>>150
当時は後二条天皇にまだ皇子がなかったので
後二条の次にはそれより幼い叔父恒明親王をというのはあり得たのだろうね
後宇多といえどもまだ孫が産まれていなかったのだから
弟を皇位に立てよという意見を無下にはできなかった

後二条に皇子があっても亀山がまだ恒明親王立坊にこだわったかは微妙だろう
後深草にすでに皇子がいるのに亀山皇子を立坊させた後嵯峨とは違う