三角縁神獣鏡は誰が作った?4
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http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1019561007/
≪から3を作りました≫
三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?
魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
C尚方でない
日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など
皆さんはどうお考えですか? 貰った100枚のうち、金、銀、石玉が象嵌されたものがあったかどうか? >>531
「漢字外交」なんて、代書屋にやらせりゃ良かろう。
「大率」は「一大の率」ではないか。 >>536
>やっぱり大和朝廷お抱えの呉の職人が初めて国産化に成功した(模)倣製鏡を、
???ひょっとして倣製鏡の始まりを三角縁神獣鏡、あるいは畿内ヤマト王権に見ている?
先に出ていた方格規矩四神鏡なんかにしても平原の32面全てが国産である可能性が指摘されていたりするわけだが…
どの道「卑弥呼の鏡」が神獣鏡であったとしても現在出土しているものの中に1枚あれば上等。
下賜品としての鏡は後にも先にもその百枚だけだった可能性があるんだから…
景初三年239年の10年後には司馬懿のクーデターが起きる。
どの道、魏と邪馬台国の蜜月期は長くない。
平原の、中国でルーツが見える方格規矩四神鏡が倣製鏡なら、
中国のルーツさえ見えない三角縁は、まず間違い無く国産ということになりますな。
平原の内行花文鏡も倣製鏡があるらしいので、技術的には
三角縁が国産であることはまず間違いないでしょう。
>>538
>「漢字外交」なんて、
お前には高尚すぎる言葉だ。頭に悪いからかかわるな。
>「大率」は「一大の率」ではないか。
一女子は「一女の子」か。……あっちいってろ。
三角縁神獣鏡は誰がつくったのか。色んな奴がつくった。
「はい・おしまい」
中国車なんて一昔前では考えられなかったが、欧州メーカーとの提携で信じられないほどレベルが上がってきている。
韓国車も、デザインはイタリアでリストラされたイタリア人に、車両開発はドイツでリストラされたドイツ人に、品質管理は日本でリストラされた日本人に、
それぞれ担当させることで、高品質低価格を実現し、欧米での売り上げを伸ばしてきている。10年前まで考えられなかった事態だ。
本国でリストラされた技術者を招いて、それまであり得なかった高品質・低価格で実現でき、今や日本メーカーを脅かす程に成長したわけで、
それと同じようなことが△神獣鏡で起こったと想像できる。
つまり呉から逃れてきた職人をヤマト王権が召抱え、職人は新天地でまた仕事ができる意欲に燃えて、
日本人には造れないような渾身の鏡を作ってヤマト王権の恩に報いた、という図式ではないか? >>541
ものはついでだ。本物の研究者の片鱗をみせる。
「大率」について中国歴史書は3通りの用例がある。
@『史記』が「大いに率いる」という動詞に用いている。
(單于聞之大率衆来入)。
A『漢書』が、「あらまし・およそ」という熟語に用いている。
(県大率方百里、大率十里一亭)。
B『隋書』百済伝が、百済人の官位に「大率、恩率、コ率......」があると書いている。
(官有十六品:長曰左平、次大率、次恩率、次コ率……)。
百済と倭国の関係や言葉の意味からみて、倭人の大率は百済の官位に近い使い方とみなされる。
一女子は「一・女子」、一大率は「一・大率」である。
『倭人伝』刊本が一支国を一大国と書いているのを検証もせず一大国が正しいとの前提で、
一大率を「一大の率」などど我流解釈をした上で、
一大国と一大率をくっつけるパズル的解釈もあったようだが、
そうした解読ゲーム言説の末路をみてみるがいい。 >>538 名前:日本@名無史さん :2012/06/19(火) 00:04:18.69
>「大率」は「一大の率」ではないか。
其の通りでしょう。
一は一人。
大は大王。
卒は20ヶ国から30ヶ国の統率諸侯の組織名。
>>543 名前:上昇気龍 :2012/06/19(火) 08:35:02.60
>>541
>ものはついでだ。本物の研究者の片鱗をみせる。
>「大率」について中国歴史書は3通りの用例がある。
>@『史記』が「大いに率いる」という動詞に用いている。
> (單于聞之大率衆来入)。
「卒」に『ひきいる=率いる』という意はない。
率いるを『ひきいる』と読ませているのは『引き卒(い)る』の変形。
ところで、
ここででの「大卒」は、『完全に終わった』という意では?
と言うテスト。
>>543 名前:上昇気龍
A『漢書』が、「あらまし・およそ」という熟語に用いている。
(県大率方百里、大率十里一亭)。
そんなことは無いだろう
というテスト!
卒長(古代軍隊百人為卒,其長官称卒長)
の「卒』では。
「卒」を卒業出来てませんね。
>>546
「大率」の話だがな。
イカ頭、話の筋を違えてるぞ。あっちいってろ。
>>543 名前:上昇気龍 :2012/06/19(火) 08:35:02.60
>>
「一亭」って難だか解ってますか? >>547 名前:上昇気龍
>>546
>「大率」の話だがな。
>イカ頭、話の筋を違えてるぞ。あっちいってろ。
中卒の頭で大卒を把握するのは無理のようですね。
公害の垂れ流しのようなことしか書き込めないでしょう。
一大率は「いたのそち」と読むのが正しい。
「いた」とは板付であることは言うまでもない。
>>547
伊作、お友達が出来たみたいだね。
よかったなw >>543
研究者を自称するには、さしたる知能は必要がないという証拠。
ちょっと知能テストをしてみる?
「一・女子」ならともかく、何で「一・大率」になるわけ? 魏の都・洛陽の官製工房「尚方」では作られるはずのない神獣鏡は、
ほぼ間違いなく呉鏡と思われるのに、魏の年号が入ってるのはなぜ? これって日本の歴史学会の最大の恥部って大学で教えられたわww
どっちとは言わんけど。 >>555
製作されたのが、魏の勢力圏であるか、または、勢力圏内で流通させる目的でだからだろう。
だから、魏の年号が入っていれば、それは呉鏡じゃない、そんなこともわからんのかw 魏が魏の威信において流通させるのに、
変な銘文や、間違った年号を入れることはあるまい。 何で「威信」なんて言葉に言いかえるのw
尚方で無いんだから、誰が造ったっていいんだよ。
何が何でも「矛盾」状態にしときたいみたいだけど、何でさwww まあ、下手くそな文章と稚拙な文字、間違った年号、
魏朝の高官が見たら、笑われるような鏡だからな。 昔宇佐の工場で作った製品にMade in USAと書いて売ったような話だな。 ( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l l l l l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ 三 .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ 角 │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ 縁 │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! ? │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※ ※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ いまだに三角縁神獣鏡が魏で作られたなんて言ってる学者いるの? 呉の意匠に魏の年号、
まだ当時は、それがどういう意味を持つかが
分かる人がいなかったんだろうね。 新説 珍説でもあるが
274年神功渡海、 これが発端となり新羅は調(税)を毎年80艘を収めるようになる
この調の中に△鏡が含まれるのであれば、△鏡は新羅で作られた。
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。 神功渡海。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。
九州で半島土器が出るのは西新町遺跡だが、(鴻臚館の近く)
あそこは3〜4世紀じゃなかったっけか?
>あそこは3〜4世紀じゃなかったっけか?
長畑馬場遺跡
http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin.php?id=3100
長畑馬場遺跡 (ながはたばばいせき) 平戸市大島村前平1456
本遺跡は弥生時代中期中頃を中心とし、古墳時代初頭まで継続している。住居址は弥生時代中期のもので、
同時に甕棺、土坑、箱式石棺からなる墳墓群も形成さ れている。出土遺物は多彩であるが、特に土師器は
畿内の庄内系の土器の影響下に成立した在地甕である。 本遺跡が位置する大島村は、壱岐とは一衣帯水の地 であり、
また平戸や生月、北松浦の半島は交易のルート上にあり、五島列島や対馬を含めて同じネットワークで結ばれた集団
であったことが推測される。
景行 諸県は玄海町諸津。イズミ媛。(250年ころ)庄内式
神功 田油津媛は田平媛。(274年渡海) 纏向5類 (布留1)
倭国乱の平定は、渡海ルートの管理でもある。
答えになってない。
考古学素人が変なこと書くなってw
>>568
> >あそこは3〜4世紀じゃなかったっけか?
>
> 長畑馬場遺跡
> http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin.php?id=3100
> 長畑馬場遺跡 (ながはたばばいせき) 平戸市大島村前平1456
> 本遺跡は弥生時代中期中頃を中心とし、古墳時代初頭まで継続している。住居址は弥生時代中期のもので、
> 同時に甕棺、土坑、箱式石棺からなる墳墓群も形成さ れている。出土遺物は多彩であるが、特に土師器は
> 畿内の庄内系の土器の影響下に成立した在地甕である。 本遺跡が位置する大島村は、壱岐とは一衣帯水の地 であり、
> また平戸や生月、北松浦の半島は交易のルート上にあり、五島列島や対馬を含めて同じネットワークで結ばれた集団
> であったことが推測される。
>
> 景行 諸県は玄海町諸津。イズミ媛。(250年ころ)庄内式
> 神功 田油津媛は田平媛。(274年渡海) 纏向5類 (布留1)
> 倭国乱の平定は、渡海ルートの管理でもある。
>
> >>565
たまに西洋人が訳のわからない漢字(意味不明、上下逆さま、左右反転…etc)をプリントしたTシャツを着たり、
中国人がディズニーランドのパクリテーマパークに「どらえもん」や「クレヨンしんちゃん」のキャラクターを加えてオリジナルと称しているけど、
△神獣鏡はまさにそんな感じだったんジャマイカ?
解り易いマンガちっくな神獣鏡に、稚拙な銘文と権威ある魏(正統派漢民族王朝)の年号を入れて、日本人が作った鏡かと。
西洋舶来のパンに日本古来のスィーツ・あんこを入れてアンパンを発明した日本人らしい発想。
韻を踏まない稚拙な喜唱文を見れば、
1世紀の漢委奴国王、2世紀の帥升、3世紀の邪馬台国の卑弥呼と、
一貫して中原を統一した正統派漢王朝にのみ朝貢してきた九州勢力が決して作ることのない神獣鏡であることは一目瞭然。
セラムンのTシャツで、「ぬりえ」とかかれたTシャツとかねw 訂正
×作ることのない→○賜る(受け取る)ことのない >>564
>いまだに三角縁神獣鏡が魏で作られたなんて言ってる学者いるの?
普通にいる。
と言うか魏鏡説を唱える学者はそれなりに理論武装がしっかりしてるが
国産説はただ雰囲気に流されてるような学者が多い感じだなwww
(ここのゴミクズレベル九州説と同じような「500以上対0」のみを根拠とするようなレベル)
>>570
>解り易いマンガちっくな神獣鏡に、稚拙な銘文と権威ある魏(正統派漢民族王朝)の年号を入れて、日本人が作った鏡かと。
実は「神獣鏡」と「魏年号」の組み合わせは ”中国において” 出土例がある。
(いつぞや 森村伊作 が言っていた『青龍鏡』(笑)とやらは日本での出土だがw)
・黄初二年(221)同向式神獣鏡
・黄初四年(223)対置式神獣鏡
いずれも湖北省鄂城(出土地が伝承されるものなら他に湖南省・浙江省等があり不明な物なら他にもある)
「神獣鏡」+「魏年号」=日本製 などと短絡的に考えない方が良い。
問題は湖北省鄂城と言えば当時一応は呉の領域と言うことで
魏鏡説をとるには根拠にはなり得ないところかな?
(ただ荊州といえば常に三国で奪い合いになった土地でここを完全な呉の支配下の如きに理解していいのか?とも思うが
三国志に詳しい人間の見解を聞きたい所)
まあ「舶載」というなら本来呉鏡であっても舶載なんだろうだがwww
つまり中国製と言っても魏鏡でなく呉鏡であればその組み合わせはありうるという話。 『三角縁神獣鏡に関する根拠なき思い込み、あるいは知った上でのイメージ操作・詐欺・ペテンその1』
>>571
>韻を踏まない稚拙な喜唱文を見れば、
ちなみにこれをもって魏から卑弥呼への下賜品足り得ないと言うのは根拠がない。
(まあ柔軟性の欠片もなくなった年寄りに発想の転換を強いるのは無理だろうし
どの道このネタは死ぬまで言い続けるんだろうがwww)
そもそも魏の高官や皇帝の墓に入れる鏡でもない。
あくまで倭人への下賜品だし、鏡自体当時の中国で高位の威信財でもなんでもない。
先ずに先方の倭人は当時の中国人から見れば人を惑わす鬼道をやっている連中であり
その「ロレツが回っていない」銘文を見て笑うも糞もない。
一方中国人の感覚にしても先に紹介したサイト(http://www.eonet.ne.jp/~temb/9/Sinzyukyou/Sinzyukyo.htm)にあるように
>「全唐文」の第684巻(清代の編纂)に
>「昔、魏は倭国に酬するに、銅鏡の鉗文を止め、漢は単于に遣するに犀毘綺袷を過ごさず。並びに一介の使、将に万里の恩とす。」
>という文章があるそうで、原文を捜したら「昔魏酬倭国止於銅鏡鉗文…」とあった。
>これは「昔、魏は倭国にむくゆるに銅鏡における文を鉗するのを止め、…」と読み下せる。
>「鉗」は「首かせ」で、「文」は「模様」を表す。要するに、銅鏡の模様の規制(首かせ)をはずしたという意味である。
要は倭人の好みに合わせてやり懐柔の効果をあげれば良いわけで
そこに皇帝の面子をかけ古来よりの様式に固執する必要は欠片もない。
稚拙な銘文の神獣鏡を見て笑う人間が何処に居るんだというお話wwwwwww 『三角縁神獣鏡に関する根拠なき思い込み、あるいは知った上でのイメージ操作・詐欺・ペテン…その2』
よく卑弥呼へ下賜された鏡は洛陽の中央の工房で作られたということを自明の理・前提としている奴がいるが
(まあこれはリアルの学者でも結構いるのかな?)
これも根拠がない。
(左・右・中)尚方銘でもあれば洛陽の工房で作られたと思いがちなんだろうが
実際に正始二年の左尚方の銘がある大弓の部品で実際には現在の河南省北部で作られたものが確認されている。
つまり魏の領域内であっても呉に近い地域で制作された可能性とか
魏鏡説の学者が思い描く技術的系譜の工人のいた地域の可能性もあるだろう。
必ずしも洛陽近辺である必要はない。
それらを考慮しないのは非科学的非論理的、詐欺ペテンのレベル。
それを否定するなら確実魏代で洛陽にて制作されたという資料を持って来いという話だ。
問題の景初当たりには洛陽での銅鏡製作も十分軌道に乗っていたことを示すだけの出土数量があり
それらの中に神獣鏡が一枚もなくここのゴミクズレベル九州説が推す方格規矩四神鏡や内行花文鏡で
きちんと「ロレツの回っている」銘文ばかりと言うのならその主張にも状況証拠としての根拠もあろうがw
>>574 >魏鏡説を唱える学者はそれなりに理論武装がしっかりしてるが
「魏で神獣鏡をつくった」とする理論があるわけか?
>575 >「神獣鏡」と「魏年号」の組み合わせは ”中国において” 出土例がある。
「魏の年号である黄初年号の神獣鏡が出ているが、呉が魏と同盟を結ぶことを考えて
呉も魏の年号を使う時期があり、製作地は呉である」(王氏)
>「神獣鏡」+「魏年号」=日本製などと短絡的に考えない方が良い。
魏年号入りの神獣鏡が出たからと魏で製作したなどと短絡的に考えない方が良い。
>つまり中国製と言っても魏鏡でなく呉鏡であればその組み合わせはありうるという話。
神獣鏡は魏鏡ではないということだな。魏鏡説を唱える学者の理論は壊滅だな。
鄂城あたりで魏年号入りの呉式神獣鏡をつくった。
ここにいた技術の半端な職人が倭国に渡来した。
>そこに皇帝の面子をかけ古来よりの様式に固執する必要は欠片もない。
皇帝ご用達の国際外交用贈答品に、魏の官製工房で邪教の呪具たる神獣鏡をつくったてか。
歴史を語りながら、王朝の格式と威厳をあまりにも矮小化して愚弄してるぞ。 >>577 >実際に正始二年の左尚方の銘がある大弓の部品で実際には
>現在の河南省北部で作られたものが確認されている。
鏡に正統性や格式与えるために、ほかで造ったのに尚方で造ったように見せる細工をしたらしいな。
この現象から、尚方の格式と威厳を見てとるのが歴史語りの常道じゃないのか?
>魏の領域内であっても呉に近い地域で制作された可能性とか………必ずしも洛陽近辺である必要はない。
論調をみるに、卑弥呼に贈られた鏡は「どこでもいいから魏でつくられたことになればいい」という、
開き直りにも似たゴロツキの論調になっているぞ。もっとも、お前は品がなくゴロツキだが。
>魏鏡説の学者が思い描く技術的系譜の工人のいた地域の可能性もあるだろう。
鄂城あたりで魏年号入りの呉式神獣鏡づくりを手伝った、技術の半端な下っ端職人が倭国に渡来した。とか
>それらを考慮しないのは非科学的非論理的、詐欺ペテンのレベル。
まさに魏鏡説の学者とお前がそうだ。
>確実魏代で洛陽にて制作されたという資料を持って来いという話だ。
思考のロレツがまわらなくなってるぞ。それは、魏鏡説の学者とお前がやることだろう。
国産説派は「神獣鏡が魏代に洛陽で製作された」などはいっていない。
皇帝ご用達の国際外交用贈答品に、「粗末な造り、粗末な銘文の鏡もあり得る」といいたいのかな。
お前の文章は分裂ぎみで的確には読めんが、ゴロツキ詭弁の連呼だ。ゴミクズはお前だな。 三角縁神獣鏡は誰が作った?
色んな人が・色んな時代に・色んなところで・つくった。
はい・これでおしまい。 >>578-579 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
おやおや魏代の鏡として日本(京都大阪)出土の「青龍鏡」(笑)を出して
それが魏で制作された舶載鏡であることも証明できずトンズラこいた
考古学にも造形の深い天才 森村伊作 大先生じゃないかwwwwwwwww
どれもこれもピントはずれのケチレスだが
>皇帝ご用達の国際外交用贈答品に、魏の官製工房で邪教の呪具たる神獣鏡をつくったてか。
>歴史を語りながら、王朝の格式と威厳をあまりにも矮小化して愚弄してるぞ。
…などと所詮なんの根拠もない何処ぞの自惚れ屋の爺いが考えた「脳内ストーリー」に基づく話。
所詮当時の魏における銅鏡制作事情が分からない限り舶載・国産に決着はつかんよアホウ。
付けたかったら日本出土の「青龍鏡」(笑)ではなくて中国出土の魏鏡の出土例を出して
そこから当時の状況を組み立てろゴミカス。
>>580 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
>色んな人が・色んな時代に・色んなところで・つくった。
>はい・これでおしまい。
この爺のパターンとして気に入らないスレには必死に店終いを強いるというのがあるが
なにか都合の悪いことでもあるのかな?(ゲラ
>色んな時代に
・・・3世紀に
>色んなところで
・・・ヤマトを中心に九州以東で
作られたとしたら
たとえ国産であってもそれだけの鏡を大量にばらまく勢力が出現していたということであって
このキチガイジジイがほざいている「熊本王朝東遷説(仮)」もハイ頓挫www
>>578 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
>鄂城あたりで魏年号入りの呉式神獣鏡をつくった。
>ここにいた技術の半端な職人が倭国に渡来した。
まあ要は渡来呉人による製作説だろうが
黄初二年(221)黄初四年(223)銘の鏡を作った職人が日本にやってきて
その技術を伝えたとなるとどうしても3世紀内になるが良いのか?w
仮に3世紀前半のその年に10代で一端の職人であっても
4世紀には90才超えるぞ?www
毎度毎度毎度毎度…その場限りで取り繕って
他で自分がほざいてきたことと整合性がとれなくなるこの馬鹿のいつものパターンだが
いまだに舶載説を本気で信じている人っているのかな?
本気で信じているふりをしている人ならいるかもしれないけど。 中高年層を中心に居ると思うけどさすがに卑弥呼の鏡とか言ってるのは畿内くらいかと… >>585
まあ可能性としてはないでもないんじゃないのかね、今でも。
画文帯神獣鏡に対して特に優位なところもないけど。
手づれによる朦朧化なんてのは完全に否定されたということでいいんじゃないでしょうか。 >>587
同向式に関してはほぼ全部が国産だな。
それ以外でも大半が国産だろう。
5C半ば以降の古墳から出てくる画文帯はほぼ全部国産。
△が国産なのに画文帯が全部舶載というわけがない。 鏡だと必死に捏造とか見苦しいな
youtubeのはやし浩司氏の動画を見れば
鏡として使われてた可能性なんて無いのが理解できるはず
銅鏡の周りの淵や模様が暦を表すものであるのは明白
真ん中の球が何で空撮された地図であるか説明してみろ 魔鏡ってのは反射させた光を見るものなんだから別に模様が地図だろうが獣だろうがなんでもいいの
いわばプロジェクターのようなもの 二千年後に発掘される会社事務所の出土品でも
(有)西村製材所 でんわXX-XXXX と大きく書いてあるのに鏡として使うわけがないとか云うんじゃないの。
銭湯遺跡では、ケロリンと書いてあるから広告看板であって、洗面器とは考えられない。 三角縁は日本からはたくさん出ているのに
中国では一枚も出土していないのだから
日本製だと考えるのが自然だよね 乗り物にセットして使うカーナビみたいな物だったんだろう >>597
国内で権威付けのために配布するなら、自分で作ったものの方がいいしね。 つまり三角なんたらは中国の歴史とはなんにも関係ないってことだな
もしそれを表すような記述などがあれば中国史が捏造だってことになる 最近の説は、初期の三角縁四神四獣鏡は魏の職人が作り、西晋が滅んでからは
日本で作られたってのがあるらしいな。
紐孔が長方形で特徴的らしい。 いまだに舶載説を本気で信じている人なんているの?
精神を病んでそうで怖い・・・ >>603
福永かな?
それほど最近でもないと思うが・・・
まあ背景として長く戦乱の続いた洛陽では銅鏡を作る組織も壊滅
戦乱を免れた地域から職人を招来してそこで
そういった意匠なりが入ってきた
・・・と話としては成り立つんだろうが
やはり洛陽で魏代の鏡として現物の出土が欲しいところ >>603
なんで紐孔だけにあんなに注目しているのかさっぱり分からん。 >>606
普段注目されるような場所じゃないから、
職人の何気ない癖が現れやすい、
と考えられるから 多数の人間が点でばらばらに思い思いに作っていたなら鈕孔の形はもっとバリエーションがあったはず
しかし、指摘されるように実際にはそれなりの人数の職人が作っていたと考えられるのに鈕孔の形にまとまりが見られる
こうした現象から、鈕孔の形状は、ある職人集団の共通のクセと考えられる クセかも知れませんが、縁の形状はすぐ目につくため、簡単に真似できてしまう点が、目立たない鈕孔とは異なりますね 銘文の音韻や由来の研究のほうがずっと目立たない部分の研究だよ。 >>604
「卑弥呼がもらった鏡」でないと自分の立場がボロボロに崩れるから必死になってるだけじゃない。
よくいるよね、思い込みと決めつけが激しいタイプの馬鹿。 >>612
銘文も漢字が読み書きできる職人ならコピー可能 途中からは日本で作ったと思うな。
鏡作神社なんてもんもあるしさ。
あのへんを発掘できたら、鋳型が出てくると思うんだけどな。
民家がいっぱい建ってるんだよなw
奈良は、肝心な時期のものは、大抵集落の下に埋まってる。 九州の石彫の鋳型と違って
砂型、粘土型だと、使用後に壊して再利用するから、残りにくい。 >>9
うんそうだね。韻を踏んで無いかなり低劣な銘文らしい。
△が中国産であることを否定する主要な根拠の一つだね。
三角縁神獣鏡が全部魏の制作って、最近の畿内説の人は言ってないんじゃないの?
昔の人は知らんけどさw >>620
今も昔もまともなのは皆無なんじゃないの?
小林以前のことは知らないが。 三角縁神獣鏡について案があるんだけど
外野の人間が投稿できる機関紙、学術誌みたいなものってあるかな >>620
最近っていつだ。
ここ50年くらい、全部魏の製作なんてやつはいないだろw
とんでも本は除くけどな。 西王母と東王公と龍虎が描かれた、
典型的な前漢時代の絵柄の神獣鏡をヤフオクで落札したんだけど、
ちょっと緑青が浮いてる程度で、
全体に銀色に輝いてて、二千年を経過したにしては綺麗すぎるんだよね。
ほんとうに前漢時代の鏡か、そのレプリカ(踏み返し?含む)かは、
どうやったら判るんだろう?
確実な鑑定方法が分かる人いますか? ヤフオクか〜
そういやそういった発見物だの昔の刀剣だの出れば
オークションあたりにすぐ出るんだっけ? 昨夜のヤフオクは古鏡祭りの状態で、
二百回以上入札を繰り返して数十万円まで競られた鏡もあった。
今日もかなりの銅鏡が競り落とされるらしい。
このタイミングを外すように、前日に落札された鏡は安かったWWW
ただし、精緻な図柄にしては、ちょっと?が付くものもある。
たとえばコレなど。
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b166017050
多少汚れがあるけど、全体にギンギラギンの綺麗な状態だ。
こういったものを鑑定できる見識を持った人でないと、
誰が鏡を作ったかなんて議論できないよね?
聖獣の龍虎は簡単に識別がつくが(古代中国では麒麟も龍の一種)、
東王公と西王母の二神は、どっちがどっちだか分かる?
この写真だと見ても私は???状態。 紐を通す穴が円いと中国製で、四角いと日本製
という説を唱えていた学者様がいたようだが、
>>629の西漢の時代の作とされる中国製の鏡は、
どちらかというと、穴が四角いようにも見える。
しかし、2世紀に日本で鏡が作られたことはないから、
それより2百年は古いだろう鏡が日本製というのは不自然だ。
日本製はもっと平べったい穴になるってことなのか?
実際に鏡を復元している職人さんの話では、
そのへんにある物を適当に置いて穴にするのだから、
四角とか円とか関係ないのだそうだが、
職人と学者のどちらが正しいのだろう? ま〜中国っていっても中国人らの話とは限らない
分かりますかね?
例えば太極拳なんて拳法があるだろ
あれなんか見ていけば回教(イスラム教)
あたりのやつらが残した影響ってのがで
かそうなんだよなw 意味がわかったはず「神と人間は違うのだ」
神官、神主、巫女とか
本当に違うんだよ 流行碑ってのが向こうで出てんだろうがよ
流行は流行、そのまんまの意味
中華システムってのは全て中国人、はいできあがり〜w それと『世界妖怪図鑑』に載っている「半女半男人」
ググっても出て来ないw
ググっても画像が見つからないという意味だよ
この図鑑持ってるから良いんだけどw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています