武家政権時代の公家、朝廷について語るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
鎌倉〜江戸時代と主に歴史は武家によって作られました。
歴史に疎い人間の中では朝廷は無い物として認識されていますが
厳然として存在した公家、朝廷について何でも語り合いましょう^^
>>31
>いつから改元するかは幕府の意向
えっ?
史料を提示してね
改元も朝廷側が学者に3つぐらい候補を出させて合議制で決めてたと思うけど
君は誰が元号を決めてたと思ってるの? その示した3つの案を考えた学者が誰がと聞いてるんだよ
それも答えられないくせに偉そうなこと言うな なんで日本史のスレは、ケンカになることが多いんだろう(´・ω・`)
知ったか って言葉はやめようよ その三つの案ってのは、ただの形式の場合もある。
決まってるけど、一応三つだして選んだことにする。
公家にとってもっとも大切なのは形式だから。
酷い時は同じ人物が、案を出して、自分で批評して、
これがよろしうございますと進上。
つまり一人二役なんてことになる。
衰亡期で人が居ないとそんな羽目になるけど、
それでも形式だけは外さない。
それしかすがるものがなかったんだな、その頃は。 公家領って一村に複数の領主がいる入組だし、公家の家政機構が脆弱だから
年貢徴収や裁判権は京都町奉行や幕府代官に頼らざるを得なかった。
しかし軽微な事案は公家側で処理していたみたいだね。公家側の雑掌と庄屋間の
手紙などが古文書として多く残っている。 >>32
後光明天皇のこと?
京都所司代の板倉重宗の「あなた様をお止めできなければこの重宗
切腹せねばなりません」の諫言に対して
「未だ武士の切腹を見たことがない、見ていてやるうえ切腹せい」
って言った人? >>34は江戸時代の改元には幕府が介入していたものもあるというのを知って消えたか
ちなみに改元案自体を考える家は菅原氏だ 改元が公家の専管事項だなんて都市伝説だよ。
室町期に足利義満が「洪徳」という年号を
ごり押ししてきて、「徳の字のついた年号が続き過ぎる」とか
「洪水になる」とか言って必死に公家衆が宥めたんだわ。
永徳-至徳 と来てその次に洪徳を希望した義満だった。
それで結局「嘉慶」になったのだが、義満は「洪徳」が
採用されなかったのを怒り、今度は改元をさせないという
サポタージュに出た。
南北朝合一後に定められた「応永」が35年の長きに渡るのはそのため。 改元っていうと、江戸時代の改元の詔書を見たことがあるが、
改元に際して天下に大赦し・・とか老人には穀を給う・・とかおよそ朝廷の実権においては
なし得ない事柄が書いてあって、また同時に出される太政官符に至っては
名のみで実体のない官・省以下が記されていて、ちょっと感動ものだった。
大赦というと、これも形式的だが検非違使が罪人を赦すという儀式があるって
『幕末の宮廷』にあったな。 >>42
それは全くの空文なの?
それとも幕府や藩がそれに合わせて減刑したり米を支給したりしたの? >>43
詔書はテンプレがあるからそれに沿って書かれているだけで
ほぼ空文かと。改元大赦は下橋敬長の述懐で検非違使が六角獄舎で
宣告のみ行うとある。
実際、改元を諸国に知らせるのは朝廷の詔書ではなくて幕府からだし。 >>45
でも、獄は実際にあったんだ?
まさか牢屋まで空っぽだったのかな。それとも、幕府の牢屋で読んだのかな。 昨日だか、一昨日だかの「さかのぼり日本史」で、武家政権樹立後の公家の
身の立て方みたいなのやってましたね。 確か犯人役の人が決まっていて、その人許す儀式をするんだとかどうとか。
役人でなくて町民だったような。
あくまで幕末頃の話で、いつからそんなことをやっていたのかはまあ不明だろうけど。
戦国末とかはそんな形式すらできなかっただろうし。 その犯人役は「こうべ」とか言うらしい。
「頭を垂れる」の頭? 幕末、堤家(30石蔵米)の家臣団・使用人
雑掌・用人・番頭・近習(奥勤小侍)・中番・下部
年寄・側・乳人・黒歯・白歯・茶間・仲居 など男女約15名・・・。
けっこうな人数だな。 >>48
有り難う。今で言うと神事みたいだね。
地鎮祭で鍬を入れるあれなんかも、今では実際の意味を完全に失ってるものね。 >>48
有り難う。今で言うと神事みたいだね。
地鎮祭で鍬を入れるあれなんかも、今では実際の意味を完全に失ってるものね。 江戸時代の朝廷って敢えて現代に準えれば「神社」というイメージで良いのかな。
職掌は儀式(改元含む)ばかり。でも組織だから、総務とか会計とか人事とかは存在してる、みたいな。 せんせい∩(´・ω・`)
江戸時代……というても広過ぎか。江戸末期段階で、公家ってどのくらいの家が
あったんでしょうか? 曖昧な聞き方なんですが、単位がよくわからない……。
んー、なんとか家みたいなの、なんですが。
岩倉具視が騒動起こしたのって、五百家騒動でしたっけ? 堂上は130〜140軒くらいだったかと。
地下は世襲じゃない下官人まで入れると1000人前後とかだったような。
家として固定してるのは300とかそのくらいだったかな。 世襲かどうかの定義は難しいみたいだね。
世襲ってことになってる家でも、実際は株化して養子の場合もあるし、
下官人でも本当の親子や兄弟の例もあるらしい。
なんか一応子が継ぐけどすぐに辞めて、他人が相続ってのが連続してる役目もある。
それで世襲かどうかの区切りがつけにくかったのか、
下橋翁の話では幕末の時にたまたま史生等で任官してた連中は
士族になれたとかどうとか書いてあったような。
記憶違いだったらすまん。
下官人にも入らないんじゃないかとも思われる看督長・使庁なんかは、
士族になれたんだろうか? 幕末の宮廷は、たぶん19世紀の宮廷についてはほぼ正しいんだろうな。
もちろん多少の記憶違い勘違いはあるにしても。
伝聞にしてもある程度正確なのは祖父の頃までだろうから。
18世紀前半以前とかは地道に調べるしかないんだろう。
古代史と違ってまだ画期的新史料が出てくる可能性は有るしね。 >50
それは、何に載っていたのですか?
その資料の名前を教えてください。 >>50の例はたぶんなにか別途収入があったんだろうな。
それとも家臣の大半は無給、あるいは持ち出し有りとか、
じゃなきゃあどう考えても生活できないよ幕末頃だと。
江戸時代初期ならまだあり得たのかな?それでも非常にきつそう。
もしかして、なにかの行事の時の臨時雇いも含めた人数かな?
>>61>>62
皇學館大學の上野秀治氏の論文から。皇學館大學史料編纂所報第72号
「幕末の堂上公家の家計に関する一史料」
史料は堤家所蔵の家計帳。
時代は文久の分賜米があった後なので実質石高は方領含めて215石らしい。
女中は行儀見習いだから無給って場合もあったらしい。
逆に実家から付け届けとかもあったりとか。
有給でも男よりは安く上がるし、食い扶持も少ない。
だから江戸時代も進んでくるとどこの家でも男を減らして、
女を増やす傾向があったそうだ。
幕臣とか陪臣の話だけど、公家も傾向としては同じかな?
平和な時代なら、儀礼上どうしても必要な役目以外の、
単に家政で必要な人手は大概女で間に合うもんな。 上野氏の論文によると家臣の給米だけで35石らしい。
分賜米のおかげで家臣を新規雇用したのか・・・というと
近習以下侍は譜代家臣もいるようだ。一代抱えもいてこれは新規かもしれんが
そこまで詳しくは書いていない。 従五位程度の旗本(禁裏附)の部屋に呼び出されて罷り出る
従二位権大納言級の武家伝奏・・・。 明治以降は立場逆転だな。旗本は威張っていても石高が高くても
士族。堂上は石高少なくても、30石でも子爵以上の華族さま。 1851年の二条家諸大夫は筆頭が27両強・あとはほとんどが15両強、
子息で禄がないのは除き、なぜか一人だけ8両強。侍からの昇格組かも。
侍とか用人とかは、9両とか8両程度以下。
かならずしも家内の身分と禄の高低は連動してないようだ。
身分ごとに平均値はちゃんと身分順になってるようだけど。 二條家の諸大夫ともなれば北小路とか松波とかさすがに譜代でそれなりに
由緒ある家臣だなー。 武家との婚姻関係で見る家格
将軍家−内親王・摂家・親王家
御三家・御三卿−摂家・親王家
国主大名−親王家・清華家・平堂上家
一般大名・旗本・大藩家老−平堂上家 公家の生活は「家の格」によって出世できる終点の身分も決まっていた。
武家の方が自身の才覚によって身分上昇が可能なので、「世の中を変革しよう」
など、公家の側からは出なかったのだろうな。 逃げる公家、媚びる公家―戦国時代の貧しい貴族たち―』柏書房(2011) 信長とか秀吉は公家を武装させて参陣させてたからなあ。
もちろん実戦力ではなくて御伽衆的な感じだけど。
これを本気にして渡海しようとした近衛信尹みたいな摂家も出てくる始末。 公家はペットみたいなもの。数が少ないのが生き残る道。 公家が一番困窮したのは戦国時代でしょ?
でも江戸時代見ても100石に満たない公家がぞろぞろいたよな・・・
戦国時代は天皇も飢えて餅屋からの献上品を食ってたというし
京都にいた有力武家は何をしていたのかと小一時間問い詰めたい
別に扶養義務があるわけじゃないし。
正直どうでも良かったんじゃないの?
余裕がなかったのかも? >>75
>京都にいた有力武家
これって室町将軍のことでしょ?室町将軍も金欠で援助どころでは無かった。
大体将軍が京に不在なことが多くてね。追い出されちゃって。 >>68
へえ、そうだったんですか。面白い。
何ていう本(論文?)に書いてありますかね? >>78
「近世の身分的周縁」とかってシリーズの「朝廷を取り巻く人々」とか言う題名の本に、
収録されていてた摂家家臣について書かれたもの。
題名はうろ覚えなので間違ってるかもしれない。 >>79
78です。ありがとう御座います。
来週学校に行って図書館にあるか調べてみます。 >>79 >>80
正しくは吉川弘文館 『身分的周縁と近世社会8 朝廷をとりまく人びと』
近世朝廷研究の第一人者、高埜利彦氏と高埜氏の門下生による共著の本。
地下官人や堂上家の部屋住みなどにも触れていてなかなか読み応えあるよ。 そもそも江戸時代に公家って必要だったのか?
皆無でいいとは思わないが、大臣家未満は無嗣絶家でも問題ないでしょ。
大名の改易みたいに浪人が増えるわけでもない。 朝廷の組織運営に最低限必要な人数を確保するために、幕府主導で新家を設けて公家の数を増やしたのだが>江戸時代 >>84
中断していた儀式とかを中断させたままにするのならば、
新家を設ける必要がなかったけれどね。
もちろんそうさせないのが朝廷の要望と幕府の方針だったから、
公家がごちゃごちゃ増えたのだが。
評論家が「江戸時代の体制を維持せよ」と、
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/8/188_2.html
ようやく、日本政府の一角が、現体制が「徳川幕府体制」そのものであることを認め始めた。
そもそも、徳川時代権勢を誇った「公家」「侍」集団が、やすやすと貧しい農民集団に権力を明け渡すはずがない。
明治時代、金持ちから優先して税金を徴収したというのは、真っ赤な「ウソ」。
平民階級の成り上がり者に高率税金を課し、絶対に金持ちに紛れ込んでこないようにした。
もちろん、天皇一族、公家、侍階級が税金を払うはずがない。
このような天国の生活を放棄するわけがないことは、子どもでもわかることだ。 摂家の当主ですら、征夷大将軍ごときから偏諱を受けていたって、情けない
存在価値が希薄すぎ あの時期は実質的に君主だもんな。
普通はあそこまで行けば簒奪しちゃう。
あるいは、名目君主の次の臣下最上位の地位を作ってそれになるか、
既存の臣下最上位の地位に就任しちゃう。
征夷大将軍は名目上は明確に摂関より上位に位置づけられてもいない、
不思議な地位。 室町時代後半
スポンサーがいない → 即位するカネがない → 天皇在位が長い
感じいるものがある >>92
死ななければ100年でも在位していそうな雰囲気。
後柏原や後奈良、後土御門あたりが貧困天皇の極致。 >>92
他の国なら、とっくに公家・天皇家なんて消滅してたんだろうね。
>>83氏の言ってるように、「なんで必要だったの?」っていうのは、
天皇家・公家っていうシステムの不思議さを改めて感じさせます。
>>94
長く続きすぎて、誰もが「無くす」ことが怖くなってしまった。 >>94
武家は権威付けに朝廷から官位貰わないといけないのに
天皇家、公卿を粛清とかする必要あるのか?
織田信長は生きていたら自分が天皇として即位しそうな感じだけど
明智光秀に殺されてるし。 今から見ると、皇室は日本史上存続するのが当たり前だったように見えるけど、
実際には、偶然が続いてここまで存続した、と見るのが正しいと思う。
特に、室町中期までは、皇室にもまだ
財政的基盤も政治的基盤も、それなりにあったわけだが、
戦国時代にそれが、ほぼなくなった。
その後江戸時代には、家康の貴種マニア的な性格もあり、
朝廷は箱庭的に生き残ったわけだが、あくまでも箱庭であって
財政的にも、政治的にも従来のものとは全く異なったものになっていた。
もし戦国時代があと数十年続いていたら、皇室が滅亡していてもおかしくなかった、
と自分は思うが。最後まで京都を離れなかったのが幸いした。
もし本当に生活できなくなって、地方に亡命したりしたら、きっと滅んでいたと思う。 >>96
信長が天皇として即位しそうな感じってのの根拠は?
それ言ってる人見るとどうも素人っぽくて。
根拠を明示してくれればまだ話になるけど。 >>97
皇室の権威を利用したのは紛れも無く戦国大名だろ?
大内や毛利がどれだけ献金したと思ってるんだ。
ただそれでも経済的には安定しなかったが信長、秀吉の登場で
天皇権威は復活しただけでなく、以前にもましてその存在意義が増した。
もちろんそれは信長、秀吉の栄光のお陰であることは間違いないが
戦国時代を終わらせたのはある意味この両名であって、
あたかも家康が皇室の存続に大きく寄与したというのは
あまりにも飛躍した話である。
とは言え>>97氏の言うように、もし天皇が地方に亡命することがあったらそりゃ滅んでいた可能性は高い
ただ多くの公家が地方に疎開したのと決定的に違ったのは、玉座という地位を軽んじないという
天皇自らの天皇の歴史に対する敬意だ。つまり地方に亡命するなんていう仮定がありえない。
そもそも戦国時代にあって地方亡命なんてのはある勢力に取り込まれた時なわけで
それを他の大名が許すわけもない。つまり戦国のような時代だからこそ京都に固定されるし
大名勢力もそれを望むわけだ。そこら辺の仮定を公家レベルや京都内での里内裏レベルと同じに考えてるのはおかしい。
>>100
いやだから書き方が悪かったかも知れんが、
勿論家康だけじゃなくて、信長秀吉が現れずに、
あのまま足利将軍家の権威低下だけが続いて、あと数十年〜100年程度
戦国時代が続いたら、やっぱり金欠で生活できず、
「どこかの勢力に取り込まれてしまう」ことになったのでは?
ってのが自分の想像。
あくまでも想像だから、それ以上議論はできないけどね。
とにかく、戦国時代の朝廷は、(一般的に思われていることに反して)
「存続の危機」の状態にあった、ってことは確かだと俺は思う。 >>102
武士が全員悪党になった上に荘園の解体が進んだんじゃしょうがないね。
危機は危機だけどやっぱり官位を与えるということで生き残ってる。 その「あと100年間戦国時代が続いたら〜」っていう想定自体がナンセンスだからな。
戦国時代があと100年続くってのはどういう状態か想像もつかないし、
逆に言えば戦国時代が終了するその100年後というのはどういう終了の仕方なのか。
つまり設定自体に(歴史を考える上では)無理があるので、その設定に基づいて天皇がどうだというのは無理だし無意味。
なのでそれをもって「存在の危機」にあったとも判断はできない。
むしろ戦国時代でさえもその存在が失われなかったことを考えれば
「存続の危機」は戦国よりも道鏡の登場や、足利義満のような公家社会も取り込んだ独裁者の登場時の方がよっぽど切迫していたと思う。 権威ってなあ、なんなのでしょうなあ……(´・ω・`)
天皇というシステムが残った理由の一つが「長さ」だとしたら、「漢」はなじぇに
無くなってしもたのだろうかなー、とか。献帝まで約400年でしょ?
支那の場合は、禅譲っていうシステムが構築されたせいかしら? 世界史的に見れば、永続しないほうがずっと多いからな。
普通は続かないし、変わったときにその理由を考えるほうが普通だったから。
権威は跡付けだよ。 >>105
儒教が根付くのが遅かったからじゃないか? >>108
「孟子」の易姓革命概念が嫌われて、
「孟子」を載せた船は沈むという俗説があったぐらいだからな。 >>104
天皇家の持つ広大な荘園が武家に横領されつくしたから、天皇に価値がなくなった。 >>110
天皇は荘園を所有してたから価値があったわけじゃなかろうに。
てか日本語で頼むわ。 >>104
戦国時代が続いてたら天皇制が滅んだか?ってのは議論あり得ると思うが、
「戦国時代があと100年続くってのはどういう状態か想像もつかない」ってのは、すまんがよくわからん。
想像くらいは、容易につくだろ。
信長秀吉以前から、戦国の覇者はいて、しかしそいつらは強い権力を持ちながら
維持できずに滅び去っていっていたわけで。そういう状態が続いて、
100年後になってようやく秀吉みたいな傑物が現れて統一する、なんてことくらい、想像するのは容易。
むしろ、歴史に「もし」なんてそもそもありえんだろ、って言うのならまだ話はわかるが、
それは全く別の問題な。 根拠地から京都までの土地を連続して支配下に治めて安定していられた勢力が織田家が現れるまで無かったようなものだもんね。
細川とか六角とか三好とかは一応そういえるかも知れないけど、圧倒的な力で維持できるまでには及ばなかった。
大内とか根拠である山口に帰らなくちゃいけなかったし。 >>113
現実に起こってないことを想像するのは容易とはなw
そもそも覇者がひたすら滅び去って行くことが繰り返される状態がただ延長されるだけと考えてるようだが
それは想像以下のものだろ。
ここは日本史板なんだから想像するにしても学問としての科学性を多少なりとも根拠とし給え。
それを踏まえた上で想像するのは困難だ、というわけだ。
戦国の覇者が攻防を繰り返すことが200年続くという状況は日本史の歴史性を考えた時にそれはどういう状況か
もう少しその想像とやらではなくて丁寧に説明してくれないかな? 文化と教養が戦国時代の天皇や公家の存在意義だったのでは?
大名が公家文化を消化するか、新しい文化を創造できたら
大名は天皇達のスポンサーをする気は失せるだろう。 >>116
もし室町幕府が鎌倉にあったら、天皇家は立ち枯れていたかもしれない。
武士が京都ではなく鎌倉を向くから。 >>115
だからさ、あなたの言っているのは、戦国時代が100年続いたらどうこう言う話じゃなくて、
「そもそも現実に起こっていないIFは想像しても意味ない」っていうだけだろ?
もしそうじゃない、って言うのなら、
何でもいいから、何か現実に起こっていない事柄について、
日本史の歴史性を考えた時にそれはどういう状況か、自分で納得の行くくらい寧に説明してくれないかな?
つまりね、あなたはただ単に「歴史にIFは無意味」って言ってるだけなんだから、
もしそうなら、初めから>>104みたいに回りくどいこと言わずに、単に一言「歴史にIFは無意味」とだけ言ってくれよ、
って言っているのだが。
例えば>>104
「つまり設定自体に(歴史を考える上では)無理があるので、」云々とかいってるけど、
別に「設定に無理がある」わけじゃなくて、どんな設定だって史実じゃない以上ダメなわけでしょ?
もしそうではない、と言うのなら、どこにどう無理があるのか、明確に説明してくれよ。 質問に質問で返さなくていいから、その戦国時代が200年も延長されてる状況、
あんたが想像できる状況ってのを詳しく描写してくれよ。;
ただ戦国の覇者が攻防を繰り返すのが100年から200年に伸びただけ、なんて説明じゃなくてさ。
歴史ってのは連続性と同時に空間的な広がりもあるわけなんだよ。
ただ「戦国時代が200年続くのは想像できる!」じゃ小学生と一緒だろ?
戦国時代と一口に言ってもそれぞれがそれぞれ独立して勝手にやってたわけじゃないわけで
いろいろな力学の元に歴史が展開されていたわけだ。
それは対大名、対家臣、対在地勢力、対朝廷、対幕府、そして対キリスト教、対南蛮貿易国、対支那、対朝鮮・・・
そういった要素を絡めた上で(なぜなら日本の歴史がどうなってようが平行した世界の歴史は否応無しに展開するからだ)
実際の年代、史実と想像のボーダーの政治的、経済的、宗教的状況、外国との関係などなどを時代に沿って丁寧に想像して
はじめて100年後も「戦国の覇者が〜」って言えるわけだよ。
ただ「その時の状況が100年後も温存されてるだけ」ってのを想像って言うんなら「縄文時代が続いてる現実も想像できる」って言ってるのと同じ。
少なくともこのトピックは「戦国時代があと100年続いてたら天皇は云々〜」というのが嚆矢なわけだから、前提となるその想像とやらが
「ただ前時代がそのまま温存されただけ」なんていう屁にもならない想像とやらだったら、その後の結果に対する検証にも関わってくるわけだ。
「天皇がなくなっていたか否か」なんていう検証抜きにして勝手に西暦1700年ごろも戦国の世が続いていたと想像するのはどうぞご自由に。
それでも、18世紀に戦国の世が温存されてるのはどういう状況か、なんてのは簡単に想像できんがね。先述の種々の要素があるから。
>>119
前代の権威が大きく低下した中国の戦国時代みたいなのを
想像してるんじゃないの?
各国の君主が「王」を名乗ったみたいな。 >>117
どっかの本で読んだが、鎌倉育ちの尊氏が京都に幕府を置くことを考えたのは
足利氏の権威や勢力の弱さのためらしい。
尊氏が戦の大天才だったり、北条氏の財力をそっくりそのまま継承出来れば
足利氏の権威や権力も上がって鎌倉幕府2ndもありだったんだろうが。
結局東国が西国と同等な文化を持つことは無かったな。
江戸時代も首都は江戸でも他は圧倒的に
西>>>東 だし。 武家政権時代の朝廷公家は、覇道の世界によらない、学問、文藝の世界に身を置くことで保身を全うしてきたわけだが、
関ヶ原の戦いの丹後田辺城攻城戦のさい、不意に朝廷は、自らの意思を表明する
「幽斎を喪うのは、朝家の嘆きである」
なぜ、この時だけ、朝廷が、いにしえの国家権力のような毅然とした姿勢をとったのかね >>118-119
君ら賢いんだから、スレ違いなことに気付いてくれないかな。 >>121
1450年くらいから上洛を志向する武将が出てくるけど、
天皇と将軍のどっちがより強く武将の上洛意欲をそそったのだろうね。
落ちぶれた天皇家にとって、将軍と同じ場所に居たことがプラスに
働いたことは間違いないと思っている。 それは足利氏にも言える。
独自の権威を持つのに失敗したから
天皇の庇護者になろうとした。
もし、足利氏がかつての頼朝のような権威と北条氏のような権力があれば、
鎌倉を拠点に三河から陸奥までを支配したろう。 >>123
申し訳ない。気をつける。
>>122
八条宮智仁親王の個人的な拘泥が大きかったのだろうか。
最終的な決定者たる後陽成天皇が秀吉政権の下で(文化的価値も含む)権威を上昇させていたことも
要因のひとつとも思うが。 従二位兵部卿を得た大内っていくら献金したんだろう?
元々の大内の家格ってどうせ従4位下あたりでしょ? >>127
後奈良天皇の即位費用に2140貫、その他禁裏修理に100貫など。
後の正親町天皇の即位費用に毛利元就が2000貫献金している。
西国は太っ腹だね。 >>129
いやそれ以外にもしてるんだよ確か1000貫くらい。
正確な数字と、名目は失念してしまったが。
文献あさってみるわ。
貿易は儲かるってことだね。しかし従二位で兵部卿にしか任じられないとは、朝廷も底意地が悪い。
中納言もしくは権大納言でも充分お釣りがくる。 逆だろ。金で官位は買えないということを示してるわけだ。
ただ買えるかもしれないということも示しているわけでもある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています