>>363
そうではない。三角縁=魏鏡説は考古学的には最初から困難があった。

小林行雄は、今よりずっと古い時代のものと考えられていた古墳からしか出ないから、
伝世説、貴重な鏡は何代も引き継がれてから古墳に入れられた、という仮説を考えた。
今では複数回の踏み返しによると考えられてる文様の鈍磨も、
長い伝世の間の手摺りによる摩耗であるという仮設を立てた。

倭人伝さえなければ、こんな説が古代史に登場することはなかっただろう。
しかし倭人伝の鏡の記述、前方後円墳から出土する大量の三角縁を見れば、
こういう仮説を考えてみたくなるのは当然のことだったろう。