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先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
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0001地家ヤスマサ
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2012/05/18(金) 10:06:48.57
純粋に自分の血統先祖のみ(直接DNAがつらなった先祖。養子断絶はダメ)でどこまでさかのぼれるか調査するスレです。

先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!

1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 たまにチャット化しますが皆さん遠慮なく入ってください
5 荒らしは無視でマターリと

※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る

前スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/l50
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
0185日本@名無史さん
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2015/09/06(日) 22:03:26.03
自分の先祖を1500年以上辿った男性が世界最大の家系図を完成させる ギネス記録に申請中とのこと [転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1441465720/

一人の男が自分の先祖1万人を辿って、世界で最も大きい家系図を完成させました。
彼の名前はロイ氏といって現在83歳ですが、孤児になった7歳の頃から
家族の歴史に興味を持って調べ続けたようです。
完成された家系図は西暦500年まで遡ることができて、
何とその中にはフランスのロイヤルファミリーや、
10世紀にフランス王だったヒュー・カペットもいるようです。
彼は家系図を作るために国内のあらゆる場所に足を運び、
ネットの力を頼らずほとんどの先祖を発見したようです。
今彼は、ギネスブックの登録を申請しているようです。
http://livedoor.blogimg.jp/kimiki34_6282/imgs/7/9/79386ee4-s.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=0CLbv5Il20E
http://www.nationpost.top/archives/41966479.html
0187日本@名無史さん
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2015/09/07(月) 01:00:48.52
>>182どうも。郷士については言葉の定義や概念に混乱が多いので・・・
郷士身分を失うってのが奇妙で。土佐も八王子も金で売ってるわけで改易された
わけではないし、改易になった在地代官や戦国期の地侍も郷士を自称するしetc
0188日本@名無史さん
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2015/09/07(月) 07:11:25.30
岸和田藩領内の中氏2家はそれぞれ旗本根来氏を輩出した家で、大坂町奉行所が
支配する摂河泉播4国の郷士リストにも載っている家だけど、藩としては郷士として
扱いたくなくて、結構軋轢を生んだようだ。

身分ってのは近世には自家の存続の可否に直結するものだけに、下の立場の側でさえ
決して譲歩しなかった。落ち度もないのに家格を下げるなとばかりに突き上げる。

勝手に自称するだけなら単に領主が無視しているだけの話だろうけど、正式に領主が
認めている場合は領主の判断次第だからなあ。
0191日本@名無史さん
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2015/09/10(木) 14:51:21.44
そりゃ、下の人間の変な権益などは上にとっては邪魔でしかないからな。
平和が長く続いて下の者の牙が抜けたら、後は締め上げるだけだ。
0192日本@名無史さん
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2015/09/10(木) 14:57:39.19
つまり、信長あたりから続く諸大名の移封転封は、領民の既得権益を
削いで支配を強化する効果があったということだな。
0193日本@名無史さん
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2015/09/10(木) 16:28:53.99
>>192
そう考えると移封って一石3鳥ぐらい在りそうだね。大藩になれば家臣を全て連れて行けない
から置いていく、新しい領主の下では既得権は認めないし、領民との繋がりも切れるし
0194日本@名無史さん
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2015/09/10(木) 17:18:48.32
>大藩になれば家臣を全て連れて行けない
>から置いていく、新しい領主の下では既得権は認めないし、

それ、土民の価値観だから。

たぶん土民にはいつまでも理解できないだろうけど。

大藩がステキとか、完全に土民の勘違いだからね。

今、アメ公がどれだけw

マジ氏ね草

0196日本@名無史さん
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2015/09/11(金) 22:12:16.48
金持ちが金払って名目だけ公家の家臣になったらしいが公家の家臣って京都じゃ
一目置かれる存在なの?
0198日本@名無史さん
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2015/09/12(土) 13:19:13.87
>>196
箔はつくわな
朝廷の儀礼に装束来て参列できたり、店に菊の御紋入りの提灯ぶら下げることができたり
自己満は自己満だが、周りからも多少は見る目も違ったろう。悪い意味も含めて。
0202日本@名無史さん
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2015/09/21(月) 14:06:45.96
親戚に鴨氏の末裔ってのがいるな。
そういう家からすると、武士の子孫とかは意味のないことなんだろうな。
0203日本@名無史さん
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2015/09/21(月) 15:21:13.51
>>202
どんな価値観を持っているかによるな。
0204日本@名無史さん
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2015/09/23(水) 16:46:11.36
戸籍や本を調べたり、人から話を聞いたり、1年近く前からご先祖さま調査をしてるけど
おもしろいなあ

本家は静岡中部の山の方で、南朝絡みの話や武田の遺臣が帰農した話や文書がいろいろある場所
自分の直系のご先祖はまだ戸籍から江戸末期ぐらいまでしか辿れてないけど
周りには古い家もいっぱいある

どんな人達がご先祖さんにしろ、どんなことを考えてどんな生活をしていて今の苗字を名乗ったのか
とか知りたいんだよなあ
0205日本@名無史さん
垢版 |
2016/05/01(日) 03:48:43.60
まあ民間に伝わる南朝関連の話の大半は江戸時代に作られた創作物だがな
0206日本@名無史さん
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2016/07/03(日) 10:03:15.26
まあ、どこでも他家のは作り話、自家のは本当と思うものだ
0207日本@名無史さん
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2016/07/03(日) 10:52:59.07
いや 伝承ってのは 意外と合ってるらしい
ただ 部分部分を大きくしてる場合があるけど
だいたい 大昔は人口が少なかったし、それなりに生活していくにはある程度の基盤がないとダメだから
0208日本@名無史さん
垢版 |
2016/07/03(日) 14:48:03.59
>>207
神社の伝承とかでも同様のことは言われてたけど、実際はそれも江戸時代の創作が大半だったんだよな
0209日本@名無史さん
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2016/07/03(日) 20:25:23.74
黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!


赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。


それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。

台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。

赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。

gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3)
0210日本@名無史さん
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2016/07/03(日) 22:45:38.25
>>208
真実だと証明されてないからといって大半が創作だと証明されているわけではない。
0211日本@名無史さん
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2016/07/04(月) 00:06:02.90
創作ではない(=古くから伝わった話)という可能性が低いことは分かったんだがな
0212日本@名無史さん
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2016/07/04(月) 01:51:46.62
頼朝来訪とか信玄の隠し湯とか少し怪しげだよな
0213日本@名無史さん
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2016/07/04(月) 18:15:24.59
>>212
そのへんはさすがに、水戸黄門来訪と同レベルの信憑性だから、いくらなんでも論外すぎるだろ
神社の伝承の信憑性がいくら低いとは言っても、ゼロよりは高い。

そりゃまあ、ゼロと大差がないって程度の極めて低い信憑性ではあるだろうけども。
0214日本@名無史さん
垢版 |
2016/07/08(金) 11:42:08.48
某地方の村役を勤める家の話しだが、例に漏れず先祖は城持ちの豪族で同姓の家々が郡内に
ひろがっている。
 元々の居住地は山城の麓なの石高が大きくなく零細な家が昔の資料を保持し宗家を名乗っている。
山を下るごとに平地が広がり大規模農家へと・・・そして大きな家一つが系図を弄りもっと前の源OO
から分かれているので宗家とは直接には関係ないと主張、ただ元は一緒だねと。
こういう不毛の議論が熱く続くと・・・
 
0215日本@名無史さん
垢版 |
2016/07/08(金) 18:46:59.17
そりゃまあ、庄屋の居館そのものが戦国時代なら城として扱われてるんだから、村役の祖先が城持ちでもおかしくはないな
領地は1ヶ村です、みたいな城持ち。

まあ戦国時代は村の数より城の数が多いってぐらいの時代だしな
0216名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
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2016/07/10(日) 13:02:16.01
そういやー豪族で勢力を扶植していくと支配領域は広がるけども全村支配って国衆レベル
になら無いとないよね?
 つまり庄屋でも大きな村だと数軒違う名字で隣の村も同様。同姓の豪族で全て治めるのではなく
大きな豪族が同じ村でも何軒か入り乱れるように支配していく
0217名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2016/07/10(日) 15:53:35.81
そのへん、地域によって支配形態がまったく違うんだよな

ひとつの大きな豪族が全損支配する前提で最初から村があるような関東と、
複数の豪族の支配地がモザイク状に村の中に存在して分割支配になってる関西がそれぞれの代表格だが、
どうやらそれ以外の形態も他の地域にはある。
0218日本@名無史さん
垢版 |
2016/07/14(木) 01:16:15.25
街道から離れた山間部に行くと庄屋でも門が無い家を見るが門を作る余裕(金)が無かったのかね。
0219日本@名無史さん
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2016/07/14(木) 22:06:14.49
>>218
一国一城令の規制対象が庄屋の屋敷にも及んでるから、江戸時代初期頃に門を壊して、それ以後の建て替えや改築でも新しく門を作ったりしなかったってことだろ

濠(といっても幅1mほどのミゾみたいなものも多いが)とか塀も、家の周り一周のうち半分以上は壊さなくちゃいけなくて、
半周だけ残してる庄屋屋敷が多い。全部撤去した屋敷もあるが。
0220日本@名無史さん
垢版 |
2016/07/21(木) 14:29:18.75
冗談かと思ってたけど、公家が先祖にいたわ。
幕末だな。
0221日本@名無史さん
垢版 |
2016/07/21(木) 19:55:11.99
それは重畳

可能ならその御先祖の名前も晒してくれ。たぶん無理だろうけど。
0222日本@名無史さん
垢版 |
2016/07/22(金) 00:24:31.84
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。
0223日本@名無史さん
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2016/07/22(金) 07:26:40.16
一世代重ねるごとに先祖の数って倍に増えるから著名人の先祖が居るのは普通だろ
現代人で先祖に貴顕が一人も居なかったらそっちのほうがすごい
0224日本@名無史さん
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2016/07/23(土) 16:03:03.20
>>221
すまんが晒せないw
幕末は150年前だ。
ばあさんのばあさんが、あれ?違うわ。
ばあさんの母親が公家の出身。
戸籍の除票で確定。
残念ながらその家は絶えた。嫁に行った娘の子孫は全員知ってるわけじゃないけど
20人以上になると思う。
うちの婆さんの子孫だけで13〜くらいいる。
正確にわからんのは、離婚して嫁が子供を引き取ったおじの孫が何人いるか知らんから。
うちのばあさんは、遠方へ嫁に来たが、先祖の故郷にはこっちのほうが近いけどな。
下級の公家らしいから財産もなく養子を取るほどの家じゃなかったのだろうな。
敗戦の混乱もあったのかも。
まあ、今度墓参りに行ってくるわ。
4人のじじばばのうち、このばあさんだけが遠方なのさ。
幕末明治に東京に行かされたらしいから。

爺さんの先祖(俺の実家の名前)は、戦国末に二人(一組の夫婦)だったが、
子孫はおそらく200人を超えるだろう。
同じ名字を受け継いでいるのはごく少数。あと30年経つと、五軒しかないだろう。
Y-DNAを受け継いでいるのはゼロだw
婿養子が多かったから。
0225日本@名無史さん
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2016/07/23(土) 16:18:45.04
200人は違うな。
うちの曾祖父さんの子孫だけで100〜150位になるわ。
爺さんの子孫で生きてるのだけで40人超えてたわ。
戦国末の先祖の子孫は500くらい??
0226日本@名無史さん
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2016/07/30(土) 16:54:32.57
>>223
そうだよな。
少なくとも1600年、民族大移動もなく他民族に支配されることもなく、るつぼの中で
混ざっているから。
庶民の隅々まで貴人の血が行き渡り、逆に貴人にも様々な血が流入している。
うちはばあさんが近年だったが、じいさんの先祖もおそらくはもっと昔に
もらってると思うわ。
0227日本@名無史さん
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2016/07/30(土) 18:44:14.70
いい身分の先祖がいたら女系でもシレっと入れてしまう浅ましさ
0228日本@名無史さん
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2016/08/10(水) 11:53:21.76
先祖に女がいない奴がいるのか。驚いたわw
木の俣から生まれてきたんだろうなあ。
0229日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/10(水) 16:04:28.94
BC3C末、徐福一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。
0230日本@名無史さん
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2016/08/10(水) 19:31:42.85
日本列島に稲作が伝わった時期は徐福の生きていた時代より何百年も古いから、徐福が日本に来たかどうかなんて関係ないね。

まあ、来てないんだけどさ。

そんな無意味な話をあちこちにコピペする頭のおかしい人、こりないねえ。
0231日本@名無史さん
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2016/08/13(土) 02:15:24.50
>>225
うちは高祖父の子孫で唯一の男系だよ。男が産まれにくいのか曾祖父も祖父も父親も娘ばかり
うちも娘二人でこれ以上は育てられんから男系終了…
0232日本@名無史さん
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2016/08/17(水) 02:16:09.10
そういうこともあるだろうね。
うちも父方高祖父の子は男子3人いたけど、男子が生まれたのは曾祖父だけ。
曾祖父は4人男子を産んで、そのうち3人が男子を産んだけどそれぞれ一人づつだけ。
その男子は、俺の代では結局4人だけ。

逆に、母方曾祖母は、娘を3人産んだけど、女子を産んだのは祖母1人だけ。祖母は娘を2人産んだけど、子が出来たのは母だけ。
母は男子しか産んで無いので、母方祖母のミトコンドリアを継ぐ女子はもう絶える。
0233日本@名無史さん
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2016/08/17(水) 11:23:26.11
夏休みを利用して図書館に籠って調べものした。信越地方某藩ぶっちゃけ小諸藩
だが、江戸初期はやはりよくわからんポイね。
 名主・長百姓あたりは郷士として遇されてるぽいが当時の藩側記録は残っていず
時折発給文書が散見される。旧芦田家臣が主だが他の名主らも同様の扱いだったかも不明。
また、名主自体の記録も不明部分が多い。やはり地方だと体制の整備は100年ぐらい
かかったかもね。1700年代になると大方が天領に編入されてる。この辺が兵農分離の完成かも・・
0234日本@名無史さん
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2016/08/18(木) 14:18:58.96
次男の次男で婿養子とかだと、同じY-DNAでもほとんど付き合いがなくなる。
父方の祖父さんは男兄弟が多く、何人かが婿養子に行き祖父さんも婿に来た。
又従兄弟世代とはほとんど付き合いがない。多くは都会へ出たらしい。
同じY-DNAを受け継いでいても、名前も違うしそのへんで会っても全くわからないだろう。

今の名前の元である曾祖父さんは次男か三男で、若い頃(明治)に家を出て自立し、
遠方で事業を起こして成功し、一人娘に婿を取ったらしい。
おれはたまたまその実家から30Km圏内に住んでいるが、尋ねたこともない。
今その実家があるのかどうかもわからない。行っても相手が困るだろうw
場所柄からすると、江戸時代からそこに住んでいると思われるけどな。

母方は跡取りの家だったのと庄屋もやった一族だから、今でもかなりの付き合いと
先祖代々の墓がずらっと並ぶような墓がある。
この極端さがおもしろい。
0235日本@名無史さん
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2016/08/20(土) 13:51:21.89
>>232
うちの曾祖母さんは一人娘で婿を取り、4人(男2女2)の子を産んだ。
娘の一人は息子しか産まず、もう一人は息子と娘を産んだが、娘は40で独身だから
mtDNAは残せないだろうな。

曾祖父さんはY-DNAを伝えるひ孫は一人だけだ。
ひ孫は10人いて、あと何人かは増えるかもしれんが。
0236日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/20(土) 14:12:38.56
曾祖父さんは7人の子どもと15人の孫と18人のひ孫がいるが、Y-DNAはひ孫には一人だけ。

べつの曾祖父さんは、8人の子と18人の孫と少なくとも24人のひ孫がいるが、
Y-DNAは一人だけだ。
0237日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/22(月) 13:51:05.35
江戸時代の終わりの先祖がどこで何をしていたかが分からんっていうのは不思議だな。
0238日本@名無史さん
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2016/08/22(月) 16:27:05.70
>>237そういうのは武士だった家に多いみたいよ。農家は農地改革まで農地に
縛りつけられてたが武士は新たな食い扶持を探さなければならなかった為移動
してわかる辛くなってるみたい。
0239日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/22(月) 19:01:29.82
武士の場合、秩禄をはたいたら農地を「地券」額面より1割ぐらいで安価購入できる特典が期間限定であったから、
出身地を離れたとこに農地を買って引っ越す人も多かっただろうしな
0240日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/22(月) 19:06:05.31
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。
0242日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/23(火) 03:18:34.20
>>241昔はだろうけどね。自衛隊は九州出身者が多いとか、尚武を貴ぶ土地柄だからだろうか。
旧士族かどうかは
0243日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/24(水) 16:03:17.42
武士の家計簿は読んだか
猪山家は、役人として成功した部類だが
その親戚の武家は、ほとんどが没落してる
0244日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/24(水) 23:47:35.09
うちの祖母方が明治期豪商だったが4人兄弟で長女は婿をとった(出自はしらんが
殊更知らされてないから多分町人だろう)次女が元庄屋の家へ、長男も庄屋から嫁、
三女は某藩家老の家に嫁いだ。相当金積んだんだろうなと思うわ。
0245日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/25(木) 01:12:51.63
>>244
商家は長女が婿を取って、その婿が家を継ぐってのがデフォだったからな
男子に跡を継がせた店は商人仲間からハブられる風習があったそうだ
0247日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/25(木) 23:09:31.56
>>238
そんなわかりずらいレベルの武士なんて下士以下で武士とも呼べないような傭兵上がりの弾除け要因レベルなんだから話にならないから
0248日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/26(金) 08:14:16.88
武士のほとんどは下士だろ。上士(騎馬身分)は少ない
0249日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/26(金) 19:31:49.09
そらそうだろ
大半が戦国時代に身分問わず傭兵として集められた下克上系大名の雑多傭兵が出自だこら

下士なんて大半戦国時代以前の出生地すらわからないような棄民上がりがおおいしな
0250日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/26(金) 19:34:46.39
江戸の武士こそ下士こそ、秀吉みたいな出自だらけだぞ

庄屋は逆に由緒ある地域の名門だらけだけどな
0251日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/26(金) 21:46:15.82
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0252日本@名無史さん
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2016/08/28(日) 09:18:41.06
「上士・下士」なんて言葉を使ってる時点でレベルが知れる。
0253日本@名無史さん
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2016/08/30(火) 11:04:16.95
地域によって庄屋、村役人の旧領主層の権限はさまざまだと思うけどうちの所では下級武士よりは全然扱い上だったみたいだよ
旧領主の元配下の武将を城勤めの役人として雇わせて庄屋に便宜図らせたりしてたみたいだし乗馬や武装もしていたそうだ
0255日本@名無史さん
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2016/08/31(水) 09:06:17.18
クダランことをグダグダグダグダいってら
0256日本@名無史さん
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2016/08/31(水) 15:19:04.62
>>253時代によって地方差ももちろんある。江戸初期はほとんど区別なく
100年ぐらいかけてゆっくりと兵農分離をして庶民に落としたが
生意気に金をタンマリため込んで江戸後期には金のを無心されるまでになると。
支配階級を支配地から離すのは結局は破綻するのかね?
0257日本@名無史さん
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2016/08/31(水) 20:48:02.68
>>256
自分のところは江戸時代になってから転封されてきた殿様だったからね
在来の権力者を庄屋層や役人として取り込んで支配を安定化しようとしていたみたいだ
当時は民族浄化みたいな徹底した根絶やしは恨みを買うと避けられてたし取り込む方向に流れたのかもね
0258日本@名無史さん
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2016/09/07(水) 07:41:18.09
うちの先祖は、戦国末期に(関が原が終わった時と伝わってる)村へやってきて
婿入りしたらしい。敗れた側の末端の武士だったのかな。
今の苗字はどっちかよくわからん。
一族以外にも同じ名字の家があるし。
関わりのないところへふらっと来たのか、それとも元々ここいら出身だったのか。
落ち延びた末端の武士が起こした家にしては家格が高すぎるんだよな。
0259日本@名無史さん
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2016/09/08(木) 00:01:06.14
田舎に行くと厳然と家格ってものがあるけどどういった理由で決定されるんだろうな?
田舎行くと年寄りが国会議員を出した家あの家よりもこの家のほうが家格が上っていつも言う
0260日本@名無史さん
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2016/09/08(木) 00:19:26.58
>>258
大規模な国替えがあったときだから、移封された大名に付き従って転居した武士(および、庄屋・名主etc)も多かったんだよ
土地を離れたくなくて残留する庄屋と土地より主従関係を重視して転居した庄屋の両方がある
0261日本@名無史さん
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2016/09/08(木) 04:38:35.17
母の家は信州上田から仙石家と供に兵庫県の出石へ、当時は大工だった。
父方の祖母の実家は越前大野から松平家と供に明石へこちらは武士だった。
0263日本@名無史さん
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2016/09/18(日) 16:32:37.16
>>258
ああすまん。ほんとの末端の徒士じゃないだろうってこと。
戦国時代の武士のランクって、いまいち分からんからな。
0264日本@名無史さん
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2016/09/18(日) 16:40:34.15
うちの田舎じゃ、1500年前ていどからいたらしい村は名字はほとんど同じだ。
それ以外の近隣の村は、もうちょっとバラエティに富んでいる。

江戸や戦国の領主の名前を付けたようなのは全くない。
最も、江戸期に一時的に領主になった大名は同じ氏族出身と称しているのもいるけど、
10年とか20年しかいなかったし、村の名字はもっと以前から記録にあるから
江戸期にもらった名前ではない。
お殿様の名前を付けたってやつ、あれは眉唾だと思うわ。
普通なら恐れ多くて付けんと思う。
0265日本@名無史さん
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2016/09/18(日) 16:50:07.37
>>238,239
それにしても、せいぜい150年だぜ。
曾祖父さんか、高祖父だよ。
今80歳の人が、自分の親や爺さんの出身地を知らんとか、どういう経過だろ。
不思議だわ。
武士だったら、なおさら先祖のことを伝えていそうなのに。

まあ、うちの田舎の小さな藩のお殿様は分からんが、藩士のその後って知らんけどな。
武家屋敷はとっくの昔になくなってるし、家老の家柄だった人なんか聞いたことがないわ。
地域の有力者は、商家や庄屋かな。
武士はみんな東京へ行ってしまったのか?
0266日本@名無史さん
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2016/09/18(日) 16:58:48.61
関ヶ原と大阪冬の陣夏の陣で負けた大名の領地とか、江戸時代に国替えが
頻繁にあった地域とかは、家臣が地域に根付いていないからさっさとどこかへ
行ってしまったのかな。

あと、近畿は所謂「お殿様」がいいないというか、寺社領や幕府の直轄地が
多くて、武士ってあんまりおらんのよな。
代官って転勤のある雇われのリーマンだし。
0267日本@名無史さん
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2016/09/18(日) 19:36:46.23
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0268日本@名無史さん
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2016/09/18(日) 22:05:20.40
維新後もその領地、県内に残ってる武士の方が多いとは思うんだ
家臣団で組織作ってるようなとこあるし
ただ、実質的に農地等を持ってないから、職を探して移動する人も多かっただろうね
0269日本@名無史さん
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2016/09/19(月) 01:31:34.96
北海道開拓に赴任する武士も多いし(特に倒幕軍と争った藩の出身者)、

秩禄処分の先行措置で土地を安く分与されて農業をはじめるってコースが政府から推奨されたから、
出身地から離れた村に移り住まざるをえない場合も多々あっただろ
0270日本@名無史さん
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2016/09/19(月) 11:12:54.08
士族の屯田兵は奥羽越列藩同盟からは少ないよ
最多の士族は加賀藩士で官軍側だ
会津藩士は青森の下北半島に移住させられ、そこを開拓してたしな

士族以外の北海道移住者は圧倒的に東北が多いんだけどな
0271日本@名無史さん
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2016/09/19(月) 13:45:56.92
なるほど、士族が参加しちゃうと叛乱への警戒心を強めちゃうからか
叛乱を準備するために開拓に参加してるんじゃないよ、協力したいだけだよと主張するためには士族じゃなく農民が移住する必要があったんだろうな
0272日本@名無史さん
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2016/09/19(月) 13:59:44.40
北海道の屯田兵が起した唯一の反乱が元薩摩藩士によるもの
しかも黒田清隆の親戚

北海道の場合、初期は士族しか屯田兵になれなくて
士族の養子になってから潜り込むケースもあるので
先祖は本州で何をやってたのかまで調べないといけない
0273日本@名無史さん
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2016/09/22(木) 11:36:05.70
うちは、ただの農民だから、どんなに頑張って調べても天明七年に生まれた平三郎さん
にしかたどり着きませんでしたね。墓石に名前が載っているのが、この人だった。嫁さんの
名前はわからなかったけど、天保八年四月十五日に亡くなってるのは読み取れた。平四郎さん
はの五日後になくなってる。天保の大飢饉で飢えて死んだのかなぁ。文政十一年と天保四年に
生まれた娘二人と、文政九年に生まれた平左衛門を残してのことだった。この平左衛門の
五男がうちの家。土地台帳とか見ると、うちの五男の爺さんが三万坪を相続してることまでは
わかってるけど、貧しい農民でもこのくらいの土地は持っていたのかね?戒名を見ても、平三郎
も平左衛門も○○軒○○禅上門とかで、あまり大したものじゃないです。幕末に、親を失って
エタとかヒニンに組み込まれて生きてきたのかなぁとも思っているんだけどね。
ヒニンとかでも農業できるわけでしょ?
0274日本@名無史さん
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2016/09/24(土) 22:33:20.32
相続で3万坪で、その戒名なら相当豪農の一族だよ
戒名からすると禅宗かな
0275日本@名無史さん
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2016/10/14(金) 17:06:45.85
エタがみんな貧しかった訳ではなく、土地を持っていなかった訳でもない。
貧しくなったのは明治になってからだろうと思ってる。
何故なら、屠殺や皮革の利権がなくなってしまったから。
開放されたが、逆に誰でも参入出来るようになってしまって、エリアの独占も
なくなって、商才があるやつ以外は困窮して、豊かになるやつはどんどん
豊かになって別の地域へ出ていった。残ったのは困窮したやつだけで。

みんなが食うや食わずの貧困にあえいでいたなら、エタ村が300年も維持することは出来ず、
とっくに消えていただろう。
0276日本@名無史さん
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2016/10/14(金) 18:16:22.19
https://twitter.com/kurisu_1882/status/750733336771850240
平安時代宮之城周辺は土地の豪族大前氏が律令制官職の郡司として統治していたが、
鎌倉時代になると幕府が守護職に派遣した島津氏の支配下に置かれた。
大前氏は豪族として島津氏に抵抗し続けたが勢力は弱り、
江戸時代になると大前一族の居住地が「死苦村」と呼ばれるようになる。

https://twitter.com/kurisu_1882/status/750735399836725248
一七八四年(天明4)年七月七日 島津藩からある布告が出される。
「死苦村儀 以来穢多と相唱 書付等ニモ可相認候」
これは本日をもって被差別身分に落とすという布告である。
0277日本@名無史さん
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2016/10/14(金) 18:59:19.15
京都の駐車場跡地で古銭4万枚! 壺にびっしり 400万円以上
http://www.sankei.com/west/news/140708/wst1407080008-n1.html

 京都市下京区貞安前之町の駐車場跡地から、室町時代(15世紀)のものとみられる備前焼の壺(高さ66センチ、幅53センチ)が出土し、
なかから古銭4万枚以上がみつかったと、民間の発掘調査会社「イビソク」(本社・岐阜県)が8日、発表した。
同社は、1文は100円ほどと推定。「現在の価値に置き換えれば400万円以上では」という。

応仁の乱…約600年、ひも通した状態

 見つかったのは四条河原町にある高島屋京都店の南側。
文献によると付近には当時、河原で染色などをしていた職能集団の集落があったとされるが、壺の持ち主はわかっていない。
ひびに沿って壺の一部をはがしたところ、中に古銭がぎっしりと詰まっていた。

 古銭は「開元通宝」(初鋳年代621年)から「宣徳通宝」(同1433年)まで、作られた年代が異なる約50種類が確認された。
97枚を1単位としてひもに通した「さし銭」という状態だった。

 同社によると、古銭の大量出土は全国で200例以上あるが、壺に収められた状況や、ひもを通している状態がそのまま確認できるのは珍しい。
壺に入れるのは貯金や隠匿、地鎮などの意味があるという。

http://www5.oita-press.co.jp/images/wn/20141126/434-1-m.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=aAMlx8Xj9jY
0279日本@名無史さん
垢版 |
2016/10/16(日) 11:44:06.37
>>277
要するに小金持ちだったのか
0280日本@名無史さん
垢版 |
2016/10/17(月) 03:32:55.58
>>275
ん?屠殺なんかしたら罪に問われるぞ。
認められていたのは牛馬の死体を独占的に取得できる権利だけ。
権利を認められていたのは村の頭とか年寄とか呼ばれる一部の層だけ。
苗字帯刀と一緒で村の中の特定の家だけが代々権利の世襲を認められていた。
それ以外は小作人とか行商人とかその日暮らしを強いられた。
この権利を認められる認められないは由緒などの違いで決められていたと思われる。
また権利を認められた層とそれ以外の層が通婚していたとは考え難い。

明治以降に困窮したと言われるが権利を世襲していた家は江戸時代に蓄えた財を元に新たな商売を始め成功している。
中には貴族院議員多額納税議員互選資格を獲得した家もある。
しかし権利を持っていなかった層は相変わらず困窮したままだった。
金持ちはより金持ちに貧乏人はより貧乏にの構図である。
0281日本@名無史さん
垢版 |
2016/10/18(火) 18:36:15.00
>苗字帯刀と一緒で村の中の特定の家だけが代々権利の世襲を認められていた。
>この権利を認められる認められないは由緒などの違いで決められていたと思われる。

東三条・竹中庄右衛門について

『京都坊目誌』に、肥前平戸藩松浦肥前守の家臣が先祖で、わけがあって京都の方に移ってきたと書かれています。
仕事は、天部村の捕手の仕事をしていて、一方で「皮革の製造販売を業とし」ということです。
慶応元年、二五歳のとき天部村の組頭になったとあります。そして、帯刀を許されています。
組頭というのはどんなポストかといいますと、その村を代表する年寄と小頭との間のポストだということです。
また捕手の指揮統率に任ぜられていたということであります。
この方が、天部村が明治に入り三つの町、教業町、長光町、巽町になったときに巽町の戸長に明治五年になります。
そして町のために働くのですが、戸長制度が廃止されると総代になります。
「家職を当主に譲り、自ら隠居して専心協同、夜学校の事務に従事し」とあります。
これらの記述を通して、竹中が村の指導者として尽力をしたといえるでしょう。
0282日本@名無史さん
垢版 |
2016/10/19(水) 04:25:33.18
被差別部落の内部構造を分析しうる史料は非常に少ないが、
近年、東京大学法学部法制史資料室から発見された『京阪文書』に五十六点、
『京五条坂古証文』に十五点の京都の被差別部落関係の史料があって、
江戸時代初頭の余部関係文書が天部村の内部構造の究明にひと役かってくれた。
もちろん、天部村の内部で年寄、組頭、手下、借家人と階層性の強いことはわかっていたが、
それが居住地域にまで及んでいることがわかってきた。
まず、村内は南北に分れ、北町に番頭の年寄すなわち村の有力者が住み、
南町にも年寄は置かれたが、南町は北町に従属していた。
さらに、北町は東西に分けて西側とか西町の呼名が使われている。

この年寄の下に30人の組頭がいて、その組頭の下に村の住人が手下としてしたがっていた。
組頭になる家は固定されており、その内から2名の者が月番をつとめ、村入用などの取り立てにあたった。
また、この他に3名の小頭がいたが、これは年寄によって選任され、日給を給される立場にあった。
年寄は各家より地料を取り立てて、それを自己の取り分としており、組頭は自分が所有する家作の地料を免除されることで、
給与のかわりとしていることから、年寄と組頭は村役人の地位にあったが、小頭はそれに雇われる立場にあったものと思われる。

一般の住人は手下と呼ばれていたが、この手下にも家持ちと借家の別があった。
家持ちは「手下役人」とよばれていたように、一人前の村民として公役をつとめる義務をもつかわりに一定の発言権も保障されていたが、
借家人は地料をおさめるのみで公役をつとめる義務はなかったが、村政へ関与することも出来なかった。
家持ちと借家人の割合は、1704年 (宝永元) の時点で家持ちが39戸・213人、借家が129戸・519人で、1対2となっていた。
刑警吏役のうち実際の首切りにあたるものを「又次郎」とよんだが、天部村の場合は借家人が又次郎役をおこなっており、
人足として二条城の掃除や刑警吏役に実際に出ていたのは、手下のうちの借家層であったと思われる。
0283日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/23(金) 12:51:28.32
過疎ってるなあ
ファミリーヒストリーという番組がこの3月まで放送されていたぐらいなのに・・・
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