>>371
前半はおおむねその通りだけど小林の思考とは順序が逆だ
小林は三角縁が3世紀後半の鏡だと主張したが、
当時文献史学側から主張されていた「古墳時代開始4世紀説」に合わせるために
無理矢理「伝世期間」を見積もって三角縁の副葬開始を4世紀とした
純粋な考古学的知見によらず文献史学の成果に引きずられたことは本人も述懐している

つまり80年代以降の古墳時代の年代観の変遷は、
小林によってねじまげられたものに対する考古学的知見からの揺り戻し

ちなみに
>小林の頃は椿井大塚山古墳は4C後半〜末葉(380頃)とされていたので、こう考えるしかなかった。
>その後に伝世という不都合を回避するために、椿井大塚山古墳を280年頃に繰り上げたのが
>今の畿内説。まあ学説が劣化し続けるのが畿内説の専売特許だな。
というのは大間違い

学説がまったく進歩していないのが国産説なのだがね