(36)、(35)からのつづき

春秋暦について
二倍歴の中に春秋暦というのがあります。魏志倭人伝にも引用されている魏略の
「その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す」というのが原点ですね。

「…との記述から、春の耕作と秋の収穫を1サイクルとして今の半年を一年として数えていたという意見がある。
一方でこの記述は「春に耕し秋に収穫するのを一年と大ざっぱに考えている」と述べているだけで、この記述をもって
史書に記された年数を勝手に二倍に解釈するのは牽強付会との意見もある。(Wikipediaより)」

歩数計は、左足、右足、左足、右足を一歩、二歩、三歩、四歩と数えますが、魏志倭人伝に出てくる径百余歩は、
半歩、一歩、一歩半、二歩と数える説が多いですね。
時刻も6時、18時と言ったり、午前6時、午後6時と言うときもありますね。明け六つ、暮れ六つでしょうか。
それらを思うと、一年も春年、秋年もありかなと思います。
古代の天皇の崩御年齢は一年を2カウントした方が、現実味があります。
また、日本書紀は、30巻で構成されていますが、13巻までと14巻以降では儀宝暦、元嘉暦のように暦が異なっているとか、
和習の有無があり、書き手が異なるといわれています。

ということで、13巻まで(安康天皇の途中まで)を春秋年、それ以降を通常年として紀年を展開してきました。

細かい年が算出されましたが、計算上の成り行きですから、実際はアバウトで追って行けばいいと思います。
これからいくと神武東征は2世紀中頃、というようにです。

何か思いつけば、また、投稿しますが、一旦ここで終りとします。
ありがとうございました。

おわり