>>383

おひさです、ローガンさん。

> 仮に200番を境に『前』『後』としますよ。
> 後の鏡の図像、銘は明らかに製作者がその意味を理解出来ていないもの… で良いですよね?
> すると、前の鏡との製作者の区別は、中国人と倭人て事になりますね。

ならんでしょうw
漢字のわからん人間が銘文から造ろうとしたら「いわゆる倣製鏡」レベルのものになるでしょうけど、
コピー鏡なら、漢文の知識が無くても「いわゆる舶載鏡」を非中国人が造ることは可能でしょう。

よって、定理1「倣製鏡の作者は銘を解せず」は正であっても、
それを理由に定理2「舶載鏡の作者は銘を解す」は論証できません。
4世紀〜5世紀になっても三角縁の埋納が続くのは工房が存続したからだと思っています。

また、議論の停滞について、>>380氏の言わんとするところはよくわからんのですが、
21世紀初頭を賑わした鉛同位体比の議論は国産説が提起したものです。

これによって、様式上の「編年」が違っても、埋納先が同じ鏡は、同じ同位体比を持つことから、
三角縁には大量の複製鏡が存在することが明らかとなり、従前の様式論的編年が崩壊したわけでしょう。
鉛議論は、材料のブレンドとか、複雑な条件を想定すると、それだけで結論を出せるようなものではないですけどね。