持明院だの大覚寺だのいうのは、単に天皇たちが支援した寺の名前であり、
そういう皇統が実際にあったわけではありません。
俗に持明院統と呼ばれたり、大覚寺統と呼ばれてるのは、
後嵯峨天皇の次の天皇(後深草天皇)と、さらにその次の天皇(亀山天皇)が兄弟げんかした為であり、
結局玄孫たちが仲直りしたので、皇統は分裂せずにずっと受け継がれました。