なるほど、古賀の持ってきた記事だけを読めば、半分に解釈した方が理解しやすく見える。
しかし、とどのつまり、古賀の言及しない他の全ての史料の年齢の記事は、半分にしなくとも自然に理解しえるわけだ。
自分にとって長大に思える年齢の記事を、適当に拾い集めて来て、半分の方が自然だと言い張ってるだけ。

詭弁も多い。
一つ目の長者窮子についてだけ述べておくと、
一般的には、息子が長者の父にあった時の年齢を五十余歳と解釈する。
それを、二十歳に家を出たことに曲解して、自説に都合の良いように誘導している。

元々唱えた古田にしろ、二倍にあきたらず、多倍年暦なんてことを言い出した辺り、
自分が先に拵えた結論に当てはめているだけ。
尤も、古田はいつもそうなのだが。