{{{源氏の素性・正体}}}
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新羅三郎 八幡神 突如とした騎馬集団 義経モンゴル逃亡説
言えばきりないほどの渡来系疑惑。
真実を解き明かそう ここが腑に落ちない。過去、古事記や日本書紀は
夢に出た→お告げ→大義名分
という解釈してる。三郎がなぜ新羅神社の夢だけそのような拡大解釈したのか。
あなたも毎日夢見るでしょ?なぜその中で新羅神社だけチョイスしたと思う?
たとえば島津家。あの一族は秦王朝の末裔を自称してる。
だから島津は惟宗姓を必ず名乗ってた。
名乗りまで上げるというのは、それ相応の思い入れがなければやらない。
なぜ三郎は夢で一回出たものをそこまで担ぐ必要があったのか?
>>3
いや、賀茂次郎のみ説明できますか?
そもそも源氏の氏神八幡神は半島由来の神だし。
二つ巴の紋がもろじゃないですか。
新羅三郎も夢のお告げといってます。なぜ夢で新羅となるのか・・・
>>4
いえ、自らを秦氏続の末裔としょうし、朝廷の古代の侍である渡来系秦氏族惟宗氏を、
姓として代々名乗るほど。
新羅三郎もまさにこれに近いものと考えられます。
通常なんらかしかの出自に関わるものでなければつけないと思われます。 たとえば、日本には騎馬による集団戦法はそれまで存在しません。
突如として源氏集団が平安後期に使い始めた戦法です。
刀の湾曲にしてもこれらすべて北方系にまるで瓜二つです。
例えば、ある大学教授の論文を引用しますが、
古代中華帝国が北方民族にあれだけ幾度にも滅ぼされた要因は騎馬にあるとしています。
北方の騎馬は足が速く、当時たいした鞍も存在しない中、
手綱さばきしながら乗りこなし、さらには武具を使いこなすということは当時北方系にしかできなかった。
中華帝国の軍団が結局北方騎馬民族以上に騎馬集団戦術をマスターできなかった要因とも語ってました。
確かに北方騎馬民族は生まれたころから馬を操り放牧民族として生きています。
代々の操馬技術の伝承は神敵領域だったでしょう。
なんせ古代中華帝国が、化け物みたいな長さの万里の長城作るくらい恐れていたわけですからね。
義経がモンゴル逃亡説などもまんざら日のないところに噂は立たぬと思うんですよね。
彼ら源氏はなぜ、日本に集団騎馬戦術の土壌も何もない中、突然に習得し、また使いこなせたのか。
渡来系が関与していると思わざるを得ないんですよ源氏にいたっては。 そもそもが臣籍降下による賜姓源氏の出自が怪しすぎる。
あれだけ大量に存在したわけで、朝廷も管理ができてたわけじゃない。
そもそもが天皇の血といっても、相手が白拍子などが非常に多く、そもそもが出自不詳が多いということ。
要は渡来系が非常に名乗りやすいものでもあった事実。
ま、八幡、加茂、新羅というのは、父・頼義が神人ほかそれぞれの神社勢力を味方につけさそたくて、子息たちをそれぞれそこで元服させたってことなんだろ。
渡来系の影響に関しては、頼信が本拠地とした河内国がそれまでどんな経過を辿った土地かを見れば一目瞭然なわけで。
まあ騎馬民族云々はともかく、
秦氏の匂いは二代満仲の頃からついて回るが。
二代満仲が父で源氏初代の経基より年上になっている系図を、その後天下人を何人も出している最高権力者の源氏が訂正もさせずに採用し続けている点、
英彦山が承平・天慶の乱における満仲伝承を有する点などをみても、
二代目以降の源氏に限りなく怪しさが漂うのは事実だが。
軍事貴族はみな渡来人由来。
・藤原利仁:秦氏の代表的な根拠地の1つ越前国がその根拠地。事実利仁自身、母と妻が秦氏。
桓武平氏:言わずと知れた高野新笠(和史氏)が母系。また秦氏の本拠地山城国に平安遷都決行。
・藤原秀郷:秀郷が創建した由緒を持つ神社がことごとく稲荷社(同社は秦氏の氏神社)。また同族・利仁からの下野国における権益地盤継承の高い可能性。事実、のちには互いに重層した姻戚関係を築く。
・橘遠保:橘氏前身の縣犬養氏の本拠地は河内国古市郡。同地は同時に王仁吉師や百済王氏の本拠地である。
・大蔵春実:前身は言わずと知れた渡来氏族東漢氏。
こうやって見てくると、
軍事貴族で渡来人由来が不明なのは嵯峨・仁明系源氏ぐらい。
>>8>>9
すごい勉強になりました。ありがとうございます。
もっといろいろ教えてください。
あと伊勢三郎など、渡来系疑惑のある人物もいますよね?!
詳しい方お願いします。 >>6
>たとえば、日本には騎馬による集団戦法はそれまで存在しません。
平家の歴史を追うしか方法はありませぬ
エルサレムも含めて歴史を遡ってくださいw あの、なんたら太平記にのってる
「高麗人数百をひきいてかの国よりどうのこうののお末」
ってなんの説なのよ?
日野俊基が足利尊氏にしゃべってるけどさ。 たとえば頼朝。
源氏が操り人形にすぎなかったと証明できる人物。
そもそも頼朝をかつぎあげたのは北条得宗家
自称平氏一門の彼らが頼朝を担ぎあげ、平氏一族を打ち滅ぼした。
そして用がすんだら、義経義仲兄弟も消し、そして頼朝の子たちも全員暗殺された。
その後は北条得宗家の実効支配でしょ
得宗家の野望に使われた程度の存在。その大義名分に使われた程度。
要は源家という家名だけが独り歩きしているだけで、
そこに鎮座する人間など誰でもいいわけで。
義経があれだけ戦上手なのは、源氏の姓を名乗った渡来系(北方民族系)という可能性は十分ありますよ。
だからモンゴル帰化説もあるし。
だから最後は全員根絶やしに消されてる。出自がばれるのを恐れて。
かなり信憑性あると思うのですが・・・ >>1
嵯峨源氏 - 泰氏
仁明源氏 - 高麗氏
文徳源氏 - 漢系三善氏
清和源氏 - 百済系三善氏
陽成源氏 - 百済系三善氏
光孝源氏 - 百済氏
宇多源氏 - 坂上氏
醍醐源氏 - 調宿禰
村上源氏 - 文宿禰
冷泉源氏 - 百済王氏
花山源氏 - 文宿禰
三条源氏 - 無姓
後三条源氏 - 栄山忌寸
後白河源氏 - 長国忌寸
順徳源氏 - 秦氏
後嵯峨源氏 - 大崗忌寸
後深草源氏 - 山代忌寸
亀山源氏 - 清宗宿禰
後二条源氏 - 浄村宿禰
後醍醐源氏 - 清海宿禰
正親町源氏 - 木津忌寸 >>6
>たとえば、日本には騎馬による集団戦法はそれまで存在しません。
では、ニニギは馬乗りが得意と聞きますが、論点の相違になりますね
>>15
コリアンは黙れ 逆なんじゃないの?
古代新羅の王族には明確に日本人がいた。歴史書にも書いている。
その子孫たちが新羅神社を作ったんじゃないのか? >>13
平家の直系は、筑波山周辺に定住していた
関西方面に住んでいたのは、役目を終えた一部の分家と考えれば事が足りる
住めば都だし、筑波山に帰る気がなかった一部
>>19
安倍晴明(源氏)は、ニニギの転生体 VS 平家はニニギの末裔
果たして、どちらに権威があったのか >.18>>19>>20
難しいので、もう少し分かりやすく教えてください。 平氏について、群書類従や大乗院の記述に、
「異国人が京都の一角にいて貿易を行っているが、ことごとく平の姓を名乗っている」
と書かれてるんですよね。
また上宮聖徳法王帝説に、聖徳太子の母の名を穴穂部間人といい、
間人とは当時ペルシャなどのアーリア系を指すものだそうですよ。
で、源氏は平より諸族といいますか、グループが多く、多岐にわたるのに、
庶流や傍流などと称するものがあれほどいて、
なぜ渡来系がいないといえるのか?
源姓は渡来人にとって都合のいい呼び名として用いられててもおかしくないはず。
実際源氏、特に清和系の長者は肉親だらけで殺戮の嵐。
これは渡来系などの仮冒がおおく含まれていたと考えるほうが自然ではないのでしょうか? >>22の続きですが、義経の鞍馬伝説では天狗に兵法を教わったとされてる。
その後モンゴル逃亡説。
なぜ生まれてから死ぬまで、そこまで天狗や大陸などの渡来系の関わりを肯定するような、
物語ばかりまとわり着くのでしょうか?
挙句は義経のあの戦い方。いくら義仲や為朝など、武勇で有名なものはいますが、
あのような騎馬戦術や、壇ノ浦での梶漕ぎまで平気で射抜くという野蛮さは、
渡来系としか思えない。
そもそも、島津じたい、惟宗のくせに、頼朝の隠し子を自称して清和源氏を自称したりなど
もう日本人だって何でもありになってるのにね。
源氏に多くの渡来系が仮冒してたという可能性がものすごいと思うんですよね。 単純に多田新発意とその子頼光が、摂津多田あたりで「武装地元ボス」化
した結果ちゃうかなあ。
気になるのが多田神社近くに東光寺があり、
猪名川下流の地名が「きのへ」⇒原地名「きぬのべ」で
その東側に「佐伯山」と言う、謎の坑道の残る山が
あることだが…… 関東は、高麗人。
東北越、中国地方は、新羅人。
東海は、河北人。
大阪は、百済人。
倭人は、居ませんよ。 >>27
関西人の祖神は、新羅渡来王子の天日矛命ですよ。
その裔で有名な神功皇后もねっ
大和・新羅・台湾のベースは倭人です。 新羅建国は、倭人の昔氏で
そこに、秦国から逃げて来た秦人が同居し、神功皇后の三韓征伐で大和の属国化で、新羅秦氏が渡来した次第。
神話のスサノオウやアメノウズメも新羅渡来 jawpの記事も大半が低能生体botによる水増し
町名、学校、旧自治体、ショッピングセンター、警察署、裁判所、
役所(自治体記事とは別に、また庁舎自体が歴史的・文化的価値を持っているわけでもないのに
部署一覧だけ書いた[[○○市役所]]を乱造するバカがいる)歴史的・文化的価値を持っているわけでもないのに
漫画・アニメ・CDなどの単独記事、芸能人などが歴史的・文化的価値を持っているわけでもないのに
jawpの記事も大半が低能生体botによる水増し
町名、学校、旧自治体、ショッピングセンター、警察署、裁判所、
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部署一覧だけ書いた[[○○市役所]]を乱造するバカがいる)歴史的・文化的価値を持っているわけでもないのに
漫画・アニメ・CDなどの単独記事、芸能人などが歴史的・文化的価値を持っているわけでもないのに >>9
>軍事貴族はみな渡来人由来・・・・・・・・・・
桓武生母が渡来系だから桓武平氏が渡来人由来とすると、桓武以降の皇胤は
皆々渡来人由来となってしまうが?
渡来人由来近隣に渡来系氏族が居住だけで、縣犬養氏も渡来人由来決めつけは
何故なの?
渡来人由来に一括したいが為に、強引過ぎやしないか? >>7
そういや九州の大蔵氏の者が
「源光」という源氏を名乗り、朝廷に認めてもらおうとしたけど
露見した事件があった。
一応皇族にワイロを払ってお墨付きを得ていたが、
名前がその直前まで実在していた源氏と同じであり、
そこからばれたらしい。 >>3
賀茂氏も秦氏と非常に関係が深いってよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%B0%8F
そもそも賀茂神社の伝承と稲荷大社(秦公伊呂具)の伝承って
ほとんど同じじゃなかったっけ。
同族とは言わないにせよ、幾重にも婚姻関係を結んでいそうだな。 そもそも満仲の「多田」ってどういう経緯で獲得したんだ >>35
10世紀の畿内摂津国に当時の土木技術で開墾できる土地があったはずもなく、
多田庄の支配者家に婿入りし継承したと考えるのが妥当でしょう。 >>36
>当時の土木技術で開墾できる土地があったはずもなく
このフレーズ、北条氏スレにも書き込んでたな。 ペルシャやトルコの騎馬民かな
新羅には倭人や秦人がいたみたいだな
渡来系疑惑とか言うと天皇藤原はじめほとんどの勢力が渡来系もしくは渡来系となんらかの関わりを持った勢力になる。
日本列島固有の民は縄文人だから。 百済の民族系統は扶余で北方ツングース国家だったんだろ
北方民族に乗馬の習慣はないから、源氏は中央アジアのステップロードやシルクロード経由で辿りついたんだろう。
正倉院にはペルシャ由来の輸入品が納められている。平家がアーリア人というのも頷ける話だ。 藤原氏が文芸貴族なのに対して
源氏は軍事貴族だったみたいだから記録には書かれることはあっても
自伝の編纂みたいな事はあまりやってないみたいだな。
だから目の敵にされ、やれ渡来系だの悪く書かれる事がある。
白村江の戦いがあったからだろうけどね。 新羅は倭人が建国した国だったからな、もともと。
それをワイ族に乗っ取られたので、大和朝廷は軍事介入する羽目に。 民主党政権になった時、あきらかに新羅より百済側を持ち上げる流れがあったが、今の天皇さんの爺味とか爺意。
歴史の教科書には藤原氏優位に書いてあるはずだ。大和朝廷と藤原氏の関係はよくはっきりしていないところがある。 トンデモではないだろ。源氏の武将は戦国時代に多くいたじゃないか。 賀茂氏と秦氏は一族の中で姻戚関係結んだのがいただけで、
父系でみたら、全く違うぞ。
秦氏は渡来系だったので、賀茂氏に限らず、様々な大和朝廷の有力貴族と
婚姻関係を結ぶことによって、渡来系で数少ない成功者になった。
新撰姓氏録では、秦氏は諸蕃とされていて、つまり渡来系であるが
賀茂氏は天神と地祇の二系統があり、つまり、日本土着の貴族だ。
賀茂氏は、大きく二つの系譜があって
元祖の賀茂氏は、カミムスビ系の賀茂氏であり、天神(ヤマト朝廷の譜代)とされ、
もう一つは、大田田根子の後胤で、
そのカミムスビ系の賀茂氏の一族に婿入りして賀茂氏であり、
これが地祇(ヤマト朝廷から見たら外様)とされている。
前者の賀茂氏は、神官の家として、賀茂神社で有名。
一方、後者の賀茂氏は、陰陽道の名家として有名。
平安末期の清和源氏の賀茂次郎義綱は、その賀茂神社で元服しただけ。 後世の源氏の白、平氏の赤というイメージも、
新羅の白、百済の赤から連想したのかも >>45
もう、そういうトンデモ説はうんざりなんだよ。
まじで、そういうバカ説をまき散らすやつは発禁処分にしてもよいぐらい。
それと同時に、もっと、このあたりの歴史を学校でしっかり教えないとな。
日本書紀は、出自に関しては、必ずしも、藤原氏にとって有利な記述になってない。
日本書紀や古事記、新撰姓氏録を見たら分かるけど、
藤原氏の前身の中臣氏は、ツハヤムスビ系の貴族とされており、
この系統の貴族は、中臣鎌足が登場するまでは、のきなみ、中流貴族までしか
出世していない。 平氏は百済ではないんじゃないか? 平氏は百済渡来なのか? >>51 まじでじゃないんだよ。歴史の教科書に物部なんて出てこないだろ。 >>51 日本社会は藤氏優位に出来ている証拠は握っているが、ここではあえて書かないことにする。 ヤマト朝廷の天神(譜代)の貴族では、最高の名門はタカミムスビ系で、
その次がカミムスビ系とされる。
タカミムスビ系は、その起源は、高野山の麓にあり
大伴氏、元祖の葛城氏、元祖の忌部氏なども、その一族である。
ヤマト朝廷の王家の初代の天忍穂耳命の妃は
このタカミムスビ系の女性であり、
この一族は、大和朝廷の初期の外戚一族として勢力を誇っていた。
足利幕府における上杉氏に近い存在ともいえる。
この一族は、天野山の麓の貴族だった大和朝廷王家の祖先と
婚姻関係で結ぶことにとって、
高野と天野の合一、高天王朝を創始するにいたった。
一方、カミムスビ系で有名なのは、元祖の賀茂氏だ。
しかしながら、中臣氏、藤原氏、卜部氏などの系譜である
ツハヤムスビ系は、藤原氏の台頭まで、中級貴族までしかなかった。
記紀を見ても地味で殆ど活躍していない。
そんなわけだから、記紀の内容は、出自に関しては
意外にも、藤原氏にとって有利ではない。
唯一の有利な解釈は、大化の改新についての記述であり、
これは、本来は、蘇我氏が改革派であり、中臣氏や天皇家は守旧派で、
中臣氏らが、蘇我氏を葬り去ったのだが、
のちに大化の改新で改革派の蘇我氏の政策が見直されたために、
中臣氏や天皇家が蘇我氏を誅殺したのは間違いだったことになったために、
そのために、蘇我氏のことを必要以上に悪く書く必要に迫られたためである。 藤氏を減らさないことには日本は甦らないのだ。
わかるかな。 スレの話題とは離れるが
古代の王家は婚姻関係において、合従連衡していた。
高野と天野の合一(天忍穂耳と栲幡千千姫の婚姻)で、
高天王朝が誕生し
この王朝は、また婚姻関係で、
出雲との合一(天火明と天道日女の婚姻)することによって
全国規模の王朝になった。
また、男系主義であり、父方の家系を出自を明確に分けていた。
たとえば、賀茂氏、忌部氏、葛城氏にも複数の系譜であり
これらは、婿養子との関係であり、そういう系譜ができたのだが
婿養子に入った一族とは、その婿養子先とは明確に区別されていた。
賀茂氏でも、カミムスビ系の賀茂氏、そこに婿養子にはいった三輪系の賀茂氏を
明確に別系統とわけていた。
忌部氏なんかも、本流はタカミムスビ系だが、
阿波忌部氏は、カミムスビ系であり、タカミムスビ系の忌部氏に婿養子にはいった一族で
両者は別系統ということで、明確に区別されていた。 >>49
ルーツはもちろん違うのは分かるが、
秦氏や新羅の影響は半端じゃなさそう >>40
>藤原氏が文芸貴族なのに対して
>源氏は軍事貴族だったみたいだから・・・・・・・・・・・・・・・・
文芸貴族?管見にして初見なんだが、文筆作品をものする貴族?
藤原氏の公卿や女官が日記類を残したことを指しているのか?
自伝を残した藤原氏なんぞおったかな?
また臣籍降下した十六源氏>>15殆んどは非軍事貴族であって、清和源氏・
宇多源氏等ほんの一部が、武士化しただけなんだが。
渡来系だと書かれるのは、悪く汚名という言いようも偏見ではないかね?
田村麻呂は、悪く言われておるかね? あと、秀郷、桓武平氏ともに「犬養氏」との縁が深い。
満仲の縁者にも橘氏がおり、
これは三千代とは関係無い、
別の犬養氏じゃないかなと、 >>60 ??? 日本書紀の編纂は藤原氏がやってたんだろ? >>1
答え
@身分が色々になったり、誇大になるのは【源氏及び平家は、低姓身分者】であり、【身分栄誉語り】が多かったから
A見れば一発でわかると思うが、源家は家でもなく非管轄低姓身分で、例えば新田などのように、領地、知行、身分、管轄などを持っていないため
名前が源のままであり、それは低姓身分制を表す
上位身分
新田←ただの地頭
下位身分
源氏
上位身分
渋谷、上総、三浦など
下位身分
平氏
当時の源平姓はもう11世紀以後は如実に下位身分をさしたもの。
Bそして実態の社会階級は
・非領土管轄者
・傭兵ギャング
の集まりであり、戦国の浪人傭兵同様の低姓で、新田程度の末端の地頭職、知行ですらなかったため、実態はこじきスレスレ傭兵であった。
そしてこじきが【身分語り】をしてたのが実態
Cそしてこじきと傭兵ギャング→身分語りときて→後九年で反乱、強盗、虐殺を働いて、社会的についとうされた、これは十分な資料と記録で残ってる。
Dその後、佐々木や児玉党集落(坂東武士領地)に侵入、乗っ取りを働いて、【悪、悪源氏】といわれた。いわゆる棟梁生んたらとか、源氏がいろんなとこにいたりすんのわ、【殆ど侵入強盗】によるもので、これも十分記録に残ってる。 Dその後、佐々木や児玉党集落(坂東武士領地)に侵入、乗っ取りを働いて、【悪、悪源氏】といわれた。いわゆる棟梁生んたらとか、源氏がいろんなとこにいたりすんのわ、【殆ど侵入強盗】によるもので、これも十分記録に残ってる。
そもそも平氏の反乱も侵入強盗に近いが、完全に、源氏の侵入強盗
が先にあってリスペクト受けたフシがある。
E常に源氏は身分語りが多いが
・てんけいの戦いにおける傭兵身分→この時点でも寓話における、源身分があるが、記録上の地位はない
・11世紀の官僚支配者→下級官僚の徴税員であり、仕事もろくにできなければ、地位的身分など書いてなく【バイト】のような身分
・後九年の反乱と強盗→大和官僚から追放 低姓身分ですら損失した強盗
・以降坂東武士に寄生、傭兵というより大和ー坂東ねごしえーたーとしての食客身分に雇われる。
・雇われたのに、一族で大侵入強盗
・平治の乱でリスペクトとなる
このように義朝まで完全に低姓身分で、当時と後期の改ざんで高い身分に倒置されてるが、記録と状況で下級身分で、
身分語りしてた低姓身分とわかる それこそ以降のよりともなんかもっと酷く
@じょうふ、食客、ニート、ネゴしえーたー身分
A上総暗殺で坂東武士権力にクーデター
Bニートが暗殺されても権力を取れないので、イニシアチブをはっきできない
C権力に、うるさいので形成、似非身分の将軍のちいをもらう
D暗殺←当時のきろくでわ暗殺 枕創始の寓話の中だけで転落死となってるが日本史で転落死者は少なく、転落死=あんさつしを指すのであんさつ
E勢力一門追討
となってよりともクーデターも失敗後の末裔も死亡で暗殺
源寓話って殆ど、源氏と徳川の改ざん神話で、実態はようは大和リストラ身分から山賊にまでなった落ちぶれ記 源氏は武家だからな。平家と同様落ちぶれた者もいれば成り上がった者もいるだろう。
藤原のほうが暗殺や乗っ取り、改竄の手口は汚いがな。まあ源氏は武家である以上その特性は否めない。
ごろつきも多かったに違いない。だから戦国時代に至ったんだろう。 実際に新羅系だとしても、
頼義の時代にまでそんな意識が残ってるかは疑問 とりあえず、徳川は、源氏ではなく、ただの愛知の豪農 これが真実
嵯峨源氏 - 泰氏
仁明源氏 - 高麗氏
文徳源氏 - 漢系三善氏
清和源氏 - 百済系三善氏
陽成源氏 - 百済系三善氏
光孝源氏 - 百済氏
宇多源氏 - 坂上氏
醍醐源氏 - 調宿禰
村上源氏 - 文宿禰
冷泉源氏 - 百済王氏
花山源氏 - 文宿禰
三条源氏 - 無姓
後三条源氏 - 栄山忌寸
後白河源氏 - 長国忌寸
順徳源氏 - 秦氏
後嵯峨源氏 - 大崗忌寸
後深草源氏 - 山代忌寸
亀山源氏 - 清宗宿禰
後二条源氏 - 浄村宿禰
後醍醐源氏 - 清海宿禰
正親町源氏 - 木津忌寸 半島とか言うと藤原だって半島か怪しい。
平氏だって秦の流れは汲んでいるだろう。 司馬遼太郎 本名(福田定一) が 源氏は突厥系騎馬民族だと言っていたらしいが、あながち間違いじゃない。 >>71
いいえ
真の出自は、南朝足利冬直が実施した最初の倭寇の大河内氏だから、出自を伏せただけですから・・。 >>70
頼義流清和源氏が、新羅系だと一体誰が主張していると?
頼義父頼信の母は、南家藤原保昌の妹だから、父満仲が通説通り
経基王の子なら新羅系ではありえないぞ。 >>82
皇孫六孫王こと源経基が新羅系というのは、経基母が新羅系渡来人だと?
経基母は、何氏の女なの? ウクライナのステップにいたスキタイだろ。新羅は高句麗や百済の扶余族ではないはず。 >>87
荘園制度前の母系崇拝で資金提供を高野氏の百済人から受けて成り立ってた家柄なのだろう。
家の従兄の平田氏がその時代の兵氏公家ルーツ。
家は、源氏初代長者の源融の家柄・・。 >>88の訂正。
>家の従兄の平田氏がその時代の兵氏公家ルーツ。
家の従兄の平田氏がその時代の平氏公家ルーツ。
高棟王流末代
小笠原氏末代の家の母方繋がりの従兄だわぁ・・ 源氏って21もあるじゃんか。どれかに絞れよ。話が混乱する。 名前から来るイメージと逆さまで武を好むのは平家、源家は
文治を重んじるのではないか?
宮廷舞台の源氏物語と軍記である平家物語の違いに重ねて考える
見方もある。 源家鎌倉三代目の実朝も一所懸命に歌読みして歌名を挙げたけど
平家北条の手先に首討たれちまったろ。
実朝も文治をやりたかった。 >>86
>>90
これが真実
嵯峨源氏 - 泰氏
仁明源氏 - 高麗氏
文徳源氏 - 漢系三善氏
清和源氏 - 百済系三善氏
陽成源氏 - 百済系三善氏
光孝源氏 - 百済氏
宇多源氏 - 坂上氏
醍醐源氏 - 調宿禰
村上源氏 - 文宿禰
冷泉源氏 - 百済王氏
花山源氏 - 文宿禰
三条源氏 - 清川忌寸
後三条源氏 - 栄山忌寸
後白河源氏 - 長国忌寸
順徳源氏 - 秦氏
後嵯峨源氏 - 大崗忌寸
後深草源氏 - 山代忌寸
亀山源氏 - 清宗宿禰
後二条源氏 - 浄村宿禰
後醍醐源氏 - 清海宿禰
正親町源氏 - 木津忌寸
自分から進んで渡来系を自負してた人物は朝廷には少ないな。 うちは母方が源氏系で、家紋が16菊に一なんだけど、おんなじ人いるかな。
名前は、地元茨城県で数が多い、弓野家。
奥州征伐の時に、帰りに茨城県の里美街道というところから、
地元に住み着いたらしい。
で、そのお婆さんの方の家系が、菊池っていうんだけど、
うぃきったら、菊池というのは肥前の方の発祥らしい。
わざわざ遠く離れた田舎まで来たんだなあ。
菊って言うから皇室かと思っていたんだが、
菊池っていう地名から名をとったらしい。
で、母が言うには、菊池の方が菊地より格上なんだそうだ。 皇族系の落胤(落とし種)とかが生活保護廃止!とかナマポがどうの!とか
小生意気にやらかしていたかどうか!?を国民レベルで調査しないとイカンぞ。
もしそういう悪事をやっていたならば大問題だ。
天皇皇族制は完全廃止しないといけない。江戸時代じゃないんだから(怒) 源満仲の出自は
陽成帝の母后藤原高子が不義密通し東光寺座主善祐の児を妊り、寛平8年(896年)9月に
廃后されている。
陽成上皇は退位後、頻繁に摂津国で下人を引き連れ狩猟を行い乱暴狼藉を働いたとされている。
摂津国多田院の近くには東光寺の末寺が存在する。
以上の事柄より
満仲兄弟の実の父親は陽成上皇の異父弟であり
満仲兄弟は陽成上皇の取り巻きとして狩猟に供奉し乱暴・狼藉時には暴力装置として機能していたと思われる。
また、経基との関係は
満仲兄弟の叔父である陽成上皇が兄弟を同族の経基の養子とさせ皇孫裔に潜り込ませたのである。
満仲兄弟の実の祖父東光寺座主善祐は秦氏の出自である。 >>98
藤原高子は善祐の子を妊娠してないよ
高子が不義密通の罪で皇太后を剥奪された寛平8年(896年)、
高子は55歳だ。 秦氏押しの人は自分の考えた物語を事実だと思い込んでしまっておるまいか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています