>>119
持明院統と大覚寺統の関係は複雑怪奇だよね。
後醍醐皇女が光厳院と結婚していたり。

さすがに勅撰集は天皇の正統性の根拠とするほどのものではなかろうが、
南朝方の和歌が北朝の勅撰集に入れてもらえなかったであろうことも事実であり、
勅撰集の意外な性格が露呈した一件とは言える。

ちなみに、最後の勅撰集(南北合体後の唯一の勅撰集でもある)
『新続古今和歌集』には「後亀山院」の名で収録されており、院号は公認されていた。
長慶院は「よみひとしらず」として収録されていて、
長慶が北朝方にどう認識されていたかの指標とはなるかも。
長慶が長らく即位したかもハッキリしない帝だったことはご存知のとおり。