韻が〜と論じ、それを実証するには日中双方の銘文を比較することが必須であり、
論じようとする側が検証データを提示するのは当たり前のこと
自分の常識が古今東西の常識と必ず一致すると考えているなら歴史学に関わることはよした方がいい
>>343
「未検証の前提」って、何の話? 本場の中国で、鏡の銘文の研究なんていくらでもあるでしょ?
「銘文も含めた全体として、明らかに中国製」という鏡に、中国の鏡の銘文の通例から明らかに
外れた、文法的にもおかしい漢字の羅列が存在しているものか?
何一つ読んでもいないということ? 何それ? >>343
歴史学に関わる前に日本語勉強してきた方がいいよ。 >>343
> 論じようとする側が検証データを提示するのは当たり前のこと
そうですよ?
三国の魏からの輸出されたのなら、「当時に現地に存在していたもの」に決まってるわけで、
第一に調べるべきは、「その種のもので当時に現地に存在していたもの」がどういうものだったか?でしょ?
そんなのは、古今東西のいつでもどこでも同じことだし、歴史学がどうとかいうような問題
ではない、「事実関係を確認するための単なる当たり前のこと」。
○世紀に○○で作られていたことが確認されているものがあって、それとそっくり同じものが、
作られたところから遠く離れた全く別のところに所蔵されていて、かつ、諸々の証拠に基づいて、
○世紀に○○から運搬されてきたと確認できるなら、それは、○世紀に○○で作られていたもの、
そのものと判定しても矛盾はない。
逆に、誰かが「○世紀に○○で作られた」と主張しているものがあって、しかし、同じものが
○世紀に○○で作られたという類例は全くないし、○○で作られたにしては不審な
点があるとしたらどうか?
○世紀に○○で作られていたもの「ではない」と考えるのが穏当。
それにもかかわらず、「○世紀に○○で作られた」と主張する者がいるなら、具体的な
根拠を明示すべきでしょ?
どういう「検証データ」があるわけ? >>345
そのへんはいいんじゃないすか? 「問題が大きいのは内容のほう」だし。 畿内説の考古学者も罪だな。
散々、三角縁神獣鏡魏鏡説を宣伝しておいて、都合が悪くなったらさっさと逃げ出す。
梯子をはずされて残されたものは、惨め〜。
梯子をはずされて、それに気がついていないものはもっと惨め。 >>348
第一に、新聞社の文化部記者達な。
卑弥呼の鏡と言われる三角縁神獣鏡・・・って書き出しをいつ止めるんだろ >>346
>「○世紀に○○で作られた」と主張する者がいるなら、具体的な
>根拠を明示すべきでしょ?
見苦しいヤツだなあ 正始に百枚入ってきたのは史実だ
金文として景初正始の年号があるんだから 関連を考えるのは通常の思考 舶載説だ
それに異を唱えるのが国産説なんだから 国産説側(俺もそうだか)が根拠を挙げて論証せにゃならんのだよ・・・
話題の『いわゆる倣製鏡』との区別の件だが 一切合切倭人製とするには 確かに無理がある
渡来工人製のものを真似て作ったと考えるのが普通
その渡来工人製△鏡に刻まれた年号が 景初正始 よって△鏡出土の濃密なエリアが邪馬台国
上にある王氏の見解は妥当www 三角縁神獣鏡が500枚以上
画文帯神獣鏡が150枚以上
方格規矩四神鏡が40枚以上
てなもんで、
卑弥呼がもらった鏡百枚ってのは、
方格規矩四神鏡じゃないかね。
当時の中国での代表的かつ精緻な鏡という評価も
異論はないところ。
一歩譲っても、画文帯神獣鏡止まりで、
三角縁はありえないところだな。
画文帯神獣鏡も踏み返しばかりで、
出てくる古墳の時代も三角縁と大差ありません。 >>350
一番肝心の「どこから?」はぼかす と。
「勝手に前提作ってそれとの合否で自説を正しく見せかけるトンデモの常套手段」炸裂でしかありえないんだけど?
「事実」かも知れないよ? ○世紀に○○で作られたという類例があるならね。
「絶無」じゃないの?
○世紀に○○で作られていたのとは似ても似つかない三角形のガラスのコップとかがあっても、だれかが○世紀に
○○で作られたという鑑定書かなんかをつけたら、○世紀に○○で作られたものになるのかな?
うまい商売じゃないですか? 引っかかる奴もよくいる詐欺の常套手段と、区別しようがないくらいにすばらしい。
自前で当時のものの間に埋めておいて、素知らぬ顔で掘り出すように仕向ければ完璧じゃないすか。 >>351
そうなると、三角縁神獣鏡は、いわゆる「卑弥呼の鏡ではない」ということで確定して、
やっと、いつどこで作られたのかが問題になると。 画紋帯は朝鮮で出てるけど、あれは朝鮮産なんだろうか、日本産がたどり着いたのだろうか。 >>355
あの同向式は日本で同型が20面以上でている。朝鮮で1面だけ出た。
日本の同向式はだいたい470〜530年頃の古墳からの出土が多い。
朝鮮から出土したのは三韓征伐に行った豪族が持ち込んだものだろう。
>>356
同向式はホケノ山古墳でも出ているが、あれも500年前後の古墳だな。
(理由)
ホケノ山古墳の周濠は堂の後古墳(500年頃)の周濠を踏みつけている。
ホケノ山の銅鏃は普通なら5C半ば以降とされるものである。
ホケノ山の副葬部は6C初頭とされた。
となると、ホケノ山で出土した画文帯同向式も他と同じで500年前後とするべきである。
△だけじゃなく、画文帯もまともな学者が触れたがらない地雷原になりつつあるなあ。
畿内説は自浄作用がないから地雷が量産されて畿内説自体が地雷原だな。
ホケノ山が地雷になったら避けて通れないだろうに・・・
若手学者も「地雷で踏み絵かよ。これ踏んだら学者人生終わりだろ!」と嘆きたくなるよな。
おれは神獣鏡は全部国産でも畿内説は成立すると思う。 >>359
というか、揃いも揃って「骨董品詐欺師」が自前で埋めておいたというわけでもないなら、
「いつどこでどういう人が作ったか」をきちんと検証すべき、というだけでは?
「これ踏んだら学者人生終わりだろ!」って、骨董品詐欺師の常套手段に引っかかった
ふりをして、そのままほっかむりしてるような「自称・学者」の人生って何だ?
ということになるな。 >>360
「畿内説」が三角縁を一つの根拠としていたのは、骨董品詐欺師の古い手に乗った、
物事を客観的に観察することができない「学者を自称する薄ら馬鹿」の仕業だったの?
違うんじゃないの? あくまで三角縁は卑弥呼がもらった鏡じゃないの?
だって、たくさん出土しているし、すごく見栄えがするのもあるし、何といっても、「卑弥呼の
当時の古墳」から出てるんでしょ? >>363
そうではない。三角縁=魏鏡説は考古学的には最初から困難があった。
小林行雄は、今よりずっと古い時代のものと考えられていた古墳からしか出ないから、
伝世説、貴重な鏡は何代も引き継がれてから古墳に入れられた、という仮説を考えた。
今では複数回の踏み返しによると考えられてる文様の鈍磨も、
長い伝世の間の手摺りによる摩耗であるという仮設を立てた。
倭人伝さえなければ、こんな説が古代史に登場することはなかっただろう。
しかし倭人伝の鏡の記述、前方後円墳から出土する大量の三角縁を見れば、
こういう仮説を考えてみたくなるのは当然のことだったろう。 >>364
変だなぁ?
「三角縁は卑弥呼がもらった鏡」で、それが何より証拠には、「卑弥呼の当時の古墳」から出てるし、
「三角縁が出るからこそ卑弥呼の当時の古墳」という、循環論法だか「定説」だかが、あちこちに
麗々しく書いてあったような気がするけど?
「最初から困難があった」の? >>365
「学史」って、物事を客観的に観察することができない「学者を自称する薄ら馬鹿」の醜態を表かなんかにしたもののこと? >>367
現代の事も分かってない奴が、古代史なんかやらないでくれるかなw 学史の意味さえわからない馬鹿がいるとは。ゴミレベルのスレだな。ここは。 >>364 いつもの恨み節東遷厨か?
>小林行雄は、今よりずっと古い時代のものと考えられていた古墳からしか出ないから、
>伝世説、貴重な鏡は何代も引き継がれてから古墳に入れられた、という仮説を考えた。
マジでこいつが何を言っているのか分からない。誰か翻訳してくれ。
ここのゴミ九州説のバカどもがしがみついている(まあ恐らく短い余生死ぬまでしがみつくんだろうが)昔の年代観が
何を隠そうゴミクズレベル九州説どもにとって『悪の キョウダイ な組織』のラスボス格であったはずの小林の理論によって支えられてきたという
俺みたいなド素人初心者でも知っている基本の基本のそのまた基本をこの馬鹿は分かってないんじゃないのか?
(だから「学史をやり直せ」とか「現代のことも分かっていない」とか自分が馬鹿にされても自覚できない)
小林は、△を出土する古墳は4C(半ば)以降が多いとする一方で、△は240年頃に
魏から戻ってきた使者が持ち帰ったとした。
この矛盾を解決するために、240年から少なくとも数十年は古墳に埋められることなく
伝世したと考えたんだな。まあご都合主義の妄想だが。
小林の頃は椿井大塚山古墳は4C後半〜末葉(380頃)とされていたので、こう考えるしかなかった。
その後に伝世という不都合を回避するために、椿井大塚山古墳を280年頃に繰り上げたのが
今の畿内説。まあ学説が劣化し続けるのが畿内説の専売特許だな。
椿井大塚山は380〜390年頃で良いし、△もこの頃に日本で作られたということでFAだな。 >>371
前半はおおむねその通りだけど小林の思考とは順序が逆だ
小林は三角縁が3世紀後半の鏡だと主張したが、
当時文献史学側から主張されていた「古墳時代開始4世紀説」に合わせるために
無理矢理「伝世期間」を見積もって三角縁の副葬開始を4世紀とした
純粋な考古学的知見によらず文献史学の成果に引きずられたことは本人も述懐している
つまり80年代以降の古墳時代の年代観の変遷は、
小林によってねじまげられたものに対する考古学的知見からの揺り戻し
ちなみに
>小林の頃は椿井大塚山古墳は4C後半〜末葉(380頃)とされていたので、こう考えるしかなかった。
>その後に伝世という不都合を回避するために、椿井大塚山古墳を280年頃に繰り上げたのが
>今の畿内説。まあ学説が劣化し続けるのが畿内説の専売特許だな。
というのは大間違い
学説がまったく進歩していないのが国産説なのだがね
>>372
こんな感じで今の畿内説の連中は、「俺たちは昔からこの年代観だ」とうそぶいているんだよなあ。
椿井大塚山の年代は考古学の方で決めたものなのにね。
土器年代は布留1後半から布留2で当時は古く見てようやく4世紀末葉とされるものだった。
今は布留0にしてごまかす人が増えたね。古いものが基準になるとか、もう宗教だね。
他の古墳との比較でも仁徳稜などの河内の巨大古墳群の年代が5C前葉で動かせないから、
その前の年代となると400年頃になり、その少し前となると4C末葉までしか遡れない。
今の畿内説は椿井を100年繰り上げたせいで、280〜380年までの古墳の年代を決める指標
がなくなって、権力者のお告げに従う宗教のように成り下がったよね。 >>373
畿内説って根拠なく年代をわめく人が多いよね。
それもピンポイントに230年とか260年とか280年とか。 >「俺たちは昔からこの年代観だ」とうそぶいているんだよなあ。
そんな主張はしていない
小林や佐原の主張した年代観は70年代から80年代半ばまでは考古学界の主流だった
これはまぎれもない事実であり、否定する気などない
しかし、小林や佐原の年代観の論理には無理や問題点があり、
現在の考古学界はそれを乗り越えて先に進んだということだ
その動きに異を唱えたいのであれば、
どこかの同人誌やネットで拾ってきたような薄っぺらな話しをまき散らすのではなく
正々堂々と考古学的手法をもって周囲を同意させるだけの根拠をもった
年代観を提示すればいいだけのことだ
ここでわめいても学問の世界はさらに進んでいくだけだぞ
ホケノが230年とかわめいていた人は >>358 にどうやって反論するんだろう?
都合の悪いことは全力で無視ってのは、研究室にこもれる人だけで大学で学生と
接する機会のある人はそれはできない。
最近はFランの学生でも畿内説を思いっきりバカにしている。 >>372
>学説がまったく進歩していないのが国産説
21世紀初頭で議論が停まってしまったとは思いますが、それは国産説の責任では無いでしょう。
鉛同位体比を使った分析から、複製鏡や倣古鏡の存在を無視した、小林式分配・伝世論が完全にガラガラポン状態になったわけで、
舶載説は「ごく一部だけに楽浪鏡の可能性がある」くらいまでに後退したままと言うところじゃないですか?
>>377
反論?
周濠の切り合いが発掘調査で確認された訳ではないからな
なんだ探査データの読み間違いか…
と思った研究者が大多数で9割9分以上
ホケノ山は6世紀に再利用されているから
そのときに周濠が再掘削されたのでは…
と思った研究者が1分いるかいないか
ホケノは6世紀の築造だったんだ
と思った研究者ゼロ
といったところだな >>378
いや、国産説は「中国で出ないから決まり!」で止まってて
当然進まねばならなかった三角縁と他の国産鏡との近縁性の
考古学的検証という研究方向に向かっていかなかったという現実がある
>>375
畿内説の考古学者は合わないされる年代を合わせていく。
そして、年代が合うから間違いないと主張する。
箸墓なんかがそうだな。なんだかんだの理屈をつけて、年代をさかのぼらせ
卑弥呼の時代に合わせる。卑弥呼の時代に合うから卑弥呼の墓だと主張する。
しかし、結局は無理があるから、また年代がさかのぼる。あとは知らん顔。
今は纏向の年代がそういう感じ。なんだかんだで纏向を卑弥呼時代に合わせた。
卑弥呼時代に合うから邪馬台国だと主張する。しかし、根拠はまったくない。 >>378:ひとぶた
>21世紀初頭で議論が停まってしまったとは思いますが、それは国産説の責任では無いでしょう。
そうかなあ? >>380氏の言う通りでしょう。
舶載鏡倣製鏡という区別は国産説的には首肯出来ないでしょうから(笑)、
仮に200番を境に『前』『後』としますよ。
後の鏡の図像、銘は明らかに製作者がその意味を理解出来ていないもの… で良いですよね?
すると、前の鏡との製作者の区別は、中国人と倭人て事になりますね。
ピークが早いのは当然、前の鏡。つまり複数の中国工人グループが来倭し、短期間に多数製作し去って行った。
という仮説でしょうが、さて、大量の鏡を残した工人グループ。その存在の足跡を鏡以外で 何に見ますか? >>368-369
↑
物事を客観的に観察することができない薄ら馬鹿 >>384
純粋な馬鹿ならまだ良いが、骨董品詐欺師の類いも人間面をして口を挟んでくるからな。 そうそうw
妄想を事実であるかのごとく語ったり
大嘘を平気でつくような奴がいるので要注意だよな >>383
横入りですが、
> 前の鏡との製作者の区別は、中国人と倭人て事になりますね。
・・・ではなくて、「誤りがあったら訂正できる知識があって、かつ訂正できる立場にある者が一人でもいたか否か」で十分ではないかと。 >>388
>「誤りがあったら訂正できる知識があって、かつ訂正できる立場にある者が一人でもいたか否か」
その「一人の先生」の指摘により、訂正されたものが前の鏡で、漏れたものが後の鏡だって?(笑)
ピークはどちらが先?技術移転とか考えないの? 技術移転したかどうかはともかく、
だんだん作りが荒っぽくなっていく傾向にはあるようですな。
鋳っぱなしで、バリも取ってない三角縁神獣鏡の欠片が、
大量に敷き詰められたりしているようなので、
実用性と乖離して量産され、葬具専用に使われているのは間違いないでしょう。
画文帯神獣鏡のほうは、まだ大事に扱われているようなので、
そちらのほうが希少価値は高かったのでしょう。 いや、所謂「舶載鏡と倣製鏡」の区別にまつわる話をしていたつもりなんですけどね。 欠片なのに鋳放しでバリも取っていないと認定できる不思議w >>389
自分の思考方法がかなり硬直してるという自覚はない? >>381
最低限の自浄能力がないと学会として成り立たないよなあ 学会と称する宗教団体ですか。
何かそんなのがあったような? 歴史、考古学系の学会が正常に運用されていないとは思わないが、
藤村捏造事件にあるように、捏造体質がなかなか抜けないのは
なぜなんだろうな。
他人のチェックがされにくいのかね? 一体どこから三角縁神獣鏡が舶載鏡だという考えが生まれたのだろうか?
当の中国の考古学者でさえ中国製ではないと断言しているのに。
今では恥ずかしくて言えない伝世鏡を唱えた人に影響されたのか?
>>399
物事を客観的に観察することができない薄ら馬鹿w 『人間革命』の全巻を読破した上でないと層化の批判はできないとした場合に、
全巻読んで批判するか彼らを避けるかとなると後者になるよなあ。
>>399
骨董品詐欺師の例によって、何か儲け口につながってたからじゃない?
「そういうことにした方が儲かるやつがいた」。
骨董品詐欺の犯人はだれだ? >>402
詐欺師とかの例によって、都合が悪くなると黙り込んで知らんぷりするんじゃない?
「土台がそういう人間」。
ま、科学とかとは無縁の宗教のたぐいなら、そのほうが常態かも知れんが。 三角縁が魏鏡とされた研究史も振り返らず
あーだこーだ妄想を書き込んでるあたりが 研究史的には、モリコー国産説を言った時点でFAだったけどな。
そっから先は暗黒史 どうみても呉鏡の特徴を持っているのに
なぜか魏鏡とされた黒歴史ってやつか。 >>410
誰がどういう手口で骨董品詐欺を働いたのかね? 考古学という学問の性質上
三角縁とほかの国産鏡の技術的な関係性がまったく検証されていないので
モリコーの指摘の時点で「正解が出た」と受け取った研究者はいないな
国産であることの結論はモリコーの時点で出ているよ〜
その先の研究課題があるから国産じゃない、とか無理な話だねえ〜 材料がどこから来たのか推定することって出来るかな? >>415
理解できないのは貴方が考古学という学問を知らないからですよ >>383
おひさです、ローガンさん。
> 仮に200番を境に『前』『後』としますよ。
> 後の鏡の図像、銘は明らかに製作者がその意味を理解出来ていないもの… で良いですよね?
> すると、前の鏡との製作者の区別は、中国人と倭人て事になりますね。
ならんでしょうw
漢字のわからん人間が銘文から造ろうとしたら「いわゆる倣製鏡」レベルのものになるでしょうけど、
コピー鏡なら、漢文の知識が無くても「いわゆる舶載鏡」を非中国人が造ることは可能でしょう。
よって、定理1「倣製鏡の作者は銘を解せず」は正であっても、
それを理由に定理2「舶載鏡の作者は銘を解す」は論証できません。
4世紀〜5世紀になっても三角縁の埋納が続くのは工房が存続したからだと思っています。
また、議論の停滞について、>>380氏の言わんとするところはよくわからんのですが、
21世紀初頭を賑わした鉛同位体比の議論は国産説が提起したものです。
これによって、様式上の「編年」が違っても、埋納先が同じ鏡は、同じ同位体比を持つことから、
三角縁には大量の複製鏡が存在することが明らかとなり、従前の様式論的編年が崩壊したわけでしょう。
鉛議論は、材料のブレンドとか、複雑な条件を想定すると、それだけで結論を出せるようなものではないですけどね。
>>418
つうか、舶載の△を見よう見まねで複製した国産品なら、製造法が大きく違うはずなのに、
その違いがないってのは、全部が一連の流れにあるってことだよ。
デザインや表現の変遷も入り組んでいて分けるべき線も引けない。
それを認めて「全部舶載だ!」とした車崎は、ある意味でまとも。
全部が一連のものと認めたわけだから。
鉛同位対比の研究では、舶載と国産が狭い領域で同じ材料を使用していることが判明したから
舶載と国産を分けることが間違いであることは、すでに決着済みと言わざるを得ない。
△が中国製だという奴は何か反論はないのかよ?
さっきから低俗な批判と罵詈雑言しか聞こえないぞ。
中国で作られたと思う理由と根拠をあげてみろ。
418:ひとぶた
>コピー鏡なら、漢文の知識が無くても「いわゆる舶載鏡」を非中国人が造ることは可能でしょう。
そう。踏み返し鏡ですからね。でも親鏡製作者に非中国人を考えるのは、無理があるでしょう。
何も全て舶載鏡だと言ってる訳では無い。現に紀年鏡だって踏み返し鏡ですからね。
>従前の様式論的編年が崩壊したわけでしょう。
いえ、以前議論させて戴いたように、短期編年なので 同時存在。二次鏡等のストックを考慮した上で、「花輪鏡」製作時に踏み返しによる鋳造と捉えれば良い事。
これは編年とリンクしない話。
>>419
>製造法が大きく違うはずなのに、その違いがないってのは、全部が一連の流れにあるってことだよ。
湯口の位置の観察から、原氾使用か、金属原型使用(踏み返し)かを区別出来るとすれば、
「製造法が大きく違う」わけでしょ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています