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秦氏など渡来人のルーツは?
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001日本@名無史さん
垢版 |
2012/03/13(火) 20:56:25.50
遊牧系異民族ってせつもあるけど
どこからきたの?
0847日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 15:05:52.08
>>846
これらは元出雲王国の王家の伝承による正しい歴史かと思われます。
0848日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 15:06:27.49
徐福?

それほとんど誰かが言い出した妄想話が定番化しただけ

説みたいなんで語ったのがいたんだろ

それの真贋問うのはこちらの役割りではない
0849日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 15:08:58.68
事実として発表したら一笑されるだけ(°▽°)

向こうの文献にそ〜書いてあった部分があったってだけよな
0850日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 15:10:29.06
中国あたりの部分から見つけてからそーいう話が広まったものばかり

徐福が日本にきたなんて伝説すらない
0851日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 15:26:48.95
>>848
徐福は元々、徐市(フツ)と言います。
「福」がお好きだった事から自分の名前としたらしい。

始皇帝を二度も騙し詐欺して蓬莱山=日本列島に渡来。
一度目は渡来する一年前に事前工作員のホヒと子のヒナドリらを
当時、最大版図を誇り栄える出雲王国に送りこみ財宝や珍貴な物等の贈り物をする等して(銅鐸の原型となる楽器、祭器も献上した)
媚びて上陸許可を取り付けた後に

徐福ら本隊は石見の五十猛海岸に上陸。
、、、海を埋め尽くした船舶から上陸するさまは蟻の行列の様だったと伝わります。

徐福は直ぐに心臓部に食い込み、出雲王国の第8代オオナモチ、八千戈さま(いわゆる、大国主は概ねこのお方)の妹媛の天道媛/高光媛を娶り出雲神族に列しました。
0852日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 15:28:02.84
紀元前後ころから半島あたりにも商業都市みたいなんができた遺跡でてんじゃなかったか

それと似たよ〜なんが北九州にもできただろ

これ唐人街の話、中国みたいな民家が長崎あたりにもあるで
0853日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 16:42:23.03
>>845
全然違う アホな書き込みいい加減にしとけ 中国はその当時すでに始皇帝陵 あのレベルがの建築技術があった

巨大な石垣で囲った城壁都市があちこちにあった 万里の長城も作ってた

何が吉野ヶ里遺跡と似てるだよw アホな妄想で笑わせんなwww
0855日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 16:50:31.29
>>851
おいゴミ アホな主張するなら証拠の一つも出してみろ
0856日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 16:59:29.09
そだっけ?

唐人街は福岡あたりにもあったろ

中世くらいの話やで
0857日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 17:00:59.45
知恵遅れって?

都合よい話するなら論証やるから情報だせや
0859日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/18(木) 18:59:04.77
はいださないから却下〜

言ったことくらい分かるくらいの知能くらいあるだろ
0861日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/19(金) 02:04:57.63
>>835
旗(ハタ)を織っていたからハタ氏とな。
旗を織っていたて、何か根拠あんの?
0862日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/19(金) 02:18:54.28
七夕、機織り?

本当は他の家の話だと言っている人がいたよ、
0865日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/19(金) 12:39:00.83
これらの写真にみえる顎の骨太な頑丈さは、北部中国人の特徴。
0866日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/20(土) 00:18:18.98
>>862
機械のことをハタと読む例が、このほかにあんの?
0867日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/20(土) 00:42:48.34
>>862
ハタ氏が織機を多数導入してハタ印の布地を一手に生産していたから、そのハタ印の布地を織る織機をハタと呼ぶようになり、そこから機織り(はたおり)の言葉ができたのだろう。
だから、機をハタと読むのは、ハタ氏のハタからの借訓だな。
0868日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/20(土) 02:09:36.76
だから旗🚩でしょ

それから漢をアヤってのは文字の読み書きみたいな話からだったと思うよ
0869日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/20(土) 02:11:13.33
旗となる機織りをしている人らが多く目に付いたからハタ氏
0870日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/20(土) 07:23:49.38
ハタ氏が生産するハタ印の布地を織るための機械だから、その織機をハタと呼びならわした。
つまり、機織りの機(はた)の由来は、ハタ氏のハタにあることになる。
となると、では渡来人であるハタ氏のハタとはなんぞや、ということになるわけ。
そのハタはトルコ語だとすると(旅する者)という意味が考えられ、モンゴル語だとすると(商人)という意味が考えられるというわけじゃよ。
このほかに、ハタ氏のハタの語源はこれじゃ、という考えがあれば言うてみんしゃい。
0871日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/20(土) 15:52:05.66
>>869
旗(ハタ)のイントネーションと秦(ハタ)のイントネーションは異なるがな。
0872日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/20(土) 16:07:26.25
>>868
漢を(あや)と読むのは漢氏が織物工芸に長けていたためで、その(あや)とはさまざまな形や模様を表す言葉だとされるな。
布地に柄を織り込む技術に優れていたということのようだ。
0873日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/21(日) 09:26:45.31
トルコ系もモンゴル系も遊牧民系の名前はずっと長いよな
一文字姓は中国系のみ
日本は昔から二文字
秦氏は漢人系を自称してるし間違いなくそうだろう
0874日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/21(日) 14:25:31.01
チベット系遊牧民じゃね?
ケサル王でも氏族名はリンと一文字姓だ
0875日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/21(日) 17:06:55.85
>>873
秦(シン)の字は一文字だけど、読みはハタで二音。
中国語でハタと発音する字は何?
また、日本書紀では、秦氏(はたうじ)の先祖は弓月君と呼ばれていて、秦(シン)とは呼ばれていないね。
秦(シン)の字はあとから付けたのだろう。
0876日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/21(日) 23:04:37.08
哈達(ハタ) チベット語からの借用語
仏教で使われるマフラーのような長い布
0877日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/21(日) 23:15:03.35
魏志倭人伝の倭人の名前はアイヌっぽくない?
0879日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 02:30:06.26
犬食なんて聞いた事もないんだけど、
熊も豚も牛もない、ちなみに日本w


老婆の話によると、そうなんだよ、
最近(近代)になってから???????なのかな
0880日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 02:37:10.24
馬肉というのも食べないし、老婆は食べたりしなかった、
買い物に行き、買ってきたということもないし、あとクジラの肉もw
0881日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 02:59:56.53
『葱の華』

肉は食べなかったと言っていたり、
謎の写真に写っている母親という人がいるんだけど、何かの家の人だったかな?

近所にある、寺院などに通っていたり
0882日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 03:08:18.52
>>878
原始時代は世界各地で犬食文化があったが
文明が進むにつれて段々と廃れていったわけだから
犬食文化同士に関連性があるわけではない
0883日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 03:19:12.28
さいきば(さかきばら)事件^^?

肉体改造〜体つきも変化〜もともと(肉体)労働者の家ではない?
何か理由があり、そういうことになった?
0884日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 03:27:01.63
さいきば事件というのがあるでしょ

おじーちゃん(おずぼーん?)の話をしているような気がするんだけど、
漫画に登場するキャラクターの話
0885日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 03:31:02.37
他のスレ参照

『姥清水』という作品
0887日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 12:52:19.71
>>876
哈達はハタ、カタと呼ばれ、モンゴル族やチベット族が敬意を表すために用いる帯状の布だとされる。
0888日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 13:12:13.54
>>887
モンゴルではハタクと呼ぶそうだ。
願う、祈る、敬う、慕う、感謝するなどのときにこの長い布を用いるそうだ。
青、白、赤、黄、緑の色がある。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 13:23:39.49
他のスレにも書いたはず


家は『王母 寒いなー』と同じ名前の家なんだけど、
あの写真の家w寺院、仏教の話をしていたり
0890日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 13:26:11.47
日本でいうと『かっぱっぱー』『浦島太郎』・・・その他?
0891日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 13:29:36.49
本当に何なんだろう

上の名前の読み方も・・・、
読み方だけ変えたのかな?

まだ最近(数十年前?)の話みたいなんだけど
0892日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 14:00:14.10
>>888
モンゴル語にkhatakh(ハタフ)があり、消える、萎える、弱くなる、しなびるなどの意味だそうだ。
新車を買ったときなど、すぐにシャーマンのもとに行き、車に青い布を巻いてもらい儀式をして安心するという。
この青い布がハタクと呼ばれるもの。
一方、モンゴル語にkhatakh(ハタフ)の語彙があり、これは消える、萎える、弱くなる、しなびるなどの意味があるそうだ。
とすると、シャーマンが新車に巻き付ける青い布のハタクとは、災いを追い払い消すという意味のハタフが語源かも知れないな。
0893日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 19:06:50.26
秦氏渡来の時代の大陸は鮮卑語と漢語が混在してる
0894日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 19:25:26.64
当時の日本に天皇(天王も)はいないでしょ?
どういう事なんだろう


『倭人 朝鮮人』
というのはいた?と書いている人がいたり
0895日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 21:47:46.82
>>886
もっと前の話
農耕が始まる前
0896日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 22:38:12.29
見るとチベット語からの拝借が多いみたいね

漢字にチベット語の意味を当てる、それが発音になる
0897日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 22:38:55.42
秦をハタと読むのもチベット語からの拝借だろ
0898日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 22:40:44.26
チベット語とエミシは同系統らしいから祖語が同じニダ(°▽°)
0899日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/22(月) 22:41:42.28
祖語分かる。
同系列の祖先から分裂した同士は祖語がにかよる
0900日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/23(火) 01:23:35.63
>>896
ラサのチベット語は漢字音写しきれない
西康
0901日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/23(火) 01:32:22.65
>>900 四川省西康の羌系チベット民族の言語ならばer/n/ngしか音節の末にこないので
北方漢語に音写ができる
0902日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/23(火) 07:17:09.64
>>895
農耕は牛の部分の例えで、狩猟が重要な役割を果たした時代に猟犬食べる?
農業を機械化してない地域では現代でもハレの日に村で牛一頭食べる程度だよ
0903日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/23(火) 09:24:23.23
秦氏は土木技術や機織りや「うず高く積み上げていた」という織物で知られたんだから騎馬民族系はないと思うの
そもそも秦氏や漢氏は特定渡来系グループの総称であって血脈のつながりではないようですが
0904日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/23(火) 09:34:23.26
>>903
ハタ氏はユダヤ教徒だったらしい。
0905日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/23(火) 10:46:13.28
秦氏は漢族化した異民族出身。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/23(火) 20:11:31.37
モンゴル、チベットの災いを消す長い布ハタクが秦(ハタ)の語源だとすると、秦氏のハタとはモンゴル語の(災いを消す布)という意味になるな。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/23(火) 23:58:55.90
朝廷に布を献上してるしな
0908日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/24(水) 07:39:39.49
モンゴル、チベットの災いを消す意の長い布ハタクと、日本語の旗(ハタ)は、同じか。
日本語の旗(ハタ)のハタは、旗布が風に煽られてパタパタと音を立てることに由来するとされる。
モンゴル、チベットの災いを消す意のハタクと旗(ハタ)のハタは、成り立ちが異なるようにみえるな。
0909日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/24(水) 22:23:27.23
チベット→モンゴル ハタがボン教の時代に伝わったとしても五胡十六国時代と割りと新しい
秦氏自体もその6世紀ごろの五胡十六国まっだだなかの渡来ということだ
0910日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/24(水) 22:35:58.54
7世紀のモンゴル民族は蒙兀室韋と呼ばれていた
日本に渡来してたらムロ氏だろうか
0911日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/25(木) 10:26:53.10
>>909
五胡十六国の時代は4世紀初頭〜5世紀中頃まで。
6世紀には華北は北魏、華南は宋が支配している。
弓月氏は4世紀後半の渡来。
その後、秦河勝が活躍するのは6世紀後半から。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/25(木) 10:41:27.02
弓月氏(秦氏)がモンゴル・鮮卑人とは限らんな。
ユダヤ教徒らしいから、モンゴル・鮮卑語を話すユダヤ教徒の線もある。
とすると、トルコ語を話すユダヤ教徒、モンゴル・鮮卑語を話すユダヤ教徒の二つの線が浮上したということになるな。
0913日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/25(木) 13:40:27.51
モンゴルはプレスタージョン 景教を信仰していた部族がいた。
0914日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/25(木) 14:27:02.69
>>913
遊牧牧畜系のモンゴル人景教徒が日本に渡来する理由てなに?
0916日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/25(木) 15:02:22.07
月ってのは湖に関係ある氏族に付ける名前やからな
0917日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/25(木) 15:04:28.36
914
景教徒が日本来た証拠ないニダ

中国には本家本元の碑がある、来てるから
0918日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/25(木) 15:05:15.56
日本に引っ張って作ったならそれは勧請って呼ばれるん
0919日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/25(木) 15:06:18.86
特に権威作りに使ったみたいな連中らが無茶苦茶やったからな
0920日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/26(金) 16:03:28.03
あれこれ考えると、やはりトルコ語を話し中央アジアで交易を生業としていたギリシャ系改宗ユダヤ教徒が弓月氏(ハタ氏)の正体で、そのハタとはトルコ語のseyahat(セヤハット=旅)の短縮形のhat(ハット)に由来すると考えられる。
この(ハット=旅)の言葉は、旅籠(はたご)の(はた=旅)としても用いられた。
つまり、ハタ氏とは、(馬に乗って旅する者=交易者)というトルコ語による自称だということになるな。
0922日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/26(金) 23:05:12.79
秦氏の来歴について、ここまで具体的な姿を描いた例はない。
これまで秦氏についてあれこれ言われた例は根拠薄弱なものが多く、そのためにオカルト的な珍説の域を出るものではなかった。
しかし、秦氏が渡来した当時に話していた言葉がトルコ語であったとみなすことができたことにより、秦氏とは何者であったのか初めて学問的なアプローチが可能となったと言える。
例えば、秦氏が本拠地とした太秦(うずまさ)はユダヤ教徒の聖地エルサレムに擬制され、ユダヤ教の神に祈りを捧げるための幕屋であると設定されたことが分かる。
また、関東地方を指す武蔵(むさし)とは、秦氏にとってどのような土地であったのかも解明されるのだ。
こうしたことは、秦氏が話したと考えられるトルコ語からすべてリアルに割り出すことが可能なのである。
つまり、4世紀後半に渡来した弓月氏は、トルコ語を話すユダヤ教徒だったのだ。
0923日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/27(土) 10:42:38.92
なるほど ユダヤ教徒の秦氏が狐を祀ったり寺を建てて仏像を拝んだりしてたんですか? ww
0924日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/27(土) 12:36:21.60
秦氏は倭人との摩擦を排除するために、倭人の信仰をユダヤ教の信仰に被せて隠す擬制を行っており、広隆寺などを建てたのもそうした擬制だな。
広隆寺は聖徳太子を祀るために建てられたとされるが、どうも広隆寺の聖徳太子はユダヤ人の王であるダビデの擬制であるようにみえる。
つまり、広隆寺はダビデがエルサレムに建てた神殿を意味しているということだ。
このような擬制を秦氏は念入りに行っていて、普通には日本人の信仰の現れであるようにみえる、ということになる。
0925日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/27(土) 14:34:52.03
>>924
馬鹿すぎてワロタw 倭人は偶像崇拝なんか元々ないから摩擦は起こりようがない

低能すぎてロジックの組み立てが出来ないんだな おつかれ
0926日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/27(土) 14:42:16.00
>広隆寺は聖徳太子を祀るために建てられたとされるが

いや違うよ 妄想はそれぐらいにしとけ
わざわざ秦河勝が自分に仏像を祀らせてくれと手を上げて祀ったのが始まりだよ
7世紀の話な 秦氏の渡来が4世紀 
仏教渡来前にどうやって倭人と摩擦が起きたのか説明してくれや
それに7世紀の仏教渡来後に他の信仰を禁止にしたなんてどこに記録があるんだ
0927日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/27(土) 15:37:56.37
蛮行を重ねたカトリック位か。それでもプロテスタントの方は付き合い続いたからキリスト教自体は禁止してないもんな
0928日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/27(土) 17:01:07.85
>>925
5世紀の山城や大和で「神はヤハウェだけ。倭人の神はみな邪神だから、排除すべき」と唱えることを想像してみるべし。
そして、そこらにある精霊をこらしめる姿を想像してみるべし。
秦氏が生き残れたかどうか、明らかじゃろな。
0929日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/27(土) 17:09:02.68
>>926
あれ、「広隆寺資財交替実録帳」には、広隆寺は聖徳太子の供養のために建立されたと書かれているし。
0930日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/28(日) 02:39:22.31
ところで、京都の太秦から武蔵へと移住する際の途中の拠点となるのが信濃の諏訪(すわ)だが、
この諏訪(すわ)も意味のよく分からない地名だ。
しかしながら、トルコ語のsu var(スバ)が「水がある」という意味であることを知れば、このsu var(スバ=水がある)が諏訪湖(すわこ)を指したものであることが明らかになる。
しかしどうして、わざわざトルコ語で信濃の湖をスバ(水がある)と呼んだのかということになるが、
ユダヤ教の旧約聖書では、モーゼに率いられたユダヤの民が約束の地への旅の途中で水に渇いてモーゼに水を要求し、モーゼが杖で岩を叩いて水を湧き出させるエピソードがある。
つまり、諏訪湖の水を旧約聖書の出エジプト記の重要なエピソードに擬していることが考えられるのだ。
そのような出エジプト記のエピソードにちなんで、秦氏はこの湖をトルコ語でスバ(水がある)と名付けたということになる。
そして、このトルコ語のスバに漢字を当てたのが諏訪(すわ)なのだ。
ちなみに、出エジプト記ではモーゼがユダヤの民を率いて目指したところが(約束の地)なのであるが、トルコ語でモーゼはmusa(ムサ)であり、
そして、このムサ(モーゼ)+シ(方向)=ムサシ(モーゼが目指したところ)=ムサシ(武蔵)ということになるのである。
諏訪(すわ)と同様に意味のよく分からない武蔵(むさし)も、トルコ語と和語の複合語であり、ムサシ=モーゼが目指したところ(武蔵)という意味であることを推定することができる。
これらのことに加えて、太秦の秦氏の神体山である松尾山(マツオ)は出エジプト記の種無しパンのマッツオを漢字表記したものである可能性が高く、
また深草の秦氏の神体山である稲荷山(稲生山=イナイヤマ)のイナイは、やはり出エジプト記のシナイ山のシナイと発音が極めて近いことを考えれば、
太秦の松尾山→深草の稲荷山→諏訪→武蔵への行程は、旧約聖書の出エジプト記のトルコ語によるダイジェスト版であることが分かるのである。
つまり、秦氏は、関東の武蔵をユダヤ教の旧約聖書の(約束の地)に擬したということである。

このように、秦氏がトルコ語を話すユダヤ教徒であったことをぴったりと推定することができる、ということなのだ。
わははははは。
0931日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/28(日) 02:57:15.38
精神科、精神病院?
0932日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/28(日) 03:00:01.38
精神科、精神病院というところがあるから、そこに行け
0933日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/28(日) 03:11:12.73
かなーり前に書いたはず、
池沼の妄想に付き合っているヒマなんてないんだよ


はやく精神病院?そこに行け
0934日本@名無史さん
垢版 |
2019/07/28(日) 11:36:52.87
飛鳥昭雄並みにひどいよ なんでもユダヤユダヤだ そもそも ユダヤ人が古代トルコ人の集団にいたとか考古学的に証明されてんの? 一切ないよな ユダヤ人はイランやアフガニスタンには来ていました それは 証拠になる 物証があります

4世紀までに古代トルコ人の集団に ユダヤ人がいたという証拠をまずは出してもらわなければならない できないなら黙ってろってこと
0935日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 11:52:51.50
>>928
何で大王家や貴族に受け入れてもらった 秦氏が お前らの宗教はダメだとか言うんだよ
勝手に自分の宗教守っていればいいだけだろ 日本は一神教の国ではないこを考えられないおバカ
それにモーゼ以来、偶像崇拝が絶対禁止のユダヤ教、並み居る豪族の中で秦河勝「俺が仏像を祀ります」なんてユダヤ人なら言うわけないだろ? モーゼの十戒知らんの なんでも都合のいいように解釈するよな
0936日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 12:58:20.61
>>934
秦氏の先祖弓月氏は、ユダヤ人ではないな。
おそらくギリシャ系の改宗ユダヤ教徒。
交易でカザフ平原に進出し、4世紀頃にはタリム盆地あたりまで進んでいた。
カザフからタリム盆地あたりはチュルク系の部族の土地であり、そこを交易で東進してきたのでトルコ語を話すようになっていたということ。
弓月氏の先祖は、アナトリアの黒海沿岸の外来者コミュニティーの出自だろう。
このコミュニティーの住民は主にギリシャ系とペルシャ系だったらしい。
そこへ、紀元頃にペルシャから来たユダヤ人によって住民たちはユダヤ教に改宗したそうだ。
この改宗ユダヤ教徒の一派がカスピ海の北のカザフステップへ交易で進出した。
そして、4世紀頃にはタリム盆地の弓月国まで東進していたということだ。
まあ、そういうことだ。
ユダヤ教徒でトルコ語を話すのだから、そのような構図となるな。
わははははは。
0937日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 13:08:08.58
>>935
秦氏が生き延びたのは、一神教を外の世界へ押し出さなかったからだな。
そのために、倭人が受け入れられるようにさまざまな擬制を用いた。
そうしなかったら、おそらく秦氏は繁栄できなかっただろう。
0938日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 13:31:27.41
例えばだが、
天狗は元々は漢語であり、流れ星のことだ。
流れ星を、天を走り抜ける狗(いぬ)と観念化したわけ。
一方、倭人社会では、天狗は赤ら顔で鼻が高く神通力を持つ神的妖怪とイメージされている。
そのイメージは、漢語由来の流れ星とはまったく異なるのだ。
そこで、テングとはそもそもなんぞや、ということになるわけ。
そこで、トルコ語。

トルコ語で、tangi(タンギ)は「神」を意味する。

漢語の天狗(テング=流れ星)が、トルコ語のtangi(タンギ=神)と入れ替わったのだろう。
その結果、天狗が天を走る狗から神通力を持つ赤ら顔で鼻の高い神的妖怪に転化した。
この神的妖怪は、明らかにコーカソイド的な容貌なのだ。
この入れ替わりの元にあるのが、トルコ語のtangi(タンギ=神)だ。
そして、そのトルコ語を話していた可能性が最も高いのが秦氏、というわけだよ。
あははははは。
0939日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 17:00:55.92
八幡神がヤハウェだとして
応神天皇や大日如来との習合をユダヤ人がするかねえ
0940日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 17:23:23.55
在日韓国人にとっては残酷な真実だが日本民族の起源は東アジアとは全く異なり
地中海沿岸から縄文時代に渡来したコーカソイド系の人種だと判明している

古代から高度な文明を持ちアジア唯一の先進国となれたのはそのためだろう
0941日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 19:57:08.80
>>936
>ギリシャ系の改宗ユダヤ教徒

そんな連中がいたなら確実に記録に残ってるが
どこに書いてあるんだ? 虚言癖のオカルト野郎
0942日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 20:00:46.00
>>937
本物のバカかお前は? 痴呆症か?
だったらお前が>>924で主張するようなヤマトの和人と摩擦を避けるために仏像を拝み狐の神を祭りましたなんて必要なんかどこにあるんだよ知恵遅れ
0943日本@名無史さん
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2019/07/28(日) 20:11:28.14
>>939
するわけない 
ギリシャ系がユダヤ教に改宗したとかいうキチガイだから相手にしなくていいよ

そんなことは歴史的にユダヤ人がギリシャ人を支配したという歴史的な事実がないのでありえない

逆はなんぼでもあった なんせギリシャ系はアレクサンダー大王からクレオパトラがローマに下るまでずっとユダヤより強勢だった
ギリシャの後継であるローマがユダヤ人を支配したのは御存知の通り
これだけでもアホが妄想を押し売りしてるだけとバレちゃうのw
0944日本@名無史さん
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2019/07/29(月) 12:34:47.92
>>943
ノンノン。
このアナトリアの黒海沿岸のコミュニティーがユダヤ教に改宗したのは、歴史事実。
この改宗者たちが後にカスピ海北岸のハザールへ移住し、ハザール王国がユダヤ教に改宗するきっかけとなったのも歴史事実。
東ローマの勢力とイスラム勢力の北進に対して中立を保持する方法の一つがユダヤ教への改宗だったの。
この地域の当時のトレンド。
世界史の普通の事実だな。
0945日本@名無史さん
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2019/07/29(月) 12:37:48.46
>>942
バ〜カ。
裏でユダヤ教を信心してたのよ。
仏像を拝んだりする表の顔は、営業。
0946日本@名無史さん
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2019/07/29(月) 12:39:23.66
>>941
おめ、中東の歴史に詳しくないようだから、教えてやらん。
自分でググれ。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。

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