『銅鏡議論を見ていて思う素朴な疑問』

そもそも話が”ズレている”と思うのは銅鏡に皇帝の面子がかかっているかのような評価をしているところだ。
まるで金印と同じようなウェイトを想像しているように思える。

金印なら「格」のようなものにこだわっったらだろうし
実際、志賀島の例のアレは江蘇省出土の「広陵王璽」と文字のフォントやタガネにより刻まれた文様も共通していて同一工房で作られた可能性もあるらしいが
銅鏡なんて世俗的なものにそこまで神経使う必要があるのか?

そもそも銘文にしても押韻のツッコミ以前に(三角縁神獣鏡の銘文にはよくある)「〜保子宜孫」なんて
要するに「女が所有すれば子宝に恵まれる」なんて効能書きが書いてあるようなものに皇帝の権威を求めるほうがナンセンスだと思うが
そう云うツッコミは今までなかったのか?w

舶載説・国産説に関わらずどうも鏡を議論してるうちに過大評価し過ぎになってないか?

これについてはゴミクズレベル九州説以外の人からも意見を聞きたいところwww

あと「邪馬台□の会」にも出ていた三角縁神獣鏡の銘の押韻についての批判をしているサイト

http://www.eonet.ne.jp/~temb/9/Sinzyukyou/Sinzyukyo.htm