足利兄弟が喧嘩を始めたのがすべての元凶、と言うのは極端だが
喧嘩の原因が荘園の本所の権利回復をどうするかの方針にあることは確実。

蒙古襲来以前から弱肉強食の経済原理がまかり通るのが鎌倉中期の日本の
現実で荘園の所有者が流動化してそれまでの家格などの秩序が崩れだした。
武士でも公家でも庶流でも嫡流に取って代わろうとする下克上が珍しくなくなって
きた。分裂、抗争が当たり前の時代になったのだから担ぐためのシンボルも分裂しだした。
ついでに言うと応仁の乱以降は将軍も分裂したよ。