2倍年暦の傍証として、じつは一番有力なのは、これじゃないかと思う
http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/11615416.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/11625968.html
http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/11626310.html

聖徳太子崩
 日本書紀:辛巳年二月五日癸巳日
 光背銘 :壬午年二月廿二日甲戌日 
推古天皇崩
 日本書紀:戊子年三月丁未朔癸丑日
 古事記 :戊子年三月十五日癸丑日

この食い違いが、2倍年暦で解明されるというのが、一番強力な傍証じゃないかな

ただ、残念なことに、このサイトを最初から見てみると、当初の論証と最終的な結論とが矛盾してるんだよな
このサイトでは、最初の方で、稲荷山鉄剣銘の「辛亥年」が2倍年暦だと30年周期になるから、西暦501年になると言ってるけど、
最終的な2倍年暦の干支表によると、西暦501年は春が己巳年で秋が庚午年だから、どちらとも辛亥年ではないはずだ
この著者は、邪馬台国畿内説の傍証として2倍年暦を利用しようとしてるから、その結論に都合の悪いことは無視する傾向がある

とはいえ、最終的な2倍年暦の干支表はかなり説得力あるから、これをもとに再構成する価値はあると思う

たとえば、天皇即位の「辛酉年春正月庚辰朔」も、2倍年暦の辛酉年のなかから、「春正月」の「庚辰」の日が「朔」になる日を探せば、有力な候補日になる
個人的には、「春正月」とは春分を含む月のことであり、(雨水ではなく春分とする根拠は、神道の皇霊祭が春分と秋分だから)
ここでいう「月」は通常暦の半月であって、「朔」は新月のみならず満月の日も候補になるから
そのなかから、日干支が「庚辰」の日、ということで、グレゴリオ暦377年3月12日が、神武即位の有力候補日になると思う
まぁ、この点は、もっと説得力ある日付がある可能性もあるから、あえてこだわるつもりはないが