三角縁神獣鏡は誰が作った?4
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≪から3を作りました≫
三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?
魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
C尚方でない
日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など
皆さんはどうお考えですか? >>685
鈕孔形状?
そんなもので分類できると考える時点で、
神鏡造りの現実を知らない素人と丸判りの説。
実際に金属鏡を造っている人達から、完全に否定されている。
デタラメがまかり通るのは、ペーパー学会のみ。
とある復元鏡の鋳造職人の言葉をそのまま引用する。
「穴の形なんか、その時その時の職人の気分で
勝手に近くにあったもんでこさえとるんや。
産地や制作者によって決まった穴の形があるなんて、
全く現場を知らんもんが机の上で考えた理屈や。」
青銅鏡を造っている現場のプロ(職人)は、粘土でナカゴを作るという現実離れした話に騙されたりしない。
息長斎王家に生まれて二千年来の秘伝を受け継ぎ、
神鏡の復元に携わる人間国宝級の職人達を影ながら育成・指導してきた本物の専門家達も、
そんな嘘の製法を認めたりはしない。
金属鏡の製作現場を知らない、不勉強なニワカの門外漢が、
大学教授などの肩書を利用して、研究者を詐称して机上の空論を垂れ流している、
と認識されてゴミ箱行きの話だ。 いわゆる「本物の」舶載鏡(こんな素人造語自体が専門家から見ればナンセンス)のなかで、
長方形鈕穴を持つ鏡は極めて限定的だ。
中国製であるなどと、とても言えない状況にある。
まともに統計処理すら出来ない(調査の努力をしていない)人物が、
「知ったような思い付きのデタラメを紙の上で並べて、人々を惑わしてきた」のが実情と言える。
魏の領域内の特異な工人集団などというものも、まったくの架空の存在であり、
実証する要素(伝承や文献や考古学的資料)が皆目見当たらない。
対して、息長斎王家の祖とされる兵主神が、フイゴと銅製品を鋳造する神とされてきた伝承は確実に残っており、
また、神器として下賜された青銅鏡がきちんと現代まで残っている。
発掘によって出てくる葬儀用の鏡や現存する祭祀用の鏡と、伝承内容はピタリ一致しており、
考古学が、社家が二千年来伝承してきた秘伝の内容を明確に裏付ける形になっている。
教授の肩書を手に入れた門外の素人が、ペーパー学会を駆使して、
子供の騙しの嘘を流布する姑息なテクニックが通用する時代は終わっている。 「情報考古学」2005年vol11 NO.2(2006年発行)掲載の
新井宏氏の「鉛同位体比から見た三角縁神獣鏡の製作地」という論文がある。
「三角縁神獣鏡の鉛の同位体比の分布は、
殆ど全ての仿製鏡(こんな独自の素人造語を使うな)の分布に一致している。
舶載とされた三角縁神獣鏡の多くが、中国産ではなく、
日本などで製作されたか、或いは複製された鏡であることを示している。」
成分分析の結果示された事実は、もはや誰にも覆せない。
虚言癖があると思われる某大学の例の教授などが用いてきた、
ペーパー上の騙しのテクニックが通用する時代は終わっている。
高度な技術を要する事柄について、
伝承主体から乖離した人々が、
門外漢の素人考えで勝手な思い付きのデタラメを並べてみても、
それらの嘘は、たいした時間を置くことなく、必ず見破られて終わる。
これにて中国製、和製の鏡に関する議論は終了。
今後は、鉛同位体比の調査を経ないで、
中国製・和製と適当なことを知ったかぶりして書き殴っても、もはや誰も信じない。 伝世鏡の「手ずれ」説も真っ赤な嘘だということが、
高精度デジタルマイクロスコープを利用した、肉眼では観察できない高倍率の調査から判明している。
長期間の使用による磨滅などではないことが明白になったことで、
一流大学の教授職の肩書と、ペーパー学会を使った、
いい加減な思い付き(脳内妄想)を流布する、騙しのテクニックのボロが出た格好だ。
いくら立派な教授職の肩書きを手に入れても、
ろくに古鏡を観察せずに、「手ずれ」の痕跡がある!などと、
専門家気取りで増長して思い付いた嘘(捏造)を並べ立てると、
大恥を掻くことになる。
後から細かく検証作業を行う人が現れたら、それで終了。
二千年間神鏡の製作を主導してきた伝統や、神器として下賜した歴史を持つ、
息長斎王家の専門家達がまったく関知しない、
誤情報を流布する近代のペーパー学会御用達の、
舶載鏡・仿製鏡・伝世鏡などの、虚言流布用の特殊「捏造学術用語」には注意を要する。 制作者の名前が書かれている奴もあるよ
「洛陽の陳氏」とか「王氏」とか書かれている
ネタじゃなくてマジレスですよ >>690
鏡の材料を輸入してたなんて伝承聞いたことないんですが詳しく教えてもらえませんか?
成分が一致してる他の鏡は中国で製作されたのに三角縁神獣鏡だけが日本製なんですか?
九州で出土する鏡は日本製ではないのですか? >>696
九州で出るやつも国産鏡はたくさんあるよ。
わかるものはちゃんと国産鏡と分類されてる。
あと、分析されてるといっても、
合金の配合比率の話しなので、
国産でも中国と同じ配合になったら
区別がつかない。 銅鉱山が少なかった日本。
秩父で自然銅の塊が見つかり、
銅の自給を祈念して、
和銅という年号が制定された。 △鏡の材料を輸入してた伝承なんかないよ
△鏡が中国製がだと確定したら九州説は終了だから嘘つくくらい朝飯前 >>699
>△鏡の材料を輸入してた伝承なんかないよ
つまり△鏡は全部国産銅を使用した国産鏡ということですかね? >>62なんて、東遷論者がいかに畿内説を知らないかを示す証左だよね >>703
無知な素人の戯言だから 放置するように >>700
分析結果の文書くらい読めば?
中国製と国産の両方があるってことだよ 韓国の専門外の学者がトンデモを唱えるのは、珍しくない >>707
それより「平原鏡から三角縁神獣鏡へ」の方が新しくて面白い。
鉛同位体比より、形式も紀年も違う鏡がセットで製造されてた可能性が高い。
実際に、形式も紀年も違う鏡なのに、鉛同位体比が全く同一のものが、
古墳にセットで入っているケースがある。
平原鏡も踏み返し鏡が多く、銘文の再利用、突線ひびなどの特徴から、
製造技術が三角縁の時代まで継承されてる可能性が高い。 中国産の鏡が一枚あれば
それを鋳型にして、何枚もコピーできるじゃん
結論
中国産の日本製 三角縁にはいろんなバリエーションがあるので中国鏡1枚では無理 よくわかった
つまり、国産派は鏡のことをよく知らないから誤解しているということなんだ いや、製造技術を研究してる人の方に?製鏡を多めに考える人が多い。
国内でどういう生産技術があったのか研究するわけだから当たり前なんだけど。
これも国内でこうやって作ったんじゃないかってどんどん判明していくわけだから。
遺物の形態分類してる人は舶載鏡を多めに考える人が多い。
これは研究初期に舶載鏡を多めに想定していたということ以外に論拠は乏しい。 >>517
鋳造技術の研究といっても現代の技術で作って喜んでるだけじゃだめなんだが 田原本の鏡作神社のあたりで作ったんでしょうな。
あのへんを発掘できればいいけどね。 >>691
へえ、どこにその息長斎王家ってあるの?
今も職人さんがいるようだけど、どこにあるのか教えてほしいな >>691 天日影虎 ◆Dlof2CSSdI
>青銅鏡を造っている現場のプロ(職人)は、粘土でナカゴを作るという現実離れした話に騙されたりしない。
>息長斎王家に生まれて二千年来の秘伝を受け継ぎ、
>神鏡の復元に携わる人間国宝級の職人達を影ながら育成・指導してきた本物の専門家達も、
>そんな嘘の製法を認めたりはしない。
何だこいつ?キチガイ電波さんかな?
そもそもその
「息長斎王家に生まれて二千年来の秘伝を受け継いできた本物の専門家達」
・・・って何処の誰よ?
「ボクの考えた秘密の結社」
でもなきゃ表に看板出してるんだろう?
ソースを出せや
そもそも粘土でナカゴを作らないというのなら1回こっきりの使い捨てじゃなくて「使い回し」するということだよな?
なら職人により同じ形状のものが作られる確率が高いと考えた方が妥当
それに「湯の回り」とか考えれば
そりゃ「時々の気分で変え」てもいいだろうが同じものを使うほうが効率がいい
(そんなことで万が一にも失敗したら馬鹿馬鹿しい)
実際その鈕孔形状はある時代に集中してるんだから
「職人のその時時の気分次第」とか言っても意味なし 福永さん自体、もう鏡はやめてんじゃないの
同笵鏡分与と地方政権の構造との関連の研究は良かったけど 多くは鏡作神社のあたりで作ったんだろうな。
神社の伝承によれば、崇神天皇の時代に「形代」を作ったという。
崇神陵は前期初頭、箸墓や西殿塚よりも後。四世紀初めごろといわれる。
古墳と伝承からは、崇神は三世紀末から4世紀初頭に生きた人物。
その頃から作り始めた。田原本には多くの鏡作神社が鎮座する。 中国では三角縁神獣鏡は見つかっていない。
ただし、洛陽の骨董市で見つかったという情報あり
というところか。 ×中国では三角縁神獣鏡は見つかっていない。
中国では三角縁神獣鏡の出土例はない
×ただし、洛陽の骨董市で見つかったという情報あり
ただし、洛陽の骨董市で売りに出されていた、出土地がはっきりしないものならある 吾作明竟真大好上有聖人東王父西王母師子辟邪中?臣位至公卿子孫壽 >>726
舶載説の人でもこれを三角縁神獣鏡とは認める人は居ないだろうな。
一見して別物と分かる。
つか、日本の学者の意見を聞いて記事にしろよ。
この種の鏡はこれまで何回も否定されてきた。 >>732
>中?臣
口銜巨が正解だけど、
確かにこの鏡、不思議と文字の中央に縦線が巡っている。 これ、日本出土の大半の三角縁神獣鏡とおなじく「韻が踏めない」からなぁ・・・
確実に「中国から出土」したのなら「韻が踏めない銘文付き銅鏡」の出土例になって
日本出土の三角縁神獣鏡=魏鏡の可能性が高くなるんだが。
骨董市での入手一例のみではなぁ・・・ 「銘文の韻が踏まれていないから中国鏡ではない」という主張は論破されてるよ 三角縁神獣鏡の原料は銅鐸。
あちこちで、細かく破壊された銅鐸が見つかっている。
どうしてそんなことをしたかというと、再び溶かすため。
そして、作られたのが三角縁神獣鏡。 材料の科学的分析では、はっきりわからないというのがなんともなあ。 >>737
海東鏡ってのがあるだろ。作った人が海を渡ってやってきた工人(鏡作師)だと
銘文に書かれている。
もちろん手ぶらで来たはずがなく大量の胴銭を持ってきたはずで、三角縁神獣鏡は
それら中国銭を溶かして作った物だと思うけどな 何でもかんでも中国から来たとか中国人の技術者が作ったとかいうけどさ、
ほんとかなと思うよ。
だってあのどでかい銅鐸を作れたんだよな。なのに「倭人には技術がないから
中国人が作ったに違いない」とか、学者の言い分は信用出来ない。
たいした根拠なく「あらたな技術を持った渡来人が・・・」と書いてる気がする。
本のどこを読んでも根拠は書いてない。 【話題】国内最古の「多鈕(たちゅう)鏡」鋳型、福岡で出土…権威の象徴だった多鈕鏡はすべて朝鮮半島製とする定説を覆す[05/29]©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1432842866/ これまで朝鮮人はまじでうざかったからいいニュースだな
未だにバカチョンが、北から南まで田舎でも都会でも日本人を騙しつくして暴れているが
早く朝鮮半島に追い返したい (Q)ツチノコとネトウヨってどっちが希少種なの?
(A)ツチノコは架空の生き物です
ネトウヨは架空の中で生きています
ですからネトウヨの方が実在している珍しい生き物です
みなさんネトウヨを虐待してはいけませんよ(笑) >>726-735
ところが西川寿勝は本物説なんだなぁ。
24日に安本美典との公開討論があって、本人の中国レポート面白かった。
中国人に接待されてだいぶ骨抜きにされてるみたいだが。
得意満面に本物説を語った後、安本にボコボコにされてたw >747 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2015/05/31(日) 07:22:32.69
>748 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2016/01/31(日) 02:59:31.36
おまえら8ヶ月も何してたの? あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?
魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
@日本に送られたのは特注だからでしょう
似た鏡は中国で出土してる
A日本に送るために特注したから
B魏志倭人伝に書かれてるのが100枚というだけで他にも多数
輸出されたのでしょう 邪馬台国時代の倭国は漢字が普及していなかった
だから卑弥呼が倭王に冊封されて、各国に自慢げに伝えたとしても、
証書の書き写しを送っても、各国は?だろう
そこで魏から賜った鏡の複製品を邪馬台国で大量に作って、
各国にばらまいたんだよ
漢字の年号が入っていて、立派な格調高い文様がある綺麗な鏡をみれば、
卑弥呼の御威光極まれりってことさ >>757
国産でも材料の銅は輸入品だろ。
>>761
複製品じゃなくて全て記念メダルみたいなもので
後世に国内で作られたものだろう。 >>756
特注かどうかは分からんが。
少なくとも、魏は倭に剣や絹や鏡を与えた。
魏の王から下されたからこそ値打ちがあった。
だから「輸入した」ってのは意味がない。
魏の王からもらったありがたい鏡。
それを真似して、倭の王権が鏡を作らせ家臣に配ったと考えるほうがまとも。
魏と同様、剣の方が上位だったと思うけどね。
埼玉稲荷山古墳のやつのように。
恩寵の時計のように、天皇からもらったからこそ値打ちがあるのであって、同様のものを
自分でお金を出して買っても何の意味もない。 中華製のアリガターイ青銅製の鏡は平縁の鏡。
と言うのは既に定また物。
更に、中国大陸から三角縁の鏡は一切出土していない。
故に、三角縁神獣鏡は我が国で生産された物? 3世紀の日本では文字は使用されておらず銘文鏡を作るはずがない
魏の皇帝が特注して卑弥呼に100枚渡したものを、それ以降日本国内でマネて生産したと考えるのが妥当 三国志の時代、魏国の東北地方に盤拠した豪族の公孫氏が離反、独立の動きを見せると
魏国の宿敵、呉国は使節を遣わして共に連合して魏国に当たる様に工作。(遠交近攻の術)
その際、使節に青銅鏡等の職工集団が随行したという。
魏国は公孫氏に破格の好条件を提示して魏国残留を慰留。
公孫氏はその条件を呑んで、その証に呉国の使節(大使)を斬首して魏国に送付。
随行していた呉国の職工たちは難を逃れて東海(黄海〜東シナ海)に浮かび北九州の
豊国(宇佐)の女王ヒミコ/豊玉日女命(宇佐津日女命)のに庇護を求めようとしましたが、魏国と誼を通じようとしているのを知り、九州を去り、畿内の大和(磯城)王国に至り定住化。
磯城の大王家(三百枚)や葛城の登美家(100枚)らが
渡来した彼らに魏鏡より大型の青銅鏡を作らせ配下や友好関係に有った豪族らに配布した。
中国の鏡は小型故に平縁(三角縁の鏡は一切出土していない)でしたが、
それらより大型にした為に割れを防止し強度を上げる為に三角縁としたという。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
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念のためにのせておきます
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IVA ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています