秦氏など渡来人のルーツは?
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シュメールを連呼しようと山東だろ
蜀→斉→日本なのか
殷→斉→日本なのか知らないが
殷なら羌の敵だから羌にはならないが 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
GT08L 秦河勝のハプロを公開してる系列からしたら趙のエイ姓らしい
趙のエイ姓の場合は秦との血縁は有り得ないから焚書坑儒から逃れた人なのだろうか >>443
全て外れ
むしろ始皇帝に祖国を追われた奴ら とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
CLP 中国と接点のない朝鮮人の秦氏が摂家にいるようだからややこしい 大分豊後の穢多頭であった秦惣兵衛が剣術道場を開き、
全国から部落の「牢守」などを集めて武道の訓練を行っていたことがわかっている。 始皇帝の子孫は嘘やろな 子孫は完全に項羽に皆殺しにされてた上、地理的にも離れすぎてないか
どうですか秦氏の方々 太秦や秦氏は同時代の後秦が由来。
日本と羌族は兄弟。 ご歓談中失礼します
高麗専門の専スレが立ちましたので宣伝に参りました
各地域お詳しい方々とも是非ワールドワイドにお話し出来たらと思っております
ご興味あられましたらお立ち寄りくださいませ
高麗時代史専用スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1556797827/ >>458
宮城谷昌光の小説では扶蘇の生き残りが描かれています
後宮に大勢女を囲っている皇帝のすべての子孫を殺すなど出来ないということでしょう
また、秦が最後に滅ぼしたのは山東省にあった斉国であり徐福が出向したのも山東半島からと言われています
ここらへんからも秦から逃れようと大勢が船に乗って出航したのかもしれません
対面は今で言う大連のある遼東もあり、東にいけば日本ではあります 〜プヨもチュモンも日本とは無関係! むしろ半島の伝説はすべて「日本書紀」からパクった妄想だった♪〜
高麗大学の金鉉球と鄭大均の両教授は、
「漢文の書き方から見ても三韓の建国神話は日本書紀を模倣して書かれたものであることは明白であり、
現代の歴史教育における三韓史も日本書紀を土台としつつ、感情的に受け入れられない部分を削除し、
ただ根拠もなく三韓が日本に文化を伝えたと改ざんした捏造史である」と断言しています。
また「日本書紀」に引用されていることを理由に百済三書を事更にもてはやそうとする朝鮮ヒトモドキも多いですが、
朝鮮半島最古の歴史書である三国史記には、「百済開国已来、未有以文字記事、至是得博士高興、始有書記
(百済は開国以来、東普の高興博士が書記を記録するために訪れるまで文字で記録を残したことはなかった)」
と明記されており、こんにちでは百済三書の存在自体の信憑性は低いと断定されています。
加えて朱蒙伝説なるものが神武伝説の元になっていると強弁する朝鮮ヒトモドキも散見されますが、
「論衡」「後漢書」「魏略」に記録されている東明は扶余族の東明であって、
高句麗初代王の東明(朱蒙)と混同するのは彼らの民族的願望であり事実ではありません。
やはり金教授と鄭教授の指摘にあるように、
朱蒙伝説も三国史記編纂時になってから「日本書紀」を模倣して創作された伝説と見るべきでしょう。
なお、百済三書(百済記、百済新撰、百済本記)は日本書紀の引用文献として名前が上がっている以外に存在を証明するものがなく、
「天皇」や「日本」と表現している点、漢音ではなく呉音で表記されている点などを勘案すると、
日本書紀の権威付けのために日本書紀編纂者が創作した文献であり、実在はしていなかったとするのが現在の定説です。 >>463の補足資料
一方の日本(倭国)の文字文化はというと、魏志倭人伝には次のような記述があり、
この時代に既に倭国は文字による外交や政治を行っていたことが理解できます。
「文書・賜遣の物を伝送して女王に詣らしめ」、
「詔書して倭の女王に報じていわく、親魏倭王卑弥呼に制詔す。」、
「今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し」、
「銀印青綬を仮し」、
「詔書・印綬を奉じて、倭国に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詔をもたらし」、
「倭王、使によって上表し、詔恩を答謝す。」、
「因って詔書・黄幢をもたらし、難升米に拝仮せしめ、檄を為(つく)りてこれを告喩す。」、
「檄を以て壹与を告喩す。」
このように魏志倭人伝には繰り返し後漢や魏から詔・詔書が出され、印綬が下賜されたことが記され、
それに対して倭国からは「上表」文が出されています。
従って、弥生時代の倭国は詔書や印に記された文字を理解し、上表文を書くこともできたと断言できるのです。
おそらく日本列島内で最も早く文字(漢字)を受容し、外交・政治に利用していたことに疑いの余地はありません。
よって日本列島内で弥生時代の遺跡や遺物から最も「文字」の痕跡が出現する地域が女王国(邪馬壹国)の
最有力候補と考えるのが、理性的・学問的態度であり、学問的仮説である学説に値します。
筑前中域には次のような文字文化受容の痕跡である遺物が出土しています。
志賀島の金印「漢委奴国王」(57年)、
室見川の銘版「高暘左 王作永宮齊鬲 延光四年五」(125年)、
井原・平原出土の銘文を持つ漢式鏡多数
これらに代表されるように、日本列島内の弥生遺跡中、最も濃厚な文字文化の痕跡を有すのは筑前中域であり、
この地域を邪馬壹国に比定すべきとの結論に至らざるを得ません。 :∧∽∧:
:< ∩∩ >. アイゴー
:(´__ノ ノ.:
:ム_)_):
∧∽∧ ウリナリが考えた
〃,< ∩Д´> 最高の捏造史が
/(_.ノ ィ \ また論破されたニダ・・・
⊂こ_)_)`ヽ.つ
アイゴーーーーー!!!!!
:∧∽∧:
:<、 ⌒ヽo:
:(_,,ィ、__つつ
ニダーリ
∧∽∧ 今ちょっと
⊂⌒<ヽ `∀´> かわいそうと思ったニカ?
`ヽ_つ ⊂ノ その気持ちを大事にするニダ! どこの池沼(勢力?)なんだ?
家の老婆は『神仙界』・・・?
この話をしているんだけど、むかーしから知っていたみたいだし そこらのブログみたら、秦氏はヘブライ語話してたと書いてあるけど、秦氏はヘブライ語を話してたんか。 草津節のチョイナ、チョイナの囃子がヘブライ語やというのもあるが、まさかな。 ちなみに池沼というのは・・・w
>>467
お前のような人間のことを言っているんだよ 秦氏のハタは、機織りのハタという人もいる。
これは、布を織る機械のことをハタと呼んでいるということのようだ。
しかし、機の漢音はキだし、この機をハタと読んだ例がどこかにあるのかな。
布を幟(のぼり)に用いたものはハタ(旗)と呼ぶが、その布を織る機をハタと読むのはどうも腑に落ちんわ。 >>468,472
川崎の重度統合失調症症患者「松傾」は午前中に首を吊れ
前から何度も何度も、繰り返し繰り返し「死ね!」と命令されているだろう?
むしろ松傾へのレスは「首を吊って死ね」以外にないではないか
なぜ素直に命令をを聞いて死ぬことができないんだ??
いくら無能な統合失調症症患者とは言え、
日本語くらい読めるのだろう???
これだけ多くの者達に死ね!と命令されているのだから
さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾 秦氏がユダヤ教徒だったらしいということから、ユダヤ人の意味のヘブライ語のユフディが日本でヤハダ(八幡)と発音され、そのハダが秦氏の一族名となったという説がある。
しかし、この説にはユフディとヤハダをつなぐ流れの変化の論証が欠落していて、強引な説のようにも見える。
そもそも、ヘブライ語は5世紀頃には文章語となっていて、口語としては使われなくなっていたという説がある。
今のヘブライ語は、その文章語から人為的に復元した口語で、現代になって現れた言葉のようだ。
いずれにしても、ユフディからヤハダ(八幡)への変化の論証が必要だろう。
つまるところ、ハタ(秦)の由来は、いまだ解明されていないということだ。 旗をハタと読むのは、なぜか。
ハタ(旗)は、布地を幟(のぼり)としたものの呼び名だ。
では、旗をハタと呼ぶのはなぜか。
布はヌノだし、またはキレ(布)の呼び名もある。
幟(旗)の布がハタハタと風で動くことから、旗をハタと呼ぶとの説がある。
ヤハタ(八幡)は広い旗、多数の旗という意味だろうから、このハタ(旗)を一族の名にしたのであれば、ヘブライ語のユダヤ人を意味するユフディがヤハダ(八幡)に変化したとする説とは語源的にまったくつながらないということになる。 元からユダラ説はオカルト分野であって歴史学や考古学、民俗学ではないし ここで、別の角度からハタ(旗)の発音をみると、服部(はっとり)の言葉が気になる。
ハットリ(服部)は、ハタオリ(機織り)が元だそうだ。
とすると、ハットリ(服部)の字には機部の字が当てられてもよさそうだが、その機部の字はみられず、ハタの音には服の字が当てられている。
機の字にはハタの呼び名はなかったとするのが妥当だ。
そこで、ハタの音に服の字が当てられていることからすると、衣服を作る布地にハタの呼び名があった可能性がある。
一方では、布を幟(のぼり)として用いた旗の呼び名がハタであるので、服をハタと読むこととよく似ており、服を作る布地のことをハタと呼んだ可能性が高くなる。
この可能性に着目すれば、やはりユダヤ人という意味のヘブライ語ユフディにはつながって行かないようにみえる。 初めから無関係なのに、やたらと否定材料積み上げられてるユダヤ人さんが可哀想(笑) どやら、ハタ(旗)、ハタ(服)の発音の由来は、布地の呼び名であった可能性が浮上してくる。
しかし、布地そのものをハタと呼んだ例はみられないのではないか。
では、布を織ることをハタと呼んだのか。
織機の動く音がパタンと鳴ることから、パタの音がハタになって、それが織物、すなわち布地の呼び名となったということになるが、そうなのか。
縦糸を上下させる足踏機なら、そのような音が出るかもれないが、縦糸を上下させるための竿を紐で吊る型のものではそのような音は出ないのではないか。
そのように考えると、布を織ることをハタと呼んだとすることは可能性が低いことになる。
このようなことを想定すると、衣服を作る布地自体をハタと呼んだと考えるのが妥当ではないか。
そうなると、布地自体をなぜハタと呼んだのかということになるが、最も短絡的な答えは、ハタ(秦)氏が作ったハタ印の布地だからハタと呼んだというものだ。
この答えに立てば、秦氏のハタの由来は何かというそもそもの疑問に戻ることになる。
秦氏のハタは、ユダヤ人という意味のヘブライ語に由来しているとする説は論証不足であることは先に示したので、ヘブライ語のユダヤ人由来説は除外するのがよいと思われる。 479さんが指摘されていることは、もっともなことだと思う。
ただ、秦氏がユダヤ教徒であった可能性は、低くないと思う。 >>481
秦教はベースにユダヤの痕跡があるって程度の道教でしょ >>479
別に告白もしてないのに勝手にフラレる的な乱暴さ(笑) 秋田じゃ「ハタハタ」っていう深海魚が良く食べられるけど漢字では「鰰」と書かれる
元々は雷の多い季節に来るから雷魚とも書かれていたとか、昔は雷が轟くことを「ハタタク」と言ったとか、雷様=霹靂神(ハタタガミ)だから「鰰」とか、そんな由来らしい
そして「波太多雷魚」とか「波多波多」とも書く
なんか賀茂別雷神社を連想してしまう、賀茂氏は秦氏と関係が深いし、祭神の神話は雷鳴とともに降ってきた矢が川伝いにタマヨリ姫の元へ→ご懐妊
秦氏と関係の深い日吉大社も、祭神の大山咋神は「鳴り鏑を持つ」とわざわざ注記してるのも、矢を射る=雷を射つ→雷様みたいなもんでしょ
そんなに秦氏は雷系の神様やら神社やらを作りたがったんだなって思う
秦氏関連の神社の隅に申し訳ついでみたいな感じでスサノオ祀ってるのも、スサノオがある意味雷神だからだよね
ギリシャ神話(ゼウス)含めて世界中で雷神の神話はあるけど、秦氏が祀ってる雷神は一体どこから来たんだろう
はたまた完全なる創作なのか 秦氏は、当時の雷の意味の日本語を充ててハタと読ませただけかもね 今日のハタ諸説は面白い
他のスレはチョンコが暴れ回ってて見るに堪えない 風神(はためく)、雷神(はたたく)、ともにハタハタなのね 秦氏が関係してる稲荷神社も
元が「射鳴り」だったら面白い イザナギが黄泉で腐って8つの雷神を生んだけど
それが八幡の由来だったら面白い 雷が落ちた場所は稲がよく実る
稲は雷ひと光で一寸伸びる
稲妻
イナリとカミナリは関係してそう 稲荷は、稲光だという説もあるしね。
稲光のあとに雷が鳴るから、稲荷山は雷神山かもね。
うん、この雷ハタ説は、いままでで一番リアルな説だね。 しかしながら、雷はヤハウェの力を示すものだとするのが旧約聖書だけどね。
モーゼがエジプトのファラオにヤハウェの力を示すために、杖を頭上に振り上げるととたんに大雷鳴が起こり、雹を降らせてエジプトの作物に大被害を与えたとされている。
なので、秦氏がユダヤ教徒だったとしたら、秦氏が雷(大山咋神)を松尾大社に祀っているのは実は大山咋の雷神ではなく、それは擬制であって、実はユダヤ教の神の力を示す雷だとすることも可能だけれどね。 雷
ttp://jiagumima.com/UploadFiles/2015-05/281/20155269170190798.gif >>494
GIFだからアニメーションだと思って1分ほど待機しちまったじゃねぇか 松尾大社で雷神として祀られている大山咋神はヤハウェの力を表す象徴としての雷だとみなすとすれば、
ユダヤ教徒の秦氏のハタは、雷の多発時期である11月によく獲れるハタハタに由来するものではないとしてもOKになる。
そこでまた、秦氏のハタの由来について、強力な説の登場が待たれるということになる。
ちなみに、ヘブライ語で雷はbarak、raamであるので、ハタの発音はない。 >>498
まあ、そういう説もあるということになるな。
雷=ハタハタ説は、秦氏=ユダヤ教徒説を否定できるだけ強力な説ではなくなったというわけ。 秦氏=ユダヤ教徒説は、相当根拠があるようにみえる。 >>502
説も何も、雷の古語だっつってんのに頭悪いの?
>>503
そういう本をムーが出版してて
そういうブログを電波系が書きまくってるから
バカな便乗君は多そう ユダヤ教と神道には共通点がある!系の記事どこ見ても、そんなん大抵の宗教に共通してね?みたいな冷める内容ばっかりだから信用してない >>507
え、ここがそのオカルトコーナーとちゃうの。 今や、マジで聖書考古学なんて分野の学問もあるご時世。
秦氏=ユダヤ教徒説などごく当たり前の時代。
ユダヤとオカルトをごっちゃにしてる60年代青年の頭は古いぞ。 >>509
それ昔ちょっと騒がれただけの説であって通説では無いからね そもそも昔の氏族は血の繋がり無いことも多いから、彼らの末裔だと自称している人たちも(ゆかりがあるにせよ血としては)どうなのかなって疑問
大和に来た1万某の秦氏ってのも、そもそも全員が親族って訳じゃないだろうし来日時点で色々ちゃんぽんになってたんじゃないのかね 秦氏は追い出されたユダヤ末裔だった説も古代アステカ人は日本人だった説もミステリーとしては面白いけど、ミステリー止まりでリアリティ無いんだよね 太秦木嶋の三本柱鳥居が有名だが、ユダヤ教の聖数が3であることは、つとに有名。
秦氏がなんで三本柱の鳥居をわざわざ造ったか。
答えは、おのずと明らかだな。 ムーの受け売りをリピートするしかできない住人まじでツマンネ こうかもね?ああかもね?そうかもね?おもしろいね!ってスレなのに
絶対こうだこうに違いないって固執して押し付けたがるオカルト信者は頭おかしいから出ていってほしい
ユダヤ人なら聖書やロザリオ持参してるだろ >>515
世界中で3は特別な数字なんだけど
色の三原色、三大美人、トライアングル、みんなユダヤ関わってんのか?
ひなまつりはユダヤ祭りとか
東京タワーはユダヤタワーとか
三十三観音はユダヤ観音とか
3丁目のタマはユダヤのタマとか言い出しそうだな 記紀で三本足とは書かれていない八咫烏(8咫サイズの烏)が、いつの間にか三本足になったのは秦氏関係してるんだろうなとは思う
高句麗ってか古代中国の三足鳥を秦氏が持ってきたんだと思う
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6b/Emperor_Jimmu.jpg
ttps://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_sp_entry/v1/user_image/65/b0/348a46d81004b2a1f78319c15c03b16a.jpg >>517
そらすまなんだな。
そのヘブライ語やその他の言語で書かれた5,6世紀の聖書は、これまでに日本で発見されてないしな。
ロザリオのようなものもないよな。
秦氏が、正体わかるようなものを放出するわけないよ。
秦氏はどこかへ隠したな〜んてな。 >>518
いや、陰謀論はいくらでもあるから、世界の3の信奉者は彼らかも知れんぞ。 >>520
そうだよな、あの三本足カラスは秦氏の仕込み、という考えは支持する。 日本でいうと『浦島太郎』
龍宮〜歳とって〜何やらでしょ 千葉県芝山の古墳から出た人物埴輪。
帽子かぶってもみあげ長く伸ばして、そして顎鬚はやした姿はユダヤ教の超正統派とうり二つ。
しかもや、その埴輪が出た前方後円墳に巡らしてある周溝が長方形ときた日には、もう疑えんわ。
前方後円墳の周溝が長方形やぞ。
長方形がユダヤ教の幕屋を表してるのは、ムーでも定説というくらいのもの。
過去にユダヤ教徒が来てないなんて思うのは、いまどき、頭の片栗粉くらいだわな。
それらしいデータそろえたら、そら、のけぞるぞ。 >>524
ウィキの「三足烏」をみたら、中国漢代にすでに三足烏が知られていたことがわかるな〜。
しかも、エジプト神話にも、三足烏はすでにあるらしい。 >>1
秦氏の起源まではわからない、
エジプト人だったのかもしれないし、
・・・・・・・・・・?ギリシャ? >>522
彼らかもしれない、くらいのことで彼らじゃないかもしれないことを主張されてもねえ 多種多様な職能技術を日本に持ってきてるから、技術者スカウトしながら仲間を増やして次の町へ系だったんじゃ?ポケモンマスター 秦氏はアフリカから来た
俺もお前もコイツもアイツもソイツもみーんなアフリカから来た
完 >>515
三本柱の鳥居?
もしかして密教系の両部鳥居(四脚鳥居)のこと言ってる? >>530
あ、3の信奉者は長嶋ファンにもいたな。
あれもフリーメーソンかも知れん。 >>535
四脚鳥居は、見た目には鳥居が倒れんように、支えの柱を取り付けてあるように見える。
一方、太秦木嶋神社の池に建てられている三柱鳥居は、その意味がよう分からんようやな。 >>538
ここ、渡来人の話することやから、秦氏の話はOKなんや。
秦氏がユダヤ教徒だったかどうかは、キワメテ重要やろうな。 >>529
ユーチューブに挙がっている大避神社の能面は秦河勝が持ってきたと伝わる逸品だが、髪の毛が巻き毛ぽいし、目も円い。
ギリシャ系の神のように見えるしな。 秦氏ユダヤ教徒説を妙に否定する人は、もしかしたら正体暴かれとうない秦氏系の回し者かもしれんし。
ちょっと、きいつけんと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています