{{{源氏の素性・正体}}}
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
新羅三郎 八幡神 突如とした騎馬集団 義経モンゴル逃亡説
言えばきりないほどの渡来系疑惑。
真実を解き明かそう >>98
藤原高子は善祐の子を妊娠してないよ
高子が不義密通の罪で皇太后を剥奪された寛平8年(896年)、
高子は55歳だ。 秦氏押しの人は自分の考えた物語を事実だと思い込んでしまっておるまいか 清和源氏って胡散臭いって思ってたけど
やっぱりそういうことだったんだな。 源経基が武蔵介に任官した時、源賜姓されてなかったので泰氏確定。
なので源満仲の出自は泰氏。
清和源氏=泰氏 Q 清和源氏の出自は泰氏だということを知っていますか?
・知っていた
・今知った >>104
ん?じゃあ俺源氏の血をひいてるから秦氏なん? 皇族と源氏と平氏の末裔の男系遺伝しを調べたらはっきりするね >>86
>>90
>>105-106
これが真実
嵯峨源氏 - 泰氏
仁明源氏 - 高麗氏
文徳源氏 - 漢系三善氏
清和源氏 - 百済系三善氏
陽成源氏 - 百済系三善氏
光孝源氏 - 百済氏
宇多源氏 - 坂上氏
醍醐源氏 - 調宿禰
村上源氏 - 文宿禰
冷泉源氏 - 百済王氏
花山源氏 - 文宿禰
三条源氏 - 清川忌寸
後三条源氏 - 栄山忌寸
後白河源氏 - 長国忌寸
順徳源氏 - 秦氏
後嵯峨源氏 - 大崗忌寸
後深草源氏 - 山代忌寸
亀山源氏 - 清宗宿禰
後二条源氏 - 浄村宿禰
後醍醐源氏 - 清海宿禰
正親町源氏 - 木津忌寸
八幡太郎義家
新羅三郎義光
鎌倉悪源太義家
木曽義仲
新田義貞 >>98
>陽成上皇が兄弟を同族の経基の養子とさせ皇孫裔に潜り込ませた・・・・・・
養子にするとどういう利点があったの?自らのでなく元平親王の
子経基の養子としたのは、何故なの?
>満仲兄弟は陽成上皇の取り巻きとして狩猟に供奉し・・・・・・・・・・
己が后だった藤原高子の不義の子の子を、陽成が取り巻きに加えるのは、
何故なの? >>68
そうなんだよ。
だから源氏層のゴロツキには渡来系チンピラが流入していた節が有るわけですよね
>>74
平氏は高角率でトルキー秦氏系は間違いない
群書類集や大乗寺院周伝記にも 六波羅周に、鼻が高く目の窪んだ異国人が皆平姓を名乗っていたとかいてある
n >>95
だが武士には多いよね。ドイツも頭悪くて滅亡してるの多いけど 源氏・平氏は渡来系氏族
嵯峨源氏 - 泰氏
仁明源氏 - 高麗氏
文徳源氏 - 漢系三善氏
清和源氏 - 百済系三善氏
陽成源氏 - 百済系三善氏
光孝源氏 - 百済氏
宇多源氏 - 坂上氏
醍醐源氏 - 調宿禰
村上源氏 - 文宿禰
冷泉源氏 - 百済王氏
花山源氏 - 文宿禰
三条源氏 - 清川忌寸
後三条源氏 - 栄山忌寸
後白河源氏 - 長国忌寸
順徳源氏 - 秦氏
後嵯峨源氏 - 大崗忌寸
後深草源氏 - 山代忌寸
亀山源氏 - 清宗宿禰
後二条源氏 - 浄村宿禰
後醍醐源氏 - 清海宿禰
正親町源氏 - 木津忌寸
桓武平氏 - 泰氏
仁明平氏 - 交野忌寸
文徳平氏 - 鳥井宿禰
光孝平氏 - 中科宿禰
>>106
べつの板でY-DNAでは源氏はD2の可能性が高いというのを見た
源氏は縄文系の末裔ということになる >>121
やっぱ浮囚系も多数源氏を自称してたんだろうな 大陸にも雲南の羌族D1系統みたいな旧モンゴロイドがいて
太公望や始皇帝や徐福なんかもそうだったらしいけどな
チベットにはD3系統の旧モンゴロイドもいるとか
顔立ち的に縄文系D2と見せかけて羌族系D3な奴もいるんじゃないの
徐福=神武天皇説もあるくらいだし
秦王朝の生き残りの客家ってのが中国にはいるけど
孫文なんかは二重瞼で旧モンゴロイド顔
李鵬は混血が酷くて新モンゴロイド丸出しな顔になってるけど・・・ 秦氏はD1系統じゃないの
秦王朝の生き残りだけに
徐福が行った場所だから日本に来たんだろ 客家の人間
孫文
ttp://www.pahoo.org/culture/numbers/year/img1911-03.jpg
李登輝
ttp://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/img/09_img01.jpg
ケ小平
ttp://cache5.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/22973001080.jpg
李鵬
ttp://livedoor.blogimg.jp/is709-toanews/imgs/c/b/cb9fc96f.png
李鵬はユダヤ人イルミナティの悪魔の13血流の李家らしくてロックフェラーやロスチャイルドと同じくらいヤバいらしい
ダビデの聖なる血流とかいうのが親玉っぽいけど
マグダラのマリアが何気にダビデ王の子孫だったりするイエスの子供のカール大帝を生んでダビデの聖なる血流のメロヴィング家になったらしい。
ブッシュ大統領がそうだとか・・・
マリアって黒人らしいし、イエスもコーカソイドだけど中東系で白人じゃないし、その場合、カール大帝は白人ではなく有色人種って事になるけど、
よく古代なんて時代に白人国家の皇帝になれたな。
ダビデ王のエフライム族はアッシリアに古代イスラエル王国が滅ぼされた時に抑留されてどこかに消えたらしい。スキタイに混じって東の方に逃げて行ったという伝説もキルギスあたりにはあるけど
エチオピアの王家はダビデの息子のソロモンと黒人のシバの女王の子供の血筋だったっぽい
エチオピア王
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Mittelholzer-haileselassie.jpg イスラエルのアミシャブって機関の調査によれば、チベット人の一部と雲南省の羌族の一部は遺伝子調査の結果イスラエルの失われた十氏族だったらしい。
日本はアミシャブの調査を拒否してて不明。 縄文人はD2ではなくD1bだったことが明らかに
2014年6月2日 v.9.70のY-DNAツリーが揃いました。今回は前回のY-DNA「C」の全面見直しに続き、
我が縄文系最大のハプロタイプのY-DNA「D」の全面見直しが実施されました。残るはY-DNA「O」のみとなりました。
Y-DNA「D」はこれまで「D1」,「D2」と「D3」に分類されていましたが、全て「D1」に統合されました。この結果我らが」
「D2」は「D1b」になり、羌族・チベット系の「D1a」とY遺伝子的にこれまでより近い関係に位置付けされました。
これで文化や風俗、言語などますます羌族やチベット族との親近性が問われることになります。当ガラパゴス史観の主張である
中国古代神話とイザナギ神話の同根性やかぐや姫民話のチベット民話との同根性など信憑性が高まってきました。
日本人は極東海中の隔離された特異な集団では決してなく、アジア周辺に同根の遺伝子を持ったアジア最古の古代遺伝子
Y-DNA「D」と「C」を基盤に持つ古代的集団であり、新興遺伝子のY-DNA「O」の先進性を併せ持つ先進的集団でもあり、
古代性と先進性の2面性を併せ持つ先進国では極めて珍しい民族性を発揮する集団なのです。 D系統が先住民でO系統が後から来たってのも眉唾物だな・・
母系遺伝子は新モンゴロイド系ばかりなのに男系遺伝子だけ半分、旧モンゴロイドだし
旧モンゴロイドが先住民なら母系遺伝子も旧モンゴロイド系になるはずなのにおかしいんだよな
だいたい旧モンゴロイドといえば雲南とかチベットにいる西方系民族だし
本当は新モンゴロイドのいる日本列島に後から徐福とかの旧モンゴロイドがやってきて民族浄化しまくったのかもしれない
だいたい古事記の日本神話で神武天皇が西から船でやってきて日本を制圧したって書いてあるじゃん。
最初に大阪に上陸したけど反撃にあって先に九州を攻めたとか書いてあるし マジレスすると皇室は男系遺伝子調べたらD系統だった。ついでに徳川も・・・ >>8
清和源氏系は、皇孫仮冒か?
286 :日本@名無史さん:2014/07/31(木) 12:58:15.74
ただ源氏の初期の勢力扶植は大和、摂津、河内だね
武家源氏でこの系統だけが突出した謎も・・・・・・・・・・・・・
継体天皇 13
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1384518434/286 D系って過去に大陸では大量に虐殺されて
今はチベットもその対象にされてるし
日本以外は完全に未来はないな >>130
それだと畿内や東海が旧の遺伝子だらけになって
東北や九州が新でないとおかしくないか >>130
>旧モンゴロイドといえば雲南とかチベットにいる西方系民族・・・・・・・・・
中国大陸の揚子江や黄河流域の大族呉・越・漢族を忘れておるぞな。 藤原経清を鋸引きしたのは源頼義だぜ
源氏は残忍だよな 基本的に源氏はDQN
単に増えただけ
あそこの勢力(精力)だけは一丁前 藤原氏は知性・教養・気品あふれ・他者をおもいやる・弱者を助ける精神の子孫が反映した
藤原氏が他者を陥れたと言う人物は一人も出てない
これが格の低い源氏と高貴な藤原氏の格の違い ただ、源氏が野蛮な証拠こそ、仮冒たる由縁じゃないのか? ただ、源氏が野蛮な証拠こそ、仮冒たる由縁じゃないのか? >>132 あと、武家源氏は宇多源氏の佐々木ぐらいか?僭称だろうけど、今年大河
の黒田とかも一族。 八幡、賀茂、新羅と
みんな新羅との縁深いところばっか 源氏・平氏は渡来系氏族
嵯峨源氏 - 泰氏
仁明源氏 - 高麗氏
文徳源氏 - 漢系三善氏
清和源氏 - 百済系三善氏
陽成源氏 - 百済系三善氏
光孝源氏 - 百済氏
宇多源氏 - 坂上氏
醍醐源氏 - 調宿禰
村上源氏 - 文宿禰
冷泉源氏 - 百済王氏
花山源氏 - 文宿禰
三条源氏 - 清川忌寸
後三条源氏 - 栄山忌寸
後白河源氏 - 長国忌寸
順徳源氏 - 秦氏
後嵯峨源氏 - 大崗忌寸
後深草源氏 - 山代忌寸
亀山源氏 - 清宗宿禰
後二条源氏 - 浄村宿禰
後醍醐源氏 - 清海宿禰
正親町源氏 - 木津忌寸
桓武平氏 - 泰氏
仁明平氏 - 交野忌寸
文徳平氏 - 鳥井宿禰
光孝平氏 - 中科宿禰
>>1
>>122
源氏は、出雲先住系(出雲族の南関東・国造家など含む。)の籍入れが多いな・・
平氏は、土地を行き交う民人・百済渡来人などとの社人との縁重視。 徐福も羌族出身者だからD系統って考えられてるのに
渡来O 先住Dって事にしたがってる奴が意味不明だ
渡来Dも存在するだろうに スサノオの出雲族=縄文人
アマテラスの天孫族=羌族
ツクヨミの民族=大月氏(チベットとスキタイの混成民族)
って考えた方が無理はない
全部D系統の旧モンゴロイド系だし
チベットにはかぐや姫と似たおとぎ話があるらしいじゃん
数字の数え方もチベット語では
1 チー 2ニ 3 スン 4 シ
だし 琉球語のナンクルウナイサが何とかなるさって意味だって日本人には何となくわかるじゃん
羌族は日本語の意味が何となくわかるらしい 遺伝的にみると弥生人ってのはベトナム人や苗族の仲間だけど
日本語が言語的にベトナム語と全然違うのは
D系統の旧モンゴロイドが日本では優位で支配的な地位にいたからだと思われる
日本語なんかは羌族語や琉球語やチベット語との比較であきらかに旧モンゴロイド系の言語
清和天皇がルーツの源氏の男系遺伝子も調べたら全部D系統だし
天皇の遺伝子もD系統の旧モンゴロイドだと思われる
大陸には羌族がいるから渡来人でないとは言い切れないけど
古事記の神武天皇なんか日本に上陸して日本を征服したって書いてあるし
隣の国がファビショるからあまり名言されないけど しかし、羌族系の始皇帝や太公望とチベット人や日本人が遺伝的に近いってのは
シナがチベットや日本を征服するのを正当化する口実として利用されかねないから全く危険ではないとも言えない
かと言って科学的にみると本当っぽいし否定もできない
都合の悪い事は全部嘘扱いなんて思考じゃ隣の国みたいな野蛮人になってしまう
その辺はアメリカ人もイギリス人もインド人もイラン人もアーリア人だったらナチスドイツの軍門に下らなきゃいけないのか的な理屈でも主張しとくべき
羌族とか雲南省にわずかにいるだけの人口の1パーセントにも満たない少数民族だしね
中原の地に最初にやってきて夏王朝を作ったのが羌族らしいけど そもそも日本列島は最初は無人島だし
縄文人も含めて全て渡来人 皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、
縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ、明治天皇も東山天皇の男系子孫
に属する。
D1系統は羌族系、D2系統は縄文系、D3系統はチベット系
D1系統はチベット人にも見つかっている
何かを恐れて古代中国にいたD1系統の羌族がD2やD3のいる日本やチベットに逃げてきたって事か
何かの存在が何なのかも気になる
やっぱ匈奴とかの北方遊牧民 承平六年五月、一人の高貴な女性が殺害されました
数え年で十六歳の少女でした
早朝の都大路で衣を剥ぎ取られ野犬に喰われた無残な姿で発見されたのでした
幼い甥っ子を可愛がっていた心優しい少女でした
捜査に当たったのは若い検非違使の下級官吏でした
何故かすぐにこの下級官吏は事故だと断定し上奏され沙汰止みとされました
本来であれば王朝国家を揺るがす大事件だったのですが或る勢力によりその真相は隠蔽されたのでした
殺害された高貴な女性の名前は斉子内親王と言い亡き醍醐天皇の皇女で卜定され伊勢斎宮の宣下を受けたばかりでした
そしてにわかに後任の伊勢斎宮に卜定されたのは式部卿重明親王の王女で摂政太政大臣藤原忠平の外孫の徽子女王だったのでした
亡くなった斉子内親王の母親源和子の母親は藤原氏ではありませんでした
応和元年、ある富裕な受領の京の邸宅が武装強盗団に襲撃を受けました
単なる物盗りだけではなく恨みによる犯行とも考えられました
程なくして捕えられた強盗の一味が主犯と共犯は醍醐天皇の皇孫親繁王と清和天皇の皇孫源蕃基と供述しました
「頭目は親繁王で奪った財物も全て親繁王の元にある」と
源蕃基は経基君の兄弟で、頭目とされた親繁王は25年前に無残に殺害された斉子内親王が可愛がっていた甥っ子だったのでした
そして襲撃を受けた邸宅の主こそ、斉子内親王殺害事件当時、疑惑の若い検非違使の下級官吏であった源満仲だったのでした 承平九年、経基君は誣告の罪で左衛門府に拘禁されてしまいました
空想癖の為せる業と申しましょうか
武蔵介経基君は平将門、興世王、武芝の兵に囲まれたと勘違いし京都に逃げ帰って
「将門謀叛!」と妄想を炸裂させてしまったのでありました
しかし相手が悪かった
将門の私君は摂政太政大臣藤原忠平だったのでした
将門は常羽御厩の他、複数の牧を管理運営していて摂関家とは経済的繋がりもあったのでした
しかも忠平の嫡男大納言藤原実頼は「道理と謹直」を重んじ、「義理と人情」を掟とする陽成グループとは相容れぬものが有り
事あるごとに陽成グループに辛く当たっていました
ある日、左衛門府に拘禁されていた経基君の前に見覚えの有る一人の男が現れました
「経基王さま、お久しゅうございます」
左衛門志縣犬養満仲と名乗るその男は陽成グループのワケあり強面の若い衆の一人でした
陽成ボスの指令で左衛門府の下級官吏に潜り込み経基君のお世話を命じられたのでした 満仲は続けて言いました
「経基王さまをお救いする所存でございます」
そして「それがしの摂津国多田はまつろわぬ者どもの土地でございます」
経基君は「???」
実は満仲は傀儡の集団の頭目でもあったのでした
「配下の者が常陸国で騒ぎを起こす手筈になっております 将門は必ずや喰らいついて来ましょう・・・」
経基君は「な・な・な・何と?」
程なくして常陸国で朝廷を震撼させる大事件が起こりました
義侠心溢れる平将門は困窮し助けを求める者に促されるまま常陸国府に兵を率いて直談判に赴き勢い余って国府を占領してしまったのでした
将門は図らずも朝廷に叛旗を翻すこととなったのでありました
経基君の妄想による讒言は現実のものとなり誣告の罪は一転して褒賞へと変わったのでありました 藤原忠文はこの時代には既に低迷していた藤原式家の出身でありました
家祖百川以来の名門ではありましたが祖父春津が馬にうつつをぬかし身代を傾けてしまったのでした
蔭位の制にも与れず朝廷でのキャリアを内舎人からスタートさせた叩き上げでありました
近衛など武官畑を地道に歩み鍛錬し研鑚を重ねお家芸とも言える馬・鷹の名手と言われるまでになりました
天皇を退位させられて20年余り、持て余す暇を狩と武芸に費やしていた陽成上皇がこの男を放って置く筈はありませんでした
宿命かのように陽成ボスに召し出されたのでありました
「尚武の気風天晴れである 朕に近う仕えよ」
忠文は陽成ボスの御給により従五位下に叙爵され弟忠舒も取り立てられ兄弟揃って陽成グループ構成員となったのでありました
「もう後戻り出来ねぇ・・・」
忠文は覚悟を決めました
なんだか周囲にはワケありの強面の若者たちが侍るようになっていました
そんなある日、怯えたような表情をした経基王と呼ばれる幼子が連れて来られました 経基君は空想が好きな少年でした
空想の中では幼い時に死別した顔も覚えていない父貞純親王に会えるからでした
厳しい陽成グループの虎の穴のような武芸の特訓も身が入らずいつもうわの空でした
いつしか空想に耽ることが癖になっていたのでした
陽成ボスは経基君の身の上を不憫に思いながらも心を鬼にして武芸を仕込もうと決めていました
それは二軍皇族が臣籍降下した末路を憂いてのことだからでした
陽成グループは醍醐朝摂関家の栄華を横目で見ながらも、弾正尹元平先輩を若頭に戴きしぶとく頑張っていました
武闘派藤原忠文は燃える志を秘めていました
「わが藤原式家を再興するのだ!」
朱雀天皇の御世天慶二年、待ち望んだチャンスが訪れました
陽成グループ長老の源清蔭の後を受け参議に昇った直後に坂東で平将門が謀叛を起こしたのでありました
忠文は征東大将軍に任命されましたが心配な点がありました
「征東軍の幹部が弟忠舒をはじめ陽成グループばかりではないか・・・? あの空想癖の経基君までいる・・・・」
それは摂関家嫡男藤原実頼のワナでした
忠文「将門に負ければ陽成グループは全滅してしまう・・・・・・!」 天慶三年如月
右衛門督征東大将軍藤原忠文は軍勢を率い美濃国に差し掛かっていました
坂東で反乱を起こした平将門を討伐する為でした
忠文は憂鬱でした
それは部下の副将軍にあの経基君を付けられたからでした
「いくら弟忠舒が院司を務める陽成ボスからの強力なプッシュとは言え経基君は無いよなw」」
間もなく、それは杞憂に終わりました
将門は藤原秀郷等に討ち取られたとの知らせが届いたのでした
「ああ良かった・・・」
征東軍は京都に帰還しました
ところがすぐさま朝廷から今度は征西大将軍として藤原純友を討伐せよとの命令が下ったのでした
拝領した人事表に目を通した瞬間
「あっ経基君がまたもや副将軍だ・・・・」
忠文は奈落の底に突き落とされたような気持でした
陽成グループ恐るべしw ある日、経基君は年上の従兄弟の元平先輩に陽成院御所の裏に呼び出されました
「何があっても俺がお前を守ってやるからな。代わりに院の狩場の多田の面倒をちゃんと見ろよな。」と言い含められました
経基君にとって以前行った多田の印象はあまり良くありませんでした
多田は都の隣の摂津の国なのに全くの異界でした
住民の顔立ちも都人とは違って耳慣れない言葉が聞こえてきました
従者に尋ねると「皮革業の渡来人の末裔や陸奥の国から連れて来られた俘囚ですよ。」と答えが帰ってきました
経基君にはどこかケモノの匂いが漂う馴染めない土地のように思えました 天慶九年小春日和の神無月
暖かい陽だまりの中、筑紫の地で経基君はのびのびしていました
太宰権少弐の仕事はお気楽でした
心強い上司小野好古と有能な部下大蔵春実にオンブにダッコでOKでした
そこに急を告げる使者が
「な・な・何?対馬に国籍不明の大きな軍船が襲来したと・・・・・?」
経基君は青ざめ目が泳いでいました
頼もしい上司の太宰大弐小野好古は在京中で不在だったのでした
「ど・ど・ど・どうしよう?春実あとは頼んだ!」
そこにどこかで聞き覚えのある野太い声が
「おう親父さん 元気か?」
経基君「み・み・み・満仲!駆けつけてくれたのか?」
「何の話だ?俺は嫁さん貰ったので報告に来ただけだけど」
満仲は摂関家藤原忠平・師輔父子と昵懇の源俊の娘を妻に迎えたのでした
なんともまあ、抜け目のない養子満仲でありました
その後、異国船騒ぎは立ち消えとなったものの上司好古を介し満仲の主人忠平にその旨報告して賞され
おぼえめでたく経基君は労無く筑前守に任じられたのでありました
孝行息子をくれた陽成グループに感謝したことでしょう 応和元年11月、経基君は死の床にありました
彼は自身の数奇な人生を振り返り「悪くない人生だったな・・」と呟きました
言葉とは裏腹に彼の心の中は複雑な幸福感で満たされていました
二軍皇族陽成グループは彼に対して過酷でもあり温かくもありました
陽成ボスも元平先輩も裏街道を歩む者共通の優しさを持ち合わせていました
「ガラの悪い兄弟を揃って養子にして間違いはなかったんだ。」経基君は自分を納得させるように心の中で繰り返しました
運も彼に味方しました
告げ口したり純友の末端部下を捕えただけで承平天慶の乱鎮圧の勲功にも浴しました
陽成グループが陰でサポートしていたことも知らずに・・・・・ 経基君は図らずも武門源氏の開祖と担がれ仰がれ神にまで祭り上げられました
あの世で経基君は「血の繋がりよりも義理だ」との言葉を深く噛みしめたことでしょう
陽成ボス崩御後、陽成グループがどうなったか定かではありません
しかし血の掟は脈々と闇の世界で受け継がれました「独り占めは許さない」と
まんまと源氏の養子に納まり摂関家権力をバックに莫大な富を蓄えた満仲も例外ではなく謎の襲撃を何度も受けました
経基君の子孫を自称するならず者達は自分勝手な欲望の果てに混沌たる「武者の世」をもたらしました その日、頼信は焦っていました
とにかく焦っていました
「俺もヤバイのか?」
見えない闇の勢力が自分にも迫りつつあることを敏感に感じ取っていました
平忠常の乱を平定し大将軍と持て囃され平直方とも提携して坂東に足がかりを築き始めたばかりの時でした
危機を感じていました
「兄者の大和源氏のように没落したくない」
「親父の満仲のように出家して逃れるか?」
「いや頼光兄者のように歌の世界で生きるか?」
「だけど俺には才能は無いけど野望だけはある」
気が付いた時、頼信は誉田神社に駆け込んでいました
そして八幡神に縋ろうと筆を執り一心不乱に書き綴りました
応神天皇ーーーー清和天皇ー陽成ボスー元平先輩ー経基君ー満仲親父ーオレ
頼信は八幡神(応神天皇)の前で闇の勢力陽成グループに「義理を果たした」と信じました
願いは届いたのか頼信の子孫だけが武門源氏として繁栄したのでした 釈放の朝、左衛門府の門前には黒塗りの牛車と黒装束の若い衆がズラリと並んで経基君を待っていました
一同一声に
「お勤めご苦労様です!」
経基君は訳も分からないまま陽成院御所に連れて行かれました
陽成ボスに出所の挨拶を済ませたあと元平先輩から一言
「そなたを将門討伐の副将軍に入れておいたから」
経基君は「えっ!???」
朝廷の議定で征東大将軍に陽成グループきっての武闘派藤原忠文が任命されたのでした
そして征東軍幹部には陽成グループの面々が名を連ねていました
大納言藤原実頼からしてみれば良い厄介払いであったのでした
出征を前に経基君は陽成ボスから激励のお言葉を頂戴しました
「必ずや武勲を挙げ源氏賜姓の誉とせよ」
経基君は自分の知らないところで臣籍降下が決定していたのです 朝廷財政再建をめざして藤原摂関家を中心に策定された延喜式は皇族のリストラ整理だけでなく下級貴族に対しても過酷なものでした
「臣籍降下したならば王氏爵の保障は無くなり一介の任用国司では生きて行けぬ・・・・」
「何としても武功を挙げ受領に成らなければ・・・」
しかし武芸の無い経基君には土台無理な話でした
天慶三年、藤原純友討伐の山陽道追捕使小野好古の次官だった経基君にチャンスが巡ってきました
経基君に同行していた縣犬養満仲が純友配下の桑原生行を捕えたのでした
満仲は含みを込めて経基君に言いました
「子の武功は即ち親の武功です」
経基君は今度はすぐに理解しました
「うむ!」
経基君はなんとか武功を挙げ太宰権少弐を経て念願の受領に就任出来たのでした
そして満仲ら三兄弟はまんまと経基君の養子に納まり清和源氏を名乗っていました 経基君の家族は複雑でした
先ず満仲・満季兄弟が養子となりました
満仲の連れ子の満政は経基君の養子として次男に 、満季の連れ子の満頼も経基君の養子に納まりました
しかし満季は安和の変の罪滅ぼしか自分の家督を源高明の孫致公に譲りました
経基君の本当の息子は頼光でした
そこで満仲は清和源氏乗っ取りを確かなものにする為に策を講じ頼光を自分の養子としました
通貴な経基君の血を受け継ぐ頼光は宮廷官人として栄進し「大内守護」摂津源氏の祖に
血生臭い満仲の血を受け継ぐ満政・頼親・頼信は摂関家権力の走狗として「もののふ」武家清和源氏各流の祖となり武威を振るいました D系統がO系統に征服される流れになってるのにある日突然D系統優位になるって事もあり得ない話ではないな
ムガル帝国時代のインドはE系統のセム人種アラブ人が優位でR系統のアーリア人種インド人は被征服民として抑圧される側だったけど
ある日突然、R系統のアーリア人種がインドでは優位になった。
アングロサクソンってR系統のアーリア人種がインドを植民地にしたから。
アラブ人はパキスタンやバングラディッシュに押しやられて支配者から一転、不利な立場に
東山天皇の子孫の男系遺伝子が羌族と同じD1系統だし
天孫民族は羌族とかなり近い民族である可能性が高い
たぶん縄文人(D2系統)を弥生人(O2系統)が征服してる所にいきなり羌族系の天孫民族(D1系統)がやってきて日本を征服しちゃったんだよ うちは源氏の男系男子らしく江戸時代までは代々朝廷から源姓貰って
戸籍謄本を幕末まで遡ると曾々祖父さんの本姓は源だが
耳垢湿性で軽い腋臭で骨格もゴリラっぽいし縄文系の特長だよ まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 源氏も藤氏も卑怯なだけで、何のロマンもないゴミ。平氏のほうが格上。
幕府や城造りに関わっているのは、ほとんど桓武平氏。 平氏は早々に朝臣氏族として途切れてしまい、
正式な氏族としては残って無い為、全て自称でしかない。 西洞院家「…」
平松家「…」
長谷家「…」
交野家「…」
石井家「…」 あー、そう言えば公家の平氏は朝臣氏族として残ってたな。
自称は武家の平氏ね。 陽成グループの黒歴史を解明して、このスレの使命は終わりました。 ぼく(僕)のかんがえた(考えた)やみ(闇)のれきし(歴史) ドラマスペシャル「陰陽師」を見たけど
俺も式神が欲しい♡ 源博雅が「曾祖父の代から伝わる橘林も笛」と言っていたから
母方は橘氏(縣犬養橘氏)ということだな
母方の身分が低いので臣籍降下させられたのであろう 日本人の20%近くを占めるO3(黄河文明人)ってどの集団なんだろうね
源氏だと考えてる人もいるみたいだけど O3と一口に言っても、さまざまなサブハプログループの寄せ集めだし、
地理的分布もおおむね「西高東低」の傾向が見られるから、繁殖して子孫を残した源氏集団には相応しくないように思う。 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり うどんやおやきは麦料理だし麦食人と米食人って分類だと日本人は雑食って事になるな。昔っから米も麦も食べる。白人の真似してパンを食べるようになっただけではない。 源泉(みなもとのいずみ)
平安中期の人物。中級貴族、歌人。
嵯峨源氏融流。正四位下参議。
天皇親政派として税制改革に取り組む。
しかし、国衙荘園領からの貢納を領主からの直接徴収に切り替えようとして摂関家に潰される。
世にいう源泉徴収の変である。
現在の税制の一つである「源泉徴収」は彼の事績に由来する。 みんなの査読求む(一部スレチ)。
@邪馬台国は呉と同系統(太白の後裔)
A卑弥呼は九州から纒向へ移動→ヤマト王権
B出雲には秦王朝の徐福らが先に基盤
C出雲が大和に服従(配下となる)
D新羅から秦王朝系の渡来人(秦氏)が流入
E蘇我氏も秦氏で、大和王権で権力拡大
F聖徳太子(秦氏=新羅系)は蘇我入鹿
G一方、呉の流れを汲む百済からも渡来人
H百済(=呉)系(中大兄皇子、藤原氏)が復権
I新羅系の大『海人』皇子(天武)が復権
そして↓
@百済(=呉)系の平家が台頭
A新羅(秦王朝→秦氏)系の陽成(=清和)源氏復権
(※源氏は『海人』の棟梁)
…以降、源平(新羅・百済)交代を繰り返す。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています