東京行幸、つまり二都構想とは全く違い、
難波宮への遷都は、645年の孝徳天皇の詔に基づくものであり、正当な遷都です。
ただ、孝徳天皇は姉らの改革に協力させられただけで、まったく実験もなく、
それゆえその都は完成と同時に用済みとなり、再び姉の宮に遷都されました。