秦氏など渡来人のルーツは?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
どやら、ハタ(旗)、ハタ(服)の発音の由来は、布地の呼び名であった可能性が浮上してくる。
しかし、布地そのものをハタと呼んだ例はみられないのではないか。
では、布を織ることをハタと呼んだのか。
織機の動く音がパタンと鳴ることから、パタの音がハタになって、それが織物、すなわち布地の呼び名となったということになるが、そうなのか。
縦糸を上下させる足踏機なら、そのような音が出るかもれないが、縦糸を上下させるための竿を紐で吊る型のものではそのような音は出ないのではないか。
そのように考えると、布を織ることをハタと呼んだとすることは可能性が低いことになる。
このようなことを想定すると、衣服を作る布地自体をハタと呼んだと考えるのが妥当ではないか。
そうなると、布地自体をなぜハタと呼んだのかということになるが、最も短絡的な答えは、ハタ(秦)氏が作ったハタ印の布地だからハタと呼んだというものだ。
この答えに立てば、秦氏のハタの由来は何かというそもそもの疑問に戻ることになる。
秦氏のハタは、ユダヤ人という意味のヘブライ語に由来しているとする説は論証不足であることは先に示したので、ヘブライ語のユダヤ人由来説は除外するのがよいと思われる。 479さんが指摘されていることは、もっともなことだと思う。
ただ、秦氏がユダヤ教徒であった可能性は、低くないと思う。 >>481
秦教はベースにユダヤの痕跡があるって程度の道教でしょ >>479
別に告白もしてないのに勝手にフラレる的な乱暴さ(笑) 秋田じゃ「ハタハタ」っていう深海魚が良く食べられるけど漢字では「鰰」と書かれる
元々は雷の多い季節に来るから雷魚とも書かれていたとか、昔は雷が轟くことを「ハタタク」と言ったとか、雷様=霹靂神(ハタタガミ)だから「鰰」とか、そんな由来らしい
そして「波太多雷魚」とか「波多波多」とも書く
なんか賀茂別雷神社を連想してしまう、賀茂氏は秦氏と関係が深いし、祭神の神話は雷鳴とともに降ってきた矢が川伝いにタマヨリ姫の元へ→ご懐妊
秦氏と関係の深い日吉大社も、祭神の大山咋神は「鳴り鏑を持つ」とわざわざ注記してるのも、矢を射る=雷を射つ→雷様みたいなもんでしょ
そんなに秦氏は雷系の神様やら神社やらを作りたがったんだなって思う
秦氏関連の神社の隅に申し訳ついでみたいな感じでスサノオ祀ってるのも、スサノオがある意味雷神だからだよね
ギリシャ神話(ゼウス)含めて世界中で雷神の神話はあるけど、秦氏が祀ってる雷神は一体どこから来たんだろう
はたまた完全なる創作なのか 秦氏は、当時の雷の意味の日本語を充ててハタと読ませただけかもね 今日のハタ諸説は面白い
他のスレはチョンコが暴れ回ってて見るに堪えない 風神(はためく)、雷神(はたたく)、ともにハタハタなのね 秦氏が関係してる稲荷神社も
元が「射鳴り」だったら面白い イザナギが黄泉で腐って8つの雷神を生んだけど
それが八幡の由来だったら面白い 雷が落ちた場所は稲がよく実る
稲は雷ひと光で一寸伸びる
稲妻
イナリとカミナリは関係してそう 稲荷は、稲光だという説もあるしね。
稲光のあとに雷が鳴るから、稲荷山は雷神山かもね。
うん、この雷ハタ説は、いままでで一番リアルな説だね。 しかしながら、雷はヤハウェの力を示すものだとするのが旧約聖書だけどね。
モーゼがエジプトのファラオにヤハウェの力を示すために、杖を頭上に振り上げるととたんに大雷鳴が起こり、雹を降らせてエジプトの作物に大被害を与えたとされている。
なので、秦氏がユダヤ教徒だったとしたら、秦氏が雷(大山咋神)を松尾大社に祀っているのは実は大山咋の雷神ではなく、それは擬制であって、実はユダヤ教の神の力を示す雷だとすることも可能だけれどね。 雷
ttp://jiagumima.com/UploadFiles/2015-05/281/20155269170190798.gif >>494
GIFだからアニメーションだと思って1分ほど待機しちまったじゃねぇか 松尾大社で雷神として祀られている大山咋神はヤハウェの力を表す象徴としての雷だとみなすとすれば、
ユダヤ教徒の秦氏のハタは、雷の多発時期である11月によく獲れるハタハタに由来するものではないとしてもOKになる。
そこでまた、秦氏のハタの由来について、強力な説の登場が待たれるということになる。
ちなみに、ヘブライ語で雷はbarak、raamであるので、ハタの発音はない。 >>498
まあ、そういう説もあるということになるな。
雷=ハタハタ説は、秦氏=ユダヤ教徒説を否定できるだけ強力な説ではなくなったというわけ。 秦氏=ユダヤ教徒説は、相当根拠があるようにみえる。 >>502
説も何も、雷の古語だっつってんのに頭悪いの?
>>503
そういう本をムーが出版してて
そういうブログを電波系が書きまくってるから
バカな便乗君は多そう ユダヤ教と神道には共通点がある!系の記事どこ見ても、そんなん大抵の宗教に共通してね?みたいな冷める内容ばっかりだから信用してない >>507
え、ここがそのオカルトコーナーとちゃうの。 今や、マジで聖書考古学なんて分野の学問もあるご時世。
秦氏=ユダヤ教徒説などごく当たり前の時代。
ユダヤとオカルトをごっちゃにしてる60年代青年の頭は古いぞ。 >>509
それ昔ちょっと騒がれただけの説であって通説では無いからね そもそも昔の氏族は血の繋がり無いことも多いから、彼らの末裔だと自称している人たちも(ゆかりがあるにせよ血としては)どうなのかなって疑問
大和に来た1万某の秦氏ってのも、そもそも全員が親族って訳じゃないだろうし来日時点で色々ちゃんぽんになってたんじゃないのかね 秦氏は追い出されたユダヤ末裔だった説も古代アステカ人は日本人だった説もミステリーとしては面白いけど、ミステリー止まりでリアリティ無いんだよね 太秦木嶋の三本柱鳥居が有名だが、ユダヤ教の聖数が3であることは、つとに有名。
秦氏がなんで三本柱の鳥居をわざわざ造ったか。
答えは、おのずと明らかだな。 ムーの受け売りをリピートするしかできない住人まじでツマンネ こうかもね?ああかもね?そうかもね?おもしろいね!ってスレなのに
絶対こうだこうに違いないって固執して押し付けたがるオカルト信者は頭おかしいから出ていってほしい
ユダヤ人なら聖書やロザリオ持参してるだろ >>515
世界中で3は特別な数字なんだけど
色の三原色、三大美人、トライアングル、みんなユダヤ関わってんのか?
ひなまつりはユダヤ祭りとか
東京タワーはユダヤタワーとか
三十三観音はユダヤ観音とか
3丁目のタマはユダヤのタマとか言い出しそうだな 記紀で三本足とは書かれていない八咫烏(8咫サイズの烏)が、いつの間にか三本足になったのは秦氏関係してるんだろうなとは思う
高句麗ってか古代中国の三足鳥を秦氏が持ってきたんだと思う
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6b/Emperor_Jimmu.jpg
ttps://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_sp_entry/v1/user_image/65/b0/348a46d81004b2a1f78319c15c03b16a.jpg >>517
そらすまなんだな。
そのヘブライ語やその他の言語で書かれた5,6世紀の聖書は、これまでに日本で発見されてないしな。
ロザリオのようなものもないよな。
秦氏が、正体わかるようなものを放出するわけないよ。
秦氏はどこかへ隠したな〜んてな。 >>518
いや、陰謀論はいくらでもあるから、世界の3の信奉者は彼らかも知れんぞ。 >>520
そうだよな、あの三本足カラスは秦氏の仕込み、という考えは支持する。 日本でいうと『浦島太郎』
龍宮〜歳とって〜何やらでしょ 千葉県芝山の古墳から出た人物埴輪。
帽子かぶってもみあげ長く伸ばして、そして顎鬚はやした姿はユダヤ教の超正統派とうり二つ。
しかもや、その埴輪が出た前方後円墳に巡らしてある周溝が長方形ときた日には、もう疑えんわ。
前方後円墳の周溝が長方形やぞ。
長方形がユダヤ教の幕屋を表してるのは、ムーでも定説というくらいのもの。
過去にユダヤ教徒が来てないなんて思うのは、いまどき、頭の片栗粉くらいだわな。
それらしいデータそろえたら、そら、のけぞるぞ。 >>524
ウィキの「三足烏」をみたら、中国漢代にすでに三足烏が知られていたことがわかるな〜。
しかも、エジプト神話にも、三足烏はすでにあるらしい。 >>1
秦氏の起源まではわからない、
エジプト人だったのかもしれないし、
・・・・・・・・・・?ギリシャ? >>522
彼らかもしれない、くらいのことで彼らじゃないかもしれないことを主張されてもねえ 多種多様な職能技術を日本に持ってきてるから、技術者スカウトしながら仲間を増やして次の町へ系だったんじゃ?ポケモンマスター 秦氏はアフリカから来た
俺もお前もコイツもアイツもソイツもみーんなアフリカから来た
完 >>515
三本柱の鳥居?
もしかして密教系の両部鳥居(四脚鳥居)のこと言ってる? >>530
あ、3の信奉者は長嶋ファンにもいたな。
あれもフリーメーソンかも知れん。 >>535
四脚鳥居は、見た目には鳥居が倒れんように、支えの柱を取り付けてあるように見える。
一方、太秦木嶋神社の池に建てられている三柱鳥居は、その意味がよう分からんようやな。 >>538
ここ、渡来人の話することやから、秦氏の話はOKなんや。
秦氏がユダヤ教徒だったかどうかは、キワメテ重要やろうな。 >>529
ユーチューブに挙がっている大避神社の能面は秦河勝が持ってきたと伝わる逸品だが、髪の毛が巻き毛ぽいし、目も円い。
ギリシャ系の神のように見えるしな。 秦氏ユダヤ教徒説を妙に否定する人は、もしかしたら正体暴かれとうない秦氏系の回し者かもしれんし。
ちょっと、きいつけんと。 >>530
せっかく、謙遜して(かもしれんし)と言ってるのが分からん神経て、極太2ミリのボールペンか。 日本史とか神社とかの勉強してると
何かと出てくるね秦氏 >>289
なんか分かる
元はアマテラスとツクヨミで対になってたのに
秦氏がスサノオを捩じ込んだのではと思ってしまった >>458
家系図の最初に神様を書いちゃってる系の氏族は大抵が嘘だと思ってる
それと同じで始皇帝の子孫は無いと思う >>549
最初は弓月君だったからなあ。
それがいつの間にか秦になっている。
太秦の漢字を用いたときには、もう始皇帝の子孫を名乗っていたのかな。 Wikipedia
>渡来後の弓月君の民は、養蚕や織絹に従事し、その絹織物は柔らかく「肌」のように暖かいことから波多の姓を賜ることとなったのだという命名説話が記されている。
>(山城國諸蕃・漢・秦忌寸の項によれば、仁徳天皇の御代に波陁姓を賜ったとする。) >>551
魚の由来からヒントを得てるだけで
古語に「はたたく」という言葉があるのは事実
読解力大丈夫か… >>69
>>74
>>324
おもしろい
Wikipediaには
>雄略天皇の御代に禹都萬佐(うつまさ:太秦)を賜ったと記されている。
と書かれていたから元の漢字は違ったんだね
ちなみに禹都萬佐の禹は雌竜と雄竜を表した漢字だそう >>553
古語のハタタクの由来は、(羽叩く)だな。
羽ばたくと同じ。
この雷鳴を指す動詞のハタタクは、略しては使われていないな。
竹取物語では(はたたく空の)と書かれている。
だから、このハタタクが太秦の秦氏のハタになったというのは、無理。
秋田のハタハタは、このハタタクを略した秋田方言のハタの畳語だろう。
京都の秦氏がこの秋田方言を自分ら一族の名としたことは、まああり得んと思うわ。
つまり、秦氏のハタとハタタクは別ということだな。 >>555
再掲すれば、雷鳴がする=ハタタク。
動詞だな。
そして、この(雷鳴がする=ハタタク)の動詞が、名詞化して雷鳴=ハタとなったということはない。
なぜなら、雷鳴=ハタとしている名詞はないからだ。
ちゃんと検証してから言うんだな。
頭、大丈夫かね。 >>324
本当だ
>貞観12年(638年)に景教は唐により公認され、唐朝は資金を援助し、長安に寺院が建立された。
>この段階では波斯寺(あるいは波斯経寺、波斯はペルシアのこと)と呼ばれており、「大秦寺」の名称は使われていなかった。
>景教は当初ペルシア人によって伝えられたものであることから多分にペルシア化したキリスト教であったが、
>漢訳景教経典も遺存していることから、その教義の全貌も解明されてきている。
>それによれば、景教は仏教や道家(老子や荘子の思想)のことばも採用し、さらに、皇帝には忠を、親には孝を説くなど儒家の要素もあって、多分に中国化している。 ハタタ(擬音語)からハタタク(動詞)になってるんだけど…
ユダヤ教の人ほんとに作り話と決めつけが好きだね… >>555
お前が無理だわ
オカ板にユダヤ教スレ作って勝手にやってろよ
都合の悪い気に入らない説に嘘で攻撃して荒らすな
いちいち文体もキモいし嘘っぽいし不信感を与えるレスしかしないから何も信用できんわ
お前の語りには誰ひとり納得する住人いないのにアスペなのか?
つーか自分の信じる説だけが絶対に正しい他は正しくないと思いたいならブログで語っとけや 禹都萬佐
都を治水し万(よろず)のことを助けるの意味らしい >>558
ハタタという擬音語はないよ。
いいかげんなこというなよ。
人の揚げ足取りに熱中する君は、なんか性格に欠陥がありそうだ。
病院に行ってきたまえ。 >>561
平安時代の新撰姓氏録では(禹都萬佐)だけど、奈良時代の日本書紀では(禹豆麻佐)になってるね。
ウズマサの意味は、この万葉仮名の字からは分からないね。 >>564
禹豆=ウツ、禹都=ウツ。
麻佐=マサ、萬佐=マサ。
このウツ+マサの意味が問題。
最近は、古代に日本語に多数流入した外国語から和語とされる語彙の意味を解く流れになっている。
秦氏は渡来人だから、渡来前から話していた口語によって秦氏関連の語彙の意味を探るのがいい。
秦氏は中央アジアを通って渡来したふしがある。
5世紀前後の中央アジアの言葉ではチュルク語がある。
そのチュルク語の中のトルコ語でみてみると、ウヅマサはウヅ=3、マサ=机、となる。
ウヅマサは、(3つの机)の意味とすることができる。
そして、秦氏はユダヤ教徒という説もみられるので、その線から考えると、(3つの机)は(3つの祭壇)を指しているとすることができる。
ユダヤ教では、神に礼拝をするとき幕屋を設け、その中に契約の箱をおき、その手前の幕屋の入り口付近から犠牲を焼く祭壇、パンを奉げるための机、香を焚くための祭壇が順に置かれる。
これをみると、(3つの机)は、この(3つの祭壇)を指していることが考えられる。
つまり、(幕屋での礼拝)を意味していることになる。
ということは、太秦(うづまさ)とは、(幕屋での礼拝)を示すトルコ語だとすることができる。
秦氏は太秦の地を、神を礼拝する(幕屋の地)としたということになってくる。
この解釈は、当時すでに文章語となっていたヘブライ語から解釈するよりも、ずっとリアルだ。
秦氏が話していた言葉は、トルコ語だったと考えられる。 ちょっと検索すればバレるのに無かったことにしたいんだね
精選版 日本国語大辞典
はたた‐がみ【霹靂神】
〘名〙 (「はたたく神」の意) 激しい雷。へきれき。はたがみ。はたはたがみ。はたたがみなり。《季・夏》 〔色葉字類抄(1177‐81)〕
※御伽草子・御曹子島渡(室町時代物語集所収)(室町末)「ささやくこゑはいかつちのごとく、いかれば百せんまんのはたたかみ、なりわたりたるごとくにて」
はたはた‐がみ【霹靂神】
〘名〙 =はたたがみ(霹靂神)
※史料編纂所本人天眼目抄(1471‐73)七「青天白日晴れきったに、はたはたがみ鳴(なって)いな光りがしわたったぞ」 >>538
>>540
妄想も入ってるみたいだし触らない方が良いのかも なんか発言するたびにヤハウェさんにキモい長文レス付けられてストレス
お前とは話してない >>572
お前が話しかけてくるな。
消えてちょうだい。 >>568
800年代後半から900年代の後半までに書かれた「竹取物語」では、「はたたたく空」と書いてある。
どっちが古いのか。 こだわりと思い込みが激しくて一方的に喋るキモヲタとは会話にならないことが多いけど、ここ見てるとその良い例だなあと思う そういうことじゃないんだよなーっていう方向に持っていくから周りを辟易とさせて距離を置かれるやつ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています