後深草は、亀山の皇太子に世仁(後の後宇多)が指名された時、落胆して出家しようとした。
当時は後嵯峨上皇が生きていたからこの決定は絶対だった。ということで後深草自身には
そこまで強く自身の皇統にこだわりは無かったのが正解。

ではどうして出家も中止され、幕府を巻き込んだ騒動になったのか?
実は後深草に娘を入内させている西園寺家の意向が働いている。
娘の夫が院政を開けるか否かで、自身の生活が天と地ほど違ってくるから。
西園寺はこの時期武家伝奏だから、幕府に泣きつくアイディアを出したのは間違いない。