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三角縁神獣鏡は誰が作った?4

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0001日本@名無史さん
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2011/12/22(木) 19:16:20.99
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1019561007/

≪から3を作りました≫
三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?

魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
C尚方でない

日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など

皆さんはどうお考えですか?
0046日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 19:10:17.54
文献ではなく、物象が残っているのだから解明されるべき重要事項
だが、中国自身がこれは当方のものではないと言っている
一方、日本にとってもそのデザインは日本の趣味から隔たっている
これは、本当に謎だ
中国・日本以外という選択肢は無いように思えるが
もちろん、半島は全く関係ない
0047日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 20:16:34.59
20cm以下の銅鏡は中国製のほうが技術レベルは高い
超大型鏡は中国では出土しないので技術レベルの比較はできない
三角縁神獣鏡の相当数は鈕の穴がつぶれていて紐が通せないか、穴が開いている場合でも鋳放しの状態
で技術レベル以前の問題
0048日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 22:55:19.21
>相当数は鈕の穴がつぶれていて紐が通せないか、

相当数というが、出土鏡のうち何%くらいか具体的な数字は示せるかね?

>穴が開いている場合でも鋳放しの状態で技術レベル以前の問題

それは最後の研磨作業を省略しているのであって鋳造の技術とは関係ない

あと、研究者たちは大きさのみで技術論を語っているのでないからね
0049日本@名無史さん
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2012/04/13(金) 02:56:30.46
>>48
>何%くらいか
例外的だと考えるなら自分で調べてここに書いたらいい

>最後の研磨作業を省略しているのであって
最終工程まで完了する目的で製作されていない鏡で技術レベルの比較はできない

>研究者たちは
仿製か舶載については研究者により見解は分かれる

>大きさのみで技術論を語っている
誰も言ってない サイズが極端に違う鏡で技術レベルの比較はできないといっている

三角縁神獣鏡の多くに現れる特有の線キズは二層式鋳型の使用で微細な凸面キズが再現できる(鈴木勉氏)
これらの線キズは魏晋鏡にはない
また、中国においても技術レベルに大きな差があり、地域的に多様で拙劣な鏡もあるので
従来の、拙劣であるから仿製とはいえない(森下章司氏)
0050日本@名無史さん
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2012/04/13(金) 08:15:07.01
国内で鋳型が出てるからね。

畿内よりだと土の鋳型、九州よりだと石彫の鋳型が多い。
中国では土の鋳型が多い。

ちなみに九州では、小型銅鐸や剣の鋳型も、
石彫のものが出土されているので、石彫が好きだね。
古い鋳型技術がそのまま発展した魔改造っぽい。
土鋳型も出てないわけじゃないし。
0051日本@名無史さん
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2012/04/13(金) 12:27:41.69
自分から相当数とかいっといてどのくらいの割合か聞かれたら自分で調べろって……
狂ってるな
0052日本@名無史さん
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2012/04/13(金) 14:19:36.63
自国で製造するより
植民地の奴隷を使ったほうが
コストがかからないので
宗主国である百済が倭人奴隷を使い
日本で製造していたのであろう
0053日本@名無史さん
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2012/04/13(金) 22:05:05.87
チョンは日本の歴史に口出さんでいいから母国の心配でもしとけ
0054日本@名無史さん
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2012/04/15(日) 04:46:05.31
魏の文献に載っている邪馬台国やらヒミコよりも(日本の文献に無い)
日本で時を超えて実際に多数(数百)全国で出土している
三角縁神獣鏡(中国に無い)のほうがより研究課題にふさわしいと思う
鏡と太陽、天照大御神には深い関係がありそうなだけに




0055日本@名無史さん
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2012/04/15(日) 05:29:38.17
>>49
>中国においても技術レベルに大きな差があり、地域的に多様で拙劣な鏡もあるので
>従来の、拙劣であるから仿製とはいえない(森下章司氏)

これ、これまで仿製鏡と考えられていた古墳時代前期後半から中期に見られる鏡のことを念頭に置いた発言だよ
この流れで車崎氏による三角縁全舶載説が登場しているのですが、理解できていますか?
0057日本@名無史さん
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2012/04/15(日) 16:33:10.13
三角縁に舶載鏡があるという立場だと、黒塚古墳はどう解釈するの?

一方、三角縁は全部国産だとしても、
黒塚でずっと重要視されている画文帯は魏の鏡とは言えないし。

この辺はどうなっとるのかさっぱりわからんのだが、
考古学的には、倭人伝のことはきっぱり忘れるのがよいと思う。
古代史的にはなにか回答を見つけないとまずいのだろうが。
0058日本@名無史さん
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2012/04/15(日) 16:36:14.16
>>48
> >穴が開いている場合でも鋳放しの状態で技術レベル以前の問題
>
> それは最後の研磨作業を省略しているのであって鋳造の技術とは関係ない

研磨もしてない鏡を、魏が邪馬台国に送ったと考えているわけ?
バリが残っているのは全て国産で葬具というのが素直な解釈だと思うが。

もちろん棺の中でバリ付きの鏡が非常に重要視されていると
考えないと仕方のない位置に配置されていたら、また話は変わってくると思うが。
0059日本@名無史さん
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2012/04/15(日) 21:05:34.95
ジャップは未開やから本来廃棄処分にするような不良品をくれてやっただけやろ
0060日本@名無史さん
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2012/04/15(日) 21:16:48.70
ただ最初期の三角縁には鋳流したままのものはないだな。
時代が下るといい加減になっていっている。
時代が早く舶載の可能性が高いものほどまとも。
0062日本@名無史さん
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2012/04/16(月) 15:45:55.96
黒塚では画文帯の方が珍重されていて、ホケノの画文帯とそっくり。
ホケノ→箸墓→黒塚だから、画文帯が卑弥呼の鏡でいいんじゃないの?
0063日本@名無史さん
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2012/04/16(月) 18:54:32.52
ホケノは6世紀の堂の後古墳より後に築造されたことがすでに判明しているだろ。

不都合な事実を無視しないのが学問の基本的な前提だよ。
0064日本@名無史さん
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2012/04/16(月) 19:28:50.75
と、不都合な事実に目を背けまくっている九州説信者が申しております
0065日本@名無史さん
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2012/04/17(火) 15:52:04.18
天理大学の学生の調査で、ホケノが作られた時に、
堂ノ後の周濠が、埋めたり壊されたりしている可能性があると
発表されたことを言っているのだろうけど、
さすがにこの件だけでホケノを6世紀に持ってくるのは無理。
他の証拠が揃ってるんで。
ただ周濠の増築や墳丘再整備の問題をきちんと考えないといけないのは確かだけど。
0066日本@名無史さん
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2012/04/17(火) 15:52:56.07
>>62
今のところ画文帯は楽浪郡の鏡と考えられてるのをどう解釈するか。
0067日本@名無史さん
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2012/04/18(水) 00:46:40.65
>>66
画文帯同向式のほぼ全部が同型だろ、ほぼ全部が日本で出土。
例外が楽浪郡の1枚のみ。

普通にあれは日本製。
楽浪の日本が朝鮮に進出したときに持ち込まれたものだろう。
朝鮮にも前方後円墳を作るくらいに進出したんだから、鏡も出るだろ。
0069日本@名無史さん
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2012/04/18(水) 00:58:13.22
画文帯同向式は500年前後のものも多い。
ホケノだけが古いと考えるより、ホケノも同時期と考える方が自然じゃないのか?

同向式は紀年鏡にも多いんだよね。
△の紀年鏡は全部同向式、画文帯の紀年鏡も全部同向式で内部のデザインは丸写し。
日本で絵のパッチワークをしたと考えるのが普通の知能のある生物だろ。
0070日本@名無史さん
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2012/04/18(水) 01:25:01.04
>ホケノだけが古いと考えるより、ホケノも同時期と考える方が自然じゃないのか?

誰も「ホケノだけが古い」などとは考えていない
0072日本@名無史さん
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2012/04/18(水) 02:29:57.74
>>71
あれは400年ころだよね
0076日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/19(木) 01:58:13.42
去年週刊誌に中国製で決定、ての出てたじゃん。

唐の文献に昔魏の時代に倭のリクエストにより文を外して鏡を作ってあげたって。

文とは飾りの意味らしい。

直接日本とは関係のないマイナーな文献で、日本史の研究者は目が届かないのを読んでて発見したんだって。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/19(木) 07:39:38.76
週刊誌に載ったのなら間違いないね
週刊誌は国際的にも最も信頼できる資料ですからね
0078日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/20(金) 00:28:12.59
特注品なんだから中国から出土するわけがない。
日本で1億枚出土しようが中国製に決まっている。
0079唐松山 ◆V0F34EbmQA
垢版 |
2012/04/20(金) 00:43:46.19
纏向1類(前) 弥生X様式土器 後漢193年冷夏凶作 。
考古:弥生後期後半、各地の遺跡で住民の移動。2世紀末各地の土器が纒向に持ち込まれる。
纏向1類(後) 210年金官伽耶の建国(三国遺事、新羅本紀)
纏向2類(前) 3世紀前半辻の大型建物(古韓尺)
纏向2類(中)
纏向2類(後)
纏向3類(前) 庄内3式期末  ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡・鉄器 埴輪(穴あき壺)
倭人伝 邪馬台国官、伊支馬 都市牛利 
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)
纏向4類(前)
纏向4類(中)
倭人伝 使大倭監之、 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
大倭は伊都国に勅使の如きを置き女王国(九州)の北部に置いた1大卒を監督する、1大卒は諸国を
検察し、諸国はそれを畏れ憚る。
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、
0080日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/20(金) 11:23:22.10
特鋳説は、せめて他の地域でも同じ部類の特鋳があったことを示さないと単なる妄説。
そもそも特鋳なのに邪馬台国の名前が入らないなんてことがありうるのか?
0081日本@名無史さん
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2012/04/20(金) 15:01:06.48
上にある新潮の記事ってのは、
> 昔、魏は倭国に酬(はなむけ)するに、銅鏡の鉗文を止め、漢は単于に遣(おく)るに
> 犀毘綺袷(さいびきごう)を過ごさず。並びに一介の使、将に万里の恩とす。
こんな文が、晩唐に成立したとみられる「全唐文」に見つかったという話。

画文帯からガラリと絵柄(文=紋)が変わってきているから、
画文帯が魏の鏡なのではないか?
福永も三角縁は楽浪郡の工人の手によると言っている。
つまり画文帯と同じ人達が作ってる。
0082日本@名無史さん
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2012/04/20(金) 21:45:13.88
陳さんが日本に来て作ったんだっけ?
確か、そんなことが書かれた銅鏡があったような。
0083日本@名無史さん
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2012/04/20(金) 22:29:10.26
>>80
いいとこ付くねえ。
確かに特鋳なら「大魏皇帝与明鏡」云々と
刻されていてしかるべきだな
0084日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/20(金) 23:32:59.39
もう倭王なのに「鏡持ってると出世する」って書かれてもなw

>>81
たしか楽浪郡の工人が魏に移住して特鋳したと初期には言っていたはず。
王の呉の工人が倭に渡って作ったってのと同じ系統の議論だな。
どちらも製造技術は既に持ってるから変な話だと思うがな。
そもそも何を描くかは技術じゃなくて文化の問題だろう。
0085日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/21(土) 00:03:56.91
当時の倭には独自に画文帯や三角縁を作れるほどの技術も知識もない
0086日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/21(土) 00:37:11.00
小林行雄さん、あの世からこんばんは。
三角縁が舶載の可能性があるのは最初期だけで、後は和鏡ですよ。
あなたは古過ぎます。
0088日本@名無史さん
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2012/04/21(土) 07:02:20.96
>>86
>あの世からこんばんは。
お前は死人なんだなw
0089日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/21(土) 10:25:15.50
>>88

きっと>>86は、奥野先生ではなかろうか?
        ・・・・・あ、まだ御存命だったかw
0090日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 11:56:52.04
三角縁神獣鏡は大陸製のものがひとつもなくても何の不思議もないのでは?
0091日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 14:37:30.99
技術的なレベルなら、銅剣銅矛に銅鐸があるんだから、
十分水準には達しているだろう。

楽浪や呉の職人連れてきたってんなら、
それは、呪術、芸術に関するものだろう。

だろう?
0092日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 15:03:48.18
三角縁の文様は精緻な半肉彫りによる
国内の弥生時代の青銅製品には見られない技術だよ
0093日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 16:09:58.98
国産なら国産で誇れる技術
0094日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 19:58:13.72
一部舶載を認めたとしても、
国産になるまで大して時間かかってない。
例えば黒塚を国産とするとせいぜい50年くらい。
0095日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 20:02:35.79
>>80
特鋳説、特に>>81のように倭の要望に沿った特鋳を主張する場合、
どんな鏡であろうと、倭が望んだからそうなったということになります。

進化論のインテリジェント・デザイン論みたいなもんで、
(進化が起こったように見えるのは、実際に進化が起きたからではなく、そうデザインされてるから)
詭弁に過ぎません。
0097日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/23(月) 08:24:11.37
「どんな鏡であろうと、倭が望んだからそうなったということになります。」

ならないよ。
演繹は不可。
ちゃんと文章読んでみ。
特注の鏡をあげたということ。
これしかいうことができない。
日本で出土する鏡の「すべて」が特注である理解するのは論理的な飛躍。
本一冊分の論文で要証明だわ。


倭からの要望で
0098日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/24(火) 17:25:07.64
特注説では、どんな鏡が出土しても、特注だから不思議はないって理屈が可能になってしまう。
>>81の文献は文献でいいと思うが、やはり出土をベースにして考える必要がある。
平縁神獣鏡は出てるんだし。
0099日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/24(火) 19:07:44.89
つか△と同時に出土している鏡を国産にした時点で△も国産だろ。
△が1面あれば1億面でも国内で複製できる状況を認めて、その上で△だけ舶載とか
脳みそ腐ってるだろww
0100日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/24(火) 19:27:25.10
ところが同時に出土する国産鏡との技術的・知的差異は明らかなんだな、これがw
0102日本@名無史さん
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2012/04/25(水) 01:15:19.82
>>100
どう違うんだ?
やつらは主観主義の宗教論議に逃げ込んでいるだけだろw
0103日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/25(水) 02:11:41.18
>>102
つまり三角縁と他の国産鏡を見比べたことがないんだなw
そんなレベルで国産説を強弁する方がよっぼど宗教だと思うがね
0104日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/25(水) 10:15:44.53
当時のありふれた真実(多数出土)
が現代においては謎となり思考停止に追い込まれる
理由は、何か大きな歴史的前提が間違っているからと思われる。
三角縁神獣鏡はそれを問いかけ続ける。
真に発見されるまで。
0105日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/25(水) 23:26:07.67
>>103
そうだ!そうだ!
日本でだけ何百面、何千面出ようが、舶載に決まっている。
それ以外の結論は学界追放だ!
0106不良ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 09:09:18.95
>>104
>何か大きな歴史的前提が間違っているからと思われる。
>三角縁神獣鏡はそれを問いかけ続ける。

●いいセリフだ。その通り。
いうならば、「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」という視点からの考察が欠落しているのだ。

後漢末は、天師道や太平道が誕生した一大宗教改革の時代でもある。
画紋帯だろうが三角縁だろうが、
画紋帯であろうが三角縁であろうが、神獣鏡のデザインモチーフは
天師道(根を同じくする太平道も含む)の信仰的精神性をあらわしたものである。
必然的に、神獣鏡が登場するのは天師道の登場以降だろうと推察される。

張陵が中国古来の森羅万象の学問たる道学(黄老道)を基礎とした天師道を興すのが142年、
これが最も盛んになるのが、孫の張魯の代の190年頃である。
この天師道が、神獣鏡を破邪・駆邪の呪具とし、刀を死者を神仙へ導く呪具とした。

後漢末になると魏都・洛陽での鏡製造は明帝の代に再開されるまで数十年間中断された状態で、
明帝の時代(230年代)にならないと復活しない。
後漢末の中断から、およそ30年 から40年の空白がある。
神獣鏡は天師道が盛んだった広漢西蜀と呼ばれる地域と、
天師道と根を同じくする太平道が盛んだった長江下流域でつくられる。
こうしたことから、ご承知の通り神獣鏡は「呉式鏡」といわれる。  つづく
0107やや重ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 09:09:59.22
●呉式神獣鏡は、魏都洛陽の尚方では絶対に造らない。
神獣鏡は、体制側の歴史書たる『三国志』が、邪教として批判的に扱っている天師道(鬼道)の神宝である。
天師道が、神獣鏡を破邪・駆邪の呪具とし、刀を死者を神仙へ導く呪具とした。
帝室ご用逹の外交用贈答鏡に、民間邪教の信仰を反映した図柄を採用することは絶対にない。
(あたしが強く主張するところ)

と・こ・ろ・が・だ。
禅譲を受けた正統王朝としてのメンツにかけて、
魏都洛陽の尚方では絶対に造ることのない呉式神獣鏡に、あろうことか魏の景初年号が刻まれている。
この「超のつく不条理」については、これまで話題にされたことがない。(これもあたし独自の着眼)
これは、中国人職人に倭人が造らせた証拠だよ。
しかも、製造手法・完成度・銘文などがまちまちである所をみると、
色んな時代の色んな人間の手によってつくれている。
(完成品を粘土におしつけて鋳型をつくる方法などはごく普通の倭人でもできる)。

福永伸哉とかいう唯物史観職人は、ひもを通す穴ポコの形なんぞをとりあげて、
いまだに、「魏朝が卑弥呼に下賜するために特鋳した鏡だ」と宣っているらしい。アホか。
銅鏡を無機質な「モノいわぬ物」として扱い、そこに込められた精神性や信仰心といった
「文様文化」にまったく関知しない考古のあり方は、いずれ大きな反省を迫られることだろう。

つづく
0108良ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 09:11:02.75
●神獣鏡は楽浪郡でも造らない
神獣鏡が楽浪郡で造られたという「憶測言説」がある。
景初2年までこの領域を支配してきた公孫氏親子は、曹操、劉備、孫権をはじめ、
劉焉(劉璋)、張魯、張角らと中原の覇を目論んだ領袖の一人である。
いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。
また、景初3年には公孫氏一族は根絶やしになって存在していないし、
遼東郡、楽浪郡、帯方郡は魏の郡県下にあった。
したがって、後漢末の遼東半島や朝鮮半島に神獣鏡が作られる環境が存在した可能性は皆無といえる。
こうした事実を踏まえれば、「神獣鏡は楽浪で造られた」などという詰めの甘い憶測詭弁もボツ。

この素人の指摘で、考古学界の三角縁神獣鏡に関する味方・考え方が大きく変わるだろう。
なんか。文句ある?
0109日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/26(木) 09:20:22.34
女性のため鏡屋さんが作っただけのこと。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/26(木) 14:18:22.15
田子作
0112良ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 17:03:22.73
>>111
「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」。
お前たち「ど」のつく素人半端考古かじりも含めて、
三角縁神獣鏡を語るにおいて、
すべての日本人研究者が気づかなかった盲点だ。
日本でただ一つ、これに着目した論説のご登場だ。
無料でご拝読にあずかったのだ。ありがたく思え。

福永伸哉とかいう唯物史観職人も、ぐーの音も出まい。
0114良ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 20:45:38.90
>>113
「間違っている大きな歴史的前提」を提示した。

そうそうたる畿内説連を沈黙させた新しい論説だ。
これを超える反論や反証があるならをもってこい。
0115日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/28(土) 01:16:45.68
勝手に未検証の前提を設定してそれを論拠に語られてもねえ

あと、鏡の作り方についての知識が少ないようだから
もっと勉強することをおすすめしておくよ
0116日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/28(土) 10:39:43.62
>>108

>したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。

じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん?
0117良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 11:08:46.51
>>115
>未検証の前提を設定してそれを論拠に語られてもねえ
日本のバカたれ学者が気づきもしなかったことだ。
「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」
検証などせずとも周知の歴史的事実だ。

>鏡の作り方についての知識が少ないようだから
大きなお世話。
鏡の作り方についての知識だけで、これまでどんな議論をしてきたか。タコ


>>116
「彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない」。
>じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん?
思考回路未成熟。なんだぁー・この質問の投げ方は。
出土するからつくったという理屈になるのか? てめえで考えろ。ボケ

遼東郡や楽浪郡で造られることはないという事実が前提むだ。
次に、神獣鏡が流布するのはなぜか。そして、流布しだすのいつごろか。
こうしたことを詰めて考えたことすらなかったろう。

バカづらさげて、「出土するからここで造られた」と、
短絡・単純な考古所見を疑いもせず孫引きして、それを「知識」だと錯覚してやがる。
0118良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 11:29:21.65
ちょっとだけ高度な話をしてやろう。

『三国志』が鬼道と書いた張魯の天師道は、医療を主眼とした巫呪祈祷の部分が民衆の支持を集めた。
古代における医療は直接的に生命にかかわるから、これが民心を集めただろうことは容易に察しがつく。
民心の掌握は効果的な政治手法として機能する。
事実、張魯の場合は群臣たちが天子を号するよう進めたほどだ。
ここに、宗教教団が巨大な組織となり、教団組織が国家を形成する過程をかいま見ることができる。

57年に朝献した倭人は、王朝を知り、朝献をしり、その作法を知っていた。
彼らは、国家を知り、政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ。
そこから150年ばかり経過した邪馬台国の首脳たちの戦略性というものを考えたことがあるか。

彼らは、列島における勢力拡大と進出事業の効果的な戦略ツールとして、
三角縁神獣鏡とセットの医療符呪と祭祀(とくに葬送祭祀)様式を全国に拡散させた。
現実には、ほとんど戦うことなくこれを遂行したものと思われる。

これに魏朝の年号を入れたのは、魏の支援を得て列島最強となった勢力が、
拡大戦略ツールとして魏の威光を匂わせるために工作したのではないか。
つまり、拡大戦略ツール国内生産のために、呉からやってきた職人に鏡を造らせた。
そのデザインとつくりは、当然ながら呉式の神獣鏡になる。
倭人はそうした産地特性には頓着することなく、「魏朝から頂戴したありがたい鏡」ということで、
これに魏朝の年号を入れさせたのではないか。

今まで誰ひとりとして唱えることのなかった「新しい神獣鏡の世界」だが、
素直に理解できる奴がいるかなー。
0120116
垢版 |
2012/04/28(土) 12:17:50.53
>>117

> 「彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない」。
> >じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん?
> 思考回路未成熟。なんだぁー・この質問の投げ方は。
> 出土するからつくったという理屈になるのか? てめえで考えろ。ボケ
>
> 遼東郡や楽浪郡で造られることはないという事実が前提むだ。
> 次に、神獣鏡が流布するのはなぜか。そして、流布しだすのいつごろか。
> こうしたことを詰めて考えたことすらなかったろう。
>
> バカづらさげて、「出土するからここで造られた」と、
> 短絡・単純な考古所見を疑いもせず孫引きして、それを「知識」だと錯覚してやがる。

じゃ、表現を変えてあげよう。
三世紀の楽浪では、神仙思想をモチーフとする神獣鏡群が「流通は許容するが、製造は許されない」と主張するわけだねw
公孫氏が、神仙思想を「歓迎したり奨励することはあり得ない」と言う仮定を生かすためだけの糞ばった見解だね。
その「仮定」も遠く離れた漢中の張魯と遼東の公孫氏が中原の覇を目論んだライバルとか言う「前提」からだけどw
その前提が成立するなら、逆に神獣鏡のメッカ・呉は、張魯の友軍で天師道を推奨していたことになる。

他人の面構えを云々する前に、先ず、鏡で自分の顔をよく見てみよう。
0121良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 14:17:45.24
>>120
>三世紀の楽浪では、
3世紀の楽郎に神獣鏡が流通していたという短絡前提だろ。
神獣鏡を神宝・呪具とする体制外宗教が、体制側の人間に受け入れられのは何世紀だと思うか。
「宗教の器」を語るのに宗教の歴史を知ってるのか?  タコ。

>公孫氏が、神仙思想を「歓迎したり奨励することはあり得ない
文句があるなら、歴史として反論を述べろ。

>漢中の張魯と遼東の公孫氏が中原の覇を目論んだライバルとか言う「前提」からだけどw
現実・事実だ。だんだん・歴史そっちのけの・言葉尻モードになってきたぞ。

>その前提が成立するなら、
前提ではない。現実・事実だ。

>逆に神獣鏡のメッカ・呉は、張魯の友軍で天師道を推奨していたことになる。
張魯の天師道と根同じくする張角の太平道のメッカだ。赤恥もののお角違いだな。

>他人の面構えを云々する前に、先ず、鏡で自分の顔をよく見てみよう。
れっきとした熊襲の末裔のツラをしてるが・文句あるか。
半島渡りの渡来系集団労働者の末裔くん。
0122良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 14:47:33.29
119
>裏付けもなくそんな説を信じられるはずもない
何の裏付けもなく、鏡の形と数だけで、
大罪にも似た言説を学説として流してきたのが考古社会じゃなかったのか。

俺は、事実に基づいて・きちんとした理路の整った論説を書いた。
これに文句があるならば、これを超える事実をもって・理路の整った意見をいえ。
0123良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 14:52:45.86
唯物考古のウソ所見(さもなくば軽薄所見)を鵜呑み孫引きで、
さも己の知識でもあるかのように吹いてきたタコども。

銅鏡に関する考古所見を土台から破壊する、マグニチュード9.0超の激震論説だ。
半端な詭弁・方便・かけ合いテクは通用しないと思え。
0124良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 14:54:22.19
さてと。
これで・このスレッドも閑古鳥だな。
0125日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/28(土) 14:59:53.05
>>122
鏡の数と形には確かな実証があるけど
おまえさんの説には何の実証もない
0126良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 17:39:49.82
>>125
け。邪馬台国を「論じる」胡散臭い学者などとは違って、
古代の歴史・文化を真摯に「解説した」学者の論説だ。
しかも、中国の専門学者の意見も交えている。

「実証」などではない、歴史的・文化的事実だ。
日本語もまともに使えんボケナスが。
実証というならば、泣き言めいた否定文言はいいから、
「されは違う」と「実証」してみせろ。弱虫
0127日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/28(土) 18:25:47.27
>57年に朝献した倭人は、王朝を知り、朝献をしり、その作法を知っていた。
>彼らは、国家を知り、政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ。
『政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ』は根拠の無い妄想
作法もどこまで知っていたかは不明

>彼らは、列島における勢力拡大と進出事業の効果的な戦略ツールとして、
>三角縁神獣鏡とセットの医療符呪と祭祀(とくに葬送祭祀)様式を全国に拡散させた。
>現実には、ほとんど戦うことなくこれを遂行したものと思われる。
この段落はすべて妄想
鏡と呪符が一緒に使われたとか、一つの勢力によって戦略的に拡散されたとか
どこにもそんな文献や物証があるんだい?

>これに魏朝の年号を入れたのは、魏の支援を得て列島最強となった勢力が、
>拡大戦略ツールとして魏の威光を匂わせるために工作したのではないか。
>つまり、拡大戦略ツール国内生産のために、呉からやってきた職人に鏡を造らせた。
>そのデザインとつくりは、当然ながら呉式の神獣鏡になる。
>倭人はそうした産地特性には頓着することなく、「魏朝から頂戴したありがたい鏡」ということで、
>これに魏朝の年号を入れさせたのではないか。
どこのどういう名前の呉の職人を連れてきて、誰が魏の年号を入れるように命令したんだい?
君の中の妄想じゃなければ答えられるはずだよね
0128116
垢版 |
2012/04/29(日) 00:25:47.88
>>121

> 3世紀の楽郎に神獣鏡が流通していたという短絡前提だろ。

貴方の十八番、「現実・事実」とどう違うのかな。
ダブスタと言うことばを知っているか?

> 神獣鏡を神宝・呪具とする体制外宗教が、体制側の人間に受け入れられのは何世紀だと思うか。
> 「宗教の器」を語るのに宗教の歴史を知ってるのか?  タコ。

その前にレプリカでも構わないが「神獣鏡」と言うものを見たことがあるのかな?
神獣鏡は確かに神仙思想の影響の元に生まれたものだが、祭器では無い(知ってると思うけど念の為)。
画像に加えて、位至三公とか君宜高官など現世利益的な吉祥句も多く刻まれているだろう。
神仙も同じく、その不老不死と言う特性だけが世俗的に受け入れられたに過ぎない。

> >公孫氏が、神仙思想を「歓迎したり奨励することはあり得ない
> 文句があるなら、歴史として反論を述べろ。
> >漢中の張魯と遼東の公孫氏が中原の覇を目論んだライバルとか言う「前提」からだけどw
> 現実・事実だ。だんだん・歴史そっちのけの・言葉尻モードになってきたぞ。
> >逆に神獣鏡のメッカ・呉は、張魯の友軍で天師道を推奨していたことになる。
> 張魯の天師道と根同じくする張角の太平道のメッカだ。赤恥もののお角違いだな。

いや、言葉尻とか言うレベルじゃないでしょ、貴方の言ってることに論理性が無いだけ。
だいたい呉の領袖は張角じゃないでしょ、神獣鏡は呉の重臣・朱然の墓からも出土するんですよ。
貴方の「論理」だと、説明できないんじゃないのかなw

0129日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/29(日) 07:16:33.03
伊作と論争しても無意味だよ。
子供レベルのケンカなんで
0130良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 08:55:08.28
>>127
泣き言か恨み節に似て、論理的背景のない否定文言の連呼だ。毎度のことよ。
誰もいわなかった「新しい視点による三角神獣鏡の世界」を提示したが、びくびくムキになるな・タコ。

>『政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ』は根拠の無い妄想。作法もどこまで知っていたかは不明
王朝とは何たるか知ってるか。朝献・朝見とは何たるか・知ってるか。朝賀とは何たるか知ってるか?
1世紀の倭人はみな知っていた。
後漢朝が名実ともに王朝の体裁を整えるのは56年で、その翌年に「朝賀」の使者を派遣したのだ。
たいへんな情報収集力だ。たいへんな行動力だ。

>鏡と呪符が一緒に使われたとか、一つの勢力によって戦略的に拡散されたとか
>どこにもそんな文献や物証があるんだい?
「文献や物証」ではない。お前には・ちと・難しい表現だが、宗教的精神性・信仰文化という「史実」が洞察材料だ。
中国において鬼道組織が国家を形成しようとした事実を述べた。
その拡大ツールが神獣鏡と剣の二種の神宝だ。三種の神宝は、天師道が道教に昇華するときに出そろう。

>どこのどういう名前の呉の職人を連れてきて、誰が魏の年号を入れるように命令したんだい?
●ガキの問答だな。●これでお前の知能程度がわかる。
●こういう論法が通用するならば、ゆくゆく困るのはお前らだ。 
この論理循環がわかるか? ぼんくら。
0131良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 08:57:53.17
>>128
>貴方の十八番、「現実・事実」とどう違うのかな。
他人にいうほど論拠も証拠もない「願望短絡」と、現実・事実とは雲泥以上の差がある。

>神獣鏡は確かに神仙思想の影響の元に生まれたものだが、祭器では無い(知ってると思うけど念の為)。
明器(死者に副葬する呪具)だ。これまで日本の考古学は無頓着だったが鏡の配列にも明確な意味がある。
だからこそ、そこにある信仰的精神性に注目すべきなのだ。

>だいたい呉の領袖は張角じゃないでしょ、
俺は「張角が呉の領袖」だとは発言していない。
相手の発言の誤解や誤認・認識不足によるお角違いの反論は無礼であると同時に、お前の「知的お里」が知れるだけだ。
そもそも「時系列」という次元整理ができていない。
当該時期は群雄割拠の時代で、取ったり取られたり、勢力版図など確定していない。
張角の太平道は、山東省の青州に主力を置き、徐州から長江流域の揚州から荊州まで広く信徒がいた。
便宜上、江南・江東を呉地域とか呉領域とかいうが、これは三国鼎立後の孫権・呉の版図をいうのではない。

>神獣鏡は呉の重臣・朱然の墓からも出土するんですよ。
当然だな。
孫権も神仙を信じ方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
介象・姚光・葛玄などを厚遇し、神仙道が江南で発展していく環境を整えた。
(道教の前身の天師道は、士族の神仙道派と民間道派に次第に二極化する)。
ついでに道教成立へ向かう初期過程を書くが、時系列を混同するなよ・ぼんくら。
張魯が世を去ったあと、世家(士族社会の名族)の子弟が次々に教団に入り、
宗教の威信が高まり天師道が次第に社会的認可を得るようになる。
(「道教と仙学」漢末の早期道教、魏晋代の早期道教)参照

>貴方の「論理」だと、説明できないんじゃないのかなw
軽い奴ほど、安っぽく勝ち誇った文言を書きたがる。

0132良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 08:58:29.55
>>127  >>128
中身がないくせにいうことだけは高飛車だ。
もっとマシな反論をもってこい。

>根拠の無い妄想。
根拠のない妄想であることを具体的に証明してからいえ。

>作法もどこまで知っていたかは不明
作法を知らなかったという具体的事実を提示してからいえ。

>この段落はすべて妄想
妄想であるという具体的事実を提示してからいえ。

●これは失笑ものだな。
>どこのどういう名前の呉の職人を連れてきて、誰が魏の年号を入れるように命令したんだい?
>君の中の妄想じゃなければ答えられるはずだよね
お前たちのレベルでは、こんなのを議論とか反論とかいうのか?

↓↓↓対面会話ならば、モノもいわず殴り飛ばしてるところだぜ。
>ダブスタと言うことばを知っているか?
>「神獣鏡」と言うものを見たことがあるのかな?
>貴方の言ってることに論理性が無いだけ。
>貴方の「論理」だと、説明できないんじゃないのかなw
0133日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/29(日) 09:21:03.06
魏の皇帝から下賜された鏡にしては扱われ方がぞんざいだな
三角の縁も大量生産用に積み重ね易く作ったんだろ
0134良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 09:39:29.18
もっと高度な話をしてやろう。

かの大震災に俺は関東で遭遇した。部屋の中はめちゃくちゃ・そして停電。
暖房もできない中で厚着をして・ろうそくの火を眺めながら、
古代人の「土地の神」に対する畏敬と畏怖のほどを思ったものよ。

土地の神を鎮め・豊穣の祈りをささげた銅鐸信仰とは違って、
天師道は、死者の災いが地下の神によって生者にもたらされるのを防ぐ破邪、
そして病気治療という「生者に現世利益を与える宗教」だ。
これが爆発的に広まったことは人間心理の面からも容易に推察できよう。
お前たちが金科玉条のように持ち出す青銅鏡(神獣鏡)は、
(中国には古来、鏡信仰はあったのだが)
後漢末に宗教革命を起こした天師道の神宝・呪具・拡大戦略ツールとして、際立つ光を放ったものだ。
倭国も例外ではない。そのことを、お前たちの大好きな古墳の葬送様式が黙して告げている。

前方後円墳だけをとりあげても、形・規模・外形バランスなど細部がまちまち。
石室をみれば、石の素材・大きさ・組み方・空間の広さや形状などがまちまち。
棺もまた、素材・形・大きさなどがまちまち。
統一された設計マニュアルがあったわけでもなく、各地の墓づくり技術者が個々に、
その土地の労働力や材料でつくったからこういう現象が起きたものと思われる。
 ところが。葬送儀礼のほうは鏡と剣が主役で、副葬品から副葬の様子までが全国規模で共通している。
さこには、体系化された葬送様式と祭祀作法が、ほぼ全国規模で広がっていたことを示唆する。
この様式こそがまさに初期道教(鬼道)から道教へとつながる様式である。

こうした統一現象は、「祭祀人材の組織的・計画的育成と全国各地への供給」があったことを示唆する。
こういう思考手順でいくと、誰もが着目しなかった重要要素があることに気づく。
本当は、三角縁神獣は誰がつくったかだ・邪馬台国はどこかなど、
チンケで了見の狭い話に血道をあげてる場合ではないのだ。 
0135116
垢版 |
2012/04/29(日) 10:42:19.90
>>131
> 他人にいうほど論拠も証拠もない
それは、貴方の方w
張魯の天師道と遼東の公孫氏が、どう関わったから「神獣鏡は流通すれど、製造させず」と言う「事実」が生じるのか説明していない。
ライバル(直接対峙もしていないがw)だったからとかは呉の孫氏の場合と条件は一緒、臣下の墓から神獣鏡が出てくるのも一緒だ。

> >神獣鏡は確かに神仙思想の影響の元に生まれたものだが、祭器では無い(知ってると思うけど念の為)。
> 明器(死者に副葬する呪具)だ。これまで日本の考古学は無頓着だったが鏡の配列にも明確な意味がある。
トボケないで!神獣鏡を葬具として受け入れたのは倭での話でしょう。
楽浪で神獣鏡が造られるか否かの話とは直接関係無い。中国での扱いは、あくまでも世俗品。

> >だいたい呉の領袖は張角じゃないでしょ、
> 俺は「張角が呉の領袖」だとは発言していない。
> 相手の発言の誤解や誤認・認識不足によるお角違いの反論は無礼であると同時に、お前の「知的お里」が知れるだけだ。
呉での神獣鏡の扱われ方について、「張角」の太平道のメッカ」と外れたレスが帰ってきました。
それに対するレスです。自分で外しといて「お門違い」は無いでしょうw

> 孫権も神仙を信じ方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
そう、張魯や張角は神仙思想集団の一派に過ぎない、神仙思想に依拠しているが、二人だけの専売特許ではない。
つまり、神仙(例えば神獣鏡嗜好)を受入れたからと言って、「中原の覇」を競う「ライバル」を受入れる必要はない。
呉の朱然の墓からも楽浪の官人墓からも他の生活用品と一緒に神獣鏡も普通に出てくる。
ともに神仙嗜好が、広く受入れられていた証であり、両者に違いは無い。

よって
>いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
>歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
>したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。
は、何の説明にも、論拠にも為っていない、これで為っていると思うなら、それは単なる思込みです。
0136良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 11:24:34.08
>>135
>張魯の天師道と遼東の公孫氏が、どう関わったから「神獣鏡は流通すれど、製造させず」と言う「事実」が生じるのか説明していない。
関わった史実がないから関わりがなかったというのが俺。
「神獣鏡の流通は製造された」と言う「事実」があるのかを説明していないのはお前。
筋論の行方も見えないのか・ボケ。おかしないいがりをつけるな。

>ライバル(直接対峙もしていないがw)だったからとかは
ほれ。直接対峙もしていないの関わりがあったはすがなかろう。後先もみえんぼんくらが。

>呉の孫氏の場合と条件は一緒、臣下の墓から神獣鏡が出てくるのも一緒だ。
だ・か・ら。呉は天師道とは長江を通じて近かったし、太平道とも距離的に近かった。
遼東と横並びで比較する思考回路が理解できん。おまえ・そうとうに頭が悪いな。

>トボケないで!神獣鏡を葬具として受け入れたのは倭での話でしょう。
銅鏡は倭では、神宝であり、祭器であり、明器だ。ここを分別しないと混同した議論になる。
トボケも何も、お前が支離滅裂なのだ。

>楽浪で神獣鏡が造られるか否かの話とは直接関係無い。中国での扱いは、あくまでも世俗品。
ふざけるな。現代人の価値観と見識で古代の信仰精神を愚弄するか。外道

>呉での神獣鏡の扱われ方について、「張角」の太平道のメッカ」と外れたレスが帰ってきました。
>それに対するレスです。自分で外しといて「お門違い」は無いでしょうw
ただの掛け合いになってきたぞ。それに、俺の丁寧な説明を半分も理解していない。

つづくぞ
0137良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 11:27:00.14
>>135
>張魯や張角は神仙思想集団の一派に過ぎない、神仙思想に依拠しているが、二人だけの専売特許ではない。
あのな。俺にいうほどにお前は何も根拠説明・論拠提示がないまま、むつ論めいた憶測ばかり並べるが、
それで反論になってるとでも思ってるのか。なんだその「一派に過ぎない」「専売特許ではない」て。
きちんと具体的な証拠をのべてからいえ。

>つまり、神仙(例えば神獣鏡嗜好)を受入れたからと言って、
>「中原の覇」を競う「ライバル」を受入れる必要はない。
だからナニ。遼東でも受け入れられていたし、神獣鏡をつくったてか。バカが使う飛び石論法だ。
ごちゃごちゃはいいから、証拠をあげろ。

>呉の朱然の墓からも楽浪の官人墓からも他の生活用品と一緒に神獣鏡も普通に出てくる。
>ともに神仙嗜好が、広く受入れられていた証であり、両者に違いは無い。
だからナニ。遼東でも受け入れられていたし、神獣鏡をつくったてか。バカが使う飛び石論法だ。
ごちゃごちゃはいいから、証拠をあげろ。

>よって、
ナニに「よって」だ。何の論理も通っていないが。
「いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない」。
正論だろうが。文句がれば、「あった」とする状況証拠でももってこい。
「出土するからそこで造られた」なんてのは状況証拠とはいわんぞ。バカの足し算・引き算的思考の産物だ。

>何の説明にも、論拠にも為っていない、これで為っていると思うなら、それは単なる思込みです。
なにでもいいから、筋の通った話をもってこい。お前は頭が悪い。
ま・唯物考古にちょっかいを出す奴は、概して論理性が欠落している。
そのくせ、単純な加減計算めいた思考を論理だと誤解して自惚れている。
0138良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 11:40:16.75
>>135
さて・ぼんくら。
このごに及んでも、俺は膨大な資料背景をもって論理的説明を書いてきたが、
これに対してお前は、ただ否定文言を並べるだけだ。そんなことなら誰にもできる。
だがそれは、陽のあたる場所では通用しない。

そしていうことときたら、
「呉で支配層の一部が受け入れていたから遼東の公孫氏も受け入れていた」などととう、
場所と状況と当事者が異なる事例をそのまま横滑りさせるバカの帰納法だ。
俺がやり合った奴の圧倒的大多数が、
この手の「論拠ねつ造」による間違った論証をみせたもんだ。分析と対応も慣れたものよ。
その中でもお前は特別程度が悪い。

ものの道理というものが分かる奴は、
こういう「私は単純・短絡脳です」と白状するも同然のバカげたことはしない。
0139日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/29(日) 12:39:04.59
うん、たいしたもんだ
それだけ自信があるならキミの論がパクられないうちに自費出版でもするか学会に論文を送りつけるかしてみなよ

まあ当然,まともな学者はみんなスルーだろうけどw
うまくいけばdでもとしてウケて人気者になれるかもよww
0140116
垢版 |
2012/04/29(日) 12:58:21.55
>>136

貴方の主張は「ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
歓迎したり奨励することはあり得ない。」だ。
何故、”あり得ない”のかと言う説明が成立しないと言う話だ。
楽浪で神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されたとすると、何故、天師道を歓迎したことになるのかね?
そして、呉では神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されても、天師道を歓迎したことにはならないわけだw

> 筋論の行方も見えないのか・ボケ。
見えて無いのか、ボケてるのか判らないが、筋道をずらすのは貴方。

> >楽浪で神獣鏡が造られるか否かの話とは直接関係無い。中国での扱いは、あくまでも世俗品。
> ふざけるな。現代人の価値観と見識で古代の信仰精神を愚弄するか。外道

愚弄してるのは貴方。位至三公なんて書いてある鏡が天師道の「神宝」なのか?
漢字を解さない倭人と一緒くたにしちゃいかんw

間違いは、100回書いても間違い、思い込みも100回書いても、思い込みのまま。
こんな簡単な真理が、貴方には理解できないみたいだけど・・・・
0141良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 13:16:20.41
>>140
>何故、”あり得ない”のかと言う説明が成立しないと言う話だ。
じゃ「ない」と訂正しよう。実際にあったという証拠が皆無なのだしな。

>楽浪で神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されたとすると、何故、天師道を歓迎したことになるのかね?
十分に説明したが、やはり半分も理解していないようだな。外道
神獣鏡は天師道(と太平道)とセットのツールだからだ。宗教的精神性を色濃く背負った器だ。

>呉では神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されても、天師道を歓迎したことにはならないわけだw
理屈と分別が分からん野郎だな。こっち太平道が盛んだった地域だ。

>見えて無いのか、ボケてるのか判らないが、筋道をずらすのは貴方。
自分が頭悪くて筋論が見えないものを、他人のせいにするな。

>愚弄してるのは貴方。位至三公なんて書いてある鏡が天師道の「神宝」なのか?
「位至三公」は古来から中国ある鏡信仰の時代からの吉祥句だ。
はちゃめちゃな鏡づくりの経緯をみれば、銘文のパクリや混乱などザラだろうよ。

>漢字を解さない倭人と一緒くたにしちゃいかんw
偉そうな口だけはやめられんようだな。

>間違いは、100回書いても間違い、思い込みも100回書いても、思い込みのまま。
だから、間違いであることを宗教文化の観点から潰しみせろ。口先だけの否定などたくさんだ。

>こんな簡単な真理が、貴方には理解できないみたいだけど・・・・
こんな簡単な道理さえ実行できんタコが。  
0142良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 13:18:26.65
>>140
どんな仕事をしているのかは知らんが、職場で自分の意見をいう機会があるだろう。
あるいは報告書なり企画書なりを提出することがあるだろう。
そのとき、結論を先にいうにしろ最後にいうにしろ、
そこに至る経緯や背景として「かくかくしかじか」「だから・こうだ」となるはずだ。
お前は、意見のいい方・説明の仕方を知らんのか、
今回の場合は論理的に否定するだけの確かな論拠がないせいか。
ただの憶測めいた結論による否定文言だけか、単純加減計算的飛び石論法による結論しかいわない。

●相手の意見を否定し潰すには、相手の論拠や論理を潰すことだ。
(俺は自分の意見や結論をいうときは、最低限、そこに至る経緯を併示している)。
その俺の論拠や論理を潰すには、俺を超える論拠や論理が必要になる。そんな奴は皆無に近い。
(100ある中から1つか2つの例外的事例をもって、
それが通例でもあるかのようにして論拠を否定しにかかる邪道手法もあるが俺には通用しない)。
それが分かっているから、勝負ははじめから見えているのだ。
0143良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 13:22:18.81
>>140
●神獣鏡の流行は卑弥呼登場以来のものだろう。
彼女は190年ごろに女王になる。この時点で鬼道をマスターしていた。大陸で最も盛んになる時期だ。
中国古来の森羅万象の学問たる道学(黄老学)を集大成した道書による天師道をマスターするには、
高度な中国語的素養と幅広い知識が求められる。
卑弥呼が生粋の倭人だとすれば、これが可能だったか否か。
卑弥呼に鬼道を伝授した者は倭人だったか否か。

190年ごろにマスターしていたという事実と、
こうした人的環境と時間的関係から、
彼女が倭地でマスターしたという可能性はゼロに近い。

●卑弥呼と・鬼道と・神獣鏡。いつ・どこからやってきたのか。
「何となく卑弥呼」「何となく邪馬台国」のアマちゃんには刺激的すぎるかも知れないが、
これも現実論としての大きな命題だ。
鏡を語る学者から末端のぼんくら素人に至るまで、こういうことを置き去りにしきた。
お前などとは、立ち位置もモベーションも格も違うぜ。
0144116
垢版 |
2012/04/29(日) 14:03:05.39
>>141

>>楽浪で神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されたとすると、何故、天師道を歓迎したことになるのかね?
>十分に説明したが、やはり半分も理解していないようだな。外道
>神獣鏡は天師道(と太平道)とセットのツールだからだ。宗教的精神性を色濃く背負った器だ。

「宝器」はやめて、今度は「ツール」ですか?

>呉では神獣鏡が造られ、官人の墓に副葬されても、天師道を歓迎したことにはならないわけだw
理屈と分別が分からん野郎だな。こっち太平道が盛んだった地域だ。

だから・・・太平道が盛んだったら何なんですか?
何の説明にもなってませんよ。
貴方の書込みを読んで、もどかしく感じるヒトは多いと思います。

まさか、朱然は太平道の教徒だったとか言いたいわけですか?
違いますよね、神仙嗜好が有ったと言うだけ、それは楽浪官人でも同じこと。
だいたい、黄巾は全国規模の動乱でしょうに。
だから「こっち」がどうのこうのと言うのは単なる言い訳。

>愚弄してるのは貴方。位至三公なんて書いてある鏡が天師道の「神宝」なのか?
「位至三公」は古来から中国ある鏡信仰の時代からの吉祥句だ。
はちゃめちゃな鏡づくりの経緯をみれば、銘文のパクリや混乱などザラだろうよ。

だから、楽浪や江東の神獣鏡は「宝器」でも「祭器」でも無いんでしょう。
神仙は吉祥句同様にパクった単なる意匠、なんだ、自分でもちゃんと判ってるじゃないですかw
いろんなサイトから気に入った文章をパクッて中身も理解できないままもっともらしいこと書いてるつもりのヒトと同じだwww




0146良ババ
垢版 |
2012/04/29(日) 14:12:43.83
>>139
>自費出版でもするか学会に論文を送りつけるかしてみなよ
もう10年も前からホームページで開示してきた。
こうやって底辺にツラだして説いてるのも、発表の場として活用してるのよ。
俺がはじめて発表したという事実を残すためによ。

>まともな学者はみんなスルーだろうけどw
何も知らんのがよくいうぜ。愚かな発言でバカさ加減をさらすな・タコ。
いかに優れた論説といえど、素人見解を専門学界がとりあげることはない。
それが奴らのメンツであり、生き残り策でもあるのだ。
もとより・こっちは百も承知。大きなお世話だこの野郎。

ときたま・畿内説考古学者の教え子か、マイナー研究員か学芸員か、
「畿内説のひも付き」すと思う下っ端が登場するが、
どいつもこいつもアホばかりよ。
いま俺にかまってる名無しもそうじゃないか? 
思考回路に不具合のある・かなりアホだもの。けらけら



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