正統な皇統の流れは、
後醍醐→光厳→後醍醐→光明→崇光→後村上→長慶→後亀山→後小松
だろう
神器の移動を基準としたものだが
後醍醐帝は吉野を脱出して南朝を開いた際には実は本物の神器を持ち出せてなかったと見ている
正平の一統で南朝に神器が接収されて正統が南朝に移ったのではなかろうか