秦氏など渡来人のルーツは?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
(要拡散)
民主党の実態
有楽町のマリオン前で民主党関係者が女性の首を絞める
民主党関係者が女性に暴力!マリオン前
http://www.youtube.com/watch?v=PayoHHi1Jvw
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17240051
13日23時時点で被害女性はまだ警察の事情聴取を受けているようです >>24
近いっちゃ近いね。
でもより近いのは物部(藤原)氏と鴨氏。
この3氏族が連合組んで「物部連合(物部連)」。 古代イスラエルから来て 中国秦国をもって、日本へ渡ってきた。 D系統の遺伝子がセム人種のE系統に似てると言っても中央アジア出自のセム人種に遺伝的に近いってだけでユダヤとは限らないよ
アラブ人に近いかもしれないじゃん。
日本人なんか自爆攻撃と首チョンパが大好きな首狩族だしアラブ人みたいじゃん
ナチスの収容所で反乱起したユダヤ人は似たような自爆をやったらしいけどね 親日なイラン人によると日本の風習の大部分はイスラム教のコーランと風習と共通してるらしい 民族衣装の本にアイヌは中央アジア系とかアホなこと書いてあったけど、
著者は生物学に疎くてD系統ってのを早合点したんだな ローマ帝国のことを「大秦」などという
実際はシリアあたりのことだろうけど ローマのガラス製品が日本に見つかったから想像がふくらむな 秦氏は基本、新羅渡来。
百済系の藤原氏に入ってる秦氏も要るが、百済和氏と同じく、混じっているだけ。
倭人本体と渡来秦氏本体は、新羅系渡来。
だから
八幡神社、賀茂神社、素戔嗚尊神社、新羅神社は、皆、新羅絡み。
出石神社・白井神社も新羅渡来の天日槍命崇拝。
松尾大社や伏見稲荷大社も秦氏の秦神社由来で新羅系。
百済神社や高麗神社は、高句麗絡み。 新羅 始祖王
赫居世
密陽朴氏は新羅初代王朴赫居世の後裔、景明王の息子、朴彦沈に出づ。新羅王族にして、新羅三王族の一として著名なり。
新羅 始祖王
稲飯命
稲飯命の裔の天日槍命の出石民族の但馬氏・三宅氏・葛城氏の神功皇后
倭人の昔氏・朴氏・神武の兄弟の稲飯命の末裔。
八幡神社、賀茂神社、素戔嗚尊神社、新羅神社は、皆、新羅絡み。
百済神社や高麗神社は、高句麗絡み。 秦氏と高皇霊産神と須佐之男と天若日子と少彦名命と新羅の関係が、
分からないんだけど。 >>42
それと、これらの人達と大日鷲命だとか金烏だとかの関係も分からない。
大日鷲命は大国主とも云われてるし。 >>44
困る困る。分からないと困る。
困った困った。 秦氏はお酒とか造ってた豪族で分かるとか分からないとかでやってないw
中国から渡来したんじゃないか。 >>42 秦氏は正確には中国渡来。秦氏の進路を遡ると、シルクロード経由でイスラエルまで行きつく。
弓月国や郭耳国は秦氏と関係あると思う。高句麗とは関係ない。 >>47
>秦氏の進路を遡ると、シルクロード経由でイスラエルまで行きつく・・・・・・
秦氏が、現在のイスラエル地方出身だと?壮大な説だが、太古の出アフリカ
途上に一時イスラエル地方に逗留したことを指しているのかね? 前秦の苻氏の子孫であり、胡族であろう。
胡族の成分としては、匈奴・鮮卑・羯・氐・羌のうち、氐・羌。
シナチベット語族チベットビルマ語派ロロ・ナシ語支あたり。 >>49
それって、古代に滅びた楼蘭の民と同族なの? >>42-45
それ全部関係ないから心配すんなw
関係あるある言ってるのは電波系のアホばっかり >>48 いや、イスラエル→バビロン→ペルシャ→中国→日本。
秦氏の信仰する宗教は景教(原始キリスト教)だったという。 きっと秦氏の古墳を掘り返したら、兵馬俑やら地下宮殿、水銀の池、契約の箱に聖杯、ロンギヌスの槍や頼朝公おん十四歳のみぎりのしゃれこうべなどが出てきて大変なことになるなw 大避。大酒、、、ダビデ。
イサ、イシ、イス?、イセ、イソ(サ行音韻転訛)、 、、救済。救世主。
秦(ハタ)氏の原始キリスト教/東方(東洋)教会=景教徒の説は十分にあり得る話。
ユダヤ教の分派で異端とされたキリスト教は宗祖のイエスキリストが受難殉教して
、教団の一部が東方へ逃避行。
見事、シルクロード20000kmの荒野を渡りきり、建国間もない一世紀半ば。光武帝〜明帝期の後漢帝国の帝都洛陽に到着。
後漢帝国では西洋〜中近東他のローマ帝国勢力圏のような苛烈な弾圧や禁圧は一切なく、
帝都洛陽はもとより中国全土で盛んに布教活動をしていた云々。 とは後漢書が伝えるところです。
キリスト教は景教(意味は同じ)。イエスはイーシェ、イーサ等と呼称された云々。 ユダヤ教系(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教) では基本的に偶像崇拝は厳禁。
その為か神の依代、代替として岩や石を神聖視したようです。
我が国の神道に於いても基本的に同じ。
ユダヤ由来説は日本より当のイスラエルに於て驚嘆を持って盛んに言われているところ。習俗や祭儀、神社の様式。言葉に至っては3000語以上の類似性や同一性が確認されています。
これは単なる偶然とは考えにくい生きた物証
意味不明な囃子詞/ハヤシコトバ(此れ自体もユダヤ由来)の数々はユダヤの古語ヘブル語だと訛りはキツイものの意味のあるフレーズばかり。 最強だな、おまえ。
もう誰もおまえに付いていけない。 ユダヤ教系(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教) では基本的に偶像崇拝は厳禁。
その為か神の依代、代替として岩や石を神聖視したようです。
我が国の神道に於いても基本的に同じ。
ユダヤ由来説は日本より当のイスラエルに於て驚嘆を持って盛んに言われているところ。習俗や祭儀、神社の様式。言葉に至っては3000語以上の類似性や同一性が確認されています。
これは単なる偶然とは考えにくい生きた物証
意味不明な囃子詞/ハヤシコトバ(此れ自体もユダヤ由来)の数々はユダヤの古語ヘブル語だと訛りはキツイものの意味のあるフレーズばかり。 土木工事を得意とする秦氏はエジプトのピラミッドや万里の長城を築いたフリーメイソン
現代に至るもユダヤ国際金融資本の出先機関として日本を裏から支配している一族 養蚕、織物ならモロ漢民族だろ。
秦氏の残した朝鮮陶質土器=須恵器だって中国灰陶の流れを汲む土器。 その大阪の太秦町の近くに川勝町があるから、もろに秦氏由来の地名でしょ。 太秦とかいて何故ウズマサとよむのかについては、長らく不思議がられていたが、平成14年に
雑誌歴史研究にその謎が解かれている。
太秦の太は、太郎次郎三郎の太と同じであり、本家とか中心とかの意味である。
つまり太秦とは、秦氏の本拠地という意味なのである。であるから、本来は、オオハタと発音するのが正しく、そう発音されていたはずである。
で、秦氏はその本拠地、太秦(オオハタ)を今の京都の一角に置いた。
その一帯はウズマサとよばれていたところであった。
日本では、人名や施設を、そのある場所の地名でいう場合がみられる。
例えば、木村という親戚が大阪に住んでいると、大阪の叔父さんという呼び方をする。
新東京国際空港が成田にあるので成田空港と呼ぶ、とかである。
警視庁は桜田門にあるので、サクラダモンといったら警視庁を指す、とかである。
この太秦も、本拠がウズマサにあったので、ウズマサというようになったのである。ただし正式には太秦であったので、
漢字で書く場合は太秦の字を使ったということである。
ではウズマサの意味であるが、
ウズとは髷のことである。マサとはマサキカズラのこと、今のテイカカズラのことである。
つまり、髷飾りにマサキカズラを使っている光景からできた地名なのである。
京都の(昔は葛野と言った)一角にテイカカズラのさきみだれる野があり、そこのテイカカズラを人々は髪飾りにつかっていたのである。
もう一つの説は、やはりテイカカズラの咲き乱れる野については変わらないのであるが、
その咲き乱れる花をみたある人が、天石屋の事件の時に、天のウズメの尊が、
石屋の前で踊るときにウズにマサキをさして踊ったことを思い出し、ウズマサといい、それが広まったものである。
との説がある。
以上から、太秦という表記とその読みがウズマサとなったわけの説明を終わります。 解説乙。
なるほど、髷飾りのマサキカズラを指すウズマサの地に秦氏が大挙して
移り住んだから太秦=オオハタと名付けても旧名のウズマサで呼ばれて
オオハタが消えてしまったんだな。
確かにみんな新東京国際空港となんて言わないね。
単にナリタと言うだけでw 秦氏をハダと読むのも、機織りからと良く言われるけど、ハナハダシイのハダ(「甚」:極端、想像を超えるの意)から来てるんじゃないかな。
むしろ秦氏が得意だったから機織りをハタオリと呼ぶようになったのでは? >>62
>>63>>64にも在る通り、一顧だの余地無く漢民族 >>69それは違うのではないか?
太秦の「うず」は、宇治と同じ蛇のことだ。渦=とぐろと考えればわかりやすい。
太秦とは、秦氏が崇拝する蛇神のことだろう。三輪山の大物主も蛇神だ。
「まさ」の方は、長を意味する勝(まさる)のことだろう。
宇都宮という地名も、実は宇津の宮、つまり秦氏の宮なのだ。
秦氏は、薬師寺との関連が深く、蛇は脱皮して再生する薬師如来の使いとされていた。
宇津救命丸の創業家宇津家は、宇都宮が秀吉に改易されるまで藩の御典医だったと伝えられている。
富山の薬売りにも、宇津と名乗るものが多いという事実もある。
下野薬師寺が、奈良東大寺と同じく、奈良時代に正式に僧尼を認める戒壇が設けられていたことでもわかるように、
秦氏の分派が下野に来ていたことは確かだ。宇都宮藩の祖、慈覚大師円仁は秦氏か? 「うづ」は秦韓十二国の中の一つ、「優中国」の優中(ウツ)だろ
今の慶尚北道の北部の日本海沿岸
その前は「有秩」これは秦の制度で五千戸の長。
5000世帯でそこに移民定住したから「優中国」という地名が起こった
「まさ」は…メシアかなw 優中国なんて存在しないしな、在ったのは優由(ユリウ)国、それ程似てない 古くの渡来秦氏を皇統で観ると・・
孝元天皇、第一皇子の大彦命の四男に、波多武彦命と孫に、豊韓別命・・後の安倍氏
大彦命と開化天皇の弟の彦太忍信命の孫の三韓征伐の武内宿禰の子に古代波多氏・許勢氏・蘇我氏・平群氏・紀氏・渡来9天皇家の葛城氏・江沼氏と古代中央氏族の臣姓が名を連ねている。 豊韓別命の韓の意味は、おそらく
新羅地域渡来の意味で、新羅以前の周代の都市の韓地域からの倭人渡来の意味だろう。
周代・・つまり、神武東征時期で、神武以前が、この周代の韓地域からの倭人渡来である事を意味している。
後の秦氏も、この波多武彦命の時代が最古の渡来であろう。 神武天皇の兄の稲飯命が新羅建国と言うのも、正しくは、周代の韓の時代の話だろう。 辰韓に住み着いた秦の民とは、キングダムの秦の始皇帝・政の正統血統の弟・・ こういう良スレをsage進行する。
いけませんねえ。
どんどんオープンに上げて盛り上げましょう。 秦氏は大体分かった。物部の力を検証してくれ。楚系だと思うんだが。 >>64 漢民族が養蚕、織物に従事してたなんて初耳だが。
漢というと征服系で着る側というイメージだが。
まあ養蚕はどこの国でもやってただろう。呉服は呉系であるし。秦氏は漢の国にもいたし。 「うづまさ」の「うつ」も「はた」も同語源で訛り方が違うだけ
元は「于填(うてん)」のちのホータン
于填の先秦上古音は[yu-tu]でこれが「うつ」の語源
于填はまたそれ以前の「月氏」「禺氏」の語源でもある
月氏の先秦上古音は[hat-ti]でこれが「はた」の語源 >>76
写本によって優中国・優田国・優由国いろいろある
日ユ同祖論では辰韓十二国がイスラエル12部族でその中の優田国がユダ族
「優由国」説もあるがその場合は「うや」と読むはず
ユリウとかいってるやつは朝鮮人だけ、問題外。 >>89
残念ながら南チョンの願望妄想も虚しく
在ったのは優由国、そして古漢語の発音はユリュ(YuLiu、YuLiw) >>90
優の字の音に[Y]があらわれるのは近世音(宋代)以降
由の字に[L]音があらわれるのは現代中国語じゃないのか
優中でも優田でもなく「優由」なのだとする場合にはその比定地に
烏也山(うやさん)を想定しているはず
古漢音とか何を典拠にしてんのかしらんが
三国志の時代の「優由」の漢字音と6−7世紀の「烏也」の漢字音に
つながりを認めない立場なのか? それで「優由」説に執着する意味あるの? 同時代の三国志に残されている記録は優由国
三国史記は数百年後に創られた読み物
現代中国語の由はyou2、上古音の優はyuもしくはquに近い音
>>88
えw上古音だと月氏は(GwaTsing)、于填は(GwaDin)だぞ?
あ、本当だ、よく似てる。同じ民族の別音写なのか >>92
>同時代の三国志に残されている記録は優由国
>三国史記は数百年後に創られた読み物
それは否定してないが、ぽまえの考えでは優由国ってのは今のどこなの? 辰韓地方は南と東南を倭と接し現慶州北道と概ね一致するから
慶州北道の何所か、慶州南道では無いね >>94
>慶州北道の何所か
あたり前だろ! そんなことは質問する前から大前提だっつの
まさか全羅道だの京畿道だの言い出すとはこっちも思ってないから心配すんなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています