三角縁神獣鏡は誰が作った?4
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≪から3を作りました≫
三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?
魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
C尚方でない
日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など
皆さんはどうお考えですか? >>467
「お墨付き」の類いをそのまま鵜呑みにするしかできない哀れな輩もいるよね。
何のこともない、骨董品詐欺師にアッサリ引っかかる間抜けな手合い。
その手のが、無能なくせにプライドだけ高いと、骨董品詐欺師にアッサリ引っかかった
ことを頑として認めないどころか、あの手この手で「真正品」だと強弁するから始末に
負えない。挙げ句の果てに傍証を作ったりするのもいるらしい。
ま、科学とは縁もゆかりもない信仰の世界らしいから、「そんなのが当たり前」かも
知れんけど。 追記、先述の文献の一文に
『 昔、魏ハ倭国ニ酬(はなむけ)スルニ、銅鏡ノ●(金偏に甘い)文ヲ止メ…』
とあり学者はこれの意を
>倭国にとって禍々しい模様や銘文を刻むのをやめて、彼らの好むような銅鏡を作ったあげたと読める
…としている。
要は贈り物としての効果を最優先したという話しだな。
オーダーメイド=特注品の可能性もあろうし「お取り寄せ」の可能性もあるだろうとw
結局「中国で一枚も出ていない」を繰り返している奴は
ペテン師かペテンに合う頭の弱いやつでしかない。
中国で一枚も出ていないというのなら
当然その分母は中国での出土数だ。
魏代の鏡が100枚出ていてその中に神獣鏡が一枚も出てなければ0/100、1000枚なら0/1000。
小学生でも少し考えれば分かる理屈。
こりゃダメだw
ローガンって阿○は日本語が分からないらしい
畿内説はこんなのばっか
議論はできんのか?
>>468 ロレツ君
お前さんの大好きなロレツが回っている・いないじゃなくて
>>470に挙げた「銘文を止め」とまであれば元々銘文なんかに留意もされてなかったろうって話だよ。
お前が言っているのはその銘文に皇帝の威信なり何なりがかかっていた時の話だ。
果たしてそういうことの伺える傍証の一つでも出せ。
実は何の根拠もない事を自明の理として疑わないのは脳の硬化した年寄りには楽なのかもしれないがwww
>>457
>普通は中国から出たら中国製、出なかったら国産と考えるべきだよ
>>117:良ババ
>バカづらさげて、「出土するからここで造られた」と、
>短絡・単純な考古所見を疑いもせず孫引きして、それを「知識」だと錯覚してやがる。
まずは伊作ちゃんと、意思統一をはかりなさい。 >>473
「銘文なし」というのが間違いない事実だったなら、「銘文なし限定/それ以外は全て偽物」
というだけのことでしょ。
骨董品詐欺師だけあって、すり替えが実にうまいな?
「銘文なんかに留意もされてなかった」からといって、「ロレツが回らないデタラメもありえた」?
何それ?
三角縁という積み上げても大丈夫な形状は、
初めから量産を意識している鏡だ。
かなりいいアイデアだと思うが、
それを取り入れた中国鏡はあるのだろうか?
当時の日本人が単独で思いついたものとは思えないわけだが、
日本に来た職人が思いついたのだろうか? まあ、いずれにしても・・・三角縁神獣鏡の起源は大陸にあるんじゃないだろうか。
そして、三角縁神獣鏡は海を渡ってきた「舶載」と位置付けるべきと思う。 三角縁という便利な形状が、魏の官製工房で作られたとしたら、
その後の魏鏡に影響を与えても不思議はないのだが。 >>479
中国では、鏡を祭祀として使うという文化がないんですよ。
だから△鏡みたいに大きなものではなくてもいいし、
ありゃ〜ワの為に造られた、特注品でしょうな。
だから〜魏鏡に影響を与える、与えないの問題じゃないんですよ。 >>476 恨み節なロレツ君
つうかねえ「止メ」を「銘無し」としてまで意味を限定できるのか自分には分からない。
がTLVの様な幾何学的模様より「わかりやすい」神獣鏡が倭人に受けが良いと事前リサーチで分かった場合
そこにお前の言う「ロレツの回らない」銘があったとてそれを削ったり新たに銘のない鏡を作る必要もないだろう?w
で結局じゃあきちんと「ロレツの回った」銘の鏡である必要を思わせる傍証も何も出せない。
そもそも魏鏡はどんなものだったのか?を資料を出して説明もできない。
それでも「国産で決まった」といまだ舶載説があることにヒステリーを起こしているとwww
特鋳とか言い出したら、何でもありだな。
宇宙人に頼んで作ってもらったと言う説でも理屈上は可能だ。
>>481
舶載の可能性はゼロではないけど、10の50乗分の1くらいの小さい可能性でしかない。
普通はそれを可能性ゼロというのだろうけど。
>>482
むしろ「特鋳じゃない」と言うなら卑弥呼の鏡は当時の洛陽に潤沢に…とまでは言わずとも
ありふれた鏡の中からチョイスされたという話だろうから
じゃあそのありふれた鏡の数十枚ぐらいは出土してるんだろうな?と言う話になるわなw
というよりも、中国で見つからない以上、
特注品か国産品しか選択肢はないだろう。
で、国内で鋳型も出てる以上、まず国産品だろうと。
>>485
母集団たる「魏の鏡」そのものが見つからないなら三角縁神獣鏡が見つからないのは当たり前。
魏の代に魏で作られた鏡はいっぱいあるよ。
三角縁はないけど。 >>487
ソースは?
そもそもそんなものがあればとっくに話にケリが付いている。 まさかとはおもうが、>>488 は魏で全く鏡が作られていないと思ってるのか?
日用品としても普通に必要だろう? >>480
それじゃ、最初に結論を決めておいて、それに合うようにこねてるだけと何も変わりないんだけど? >>489
もうね、脊髄反射で書き込むなよ阿呆。
例の邪馬台□の会と京都大阪の青龍銘鏡が出てきたなw
中国のどこから出土したもので何をもってそれが魏代のものとされるのか具体的に言ってみろよカス。
>>481
こりゃ完全に詐欺の手口そのものだな。常習犯だけあって、さすがに堂に入ってますな。
> 神獣鏡が倭人に受けが良いと事前リサーチで分かった
・・・から、
> 「ロレツの回らない」銘
があるものもかき集めて渡した と。
その根拠は、「神獣鏡」が、まさに魏から贈られた鏡だからである と。
お前の言う「ロレツの回らない」銘がある鏡は、いったいどこから掻き集めたというのか?
「神獣鏡」が、まさに魏から贈られた鏡だから、当時に魏で掻き集めたに決まっている?
そもそも魏鏡はどんなものだったのか?
資料を出して説明もできない。
当然だよね、「資料を出して説明」なんかしたら、自分が「魏から贈られた鏡」と
強弁しようとしているものと似ても似つかないから、都合が悪いので故意に伏せる。
うまい手だよね、引っ掛かるのもいるだろうな。 >>492
いつもの手口が通用しなくて興奮しているのは分かるけど、見苦しい署名を入れないほうがいいよ。
宗教の折伏かなんかではない、科学的な論議のつもりなら、もうちょっと冷静に。
>>493 恨み節なロレツ君
>そもそも魏鏡はどんなものだったのか?
>資料を出して説明もできない。
>当然だよね、「資料を出して説明」なんかしたら、自分が「魏から贈られた鏡」と
>強弁しようとしているものと似ても似つかないから、都合が悪いので故意に伏せる。
自分が資料を出せないから 逆 切 れ かwww
火病を発症して何か勘違いしてるの伏せるも何も俺は最初から「そんなものは知らない」といっている。
要は後漢と晋の間の魏代のいつ頃に銅鏡制作組織が立ち直ったか?だ。
日本の青龍三年(235)銘鏡をそれ自体は模倣鏡としてもその紀年はオリジナルのままの正しいものとし
青龍年間に再開されたとしても景初三年(239年)まで僅か4年。
倭人の好みに合わせて百枚ほどをつくれるぐらいに軌道に乗ってたかどうか?
「国産で決着済み」と金切り声を上げているゴミクズレベル九州説どもから
きちんと魏代の鏡の出土例・資料を十分に挙げてもらったなら大きく国産説に寄ることに何ら躊躇うことはない。
>>495
もうちょっと冷静に。
興奮のあまりにロレツが回らなくなってるようだが・・・
> 火病を発症して何か勘違いしてるの 伏せるも何も俺は最初から「そんなものは知らない」といっている。
かもしれないが とかが抜けてないかね?
「火病を発症して」るのは、お前だろ? 冷静を欠いたら駄目だぞ?
子供の頃から嫌というほど言われてるだろ?
さて、「金切り声を上げているゴミクズレベル」は、果たして誰のことかなぁ?
ちょっと観察を続けてみましょうか。 で結局ここまでと言うか今まで
ゴミクズレベル九州説から中国出土の魏の鏡の事例は一件も提示なし。
あるのは「国産で決着済み」という空念仏だけw
>>498
興奮のあまりにロレツが回らなくなっていたことに気がついたなら、訂正したらどうかね?
「金切り声を上げているゴミクズレベル」君。 >>499
つまらないツッコミするなよ低脳ゴミクズ。
話は簡単
「これこれこう言う資料で魏代も後漢時代と変わらない鏡が作り続けられたことが証明される」
という資料を出せば良いだけ。
それが出せないのなら国産・舶載両方の可能性を考えておくのがまともな思考。
少なくとも「国産で決まり」喚くのは理論的でも科学的でも常識的でもない。
まあゴミクズレベル九州説にまともな話が通じるわけもないがw
つまり、魏鏡などは存在しない。
当然ながら三角縁も魏鏡ではないし、証明もできない。
という結論だな。
>>501 そうなんだよね。
魏では基本的に漢の鏡を引き継いで新しいものはほとんどない。
しかも鏡の出土量自体が少ない。
これには魏は極度の銅不足で、貨幣の鋳造も滞っていたという事情も影響している。
この状況は呉を滅ぼして銅の供給が回復するまで続いた。
この状況で大型の銅鏡、それも新型のデザインの鏡を日本に大量に寄贈したと考えるのは、
よっぽどのバカだな。特鋳とかいうのは、論外。
>中国出土の魏の鏡の事例は一件も提示なし。
つまり、三角縁が舶載の魏鏡である事も提示できない。
国産説が妥当だな。
多分かなり後世に呉が滅びた時に職人が日本に来たのだろう。
まあ、何度となく言われ続けた結論だ。
三角縁が、魏鏡であることを証明する以前に、
魏鏡が存在するかどうかの証明が必要なのか。
随分と先は長そうだな。 まあ、魏の時代にも鏡が作られはしていただろうが、どれが魏鏡か分からない状況で、
三角縁を魏鏡と主張するのもあほらしい。
知り合いが所有する洛陽博物館発行の『洛陽出土銅鏡』には、
漢式鏡ばかりで神獣鏡は1枚も掲載されていない。
(洛陽近郊から呉式神獣鏡が1〜2枚出土した実例がある。
それは、神獣鏡の本場だった広漢で造られたものである)。
もう1冊は『鄂城漢三国六朝銅鏡』という本だが、
これは、鄂城(長江流域の湖北一帯)から河口に至る流域でつくられた、
「漢・三国・六朝時代の銅鏡」という意味だと思われる。
ここには、日本では見ることのないさまざまな神獣鏡が網羅されている。(銘文も多様だ)
むろん、日本だけで出土する「有名な」三角縁神獣鏡はない。
わが国で出土している魏の年号が記された鏡の図柄の比較
・青龍三年 (方格規矩四神)
―――――――――――――――――――――――――――
・景初三年 (神獣)
・景初三年 (神獣)
・景初四年 (盤龍)
・正始元年 (神獣)
一目瞭然。魏の官製工房が復活したのは明帝の青龍年間で、
復活し立ての官製工房で製作されたのが「方格規矩」という中国古来の図柄だろう。
畿内説は「突然」が好きだから、
景初年間になって突然神獣鏡に変更したとでもいうのかなー? 神獣鏡といっても、製法・完成度・鈕の形・銘文などまちまちで、色んな人の手によって造られている。
●銘文をみただけで作り手が異なるという事例。
・島根県神原神社古墳出土の景初三年紀年鏡
「景初三年、陳是作鏡、自有経述、本是京師、杜地命出、吏人銘之、位至三公、母人銘之、保子宜孫、寿如金石兮」
・群馬県柴崎蟹沢古墳出土の正始元年紀年鏡
「正始元年、陳是作鏡、自有経述、木自猟師、社地命出、寿如金石、保子○○」
※正始元年鏡の銘文は、陳さんの景初三年鏡の銘文を別人が写したものだろう。
写したのはいいが、漢文を熟知していたかどうかも疑わしい。
・国分茶臼山古墳出土の三角縁神獣鏡
@「□作明竟 幽煉三剛 銅出徐州 師出洛陽 彫文刻鏤 皆作文章 配徳君子 清而旦明
左竜右虎 転生有名 師子辟邪 集会並王父王母 游□聞□□□子孫」
A「吾作明竟〔君〕真大好 浮由〔官〕天下 □四海〔高〕用青同 至海東〔宜〕」
これらの鏡は、銘文を見ただけで作り手が違うことがわかる。
三角縁神獣鏡には色んな人の手による質の異なる作品があることを前提に議論したほうがいい。
製法・完成度・鈕の形・銘文などまちまちで、
色んな人の手によって造られている。
その三角縁神獣鏡を「誰がつくったか」なんてボケスレは、
本日よりさほどの日数をおくことなく閑古鳥が鳴くことだろう。 >>507 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
よろしい。(少しは整理してきたか?w)
日本(京都・大阪)で出土した青龍三年銘鏡を魏鏡とするんだな?
(模倣鏡としてもオリジナルの方格規矩四神鏡にあった年号はそのまま模倣されたとするでいいのかな?)
じゃあ何故同じ日本で出土し、同じ魏の年号がある、それ以後の神獣鏡を同じく(少なくともオリジナルは)魏で作られたとしないのか?
その根拠が何もない。
何が「一目瞭然。」だ自己完結してんじゃねえよ小学校に戻って日本語の使い方からやり直してこいドアホウ。
結局は「魏では神獣鏡は作られない」という前提に立った一種循環論法。
当時の魏ではどのような鏡が作られていたか?神獣鏡の可能性はありや無しや?
↓
方格規矩四神鏡のような後漢時代と同じもの。
日本で出土した青龍銘鏡がその証左
↓
同じく日本で出た魏年号の神獣鏡があるが?
↓
それは魏で作られたものではない。
魏では神獣鏡は作られなかったからだ。
↓
その前提は何によって証明されるのか?←馬鹿によって始めに戻る羽目に…
>さほどの日数をおくことなく閑古鳥が鳴くことだろう。
無様な捨て台詞ご苦労、さようならボケ老人。
ちなみに>>507であがっている紀年鏡は景初四年の盤龍鏡が辰馬考古資料館のもので
「伝・宮崎県持田古墳出土」とされいてる以外全て九州伊東(京都・大阪・島根・群馬・山口・兵庫)
「魏の紀年鏡」という話になると何故か九州はお寒い状態になる(もっともヤマトにもないが) >多分かなり後世に呉が滅びた時に職人が日本に来たのだろう。
呉の滅亡が280年、それでも3世紀 。
問題は舶載説の学者の言う三角縁神獣鏡に見える華北地域の特徴を如何にインポートしたか?だが
それらが280年以後も続いて大陸にあったなら時間的余裕もあろうが
舶載説の福永によれば外周突線と長方形鈕孔の組み合わせは西晋泰始七年(271)の銘を持つ北京市の某所から出たものがほぼ下限となり
仮に国産説に立ってもそこから大きく下るのは考え難いとのこと。
亡命呉人による国内での製作開始もあまり時間的余裕はなさそうだ。
あと鈕孔形状については例えば踏み返したからと言ってトレースされるものでもない。
渡来工人による国内での製作を考えるとしても呉人よりは華北魏の領域からの工人渡来を想定したほうがこの場合理屈には合う。
>>508
実際作り手は違うんだろうけど、
> これらの鏡は、銘文を見ただけで作り手が違うことがわかる。
これは極論すぎるのでは?
Tシャツの文章見て製造会社当てるような乱暴な話では?
>>513
麻薬撲滅Tシャツに、大麻とかの絵が描いてあるのと、タンポポかなんかの絵が描いてあるのがあったら、
どっちが怪しいかは一目瞭然、とかいうことはあるから。
そういや、国産品の模造品で、説明書に旧字が混ざってるのもあった。 >>513
>これは極論すぎるのでは?
極論というより…
>>508には「※正始元年鏡の銘文は、陳さんの景初三年鏡の銘文を別人が写したものだろう。写したのはいいが、漢文を熟知していたかどうかも疑わしい。」と。
云わんとする事は、漢文を知らない工人が景初三年鏡を写して(真似て)正始元年鏡を作った可能性を考えろ…でしょう。
でも、この両鏡の銘には大きな違いがあるので、写した(真似た)という関係を2鏡間で考えるのは、ペケですな。 >513
>Tシャツの文章見て製造会社当てるような乱暴な話では?
ずいぶん安っぽい横じゃりだが。短絡極論すぎるのはお前だ。
・島根県神原神社古墳出土の景初三年紀年鏡
「景初三年、陳是作鏡、自有経述、本是京師、杜地命出
・群馬県柴崎蟹沢古墳出土の正始元年紀年鏡
「正始元年、陳是作鏡、自有経述、木自猟師、社地命出
両者が漢文として成り立つ読みをしてみせてくれ。
そうすれば、「Tシャツの文章」とどう違うのかも自ずとわかる。
>>515 ローガン。
「この両鏡の銘には大きな違いがある」ではない。
明らかな間違いか、もしくは異同がある。
同じ人物がつくったのなら、こんなバカげた異同記銘をやらんだろ。
なんでもいいから、こんなゴミスレは放置して消せ。 >>516:上昇気龍
>「この両鏡の銘には大きな違いがある」ではない。明らかな間違いか、もしくは異同がある。
いや、そういう事じゃなかよ。 景初三年鏡の銘文は左回り、正始元年鏡は右回り。
何も知らん者が真似しただけなら、逆にせんでしょう。 >景初三年鏡の銘文は左回り、正始元年鏡は右回り。
同じ奴がつくったのなら、逆にせんだろ。
毎度のことながら、なんか少しズレてるぞ。 >>518:別格
私は「この両鏡の銘には大きな違いがある」と言ってるんだから、同人製作を否定しているんだけど。
私の指摘は、「手本→写し」を直接2鏡間に求める別格の理路に対するもの。 >>518
> 同じ奴がつくったのなら、逆にせんだろ。
意味をほとんど理解できてない場合、
・完全にコピーすることに成功
・逆さまにしちゃう
どちらも起きうるし、混在しても不思議ないだろ?
だから同じ製作主と主張しているわけじゃない。論理的に飛躍しているというだけ。
さっき図書館で古代の書の本を読んだばかりの付け焼刃なんだが、
木簡や象嵌された銘の書を分析すると、
5世紀くらいまでは、漢字の意味がまだわからなくて、ただ模倣している場合や、
なんとか意味は理解しても、文章として成り立ってない場合が多いそうな。
万葉仮名も含めて、整った文章をかけるようになるのは、
7世紀に近くなってからだとか。
その本では、古代の書から推測すると、音の数はもっと多かった。
神代文字では50音にちかい字数なので、かなり後世のもので、
古い文字ではないと一刀両断していた。 6世紀後半の戸籍の木簡が出てきたみたいだけど、
日本での使いこなした文章の例としては、
そろそろ上限かもしれないね 九州年号が6世紀前半から始まっているけど、
これは、文字を使えるようになってきて、
王朝を運用させることが可能になってきたからかもしれないね。 >>521
4世紀の国産鏡では漢字を文字として認識しておらず訳のわからない記号になっている
まともな漢文としては5世紀になってからの「王賜」銘鉄剣が最古の例かな
鏡の銘文だと隅田八幡神社画像鏡まで下がるかな >>521
「ナウいデザインだっぺ」とかいいながら、ラーメンどんぶりの模様みたいなつもりで適当に散りばめたとかさ。 五世紀の倭王武の上表文は、比類なき銘文。
漢字を習ったばかりの国家が書けるシロモンじゃない つてをたどって、中国人あたりに書かせたのかもしれないが、
漢字を使えるか使えないかの時代に、それだけ立派な文章を
書いたということは、相当重要な案件だったということだろう。
上奏文に対する気合がうかがえる。 一世紀に漢委奴國王の金印をもらった国家が
その印文を読めなかったとは思えん。
仮に読めなかったとしても、すぐに学習しただろよ。 ごく一部は読めただろうけどね。
朝廷クラス+各地方庁官僚が、文書で
連絡を取り合わなければならない場合、
相当の人数が読めなければ国家運営が出来ない。
まあ、常識的に考えて、木簡が出だした時期が、
文字と文章が定着した時期と考えていいだろう。
使えるようになるためには、それなりの過程を経る
必要があると思うよ。 >漢字を習ったばかりの国家が書けるシロモンじゃない
>>527 つてをたどって、中国人あたりに書かせたのかもしれないが、
偏遠、祖禰、跋渉、融泰、累葉、朝宗、見吞、邊隸、虔劉、寇讎、壅塞、控弦、
垂成の功、諒闇、偃息、虎賁、覆載……。
これだけの難解な言語を使いこなすのは、当時の中国にも決して多くはなかったろうぜぇ。
そうとうに優秀な中国人文筆職能者を擁していたと思われるぜぇ。
熊本の江田船山古墳出土の銀象嵌鉄刀の所有者は无利弖(むりて)、
刀を鍛えたのは伊太加(いたか)、銘文を書いたのは長安とあるぜぇ。
所有者と刀工は倭人で、文字原稿を書いた長安は文筆職能の中国人のようだぜぇ。
>>529 一世紀に漢委奴國王の金印をもらった国家が
>>530 ごく一部は読めただろうけどね。
朝献・朝貢にはきちんとした上表書がつきものだぜぇ。
漢字を知らなきゃ「漢字外交」はできないぜぇ。
3世紀当時、倭人が漢字名称を使っていたことを思わせるのが、
「大率・大倭・持衰」といった名称だ。これは中国人がつけたのではないぜぇ。
対馬も、同じ形をした同じ大きさの島が向かい合っている事から「対島」と読んでいたんじゃないか。
●文字だ木簡だと枝葉な飛んでるが、本題に戻すぜぇ。
三角縁神獣鏡は色んな奴が、色んな製法と技術でつくってる。その実例がこれだったわけだ。
・島根県神原神社古墳出土の景初三年紀年鏡
「景初三年、陳是作鏡、自有経述、本是京師、杜地命出、吏人銘之、位至三公、
母人銘之、保子宜孫、寿如金石兮」
・群馬県柴崎蟹沢古墳出土の正始元年紀年鏡
「正始元年、陳是作鏡、自有経述、木自猟師、社地命出、寿如金石、保子○○」
漢字を知ってるとか知らないとか。読めるとか読めないとかは習熟度に個人差があるものだ。
正始元年の鏡は景初三年の陳さんの鏡を模写したが漢字の習熟度がいまいちだったらしく、
文字を間違えてるわ・意味がなっとらんわだから、別人が作ったとゆってる。それだけのことだ。 さて枝葉ではあるが。
倭人がある程度は漢字名称を使っていたらしいことは分かった。
そこでだ。
倭国30ヵ国の中で、
倭人が舊奴国(旧奴国)と読んでいたものを、倭人伝が狗奴国と書いたとしよう。
(倭の奴国以来の旧臣・重臣・遺臣が中心となった国というわけだ)。
そう考えたとき。
卑弥呼と卑弥弓呼が何やら姉弟か血族を匂わせる名であること。
素(根源的な何か)が原因で不和だったこと。
そして、狗奴国が男王担いで女王国と紛争を興したこと。
何やら、倭国の王位継承問題とか支配権問題に集約されるんじゃないか?
>>532 伊作
このスレの趣旨から外れた内容、スレ違いだ。
>正始元年の鏡は景初三年の陳さんの鏡を模写したが漢字の習熟度がいまいちだったらしく、
>文字を間違えてるわ・意味がなっとらんわだから、別人が作ったとゆってる。それだけのことだ。
王の側近クラスなら立派な銘を書ける職能も抱えているだろうけど、
そういう人の 「監修を受けていない鏡」 であるとも言えそうだね。
部下や地方の職人が私的に作った可能性もあるな。 >>534
なにしろ。当代一の人気商品・売れ筋商品だからして、
ひと山当てようって「商売人」が出たところで不思議でもない。
なにしろ。
生身の人間が生きた現実が「歴史」だから・よ。 500枚以上出てる△神獣鏡はやっぱ国産じゃね?
中国皇帝からの下賜品は当然貴重だったと思われ、そんなレアなプレミア品をアホみたいに、ドッサリ棺に入れるかな?例:黒塚古墳
やっぱり大和朝廷お抱えの呉の職人が初めて国産化に成功した(模)倣製鏡を、死に際して大王からのお悔みとして配布、
菊の花みたいにドッサリ詰め込んだんジャマイカ?
そして貴重だった下賜品はせいぜい頭に1枚、大事に入れるのが自然だろう。
1950年代のアメ車と国産初のトヨペットクラウン、VWビートルとスバル360を思い浮かべれば解りやすいかもw
当時のアメリカ人やドイツ人にして見れば、猿にも車が作れるのか?という驚愕だろう。 貰った100枚のうち、金、銀、石玉が象嵌されたものがあったかどうか? >>531
「漢字外交」なんて、代書屋にやらせりゃ良かろう。
「大率」は「一大の率」ではないか。 >>536
>やっぱり大和朝廷お抱えの呉の職人が初めて国産化に成功した(模)倣製鏡を、
???ひょっとして倣製鏡の始まりを三角縁神獣鏡、あるいは畿内ヤマト王権に見ている?
先に出ていた方格規矩四神鏡なんかにしても平原の32面全てが国産である可能性が指摘されていたりするわけだが…
どの道「卑弥呼の鏡」が神獣鏡であったとしても現在出土しているものの中に1枚あれば上等。
下賜品としての鏡は後にも先にもその百枚だけだった可能性があるんだから…
景初三年239年の10年後には司馬懿のクーデターが起きる。
どの道、魏と邪馬台国の蜜月期は長くない。
平原の、中国でルーツが見える方格規矩四神鏡が倣製鏡なら、
中国のルーツさえ見えない三角縁は、まず間違い無く国産ということになりますな。
平原の内行花文鏡も倣製鏡があるらしいので、技術的には
三角縁が国産であることはまず間違いないでしょう。
>>538
>「漢字外交」なんて、
お前には高尚すぎる言葉だ。頭に悪いからかかわるな。
>「大率」は「一大の率」ではないか。
一女子は「一女の子」か。……あっちいってろ。
三角縁神獣鏡は誰がつくったのか。色んな奴がつくった。
「はい・おしまい」
中国車なんて一昔前では考えられなかったが、欧州メーカーとの提携で信じられないほどレベルが上がってきている。
韓国車も、デザインはイタリアでリストラされたイタリア人に、車両開発はドイツでリストラされたドイツ人に、品質管理は日本でリストラされた日本人に、
それぞれ担当させることで、高品質低価格を実現し、欧米での売り上げを伸ばしてきている。10年前まで考えられなかった事態だ。
本国でリストラされた技術者を招いて、それまであり得なかった高品質・低価格で実現でき、今や日本メーカーを脅かす程に成長したわけで、
それと同じようなことが△神獣鏡で起こったと想像できる。
つまり呉から逃れてきた職人をヤマト王権が召抱え、職人は新天地でまた仕事ができる意欲に燃えて、
日本人には造れないような渾身の鏡を作ってヤマト王権の恩に報いた、という図式ではないか? >>541
ものはついでだ。本物の研究者の片鱗をみせる。
「大率」について中国歴史書は3通りの用例がある。
@『史記』が「大いに率いる」という動詞に用いている。
(單于聞之大率衆来入)。
A『漢書』が、「あらまし・およそ」という熟語に用いている。
(県大率方百里、大率十里一亭)。
B『隋書』百済伝が、百済人の官位に「大率、恩率、コ率......」があると書いている。
(官有十六品:長曰左平、次大率、次恩率、次コ率……)。
百済と倭国の関係や言葉の意味からみて、倭人の大率は百済の官位に近い使い方とみなされる。
一女子は「一・女子」、一大率は「一・大率」である。
『倭人伝』刊本が一支国を一大国と書いているのを検証もせず一大国が正しいとの前提で、
一大率を「一大の率」などど我流解釈をした上で、
一大国と一大率をくっつけるパズル的解釈もあったようだが、
そうした解読ゲーム言説の末路をみてみるがいい。 >>538 名前:日本@名無史さん :2012/06/19(火) 00:04:18.69
>「大率」は「一大の率」ではないか。
其の通りでしょう。
一は一人。
大は大王。
卒は20ヶ国から30ヶ国の統率諸侯の組織名。
>>543 名前:上昇気龍 :2012/06/19(火) 08:35:02.60
>>541
>ものはついでだ。本物の研究者の片鱗をみせる。
>「大率」について中国歴史書は3通りの用例がある。
>@『史記』が「大いに率いる」という動詞に用いている。
> (單于聞之大率衆来入)。
「卒」に『ひきいる=率いる』という意はない。
率いるを『ひきいる』と読ませているのは『引き卒(い)る』の変形。
ところで、
ここででの「大卒」は、『完全に終わった』という意では?
と言うテスト。
>>543 名前:上昇気龍
A『漢書』が、「あらまし・およそ」という熟語に用いている。
(県大率方百里、大率十里一亭)。
そんなことは無いだろう
というテスト!
卒長(古代軍隊百人為卒,其長官称卒長)
の「卒』では。
「卒」を卒業出来てませんね。
>>546
「大率」の話だがな。
イカ頭、話の筋を違えてるぞ。あっちいってろ。
>>543 名前:上昇気龍 :2012/06/19(火) 08:35:02.60
>>
「一亭」って難だか解ってますか? >>547 名前:上昇気龍
>>546
>「大率」の話だがな。
>イカ頭、話の筋を違えてるぞ。あっちいってろ。
中卒の頭で大卒を把握するのは無理のようですね。
公害の垂れ流しのようなことしか書き込めないでしょう。
一大率は「いたのそち」と読むのが正しい。
「いた」とは板付であることは言うまでもない。
>>547
伊作、お友達が出来たみたいだね。
よかったなw >>543
研究者を自称するには、さしたる知能は必要がないという証拠。
ちょっと知能テストをしてみる?
「一・女子」ならともかく、何で「一・大率」になるわけ? 魏の都・洛陽の官製工房「尚方」では作られるはずのない神獣鏡は、
ほぼ間違いなく呉鏡と思われるのに、魏の年号が入ってるのはなぜ? これって日本の歴史学会の最大の恥部って大学で教えられたわww
どっちとは言わんけど。 >>555
製作されたのが、魏の勢力圏であるか、または、勢力圏内で流通させる目的でだからだろう。
だから、魏の年号が入っていれば、それは呉鏡じゃない、そんなこともわからんのかw 魏が魏の威信において流通させるのに、
変な銘文や、間違った年号を入れることはあるまい。 何で「威信」なんて言葉に言いかえるのw
尚方で無いんだから、誰が造ったっていいんだよ。
何が何でも「矛盾」状態にしときたいみたいだけど、何でさwww まあ、下手くそな文章と稚拙な文字、間違った年号、
魏朝の高官が見たら、笑われるような鏡だからな。 昔宇佐の工場で作った製品にMade in USAと書いて売ったような話だな。 ( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l l l l l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ 三 .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ 角 │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ 縁 │
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ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
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-‐'"´ ヽ※ ※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ いまだに三角縁神獣鏡が魏で作られたなんて言ってる学者いるの? 呉の意匠に魏の年号、
まだ当時は、それがどういう意味を持つかが
分かる人がいなかったんだろうね。 新説 珍説でもあるが
274年神功渡海、 これが発端となり新羅は調(税)を毎年80艘を収めるようになる
この調の中に△鏡が含まれるのであれば、△鏡は新羅で作られた。
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。 神功渡海。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。
九州で半島土器が出るのは西新町遺跡だが、(鴻臚館の近く)
あそこは3〜4世紀じゃなかったっけか?
>あそこは3〜4世紀じゃなかったっけか?
長畑馬場遺跡
http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin.php?id=3100
長畑馬場遺跡 (ながはたばばいせき) 平戸市大島村前平1456
本遺跡は弥生時代中期中頃を中心とし、古墳時代初頭まで継続している。住居址は弥生時代中期のもので、
同時に甕棺、土坑、箱式石棺からなる墳墓群も形成さ れている。出土遺物は多彩であるが、特に土師器は
畿内の庄内系の土器の影響下に成立した在地甕である。 本遺跡が位置する大島村は、壱岐とは一衣帯水の地 であり、
また平戸や生月、北松浦の半島は交易のルート上にあり、五島列島や対馬を含めて同じネットワークで結ばれた集団
であったことが推測される。
景行 諸県は玄海町諸津。イズミ媛。(250年ころ)庄内式
神功 田油津媛は田平媛。(274年渡海) 纏向5類 (布留1)
倭国乱の平定は、渡海ルートの管理でもある。
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